にゃんことごはん
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 猫とは関係ない、男子を育てることについてのジレンマです

最近、悩ましいのだけど、どこにそのもやもやをぶつけていいかわからない、ということがあり、ここは訪れるひとも少ない日記なので、ちょっと吐き出すことにしました。

最後の最後で猫に関する話が出ますが、それまではあまり関係ない話です。

悩ましさの根幹にあるのは、男性と女性の性差についてです。微妙な話題です。性差について話し始めると、男性も女性もとてもヒステリックになります。
ちょうど猫好きと猫嫌いの論争のように。

たとえば、10か月も不自由な思いをして命の危険も伴う出産をするのをためらう女性のツィートが炎上したとか。曰く、子どもを産むのは女性の特権、それはとても素晴らしいこと、それを放棄するのか、みたいな話や、自分の母がそんなふうに思いながら自分を生んだとしたら悲しいとか。

実際、妊娠出産子育てを経てきた私は、思うのです。
得る物はものすごくたくさんあった、でも失ったものもものすごくたくさんあった、これは本音です(といって、後悔したことはないし、だがらと言って、すべての女性に「妊娠出産子育ては素敵よ〜」と推奨する気持ちにも、正直なりません)。

考えてみれば、妊娠出産子育てに限らず、何かに一途に打ち込んできたひとには、あてはまることだと思うのです。
たとえば、フィギュアスケーターの羽生選手。平昌五輪のあとのインタビューで金メダルをとるためにいろいろなものを捨ててきた(大意)と。

と言うと、妊娠出産子育てが金メダルに該当する偉業かよ、と言われそうです。

そう、問題はそこにあります。
もし、妊娠出産子育てが、金メダルに該当するような偉業として評価されるのだったら、きっと全女性が喜んで行うだろう、ということです。

当たり前のこと。だから、だれからも褒められないし称えられない。

今の世の中、評価社会です。子どものころから学校の評価、就職すれば会社の評価、そして社会の評価。
かっこいい男の子はもてて(評価が高い)、美人な女性はもてて(評価が高い)、なんて子どもの時からあります。

就職しても、仕事ができる男性は評価が高く、仕事のできる女性も(一応)評価は高い、サポート役の男性や女性もサポート役として評価はされる、のではないでしょうか。サポート役を評価しない会社は、だいたいダメになりますしね。
可愛い女性社員は仕事の内容云々ではなく男性からの評価が高いでしょうし、かっこいい男性社員は、余程の落ちこぼれでなければ女性からの評価が高いでしょう。

でも妊娠出産子育てになると、評価はされません、当たり前のことだから。
仕事を続けようとすると、周りに迷惑をかけるのは必須=評価が下がる、子育て関係なくとも専業主婦になったら社会的評価はないに等しく、夫がどれだけ自分を評価してくれるかが基準、ざっくりいうとそんな感じ。

でも実際、妊娠出産子育ては、女性という本能だけで、全うできることではありません。昔から、母親だけが担ってきたものではないと思うのです。
親族や地域社会の助けが昔からありました。現代でも、夫の支えがあったり(それは経済的だったり、物理的だったり、精神的だったり)、あるいは社会的な(保育園や幼稚園、学校といった)設備?機構?だったり。

そうやって、皆様のお世話になって育った子どもが、やがて社会人となり社会に貢献するのだ、と。だから、私は妊娠出産子育ては、私に授けられた子どもを社会に送り出すのが使命、と思っていました。

思うのです、子どもとは決して夫婦の専有物ではなく、社会的な存在なのだ、と。それを履き違えると、我が子を虐待して平気な顔ができるようになる、と。
親のものなのだから、何をしてもいいい、それは専制君主の考え方です。
権力が欲しい、己の好きにしていい世界が欲しい、という専制君主。
専制君主には、男性も女性もいます。家庭をもった男性が経済力を盾に専制君主になったり、家庭に入った女性が家庭を運営するという意味での専制君主になったりもします。権力志向は男性にも女性にもありますから。

でも、親を専制君主にしているのは、だれなのでしょう? これは、また別の問題なので、ここでは置いておきます。

ただ、絶対的に違うのは、男性は概ね、物理的な力において女性に勝るという事実です。

子どものころは女性の発育のほうが早かったりするので、割と男子が力負けしたりします。それ以前に、だいたい男子は女子に、口で勝てません。それが思春期を経て、たとえば体格が小さくても男子のほうが力が強くなる、という逆転がおきます。
(もちろん、すべての男性が女性より力が勝っている、というつもりはありません)

女子に勝てなかった男子、この辺で気づきます。いつもいつも集団で、口で攻撃してきた女子が、単体では自分より弱い存在だと(生々しい話ですが、女子には生理があり、そのときに常にない不調を覚える女子もいます)。
……それが、女性に対する思いやりに育てばいいのですが。

で。我が家の話です。保育園のころ、相撲大会で女子に負けて大泣きした息子です。顔はまあ、悪くはないので女子には嫌われはしないようでしたが、「女子怖い」の男子に、どうやって「女性を守ることの意味」を教えればいいのか。

うちには父親がいません。だから、父親のモデルケースがありません。
といって、私が弱い女子を演じていては、家庭に成り立ちません。
というか、要するに、そんなことを考えたりはするものの、生活するのに精一杯だったので、そのまま放置していました。

そして、数年前、ケガで入院したときに、息子が「あなたも人間だったんだね」と言いました。私はけっこう情けないところも見せてきたつもりだったのですが、息子にとっては私は母親と父親を兼ねるスーパーマンだったようです。
まあ、これはどの子どもも思うことですが、あるときふと「親のほうが、自分より弱い」を知るのです。ただ、我が家の場合、父親がいないので、ちょっと複雑だったようです。

で、さらに一昨年、最初の猫であるニャンが死んだとき。
正直、精神的にボロボロになりました。これは私も意外だったのですが、ニャンは息子を育てているうえでの戦友だったのだと、そのとき思いました。

私は娘を持ちませんでしたのでわかりませんが、息子の可愛さはほんとうに何とも言えないものでした。だからこそ、やばい、ここにはまるとマズイと思ったほどに。
特に、たとえ子どもでも、家の中に男子がいる、というのが、とても私にとって大きかったようです。

赤ちゃんの時、ほかのお嬢さんを抱いて、すごく頼りなく感じました。なんか、ふわふわしているのです。でも、息子はずっしりしていて、それがとても頼もしく思いました。ほかのお嬢さんやお坊ちゃんを抱いても、たとえばあまり丈夫ではないお坊ちゃんでも、ずっしりしていました。きっと骨格と筋肉の、おおもとが違うのでしょう。

そんな息子と、オス猫のニャン。

精神的にボロボロになった私に息子は衝撃をうけたようでした。
しばらくして「あれは、やっぱり、堪えるよね」と連絡がありました。
私を心配したようでした。
母親も万能なスーパーマンではないと、ようやく実感してくれたようでした。

男の子にとって、母親はスーパーマン。そんな幻想のまま、結婚すると女性にスーパーマンを求めるのかもしれません。
でも、母親もスーパーマンではないし、女性もスーパーマンではありません。

むしろ、男性の骨格とか筋肉とか、そこから生み出される力とか、それゆえの余裕とか、それがとても頼りになる、ということを、社会的な評価である経済力以上に大切なことだと(だから、男性に暴力を振るわれると女性は、対抗できないことを)、自覚してほしいなと思います。
それを教える教育が、今の世にはないように思います。

男子はけっこう、コンプレックスを抱えて育ちます。
(女子もそうかもしれませんが、抱えるコンプレックスが違うと思います)
なんで、乱暴と言われてしまうのか、なんで、粗野と言われてしまうのか。
女親からみたら、男子は乱暴で粗野で汚くて野放図です。
でも、それは女親の価値観なので、そこにほんとうは男親の価値観で修正してほしいのですが、たいていの男親は「男はそんなもんだ、ほっとけ」になります。
矢面に立つのは女親です。

女性よりも優れたものをもっているのに、それを犯罪に使ってしまう男性。
それを育てているのは、母親なのかと思うと、すごくすごくつらいです。

2019年02月12日(火)



 額づいて皿捧げ持ち仕えるは 日がな気まぐれ気まま白猫

練ちゃんです、まあ、甘えるは我儘だわ、なんなのこいつと毎日思います。

お気に入りのウェットフードも、一度は私が目の前にお皿を差し出すまで食べない、差し出しても自分の口元に届かないと食べない、したがって私はお皿を、座っている練ちゃんの口の高さに捧げ持って「はい、どうぞ」とやるわけです。
どこの王侯貴族かよ。エジプトのバチスト神かよ。

朝は朝で、一度は私の布団に潜り込んできて存分に撫でてもらわないと気が済まない、うっかり自分が布団に行く前に私がトイレにでも行こうものなら、とりあえず「こっちこっち」とばかりに鳴いて、私を布団に誘います。
そういうときはおおむね私がいつもより早起きした場合が多いので、再度、布団に逆戻り、しばらく練ちゃんとお布団にくるまります。

それはそれで、寒い冬の至福のひとときなので、いいのですが。
なんで布団の中でドヤ顔? 天下でもとったのか、布団の中は天下なのか、とツッコミたくなります。

私の歳を鑑みるに、新しい猫をお迎えするのは難しく、おそらく練ちゃんが最後の猫になるのでしょう。
せいぜい長生きしてくださいまし、と日々思います。

気付いたら、立春も過ぎていました。きっとあっという間に春が来てしまうのでしょう。

2019年02月07日(木)
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