まめごはんつうしん
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2005年09月30日(金) 流れた時を手繰り寄せる(転載)

相変わらず、ふたりで事務所に置かれる機会があると、いろいろな話をします。
熱っぽいような気がする……のは、私だけだろうと思うんだけど。


ひょんなことから、事務局長さんが私に「初めて会った」ときの話、を聞くことになったんでした(..*) 。
いつをもってして初めて会った、とするのかはその人の記憶による、と思うのだけど、彼女が言っていたのは当時まめ子がまだ1歳9カ月だったときのこと。訳も分からず(あ、もちろん分かってないのは私がです)県庁への請願行動に加わる羽目になったときのこと、だったんでした。
……え、ということは4年以上も前か! うわぁ。

あの時のあなたは髪がまだ長くて(*)、後ろで結わえてたんだよねー。
あの時、気がついたらハンドマイクでの(道行く人への)宣伝に加わってたからすごくびっくりしたんだけど

「あー、この子はなんか
(あった出来事に対して)反応はしないんだけど、一緒についてきて行動はするんだ」

と思ったのが第一印象だったかな


と言われました……
(*)って言っても、セミロングくらいの長さだったんですけどね。ま、今はショートだから長かったで間違いはないのか。

うーん。反応しない、かー。今だって人見知りだし自己表現はうまくないし(そのあたりのことはもう、今は白日の下になってますが)、訳が分からなかったんだけど地域の人たち(つまり、知った顔の人)もいたのでとりあえずついていった、というのが真相だったかもしれません……そのことがどんな意味を持つのかなんて考えもしなかったし。反応しないんじゃなくてできないというかしようがなかったとも言えるんですけど(^ ^;)ゞ。
ただ、こっちが訳わかんなかったからって、参加されてしまった方はやはりびっくりだったようで

あの人誰???

という感じで、一目置かれることにはなったらしいんでした。

ところがその後、私はこの事件の直後に義母の介護(なんてほど偉いことはしてなかったんだけど)をすることを余儀なくされて、ここが市民運動体だということをきちんと理解して活動をするまでに、1年ほどのブランクがあきました。

その後「あの時の彼女はどうしてるの?」って聞いたら夫の母親を介護してて大変みたいだよ、って聞いて、そうなんだって……

でもよーく考えてみたら、そういう時ってふつう育児サークルなんかは辞めてしまうんだと思うんですけど、辞めてなかったわけですよね、私?

あ、そうだ!

今にして思えばそういうことを考えてた自分にびっくりなんですけど、子どもを口実にしてでも(外に)出る時間はほしかったんだと思うんですよ

…………(思ったより)ちゃんと深い考えを持ってたんじゃないの(^ ^;)

…………そうなんですか??? (笑)
(ただ、自分で思っているよりも「ほしいものは譲らない」タイプなのかもしれない、という自覚が最近はあります……遠慮してばかり、というふうに自分でも思っていたけどそうじゃなかった、というか。)



ちなみに、そのころの私は当然「誰がどんな仕事をしているのか」なんてコトはまったくわかってなくて、事務局長さんを事務局長さんとして認識する(なんじゃそりゃ)……それこそ、私からみた「初めて会った」状態になるのはもっと後のことになります。それでも3年くらい前ですが。(どんな話をしたのかもよーっくに覚えてるんですが、ここでは書くことをはばかられます……ごめんなさいm(_"_)m 。)
でも、私の中で「事務局長さんここにあり」という状態になる決定打を打たれるには、そこからさらに1年の月日を要したんでした(!)。
この3月まで通っていた保育園で、当時まめ子が特定のお友達から攻撃され続ける……という状態になるに至り、悩んでいたんでした。当の保育園はもちろん、いろいろな人に話を聞いてもらいましたが、実を言うと、別にそういう話をするつもりではなかった事務局長さんに言われたひとことが、一番「効いた」んです。

子どもっていうのはもらったものしか出せないんだから、その子は周りからそういう言葉しかもらってないのかもしれないよね。まめももさんもつらいだろうけれど、その子に笑顔で「なかよくしてあげてねー」って声、かけてあげられてる?

…………
「う(;゜゜)。」って思いました。あまりな表現だと思うけど、そうしか言いようがないほど。
ある意味それが、彼女に対して「おちた」瞬間だった(苦笑)。決して甘かったり優しかったりする言葉じゃない。けど、痛くても胸に「ずん」と落ちたんだもの、しょうがない。
で、その2カ月後の事務局入り要請だもん。計算してた訳じゃもちろんないと思うんだけど……そうなっちゃうともう断れないって。ねぇ。
(ちなみにまめ子自体もその後、保育園でのその一件は自力で乗り越えました。ただ、まめ子が乗り越えて園全体が解決、ではなく、ほかの子に攻撃の対象が移った(しかもさらにエスカレートして(−−;)。)がためにその後、煽りを喰らって園を替わらないとならない事態にまでこじらせてしまったんですが……悔しかったなぁ、あれは。)

で、その後の2年はホントに激動だった……けど、うんと中身の濃い2年だったなぁ、って、今となっては思うのです。泣いてる時間のほうが長かったとしても。
あの時……その、2年前の一件以来、少し痛みを伴う言葉の魔法を何度も何度もかけてもらいながら、なんとかやってきたのかな、と、思います。やっぱり、私がいつか、それをシェアできるところに立たなくちゃならないのかな、と思いながら。


でも、ヒトっていつどこでどんなふうに転ぶか判らない。
おそらく、その4年以上前の
「あ、あの子まめももさんっていうんだ」
の頃に今の状態を予測したヒトなんて皆無なんじゃないかと思うのです。事務局長さんだって「物事に対して反応はしないんだけど」と思っていた私が、よもや自分と一緒に事務局を支えるようになるなんて思ってなかったことでしょう……私だって申し訳ないくらいだそれ。私である必然性はどう考えてもなかったわけだし。でも、今ある現実はこうで。
ヒトはどこでどう出会うかわからないから。
日々を大切にしましょう、というお話でした。

うーん、最近こんなんばっかりじゃの(^ ^;)ゞ 。



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


くどい話で申し訳なかったけど、私自身は実はこの話、書いてて楽しかったんです。年表というか時間の座標軸というか、そういうものを整理するのって意外におもしろい。
それで、私自身は「夫の母が他界してから事務局の仕事を受けるまでのおよそ1年半」のところの出来事が、割とごちゃごちゃになってるんだな、とも思いました。書くのに「まめつう」でいちいち確認したもの(^ ^;)ゞ 。でも、この1年半のあいだの「まめつう」って、結構書けてない……1カ月の記事がたったひとつ、それも数行なんて月もあった日には(苦笑)。

あと、おもしろいなと思ったのは「お互いが同じ時にひとめで意識した」訳じゃなかったということ(何それ、って言わないように)。別々の人生がある時に交わるにはそれなりのドラマがあったんだなぁ、と。
でも、それは何も対事務局長さん、だけではなくて、今私の周りにいる人たちみんなに言えることのような気がします。

こんな私に出会ってくれて、本当にありがとう。


2005年09月29日(木) 柱に蹴りくれた。(転載)

……いや、私じゃなくて事務局長さんが(^ ^;)。


って、唐突な書き出しなんですけれど、私がいなかった月曜日の間にそういうことがあったそうなんです。何が原因でそんなことになったのかは詳しくは書きませんが、私がいないときに大抵そういうことがあるんだなぁ……休めないじゃん月曜日(違)。
で、彼女がそこまでするほどの立腹の原因も私としては理解できるので、ただふんふんと話を聞いておりました。だって、立腹の原因になったヒトに怒りをぶつけないで、それを収めるべく席を外して、外にある階段の柱(たぶん)に蹴りをくれて戻ってきた、って言うんだもの。事務局の要も大変だ……
余談だけど私の場合、悔しくって泣けて泣けてどうしようもないときにその階段のそばにある木の下で、しばらく泣き惚けるんでした。
この稼業、ヒトとヒトがぶつかるなんてコトはしばしばなので、そういうひとりで誰にも迷惑をかけずに吐き出せる場所は必要なんだけど、それにしても事務局長と事務局次長でやることが随分違うようで(苦笑)。当たられたり泣かれたり階段も大変だ(違)。


でも、その話を聞いて思ったんだけど。
悪口と幸運は、やっぱり相容れないんだなぁ、って。
私も「どうせ私なんか」思考にしょっちゅう陥るので、気持ちはわからなくはないんだけど、それでも、思うようにならないことで周りを責めちゃいけない、気がする。どんなひとでも、いろいろなヒトに支えてもらうのは事実なんだもの。私だって、自分ではどうにもならないことがあって覚悟しなくちゃならないときに、それでも強くいられるかといえば自信はないけれど……
そういう私はそれが全部自分に向かってしまうので、それもよくないといつぞ事務局長さんには言われましたが。「自分を責めるのはいいようで、結局周りがそういうあなたを見て苦しむんだよ」って。




ああ、だめだなぁ。何があったってわけじゃないんだけど、ちょっと油断するとまた「どうせ私なんか」のループに嵌っていきそうです。
なんだかんだ言って、不安な気持ちやできないことが全くなくなるわけじゃない。
でも、ずるずると負けないように、大丈夫だよ、できるよ、越えられるよって自分に言ってあげなくちゃ……どうせ私なんか、にどっぷり浸かる方が楽だけど、かわいそうな私になってしまったんではなんにも進んでいかないんだもんね。





必要だ、って、言ってもらったんだもんね。
うまくできないことがあったとしても、それに恥じない私になりたい。

「泣いたって何したっていい、でもやれることはちゃんとやって!」
あの時、言われたことを、思い返しながら。




…………やっぱり、いろんなコトを言われてるんだなぁ(^ ^;)ゞ 。
ちなみにこれの、もとの日付は9/28でした。


2005年09月28日(水) 初めて侵入しました(^ ^;)。

まめ子が、来春小学生になります。
で、来月、それに伴う健康診断があるんですが、それに先だって連絡方法や問診票などの書類を小学校に届けなくてはならないのでした。届ける方法は3種類で
・小学校に直接届ける。
・小学校に通う児童に託す。
・郵送する。

どうしようか考えたのですが、まめ子の通う保育所は、この小学校の真裏にあるんでした。
ので、直接届けることにしました。
しかし……セキュリティの問題もあるんだろうけれど、いったいどこから入ったらいいのか、思いっきり迷ってしまいました。
結局正面玄関から入って、事務室(5時過ぎてたからか無人だった)のところにある来訪者受付簿に名前を書いて、首から「来校者」と書かれた名札みたいのを下げて、校内をうろうろ……あ、職員室だって。とりあえずそこに行ってみますか。2階2階、っと……お、職員室だ。誰かいるかなぁ……

あのー、恐れ入ります


私と同年代くらいかちょっと上か、という感じの男の先生が気がついてくださって


新入学児童の届出書類を提出に来たのですが


あ、わざわざどうも、ご苦労様でした(^◇^)



ものすごく丁寧に応対してくださいました。第一印象としては悪くないですよ。ちょっと安心しました。まめ子を来年から、ここに通わせるんですからね。
しかし、校内のあちこちに「こりゃ英語やな」という表記がいくつもあったんですけど、国際交流でもしてるんかなぁ、ここの学校。あす、Tさんに会う機会があるので訊いてみようと思います。


2005年09月27日(火) 遅ればせながら

保育所で、9月生まれの子のお誕生会があったようでした。やっぱり100人規模の保育所なので、お誕生会はひと月ごとにまとめてなんだなぁ、と……
まめ子からは、誕生会の話自体は出なかった(運動会の練習の話ばっかりだった)んだけど、記念品に担任の先生のメッセージ入りのフォトフレームと、アンパンマンのタオルをいただいて帰ってきました。
しかし……



せのたかさ   117.5cm

からだのおもさ 23.0kg




…………やっぱり体格は私に似なかったらしいです(苦笑)。


2005年09月26日(月) お茶会in東京・カエルくんって誰(−−;)+α(のほうが多い?)の巻

えー、そんなわけで、上京してきました。
実際には「お茶会」のためだけに上京したわけではなくて、その前に仕事というか集会動員があったので行った(時間的にはそっちに割いたほうが多かったかも)んですが、この日付にまとめてしまいますね、ということで。今回「−もと。」の記事もそんなには多くないし……


9/24:

なんと、千葉県幕張での集会参加に、福島を5時半に発つってどういうことだ(−−;)。もうね、前日から「翌朝起きたらあれやって、これやって」っていうのをぜーんぶ紙に書き出して、それでも朝バスの中で食べるパンを流し台においてくるなんていうボケまでかまして(−−;)。でも書き出しをやった甲斐あって、忘れ物はそれ以外にはほとんどありませんでした。今度から遠出の時にはそうしよう……
まめ子も流石に5時起き、となれば無理して起こさないでパジャマのままバスに乗せよう、と思っていたのですが、なんと自力で5時に起きました! すごい……偉いぞまめ子。
バスの中では、最初は事務局長さんと並びだったので、朝ご飯のアスパラガスを分けてもらったりしながら、後ろにいた支部長さんも交えて談笑してましたが、途中郡山で事務局長さんの昔からのお友達のnさんが乗ってきたので、彼女と並ぶようにして座りました。(福島から乗る人は少なかったので、ひとりでふたつの席を使っても大丈夫なくらいだったのです。で、nさんが乗ってきたので事務局長さんが席を詰めたのでした。私はまめ子と最初から並びだったですけど。)
でも、このnさん、現役の先生なんだけどさだまさしの追っかけ(!)してる話をしてくださったり、なんて言うか話の合うヒトだった(笑)。私もさだまさし好きなんですよー。初めて行ったコンサートがそれだった(注・すごい大昔(^ ^;))。今はどんな歌を歌ってるんだか詳しくないのですが、さだまさしが好きな人に悪い人はいない、ということで(* ̄m ̄) 。道中楽しかった〜。
で、目的地の幕張メッセに到着。午後の基調講演まではなんとかまめ子をなだめすかしながら参加せねば……お昼ごはん前の挨拶やリレートークは適当にまめ子と散歩しながら流したので、あまり内容をよく覚えてなかったり(苦笑)。午後の基調講演はこれはちゃんと聞かなくちゃ! と思っていたので、このときにここぞとばかりにハートフルコミューンやらぬりえやらでやり過ごしてもらいました(^ ^;)。でも、頭に入ったのは7割くらいだったかも……まめ子も途中で飽きてきたし、なんてったって途中で


♪もーりのおーくーくまのおやーこーこーとりーのうたー♪(*)


!( ̄∇ ̄ ;)
で、電話だっ! しかもあゆみさんからだ! 慌ててロビーにでたんですが、ロビーでも講演を流してたみたいで、むしろロビーのほうが音が響いて会話にならない……(−−;)。仕方がないので、一度かけ直すことにしました。
(*)私の着メロ。仕事の絡まない友達からかかってくると「つながりうた もりのおく」@ピタゴラスイッチが鳴るんでした。でも着うたではないので実際には歌詞付きでかかることはありません(^ ^;)。

講演が終わってから、出入り口のところであゆみさんに電話をかけることにしました。
しかし、間の悪いこと(?)は起こるもので

あら、どうしたの、もう帰る?(*)

出入り口に私がいることに気がついた事務局長さんが声をかけてくださった……んだけど、私が電話しているとは思わなかったらしい(^ ^;)。
(*)「台風も来てるしまめ子ちゃんもいるし、全日程が終わるまでいなくても途中で抜けていいからね」と言ってもらってたので。でも4時までのイベントで、2時(だった)に会場を後にするのもあんまりだよねぇ……

あ、今、友達から電話かかってきたんで折り返してるんですー(^ ^;)ゞ

電話の向こうのあゆみさんはさぞやびっくりしたに違いない……あゆみさんをおいといて最小限に会話をしてしまい(こら!)、戻ったときに


ごめん、事務局長に声かけられた!


事務局長さんって……えっと、カエルくん?


( T ▽ T )ノ_彡☆


あの、昨年末のエピソードがまだ生きてるとは思いませんでした……(ノ_ _)ノ 。ちなみに前副支部長さんのうしキャラも私が引き継いで……ち、ちがーう!  ヾ(≧∇≦)〃ヾ(≧∇≦)〃
なにはともあれ、26日のお茶会の詳細を決めて、その後小一時間ほど会場内の展示などを見て回って、時折台風の影響で雨が降る中だったんですが、雨の止み間にうまく移動できて、実家に到着しました。余談だけどその後、会場内で事務局長さんに会ったときに、さっきの電話は実はこんなことだったなんて話なんぞもしたりしまして

そうかー、いいねぇこっちで待っててくれるヒトがいて

というコメントが返ってきました。言われてみれば帰省したらあゆみさんと遊ぶ日程、外さないもんなぁ(^ ^;)ゞ 。
さて、実家では超早寝でした……まめ子も5時起きだったけど、私だって4時10分に起きたんだもの(−−;)。お疲れさままめ子。お疲れさま私(笑)。


そんなことでもう今回は、この時点でお茶会の流れがどのようになってしまうのか決まってしまってたのかもしれなかった……
はうー(八、)〜〜〜==3
 




9/25:

集会動員2日目。実はこの日、なんと


まめ子、初めて千葉のじじばばとお留守番


実母に言われた条件は「まめ子にきちんと言い聞かせて、納得させること」。でも、そう言われたとまめだぁに言ったそばから


まめちゃんもう6さいだからだいじょうぶ! (^▽^)


…………ホントか?

でもそんなわけで、まめ子がいないというのは珍しいことなので、ちょっと違和感もあったのですが、はばはばと会議に出てくることができました。でも、いろいろお話を聞いてきたけれど、これをどれだけこれからの仕事にフィードバックできるかなぁ……不安だ。
いやしかし、まめ子がいないからっていって羽のばしすぎたかも……この日の全日程が終わったのは3時頃だったんですが、そのあと海浜幕張駅前のショッピングセンターで雑誌などを買った後、なんと津田沼にまで足をのばしてしまった(^ ^;)ゞ 。「プレナ幕張」にもビーズ屋さんはあったけど、あいにく用が足りなかった……お友達から頼まれていたものがあったんだけど、材料が揃わなくて作れずにいたんでした。で、津田沼には「ユザワヤ」があるんです。
ビーズを探していたんですが、地元はもとよりネットショップでも扱ってなかったり売り切れてたり……で、探していたもの、やっぱりありましたよ。ちょっと高かったけど。さすが大きな手芸屋さんだ。
でも、「ユザワヤ」さんて純粋に手芸屋さんではない、っていうとアレだけど、文房具なんかもいっぱいあって、気がついたら来年のカレンダーだのまめ子のお土産にプリキュアのスーパーボールだのを買っていた……そっちのが多かったくらいだ(−−;)。で、帰宅時にはもう外が暗かったです(^ ^;)ゞ 。
ちなみにこの日、台風は大きくそれたとはいえ午前中を中心に雨で、やはりどこかに遊びに行こうにも行けなかったようです。私が幕張を出る3時頃にはすっかり「台風一過」だったんですけれど。そんなわけで、お留守番だったまめ子さんは実家の家業(小さな金属加工の工場をしてます)のお手伝い(部品を並べるとか……)をして、ご褒美に(?)バーミヤンでおひるごはんを食べて、お洋服を買ってもらってました。ネグリジェまで買ってもらってたよー(^ ^;)。
帰宅後は、事務局長さんから課せられてしまった宿題(この2日間の感想文を書いて、月曜日の朝イチでファックスで送る……事務局からのお便りに載せるから、ということで)を仕上げたので、寝たのは日付が変わる頃でした。ご苦労様自分(苦笑)。





9/26:

そんなわけでお仕事は一日休暇をもらって、「お茶会in東京」です。って、なんか7月以降が月に1回のハイペースになってるような気がする……のは、気のせいでしょうか? 実は10月にも「お茶会in東京」をするってどういうことだ(^ ^;)ゞ 。もっとも、11月の「お茶会in福島」がいつできるのかがあやしいんですが私の所為で(−−;)。
出かけたところ自体は、実は昨年8月とまったく同じだったり……「COCOdeCO」での「くりくり展#2」を見た後、「貝の小鳥」さんで木のおもちゃを見つくろって……という内容。まめ子が昨年よりは成長したということなのか(?)あまり「あれほしい、これほしい」という大騒ぎをしなかった所為もあって、ゆったり見ることができました。購買意欲も上手に抑えることができて(苦笑)。いえね、ほとんど会期末に近かったので、結構品薄なものも多かったのかもしれない……その中で、ガラス瓶に入ったガラスのちっちゃなふたば、のペンダントにものすごく惹かれて、買ってしまいました。
でも今回、何の話で結局一番盛り上がったのかというと……


カエルくんだったなんで口が裂けても言っとるがな(−−;)


まめ子が

おうちではおかあさんがカエルくんでおとうさんがうしくん

とまで言ったもんだから話が混線するする(−−;)。福島では仕事中にくしゃみしてたヒトがいたに違いありません(笑)。
いや、でも、ホントに……私は「きわどいな」と思いながら話をしてました。あゆみさんは実はこの「まめつう」と「−もと。」に加えて、mixi日記もアウトプット版を読んでくださってるんでした。でも、ここひと月ほど内容がある意味壮絶なので……どうリアクションが帰ってくるのかがかなり恐怖なんですけど(^ ^;)ゞ 。うがー。
しょうがないな。
殊に先月末以降、どうにもならないほど激動だったのは事実だから。それさえも認めない、とは私には言えないしなぁ。いいやー、不幸じゃないんだし(苦笑)。
次の再会をあらためて約束して、東京を発ちました。


2005年09月22日(木) それぞれの道を。

お昼ごはんを、呼ばれてきました。食べた分は自腹でしたが(笑)。
もといた地域で、広島に引っ越してしまうヒトがいて、その人のお別れ会だったんですが、ポイントはもう地域に籍のない私が呼ばれたということ……ホントに、そういうことをありがたいなって、最近、受け止められる自分が、幸せだなぁと思うのです。
あたたかくて、いいお別れ会でした。私までがご挨拶の品をいただいてしてしまって申し訳なかったけれど……彼女が地域の仲間に加わったとき、私はもう地域には籍がなかったのに。紅茶、早速事務所でいただきました。事務局長さんがいない(*)、ひとりの事務所でゆったりお茶の時間にしました……って、来週の月曜日にお休みをもらったので、月曜日に混乱が起こらないようある程度準備もしていたんですが。

ありがとう。どうか新天地でもいい出会いを。

オレンジのお茶を味わいながら、旅立っていく彼女たち一家に、そう願わずにはいられませんでした。
あと、まめ子が月に2回通うオイリュトミーでも、ほかの習い事を始めたいとお別れになる子がいて、まめ子がお別れのご挨拶の品をいただいてました。
けしごむつきのえんぴつなんてはじめて! うれしーいヾ(>▽<)ゞ ♪
だそうです……
(*)事務局長さんは、変則日程でお彼岸をすることになってしまい、午後から猪苗代に行ったのです(中学校の先生をしているダンナさんと休みが合わなかったそうだ)。午前中は私が出先だったので今日は会えない……はずが、出先での仕事が早く終わった上に事務所に届け物を取りに行くことになってしまい、軽く打ち合わせ、くらいの話はできました。
こんなことがうれしい私って〜(〃∇〃) 。おばか?





お別れ会の席で、食後のデザートを食べながら

わー、事務所抜け出してまぜてもらってよかったー(o^∇^o)ノ

たまにはねー、そういうことがあったっていいよー ヾ(^ o ^)ρ

あ、でもね、あの一件以来、こういうことがあっても
「いいよ、行ってきな」
って送りだしてもらえるようになったかなぁ


……事情(無論、先月事務局長さんと衝突したことです……)を知るTさんには苦笑されてしまったんですが(^ ^;)。
でも、「送り出してもらえる」のも、決して後ろ向きな理由ではなく。今にして思えば、やっぱり私が変な遠慮をしてたんだなぁ、と思う。事務局長さんに対して。
「意固地にならないで、思ったことを言ってもちゃんと受け止めてもらえるんじゃないかな」
と思えた途端に楽になった、そんな気がします。まぁ、ここ数日は遠慮が無さ過ぎて怖い気もしますが(苦笑)……でも、のびのびといろんなコトを言える関係は、心地よいなと思うのです。私が事務局長さんに対してそうあるのは10年早いというか、申し訳ないことのような気がしていたけれど、結果的には遠慮する方がうまくいかなかったんだなぁ、と今更ながら思う……
うん、ときどき狼狽えたりしながらも、遠慮なく気持ちを伝える努力をしている、というのが、今の私のスタンスのようです。
思い上がりかもしれないけれど、事務局長さんって、私とひどく交わるところがある気がする、性格というか性分が。基本的な好みとか行動パターンはまったく違うから「あまりにも違う人種」みたいに見えるんだけど、ベースになっているものがひとつくらい、ものすごくはまってる気がするの。でも何がだろう……そこが解らない。うーん。









結果的に、だけど。
まめだぁに対しても、それができるようになった気がします。
そのことが、うれしい。一緒に暮らし始めてからいろいろありすぎて、難しいことばっかり考えていて「気持ちを許す」なんてコトにまで思いが巡らなかったんだなぁ。
そうだね、思いを寄せ合い始めた頃ってこんな感じだったよね……あったかくて、ちょっぴりくすぐったくて。
え? ごちそうさま??? そ、そんな (///∇///)。





なんにせよ、自分のことをかわいそうだなんて思っているうちは、いろいろなことがなにもかもまわっていかないのかな、ということを思い始めた、今日このごろです。


2005年09月21日(水) 一日が24時間じゃ惜しすぎて

というわけでもないのかもしれないけれど、最近ちゃんと眠れません(T^T)。することやりたいことがいっぱいある、と思っている所為かなぁ……
事務所での勤務は、先週までのセンシティブな状態はどこに行ってしまったんだ? というほど極端な状態です。楽しいのは楽しいんだけど、あけすけすぎて怖いとも言えなくはない……いや、原因の半分は私の天然ボケにあるんですが( ■ ;) 。でも全部私じゃないよ〜 ヽヽ(≧▽≦)//! (こら)







昨日の日記に書くべきだったかもしれませんが、昨日、まめ子たち保育所の年長さん組がバス会社のご招待を受けて、大型バスと綱引きをしてきました(笑)。そのあと、郊外の公園に遠足して(「ミステリーツアー」と称して子どもたちには到着まで行き先は知らされなかった)。
地元のテレビ局がこぞって取材に来たようなんですが、私が見ることの出来た3局のうち、まめ子が映ってたのは1局だけでした……うーん。別の1局のローカルニュースでもやっていたと事務局長さんが教えてくれましたが、まめ子が映っていたわけではなかったようでした(いくらなんでも彼女はまめ子を見れば判ると思うので)。うーん、やっぱりでかいが故に後ろのほうにいたからか(笑)。後ろのほうの子まで映像として流してくれたのが1社だけだったのよねぇ……
しかし、事務局長さんの感想が


バスに綱引きで勝ったじゃない、ホントに!


っていったい……(苦笑)













今週末はお彼岸の中日をやり過ごしたあと、仕事で上京してきます。日曜日は初めて、まめ子が千葉のおじいちゃんおばあちゃんとお留守番で私だけが会議に出るので、ちょっとどきどきです。本人は

まめちゃん6さいだからだいじょうぶ! (^∇^)

って言ってますがどうなんだか……あと、ついでに千葉の手芸屋さんもちょっと見に行きたい。津田沼のユザワヤとか。実はお友達から頼まれたペンダント、材料が揃わないという理由で作れずにいるの〜(T△T) 。ごめんなさい、もうちょっと待っててくださいね。それと、一日お休みももらって「お茶会in東京」も予定してはいますが、実行できるかどうかは微妙……ちょっと申し訳ないことをしたかもしれないので(あゆみさんに)。
ちなみに、10月中旬に、今度は一家で上京するのです、諸事情で。1回のお給料で2回上京、となると、今月は緊縮財政かなぁ、と思っています。それでなくたって私の肛門科通いはまだ続いてるし__(_ _;) 。
「まめつう」の更新は、千葉にいる間はお休みです。最近「−もと。」もあまり更新してないのですが、こちらは機会があれば更新しますね。


2005年09月20日(火) 奔放すぎです( ■ ;) (転載)

当然とはいえ、2日ぶりの職場復帰です。
(当たり前だ、休みだったんだから(−−;)。)






しかし……ちょっと暴走が過ぎてしまいました。反省……
昨日一家で行った「こむこむ」で保護者に見られなかった(たぶん中学生だと思われたんじゃないかと……)話くらいならいいけど、私の胸が小さいことにやたら拘ってしまったりとか(おい!)、一番まずかったと個人的に思ったのが


大学生の時、電車がなくなった(*)のを逆手にとって夫(じゃなかったけど、当時は……)の下宿にしょっちゅう転がり込んでいた話
(*)当時の私は通学に2時間かけてました……しかも学校があったのはとんでもない田舎(^ ^;)。


さすがに、事務局長さんとkbさんが一瞬退いたので、しまったと思いました( ■ ;) 。
「え、で、でも、親公認だったんでしょ?」
とか
「で、でもさ、こうやって結婚して新しい家庭も持ったんだから、親御さんとしては万々歳だったんじゃない」
とか
「いやでも、二十歳過ぎたらあることだよねぇ」
とか……ああ、しでかしてしまった__(_ _;) 。とほほ。
なんでこんな暴走したんでしょう……アルコールが入らなくてもこれか。あーあ。不幸中の幸いだったのはこの話を聞く羽目になっちゃったのがこのふたりだったことかも。ふたりともあまりそういうことは根に持たなさそうなので……あとで事務局長さんに

保護者に見られなかった話はともかく、ちょっと暴言が過ぎたので反省しています

と言ったら

え? なんで?

って言われましたよ。うーむ。
ホッとされたのか、呆れられたのか。どっちだ。
「無邪気だ」くらいで済めばいいんだけど……がっくし。


私自身、いつか書いた気もしますが、女子校の経験は全くないヒトで、そうか、女の園の気楽さはこれか! とかちょっと思ってしまったんですけど(爆)。実際

女だけの職場だからできる話だよねぇ(^ ^;)

って事務局長さんが言ってましたが……
いや、時には怨念がおんねんなって(寒)感じでいやだなと思うときもあるんですけど。














ちょっとここのところ、自分で言うのもなんですが、意固地なところが多少とれて、のびやかに気持ちを出せるようになったかな、とは思っているんですけれど。一番それを肌で感じているのはまめだぁかな、と思っていたりもして……それで暴走したなんて言い訳にもなりませんが。はぁ。
何はともあれ、事務局長さんとkbさんにおおらかに受け止めてもらってしまって、申し訳なかったです。ごめんなさい。ありがとうございました。
よくまめ子に「アンタみたいな子を「おだつ(*)」って言うの(−−;)」って小言言うことがあるんですけど、今日は私が「おだって」ました……(T^T)

(*)ふざける、調子に乗る。福島弁だと思ってたんですが、仙台や北海道でもそういう言い方があるそうですね。


2005年09月18日(日) あたたかい月

昨日、帰り道に自転車を漕いでいたら、大きな月が昇っていくのが見えました。

こんな大きな月、見たのは記憶にないかも……









その月を、まめ子に見せてあげたくて、河川敷に上ったのですが、あいにく今日は雲が多くて、見えなかった……残念。
でも、十五夜の月が高い空に昇りはじめた頃には、美しい月が姿を見せてくれました。
うっとり……

が。




おかあさんすすきをかざっておだんごたべたいー
o((><o))((o><))o





出ました、まめ子のだだこね攻撃(笑)。でもまぁ、季節の行事は押さえておくしかないかなぁ……というわけで、コンビニに行ってお団子と朝ご飯のパンを買ったんですが、そこのコンビニはお団子を買ったお客さんにサービスでススキと秋桜を分けてくださったんです。
気持ちがあたたかくなる、帰り道。
さやさやと揺れる、ススキと秋桜。


夕飯と入浴を終えて、ススキを眺めながらお団子を食べる頃にはあいにく月は雲に隠れて見えなくなってしまいましたが、気分だけでもとりあえず味わいました、ということで(^ ^;)ゞ。


2005年09月17日(土) その後の私、その後の彼女

こちらは、ちょっと久しぶりになりました。
この間、mixiのほうでは限られた人しか読まないのをいいことに随分重たい話を続けてしまっていたんですが、落ち着いてきたので、書けずにいた頃のことを整理してお話ししようと思います。





えーっと。
やっぱり、8/31付けの記事が発端になるんですが。
(ちなみに、私と事務局長さんの「衝突事件」が起こったのは31日ではなくて30日だったんでした。どーでもいいことですが)
彼女に言われてしまったことが痛くて、つらくて、とにかく傷ついてしまって

でもやっぱり、これだって私のことを思って言ってくれたことなんだ

と思い直せるまでに結局、丸2日かかってしまいました。
いやでも、丸2日かかっても、よかったのかもしれない。一番底だったときには「今度こそ乗り越えられない、もう今度こそやめてしまおう」……って本気で思ったから。
でも、そのときは選挙戦もまだ序盤。やっぱりそこで逃げられなくて、自分と向き合うことを余儀なくされて。
その中で……何がきっかけだったんだろう。突然、胸の奥で何かがはじけて、こんなことを思ったんです。

私は、がんばれる人じゃなかったのかな

それが9/1の記事、だったわけですが。それで、初めて……うん、私の人生ではほんとに初めてだったかもしれません。つらいことを言われたことを、かわしたり痛みを薄めたりするのではなく、そのままをあたたかい気持ちで受け止めることができたのです。
で、私にしては珍しく(?)翌日、とりあえず謝るだけは謝ろうと思って、帰り際に事務局長さんに声をかけたんです。ご心配をおかけしてごめんなさい、って。そのときに言われたのが


やる気があるのはわかっていたから、いろいろ言ったけど、あなたにはここ(事務局のこと)に座っていてほしい


ということと、あわせて「言いたいことがあれば、続きは選挙が終わってからにしよ」というのを言われました。
実際問題として、主権者運動に全力を注いでいるときはそれどころではなかったし(だから結局、凹んだり泣いたりしたことも多かった。ああ言われて(*)まで事務所で泣くことはなかったけど)、何より

あなたにはここにいてほしいの

と言われたわけだから、それ以上はもう何も望まない……と思ったんでした。それだけだって、歩くきっかけにしなくちゃならないんじゃないのか、って。
(*)「あなたに泣かれても「またか」って思うだけで心配もしなかった」って。
たしかにその通りなんだけど、落ちこんだ身には残酷でしょ? (笑)





だから、私自身は、選挙が終わってからあらためて話し合おう……とは、そんなには強く思ってはいなかったんです。ただ、事務局員としては年末に任期が切れるので、そのことで話をするときに多少話が出るかな、と思ってはいましたが。
でも。
主権者運動という、過酷な条件から解き放たれた日々は思いのほか穏やかで。
せーの、なんて合図をすることもなく、気づけばお互いに、少しずつ気持ちを出し合えていました。
たくさん、たくさん、話をしました。

ここまでにたくさん、余計な遠慮もした。
正直に言うと、やきもちもやいた、かな。何にかはおいておきますが。
だけど、
事務局長さんが、私に伝えたかったこと。
私がこの3週間あまりで、考えたこと。
時間をかけながら、ゆっくり受け止めてきたこと。
ううん、私が受け止めてもらったんじゃないかな。ほとんど。


でも。
私、途中からだったけど、気がついていた。言葉の端々に見える、あたたかい思い。
話の腰を折って、聞かないふりして、ごめんなさい。聞くことで、浮かれてしまうのが怖かった。
それでも、主権者運動が終わってからの1週間に、大切なことをたくさん、たくさん、教えてもらった。
私から見たら迷いなんてないように見える事務局長さんだって、やはり道の途中にいるヒトなんだということ。もしかしたら、彼女も迷ったり「しまった」なんて思ったりしながら、私にも接していたのかもしれない、そんなふうにも思えた。
そして。
金曜日に聞くこととなった、あの日の事務局長さんの胸の内。そして。


だって、まめももさんが必要なのよ


…………私なんて、そんなにちからのある人材じゃない。
それでも、そんなふうに言ってくれる人がいる。
それも、私がずっと尊敬してやまなくて、ものすごく好きな人から、こんな言葉をもらってしまった。
つらかったけど、逃げないでがんばってきて、本当に本当に、よかった。

そのことが、いつだって揺らぎそうになる私にとてつもない勇気をくれました。






もっと私、自信持っていいよ!






今にして思えば、この衝突も、必要なことだった。
思い上がりかもしれないけれど、この一件で、私たちが抱えていた距離は、ぐっと縮まったんじゃないかって、そんな気がする。端から見ると、あまりにも違いすぎる私たちだけど、通じるものがやはりあって……うん。
いつまでになるのだろう。でも私、あらためて、一緒にやっていきたいって、思った。
それと、この一件に関して、殊に私は、いろいろな人に話を聞いてもらいました。その人たちからもらったあたたかい気持ちも、大事にしたい。
ひとりじゃないんだね。ほんとうに、ありがとう。






苦手なことは、そんなこと言ったって多いし。
なにより、そう簡単に図太く生きられるわけじゃない。「少しずつでいいから改善しよう」とは言われたけど……たしかに、いっぺんには無理だ。
それでも、私は私なりに、ゆったりと思いを伝えていきたい。なんで、ここにいることを選んだのか、を。
あたたかく、ヒトとヒトを結んでいくお手伝いができたら。








☆☆手放す決心☆☆

あまり進んでないんだけど、その後も掃除続行中、です。
そんな中、少しずつものを手放す決心をしています。もちろん、捨てるモノは捨てるのですが……



今までに作ったものを、事務局財政の足しにしてもらうことにしました。
(ようするに事務局でまめももさんちバザーをするという……職権乱用(−−;)。)




とりあえず第1弾が、今までに作ったビーズアクセサリー。
すごく気に入って、この先も身につけそうなもの以外は全部手放すことにしたんです。お手製ビーズもの以外にもらったものもあるので、すごい量に……ビーズアクセサリー自体も作り始めて5年になるので、かなりの数になりました。
早速、見てもらったんですが……見てもらう決心が遅くて(苦笑)、事務局長さんひとりが大はしゃぎすることに(笑)。

あ、私これお買い上げね〜

え、ほ、ほんとにいいんですか???

うん、早速これつけてこーっと♪ヽ(´▽`)/











な、なんか照れますね







何言ってるんだか(−−;)

…………アホですね、私(苦笑)。それじゃ商売できないじゃん。
ちなみに事務局長さんが「身につけて」帰ったのは、千趣会のキットで作ったので、「作ったものの私が身につけるにはモダンというか……」と思っていたもの。そうか、やっぱり彼女がすると違うんだなぁ……好みも違うということまであらためて判明(笑)。
で、今日は県レベルの会議があったんですが


おはよーございまーす(⌒∇⌒)ノ

あ、どうもご苦労様ねー(^▽^)



わー。
嬉しかったです。身につけてくれて。
作った甲斐がありました。って違う?


2005年09月16日(金) 金色の環に手を伸ばして(転載)

もうね、いつまでも「あのとき」の話から離れなくて、ほんとに申し訳ないなと思っています。ただでさえ、仕事の話だとコメント付けにくい日記だよねぇ、これ……と思ってはいるんです、自分でも。
でも、どうしようもない。今の私の大半を占めてしまっている事柄、だから。うっかりすると、「どう生きるか」に繋がっていく、そんな予感をはらみながら。



その、しんどかった時期に、車を走らせながらずっと聴いていたのが、実は倉木麻衣ちゃん(ちゃん付けでもいいかな、私よりだいぶ若いはずだから)の「Reach for the sky」だったんでした。特に2コーラス目以降は、当時の(いや、今もだけど)私にはすごく「くる」ものがあって、一緒に口ずさみながらうるっときてしまうこともありました。歌詞を書くのは著作権法の都合もあるから難しいのかな……と思いつつも書くんですが。

♪頼りなく揺れている自分が
 夢へと動き出す
 こんなにも君を探していたよ
 果てしなく続く道

 歩き出そう手をつなぎ
 目をふせずにまっすぐと

 …………

 ねぇはじめなきゃ届かないよ
 夢へと繋いでいけるように
 悲しみの昨日にさよならを
 どんな時もどんな時もここにいて♪


歌声に身を任せながら、せつなくなるような、それでいて背中を押されるような、そんな気持ちでいたのです。
(ちなみに、見出しの「金色の環が云々」というのも、ここから。「Reach for the golden ring」って歌詞にあるので。太陽のコトかな、と思うのですが……)





今日、その話になったのは、どちらからともなくだったのかもしれません。
このあと12月初め頃まで、ここの仕事には大きな波がいくつも訪れます。しばらく、土日のいずれかが必ずつぶれてみたり、主権者運動の時とはまた別の意味でのプレッシャーも強くなります。

だからさ、私もまめももさんも、日々の日程をしっかりと確認しつつ、お互いが流されないようにしっかりしていかないといけないよね、ほんとに
そうですね

なんでだろう。
この話の流れの中で、思わず、口をついてでてしまったこと。


…………たぶん、さっきみなさん仰ってましたけど、この先悩むということは、いくらでもあるんだと思うんです。
それに、私の泣き虫はちっちゃいころからで、それがそのままここまできてしまったから、泣くことだってこの先たくさんあると思うんです。もう泣かないとは絶対言えそうになくて。
でも……それでも、選挙の前とは違う気持ちで今はここにいて、きっと今度は投げ出さないって





(;゜゜)



うわっ、何言ってんだ私。
事務局長さんが、柔らかい眼差しでこちらを見ていて、思わず我に返ってしまいました。

って、そんな、ウェットになってる場合じゃなくって〜(・・; ) ( ;・・)、ええっと何するんだったっけ

はい、たしかに忙しかったんですけれど。思いっきり照れが入ってしまいました( ■ ;) 。ダメじゃん私。言うんだったらちゃんと言わなくちゃ……

話、戻すんだけどね


え?


あのとき、支部長さんがあなたに「でも、つらいときは休んだっていいんだよ」って言ったでしょう? 彼女は優しいからあなたにああ言ったのだと思うけど、私は心の中で

「えーだめー!!! なんてこと言うのー、ほんとにまめももさんに休まれたらどうしてくれるのー、誰がこの人の代わりをするの、困るんだってばー!」

って叫んじゃったわよ





(///∇///) かーっ




「あなたにはここにいてほしいの」
って言ってもらえたこと、私、ほんとに、ほんとに嬉しかったんです




やっとの事で、これだけ。視線の先には自分の手。顔を上げることもできなかった。



だって、まめももさんが必要なのよ。だから、大会(*)まではがんばってほしいし……




大会が終わっても、ここにいてほしいし



事務局長さんにしては、口調がややきまり悪そうで、ちょっと「ごめんなさい」という空気になってしまいました。うん、ほんとにごめんなさいかもしれない。まさか、こんなふうに次期体制の話に言及するつもりは、なかったのかもしれないから。
(*)2年に1回、事務局で一番規模の大きな会議が開かれます。そこで事務局の役員が承認を受ける、という格好になるんです。私は前回2年前の会議で初めて事務局次長(半専従の)として承認を受けて、今に至ります。
2年ごと更新……という説明で、あってるのかどうかはわからないのですが。その、8月末から9月頭の時点では、まめ子のことなどが多少めんどくさいことになっても、かなりの確率で降りることを考えていました。でも、こんなこと言われちゃったら、降りるなんて言えないじゃん……




え、ええっと、今期で降りてしまったら、まめ子が入学まで3カ月を残してまた幼稚園を探す羽目になっちゃうし

ば、バカバカ、私のバカ! なーんでまめ子に転嫁するヾ(ーー ) 。事務局長さんには思いっきり苦笑されてしまいました。あーあ。
でもそのあと、いろいろなことを話しました。
次期を引き受けるに当たって一番心配な、学童保育のこと、来春からまめ子が通う小学校のこと。
衝突して失意のどん底(決して大げさではない)だったその日、保育所でほかのお友達とわいわい遊んでいたまめ子に癒されたこと。私はこうして壁にぶち当たっちゃってるけど、まめ子は自力で乗り越えたんだな、って思ったこと。
どうでもいいことも、たくさん話しました。事務局長さんが郵便局のATMを壊したこととか(をい)。













そうだった。
2年前、もしかしたら私には無理なのかもしれないと思い悩みつつも、私はたしかに事務局長さんを頼ってここに飛び込んでいったんだった。
あれからまもなく2年。無我夢中で突っ走って怖いという感覚は薄かった1年目。苦しい気持ちばかりが先に立って、泣いてばかりだった2年目。
自分では、ずっと押し戻されたって思ってた。いつ「いらない」って言われてもおかしくないとまで思っていた。
でも、今私が立っている位置は、明らかに2年前とは違う位置。もう……当時でも33歳だったから既に「少女」ではなかったけど、ほんの少しかもしれないけれど、「私」の芯の部分を、確立しつつあるのかもしれない。

だから。
もう一度、2年前にその決断をした自分を、信じてあげたい。
私を、ここに呼び止めてくれた、事務局長さんのことも。



ちゃんと、次期体制の話がきたら、今度こそちゃんと伝えよう。
あの時、叱ってくれたことに、本当に感謝していること。
私が必要だって言ってくれて、本当に幸せだと思ったこと。
そして。
「これからも、よろしくお願いします。」



時の流れは、会うべきヒトにはちゃんと会わせてくれるのだと、いうけれど。
事務局長さんに会わせてくれて、ありがとう。
少しずつおとなになりつつも(って遅いよ、アンタ35じゃん!)、少女のようなまっすぐな瞳で、そこに立ち続けたい。
ささやかな、決意を持って。






…………で、これ書いちゃったら、もともとの9/17付がいらない気がするんですけど……どうでしょう???


2005年09月15日(木) 気持ちに響くこと(転載)

挙げていったらきりがない気がする。
それくらい、日々、得るものがある。
ひとりになると、せつなくて泣けてくることもあるけれど。



これまで、あんなふうにして衝突したら(まーだ引きずってるなぁ、って言わないで〜(^ ^;))、その人との人間関係そのものまでおじゃんにする……ということのほうが、圧倒的に多かった。私は、ホントはそれくらい弱い人間です。
でも、最近、彼女に対しては、とてもあたたかな気持ちになることが多いです。
時間をかけながら、ゆっくり受け止めてきたこと。
ううん、私が受け止めてもらったんじゃないかな。ほとんど。
妙な遠慮とか、やきもち(うん、正直に言うとそうだったと思う。何に対してのやきもちかはあえて書かないけど)とか、そういうものを乗り越えながら(乗り越えるのは専ら私……だと思うけど)、なんとなく距離を縮めることができたのかもしれない、と思います。なぁんて、思い上がりかなぁ(〃∇〃) 。

そういえば。
今私のそばにいる人たちの中でも、一度は何らかの衝突があって、それを乗り越えてきたということがあった人とのおつきあいは、長い。
今、これを読んでる人の中にも、そういう人がいるような……(笑)。ね。
ありがとう。ホントに、はかりしれないほど。
こんなに弱い私を、見捨てないで支えてくれて。






最近……うーん、ここ2日ほど

「私だって、ここにいたら日々が勉強で、教わることのほうが多いのよ」
「…………え、そうなんですか」
「そりゃそうよー」

というやりとりをしています。
誰だって、道の途中なのかもしれません。
他人の物差しは、私の尺度にはなりえない。


振り回されない、とは思うけれど。
いずれ、きちんと思いを伝えたいと思っています。
多分、次期体制の打診が来たとき、になるような気がしますが。


2005年09月14日(水) 遮る。(転載)

先日、事務局長さんの

「ううんいいよ、私こそ……」

という発言を思わず遮ってしまいました(9/11付け参照)が、今日は今日で



「でも、まめももさんだって……」



という発言を割ってしまいました( ■ ;) 。あーあ……
おそらく、前後の文脈から判断して悪いことを言われるのではないのだと思うんだけど、どうしてこうやって私って間が悪いんだろう……がっくり。
でも、それでいいのかもしれません。
最後までおそらく、彼女の言おうとしていたことを聞いてしまったら、その言葉に安穏としてしまう私がいる、ような気がするから。それでは、やっぱり、ダメなんだと思っている。

小難しいこと、いっぱい考え過ぎちゃった。

「私の仕事は、ヒトとヒトを繋ぐこと」。

そんなふうに言えていたはじめの頃。もう一度、戻れそうな気がしています。


2005年09月13日(火) それぞれの休日

えーっと。火曜日じゃないの? と言われそうですが(苦笑)。


実は今日、私もまめだぁも午後はお休みだったんです。
まめだぁは消化できない夏休みをなんとかするべく、時間給を取得。
私は週末まで選挙で大変だったので、事務所自体が午後休業。
昨日、帰宅後にその旨をまめだぁに話したら



休みが決まった時点でメールくれよー(T△T)



と言われました……それがわかってたら同僚と仙台に行く約束しなかったのに、って(笑)。たしかに、まめ子がいなくて夫婦だけの休みって、そんなにないんだよねぇ……なんてラブラブな私たち(ばきどか)。事務所でその話をしたら
「いいじゃない別に、夫婦別々だって」
って言われたけど……そんなもんなのかなぁ。
一時期、触れられると気持ちが変に硬くなって逃げちゃうこともあったんでした。しかもかなり長かったな、その時期。今にして思えば「余裕がなかった」ということに尽きるんだけど、まめだぁには申し訳ないことをしたなぁ……その反動か(?)最近は「甘えたい」衝動に駆られてます(*/∇\*) 。え? ごちそうさま? そ、そんな……(八、)〜〜〜==3



そんなわけで、夫婦別行動でした。
まめだぁは同僚さんのパソコンをお見立てに仙台へ。
私は昨日書いたとおり、主権者活動に明け暮れてどうしようもなくなってしまった家事を片付けてました。
ああ、でも、私自身が主権者運動の前からずっと調子悪くて(精神的に(T△T) 。)停滞も長かったからなぁ……半日の休みくらいでケリは付かないのでした。それでも、今日片付けたものはゴミ袋4袋分くらいにはなりました。これ、完璧に片づいたらゴミ袋ははたしてどのくらい消費されるんだろう……( ■ ;)

でも、少しずつ、気持ちが前を向けるようになってきたのかもしれません。
今までだったら多分「どうせやってもダメだもん」って途中で挫けてしまうんだけど、よし、これだけできた、って。がんばろう。
目標はうちのものを7割から8割減らす。え、減らすほうが多いの??? って感じですが、ホント、身軽になりたい。時間はかかるんだろうなぁ……でも、乗り越えたい。これを乗り越えられればなんでもうまくいくほど甘くはないだろうけれど、ひとつくらい、「できたよ!」って言えるものがほしい。
で、やっぱり、まめ子の子ども部屋と私のアトリエ(もどき)はほしいなぁ……まめだぁの書斎(パソコン部屋)もちゃんと整備して。ずっと言ってるけど、今度こそだ。ね。


2005年09月12日(月) ねぇほんとに私でいいの

これは、口にしすぎると多分、周囲を苦しめてしまう言葉なんだろうと思います。
でも訊きたくなるのよね(^ ^;)ゞ 。




だけどね、そんな気持ちを持てるのは、あったかくてすてきなのかもしれません。
あなたを見ていて、そう思いました。
だって私だって

ホントに私に声をかけてくれるの?

って思ったもの。
すごく、すごくうれしかったの。「親しい友人」の中に、私を入れてくれたこと。

これからも、よろしくね。




----*----*----*----*

主権者運動が終結し、今日事務所で受けた電話はほとんどが

どうもおつかれさまでしたー、ありがとうございましたー

ではじまるのでした。
8/31付けの記事にもでてくるfmさんは、わざわざ自宅に電話をくださいました。

大変だったけど、あなたやりとげたのよー

って。
そのうち地域でご苦労さん会をするときには、声をかけるから是非来て、って仰ってました。私、もう地域所属じゃないのに。ありがたいなと思いました。
ヒトとヒトの、つながり。

あらためて、いろいろな人に支えられての2週間だったんだな、って、思いました。
それこそ

ねぇほんとに私でいいの

だったし、今でも

私でいいんだよ!

とはとても言えないけれど、この先どんな思いを繰り返しても、この2週間は特別な意味を持つような、そんな気がしています。
うん、その意味で、私に「ほんとに私でいいの」って言われ続けてしまったのは事務局長さんだっただろうから……今にして思えば、鬱陶しかっただろうなぁ(x_x;)。「何度も確認するなよ!」っていうか。



明日は午前中だけ軽く打ち合わせをして、午後は事務所を閉めることになりました。ああ、今度こそ2週間の間にがっちゃがちゃになった我が家をなんとかしよう……__(_ _;) 。


2005年09月11日(日) これからも歩き続けていく。

今回の主権者運動は、ホントに「自分のダメなところ」と向き合いながらの日々だったから、とても、とてもしんどかったです。
で、ちょっとしたことから、1年前の参院選や県知事選の時の日記を読み返す機会があったんですが……


去年は、わかってないぶんやっぱり怖いものがなかったんだ……


そう、去年と今年の差は「恐怖心」だったんだなぁ、と思いました。もともと怖がりで、殻にこもりやすいタイプだという自覚はあったんだけど……
多分、私自身は、そういう性格だけに、よほどのことがない限り「大化けする」なんてことは、ないんだろうなと思います。
でも、少しずつでもいい、雛が少しずつ殻をつついて出てくるようにでも、いいんだったら。




まだもう少し、ここにいさせてください。



















8/31付けの記事を、今もときどき大事に読み返しています。
失敗したときにちょっとめそめそ、っとなってしまうところ、簡単に直りそうにはないけれど。
でも、ああやって言ってくれる人がいること、やっぱりありがたいんだなと思います。
会わせてくれて、ありがとう。


----*----*----*----*

(以下、同じ日に、mixiに書いたものです。)

主権者運動が終わりました。
明日から通常勤務です。
いきなり班オルグがあるので、事務所への出勤はお昼です。


「まめつう」にも書いたけど、どっちかというと自分の弱いところと向き合いながら走り続けなくてはいけなかったことは、ホントに、ホントに、しんどかったです。
図太くなってほしい、って言われたからってそんな簡単に性格が変わるわけもないので、結局は泣いたり落ちこんだりしたことも多かったな、と思います。何もわかっていなかった1年目、だった去年よりはいろいろなことを知ることになってしまったぶん、怖がりながら……だったことが、アクセルを踏めない原因だったような気もします。
大化けは、多分、私の性格では難しい。なんだかんだ言って、石橋を叩きすぎて壊しそうになる……のが、私だから。
でも、少しずつなら、進んでいくことができるのかもしれないな、って。


公示日の事務局長さんとの衝突(じゃないな、私が勝手に落ちこんだだけだもの。→8/31付け参照)以降、ホントにいろいろなことがありました。
未熟なところ、至らないところ、まだまだ超えて行かなくちゃいけないところ。いっぱいいっぱいありすぎて、挫けそうになってしまう。
でも。
「まめももちゃんは責任感が強くて苦しんじゃうんだよね」
「いつか笑える日が来るよー、がんばってるんだもの」

って励ましてくれて、失敗もゆったりと受け止めてくれた、かつて同じ地域で活動してきた仲間たち。
「それは過小評価だと思うし、あなたがここにいるということや、いいところはちゃんと生かされているのよ」
ってやわらかく諭してくださった、先輩の活動家さん。
なにより。

やる気があるのはわかってたからこそいろいろ言ったけど、あなたには事務局に座っていてほしいの

私、ね。
ホントにホントに、うれしかったんだよ、事務局長さん。


ひとりじゃない。


私の「足りている」ところは、そんなに多くないのかもしれない。
でも、こんな私だったとしても、一緒にやっていこうって思ってくれる人がいる。それも、こんなに。それが、一番「足りている」コトだって、言えなくないかな。
たしかに今すぐ、大きな一歩は踏み出せなかった。
でも、何年か経って振り返ったときに、今回のコトがきっと、大きなターニングポイントだったんだって、思えるのかな。
そんな気がします。



最終盤は、もっと踏ん張らなくちゃいけなかったのかもしれないけれど、木曜日と今日と、2度ほど自宅の玄関で気を失いました(爆)。で、大概我に返ったところで事務局長さんに繋がらなくちゃならない場面に直面し(^ ^;)。黙ってればいいのにバカ正直に

玄関でひっくり返ってました……

なんて言ったバカは私ヾ(ーー ) 。
事務局長さんにしてみれば
「もっとしゃんとしてよね」
だったかもしれない。
「あなたの涙の意味は私はわかってたけど、またかって感じで心配もしなかった」
って、衝突した時には言い切られたから。
でも、最後の最後に、事務局長さんが自宅に電話をくれて「ここを手伝ってほしい」って指示をもらって、残念ながら繋がりきることはできなかったんだけど……

うんうん、しょうがないよ。大変だったでしょう、今日はもうゆっくり休んで……

な、なんか、ホントにすみませんでした、こんな(挫けて倒れてばっかりで、と言おうとした)

ううんいいよ、私こそ……



え……



私こそ、って。
なんで。
事務局長さんがそんなふうに言うこと、ないべした。
胸の奥が苦しくなる。


…………


「とにかく、明日また、よろしくお願いします!」
思わず遮ってしまったけど(^ ^;)。
「そうだね、ご苦労様でした、また明日ね!」
「どうもご苦労様でしたー!!」





ホントに、いろいろありすぎた。
でも、静かに呪縛が解けるように、終わっていく今日。
明日ははたして、どんな日になるんだろう……


2005年09月10日(土) 雨が洗い流す。

投票日前日。
ホントは一昨日か昨日行かなくちゃだった肛門科のお医者さんにやっと行ってきたり、まめ子をひさびさに耳鼻科に連れて行く羽目になったり、まめだぁが午後から会場設営に出かけたり、事務局長さんに電話でせっつかれたり(ここでまで……(x_x;))、なんだか忙しかったです。


近くのラジオ局に、つのだりょうこさんが来ました。「こどもまつり」だったので。
今日は無理かなぁ……と思ったのですが、調べたら行って行けなくない! ということが判明した(時間が間に合う、という意味で。)ので、まめ子に訊いたら



いく! (^∇^)



というこたえがかえってきたので、行ってきました。
ところが。
りょうこお姉さんのステージが始まったあたりから、遠くで雷が鳴り始め……終わった頃には雨が降ってきてしまったんです。それもバケツをひっくり返したような雨! 母徒歩、まめ子自転車だったので、私が自転車を押して走って帰ってきました……おかげで着衣でシャワーを浴びたようなずぶぬれ状態に(ノ_<。)うっうっうっ。帰宅後、まめだぁに一働きしてもらって、お風呂に飛び込みました。
会場で翌日の朝ご飯にするつもりのパンを買ったんだけど、正解だった……袋ができたので、まめ子が身につけていた買ったばかりの「ハートフルコミューン」をここに入れたんです。そのままだったらずぶぬれで壊れてしまってたかも……うん、持っていたものはずぶぬれになりました。私の財布なんか、手提げ部分のついたがま口ポーチ型だったのが仇で、ウエストバッグに入れないでいたら中の紙幣や商品券類が湿ってしなってしまうほど濡れてしまいました……乾かさないと明日使えないわ、この財布。



でもね。
なんだか、笑えてしまうくらい気持ちよかったんです。
あれだけ雨に濡れると、逆に。
なにか、洗い流してもらったものがあったのかなぁ。わからないけれど。
楽しかった!




明日は、午前中子連れ出勤です。
午後はもう、申し訳ないけど選挙関係の仕事はしないつもり。まめ子をみてくれる人がいないもの! 山上兄弟を観に行く羽目になっちゃったんですが、天気予報は雨だった気が……うーん。


2005年09月09日(金) あれから6年

もう、忙しすぎてアタマがあっちこっちいってる中ですが、まめ子が6歳になりました。信じられない……私が6歳の子どもの母親。うーん。
いろいろ、小生意気なことも言うようになったけど、まめ子は産まれてきただけで「エライ」のです。

お誕生日、おめでとう。
これからも、いろいろなひとのあったかい気持ちを受けて、大きくなっていこうね。


2005年09月08日(木) やっぱり、訴えたいこと

以下の文章は、最初、mixiの日記に載せたものです。
ものすごく個人的なコトかな、と思ったから。
でも、この「まめつう」も、そんなに多くの人が読むわけじゃないし、むしろこの場だから訴えたいことかもしれない……と思い、公開に踏み切ることにしました。「まめつう」向けに多少、加筆訂正はしますが。
いろいろな考えの人がいる、と思う。押しつけるのは正しくない。
でも、こんな考えもあるのか、くらいに思ってもらえれば。


----*----*----*----*

私の仕事のひとつをなしているのが、「戦争に反対すること」かなと思います。mixiでもそういうコミュニティがあるんですが、私が学習のために(?)覗いているのが、こんな主旨で運営されているところです。こういう考え方が、いいなと思って。
……………………………
(前略)
基本的にコミュニティーに参加していただいた方々が
戦争に反対だというのはわかるのですが、解釈の違いから
敵対しあうことが多々ありました。

そこで、このコミュニティーでは解釈の違いから
意見をぶつけ合うことは禁止します。
(略)

このコミュニティーにたつトピックが人にやさしいものに
なるよう、みんなで使ってください。
……………………………
いや、いろいろな意見があるのが当然なんだと思うのですが、同じ意見でも手法が違うと異邦人になってしまう、ということに、私自身はすごく違和感があって。
私はただ、まめ子たちの年代の人たちがおとなになったときに就職先が軍隊しかない、とか、戦争で友達が半分以上亡くなってしまった、とか、そんな思いはしてほしくないなと思うだけなんです。

私はこの2年あまり、今の仕事をしながら随分いろいろな勉強をさせてもらいました。「人権」なんてまったく身近な話ではなかったけど、つまりは思いやりのことなんだなと教えてもらいました。もっと言うと、人権なんて今のこの国ではほとんど大切にされてない……と、思います。強い人ばかりが生きやすいのが当たり前みたいにもっともらしく言うの、おかしい。さも弱い人が努力してないみたいに。そうじゃないよ! ってしょっちゅう思う場面に、出くわしました。
そうやって考えると、今の仕事だって、私にとっては決して無駄ではなかったんだなって思うのだけど。


政治の話なんて、今の世の中だといい加減にしかとらえられないかもしれない。そのほうが都合がいいだろうから(「勝ち組」だと思っている人にとっては)。
でね。
私だって、難しいこと、避けて生きられたらいいなと思う。ほんとはもっとのんびり生きたかった、今でもそう思ってる。困難でも手仕事一本でやれたほうが幸せだったかな、って。
でも、いろいろなことがわかってしまったものの責任として、やっぱりそこに引き留められるのです。多分、「来た道をまた戻る」世の中になってしまったら、手仕事なんて結果的にできない。文章だって思うようには書けないと思う。言いたいことが言えない世の中は、おかしい。(今だって「言えない」とまでは言えないけど「言いにくい」方向になってきてると思う。間違いなく。)もっと、そのことに気がつく人がいたらいいのに、と思うのです。大きなお世話かもしれないけれど。
選挙……郵政民営化の国民投票みたいにマスコミは報じているけれど、そうじゃない、と思うんです。選挙が終われば、「勝ち組じゃない人」がどんどん生きにくくなることがたくさん決められていってしまう気がします。ことに、「今回の選挙で戦争が起こる国になっちゃうかもしれない危険がある」というのは、ほんとに、ほんとに心配しています。
難しいけど、めんどくさいけど、煩わしいけど。
あるかたの発言を、引用しますね。
「政治は私たちの生活に直結しています。自分は関係ないなんてことにはなりません。自分に関係ないなんて決め込んでも、家族や友人、愛する人には関係あります。」

ちょっと話が変わるけど、アメリカでハリケーンがありました。
あんな超大国なのに、被害がでてから救助活動にはいるのに何日もかかって、ものすごくびっくりしました。
でも、あの国もイラク戦争にお金をかけすぎて、実際にその国で暮らしている人の安全(水防とか)の予算は随分削った……のだと、聞きました。
で、亡くなった人には黒人とかの貧困層が多いんだそうです……
今のままなら、今回のアメリカの姿は数年後のウチの国の姿そのまんまなんじゃないかな、と思えてならないのです。
実際、ウチの国の首脳部は「国防が最大の福祉」だって言ってるんだもの……
勝ち組の人だけで生きていく社会でいいと思っているのかもしれないし。勝ち組になれない人のひがみですか(自虐ネタ)?


ここは公共の場だと思うので、どこの政党を支持しているとか、この場では言いません。バレバレかもしれないけど……
でも、私は、軍隊を持てるようにするなんて堂々と言うような人には投票しない、と思っています(いや、狡猾に言うヒトはもっと嫌かも(−−;))。ある程度おとなになった今の子どもたち(無論、まめ子も含む)に「お母さんたちはなんでこんな世の中にしてほしくないって言わなかったの」って言われるような振る舞いは、しないし、できない。

だから、言うね。
せめて、投票には行ってください。
頼まれたから、だけじゃなくて、ちゃんと自分で考えて。



つまらない話だったかもしれない。こういう話をする私は嫌いだという人もいるかもしれない。
でも、やっぱり言わなくちゃならなかった。

読んでくれて、ありがとう。
今日の私の小さな転機が、背中を押してくれたので、できたことです。これも。













----*----*----*----*

図々しいかもしれないけれど。
ここに書いたことが、どう投票するかを考える一助になればいいなと思っています。











----*----*----*----(以下、mixiに寄せられたコメントのやりとり)----*----*----*----


こんばんは。

たっちゃんと話してて「選挙、行く?」とか言ってて
「当たり前やん。権利は使わんとな」と言ったのが
嬉しかったです。

わたしたちはほんとうにちいさく、
ちからなんて0に等しいと思う。
でも、動かなきゃ何も変わらないしはじまらない。

わたしも11日は投票に行って来ます。
(時間があれば先に投票に行きたかったんだけど
 どうも(仕事の都合で)時間を作れ無そうです。涙。)

-------------------

ありがとう。
こんな、かたい内容の記事にレスをくれて。

争点はあちら側に決められるものじゃなくて、こちらで作るもの……
というのも、読んだような気がします。
さらにこんなふうに書くのは図々しいかもしれないけれど、私がここに書いたようなことも、どう投票するかという参考になれば、うれしいなと思っています。

-------------------

こんばんは。
投票、行って来ました。
もう誰が当選するかなんて分かってるんだけど
でも、大切な選挙権、ちゃーんと使って来ました。

わたしが住んでいるところは18:00までだったようで
家族は20:00までと思ってて行きそびれたそう><;
もー、だからわたしがいっしょに行こうって誘ったのに〜。

今頃は結果にはらはらしている頃かなぁ。。。
まめももさん。

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実は、テレビの選挙速報は見てませんでした。
子どもには「どこの局もそれ」っていうのは退屈だもんねー。
で、日記をアップしてたんですけど。それもあんな(−−;)。
(自分で言うか。)

結果的には、小さな視点で見れば
「心配したふうにはならなかった」
んだけど、市民運動体で仕事してます、って立場から行くと
「こりゃ今後が大変だ(−−;)」
とも言えなくもなく……うーん。


ちなみに、こちらだって、小選挙区は開票結果を見て
「やっぱり」
だったです(笑)。

いや、でも、やっぱり体には負担が大きかったんだなぁ、と
思いました。
なんでこんな時間にこれ書いてるかっていうと、体調の
変わり目がやってきて(苦笑)、ちょっとそれがきつかった
のでした。眠れなかった……疲れてるのに(T^T)。

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さらに追記(10/17)。
お茶会の時のこと……実は、今回の選挙で、あゆみさんに初めて、こういう訴えをしたんです。もちろん、これのアウトプット版を添えて、でしたけど。
正直言って「ああ、もうこれで「お付き合いはナシにする」って言われてもしょうがないなぁ」って思っていたんですが。
彼女が、こんなことを言っていたんです。

「ああやって、一度文章にしたものだと、読んでみようという気になるなあって思いました」

彼女はときどき、私がこんな仕事をしてるんだなぁ……って、思い出してくれるのだと話してくれました。
惚れた弱みだからしょうがないです(苦笑)。
でも、ありがとう。


2005年09月07日(水) ふたたび傷ついて。(部分転載)

私、ほんとはもっとのんびり生きたかったんだと思う。
こんなぎりぎりいっぱいのところで立っていて、それでも自分のこと好きだなんて言ってあげられない。
こんだけ「あんたどうせわかってないでしょ」ってとれてしまうようなこといっぱい言われて、それでも強くなろう、図太くなろうなんて言われても、無理だよ!
ねぇ、どれほどじたばたしたら超えられるんだろう……


しばらく、言葉を閉ざします。
でも心配しないで。きっと大丈夫だから。


2005年09月03日(土) 儚くて潔い

手紙を書くという作業は、儚くて潔い……と言っていた人が、いました。
だからなのかな。
活字ではなく、今、文字にして自分の気持ちをしたためてます。
さながら、出せない手紙のように。
(最初はそうじゃなかった気がするんだけどなぁ……気がついたら(^ ^;)。)

今は。
一度は高揚した気持ちが、潮が引くように静かになっています。
と同時に「とはいったものの」とか「でもやっぱり」という声が聞こえてきて、たたかっているところです。
いつもは、こういう声に支配されてしまって動けなくなる。ホントに、いつもそう。
でも。
勇気を、出して。歩き出さなくちゃ……

「あなたはできると思うから、いろいろ言うの」

そんな声が聞こえてきそうで。




出せない手紙を綴る作業は、今の自分の気持ちの揺れをそのまま確認する作業でもあるようです。
それは時に、胸がしめつけられるくらいせつないことでも、歩き続けようと思う。
今まで自分を蔑んで見えないふりしてしまった、あたたかい手がいくつもあったことを、思い返しながら。


せめて、潔い私になりたい。
なれるんだよ。きっと。本気で願えば。







----*----*----*----(ちなみにmixiでは、こんなことを呟いてました)----*----*----*----

新しいノートをおろして、自分の手で文字を書いて、20代前半の頃のように綴れ書き……のようなものを綴り始めました。
いえね、はじめは藤沢優月さんの本に倣って「リスト作り」をするつもりだったのに(それもやったけど)。気がついたら今までに事務局長さんにもらった言葉をノートに吐き出す作業になってました(^ ^;)ゞ 。
でも、冷静になってみると随分厳しいことも言われてるんだなぁ……っていうか、甘いことを言われたのはそれほど印象に残ってない……んじゃ、ないな。私が分岐点に立つときは大概このヒトに厳しいことを言われてる(苦笑)。

どっちにしたって、事務局長さんというのは私にとって「いずれ巣立たなくてはならない」拠なんだろうな、と思うのです。彼女の志を受け継ぐのか、別の道を選ぶのか。今はまだわかりません。


2005年09月02日(金) せめて今日くらいは。

単に私の物分かりが悪かったという、それだけのことかもしれない。
でも、それでもがっかりしなかった。
どうしちゃったんだろ。


せめて今日だけでいいから、このままの気持ちでいさせてください。













ありがとう。うれしかったの、ほんとに。


2005年09月01日(木) 夏が終わる、秋が始まる

誰かに見つけてもらったものではなく、もがいてもがいて、やっと見つけたものは、確かなんだと思うし、裏切らない。
こつこつがんばれること、投げ出さないことが私のたからもの、だったんじゃなかったのかな。
努力できることは誰にも負けない、たしかそうだったよね。
その最後の砦まで投げ出そうとしてた。気がついてよかった。


誰にどう思われても、今の私は穏やかな気持ちです。
ここにいてもいいよ。いいんだよ。
引っ込み思案な私も、人前で話すのが苦手な私も。
投げ出さない私でいれば、時間はかかるかもしれないけれどいつか超えられる。
きっと。
「笑える日(昨日の記事参照)」というのは多分、今のことではない。
でも、もう、思い出してめそめそしない。
今の気持ちは、きっと忘れない。沈み続けてしまった日々のことも。


期するものはいろいろある。
でも、言葉に置き換えるのは胸の内にとどめておくから。

エネルギーが大きく切り替わる、9月の始まり。





















あっさり戻ってきやがって、なんて、言わないでね(笑)。


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