フォーリアの日記
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2008年02月29日(金) 最近のミニコンポ事情と親切な店員

久しぶりに暖かくなりました。

今日は仕事でした。
遅くなるので病院には寄れないとおばあちゃんに言ってあります。

朝着くといきなり、院内に環境音楽を流しているミニコンポの電源プラグの根元が断線したかもしれないので
後でプラグを買ってきて電源コードをちょん切って取り替えてもらいたいと言われました。
???
見てみると、ディスプレイにはエラー番号が表示されエラーになっています。
プラグを抜いて入れなおすと、パイオニアのロゴが出た後またすぐにエラーになります。
これだと断線ではないような気がするので、
他のメガネ型差込口にはめる電源コードを持ってきてつなげてみました。
それでもやっぱり同じようにエラーになります。
断線ではありませんよ。

取り扱い説明書を取りだしてエラー番号を見ると、スピーカーコードが接触してショートしているから保護回路が働いているというエラーです。
スピーカーコードを見ると1本断線しています。
ミニコンポ付属のスピーカーではなく、天井埋め込みのスピーカーを使っているので、
コードが4本束ねられて下へきているのですが、中が1本の針金になっている安っぽいコードです。
これでは音質もよくないでしょうし折れやすい。
でも、これを取り替えるにのは天井裏の工事が必要になるので素人には無理ですから、このまま使うしかありません。
束ねてあるので長さが揃わないと取り付けられないので、4本長さを揃えて被覆をむいて取り付けなおしました。
それでもエラーになっています。

先生は修理するよりすぐに買うことを選びました。
私はお昼休みに出たついでに、近くのヤマダ電機に買いに行きました。

最近のミニコンポ事情は知らなかったのですが、今時CDチェンジャーはほとんどないんですね。
曲は内部メモリーや外部メモリー(SDカードやUSB経由のストレージなど)に溜め込んでどんどん再生させるようです。
ボタンひとつでCDからメモリーへのエンコードと記録をやってのけるそうです。
最初にCDからどんどん溜めこむ作業が必要にはなりますが。

MDがなくて内部メモリーのあるVICTORのものか、MDがついてメモリーとしてSDカードが必要なKENWOODのものか迷ったのですが、
MD再生の機会もあるそうなので、一応MDもついたものを・・ということで
結局KENWOODの手ごろな値段のものに落ち着きました。

さて、VICTORのものは実はスピーカーと本体が別の箱に梱包されていて、
スピーカーはどうせ使わないので別の日に引き取ってもいいと言ってくれましたが、
KENWOODのものはひとつの大きな箱に入っていて、送ると佐川急便で1400いくらかかるといいます。
箱は10kgぐらいあるというし、持って帰ったらまた腰を痛めそうです。
台車を貸してくれたらもって帰ってすぐ台車を返しに来ると言うと、
「貸さないことはないけれど、また持ってくるのが大変でしょう・・・」
「いや、大丈夫です。すぐに持ってきますよ。」(帰りは軽いんだし)
キムラヤだったときは近隣には店員が配送するサービスしていたのですが・・と
と、キムラヤ時代からいた店員がうんと迷った末に、
「それだったらいっしょについていって運びましょう」と
若い店員が台車で運んできてくれることになりました。
いいんでしょうか。なんと親切な。

運んでくれた店員は、中まで持ってくると、「設置していきましょうか」というのでお願いしてしまいました。
いいんでしょうか。ありがとうございます。


2008年02月28日(木) 病院はしご

今日も寒い晴天です。

高血圧の診察を先月から予約していたので、
午後から病院へ行ってきました。

血圧が高いためかもしれないが、クレアチニンの数値が多少高いそうです。
(ニワトリが先か卵が先かみたいな話)
それから、血圧を上げるホルモンの数値が少し高く、
この数値が高くなるのは副腎(だったか?)に腫瘍ができているためのこともあるので、
一度CTの検査をしましょうということで、CTの予約を取ってきました。
本態性高血圧ではないかもしれないとのことです。

その病院から電車に乗って今度はおばあちゃんの病院へ。
おばあちゃんの様子は普通でした。
私が遅く行ったので、看護婦さんにお茶を買ってきてもらったそうです。
長く居なかったのでトイレの様子とかはわかりません。
寝たり起きたりはだんだん早くなってきています。


2008年02月27日(水) アカペラ・おばあちゃん、2週間と4日

きょうはまた強い北風が吹いています。

今日はコーラスへ行ってきました。
先日から伴奏なしの曲をピアノで補ってもらって歌っていたのですが、
皆が伴奏なしで歌ってみたいといって、歌ってみました。
意外といけるかも。
アルトが危ないと思ったけれど、部分的に補う程度でいけそう。
最後に本当にピアノなしでピアニストが今日人数が少なかったアルトに応援に入って歌ったものを、
帰りに電車の中で聞いていたら、結構きれい。
いや、電車の騒音の中なので、何割引というところですが。

帰ってから介護保険被保険者証がまだ来ないので区役所に確認の電話。
確か手続きした時に、後で郵送すると言ってたと思うけど自信がないのです。
確認すると、すぐ送るとの事。
手続きし忘れていたら行かなくてはならないかと思ったけれど、電話で済んでよかった。

おばあちゃんは昨日より落ち着いている様子。
トイレへ行くのもトイレの中の動作が少しはうまくなっている模様。
あとはトイレまで車椅子で楽々行けるようになって
ドアの開け閉めできたらかなりいいのだけど。

今日レントゲン撮ったそうで、3月3日から右足(痛めた方)をついていいと
お墨付きをもらったそうです。
1本杖での歩行練習が始まるようです。まずはよかった。


2008年02月26日(火) おばあちゃん、2週間と3日目

今日は雨が降りそうだったけれど、なんとかもったので
病院には自転車で行きました。

病院にいくとお姉さんが来ていました。
髪を洗ったり足を洗ったりしてくれたそうです。
たまたま、先生が回診に来て、3月3日から右足(怪我した方)をついてもいいということです。
1本杖で歩く練習を始めるそうです。


2008年02月25日(月) おばあちゃん、手術から2週間と2日目

今日も北風は吹いていますが昨日ほど強くはありません。

病院に行く前に洗濯物を取り込んだら寒かったので
車で行こうかとも思いましたが、
途中で出したい郵便物があったので、やっぱり自転車で行くことにしました。
今日は自転車で進むのがつらいほどの風でもありません。

おばあちゃんは、ちょうど車椅子でトイレに行ったところでした。
まだ看護婦さんの付き添いつきでした。
あんまり自分で練習していないようなのでうまくなりません。

同室の人が一人替わりました。
重症そうなおばあちゃんがナースステーションの前へ移って、
土曜日退院の元気そうな人が来ました。

自転車で家へ帰りましたが、宵闇の自転車は危ないです。
無灯火でむやみに飛ばす人たくさんいます。
無灯火のバイクまでいました。ひどい。

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夫が明日急に上海出張になりました。
急にと言っても行きそうだという話はあったのですが。
帰ってきて一晩で用意して海外出張なんて神業的です。


2008年02月24日(日) おばあちゃん手術後2週間と1日

午前中に息子から電話が掛かってきて、おばあちゃんのお見舞いに行こうと思うので、
昼ごろこちらに来ると言う話でしたが、
その頃から埼京線が川越線乗り入れを止めているし、もういろいろ電車が止まっています。
昼すぎになっても常磐線も武蔵野線も動いていないようなので、
無理して来ても帰れなくなるだけなので、今日はとりやめです。

午後はアイロンをかけたりビリーをやったりしてから病院にいきました。
病院に行く前に、前から探していたおばあちゃんの頭にかぶせる薄いヘアキャップを買いに行きました。
http://store.shopping.yahoo.co.jp/soukai/4901601973594.html

病院というところでは髪はあまり洗えないし、
本人が自由に歩けないので髪を整えるのもなかなかできないのに、寝ていることが多くて寝癖がつくので
おばあちゃんの髪が立っていて、ちょっと髪をとかしたぐらいでは直らなかったのです。
隣のベッドのおばあちゃんがいつもヘアキャップをしていたので聞いたら
セイムスというドラッグストアで買ったと言います。
しかし、昨日あちこちのセイムスやマツモトキヨシでも探してみたけれどありません。
病院にいったときに隣のおばあちゃんにどこのセイムスか聞いてみました。
このおばあちゃんの自宅に近いセイムスだということがわかり、今日行って見ました。

そこのセイムスは規模といい品物の並べ方といい、ほとんどうちの近くのセイムスにそっくりです。
しかし他のセイムスにはヘアバンドとかシャワーキャップとかヘアネットとかしかなかったようなコーナーに
探していたようなヘアキャップがあったのです。
なぜここにだけ?・・よっぽど他のセイムスとは売れ筋が違うのでしょうか。

病院について、おばあちゃんにかぶってもらうと、ふんわり頭を覆って形はなかなかいいのです。
ちょっと模様の赤が光りすぎておばあちゃんには派手に感じましたが、
裏返すとあまり光らず適当な赤い模様に見えるので、裏返して使うとよさそうです。
(透ける生地なので裏でもあまりかまわないと思います。)

今日は日曜日でリハビリもないので、おばあちゃんはかなり退屈していたようです。
隣のベッドのおばあちゃんはもう松葉杖の練習をしているのですが、
廊下でいっしょに車椅子の練習をしようと誘ったそうですが、まだ自信がないと行かなかったそうです。

日曜日にはあまり看護師さんも来てくれないと言って、自力でトイレへ行ったとか。
自力といっても誰かが手伝ってくれたのかもしれません。
夕食前や夕食後に夫や私が付き添ってトイレへ行く練習をしましたが、
車椅子をこいで進むことはできますが、まだ車椅子が自由に操れると言うほどではないので
ドアを開けるのも一苦労、中で車椅子を転回するのも一苦労で、もう少し練習が必要です。
手の届く位置、ドアを開けるのに適した位置に車椅子を持っていくのにいろいろ工夫が必要なのです。
自分の体より前後左右が大きいものを操るのですから、
転回の時にどうしたらひっかからないかというのも体感で覚えないと難しいのでは?

おばあちゃんが横になるのを見届けてから出てきました。
帰りにスーパーに寄って簡単な夕食材料を買って帰ってきました。


2008年02月23日(土) 春一番・おばあちゃんトイレへ行く

今日は昼ごろまでは暖かでした。

昼食を食べて、ビリーをやった後(3時ごろ?)でかけました。

まず、先週作ったおばあちゃんのメガネ(予備用)ができているはずなので取りに行きました。
メガネ屋さんの契約駐車場に車を入れて外へ出るとひどい風です。
出来上がったメガネを受け取って、近くのマツモトキヨシへ行こうとするとすごい風です。
道路に新聞紙が舞い飛び、目にゴミが飛び込みます。
これは春一番ですね。

雨が家を出るとき雨がポツっと降ったようでしたが、
西浦和へ向かう頃にはかなり降ってきました。
しかしダイエーで買い物してついでにいくつかドラッグストアに寄って出てくる頃には止んでいました。

病院は暖かいのでしばらくいても外の気候の変化はわかりません。
もう電線がゆれ車もあおられるほどの風ではないように見えましたが、
外から来た人は風が強いと言っています。
同室の方の家族の方が
電車で病院へ来ようと駅まで行ったら武蔵野線が止まっていたので、一旦家に帰って車で来たと言っています。
(武蔵野線は強風が吹くと真っ先に止まる路線です。)

おばあちゃんは一日見ないとずいぶん進歩していて
おとといは起き上がるのにずいぶん苦労していましたが、
もう少しスムーズに起きられるようになっていました。
自由にならない足を自由な左足で補助して持ち上げるなんていう小技も覚えたようです。

昨日見に行かなかったのは心配でしたが、タイミングよく昨日お姉さんが来ていたようで
髪を洗ってくれたそうです。
寝癖が直らず立っていた髪の毛がふわっとして、ツヤツヤしていました。
今日は爪切りを持っていったので、夫がつめを切ってあげていました。

車椅子でトイレいけるようになったので、昼間は看護師さんの補助でトイレに行くそうです。
これは本人も大変喜んでいました。
トイレに行きたい時は看護師さんを呼べば、車椅子を持ってきてくれて車椅子用トイレまで連れて行ってくれます。
自力で車椅子に乗り移るのも初めて見たのですが、うまくなっていました。

外へ出ると、昼間とは打って変わって冷たい北風が吹いて寒くなっていました。
空は晴れ渡り皓々と月が出ています。
あっという間に冬に逆戻りになってしまいました。


2008年02月22日(金) チェーンメール

またまた暖かい日でした。
朝方洗濯物を干した時にははまだ寒いと思いましたが、昼間は暖かかった。

今日は仕事でした。
遅くなるので病院には行かないとおばあちゃんに言ってあるので大丈夫なはずです。

いつもは忙しくてなかなかお昼休みも取れない先生が、
今日は患者さんが少なかったとのことで、いっしょに食べに出て先生にお昼をご馳走になりました。

夕方帰ろうとしていた時、嘱託の歯科衛生士さんに「Rh(-)でB型の人を知らない?」と聞かれました。
コーラスのメンバーにRh(-)でB型の人がいるので、知っていると言うと
昼に知り合いからメールが来たと言うのです。

入院しているどなたかの息子さんが白血病で16日から昭和医大病院に入院しているのですが
Rh(-)B型の血液が足りず、手術できないので待機中だというのです。
最寄の献血センターで献血すれば使えるかどうか検査後まわしてもらえるので、
できるだけたくさんの人に知らせて協力してほしいという話です。
コーラスの友人は昭和医大病院に自転車でいけるところに住んでいますが、これって怪しくないですか?

白血病の手術?骨髄移植って手術なの?Rh(-)B型?白血球の型は?といろいろひっかかったけれど、
それを言うほど医学的知識はありません。
でも何かチェーンメールくさいのですが。
「チェーンメールかもしれませんよ。」というと
信頼できるお友達から来たメールだし、と信じられない様子。

もちろん、チェーンメールの中には初めは本当にあって善意から始まったものもあるようですが
チェーンメール化して延々と続いてしまえば何月の16日のことだかもわからないし。

メールを見せてもらったら、子供の名前も書いていないし、
メールを送ったご友人が、知人の看護師から(メールが)来たと書いているけれど
その看護師のお子さんでもないみたいだし、やっぱりこれはチェーンメールですよ。

ご友人のお父さんがお医者さんだし、メールは看護師から来ているし・・と
まだ信じられない様子でしたが、友人に入院している子供の名前を確認してみるということで
万一本当だったらまた連絡することもあるかもしれないと言うことで納得してもらいました。

家へ帰ってから見るとこれですよ。間違いなくチェーンメールです。
http://www.asahi.com/national/update/0222/TKY200802220139.html
http://www.showa-u.ac.jp/hospital/hatanodai/SUH/notice_20080221.html
http://www.jrc.or.jp/info/1350.html

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おばあちゃんの様子を見に病院へ行かなかったら、それはそれで気になります。
夕食が終っていてもちょっと覗いてきてもよかったかな?などと思ってしまいます。
でも、内蔵の病気でもなく怪我なので、本人の自立心が回復に大いに関わるので
たまには行かない日があるくらいの方がいいのかもしれません。


2008年02月21日(木) 住所変更書類・保険証など・おばあちゃんの様子・目撃者に連絡

今日も昨日に増して暖かくなっています。
暖かい日が増えてくると、春も近いと思えます。

さて、今日は朝からいろいろ書類を書いていました。
おばあちゃんの国民健康保険は一応今まで入っていたのだから
新住所地でも難しい審査は経ないで受け付けてくれましたが
平成18年の所得を書く書類があって、それを返送しなければなりません。
夫の健康保険の扶養家族になれないことを証明するためだそうです。
18年度ではなく、18年1月から12月ということなので、
18年度の支給額通知のはがきを見てもちょっと違うので、
通帳を見て振り込み金額を合計して書き出しました。

その他年金や恩給の受給者の住所変更は地元の区役所で手続きが済むのではなく、
直接社会保険庁や総務省に送らなくてはなりません。
社会保険事務所に問い合わせたら、住所変更用のはがきを郵送してくれるそうです。
恩給の方は住所変更用のPDFフォームがWEBにあったので、
それを印刷して記入して、宛先を調べて封筒に入れて送りました。

午後はビリーをやって少し休憩してから病院にいきました。
事務窓口が開いているうちに行って、健康保険証と老人医療証の変更を届け出なくてはなりません。
健康保険証の本物は郵送でまだ到着しないので、
さいたま市発行の手続き中用の証明書です。

病室に行っておばあちゃんに手続きしたことを話すと、
おばあちゃんの妹にあたる叔母に電話してくれと言います。
長野(須坂)の家を時々見に行ってくれている叔母が
4月から制度が変わり新しい保険証が来るというのでチェックしてくれるはずだったそうで
こちらに送られるなら向こうで郵送されてくるのを待たなくていいからです。

*4月から老人医療制度が変わるので国民健康保険と老人医療受給者証が統合された
新しい保険証が送られてくるはずなのです。
http://www.city.saitama.jp/www/contents/1198545467327/files/P4-P5.pdf

今日は早めに行ったので、もし夕食時ひとりにしても大丈夫なら
早く帰ってこようかと思ったのですが、
どうみても1人では心細そうにしていたので、夕食までいることにしました。

今日はベッドの手すりが変な位置にあっても、うまいこと工夫して座っていました。
1人で起き上がったり寝たりはなんとかできますが、まだかなり苦労はしています。
お尻の位置や足を出す位置に寄っては失敗してやり直すこともあります。
やり直すと疲れるみたいですが、ここは頑張ってもらうところだと手は出しません。
「もう少し後ろへ行ったほうがいいみたい。」などと助言はします。

食事の前に友人がお見舞いにと送ってくれた笹かまぼこの小さいのをひとつ持っていたので
それを半分食べました。(残りの半分は私が食べた)

病院の食事は最近はほとんど全部食べているようです。
なぜか主食と汁物2分の1ですが。
主食は2分の1でいいけれど、汁物が少ないのはなんだかかわいそうです。
高血圧食だからでしょうか。

明日は仕事が遅くなるので来られないと言ったら、いいよと言っていましたが、
まだ、自分でできないことを看護婦さんに頼むのを遠慮してしまうようなので
入れ歯も洗ってもらわないでいるかもしれません。
まあ、一日ぐらい入れ歯を洗わなくてもいいか。
ペットボトルのお茶や、空きボトルに水をいれたものを届くところに何本も置いてきたし
それを自分であけて飲むことはできるようなので、
口をゆすぐことぐらいはできるでしょう。

さて、帰ってから夕食の前にもう一仕事です。
先日おばあちゃんが転んだ時に知らせてくれた中学生2人が見つかったので
その中学生たちの家に電話をかけて、会う手はずを整えなくてはなりません。
1件はお母さんが事の次第を承知のようでしたが、もう一件はあまり通じていないようで話に苦労しました。
3年生だったようで、月末に公立高校入試を控えているので
話をするのはそのあとがいいようで、
塾に行っていた子供たちが帰ってきてから都合を聞いてもらって3月2日と決めました。


2008年02月20日(水) 冷房車・転入手続き・自転車で病院へ

今日は昨日より更に暖かくなりました。
裏の梅畑(だったところ)の梅も咲き始めました。

午前中コーラスへ行きました。
外を歩いている時や電車を待っている時には寒いと感じなかったのに
埼京線に乗ってしばらくしたら何だか寒くなってきました。
寒気がする?風邪でもひいたかしら?
風邪など引いている場合ではないのに。

まもなく、電車に冷房が入っていることに気づきました。
京浜東北線のようにつり革を持つ手に直接か風が吹き付けるような構造はしていませんが、
上から吹いてくる冷気が立っている人をだんだん冷やします。
いくら暖かい日だといっても、気温を考えれば冷房するとはあんまりです。
手が手首から冷たくなってきています。
座っていると冷気から遠いので駅へつくたびに前の人が立たないかしらと願っていました。
乗り換えてもまだ体が温まらず縮まっていましたが、
目的地について外へ出ると、暖かい日差しにだんだん体があたたまりました。

コーラスから帰ってから区役所へ行って転入手続きをしてきました。
転入届だけでもずいぶん待たされて、
国民保険や老人保健、介護保険とあちこちの窓口を回り
ずいぶん時間がかかりました。

区役所へ自転車で行ったし、一旦家に帰るには遅くなったので
そのまま自転車で病院まで行きました。
娘に裏道を聞いていたので、車が少ない路地を行ったら意外に便利でした。

病院に着くともう夕食がきていて、おばあちゃんは自分で起き上がったそうです。
隣の元気なおばあちゃんが、甘やかさないで1人でやらせないとだめよ、と言っていました。
ところで、隣のおばあちゃんのお嫁さんはうちの近くの生協の店に勤めているそうです。

食べ終わってからもそのままベッド脇に座っていて、
このままでいいというのでベッドに寝るのを手伝わないで帰ってきました。
自力で横になれる自信がついてきたようです。

帰りは路地の道順がわかったので行きよりスイスイ帰ってきました。
ビリーができない日もライトをつけた自転車をこげば適当に負荷が掛かっていいかと思ったけれど、
12、3分で着いてしまい、あまりに早いので運動量が足りないかもしれません。


2008年02月19日(火) 転出届・おばあちゃん10日目

今日は比較的暖かかったのだと思います。
思いますというのは、寒いところへ行ったのでそれなりに寒かったからです。

おばあちゃんの住民票を写すために長野新幹線に乗って朝から出かけました。
新幹線で長野までは早いのですが、その後の長野電鉄が遅いです。
いまいち本数もないし。
駅から降りて市役所まで徒歩。

転出の手続きそのものはスムーズにできたのに、
最後に水道は止めないのに市の水道局営業課へ回され、
領収書の送付先変更だけなのに、待たされていろいろ書かされた末
「どうすればいいのかわからなくなった」と窓口の年配の女性に言われ、
窓口の人に呼ばれて奥から出てきた若い男性が、
送付先の新住所を書いたのでそれでいいと・・・。

寒さに備えて厚着していったので寒くはありませんでしたが、
歩道に雪でもあったら困ると履いていった運動靴がかかとが磨り減っていて
つるつるの床で大きくかかとを踏み出すとすべるのです。
帰りの乗り換えの大宮駅の階段でかなりすべって、転ばなかったけれどびっくりしました。
どうもその時左足を踏ん張ったのか(滑ったのは右足)、左足の膝がいたい。

さて、帰ってから病院へ行きました。
今日は午後ずっとお姉さんが来ていて、足を洗ってあげたそうです。
こんなにきれいになったよ、とおばあちゃんが足を出して見せてくれました。

今日は、おばあちゃんは水分をあまりとらなかったので尿も少なく
微熱が出てしまったので、午後のリハビリは休んだようです。
まだ自力でトイレに行けないので遠慮して水分をあまり取らなかったようです。
たくさん水分を取るようにと、お姉さんが500mlのペットボトルを2本買っておいてきました。


2008年02月18日(月) マダムのオフ会・おばあちゃん手術後9日目

今日はいいお天気で、電車の中から富士山がくっきり見えました。

久しぶりにマダムのオフ会でした。
私はおととしの秋(かな?)以来です。
池袋西武の上でランチバイキング90分限定のあと
カラオケ店へ行ってフリードリンク飲んで歌わずにしゃべっていました。
楽しかった、また会いましょう。

家へ帰ってから病院にいきました。
病院ではちょうどリハビリの先生がおばあちゃんをベッドに連れてきてくれたところでした。

リハビリは午前中だったそうですが、お昼を車椅子に乗って奥の部屋の大きなテーブルで食べ、
そのまま起きているようにと言われて、ナースステーションに連れて行かれてしまったそうです。

座っているのが疲れるだけでなく、看護師さんがたくさん目の前を行き来するのを見ているのも疲れたそうで、
早く部屋に戻りたかったそうですが、ナースステーションの中は狭くて車椅子で出てこられなかったそうです。
もう車椅子をこいで動けるので、テーブルのある部屋からなら戻れたらしいのですが、
わざと戻れないところに入れられたのだから、まあ無理です。

ちょうど私が行った時にベッドに戻されて、「ああ疲れた」と一息ついていました。
もしかしたら、疲れてそのまま眠ってしまうのかと思いましたが
少し目をつぶって静かにしていたものの眠り込んだ風でもなく、
そのうちTVをつけたり話をしたりしているうちにお茶が来て
そのまま夕食まで起きていました。

夕食は起き上がってベッド脇に腰掛けて食べました。
夕食後は身づくろい後また寝かせてから私は帰ってきました。


2008年02月17日(日) おばあちゃん手術後8日目

今日はまた北風が吹いて寒い日となりました。

朝は夫はプールへ行ったので私はその間にビリーをやったり洗濯をしたりアイロンをかけたりしていました。
昼食後にお掃除をしてから、夕方灯油を買いつつ病院へ行きました。

おばあちゃんはベッドの手すりと自由になるほうの足とでなんとか自力で
ベッド脇に腰掛けられるようになってきています。
ただし、ついてはいけない方の足をうっかりついては困るので監視つきなら・・の条件です。
手すりの位置が悪いと足を出す場所がないので自力では座れません。
ベッドの上で勝手に手すりの位置を変えるというのはまだ無理です。

今日はベッド脇に座って、食事用のテーブルを持ってきてもらって夕食を食べたので
食事の姿勢はかなり楽で、食事を食べるのも早かったように思います。

血栓防止用のストッキングがきつくて痛いと言っていましたが、
時々下げることはできますが、もう少し足が自由に動くようになって血流がよくなり
許可が出るまで勝手に脱いでいることはできません。

それでも日に日によくなっているのでよかった。


2008年02月16日(土) おばあちゃんのメガネ修理と予備注文

昨日は風もなく暖かかったけれど、今日は北風が吹いて寒いです。

午前中、夫がネガフィルムのスキャンに挑戦していろいろやっていました。
昔のフィルムには端の切れた写真など、あまり見ていない写真もあり、
見覚えのあるものでも、そもそもL版印画紙サイズでしか見ていなかったものを
PCのモニター画面いっぱいで見るとイメージが違い、周りの風景までよみがえります。

午後は病院にいきました。珍しく娘も含め、3人で行きました。
病院に着くと、夫の弟夫婦が来ていました。

着いて早々ですが今日予備のメガネを買いに行くことにしていたので
おばあちゃんのメガネを見せてもらいました。
本人が行かないとフレームは合わせられませんが、
レンズの度や瞳孔間距離はメガネを持っていって測ってもらうことができるので
応急用を作るためにちょっと借りていこうと思っていました。

なぜ、応急用の予備のめがねが必要になったかというと、
普段おばあちゃんはかなり度の強い近視用メガネをかけているのですが、
昨日メガネのレンズが落ちて、見えなくて何もかも手探りで困ったそうです。
たまたまお医者さんの知り合い(?)が応急的にくっつけてくれたそうなのですが、
昨日見た時にはどこをつけたかわからず、異常がないように見えました。

ところが今日手にとって見ると、レンズを留めるネジのところがゆるんでいます。
いや、よく見るとネジがゆるんでいるのではなく、ネジが折れて外れているのです。
アロンアルファのようなものでネジで止める部分を貼り付けてあったのがはがれたのです。
幸いまだ枠の弾力でレンズは落ちていませんでしたが、
これは急いでネジだけでも変えてもらわないと困ります。
夫の弟夫婦を残し、私たちは浦和のメガネ屋へ向かいました。

メガネ屋では現物のメガネを調べてもらって、枠を選び、
レンズの種類を決めている間に、現物の修理をしてもらいました。
折れているネジを抜いて新しいネジに変えなくてはならないので、
単にネジを落としたりなくしたりするより手間なのですが、
おばあちゃんのメガネの度が強くて屈折率などを考えレンズ選びに手間取ったので
それほど待たずに修理完了しました。
これで安心して使えます。
予備のめがねのほうはレンズの度の強さが特注レベルなので
できるのは来週になるのだそうです。

病院に戻ったら夫の弟夫婦はもう帰っていました。
夕食を食べるのを待って、私たちは病院を出ました。

3人揃ってきたので、近くの不二家レストランで食事してしまいました。

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帰ってからビリーをやりました。3巻の3回目です。(昨日やらなかったので)


2008年02月15日(金) おばあちゃん手術から6日目

今日は天気がよくて比較的暖かです。

今日は仕事に行ってちょっと早退して直接病院にいきました。
お姉さんが来ると言っていたのでそんなに長居しなくていいと思いあわてずに行きました。

おばあちゃんは今日も普通で、もう大丈夫そうでした。
あとはリハビリが徐々に進んで日に日に自分で動けるようになるのを待てばいいようです。
お姉さんがちょっと何もできない人扱いするので心配でした。

電車で家へ戻ると駅でちょうど夫に会ったので夕食を外で食べていきました。
娘の分は家にある焼きうどんです。


2008年02月14日(木) 美容院へ行った・おばあちゃん手術から5日目

朝は風がなくて、昨日ほど北風が強くないかと思ったのですが、
昼間はかなり強く吹いていました。

久しぶりに美容院へ行ってきました。
1月くらいから長さも半端だし、白髪も目立ってきたので行きたかったのですが、
おばあちゃんの風邪などもあって後回しになっていました。

スタイリストにお任せで切ってもらったら、
後ろの髪の少し長いところがかろうじて前から見えるのでひどく短くは感じませんが
そうでなければショートくらいになりました。
坊やみたいになっていますが、バランスがいいので結構気に入っています。

ただ、シャンプーなどをしてくれたアシスタント(?)の人が結構乱暴な人で
毛だらけのケープを取る時にバサッと取るので、
服や袖口が毛だらけになってしまいました。
シャンプーもあまりにごしごしやるので、痛い・・まではいかないけれど
歯を食いしばってしまいました。

午後は病院へ行きました。
今日はおばあちゃんはおかしなところはなく、まったく普通でした。
夫の弟からもらった小型ラジオの操作が初めてなのでいろいろやってみて覚えようとしていました。
そのうち慣れてきて自分で収納式のイヤホンを引っ張り出して聞けるようになりました。
手帳にエンピツ、小銭など持ってきてほしいものも頼まれました。

午前中にリハビリに行って車椅子をこいだそうです。
今日は部屋から車椅子に乗って行ったそうです。
ほぼ同時にリハビリ室へ行った隣のおばあちゃんの話では結構上手に動き回っていたそうです。

病室のベッドに寝ているだけではまったく把握できなかった病院の構造も
リハビリ室へ行き来するようになって、少しわかってきたようです。
自分の部屋が建物の端の2階で、真下は入り口のそばだということや、
1階の突き当たりにリハビリ室があることなど話していました。

食事の時に遠くの食器を前へ寄せたりする手つきも今は安定していて、
問題なく1人で食べられるようです。

明日私は仕事を早退して病院へ行くつもりでしたが
早退と言っても都内から戻ると時間がかかるのであまり早く着けないと思っていましたが、
そういう様子ならもし夕食に間に合わなくても大丈夫そうです。

明日はまたお姉さんが来るそうだし、本人は来なくていいよといってくれていますが、
多少遅くても荷物を届けるつもりで寄ってみようかと思います。

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関係ないのですが、昨日の朝どうも顔を洗う時しみると思ったら、
頬に引っかき傷のようなものがあります。
たいした傷ではないので何日かすれば治るでしょうが
どこでどうしたかまったく覚えがないのに、けっこう目立ちます。

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ところで、全国各自治体恒例、年度末の工事ラッシュ始まっていますか?
あちこち道路工事ありすぎ。


2008年02月13日(水) おばあちゃん手術後4日目

今日は猛烈な冬型で、強い北風が吹いて大変寒い一日でした。
この冬一番の寒さではないでしょうか。
朝は道路の水溜りはすべて凍っていました。

病院の面会時間が午後なので、午前中にコーラスへ行って来ました。
お化粧してパンプスを履いて電車に乗って出かけたのはずいぶん久しぶりな気がします。
おばあちゃんが骨折したのが先週の木曜日ですから
一週間前にはこうして出かけていたのですが。

午後、一旦家に帰って用意をしてから病院にいきました。
病院に着くとお姉さん(夫の姉)が来ていました。
日帰りの予定で長野から出てきて、1時半ぐらいに着いたそうです。

隣のベッドの人によると、おばあちゃんは昨夜は静かに眠ったそうです。
午前中は部屋から検査などに行ったそうで、
特に縛られたりナースステーションに連れて行かれたりしていなかったようです。
朝もお昼も、食事は1人で食べられたようです。

ただ、お姉さんが来た時には「どなたですか」と言ったそうで、
昼食後少しうとうとしたら夢の中になっていたのかもしれません。
私が着いた時には昨日よりずいぶんまともでした。
これなら大丈夫と思えるくらいでした。

その後リハビリに行ったそうで、お姉さんも行って車椅子への移動など手伝ったそうです。
(お姉さんは整形外科に長くいた看護婦です。)
車椅子に乗って自分で進んだり、トイレに移ったりする練習をしたそうです。
つかまり立ちで片足ケンケンもしてみたそうです。

行った時は、担当の整形外科の先生やリハビリの先生の名前を
お姉さんが復唱させていました。
お姉さんのマシンガントークに圧倒されながらしばらくそこで過ごしました。

昨日は食事を運んできた方がするするとベッドを起こしても平気で、
そのまま普通に座る姿勢でご飯を食べられたのですが、
今日はお姉さんが遠慮して少し角度をゆるく起こして背中に枕を当てたので
姿勢はかえってちょっと苦しそうでしたが、
本人が昨日よりしっかりしているので、
少々姿勢が不自由でも自力でご飯を食べるのには困らないようで
ほとんど問題なく食べました。

食事を片付けてから横になって、ラジオを操作してみていました。
ラジオは自分のものがイヤホン端子が不調でイヤホンで聞けないので、
夫の弟が来たときに使っていたものをもらったのです。
お姉さんが操作を教えたら聞くことができたようですが、
すぐ置いて眠くなってしまったようです。

この辺で私たちは帰ってきました。
お姉さんは長野まで帰ります。
お姉さんを武蔵浦和まで送るのがいいかどうしようかと思いましたが、
割と道路が混む時間で電車の方が早そうだし、夜の運転は自信がないしで、
電車で行ってもらいました。


2008年02月12日(火) おばあちゃん手術後3日目

今日は雨です。

午後病院へ行くと、着いたとたん隣の元気なおばあちゃんが
うちのおばあちゃんが昨日の夜騒いだことを話してくれました。

昨日の夕食時から夕食後の様子はどうもおかしかったので
危ないとは思っていたのです。
大声を出したり動き回ってベッドから降りようとしたそうです。

元気な人が寝ぼけて歩き回るなら多少放っておいてもいいかもしれませんが、
まだ片方の足に体重をかけてはいけないので、勝手にベッドから降りると困るのです。
動けないように一時縛られていたようです。

午前中は1階のリハビリ室へ行ってリハビリをしてきたようです。
車椅子に移動する訓練のような話でした。

リハビリへいったきり昼食にも帰ってこないので
同室の人たちは、どうしたのかなと思っていたそうです。

実はリハビリ後、手押し用の車椅子に乗せられて、
そのままナースステーションに座らされていたようです。
ナースステーションの前の病室に空きがないので、
見張りが必要な座れる患者はそこに座らせて見ているようです。
昼食は突き当たりのテーブルのある部屋(本人談)で食べたそうです。

私が行くと手を振って、看護婦さんに車椅子を押されて病室に連れてきてもらいました。
病室に戻ったばかりはまだ状況が把握できていないようでしたが、
話すうちに多少まともになってきました。

夢か現かわからなかったようですが、やくざのようなものに追われている夢を見たそうです。
助けを呼んでも誰も来なくて必死で逃げようとしたとか。
夜中に「おとうさん、助けて」と叫んで激しく動いてベッドから降りようとしたという隣のおばあちゃんの話と符合します。

まだ何か夢のようなものが見えるのか、時々わからない話もしていましたが、
話すうちに目が覚めたのか、それもだんだん減ってきて少しずつまともになってきました。
一日座っていたせいか体もかなりしっかりして、背中を起こすのも苦しそうではありません。
さすがにずっと車椅子では疲れたのか、そのうち休みたいと言うので
看護婦さんを呼んでベッドに寝かしてもらいました。

夕食の時にはベッドの頭をほぼ垂直に立てても平気で、しっかり座っていましたので、
食事用のテーブルにも届きやすく、昨日のように食べる手順も混乱せず、
遠いものは少し背をベッドから離して取ることもでき、かなり安心してみていられました。
お椀を持つ手がまだ震えるので、長く持っていると味噌汁をこぼしそうで心配で
私はいつでも助けられるように構えていましたが、なんとか無事味噌汁も全部飲みました。
ご飯は多いので半分ですが、他のおかずはほとんど食べ、久しぶりにちゃんと食べたところを見ました。
これで、昨日より落ち着いて眠れるかもしれません。

身体能力は日に日によくなっている感じはします。


2008年02月11日(月) おばあちゃん手術後2日目

今日もよい天気で比較的暖かです。

入院翌朝や手術日には午前中から行っても何も言われませんでしたが
昨日、昼前に病院に行ったら面会時間に来るようにと言われたので、
やっぱり午後からの方がいいかと、今日は午後から行きました。
夫が1時から床屋へ行ったので、戻ってきてから車で行きました。

2時半ごろ行くと、食事の時結構大変だったようで
隣のベッドの元気なおばあちゃんが朝食昼食の様子を話してくれました。

朝食はメガネをかけていなかったのと、姿勢が自由にならないことに慣れず、
うまく食器なども持てずに味噌汁をひっくり返したとのこと。
隣のベッドのおばあちゃんがナースコールをしてくれて、
昨日パーキンソン病で入院したという部屋で唯一歩ける斜め向かいのベッドの方が
めがねを取ってくれたそうです。
昼食もベッドをあまり起こせなかったのでテーブルが遠く
食べ物を取るのに苦労してほとんど食べられなかったようだとのこと。
看護婦さんが少し食べさせてくれたようです。

そんなわけで、今日は夕食の時にいて欲しいということで
夕食を食べ終わるまで病院にいました。

リハビリは祝日もやるのかどうかわからないと言っていましたが、
そのうち今日は車椅子に乗せてみるといって来てくれました。
しかし、ベッドを起こし座らせてみると血圧が下がってしまい、
今日はマッサージと足を動かす運動だけになってしまいました。
普段から自分でも足先などを動かしているように言われていました。

おばあちゃんは横になっていると眠っていることが多く、
そのために血圧が下がっているのかもしれません。

リハビリ後、姪っ子が来たので、私たちは病院から徒歩圏のスーパーへ買い物に行きました。
夕食までには戻ってきました。

夕食の時にはベッドを徐々に起こしたらかなり起こすことができ、
座る姿勢までいったので、自分で食べ物に届きました。
おばあちゃんは普段箸を持つのは右ですが、本来左利きなので、
スプーンは左で持たないとうまく使えません。
でも姿勢が不自由なので勝手が違い、混乱して右手でいろいろやろうとしたり、
なかなかまだ危なっかしいことがあります。

夕食後しばらく起き上がった姿勢でうとうとしたり喋ったりしていましたが
そのうち、「あのカレンダーのところへいく」とか言い出しました。
ちょっと夢の世界へ入ってしまったようなのですが、そのあとがすごいというかりっぱというか。
起きると言い出して、かなり力を振り絞って少しずつベッドサイドへ座る姿勢に移動して行ったのです。
とうとう頑張ってベッドサイドへ自力で座ることができました。
(昨日は自力ではなく起こしてもらったのです。)
しばらくそのまま話をして、看護婦さんが回ってきたりしてそろそろ寝た方がいいかと思った頃、
「帰らなくちゃ」と立ちたがりました。
病衣の裾から足がでているのを見て「ズボンをはかなくちゃ。」とも言っています。
「まだ体重をかけたらいけないので立てないんだよ。お医者さんの許可がでるまでだめなんだよ。」
「ここは病院だから、ここで寝ていいんだよ。」
など、いろいろ言ってちょっとは納得したかどうか。

怪我していると思うと急に動くのを怖がってしまうのに、
怪我していることを忘れてしまうと力がでるものでしょうか。
向かいのおばあちゃんは今日は落ち着いていて、会話もまともですが、
最初の日には帰ろうとして自力でベッドから降りようとして落ちたそうです。
うちのおばあちゃんはまだ入院生活に慣れていないし、夢の世界はそのうち落ち着くと思います。

明日も夕食時に病院にいるようにしたほうがいいようなので、
そのころ病院にいこうと思っています。


2008年02月10日(日) ベッドサイドに座る

今朝はよく晴れていますが、昨日の雪がまだ残っていました。
道路はほぼ解けていましたが、日陰の路地には残っていました。
マンションでは、日曜日なのに朝管理人さんが来て雪かきをしてくれていました。

昼前ごろ夫と夫の姉と3人で病院へ向かいました。
病院へ顔を出してから近所の不二家レストランへ昼食を食べに出ました。
またもどると、1時半ごろからリハビリが始まると言うので
それを確認してから帰ることにしました。
予定は遅れたらしく、2時半ごろ来ました。

リハビリと言ってもまだそんなに動くわけではありませんが、
もう車椅子に乗せてみるのだと言っています。
実際には少し熱があったので起き上がらして、ベッドサイドに座らすところまででした。

意外としっかり座れたので、今日の様子次第で今日帰るか明日帰るかと言っていた夫の姉は
今日長野へ帰ることにしました。(どちらでもいいように荷物を持ってきていました。)
リハビリ後は私たちは先に帰りました。

疲れがたまっていたので、その後一眠りしました。
夕食後になってから、お掃除しました。


2008年02月09日(土) 夫の母手術

夫の母の手術が無事終了しました。
2時間ぐらいといわれたけれど、1時間40分ぐらいで終了しました。

ただし、通常何もなければ人工骨頭に取り替える手術の場合は翌日にも立てるのですが、
予想外に土台になるほうの骨に縦割れがあったので
それがくっつき始めるまで3週間ぐらい力をかけられないそうです。

それまでは、リハビリも車椅子から徐々に練習して歩行器で片足ケンケンができるようになど
予定が変わるので、当初の入院期間2週間という予定も変わって、
入院期間は1ヶ月ぐらいの見込みになるそうです。

人工骨頭の表面には骨となじむようなコーティングがしてあって、
2週間ぐらいでその表面と骨がくっつき始めるのだそうです。
セメントは使わずにすめば使わない方がいいそうで、この手術では使わなかったそうです。

この手術に合わせて夫の弟夫婦も午後から雪の予報の中
昨日の夜スタッドレスに履き替えて車で小田原から出てきています。
夫の姉の娘も来て、待機家族は総勢6人になりました。

手術中、家族は待機室で待っていました。
そこは背もたれのある椅子もあり、奥にはベッドがありました。
流しにポットが用意されてお茶とコーヒーが飲めて、トイレも付属していて、
病院のちょっとした個室並みのいい部屋でした。

1時からという話でしたが、12時30分から開始され、
早めに終りました。
その間何か連絡がある場合のため待機室には誰かいるようにしてほしいと言われたので
交代でお昼を食べに出ました。

手術が早めに終ったので、後からお昼を食べに出た夫の弟夫婦と夫の姉親子が戻ってくる前に
執刀医の先生が来て説明をしてくれました。

リハビリは本人の意欲次第という面があるので、どういう経過になるか予想できませんが
実はまだ長野の方に住民票があるので、こちらに移さないとこちらで介護保険なども受けられません。
なんとか入院中にでも住民票を移しに行ってこないといけないと思っています。


2008年02月08日(金) 手術決定

今日はいいお天気です。

金曜日は仕事に行く日ですが、休みました。
これからのことはわかりませんが、
用意するものや明日の手術のこともあるので少なくとも今日は無理だと思って
昨日のうちに連絡しておきました。

朝からお姉さん(夫の姉)を車に乗せて病院へ行きました。
受付で昨日できなかった入院手続きを済ませ、病室に行きました。

おばあちゃんは今日は心臓のCTの検査があるので、朝食を食べていません。
まもなく、検査のためにおばあちゃんはストレッチャーに乗せられていきました。
お姉さんが入院に必要なものを売店で買ってきたりしたあと
待っている間廊下の椅子に座っていたら、
もう歩行訓練をしている隣のベッドの元気なおばあさんも廊下の椅子にすわって
いろいろ話しかけてくれました。
うちのおばあちゃんと同じ84歳で、やはり大腿骨頚部骨折だそうです。
その方は金属を3本入れてつないであるそうで、3週間目にはいって
歩行器で歩く訓練はしていますが、まだ骨折した方の足をついてはいけないそうです。
うちのおばあちゃんは人工骨頭に取り替えるので、過程はずいぶん違うようです。

おばあちゃんが検査から戻ってきてから、取り置きしてあった朝食が出て
そのあとしばらくしてから、私だけ家に戻りました。

お昼を食べて休んでいると、お姉さんから電話があって
担当の先生から説明があるがあるので聞きたい人は皆来るようにとのことです。
すぐにまた車で病院まで行きました。

先生の説明によると
さっき先生から説明を受けました。
大腿骨頚部骨折 StageIV(完全に折れてずれている状態)
人工骨頭に取り替える手術をします。
手術は明日(9日)午後1時から
リハビリは連休明け(12日?)から(予定)
入院期間は標準で2週間ぐらい。
だそうです。

手術については内容とそれに伴うリスクも詳しく話していただきましたが
特に個人的に特殊なことではありません。
また、骨折そのものによる出血と手術による出血を合わせて
700-800mlぐらいの出血が見込まれるが、基本的には輸血はしない予定だそうです。

明日はまた雪になりそうですが、夫の弟も車で小田原から出てくるので
手術前(12時ごろ)皆で病院へ行く予定です。


2008年02月07日(木) おばあちゃん、大腿骨頚部骨折

午前中は平和でした。
夫がたのんでいたiPod用ACアダプターが届いたという連絡があったので
買いに行ってきて、マタイ受難曲の振込みをして、
駅前で靴下や手袋を買ってかえってきました。

昼は普通に食べました。

午後、私がビリーを始めて少ししたころ、おばあちゃんが散歩に出かけました。
そのあと2度迷惑電話があり、その後にピンポーンとなったので3度目にDVDを止めました。
インターホンに出ると、中学生が「おばあちゃんが転んで歩けなくなっている」と知らせてくれました。
下へ降りてみると、マンションの出口近くで、おばあちゃんが転んだまま立てません。
助け起こそうとしても、痛がって動けません。

駐車場の出口では危ないので、なんとか少し動かして端のブロックへ座ってもらいました。
自転車で通りかかった小学生を迎えに行くお母さんが手伝ってくれました。

家から足に車輪のついた椅子を持ってきて、その通りがかりの人に手伝ってもらって
なんとか持ち上げながら動かして座らせて、家から娘も呼んできて(たまたまいてよかった)
椅子を転がしてエレベーターで家へ上がりました。

トイレへ行きたいというのですが、転がした椅子は大きくて入らないので
別の椅子をトイレの便座まで並べて徐々におしりを滑らせて移動して
なんとか用を足しました。

同様にまた椅子に戻り、温めた部屋に戻り、医者に見てもらわないと仕方がないので
ちかくの整形外科に電話してみましたが、
来院しないとどうしようもないと言うので119に電話して救急車を呼びました。

タオルなどで患部は冷やし体は毛布などで温めて待つように言われて用意をしている間に
救急車はすぐに来ました。(はしご車まで来て大げさでした。)
救急隊は手分けしておばあちゃんを手際よく搬送用の椅子(?)に移し、
その間に私に必要事項をいろいろ質問していました。
救急隊が連絡を取って空きを確認して、三愛病院という病院にいくことになりました。
私が救急隊員からいろいろ聞かれている間に、夫に電話で連絡するよう娘に頼みました。
私も救急車に同乗して病院にいきました。

病院でレントゲンなどを撮っている間かなり待たされ、
その後の救急隊がかえってから、病院の先生から話があり、
大腿骨頚部骨折で、手術が必要と言うことでした。
ちょうど整形外科の先生が手術中で、他の先生に話を聞いたのですが、
整形外科の先生がレントゲンは確認したそうです。

夫は急いでかえってきて、おばあちゃんが病室に移ってからしばらくして
病院に到着しました。
入院書類を書きながら状況を話したりして、一旦夕食のため家へ戻りました。
夕食はかんたんに食べられるものを買ってきました。

書類を書いて、その書類や入院に必要なものを持って病院へ行きました。
そのあと、一旦帰ってお風呂に入りました。
その頃、お姉さんが到着するので夫が駅まで車で迎えに行きました。

明日検査で、9日に手術だと言うことです。


2008年02月06日(水) ルネ・フレミングを見ていたら

朝からまた雪が降り始めました。
小降りなので、積もりそうではありません。

今日はコーラスでした。

高崎線が人身事故で止まっていたせいかどうかわかりませんが、
いつもはそこそこの混雑ですむ朝遅めの埼京線がやたら混んでいました。
一番人が少なそうな車両に乗っているのに真ん中までギュウギュウでした。

コーラスの練習はぼちぼち新しい曲に入るつもりが入っていません。
それでも徐々にできてきた曲もあります。

昨日YouTubeでルネ・フレミングがモーツァルトのアレルヤを歌っていたのをたまたま見たのですが、
細かい音符を動かす時の声の出し方(体の使い方)が、見ていたらわかるように感じました。
そんな感じで今日歌ってみると「私にもできる!」
細かい動きがらくらくできそうで、ちょっと開眼した感じです。
もちろん、「たまたまできた」→「何度かやり直すとできる」→「気をつければできる」→「いつでもできる」
ぐらいの段階があるので、練習しなければできると言えるようにはなりませんが。


2008年02月05日(火) 旧浦和市街へ・ビリーズブートキャンプ2巻

今日はいいお天気でしたが、昨日より寒かったような。

バッハコレギウムジャパンのマタイ受難曲の空いている座席を実際に見て決めたいと、埼玉会館まで行ってきました。
埼玉会館は旧浦和市街地にあって家からはバス1本では行けないので微妙な位置ですが、
自転車なら20分ぐらいでいけます。
坂があるので元気が出ないときにはちょっと覚悟が必要です。

昨日は道が凍っていて危なくて自転車で出かける気にはなりませんでしたが
今日はわざと日陰へ行かない限り乾いています。

埼玉会館まで行って座席を見せてもらうと、もうバラ(1人ずつ)でもいい席はなく、
結局、昨日電話で頼んだ席が一番いいくらいでしたので、そのまま予約を解約せずに帰って来ました。

帰りに市役所近くの交差点の角にある和菓子屋でお団子を買いました。

その足でケーズデンキへ寄り、昨日のiPod電源アダプターを返品できるか聞いてみました。
幸いにも返品でき、新たにFireWire(IEEE1394)接続タイプの物を注文して来ました。
カセットコンロなどもたくさん売っているなあと思いながら、ついでに珍しく家電など眺めて、
かえってきたら昼をすぎていました。

昼食後一休みしてから、ビリーズブートキャンプ2巻目に突入しました。
1巻目を3回やって、ついていけると言えるほどではないのですがだいたい動きも覚えてきたので
そろそろ気分転換に2巻をやってみてもいいかな、と思ったのです。

2巻は「応用編」なのですが、なんとなく1巻の1回目よりついていけます。
1巻は、だんだん回を重ねるごとについていける度合いが増しているので
2巻も、1巻の3回目ぐらいのペースでついていこうとしてしまいます。

上体起こしのような動きの大きな腹筋運動はあまりついていけないので
そういうところはかなり飛ばしていますが
1つの動作は大きくなくても続けると効いてくる運動はある程度ついていけるので
(ビリーバンドを使っていないので負荷が小さいせいもあります)
結構頑張ってついていこうとしてしまいました。

しかし、終ったあとの疲れが1巻とかなり違い、さすがに疲れたと思いました。
やはり2巻の方がきつい運動になっているようです。
しかし、ついそれまでのペースで頑張ってしまえるくらいの差というところが微妙です。

さてもう何回か2巻をやりますが、続けると少しは楽になるでしょうか。


2008年02月04日(月) いろいろ用事未完了

昨日の雪も夜には止み、今日はいいお天気になりました。
風もないので日向は暖かです。
南側の雪の解けていたところは昼間のうちに乾きましたが、
北側は朝は凍っていて、午後になってもかなり濡れていました。

今日はおばあちゃんが病院へ行ったのですが、
いつも診てもらっている先生が雪の影響で渋滞に巻き込まれて到着せず、
1時間ぐらい待っても着かないので、薬だけもらってきました。

夫がiPod充電用のACアダプターを買うように頼まれていたのですが、
買ったUSB接続のアダプターでは夫の第三世代iPodは充電できないことがわかりました。
だめもとで明日返品or交換に行ってみます。

3月20日のマタイ受難曲のチケットも予約したのですが(支払いまだ)
夫が席が気に入らないというので変えてもらえないか聞いてみます。


2008年02月03日(日) 雪・Cittavino歌劇団の公演

昨日の夜から降り始めた雪は今日も一日降っていました。
午前中このあたりでは、北風の吹き通る道ではシャーベット上の雪が降り積もっていましたが、
風の当たらない東西の道の雪は溶けていました。

今日は文京区民参加オペラCittadino歌劇団の公演へ行ってきました。
会場の文京シビックホールは夫の勤め先の近くなので、
夫がシビックホールで券を買ってきたのです。

夫が私に勤務先のオフィスを見せて、そのあと樋口一葉の旧宅を見てから行くというので、早めに出ました。

後楽園駅からシビックホール内へ直接行くなら濡れずにいけるのですが、
樋口一葉旧宅へ行くのに少し雪の中を歩きました。
人が歩くようなところは新しい雪が少ししゃぶしゃぶする程度で
積もっていると言うほどではなく放っておいても消えそうな程度ですが、
古い住宅の間の細い路地はきれいに雪かきされていました。
しかし傘から落ちた雪の塊がくるぶし丈のブーツの口から中に入って足が濡れてしまいました。
ホールで席についてから足を乾かすために靴を脱いでいました。(見えないからいいか)
コートもあり傘もあるこういう日は席に着くのはなかなか大変です。

さてこの公演、区民の合唱にプロのソリストでやるのだと思っていましたが
プログラムを見ると「アンダースタディ」という欄があり、
今日のソリストのほかにキャストが書いてあります。
文京区の区民講座の一環らしいので、区民のソリストもあるのかなと思ったけれど、よくわかりません。
途中でキャストが変わるようなこともなかったので、ダブルキャストのような意味ではなかったようです。

演目は先日ビデオ(映画版)を見た「カヴァレリア・スルティカーナ」と「道化師」
それぞれが短いので、この2つのオペラあわせても休憩を挟んで3時間で終わってしまいます。

まず最初に、全体的なことを言うと、なかなかいい公演でした。
ソリストもそれぞれよかったし、オケもうまいです。
日本人でもこれだけ正統派でいいソロを歌え演じることが人たちがいるのに、
なぜお正月にTVに出てくる人たちは変な人ばっかりなのかよくわかりません。

もちろん、細かいことを言うとアラはあります。
合唱は素人なので特に男声は声質的につらいものがあったし、一時はリズムも乱れてどうしようかと思いました。
ハープ代わりの電子鍵盤楽器はアルペジオが機械的で早めに行ってしまうのでオケの雰囲気に合いません。
出だしの低音にはもっと溜めが必要です。
しかしもともと区民参加の公演だと思っているし、それらが全体をぶち壊すようなこともなく進んたので
特にそれがマイナス要因というほどのことはありません。

客層は不思議な感じです。
区民の家族で普段音楽に関わらない人ばかりという風でもないし(そういう人もいたみたいです)
普通のクラシックコンサートともちょっと違う感じです。
やっぱりオペラファンが多いのかもしれません。
終った途端に真っ先にかかった声がブラボーならぬ「Bravi」でした。
女性にBrava、複数形でBraviとは「通」がいるようです。

カヴァレリア・ルスティカーナのほうは進行もわかりやすく、
ソリストの歌も皆うまくて、かなり入り込んで聞けました。
強いて言えば、トゥリッドーの母親ルチアは歌も少ないのに
大変な話を聞いて心乱れているのを歌っていない時に同表現するかが難しいのだろうと思いました。

道化師の方もソリストはかなり皆うまいのです。
カニオ役の東小野修さん、一見舛添厚生労働大臣みたいに見えるのですが、
カニオとして出てくると手振りも本当に外国の旅一座の座長のようで日本人のようではありません。
ネッダもプログラムの顔写真はやたら日本人顔ですが、
舞台では(化粧もあるでしょうが)大変軽やかで魅力的に見えました。(もうちょっと声がでたらよかったのですが)

終ったのは5時でした。2時からの公演なのでちょうど3時間です。


2008年02月02日(土) 明日の準備・フィルム整理

今日も寒いです。天気は崩れるようで曇っています。

午前中夫がプールに行っている間、ビリーをやりました。
おとといと同じ1巻です。
昨日一日いなかったのでやっていないのですが、おとといよりできたと思います。

午後は明日出かけるので明日の夕食の用意でビーフシチューを作りました。
その他アイロン掛けたり、明日何もやらなくてもいいようにいろいろ準備しました。

夫が古い写真を探していたようなので、探したついでに私も
古いフィルムをすこし整理しました。
一応ほぼ印画した写真の分はあったのですが、ひとつだけフィルムが見つからないものがあって気になります。
また機会があったら整理してみたいと思っています。
将来的には透過原稿スキャンしてデジタルデータとして取り込んでしまいたいと思っています。


2008年02月01日(金) カヴァレリア&パリアッチの最初(DVD)・コッソットのコンサート(TV)

今日も天気がよくて寒いです。

今日は仕事でした。
夕方、PCを閉じて帰ろうとしたところで、
写真を撮ったからプリントするように言われました。
実は撮った写真はさっさと取り込んでいたのですが、
プリントするには水平を取って水平垂直のラインを引いて・・などと加工が必要で、
急ぎの写真ではないと見たのでプリントせずに帰ろうとしたところでした。
すぐに必要なら仕方がない。
またPCを開いて、何枚も加工してからプリントしてかえってきたので遅くなりました。

夜、先日見たDVDのカバレリア・ルスティカーナとパリアッチの最初の方を見直しました。
はじめてみたときにはストーリーも知らない上にどの出演者が何の役だかわからずに見ていたので
どういう場面かさっぱりわかっていなかったのですが、
今見るとカバレリア・ルスティカーナの一番最初に浮気の場面があったことがわかりました。
パリアッチの方も、はじめの口上や、観客に11時から始まると案内してから酒場へ行くまでのやりとりに、
後の展開を知っていればかなり意味ある話が出てきていることがわかりました。

見終わってNHKを入れるとコッソットのコンサートをやっていたので
途中から見ました。
コッソットはへたな日本人歌手の中では光りますが、もう70歳を越えているので、
リサイタルとなると、息が続かないし語尾がかすれるなども多少はあります。
それでもあの魂を込めた歌い方で熱演されると引き込まれて、最後まで見ました。
伴奏のオケは合わせ方が下手で、歌手に合わせてゆっくりになるところ、
歌手がゆっくりになってもとっとと行くところをつかんでいません。
妙に半端にゆっくりになって、テンポ感のない演奏になっていました。

その後のもう1人のメゾ、グレース・バンブリーはかなりタイプが違います。
端正に歌っていますが、そういう歌なら別に年寄りの歌を聞かなくても・・と
失礼ながら思ってしまい、最後まで聞きませんでした。


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