| 2024年02月29日(木) |
r6.2.29レッスン |
初歩的な問題に気がついたのが昼休み。 先週のレッスンで、どうにもボールが上がらないことに気がつく。 ふと素振りをしていて気がつく。
「ボールの下からラケット出してますか俺?」
期待を胸にレッスンスタート 期待通りにスピンがかかる、当たり前だ。 先週までは、フェイスを正面に向けてからインパクトに向かうイメージでスピンがかかることを発見した俺。 そりゃそうだ、これは基本中の基本で、寝かせた面を起こしていく動態ではインパクトでフェイスは閉じ気味にぶつかっていくからである。 しかしこの動態に終始した結果、そもそも水平にラケットが動いていく状況に陥ってしまったと思われる。 これはゴルフでも同じで、インパクト後にいくら操作しようが限界がある。 あくまでもインパクト時にどういう風にボールにぶつかっていくかが一番影響を与えるのであり、多少の回転は加えることは可能なものの、回転をかけつつ弾道を上げるのは物理的に不可能なのである。 と、くそ難しい表現をしたが、要は、ぴょに最初にスピンを教わったときと基本、「まずはボールを最下点まで落とし、ラケットも同時に最下点まで落とし、そこから大きく上方に振っていくこと」が大前提である。 つまり、インパクトポイントからまずは上に振り上げるスイング軌道が第一義的で有り、そのための意識としては、ゆっくり振ったら中ロブと同じ軌道になること。これを前提としなければならないのだ。 よって深いストロークを打つためには、速いスイングスピードありきでは無く、遅いスピードで高い弾道のフラットを打つことが第一義的。 つまり、弾道の高さを30℃と仮定し、これでベースライン深くにフラットストロークが打てるとする。 インパクトから30℃の高さにボールを打ち上げるためにはラケットの軌道は同じ30℃が維持できるポイントからボールに向かっていかなければならない。 つまり水平に打ち込む場面を除いてラケット軌道は必ずボールの下から出てこなければならないのだ。 技術的には、上向きにフェイスを開いておくことで打ち出し角度を上げることは可能である。 しかしこの場合、ボールには上回転では無く下回転、つまりスライスになってしまうことが物理の法則である。 ところが開くフェイスの角度を仮に5℃とし、スイング軌道を同じように5℃保てればボールに加わる回転はほぼフラットになる。 つまり、5℃上向きにフェイスを開いても、10℃のアッパー軌道を維持できれば上向きの回転はかけられるのである。 今のテニスにおいて、上向きの軌道からわざわざアッパー軌道を作ることは考えられないが、良く見るのが手元だけで低いボールに対しわずかに上回転のかかった両手打ちバックハンドによるカウンターショットである。 これは両手打ちならではの技術であり、インパクト直後に後ろの手でスイング軌道を上げられるから出来る技である。しかも両手打ちの場合、前の手があるので前の手の手首を支点としてヘッドスピードも上げられる利点もあるので非常に有効な技術となる。 ただし、極端な使い方では、回転がかかりすぎる、スピードが出すぎるとリスキーなこともあり得る。 この技術は前述したように両手打ちの場合で、片手打ちの場合には当てはまらない。 技術的には初期のエドバーグがこういう打ち方でフォアハンドにスピンを加えていたが、吹けることが多いし、そもそもフォアの強打はしないプレーヤーだったことで多用はしていなかった。 しかし硬式を始めた頃の俺がはじめて買ったテニス雑誌でエドバーグのストローク・ボレー・サーブの連続写真が有り、真似した記憶が未だに鮮明である。 ちなみにエドバーグは、全盛期では、伏せたフェイスから手首のスナップを使って強いインパクトと、適切な回転量を身につけていたと感じている。 これでスピードとスピン量を実現させるには、前提として、薄いグリップでフラットストロークをベースとしているプレーヤーしか出来ず、厚めのグリップでこういう極端なスナップを使うと厚ければ厚いほどスイング軌道が高くなり薄いあたりになりやすいのが欠点。 サンプラスもバギーホイップと言われる技術を使いこなしていたが、あくまでも基本が厚い当たりのフラットストロークを基本としているからだ。 バギーホイップショットをベースにし続けて打つと、どんどんショットの威力は落ちていくこととなる。 楽に打てるが自分の基本はどこにあるのかは強く意識していることが重要である。 ということで、スピンストロークでスピードや威力を重視するよりも、弾道の高さと回転量で一定のペースを作る事を目的としている俺は、常に中ロブ軌道のスイング軌道以下を意識しておく必要がある。 これは、疲れていようがいまいが大事で、スピンプレーヤーが頑張らずにボールを飛ばすためには水平にスイングすれば良いのである。 結果回転量が増えボールは飛んでくれるが回転量とコントロールは低下していく。 プロのように毎日練習出来れば良いが、アマチュアはやはり回転量を一定以上維持でいればコントロールに直結し、自信も深まっていくと考える。
| 2024年02月03日(土) |
スピンボールの打ち方思い出したかも その3 |
バーンアウト後はその1に書いてあるとおり。 そして現在に至るのだが、正直フィジカル面が優れているときには簡単には負けない。 テニススクールのレッスンなので圧倒的にダブルス形式の練習が多いからである。 ゲーム形式になれば技術よりもテニス頭に大きな差が出る。 これについてははっきり言ってぴょスタイルの効果だ。 技術的に優れたコーチはたくさんいるが、まだぴょを超えると確信できるコーチはいない。 つまり俺が熟成されたレベルに近づけば、負けないはずである。 そう考えたとき、心の底から「ぴょスタイル」に回帰しようと思えたのだ。 自分で決めたからこそ揺るがない。 さらに試打顛末の副産物として、自分で打つことを自分自身が望んでいる、そう確信出来たのだ。
☆ 今度こそフォアスピン(笑)
忘却から脱しようと研究したのはフェデラー先生である。 先生のようにウィナーをとることが目的では無く、状況に応じた回転量のコントロールが理想的だからである。 よって、とにかく面を伏せてから起こす動作に注力した。 これでそこそこにスピンが打てた日は実在した。 しかし、スピンボールで明確なビジョンを持っていた。 格下相手と普通のラリーをする際には、ボールをサービスラインに落とすこと、これである。 理由は簡単で、サービスラインより深く打ってしまうとスピンボールは高く跳ね上がり格下のプレーヤーは上手に返球できないのである。 よって、サービスライン上に正確にスピンをコントロールすることで、高く跳ね上がったボールがちょうどベースライン上にいる格下プレーヤーが打ちやすい高さにコントロールすることが出来るのだ。 ちょっと元気なプレーヤーは打ち込んでくるが、実はそれも簡単では無い。 それだけでミスを誘えてしまうが、仮に良いショットが入ってくればこれは僥倖である。 俺のライジングの練習になるだけである。
上記の通り、サービスライン上に回転がかかったトップスピンを適切なスピードで打ち続けることが自分自身のリズムも運動連鎖も磨かれることとなる。
そしてそのための肝が、 「トップ完成から手首の力を抜いてベースライン方向に面を向けること」 である。 セミウエスタンぐらいのグリップで面を下に向けていても実は腕の内旋は大きく発生していない。 肘から先を効率よく最大限使うためには、可能な限り大きな内旋が必要で、これが出来ると体の回転が効率よく肘から先に伝わる。 これが分かったのが昨日のレッスンである。 そしてこれが出来るだけで、実に6〜7年振りに基本イメージであるサービスライン上に落ちる基本のトップスピンストロークが打てたのである。
ちなみになぜかバックハンドは打ててしまうことが多かった。 これはそもそも、シングルバックは一度ベースライン上に面を向ける動作が必須であることが要因だと思う。
今年は色々追い込んで行けそうである。
| 2024年02月02日(金) |
スピンボールの打ち方思い出したかも その2 |
完全に脱線したがいつものこと。 エンピツは「日記」なのだ。
☆ 心が定まったこと
これも一役かっているかもしれない。 スピンスタイル、いやぴょスタイルと言っておこう、この確率テニスはフィジカルが落ちてきた今こそ貴重なスタイルだと考えた。 フィジカルを仕上げても、視力の低下や絶対的な練習量の不足及び体力の低下は防げない。 それでもまだ動けていると思う。 フィジカルの底上げは不可欠だが、目標は試合に出て結果を出すことでは無い。 いつでも試合に出られるだけの状態を仕上げておきたいという個人的な願望である。 最近何かにつけて思い知ることが多いが、俺は決して人からどう見られたいか?等のモチュベーションは無い。 結果的には同じだが、俺がやりたいと思う事が出来れば、後はどう思われようが関係ないのである。 べしの兄貴のように自分自身への客観的評価はずれていない(笑)と思うので、ある程度出来てしまえば結果他の人からは正当な評価を受けるだけのことである。 忘れもしないが、ぴょスタイルが完成に近づいてきたとき、当時対外的評価の高かったこさ男さんとのダブルスを見ていたベテラン女子から「あなたの方がリードして良いプレーをしていたよ」と言われたとき嬉しかった。 実際に俺もそう感じていたし、結果負けた試合だったのだが、ぴょスタイルの効果も感じつつ、格下には負けないテニスは完成に近づいていると感じていたからだ。 相手も良いペアだったが、勝つためにはペアのこさ男さんとの話し合いが必要だなぁ、と感じていた。
ほぼ同時期に、わかとB級戦線を戦っていたはずだが、ここでも明確な実績を出していた。 残念ながらこちらも準優勝で幕を閉じたが、明確にB級を卒業しても良いだろう、という確信があった。 翌年からは、A級戦線を共に戦うペアとして180を選び、恐らく2年目から予選負けしなくなり、準優勝2回、ベスト4、8を経験し、ダブルスランキング4位で終えた。 都市対抗候補として選ばれ練習にも呼ばれたが既にバーンアウトしていた。 負けないテニスで結果を残したが同時に仕事もプライベートも大きな変化を迎えていたことも重なった。
| 2024年02月01日(木) |
スピンボールの打ち方思い出したかも |
試打顛末の副産物ですね。
☆ フォアハンドトップスピン
バックスイング完成時点からフェイスをベースライン上に一度向ける意識が必要です。 書いていて自分でもポカーンとするのだが、今までどうやってスピンを打とうともがいていたのか書き出してみれば分かりやすい。 スピンを完全に忘れた原因は、フラット系強打を中心にプレースタイルを再構成したことが原因。 この際にグリップは変えていない。 よって、バックスイング完成時からそのまま前に打ちに行っていたのだ。 そもそもスピンストロークに変えたのはぴょに勝つ可能性を模索していたからだが、目標がいなくなり、ゴルフの楽しさに出会ってしまった結果、我慢のテニスに嫌気が差したからだ。 当然、都市対抗戦線からは離脱することとなったが、格下に対する勝率が下がるとも思えなかったしこれでよしとしていた。 しかし、地元を離れ、病を患い、異常な体調不良の原因を克服した後1年のブランクを経験することとなった。 久しぶりのテニススクールは、仲間には恵まれていたと感じたが、コーチの考え方や躾がされていない元気な若手の存在、そしてコロナ渦により再びセミリタイヤに追い込まれることになる。 その後人生最大の挑戦、転職を経てようやく2023年夏に本格復帰することとなった。
戦いは想像通り長く、90分のレッスンを乗り切れるだけの体力及びフィジカルが無かった。 大怪我はゴルフさえも出来なくなる可能性があり無理は出来なかった。 慎重に慎重を重ね2024年を迎え今に至る。
|