「静かな大地」を遠く離れて
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2005年09月07日(水) ムッシュ・マルシェの愉悦

行きがかりのように見えて戦略的、というと少し当たらない。
きっとはじめに、のっぴきならない衝動があって場所を移動する。
あとから言い訳めいた理由がついてくる。最後に作品が後を追いかける。
それが御大のスタイルなのだろう。人としての、作家としての。

メールマガジンと『すばる』の連載で提供されていた「異国の客」という滞仏エッセイ
が中断して、替わりに読売新聞の連載小説「光の指で触れよ」がはじまった。懐かしい
「すば新」の天野一家の物語である。冒頭に作者と思しき小説家が登場して林太郎さん
の打ち明け話を聞くというのが、作中人物を愛してやまない、でも断じて私小説に非ず
という立ち位置を巧妙に印象づけて面白かった。しかも美味しそうな点心を食べながら。

「異国の客」でアスパラガスとキノコのことを書いている様もたまらなく可笑しかった。
パリ近郊に住まい、近所の市場(イチバと読むべし)で買ってきた食材を料理して食す、
そういう暮らしにハマる愉悦が、読む者にもふつふつと沸き上がるように伝わる名文だ。
とかく小説家が海外へ移住して料理なんぞに執心していると“お洒落なスローライフ”
扱いをされかねないが御大の場合心配ない。もともと隠れもなくそういう人なのだから。
きっとアテネでも東京でも沖縄でもずっとそうだったのだろう。市場=マルシェの愉悦。
あのエッセイを読んで以来、わが家では彼は“ムッシュ・マルシェ”と呼ばれている。

さてムッシュ・マルシェの最新の仕事「光の指で触れよ」の話。以前ここにこんなこと
を書いた。御大がフランスへ移住すると知ったあとの文章だ。

 「楽しい終末」的な世界の中心で、言ってみれば“欧州の原理主義”を再び採掘し、
 良きものとして未来に向かって提出すること。それが御大の企図ではないかと思う。

今まさに連載で舞台になりつつある「エコドルプ」という耳新しい形態のコミューンが、
新聞連載小説という、もはや御大の手に馴染んだ感のあるスタイルの中で紹介したかった
“良きもの”なのだろうと思われる。人と人の結びつき方の多様な可能性を探りたい、
という切実な関心。それは遠くあのチコロトイ=遠別の姿を未来に投影するようで。
 
マネーの奔流が国境を越え、すべてを制する市場経済システム全盛の地球上に在って、
浮き島のように小さな共同体が、周囲に門戸を閉ざすことなくシンプルな原理で営まれる
というヴィジョン。市場(マルシェ)に親しむことを以て、市場経済システムの圧制に
抗するなどというのは、なかなかに詩人らしいエレガントな戦い方ではあるまいか。

なんて言ってるうちに新訳『星の王子さま』も出た。各社から何人もの人が出しているが
書店で見て思わず「やりやがったな」とつぶやいていた。装幀が邪悪なまでに良いのだ。
(蛇足ながら巻末の「タイトルについての付記」は秀逸な仕事ぶり、悪党である 笑)
サンテグジュペリ、そしてフランス語については父君・福永武彦氏との関係も含めて御大
には長年の感慨があることだろう。昔、須賀敦子さんとの対談でこんなことを話していた。

■対談「わが内なるヨーロッパ」池澤夏樹×須賀敦子『須賀敦子全集 別巻』より
 ぼくもずいぶん夢中で。ただ、意地でフランス語を習わなかったものですから、翻訳で
 読んでわかるかぎりでしかわからなかったからそれで済みました。『城砦』を精読する
 一方で、彼が乗って死んだP38ライトニングのプラモデルを作ったりして。

この「プラモデル」という“男の子ぶり”が、そのまま料理につながっている感じ(笑)
梨木香歩さんの『からくりからくさ』の書評で「何をしている時がいちばん楽しいか、と
自分に問う」という書き出しのあと、日曜大工につづいて料理に言及している。

■「手の仕事とモノの実在感 −梨木香歩『からくりからくさ』」より
 毎日夕方になるとぼくは野菜を刻んで、他の素材と組み合わせて火を通し、味をつける
 という作業を嬉々としてやっている。手と包丁、手と鍋、火の強さ、素材への熱の伝わ
 り加減、味のなじみ具合。そういうものを相手にしている時間は楽しい。

このあと話は「その時と同じような気持ちで、梨木さんの新作長編『からくりからくさ』
を、賞味するように読んだ。」と続き、小説の中の四人の女たちのコミューンへの憧憬を
隠そうともせず謳いあげている。「その強さの秘密はたぶん手仕事にある」と考察する。
(一方で登場人物の神崎を「もっとも魅力的な男」と評しているのが個人的には笑える。)
梨木香歩さんの最新作『沼地のある森を抜けて』の御大による書評が待たれるところだ。
この本の帯に「『からくりからくさ』に連なる〜」と書かれているが直接の続編ではない。
しかし隠れなき梨木香歩ファンの御大には、見逃せない物語であることも間違いない。
いわゆるネタバレを怖れずに言えば『静かな大地』の作者にとって、切実な同時代の物語
だと思うのだ。この「静かな大地を遠く離れて」が、朝日新聞連載時の「静かな大地」に
伴走する形でやろうとしたことは、言わば「池澤夏樹の地政学」のようなものだった。

場所の歴史。現代までタテに連なる人の営み。その中で「よりよく生きたい」と希求する
ため、自己の来歴を辿ろうとする真摯な登場人物たち。御大の北海道・日高に対して、
梨木香歩さんは意外な形で「南島」を描く。遠く背後には『ぐるりのこと』で展開された
西郷隆盛論、ひいては薩摩仕込みの近代日本国の男性原理論(?)が視野に入ってくる。
『静かな大地』のように歴史を材に採った小説ではないのだが、どこか呼応している。
叙述のスタイルに凝らざるをえない、それを物語が要請している、作家はそれに真摯に
対応すべく精確に一筋の道を辿るべく全力を傾けた、・・・そんな印象が似ているのだ。

思えばあの西郷隆盛の話題はハリウッド映画「ラストサムライ」をきっかけに書かれた
ものだった。英雄による世直し待望論、という形で何度も西郷崇拝という亡霊は甦った。
日本史の教科書に出てきた大津事件(明治24年)という、ロシアの皇太子ニコライ二世
が日本人の警官に襲われた事件の背景にも「西郷隆盛生存説」があったのだという。
梨木さんの『家守綺譚』という僕が愛してやまない作品があるが、その舞台となっている
時代の大津で、日本近代ナショナリズムにとってエポックメイキングな事件が起こったのだ。

そのへんも咀嚼した上で「ラストサムライ」を受け止められる現代日本であったなら、
「北の零年」などという不可解でもったいない映画は生まれなかっただろうに・・・。
(あぁ、ずっと書きそこねていたことが、やっと書けたような気がする 笑)

ま、そんなこんなで、しばし「梨木香歩の地政学」を深めつつ、御大のエコドルプ報告
を楽しみに日常を送ることにしよう。たとえば『新訳 星の王子さま』を読むとかして。


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