まめごはんつうしん
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2006年04月11日(火) 恵まれていた、と気づいた。

うん、そういうことだったんだと思う。
衝突するほどのやりとりでも手をがっちり繋げる、というのは、やはりよほどせっぱ詰まっていたり、必要に迫られたり……なんだなぁって。
そうかぁ、やっぱりけんかは勧められないよね(汗)。そりゃそうだ。

でも「又聞きのコミュニケーション」の状態は、やっぱりもったいないなぁ。
まわりまわって第三者に届く不平不満、先入観から来る誤解。不満は本人に言ったほうがいいんだろうと思うけれど、難しい。
たしかにそんなに簡単なのなら、今頃すんばらしくいい世の中になっているに違いないよなぁ……


だからこそ、やっぱりありがたいなと思う。
体を張って、大泣きする(←もちろん私だけですが;)ほど衝突しても、最後には受け止めてもらえたこと。
壊れないでちゃんと残るものがあると、教えてくれたのはあなただったよ。
だから、私、がんばれた。何度も、投げ出してもおかしくない場面に直面したのに。そんなこときっと、面と向かって言うことはないけれど。
でも、そうしてできるつながりもあるよって、必ずしも誰にでも当てはまるものではないことも、また本当なのかなぁ……






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そんな私が、自分の言葉で平和のことを語ることに挑戦しています。
今日は上っ滑り……うう。会場の都合とはいえ前に立ってものを言うのはよくなかったから同じ目線に今度は立たないととか、私の実感から言葉を拾ってきたつもりだったけどなかなか難しかったとか……年輩の仲間がだいぶフォローしてくれたので、最後にはかたちになった気がします。それはそれでいいのかな。独りよがりでなく、いろいろな人に紡いでもらうのもよかった。
今週、同じことがあと2回あるので、見直すところは見直して、曲げないところは曲げないと決意して、諦めずに挑みたいと思っています。
誰だって、最初の一歩があるから。踏み出した私を、今日は労ってあげようと思います。不慣れで酷かったけれど、「あなたがきてくれるからちゃんと方針が入る」って労ってくれたKさん、本当にどうもありがとう。

やっぱり私、人と人を繋ぐことを諦めたくない。油断しているとひとりひとりばらばらにされてしまうご時世だから。拙くても、そのことだけはしっかり入れていきたい。私にとっての「それ」は、ひとりひとりを繋いでいくための最後の砦のような気がする。
しかし、もっと、表現することへの抵抗を減らしていかなくちゃって実感したけれど……できるかな、私でも。やってみなくちゃしょうがないんだよね。


2006年04月10日(月) 衝突だって必要なのかも。

今日の仕事のテーマは、実は


腹を立てない


だったんです。キレそうになっても、それをぐっとこらえる、というか。
かける言葉が見つからなくて、どう言ったらいいのかがわからなくて落ち込んだりはしたけど、その場ではキレなかった自分をちょっとほめてあげよう……なんて。







相変わらず、行き違いは多いです。
でも、先入観って、もったいないな、って思ったりした、今日。
お互いが、お互いの第一印象で「もう知らない」ってなってしまって、行き違っているのはすごくもったいないな、と思う。で、「あの人が言った」ってなるんだけど、よくよく聞いてみたら、そうじゃなかった、なんてことがあって。
「この人は言ってもダメだから」とか「聞かない」とかじゃなくて、一回、腹を割って、泣きながらのけんかになってもいいから、分かり合えたらいいけれど、やっぱり衝突するってことになると、つながりって途切れてしまうのかな……本音を出し合うのは、難しいのかな。「私はこう思うけれど」って、相手を攻撃するのではなく、本当の思いを出し合うこと。そうすることで、わかることもあるような気がするんだけど。ぶつかってしまったら、壊れるしかないのかな。
でも、うまくいけば、ぐぐっと絆は強くなる。断言しちゃうのもなんだけど。それを、信じてみたい。それができる人たちだとも思う。ああ、でも、私の言うことはいつも、どこかずれててうまく伝わらない。もどかしいけれど、言い続けていくしかないのかな……


どうしても、私自身のことを思い返してしまう。
偉そうに言ってるけど、私だってそんな、傷を負うほどぶつかり合えば、もうその人とはつきあえない、と考えてしまう方だった。そうして失った人間関係も、実際、多い。

ただ、そうじゃないってことだってあるってわかったから。

本気で、一緒にやっていかなくちゃならない。頼りない私でも、何かを任せなくちゃならない。そう思えば、ああするしかなかったのかもしれない。
今でも、思い出すもの。あの時、2,3日は立ち直れなかったけれど、あの時期を乗り越えなければ、私は今でも都合が悪くなるとのらりくらり逃げて避けてばっかりだったかもしれない。進むことも戻ることもできないまま、どうせ私なんかってぐだぐだしてた。いや、今でもそういうところはあるかもしれないけど……
「いてほしいし、できると思うから、言うんだよ」
その言葉にすがって、現状維持のままでいるのではどうしようもないけれど、前に進まなくちゃならないときに、気がつけば時々思い返している私がいます。ほんと、恥ずかしいくらい何度もここで書いてるし、いい加減摺り切れるんじゃないか(笑)、なんて自分でも思うけれど、あれはやっぱり、するべくしてした衝突だったんだろう、って、思う……そこを乗り越えて、初めて得られたものがある。


信じてもらってたのかな。厳しいことを言っても、受け止めてちゃんとついてくるって。
だったとしたら、それはものすごく、ありがたいことなんだろうと思う。
私だってそのときに、その人のことを信頼したんだろうと思う。うん、簡単に書いたけど、信頼した。この人なら、って。
それを、自分の力に変えていくには、さらに時間がかかったけれど……それはしょうがない。私の抱えていたいろいろなことを認めることにも、時間がかかったんだもの。


強い人間ではないので、傷ついて落ち込めば、泣くことだってある。
それでも、やっぱり最後には、穏やかに笑っていたいな。どんなに重い荷物を抱えながら、だったとしても。
いつからか、そんなふうに思えるようになった、私が、ここにいる。


2006年04月05日(水) 結果を考えない「本気」

「本当」が人を動かす、って言うけれど。


あの日の

「ごめんなさい」

以上の「後先考えない素直な気持ち」は、今は思い当たらない。
いや、だから今、ここにいるんだよね(^ ^;)ゞ 。


でも、逆に言うと、それができたんだから「私が言っても伝わらない」とは、言いきれないのかもしれない。たどたどしくても、私の「本当」があれば、伝わるひとには伝わるんじゃないか。
もうちょっと、自分を信じてみても、いいのかな。
少なくとも、あれ以降、私は「信じて」もらっているのだという気がする。






いてほしいから、いろいろ言うの。
自分でも何度も書くなよ(−−;)と思うのだけど、やっぱりあの時点が、私にとっては、分岐点のひとつなのだろうと思う。大好きな人の思いを繋ぎ止めたということよりも、自分の思いを打算も照れもなくまっすぐに、ちゃんと言葉にできたという意味で。








って、なんで突然こんなコトを書いたのか。今日の「おとなの小論文教室。」にインスパイアされた……というのもあるんだけど、こんなコトもあったのでした。
保育園で、滅多に怒らない「畑のおじちゃん」の大目玉を食らったまめ子たち学童さん。落ち着いてから「あんなに怒って悪かったけど、おじさんは嘘と意地悪は大嫌いなんだ」って言われたそうな……園長先生も「こんなん初めて見た」というほどの怒りっぷりだったそうなんですが、園長先生から

まめ子ちゃんが一番素直に「ごめんなさい」って謝れてました

という報告を受けました。
私は時々、自分の気持ちの波に任せて理不尽に当たっちゃうことも多いけど、こうして私がいないときのまめ子の話をいろいろな人から聞くと、ああ、私に足らない部分が多くても、きちんといろいろな人に育ててもらっているんだなぁ……って。
私はつい、自分の思いは「なんちゃって」みたいに流したり、照れが入るあまりにまっすぐでなくて、大げさになったり控えめにしすぎたりかたちが変わってしまうことも多いのだけど……なんでそうなったのか、それがまっすぐに伝われば、素直に受け入れられるんだなぁ、まめ子は。いや、まめ子じゃなくたってそうか。「畑のおじちゃん」の本当の思いも、6歳児を動かしたのかもしれません。
そうか、それなら大丈夫だ1年生。ちょっとほっとしました。



明日が、いよいよ入学式です。


2006年04月02日(日) 新しい扉を開けよう。

さて、4/1付け。
例年通り「年度始め恒例・登場人物紹介2006年度版」をアップしたものかどうか、迷っています。私は今の生活が固定して3年目になるので、いろいろなことが「去年と同じ」だったりするし……でも、そんな中でもよく考えてみたら、まめ子は毎年環境が変わってるんだわー。一昨年は地域保育園、昨年は市立保育所、そして今年は小学校! 毎年ころころ変わるその環境に慣れようとしてがんばるわけだよねぇ……えらいぞ、まめ子。
そんなわけで、登場人物紹介は書くかどうかも含めて、もうしばらくお待ちください。


で、本日付け。
この週末は、ごろごろだらだら……という状態でした。
でも、そんな中でもぼんやりと……ううん、この一年はこんなコトをしたいぞ! と思えたのは、果たして何年振りだろう。
先だってまめ子のオイリュトミーを終わるときに、先生といろいろお話しをしてきましたが、先生によると、1年生になる子というのは3月31日から4月1日という境目をまたぐと、脱皮をするように大きく姿を変えるのだそうです。新しい扉を開けるまめ子ちゃんがどう変わるのかを見たかったな……と言われて、そのときは思わず涙が出ましたが、たしかにそうかもしれないなぁ……こちらがキレることなくちゃんと説明すればわかる、というか。

で、新しい扉を開ける……ということで言えば、一年生の子を持つことになる私も、またそうなのかもしれません。
先月から使い始めたフラワーレメディの勉強をしたいとか、バランスボールにチャレンジしてみたいとか……仕事でも、書くことを取っ掛かりにもっといろいろ学んでみたい、とか。あ、でも、その前にずっと言ってるけど、家の中で身動きをとれる状態にしなくちゃ〜( ■ ;) 。というわけで、ゴミ袋を持って家の中を歩いている今日この頃の私です。
でも、これだけやってみたいことがあるぞって前向きになれるのは、いいことなんじゃないかって気がする。がんばるぞ!


学童保育は入学式の日(6日)からなので、明日から入学式前日までは、以前通っていた保育園のお世話になります。さぁその支度もせねば……しばらくは3人分のお弁当を用意しなくちゃなのだよね。明日から1時間早起きしなくては。


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