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2001年01月31日(水)
昼食を取らない生活が続いている

1月に入ってから昼食をとった記憶がない。平日に限っての話だが。
空腹感は感じるが,食事をする意欲というものがわかない。
おそらく,生きる意欲の低下の余波みたいなものだろう。

昨日の診療で加藤先生にそのことは話した。
「1カ月で4キロの体重変動があったら危険」というようなコトを言われた。
その前に,僕がさんざん食事したくない(する気にならない)ことを話したからで,加藤先生のアドバイスは別段冷たいものではない。

しかしながら,昨日の「根が深いかもしれない」というコトバは痛かった。
いや,冷静に捉えればそれは単なる事実なのだから,
ドクターからすれば別に普通のことを話したということだろう。
だが,精神的に弱っている状況で,
僕は冷静に受け止めることはできなかったようだ。

簡単に言えば,ショックだった。

そのせいか,今朝も不安があり,レキソタンを2錠のんだ。
本当は4錠にしたかったが,くせになるのが怖くてやめた。
薬の残量には限りがある。
そんなに大量に飲み続けるわけにはいかないという判断もあった。

しかし…「うつ病」という現状脱却の希望は,原型をかろうじてとどめてはいるか,かなり砕けてしまったように思う。
治る見込みのある病気であると信じなければ,これから先に進むことはできない。
だが,果たしてこれから先に進めるだろうか。疑問だ。

死にたいとはあまり思わない。死ねば家族に迷惑がかかる。
また,ヒトが死ぬと多くのことが動く。
役所,銀行,生命保険,車,会社,ひとつひとつ整理していかなければならないだろう。
そんな面倒を家族に押しつけたくはない。

逆説的に,「ひとり暮らしで身寄りがなかったら?」と考えてみても,
やはり死ぬとは思わない。
社会の負け犬になって,ボロゾーキンのように街角に横たわるのはイヤだ。

どうあがいても生きることに執着があるわけで,
そう思っている限り大丈夫だと思う。
下手な自己憐憫は,自分のこれからの可能性まで否定してしまう。

だけど,本当に大丈夫だろうか…?
自分を保ち続けて,自分の存在を抹消することなしに,
自分を再び自分の認められる存在へ変えることができるだろうか?
正直,あまり自信はない。

帰る前に,やはりレキソタンを飲んでおこう。
これで今日も4錠のんだということになる。



2001年01月30日(火)
去る者は日々に疎しという

昨日のことがあってか,今朝の目覚めは最悪だった。
最近,夜中に必ず何回か目を覚まして,うとうとしながら朝を迎える毎日である。

今日,目覚めたら9時半だった。
それからぼんやり考え事をしていたら10時になった。
「やはり起きなきゃいかんよな…」と,布団を抜け出して1階へ降りていき,
薬を飲んで朝食(パン)を食べた。

出かける前に,レキソタンを4錠のんだ。
2錠で十分効くのだが,昨日の不安が「薬を増やせ!」という号令をかけたようだ。
そのおかげで,どことなく足下が頼りなかった。
こんなんで車にひかれたりホームから落ちるのはまっぴらなので,
気を付けて駅に行った。

会社へは直接行かなかった。通勤途中の電車で薬のせいでねむりこけて,
気が付いたら新宿だった。新宿で途中下車して,ふらふらとその辺を歩き回った。

モノはあふれかえっている。便利そうな顔をして,これを買えば幸せになれるように見せかけの顔をふりまいている。
だけど,僕はいま何も欲しいと思えない。
本当に欲しいのは,なんだかよく分からない。

「真実」というものが,欲しいとも思う。
だけど,真実はひとつではなくて,100人いれば100通りの真実がある。
僕の欲しい真実の形,というともう少し具体性を帯びてくるが,
それでも形はおぼろげにしかつかめない。

もっと考えれば,わかるかもしれない。
だけど,求めても仕方がないことかもしれない。
突き詰めていくと,生きていくことに通ずるものがあって,
そうなると,社会というものとの対立構造が自分自身の中で整理できなくなる。

今日は,もうシゴトはできない。
明日もできるかどうかわからない。

マシンになれば,感情を殺して文章を書きつづる−−読者に聞こえのいい文章を書くだけのキカイになりきってしまえば,原稿を書くこともできなくはない。
でも,そんなの書きたくもない。



2001年01月29日(月)
「あなたの問題は,根が深いかもしれません…」

2週間おきに,午前中に編集会議がある。
企画提案,進行状況の確認,意見,連絡などなど。
企業ならどこにでもある風景だろう。
だけどその中に,アクティブな存在として自分は存在してない。
ただ,いるだけだ。

今日,会社に来た理由は,絶対出席の会議があったことだが,
もう一つは午後に診療があったからだ。今年に入って初めての診療になる。
自分が良くなっているのか,(いると思いたい)どうか,
これからどうしていけばいいのか,を聞きたい。
ある意味,最も待っていた日だったと思う。

だが,診察の結果はあまり思わしくなかった。
先生は,「あなたの問題は単に最近のストレスが原因となって発症したものではなく,もっと根が深いかもしれません」と語った。

心臓の下にナイフを差し込まれたような気分だった。
確かに自分は,まじめ,几帳面とうつ病になりやすいパーソナリティを持っている。だから,うつ病になることがあっても受け入れることができた。
だが,今回の一言は,「僕は治る」という希望をかなり大きく揺さぶった。

先生と話しているときは,僕は比較的冷静だ。
取り乱すこともなく,淡々と自分の現象を語る。
だが,内心はこんなこと話したくないということも多い。
それでも話すのは,自分が治りたい,以前のように希望を持って生きていきたいと思っていたからだ。

とりあえず,次回の診療までは現状のままで様子を見ることにした。
僕は,オフィスの自席に戻ってから,抗不安剤のレキソタンを一気に2錠のんだ。
だが,それでもだめで,あと3錠のんだ。
その後,足下がふらつくような感触があり,どうでもいい気分になって,
さっさと家に帰った。



2001年01月28日(日)
散髪と洗濯と…

昨日の雪のせいで,散髪に行けなかった。
だから今日は絶対に行くという気持ちでいた。

あと,この1週間でたまりにたまった洗濯物を,コインランドリーの乾燥機に突っ込むという作業。でないと来週着る服がなくなる。

それに加えて,友人Hの引っ越しに関して。
弟が昔,ひとり暮らししていたときの冷蔵庫を譲るかもしれんので,
彼を案内することにしていた。

まー,ひととおりこなしたら疲れた。
彼の買い物(というか,見物)が要領を得ないのが最も疲れた。
しばらく買い物に付き合うのはパスしよう。

家に帰って来たら午後6時だった。その日はすぐに寝た気がする。



2001年01月27日(土)
大雪には雪かきスコップ

朝起きたら大雪だった。
確か正月休みの土日にも雪が降ったが,今回のはその比ではない。
車の上に少なくとも20センチは積もっている。

ウチは駐車場と車の間の40センチほどのスペースが外界との通路なので,
大雪が降ると真剣に雪かきしなければならないはめになる。

11時から雪かき。その間もどんどん降ってくる。
せっかく雪をかいた場所も,あっという間にうっすらと積もっていく。

アホな運送屋が近所のトンネルを高さ制限で通れず,
うちのまえの坂でUターンしようとしてはまっていた。
近所住人でそいつらの手伝いをして,なんとか脱出にこぎつけることができたが,
気が付けば2時になっていた。

あほな運送屋はともかく,たまたま通りがかった初老の男性が手伝ってくれるなど,世の中には良い人がまだいるのだなと思った。

身体を動かしたことで,気分は悪くなかった。
ただ,夜に友人が来て,彼の引っ越しの話を聞いていて,
飽きてきて(価値観が違うから特に何とも思えない),
しまいにはイライラしてしまった。
人の優柔不断は今の自分にとってストレスになる。



2001年01月26日(金)
取材に疲れる

1月にはいって初めての取材である。
たいした取材ではないけど,人と会って話をするのが面倒なので気が重い。

会話はある意味,その人との相性みたいなものがある。
相性のいい人でないと,今は取材するのにそれなりのエネルギーを食う。
アポから含めれば,それは相当なものだ。
電話を3本かけたら,少なくとも体温が2度は上がる(気がする)。

話しやすい相手,話しにくい相手,御しやすい相手,一筋縄でいかない相手,とまあ,いろんな人間を相手に取材せなあかん商売なんで,仕方ないとは思う。

今回の取材相手は,まあ相性のいいほうなので心配はしてなかった。
だが,久方ぶりなので話題に付いていくのに苦労した。
以前は完全にこちらのペースだったのだけどなあ…。

取材のたびにこんな思いをしてたら,きっともたないだろうな。
そんなことを考えて帰った。
しばらく取材は,できるかぎり逃げて逃げて逃げまくろう。



2001年01月22日(月)
インフルエンザかなあ

起きたらだるくて会社を休んだ。

インフルエンザのせいだと思う。
たぶん,うつ病のせいじゃない…。



2001年01月21日(日)
友人が引っ越し計画中

友人Hが自宅を出る決心をした。30過ぎて親の干渉に耐えられなくなったらしい。

それまでは,親御さんが,1年おきに転勤(都内だけど)していたため,
けっこうひとり暮らしみたいなことはしていた。
が,定年でずーっと家にいることになり,さすがに息が詰まってきたらしい。
それだけじゃないんだろうけど。

で,彼のアパート探しに付き合い,国分寺近辺の不動産を回る。
…この辺の相場って高いのね(T~T) ワンルームで6万とかしやんの。

僕が下宿したときは,ボロだったこともあり,1万4000円(名古屋)だったぞ。
その後で4万のところに引っ越したけど…。

ま,なんだかんだで某所に決まりそう。
家賃がトータルで7万5000円,駐車場でプラス1万2000円。
光熱費含めれば10万ってとこか。
僕が結婚当初に借りたところが家賃10万だから,
まあまあのレベルだと言えるだろう。

久方ぶりにひとり暮らし気分に触れたので,気分は良かった。
ただ,そのときにインフルエンザを移されたらしく,夜はきつかった。



2001年01月19日(金)
薬を補充する

「ハッピーマンデー」とかいう腐った法律を定めた議員どもは,
即刻打ち首獄門の上,終生遠島だ(なんか,順序がおかしい)。

そのおかげで,うまくすればガキどもとかちあわずに旅行できたりした休日が,
どこもかしこも渋滞しまくりだ。
僕は3連休になってから,どこにも出かけようという気力まで失った。

しかも,休日のために原稿のスケジュールが繰り上がるのである。
これが一番の弊害だ。

ま,それはともかく,今日は薬の補充に会社に来たようなもんだ。
通常は月曜日に診療を受けて,そのときに薬ももらうというサイクルなのだが,
月曜が休日のために薬が切れた,というわけである。

今回来ていた先生は,ふだんの波田野先生でないために要領を得ない。
こっちから薬品名を指定して必要分だけもらって帰った。



2001年01月15日(月)
ひさかたぶりの出勤

すでに初出勤から2週間ほどが経過している。ので思い出しながら書いている。

今年の正月休みは,いつもよりはるかに長かった。12月25日から1月14日。
ほぼ3週間近く,もはや二度とできないだろうと思える長さの休みを取った。

理由は一つ。疲れてしまったからだ。

「うつ病」らしき兆候を自覚したのが11月。特集の原稿の締切をこなしながら,
人と話すことが,考えを伝えることが,どうでもよくなってきた。
取材したこともすぐ忘れるようになった。
家に帰っても,疲れ切っていて口をきくことすらできなかった。

家族によればかなり以前から,うつ病の兆候があったという。
ことあるごとに,「病院行った方がいいよ」と勧めてくれた。
自分はこれまで,もっと忙しい状況に陥ったこともあるし,
単に疲れがたまっているだけだと思っていた。

たしか12月だったと思う。会社の診療所で診察を受けて,
うつ病という判断がくだされたのは。
それからは薬を飲みながら,何となく現実感の薄れた世界に身を置いている。