フォーリアの日記
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2005年12月31日(土) Leaving from Mumbai シンガポールへ

I left from my husband's residence early in the morning and went to Munbai airport.
This day seemed to be very short because of time lug.
I'm almost in the plane.
Arriving at Singapore, count down party was being held at hotel Lobby.

ムンバイを経って飛行機はシンガポールへ。
来る時のエアサハラとシンガポール航空は大違いです。
シンガポール航空のエコノミーならそんなに狭く感じませんし、サービスもいい。
飛行機の中では映画を見たり寝ていたりしましたが、時差のせいで大変短い一日でした。

シンガポールでは夜7時ごろ着いたにも関わらす、トランジットホテルではなく
一旦入国してコンラッドホテルに泊まりました。
前に一家でシンガポールへ行った時に泊まったのと同じホテルです。
ホテル前のビルのテナントは当時はまだ入っていなかったり工事中で閑散としていましたが、
今はたくさんの店が入ってにぎやかになっています。
回転寿司や天ぷら屋もあります。インド料理店もあります。(さすがにもういい)
大晦日なので華やかにライトアップされています。

ホテルの中に入ると、ロビーに宴会場が臨時で作られていて
カウントダウンパーティーが催されています。

一旦部屋に落ち着いてからすぐに夕食を食べに出ました。
近くのショッピングセンターはインドとは別世界の都会の賑わいでした。
人がたくさん出ていて、ミニスカートの女の子もたくさん歩いています。
ちょっと足りなかったものをコンビニで買ってから食事に行きました。

夕食を食べたのは前に何度も行った周辺の屋台から何かを買って真中のテーブルで食べる形式の店。
(日本のスーパーなどによくあるような感じ)
そこの韓国料理コーナーの石焼ビビンバがおいしそうに見えてしまったのです。
注文したら、閉店前の最後の1品だったようです。

シンガポールのTVでは日本のNHKも映るので紅白をやっていましたが
あまり見ないお風呂に入って寝ました。


2005年12月30日(金) ムンバイ4日目

夫はまだ仕事が残っていて朝からオフィスへ。
もう荷物も残っていないので、ついていっても暇なのですが、私もオフィスへ。

昼頃中心地のサンドイッチ屋でパンと水を買ってエレファンタ島へ向かいました。
ムンバイの港にはイギリス統治時代に領事が来たときに迎えたというゲートオブインディアのあたりから
フェリーが出て、湾内の島まで1時間ぐらいでつきます。

島には石窟寺院があり、世界遺産なのですが
遠浅の島で、干潮時にはかなり陸が離れてしまうので
船はその入り口よりかなり遠くに着き、桟橋のようなところを延々と歩かなければなりません。
歩くには少々遠いのでゆっくり走るミニトレイン(蒸気)もでているのですが、
1台が往復しているだけなので、来るまで待っていたり乗り降りに手間取っていると歩く方が早いくらいです。

石窟寺院の像はかなりバランスのよい造形でした。
ここは観光地らしくインド人も外国人もたくさんきていて、日本人も見かけました。
島にはサルがたくさんいてみていると面白いのですが、パンを食べるのには苦労しました。
こっそり食べないとサルがもらいに来てたいへんなのです。

夜はムンバイの日本領事館の領事の方と中華料理店で食事をしました。
前にニューデリーで食べた中華料理のようなインド風ではなく、本格的な中華料理です。
領事館には日本人が代々いるので、そういうレストラン情報は伝わっているそうです。

インド式ではなく7時からの食事だったのですが、日本語で話すためか話がはずみ
帰ると11時になってしまっていました。

明日はまた飛行機です。


2005年12月29日(木) ムンバイ3日目

今日はムンバイ近郊、大変沢山あちこちに行きました。
こんなにあちこち行くと、頭の中が整理しきれないので
それぞれが貴重な体験のはずなのでもったいないけれど、わからなくなってしまっています。

まず、タクシーでVSNLという会社に行って
夫の会社がお世話になっているVSNLの方に最後のご挨拶。
次にガネーシュの祀られているヒンズー寺院へ。
その次に、ハジアリ(固有名詞)というダルガー(イスラムの聖堂)へ。
陸続きですが湾内に島状に出っ張っているところにあります。
普通のイスラム寺院はイスラム教信者以外は入れませんが、
ここは寺院ではなく聖職者の墓なので、一般人も入れるようです。
途中の道はかなり貧しい人たちがまわりにいて厳しい雰囲気です。

次に、ラクシュミという女神が祭られている寺院へ。
ここの参拝者は圧倒的に女性で、参拝のために並ぶ列は男女別なのですが
女性の列が圧倒的に長いのです。
知らないで列の外側を歩いていたら、警備の人が列の途中へ入れてくれましたが、
参拝に上がらないことにして列から抜けました。

昼食はザフランというレストラン。
庶民が行く店ということなのですが、立派なレストランで大変美味しいカレーを食べました。

その次がクロフォード・マーケット。
大変混雑して活気に溢れているが雑然として密集している、庶民のマーケットです。
地元に住んでいる夫がいないとまずここへは来ないと思いますが、
なんとなくタイの雑然とした商業地区にも雰囲気が似ています。

その次が、ビクトリアターミナス。
世界遺産になっている駅です。
改札などなくホームへ入れるので、電車のそばまでちょっと入りました。

駅から歩いて、ジニーさんというムンバイチェンバーオーケストラの代表者で
夫がお世話になった方のところへ挨拶に行きました。
今までの雑踏から急にハイ・ソサイアティの中に飛び込んだ感じです。
ジニーさんの話もいろいろ興味深いのですが、
いかんせん、いろいろなことが一日にありすぎてあとからまとめられません。

ここでレジデンスに戻って休憩。
夜はディナーに招かれているのでここでお風呂に入ってしまいました。
タクシーに乗って風に吹かれていくとほこりっぽくなりますが、
(たいていのタクシーは窓開けっ放しです。)
ニューデリーほどではないし、多少は仕方ないでしょう。

さて、この日最後はお世話になった会計士のビルモーリアさんというかたに招かれてディナーでした。
このかたはジャイナ教徒で、肉や魚だけでなく、根菜も食べません。
ベジタリアンレストランに招かれてのディナーなので、完全なベジ・ディナーです。
インド式に遅いディナーで8時からです。

ベジ・メニューは乳製品や豆や野菜のカレーが中心で、食べにくいものでもなかったのですが
毎日それでは寂しいかもしれません。
ウェイターがおかわりを持って常に回っていて
油断して断り損ねるとわんこそばのように注がれるので参りました。

ビルモーリアさんご夫妻にはジャイナ教についていろいろうかがいましたが
前から気になっていたサリーとパンジャビについての疑問も聞いてみました。
日本語で検索すると「サリーは未婚女性、パンジャビは既婚女性が着るもの。」
という話が1件ならず引っかかってくるのですが、それが本当かどうかです。
スリランカでもまったくそんな話も聞いたことがないし見たこともなかったのですが
インドでも、見ている限り、夫婦子供づれの女性も普通にサリーを着ているし、
そんな話はまったくでたらめにしか思えなかったのです。

ビルモーリアさんの話では、サリーもパンジャビも未婚でも既婚でもどちらでも着るが
インドの伝統的な衣装はサリーなので、年寄りはサリーしか着ない人も多いし
若い人はパンジャビの方が動きやすいのでパンジャビを着ることが多くなってきているといいます。
フォーマルな場合にはサリーだそうです。
ただし、パンジャビはパンジャブ地方では伝統的な衣装なので
パンジャブ地方ではパンジャビがフォーマルだそうです。

インドは本当にいろいろなものが混ざり合っている国で、
貧しい人たちは本当に貧しいし、とんでもないお金持ちもいます。
賢い人たち文化的な人たちもたくさんいます。
とても不思議な国です。


2005年12月28日(水) ムンバイ2日目

朝、近所の公園を散歩しました。
ジョギングや健康のために歩く人々など大勢が散歩しています。
そのご夫の在庫の日本食のそーめんで朝食。

昼から業者が来て引越し荷物のパッキング。
昼と言っても業者はちゃんと少し前にきて時間に正確です。
その作業も、素晴らしい手際のよさにびっくり。
日本ではアルバイトがたくさんきて、
かなりうまい引っ越し業者でも誰もが手際がよいとはあまりいえないので
こんなに全員すばらしい手際でやってのけるとびっくりです。
インドの人はカースト制度で縛られてはいても、生まれついての職業に熟達していて
「これをやらせれば俺が一番」のような自信を持っていると夫が言っていましたが、
その典型を見たようです。

その後オフィスへよってから街中のショッピングセンターでお土産を買いました。
娘用に綿の普段着パンジャビなど。
しかし引き上げの引越しなので手荷物も多く、そんなには買えません。
船便の荷物が日本に着くまでには2ヶ月はかかるので、
すぐに使いたいものは手荷物で持っていかなければならないからです。

夜、オーナーへ電気料金の支払い。
またもめたのですが、最後には昨日決めた支払額を払ってまあ終了です。
明日にはインターネット接続のためのCDMAカードを返すのでインドからの接続は今日まで。
(と思ったら返すのは30日でしたが、実際につないだのはこの日までです。)


2005年12月27日(火) ムンバイへ

早朝からムンバイへ移動しました。
4時半ホテルを出発。
ホテルは朝食つきなのに、朝食を食べたのは2日目だけです。
この日も朝食時間にはもう出発しているので食べられません。
空港で飛行機会社の違う窓口へ行って誰もいないのに寒い中待っていたというハプニングはありましたが
6時10分の飛行機は特に遅れることなく(インドでは珍しい?)ムンバイへ。
8時ごろ定刻にムンバイ着。
夫の住んでいるレジデンスへ。
朝食を食べ損ねたので、そこでラーメンを食べたような気がします。(記憶があいまい)
すこしのんびりして、その後ムンバイのオフィスへ。
昼食はオフィス近くのビルでサンドイッチ。
その後そのビルで買い物。カバンを買いました。

夜、電気料金のトラブルでオーナーと交渉。
電力公社がこう言っているとオーナーが主張するおかしな話が通用することに
はたで聞いていた私まで納得いかず、
夜になってもなかなか眠れませんでした。


2005年12月26日(月) ニューデリー2日目

ニューデリー2日目といっても、丸一日ニューデリーにいたのはこの日が初めてです。

夫はニューデリーのオフィスへ最後の仕事へ。
私はその間大きな道をはさんでむかいの国営のemporium(百貨店)へ。
パンジャビを着るとポケットがないので、
ハンカチちり紙携帯程度が入る(財布も?)ポシェットのようなものが欲しかったのです。
中をさんざん歩き回った末、やっと一角の革製品の店で手頃なポシェットを見つけました。
清算と品物受け取りは全部一階なので、下りて行きかけた所、夫から電話で
まもなくこちらへ向かうとの事。
夫が着てから支払いを済ませました。

昼食は夫の同僚と中華。
中華と言っても、インド風で、麺でもご飯でもなんとなくどろっとした辛い物をかけてまぜて食べないと
インド人は落ち着かないのかもしれません。
シュウマイとか餃子のようなものは普通でしたが、全体にインド化しています。
その後買い物。
夜、寒いので近くのごちゃごちゃしたマーケットでショールを買いました。
こういうごちゃごちゃした露店が出ているところは主に地元の人が買うような所に思えますが
街中なので観光客も来ることはあるようで、売り込みも激しいです。
パンジャビと着てきた洋服どちらにも合うように薄いクリーム色のカシミヤ混のショールを買いました。
これはその後インドにいる間ずっと愛用することになりました。
巻きつける文化の国インドでは、こういうものを羽織っていてもまったく違和感ないので
大変重宝しました。

夕食は、外へ出て徒歩圏のレストランでインド料理でした。
ちょっとレストランに入るとたいていインド料理なのでまたカレーです。
北インド風はそんなに辛くないものがあるので大丈夫です。


2005年12月25日(日) アグラへ

ニューデリーのインペリアルホテルは立派なので、中でゆっくりしたいところですが
早起きしてアグラへ行ってきました。
朝6時半出発です。
日本時間に慣れているので早起きするのはそんなに辛くありません。
アグラまでは230キロぐらいの距離があるそうで、
車で朝早く出発して観光して、帰ってくると夜になります。

かなり寒いのには困りました。
スリランカで作ったパンジャビスーツを着ていったのですが、半袖なので
上にカーディガンを着て、マフラーを巻いて、それでもひざが寒いのです。
インドの人は寒いと色々な布を首やからだに巻きつけていますが
何でもありのようで無造作に見えるのですが、なかなか決まっています。
マフラーは置いてこようかと思ったのですが、巻きつける文化の国インドでは持ってきて正解でした。

昨日まで長時間飛行機に座っていたので
また今日も長時間車に乗って座っていることになります。

現地でガイドについてもらって、まずタージマハールへ行きました。
門にある装飾は遠くから見ると描いてあるように見えましたが、
近くへ行ってみると、石や宝石が埋め込まれて絵や文字になっているのです。
文字の書いてある幅も下から見たときに一定に見えるように、上に行くほど幅広なのだそうです。
タージマハールはまず手前の門を通して見た姿が美しかったのですが、そこをすぎ、
敷地内へ入ると雄大な姿が広がっています。

タージマハールはムガール帝国のある王が王妃のために立てた巨大な墓で、
後に王も隣へ葬られています。
真っ白な大理石の建物の中へ入ると、王と王妃の墓が並んで祀られています。
実際に葬られているのは地下だそうです。

そのあと行ったのは、アグラ・フォート。
フォートとは城というか、居住もしていたけれど戦いの拠点ともなった砦のようなものでもあったそうです。
入り口の石畳の通路は象が歩いたそうです。
象は一種の戦車のようなものだったようです。

それらを見た後、アグラを後にしてまた車で帰ったのですが、
出発してまもなく車のフロントの下のほうでカタカタ音がするのです。
軽い段差を超える時はそのカタカタ言うものがひっかかってギギッと引きずるような音がします。
何か音がすると運転手に言っても「ノー プロブレム」と言って走り続けます。
いやしかし、これは大丈夫じゃないでしょ、これから何100キロも走るのに。
少し道路が広くなったところへ出てまもなく、ガタンと激しく衝撃があり、
道路へ何かが転がり落ち、さすがの運転手も車を止めました。

拾ってきたものは・・・どうもエアコンのコンプレッサーらしい。
エアコンなら走行には支障はないか?
さすがインドというか怖いと言うか。

帰りに道沿いのマクドナルドでノンベジのチキンティッカバーガーを昼食に食べました。
あまり遅くならないうちにホテルに帰りつけました。

夜はまたインド料理で、殆どカレーですが、北インド風は辛くないものもあるので美味しいので
2日続くぐらいなら十分大丈夫です。
しかし、体がまだ日本時間なので眠くなってしまいます。


2005年12月24日(土) ニューデリー到着

シンガポールのチャンギ空港のトランジットホテルをチェックアウトして
空港の到着ロビーのほうへ降りていくと、無料のインターネットスペースがありました。
PCに触ってみると、日本語表示可能になっています。
日本語の書き込みはできませんが、読むことはできました。
前にチャンギ空港のPCから書き込んだときは日本語表示できず、
勝手にインストールしようとしたらアクセス権が無くてできなかったので
色々進歩しているようです。

今度乗るエアサハラのチケットをまだ搭乗チケットに交換していなかったので、
まずはホテルのフロントで構内の地図をもらって、交換場所を探しにいきました。
最寄のインフォーメーションへ行ったら、まだ早朝は人が居なくて、随分歩いて遠くのインフォーメーションに行って聞きました。
場所を聞いて地図上でも示してもらうと、元来たインフォーメーションの近くでした。
そこで搭乗券に替えて、乗り場のほうへ行きました。

インドへ向かう飛行機はエアサハラというインドでも最大手ではない航空会社です。
飛行機が小さいので、待合室にそんなに人が居たようには思えなかったのですが、中へ入ると満員でした。
通路も狭く、荷物がやっと通る幅です。
エコノミーの座席には、私はおさまりますが、隣の縦横ともに大きなインド人は収まりきらず、
私のほうに常にはみ出ています。
乗っているのはインド人多少と中国人たくさん、あとは中国系のシンガポール人っぽい人たち。
日本人は見かけませんでした。

飛行機の中で朝食を食べ、昼食も小さなハンバーガー1個みたいなものが出たらしいのですが
寝ていたのでもらえませんでした。

到着予定は12:10とのことですが、着陸したのは12:30頃。
入国審査で延々と並び、出口へ出られたのは1時半頃でした。

出口で夫が待っているはずですが、いませんでした。
ムンバイから来る夫の飛行機が遅れるかもしれないので、いない時はそこで待っているように言われていたので
その辺の椅子に座ってそのまま待っていました。

出口でいきなりタクシーの客引きが声をかけてくるのですが
夫が来るので待っていると言うと、外から来るならあっちだと外で大勢迎えやタクシーが待っている場所を教えてくれます。
私は夫がどういう便で来るか知らず、国内線の発着場所が国際線とは違ったら外から来るかもしれないとそちらも見ていましたが、
外は寒いので、見えやすそうな位置に座って、建物の中にいました。

2時間ぐらい待ってもムンバイからの飛行機が到着するようなアナウンスは無いので
国際線とは別の場所に着くか、たまにしか便が無いものだと思っていたら、
そのころから急にムンバイからの便が着きだしました。
こんなに便があるのなら、今まで着かなかったのはおかしいのでこれから来るのかもしれません。

そう思って立って出てくる人を眺めていたら、また何人かタクシーの客引きに声をかけられました。
夫が来るので待っていると言うと、先にタクシーに乗ってホテルへ行っちゃえ、という人とか
随分長いこと待っているが、電話してみたらどうだ、電話はあそこにあると教えてくれる人とかいろいろいます。
インドルピーがないのと、飛行機に乗っているなら電話は通じないと思ったので直ぐには電話はかけませんでした。
乗らないといってもだまって去るわけでもないのが面白い。

電話するにも何か飲み物を買うにも、インドルピーを持っていないので両替しなくてはならないのですが
インドルピーは夫がくればたくさん持っているので、今ここで両替しても仕方が無いかと思ってしていなかったのです。
小銭があれば飲み物やジュースでも買っているのですが、空腹を手持ちのあめ1個なめてしのいでいました。

さすがに3時間も待ったころ、円を多少インドルピーに替えて電話をかけてみようと思いました。
exchangeのカウンターに並んでいると前の人がやけに手間取っていて進みません。
その間にまた飛行機が着いたようなので、そこを離れて出口に見に行きました。
来ないようなのでまたexchangeに行こうとした所、夫が現れました。

夫が国内線の空港から乗ってきたタクシーでそのままニューデリー市内のホテルに行きました。
どこに泊まるか知らなかったのですが、行ったのはインペリアルホテル。
かなり立派なホテルで、シンガポールからラフな服を着てきたのはまずかったかと思いました。
厳寒の日本からは厚着して出てきたのですが、シンガポールで軽装に着替えたのです。

夜はホテル内のインディアンレストランでクリスマススペシャルメニューのコース(要はカレーのバリエーションですが)を食べました。
すきっ腹にビールを飲んだので、グラス1杯(ボトル半分?)でかなり酔ってしまいました。


2005年12月23日(金) Arriving at Changi

I leaved from Narita at 17:20.
This time, my seet is business class, and I was afread that if I'd feel very lonely with wide seet.
Fortunately a gentleman next to my seat is very friendly.
He came form Washington and would going to Indnesia.(I could not hear the city name.)
He came to Japan just for transit and Singapole too.
His wife is in Indnesia for some project and his children are living with her.

After 7 hours flight, I arrived at Changi airport at about 23:30.
I stayed at Changi Transit Hotel.
I was tired and just slept.


2005年12月22日(木) 明日出発

いよいよ明日インドへ出発ですが、荷物もだいたいまとめたのですが
何か忘れていそうで心配です。

とにかく何を着ていくかで迷いに迷いました。
手持ちにコマがない上に、こちらは何十年ぶりかの寒波でものすごく寒いし、
インドへ行ってもニューデリーは長袖でないと寒いらしいし、ムンバイは半袖で過ごせるらしいし。
全部を考慮すると中途半端なことはなはだしい。
無駄に荷物を増やしたくないし、本当に困ってしまいます。

とにかくこちらがあまりにも寒いので、多少邪魔でも寒さに備えないと家から出られません。
もうこれは仕方がありません。

そんな衣類と、規格外の大きさのお土産で、いつになく荷物がかさばってしまいました。
まあ重いものが増えているわけではないので持てないことはありませんが。
その割にいろんなものが入っていたりはしないので、忘れ物していそうな気がするのです。


2005年12月21日(水) コーラスと歯医者

今日は午前中はコーラスに、午後は仕事に行ってきました。

私がだいたい朝乗っていく電車は通勤のピークを過ぎたけれど
まだそれなりに混んでいる9時ごろの電車なのですが、
先週はその電車がいつもになく混んでいて大変でした。
高校生が試験のせいかとも思ったのですが、それもあるでしょうが
高校生がたくさん乗っていたわけでもなかったのでそれだけではないように思えます。
今日は先週よりはかなりましでした。

歯医者のスタッフで12月一杯で辞める人がいるのですが
私はあさってインドに発つのでその人とは今日が最後です。
本当は今日でやめるはずだったのですが、トラブルで突然1人のスタッフが先に辞めてしまったので
12月最後まで残ることになってしまったのです。

昨日、帰る前にちょっとしたお餞別を買ってきたので渡して挨拶して帰ってきました。
何だか急に人がごっそり入れ替わって寂しくなりますが、
新しくきた人たちが明るい人たちなので、また気分を賑わしてくれるでしょう。


2005年12月20日(火) クリーニングに苦情

英語のレッスンが終わってから、一旦帰ってクリーニング屋に連絡し、
コートを持って草加まで行ってくることにしました。

基本的には文句を言いに行くので、いろいろ気が重くて大変でしたが
留守の間にやり直すために預けても、確認もできないうちにことが済んでしまうのは心配だったので
結果的には自分の目で確かめて用が済んだのでよかったのかもしれない。

帰りに郵便局に行って年賀状を買ってきました。
それから歯医者のスタッフで12月一杯で辞める人がいて
私は明日で会えるのが最後になるので、その方のために
駅前の店でお餞別を買ってきました。

さて、夜中に急遽ペイントでへたくそな犬の絵を書いて
(時間をかけていないので出来栄えがよくない)
ワードで打った本文に貼り付けて年賀状作成。
住所録から私の関係分だけ取り出して、宛名も印刷。
超特急年賀状を作ってしまいました。

ちょっとずつ用は済んでメモのその項目に取り消し線が引かれるのですが
書き足される用事もまだまだあり、メモ用紙はいっぱいです。


2005年12月19日(月) 性格バトン

性格バトンなるものがまわってきたので回答してみました。
まあ適当に想像も交えて答えてみました。

Q1・あなたは賑やかな人と大人しい人どっちですか?
 
   どちらかというと賑やかな方。
   でも話題が合わないときはおとなしい。

Q2・あなたの性格に相応しい単語を5つ挙げてください
   
   楽天家(未来に悪いことが起こるとはまず考えていない。)
   あわてもの(ドジなこと絶え間なし。)
   メモリー不足(長期的な記憶力はあるのだけど、同時にいろいろなことはできない。)
   開放的(どこへ行ってもそのまんま。)
   根はまじめ
   (5も見つけるのは大変だ。)

Q3・好きな友達のタイプは?
  
   本質を見分けられる人。

Q4・嫌いな友達のタイプは?
 
   威張る人、偉そうな人。

Q5・立ち直りは早い方ですか?

   まあ、早いほうだと思う。

Q6・恋人にしたいタイプは?

   知的レベルが高い人。(学歴にかかわらず)
   ピピッとインスピレーションが来ない人は対象外。
   意外と変人好きかも。

Q7・恋人と一番の親友、選ぶならどっち?
 
   どちらかというと恋人だと思う。
   というか最終的に人生をともにするのは異性だと思っているので
   同姓の親友の人生に深くかかわることはできないと思う。

Q8・バトンを廻す5人を選んでください。
   
   5人は無理だけど・・・さて、どうしましょう?
   マジさんあたりどうですか?お暇ができた時にでもどうぞ。
   それからきゅーあ。さんなどいかが?巡回した時に気付いたらどうぞ。
   (すでにやってたらごめん。)

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バトンの後だけど、今日の出来事も少し書いておきます。
もうインドへ行くまで家に一日いる日が今日と木曜日しかないのでいろいろ大変。

インドへ持っていく扇子の手配にインターネットで調べたお店に電話をしました。
(お土産専用でなくて)本格的に扇子を製造販売しているお店はほとんど京都にあるようです。
都内のデパート内で販売している物もそういうところが作っているようです。
はんなり京都弁でしゃべりはるので、関東弁でガンガンしゃべるのは気が引けてしまいました。
お土産用や、贈答用(名入れなどして配るやつ)より高めなのですが
その分素敵なのでいいのではないかと思います。
夫に確認を入れようと電話したのですが、かからないので決めてしまいました。

あと、お歳暮をまだ贈っていなかったので手配しました。
それから、年賀状をどうしようかと思いましたが、
買っておいたほうがいいかと思っても枚数が決まらないので保留しました。
夫が年明けに出すならたくさん必要なのですが、連絡取れないとわからないので。

あとまだ何かやるべきこと思いついたのですが、すでにメモリー不足に陥っているので
メモ用紙(またはPC)にたどり着く前に忘れたものはだめです。
日々の雑用と出発前までにやるべきことをまぜこぜにしてもわからなくなるし。

娘の学費の引き落し口座の確認やら、クリーニングの苦情やら
本来今時やらなくても済んだめんどうなことも加わってよけいややこしくなっています。


2005年12月18日(日) おみやげを買いに

今日はインドへ持っていくお土産を買いに浦和へ出かけました。

まずは近くの店で招き猫を見ました。
招き猫を3体買いたかったのですが
買おうと思っていた小振りのものが2体しかありません。
それより一回り以上大きなものならあります。
取り寄せると、在庫があった場合に問屋に入るのが20日で、
店に入るのは21日か22日になるといわれました。

夫に電話すると、大小取り混ぜてもいいというので
大きいの1体と小さいの2体を買いました。
顔に個体差があるのですが、選べないのでしかたありません。

それから電車に乗って浦和に行きました。
扇子があればいいと思って伊勢丹でうろうろしたのですが、ありませんでした。
聞くと夏場ならあるそうです。

和風のものといえば、風呂敷など近所の店でも見ていたのですが、
そこにあったものは日本風な柄といっても決め手になるほどではなく、
東洋的ではあるので、西洋人に贈るなら珍しいかもしれませんが、
インド更紗など見慣れていればどうってことない品物に思えました。
ところが、伊勢丹の呉服売り場にある風呂敷は立派で、
これならどこへ持っていっても日本の美だと言えるような風呂敷が置いてありましたが
お値段も立派で、10000円以上しました。さすが。

扇子がなかったのであきらめて帰ろうとして、
あまりに寒かったので帰りはバスで近くまでいこうと思ったら
この路線、昼間はまったくバスがありませんでした。
11時台に2本、あとは18時以降に1時間に1本しか出ていないのです。
仕方なく駅に入ったら、京浜東北線が止まっていました。
動く予定があったようなので寒風の中しばらく待ったのですが、
あまりに寒いので止まっていなかった下り電車(逆方向)に乗って大宮へ行ってしまいました。
上り電車がきても、また南浦和で乗り換えの時に寒風にさらされて寒いと思うと気が重かったのです。
大宮なら乗り換えの埼京線が地下ホームなので、待っていても寒くありません。
しかし大宮まで行ったらやけに遠出したような気分になってしまいました。

そんなこんなで、浦和から帰るのに1時間以上もかかってしまいました。
それくらいあれば徒歩でも着けます。

帰りの電車が空いていたので、西向きに座ったら正面の窓から富士山が見えました。
夕日に染まった空と雲を背景に、山は逆光なので真っ黒ですが、くっきりと形が見えました。
美しいけれど、こんな見え方をするのは非常に寒い日です。
1月のような気分です。


2005年12月17日(土) 二日酔い

ひさびさの二日酔いでダウンしていました。

朝一旦起きたときは一見元気だと思ったのですが。
昨日布団だけ敷いて着のみ着のまま寝てしまったので
まだ寝るつもりでパジャマに着替え、顔を洗ってしばらく起きていました。
お茶を飲んだらまた胃がおかしくなり、こりゃやっぱりだめだと本当に寝ました。

12時から美容院にカットとカラーの予約をしていたのですが、
出掛けにお茶を飲んだら、また胃の調子がおかしくなり、
長時間はつらくなってしまったので、カットのみで帰ってきました。

朝起きた時には今日は暖かいと思いました。
今まではちょっと動き回るのにもストーブをつけないとつらかったのですが
ストーブをつけないままチョコチョコ活動しても平気でした。
長時間ならつけないと寒いのでしょうが、すぐにまた寝たので。

夕方2つ目のストーブをつけたら、片方のストーブが暖かいと勘違いして(?)
同じ設定温度ではずっと消えていました。
寒い日には2台とも稼動して消えたりはしなかったので、やはり暖かいのだと思いました。
しかし、また明日からこの冬一番の寒気が来ると言っています。
今までも十分寒かったのに更に寒気が来るとは、なかなかつらいものがあります。


2005年12月16日(金) 出かける前にいろいろあせる。

昨晩は酔っ払ってダウンしていたので何も書けませんでした。
よく無事に家に帰ってきたものだ。

さて、この日は朝からいろいろあって大変でした。
木曜日の晩に灯油がすべて終わってしまいました。
あとはストーブ内に入っている分だけで、使い切ったら終わりという状態です。
火曜日に最後の一缶を使い始めたので、週末まで持つと思ってのんびり構えていたのが甘かった。
ここのところの寒さが厳しく、相当消費したようです。

さて、金曜日は朝から出かけてしまうので買いにいけません。
配達してもらうにも、誰もいないし、店が開く頃には出かけてしまうし。
そこで、玄関先に灯油缶を置いて、代金を袋に入れて縛り付けて
灯油やさんが来た時のエントランスのオートロックの開錠を近所の人にお願いして
朝から灯油を頼んでおくことにしました。
私は先に出てしまうので、息子に電話させたのですが
息子が出てしまう頃までお店がしまっていると困るので
いちおう携帯に電話番号を登録して、出先からもかけられるようにしていました。

さて、寒いので去年買ったコートを着ていこうとしてクリーニングの袋から出したらなんと!
このコートの襟が開襟にプレスされていました。
本来シンプルなフラットカラーなのですが。
上のほうに紙がかかっていたので出してみるまで気付きませんでした。
一番上のボタンがあるのに、それをとめずに、元の型も考えず無理やりプレスしてあります。
苦情の電話をいれてプレスしなおしてもらいたいのですが
今日はもうすぐに出かけなくてはなりません。
もはや伝票を探して電話番号を控えている暇もなくなっています。
このクリーニング屋、遠くから火曜日と金曜日のみ集配に来るので
今度出すとすると火曜日になってしまいます。
火曜日に出すと戻るのは金曜日になってしまいますが、
金曜日には旅行に出発してしまいます。
どうしたらいいんだろう。

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さて、歯医者でもなにかいろいろ事件があったのですが省略。
終わってから忘年会でした。


2005年12月15日(木) 電子ピアノ修理完了

11月にお願いしていた電子ピアノの修理ですが、
先日部品が届いたと連絡があり、今日また来てもらいました。

先日と同じ技術者がやってきたのですが、この方到着がかなり早かったので
今日も早いかもしれないと覚悟していました。
先日は9時に来るというので、息子がまだ朝食を食べていなうちから食卓を片付けたりしていましたが
それよりかなり早めの8時40分に到着しました。

今日はお昼過ぎぐらいに来るという話だったのですが
朝電話がかかってきて10時半ぐらいでもいいかと言うので
もともと早くなることは覚悟していたのでOKしました。
それでも更に早く来るかも、と思っていたら、実際には10時に来ました。

先日は鍵盤の裏側のヘッドフォンジャックの着いている部分のケースを開けて
その中の基盤を取り替えてみたのですが変化がありませんでした。
今回は、ふたを開けて本体の中にある基盤を取り替えてみるようです。

まずスピーカーから出る音は異常なく左右とも鳴ることを確認した上で、
取り替えたのは、本体の奥のほうにある、MIDI端子やAUDIO IN/OUT端子のついている基盤です。
ヘッドフォンだけに関わる部分ではないようで、いろいろなコネクタがたくさんついていて
区別のためなのか(わからないけど)はずしたものにペンで印をつけていました。

さて、これを取り替えてからヘッドフォンで聞いてみると、
ちゃんと両方から音が鳴っていて、豊かな音に聞こえます。
しばらく聞いていても途切れそうでもないし、音が小さくなっていったりもしていません。
(片側しか鳴らなかったり、片側が非常に小さくしか鳴らないと、全体にも音が小さく貧弱に聞こえます。)
最近は鳴らないことの方が多くなっていたので、これなら直っていると言えそうです。

片方しか鳴らない時に、ヘッドフォンで聞きながら弾いていると頭がガンガンしてきて
長時間弾けなかったのですが、これで安心して弾けます。


2005年12月14日(水) 衣装の採寸

今日も昨日並みに冷え込んでいるとのことですが
昨日ほどつらく感じないのは、風邪がなおってきたからのようです。
昨日は着込んでいても耐えがたく寒かった。

今日はコーラスの練習のあとに、衣装の採寸をしてもらうことになっていました。
練習場の近くの住区センターの和室をかりて、そこに業者の方に来てもらうことになっていました。

住区センターが使えるのが1時からなので、練習後、食事をしながら待ちました。
本当は急ぐ人がいるので練習後すぐに採寸にかかれればよかったのですが
手頃な場所がありませんでした。

採寸にやってきたのは、前に店に行った時にいろいろ説明してくれた元気のいいお兄さん(?)です。
このお兄さん、声も大きいし調子もいいし冗談もとばす人ですが
コーラスのメンバーのあまりのかしましさに
「張り合って大声を出していると声が枯れるので少し静かに」
とお願いされてしまいました。
商売相手がコーラスなので、この団に限らずよく通る大きな声の人は多いらしいのですが、
たまには暗い雰囲気の団体もあるそうです。

9号と11号と13号を持ってきたのでどれかを着てみて、直すところを決めると言う形の採寸なので、
どれを着てみるかあれこれ迷うだけでもたいへんかしましいのです。

一番手は午後から仕事があるので急ぐというメンバーでした。
11号を着たらぴったりで「直すところなし!」とあっさり終了してしまいました。
あらそんな簡単に済むの、と思ったら直すところなしなどというのは1人だけでした。
彼女は理想の体型だった?

背が高いのに細い人、小柄だけど太い人、みんなそれぞれどれを着てみるか悩むのですが
5号7号がないので、小さい人は皆9号を着て合わせるので9号が人気です。
私は空いていた11号をとりあえず着てみたら、一目で9号といわれてしまったので、9号が空くのを待っていました。

窮屈な部分があると既製服を買うなら一回り大きなサイズを買うしかないのですが
合わせて作るとなると、思っていたより大きなサイズではない人が多かったようです。

私は9号ではドレープが開いてしまうのですが、
本来バストの上に乗っているはずのドレープのひだが外側へ落ちてしまうので開くのだということで、
わきの下の(?)幅が狭いので肩幅に合わせると外へ流れてしまうのだと言われ、(腕が太い?)
肩を少し内側に入るように(肩幅より狭めに)作るそうです。
それでだめなら、一針二針裏から刺して落ちないようにこっそりドレープを止めるしかないそうです。
背中(ウエストの後ろ)にゆとりがありすぎだそうですが、そこをつめると他にしわができるのでそのままだそうです。
姿勢のせいもあるらしいのですが、それは急には変えられない。


2005年12月13日(火) 厳寒期並み?

ものすごく寒くて厳寒の1月並みです。
寒さがこたえるのは風邪を引いているせいもあるかもしれません。
昨日よりだいぶいいのですが、まだ鼻腔や背中や肩が熱を持ったような感じがします。
体温は37度ぐらいで高温期なので高いと言うほどではないのですが(でも少し高め)、
体のあちこちが部分的には熱を持っているのだと思います。

おまけに、まだ本格的な寒さに備える態勢になっていないのかもしれません。
昨年買った長いコートを着て出歩いた方が暖かかったと思いますが
まだ昨年しまったきりで出していないので、よれよれの古いコートを着ています。

もう少し寒くない時には手袋をするのも忘れていますが(手が荒れるのでできたらしていたいのですが)
さすがにこれくらい寒いと、手袋をしていないと寒いので忘れません。
吸い込む空気も冷たくてつらいので(風邪のせいかも)マスクもしていたいくらいですが
手頃なマスクがないとメガネが曇るのでそれはあきらめました。

英語のレッスン後、歯医者に持っていくルーターを秋葉原には出かけずに近くで買ってさっと帰ってきました。
体がまだ休養を必要としている感じがするので、早く帰ったのは正解だったと思います。
家に帰ってストーブをつけても寒くて、寝てしまおうかと思ったのですが
明日のコーラスの宿題があったのを思い出しました。
昼間寝なくても作業が終わっていれば早寝できるでしょう。


2005年12月12日(月) 塾講師が小6少女殺人

塾の先生が生徒の小学六年生の女の子を殺したという事件がありましたが
とんでもないことですね。
http://www.asahi.com/national/update/1210/OSK200512100006.html

小学生の女の子が殺される事件が相次いでいて物騒なことですが
この事件は変質者のようなものではないので気になっています。

この塾講師、器量というか人格の上で明らかにこの小学生に負けていたのですね。
それで殺すしか自分が勝てる道がないと思い込んだのだと思います。

人間もう少し器が大きくなれば、たとえこの小学生が賢かろうが
自分よりすぐれた面があろうが、何も張り合う必要なんかないのです。
もっと大局的な目で子供を見守れない塾講師なんて最低です。

私も塾講師経験がありますが、子供ははぐくみ育てるものであり、
すぐれた資質は伸ばすべきものであり、つぶすべきものではありません。
何を勘違いしたのだろうと思いますが、
この講師にとって、子供は支配すべきものだったのかもしれません。
とんでもない話です。

--------
風邪気味です。
土日寒すぎたのでしょうか。
朝起きた時にはのどが痛かったのですが、
今は鼻水グジュグジュになっています。(アレルギーではなく)
鼻をこするので、すりむけて赤くなってきています。
朝からお掃除する元気が出なかったので夕方お掃除しました。


2005年12月09日(金) 疲れていますが

昨日からIEがやたら重くて何かを調べるのも投稿するのも日記を書くのも気が重いのです。
モデムの再起動やらルーターの再起動もやってみたのですが
息子は全然重くないと言うので、どうも今回はこのVAIOのみの問題らしい。
キャッシュのクリアをしたら少しましです。

今日もかなり疲れて帰ってきました。
歯医者の無線ルーター、朝行ったらいきなり故障していて、
Powerランプも無線LANランプもつきません。
つくのは各ポートのリンクランプだけ。
再起動かけたらハブとしてのみ機能して、モデムからPCへ直接IPアドレスが割り振られ
インターネットにはつながりました。
ルーター部分がまったく機能していないらしく、無線もだめ、設定画面にもいけない、pingも通らない。
コード類をはずして本体を手にとってみると何だか機械油が焼けるような臭い。
(それが関係あるかどうかはわかりませんが)
修理するのがいいのか、買うのがいいのか。
帰りにアキバのIOプラザに寄って修理に出す元気が、きょうはないんですが。

IOデータに電話してみたら
修理には金沢の工場へ送るのだそうで、最低、手間と送料はかかりそうです。
修理費の目安を聞くと、最大で当時の定価までだそうで、定価は30000円くらいとか?
(購入価格はその半分ぐらい。)
部品は当時の値段で当時のものを使うそうなので、
今は部品からして安くなっているので、買った方が安いかもしれないとのこと。
先生に話したら買おうと言うことになりました。

しかし疲れたのはルーターが壊れたせいではなく、パワーポイント疲れのような気がしています。

帰りに食料を買って帰らなければならならず、おまけにお米がなかったのですが
ひどく疲れて5kgを持って帰る元気がありません。
お米は水曜日の生協の時に来るのでとりあえず2kgの袋を買ってきました。
水曜日まで持つかなあ?


2005年12月08日(木) 音取り用音源

昨日いただいた伴奏MDをPCに取り込み、そこにパートの音を乗せて
音取り用音源を作ろうと試みていたのですが
どつぼにはまってさあ大変。

マイク録音できなかった件は、大変初歩的なミスだったことに朝のうちに何とか気付きました。
差し込む端子が違っていました。
昨日も何回か見たのですが色でもマークでも見まちがえていました。
朝になって明るいところで見たのが解決のもとです。
しかし端子の間隔が狭いので太い持ち手がついているプラグがうまくささらないのがまだ少し問題です。
何とか傾いたまま挿していますが。

音源取り込み関係はたまにやると、はまりどころがたくさんあって大変です。
録音ソースの設定も「再生リダイレクト」と「マイク」を切り替えなくてはならないし
再生音もマイクをミュートにするか音を出すか・・・場合によって切り替えなくてはならないし。

なれないミキシングソフトもいろいろ手間取ります。
使ったソフトはフリーのMusic Studio Producer
http://www.frieve.com/musicstd/

このソフト、何が問題って、録音速度と再生速度が違うのです。
WAVで取り入れた伴奏を流しながら録音したパート演奏が
録音後に伴奏と一緒に流すと、わずかずつですが、どんどんずれていってしまいます。(汗)
トラックのテンポを変更する方法はないのだろうかとさんざん苦労した挙句
(1トラックのみ再生するなら変更させられるのですが、それを記録しておけない)
結局、各パートを取り入れた伴奏を流して録音した後、
もう一回伴奏をこのソフト上で再生リダイレクトで録音しなおして
録音しなおした伴奏と各パートを合わせるとテンポも合うということがわかりました。

その他、何度も突然、不明なエラーでプログラムを終了されて「エラーを送信しますか?」と聞かれるし
(あー、まだ記録してないのに・・・泣)
更に、マイク録音中に電話が鳴ると初めから録音しなおしだし。
おまけにサウンドカードの録音設定を何かするたびにあちこち変えると
どこかで組み合わせを間違えてしまうこともあるし、
気をつけないと録音できなくなる要素はたくさんあって、道は険しいのです。

さんざん煮詰まった末わずかに光明が見えてきた頃、夕方子供が帰ってきたので終わりにしました。
録音なんていう作業は誰もいない昼間にしかできませんが
すでにかなり頭がグルグル回転疲れしていたので、
これ幸いとやめて、今日は忘れることにました。


2005年12月07日(水) マイク音声が出ない

コーラスで、コンサート曲目が全曲決まりました。
来週までにプリントしてきます。(宿題)

前にピアニストにお願いしていたのですが
伴奏を録音していただいて、そのMDを今日持ってきてもらいました。
大変手間を掛けて申し訳ないのですが、
各自の練習用か、先生が遅れた時の自主練習用に欲しいということでお願いしたら
引き受けていただけました。
赤ちゃんを抱えているのに大変だったと思います。

パートの音を入れた音取りテープ(MD?CD?)も
パートによっては作りたいのですが、
そこまでやっていただくと大変申し訳なさ過ぎるので
この伴奏の上に各パートの音を入れる作業をこちらでやろうと思ったのです。

帰ってからPCを操作すると、なぜかマイク録音できません。
SkypeもMessengerも使っていたので、その頃にはちゃんとマイク音声が出ていたはずなのですが。
いろいろ確認してもだめなので疲れてしまいました。

伴奏MDの音はLine inから取り込んだのですが(それも初めはLine inがオフになっていてあせった)
そこにマイク入力を重ねて、ミキシングするつもりだったのです。

しかし、まったくマイクからの音に反応してくれません。
いろいろいじってみたり、CreativeのFAQを見たりしましたがわかりません。

今日の午後には1曲ぐらい試しに入れてみることができるかと思ったのに
何も始まっていません。

こうなったらあきらめてMDで録音してLine inから取り込もうか。
考えてもあせるばかりなので、このたびはそれでいいことにしてしまおう。


2005年12月06日(火) 英会話新メンバー

英会話教室のグループに今日から新しい人が入って4人になりました。
3人から6人までのクラスなので増えることはあるのです。

旅行が好きで、年に何回かは海外旅行をするというおばちゃんですが
この方ものすごくにぎやかな方で、初対面なのですが
始まる前から弾丸のようにしゃべりました。
まわりはびっくり。

年齢はコーラスの主力の方々と同じくらいで
この年齢なら世間的には私も含めて十分おばちゃんですが
私から見てコーラスの仲間をおばちゃん呼ばわりはしません。
通常私がおばちゃんと呼ぶのは、だいたい自分の親世代の人です。
しかしこの方、おばちゃんと呼ぶにふさわしい雰囲気とパワーの持ち主です。
ああびっくり。

今日の先生は中国系のアメリカ人で(おばちゃんが尋ねたら、
まあそんなものというような答え方をしたので正確には違うかも?)
賢そうな雰囲気で、あまりテキストに関係なく鍛えてくれたので
かなり充実していました。


2005年12月05日(月) 寒い

12月なんだからかなり寒くても不思議はないのですが、まだ慣れていません。
昼間はそれでも天気がよかったので家の中は日差しが暖かかったのですが
夕方から冷えています。
ストーブ各部屋に出したほうがいいような気がしますが
子供たち、部屋の入り口を片付けるまで出せないそうで・・・。

奥の部屋のストーブは出していても、人が行かない時はつけなかったのですが
またスタイロを削り始めた娘が昨日灯油を入れて、夜中につけていたようです。


2005年12月04日(日) 娘のHDD換装

天気が悪いと寒いです。
低気圧が通り過ぎて強い冬型になり、明日はもっと冷えるとか。

午前中、先日やりのこした窓拭きのうち、ミニベランダに面した窓を拭きました。
あとは居間と台所と子供たちの部屋の家の中の面が残っています。
子供たちの部屋は自分でやれと言っているのですが、ヤツらは手をつけそうにありません。

午後、さっと出かけて娘用のHDDを買ってきたかったのですが
天気が悪いと寒寒として着替えるのも億劫になっているうちに遅くなってしまいました。

娘のWindowsPCのHDDが起動中などにピヨといって電源が切れてしまうようになってしまったのです。
(HDDが発するピヨという音は娘しか聞いていないのですが、
 PCのビープ音やWindowsが発する音ではなくHDDそのものから聞こえるらしい。)

とりあえずHDDだけ替えるにしても、ThinkPad X22を含めてPCを使いまわすにしても
いずれにせよ、新たにセッティングするならHDDは必要です。
今時6GBではかなり不足ですから。

実際問題、使いまわすといっても
そう簡単には娘の手元に息子のLavieが使える状態で来るわけにはいきません。
まずは息子にX22を使っていいと宣言して、データなど移行してもらって
Lavieが空いた後に娘が使えるようにセッティングするしかありません。
息子がひまな時でないと手がつけられないので、いつになるかわかりません。

それでは娘がかわいそうなので、とりあえずいちばん簡単にHDD交換することにしました。
同じPCのHDD交換はそのまま環境を移せばいいので、
買い物してきて夜帰ってきても、DirveImageを使えば今日中にできます。

電源の切れるHDDからデータが拾えるかどうかはわからなかったのですが
最悪、8月に取ったバックアップに戻すことはできます。
しかし、他機につないで試してみたら、
電源が入らないこともあったのですが、入った時にはそのままバックアップできました。

と言うわけで他機で中身を入れた後に娘に交換させて、換装終了しました。


2005年12月03日(土) アンテナ作成

某アンテナ作成していました。

ほそーい同軸ケーブルの被覆をカッターで縦に裂いて剥ぎ、

網線を剥がして芯線を出して(芯線の絶縁被覆は剥いでいません)
剥がした網線はまとめて1本にはんだ付けして反対側に倒し、簡易なダイポールアンテナになりました。
(網線をうまくくるっと裏返すとスリーブアンテナだそうですが、網線が細かすぎて無理です。)
この段階では剥いた部分が多少長めですが、つないで見ると結構まともにつながります。
じつはここまではあっさりとできたのです。

芯線とまとめた網線はそれぞれ3cmにしたかったのですが
5mmほど長めに作り、あとで測って切るつもりでした。
ところが切る時になぜか余分に切ってしまい、短くなってしまいました。(測りまちがえたか?)
せっかくほぼうまくできていたのに、あっけなく大失敗。

道具も片付けてしまったのでまた一仕事です。
少し根元をまた剥いて、網線を片側へ寄せようとするのですが、
すでに先のほうがハンダで固めてあるのでうまくいきません。
強引に寄せて、ハンダで固めてしまったのですがこれが悪かったようです。
細い網線が何本もちぎれるし、かなり根元に無理がかかってしまっていたのです。

取り付け作業をしているうちに、網線側が根元からとれてしまいました。
こうなったら更に少し根元を剥いで、
今度はハンダで固めた部分がつながっていないので余裕で網線をほぐして
ほぐした部分とちぎれた部分をはんだ付けしました。

また先を切って長さを調節しましたが、今度は1mmぐらいずつ慎重に切りました。

これを歯間ブラシのパッケージについていた透明なプラスチックを細長く切って
(電池なんかも厚紙にそういうプラスチックをかぶせて売ってる。中身を出したら捨てるやつね。)
それに芯線と網線を両側に開いて固定して、電波の通りそうなところに差し込みました。

なんとか電波は届くようです。

なお、勝手にアンテナを作成して電波を受信するのは電波法違反になるそうで
これはあくまでも実験です。^^;


2005年12月02日(金) 合唱コンサート

友人の出身大学の合唱団のコーラスを聞いてきました。
場所は目黒パーシモンホール

仕事を5時にさっさと切り上げて、すぐにホールに向かいましたが
6時半開演なのでちょっと忙しい。
文京シビックホールなら近かったなあ。(とれなかったのでしょう)

パーシモンホール、何度も行っているので道順もわかるし
広い敷地内で建物の入り口がどこかもすぐにわかるのですが
実は観客として入ったのは初めてで、
ホールの入り口で受付を通る時、こういうところを通ったことはないと思いました。
自分が出演者の時は楽屋側から入っています。

演奏は、まあ良かったのではないでしょうか。
欲を言えばきりがないのですが、
残された課題は1年2年の期間ではどうにもならない場合が多いことなので、
アマチュアの合唱団としてはこれでいいのだと思います。

例年、第1ステージにモーツアルトなどやって
第4ステージに黒人霊歌を歌うのはどうかと思っていました。(それは今でも思いますが)
せっかくのモーツアルトの感動の余韻を消されてしまうからです。
しかし今年は、初めて黒人霊歌に感動させてもらいました。
特に最後から2番目のアフリカ風のリズムを色濃く残した曲がよかったのです。
あのテンポ感、盛り上がりの自然さ。
団員もよく歌っていましたが、今年の学生指揮者はかなり秀逸なのだと思いました。

もちろん私には黒人霊歌の精神などはわかりません。
この団がなぜ黒人霊歌を歌いつづけているのかもわかりません。
でも、少なくとも音楽としての感動を与えてくれました。

黒人霊歌に関してはこじんまりとまとまりすぎという意見も聞きましたが
私はそうは思いません。
声も出ないのに流れに関係なく急に盛り上げる無駄なクレッシェンド、無駄なフォルテは
ただ汚いだけで、何の音楽も生み出しません。
もっとスケールの大きなものにしたければ、発声法から改めなくてはなりません。
フォルテを出しても割れない音を出せる発声、つかえずに開放できる発声、
高音になればなるほど解き放たれていく発声ができなければなりません。
それができないのだから、あれが限度なのです。


2005年12月01日(木) VISA取得

寒くなっています。昨日よりだいぶ風が冷たい気がします。

インド大使館はVISA申請のために窓口を空けるのが朝9時から11時まで。
受け取りのために窓口を空けるのが午後5時から5時半まで。

即日交付されるかどうかがわからなかったので申請したら帰るつもりでいたら
なんと即日交付されるとのこと。
パスポートを預けていくのでその方がいいことはいいのだけれど。

都内に住んでいるとか都内で仕事をしているとか、
居場所がある人はそれでも困らないのだろうけど、こんなに間があいていたらどうしたらいいんでしょう。
家に帰ると往復だけで2時間以上取られてしまうのであまりうれしくありません。
かえってまたすぐ出てくる元気があるかどうか。
でも実際問題帰ったほうが良かったかもしれない。

どこかウロウロしていようとマクドナルドでお昼を食べて
MDを聞きながらしばらく時間をつぶしたり、
アキバへ繰り出してみたり。

なるだけ一箇所にとどまりたかったのですが、どうも居心地がいい場所がなく、
歩き回ってすっかりくたくたに疲れてしまいました。
持っていったMDは全体を3回は聞きいた上に、
4分の1ぐらいは部分的に何度も繰り返し聞いてしまいました。

子供たちに話したら映画でも見ていたらよかったのにとのこと。
それは名案です。座っていられるし。
といっても後の祭り。

夕方、お堀端で多少時間をつぶして5時ちょうどに行ったらもうすでに中は人がいっぱい。
15分前にしか扉が空かないのに、外で大勢待っていたのかしら。
30分しかないのにこれだけ全員の分が交付できるのなら、かなり早く進むに違いない。
と思ったけれど、申請よりは早いとは言え、ひどく早いわけでもない。
窓口に行く順番は、申請のときは番号札1番ずつ呼ばれたけれど
受け取りは何番もいっぺんに並ばせます。
私が終わったのがもうすでに5時半近かったけれど、まだ並んでいて、
時間内に終わったのかどうか不明。

帰った頃にはすっかり疲れきっていました。
今日は早寝したい。


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