にゃんことごはん
ごはん



 満開の桜の向こう 曇天の空を眺めて亡き仔を思う

最近、練ちゃんは私と一緒にうつらうつらするのがお気に入りのようで、深夜と言えばいいのか早朝と言えばいいのか、要するに午前3時ごろにやってきます。
そして布団に潜り込んで、満足そうに寝ています。

うっかり朝まで自分の寝床(猫炬燵)で寝ていて、添い寝する前に私が起床すると、とにかく廊下で鳴いて、私を寝室に誘います。
私も仕方なく、練ちゃんに導かれるままにまたベッドに戻ると、それはもう満足そうに布団に潜り込んで、うつらうつらしています。

しばらくそうしていると満足するのか、私が起きだしても文句も言わず、一緒に起きるか、そのまま寝ているか、なのですが。

我が家唯一の猫となった練ちゃんが、謳歌している我が家の春。
でも実際は、ほとんど寝ているわけです。歳なので、そんなものかもしれません。

心臓弁膜症と腎臓の機能低下(たぶん加齢による)と、時々起きる、尿路結晶。
フードにも薬にも食事にも気を遣うのですが、まあ、機嫌よくしてくれているので助かっています。投薬の苦労もほとんどありません、ぽややんとしているところにポイと口に放り込めば、飲み込んでくれるので(ニャンの投薬がほんとうに大変だったので、しみじみします)。

でもこれ、猫だったから、良かったですけれど、人間だったら、大変だっただろうなと思います。
うちは人間の子どもは一人だったので(猫はうようよいましたが)、そういう苦労はありませんでしたが、私自身は長女で、大事にされている一方、重責を感じていましたし、妹は妹で別の思いを抱いているようでした。まだ姉妹だったのと、妹の気質のお陰で、仲良くやっていますが、これが男兄弟だったら、どうだっただろうかと、時々思います。

変な話なのですが、なんか、大事に気を使って世話をした順に、亡くなって行ったような気がします。

我が家は、友人の紹介でニャンが来て、ニャンのお友達として、私が見染めたショーがきて、それが半年ほど続きました。
ある11月の夜、ご飯を食べた帰りに、風邪ひきの、あみちゃんを保護しました。本人は忘れているようですが、「このままじゃ、この仔死んじゃうよ」と半泣きで私に訴えたのは、リュウです。

保護できたのは死にそうに弱っていたからだと知ったのは、だいぶあとになってからのことですが、とにかく半野良のあみちゃんをなじませるのに、苦労しました。おかげで、にゃんちゃんもショーちゃんもストレスから血尿になったぐらいです。でも、それだけあって、あみちゃんは最後の最後まで家庭内野良でしたが、ニャンとショーにはなついていました。

そこから我が家には、一時預かりの保護猫が来たり、我が家の猫になった保護猫が来たりと、あわただしい月日が続いていたのだと思います。
そのすべてに采配をふるっていたのがニャンでした。で、ショーはお目付け役。
ちょっとしたいさかいが始まると、決して手を出さないのに、とにかくじっと睨みを利かせるのです。

一時預かりのまま我が家の猫になったジュリナとポッポ。
当時、扱いに気を使わなくてはならない環境にいたジュリとポチに、ずいぶんと神経を使い、その分、もしかしたら、健康な先住のニャンやショーには、神経が行き届いていなかったかもしれません。

その後、一時預かりだったキラちゃんが、やってきたり、あみちゃんが脱走したり、練ちゃんがやってきて。

その都度、ニャンちゃんとショーちゃんは、我が家の猫を仕切っていたのだと思います。

猫は犬と異なり、集団生活をしないというのが、通説です。でも、まったく単独生活をしているかというと、そうでもないように思います。雌猫同士が、互いの子どもを協力して育てたり、雄猫が雌猫の子育てを助けたり(乳を上げることはできませんが、雌猫の毛づくろいをしたり、ウロウロする仔猫を雌猫から離れないように世話したり、する猫はいるみたいです)。

最初に体調を崩したのはジュリで、そのときはかかりきりなりました。
みおくった翌年、体調を崩したのはポッポでした。
その後、あみっちが体調を崩しました。

私の経験不足もあったと思いますが、ジュリもポッぽもあみっちも、もういません。

それからしばらく落ち着いた日々でしたが、ソチオリンピックのときに最愛のショーちゃんが亡くなりました。
きらちゃんも、友人に託されたチャチャコも、そしてニャンちゃんも、亡くなりました。

練ちゃんが来たとき、我が家には先住の猫がいました。
新参者だった練ちゃんは、それでも甘えたで、先住の猫との間に割り込んで、甘えてきていました。

でも、来た当初から、脱走から戻った猫がいたり(あみっちのことです)、体調を崩した猫がいたり、当然、そのときは、そちらの猫が優先されます。

そしてここ5年ぐらい、常に病気だったり死にそうだったりする仔がいて、そちらを優先せざるを得ない状況でした。
亡くなった仔たちに十分な事ができたのだろうかと言う後悔は、付きまとっていますが、同時に、そのころ、一緒に暮らしていた猫にしわ寄せがいったのでは、とも思います。

そういう意味では、マイペースで我儘な練ちゃんにはあまり神経を使うことはなかったかもしれません。
ニャンちゃんやショーちゃんには、それなりストレスがないか気を使ったりもしましたが、練ちゃんはいつもと変わらず、だったのです。

いまとなっては、そんなふうに一番にはなれなかった練ちゃんが、いまは唯一の猫です。

人間が大好きで甘えたな練ちゃんを十分に構う余裕はないことのほうが、多かったと思います。可哀そうなことをしたとも思いますが、それ以外、どうしようもなかった、とも思います。
でもたぶん練ちゃんは、いま私に甘えてぬくぬくと眠り、ご飯を食べて、また眠る、そんな日々に満足しているように思います。

よくも自分をないがしろにしたなと恨むこともなく、甘える自分の手を振り払って、他の仔をかかえて出かけて行ったな、などと文句も言わず。
そんなことは憶えていないのだと思います。

いまぬくぬくと、心地よく生きている、そのことに満足しているように、思います。
それが凄いなぁと思います。

2019年03月29日(金)
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