2011年04月13日(水)
サンタモニカに吹く風が釜を回す



 はい、それではいつもの立ち位置にもどりまして。


[SSS]


 更新してました…

 ロミジュリSSその1
 前述の地震後の観劇時にリアルに「私に出来ることは釜を回すこと!」と思ってしまった次第です(笑)。いやでも完全にそういう創作活動がストップしていた私に、大きな力を与えてもらったのです。

 ロミジュリSSその2
 マシンガン中でも力説していた「母親たち」の物語です。



 更新したよ!

 愛プレSS
 あでも壮マトじゃありません!(笑)









 あと、ついったーやってる方はご存知かもしれませんが、別垢で金平糖アカウント(@konpeitou_ss)を作っていまして、今、こちらにSSSの更新情報を飛ばすようにしています。
 あと時々ゲリラSSも。
 こちらに告知を出しそびれたりするので、たまについログでチェックしていただけるとありがたいです。

 金平糖ついろぐ



 はあはあ、気がすみました(笑)。

 気が向かれましたら、感想等いただけると嬉しいです。




2011年04月11日(月)
「立ち上がれ日本」



 東日本大震災で犠牲になられた方へのご冥福をお祈りするとともに、被災者の皆様へお見舞い申し上げます。




 あの地震から一ヶ月がたちました。地震の後からずっと、何かここに書こう書こうと思いながら、なかなか言葉になりませんでした。
 そしてその間にもいろいろなことがあったり、感じたり……。ついったでは残しているのでそれをさかのぼっては本当にいろいろなことがあったなと思います。


 今、すごく考えているのは、当たり前なんだけれど何もかもはじめての事だということです。
 今まで生きてきて一番の震度でした。客先である北関東某所は停電になってしまって、停電で電気が消えている信号というのも初めて見ました。神社の狛犬が落ちていたり、新幹線の電柱が折れていたり。映像で見る津波の悲惨さも、買占めでまっさらになったスーパーの棚も、計画停電で街が真っ暗になった事も、みんなみんな初めての事。
 余震に怯えたり、被災地の様子を知って何も出来ないことに絶望したり、家にひとりでいるのがしんどくなったり、けれどももっと大変なひともいるのにと思ったり。溢れる情報に混乱したこともありました。
 問題はたくさんあって、意見もあって、何が正しいのかわからなくなってパニックにおちかけたこともありました。それなりにネットリテラシーは持っているつもりだったのに、まんまとネットに踊らされたり……。
 とにかくたくさんのことがはじめての事でした。だからこそ考えなくちゃいけないと思っています。ちゃんと自分で真剣に。だって未曾有の大災害で、こんな事はだれも経験していない。だから答えなんてなくてこれから考えなくちゃいけないことだと思っています。
 今自分に何ができるのか、これからどうなるのか。


 少し話がそれますが、ヅカヲタらしく震災後に見たタカラヅカの話をします。
 元々とっていたロミジュリマイ楽が楽前の土曜夜公演でした。震災後から再開までの紆余曲折はみなさんご存じの通りで。ただその日は計画停電もないことが発表済みでその辺は安心して観ていられました。
 非常事態の中で幕をあげた彼女らに敬意を表する意味で、できるだけ地震の事は重ねないでみたいなと思っていました。だって現実を忘れられる夢の三時間じゃないですか。でも彼女らの気迫にただただ圧倒され、もうぼろぼろに泣いてしまいました。震災からの不安を諭されるようであり、それでもタカラヅカが輝いていることがうれしくて。あれを見た瞬間にタカラヅカはこの後も上演を続けなくちゃだめだ、と思いました。本当に大きな力をもらいました。
 フィナーレでキムラさんが銀橋に出るあたりで、大きな余震がありました。客席はかなりざわついて、私は2階だったので余計に揺れを感じました。
 おそらくは舞台にいるキムラさんも揺れは感じていたはず。そして大階段上にはエトワールのマイサキをはじめ生徒がスタンバっていたはずです。きっとすごく怖かったと思う。けれどもショウマストゴーオン、幕を下ろすな。キムラさんがそんな恐怖もかんじさせないほどのありったけの笑顔で銀橋を駆け抜けて、パレードはいつも通り始まって。
 すごかったのは客席も。ふつうパレードの拍手は、階段降りの間は出演者のお辞儀にあわせて拍手、トップさんが銀橋に出てくるところから手拍子だと思うのですが、この日は最初から手拍子。すごい手拍子でした。誰かがいったのですがまるでこの揺れを止めてやる、とでもいわんとするような。あの舞台と客席の一体感。本当に忘れられない経験でした。

 最後にナガさんの挨拶で「私たちにできることは歌い、踊り、芝居すること。だからそれ精一杯かけることで、被災地に希望を届けたい」的な事を。そして「(上演に)ご理解いただければと思います」。そこにきっと多くの葛藤があったとは思うのですが、それでも「私たちにできることを」と。


 それは私たちも同じだなぁと思うのです。
 震災で感じたことは、自分が社会の一端に連なっているということでした。私が作っているシステムも広義で見れば、公共インフラの建設につながるので、そこをがんばらなくては復興はできないのだと思いました。震災からまぬがれてタカラヅカや飲み会に行くことに罪悪感を覚えた事もありましたが、それが経済を回すことになり、やっぱりそれが復興につながると教えられました。そういう社会とのつながりを感じたのです。今までわかっていたつもりだったのに、ちゃんとそれを理解したような気がします。
 だから本当に「私たちにできること」を一生懸命することが大事なのだと、きっと誰もが自分にできることをすればいいんだなと思いました。


 社会とのつながりと同時に、ひととのつながりも感じました。震災時はついったーが大活躍で、友人知人をはじめ見ず知らずのフォロワーさんたちと繋がっていることでどれだけ安心できたことか。帰れないなら泊まりにおいでと言ってくれたり、遠く離れた地から何かできることない?とすぐに声がかかったり。地震当日はどうにかして実家に帰れたので、肉親のありがたさも感じました。本当に、そして絶対にひとりじゃない、とそう、思えました。


 なんだかうまくとまりません。でもまとめなくてもいいのかなと思っています。だってまだ終わっていないことです。
 だからその都度わたしなりに一生懸命考えようと、思っています。状況は変わっていきます、新しい問題も出てきます、考えすぎて間違ってしまうかもしれないけれど、私たちは考えることができるはずです。システムという一見万能なコンピューターに携わる仕事をしていますが、やっぱり人の力がいちばん強くてしなやかなのだと感じています。コンピューターは決められたことを決められた通りに(ほぼ)無限にできるだけのこと。システムも決められたことを決めたられた通りにやるからシステムです。だからこそ今、「ひと」という強くて時にやわらかなものがいきてくるんじゃないのかな。


 けれども人は万能ではなくて。間違いもすれば迷いもする、だけど、一人じゃないから大丈夫。
 そう思っています。



 なんだかだんだん観念的な言葉になってきました、すみません。
 言葉ばかりをいじくりまわして、何の力もない自分を感じています。
 けれども今、感じることを、考えていることを言葉にしました。


 安易な気持ちでがんばれなんて言ってしまってはいけないのかもしれません。ただすべての人々に少しも早く「いつもの」時間が戻ることを願ってやみません。







 立ち上がれ日本、はミズナツキさんが黒い男子たちと歌い踊る「がいすふろむじあーす」のセカンドシングルのタイトルです。タイトルは震災前から出ていて、それに「ちょwwww選挙でも出るのwww」と思っていました。その言葉を今、タイトルに借りました。

 立ち上がれ日本。
 私はそれを信じています。



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