フォーリアの日記
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2004年01月30日(金) スリランカ料理のレストラン

武蔵浦和にスリランカ料理の店ができていたことは
私が社員旅行に行っている時に娘と外食に出た夫が発見していました。
しかし、その時はスリランカから帰ってきたばかりで日本食に飢えていた夫は、
日本に来てまでスリランカ料理でもないだろうと、見向きもしなかったのです。

今日は私が仕事だったのですが、夫の勤務先と近いので
電話をかけてきた夫と帰りが一緒になりました。

娘を武蔵浦和駅まで呼び出して外食しようということになりました。
駅ビル内のサイゼリアに入ろうと思ったのですが
その前に、夫がそばにあったスリランカレストランのスリランカ人と話をしたくて
ちょっと中へ寄っていました。
店員は全員スリランカ人のようです。

そのあとサイゼリアに行ったのですが少し混んでいたので
この際スリランカレストランへ行ってみようかと入ってみました。

注文した料理が出てくると、びっくりというかやっぱりというか
スリランカそのままの容赦ない味付け。(辛いのです)
日本だからって日本人向けにマイルドにするってことはしてないんですね。

ちょっと食べるとおいしいかもしれないけれど、そのうちそれどころじゃなくなります。
さすがにずっとそういう料理を食べてきた夫はもういいと思ったみたいだし
娘は1回でもういいと思ったみたいです。
私も、1食が限界です。これ以上食べると辛さで胃の内部が荒れて
当分野菜しか受け付けなくなります。

しかし店内では夫はたまたま持ち歩いていたパソコンを開いて
スリランカの写真を店員に見せたりしています。
また、話していると共通の知人がいたりするらしい。
世界は狭い?というか日本は国際的になったのか。

そういうのはおもしろいけど、スリランカ料理をまた食べに来る勇気はありません。


2004年01月29日(木) 何にもない歌

友人と電話で話した時、面白い・・というか妙に納得する話を聞きました。

その友人は前に住んでいたところの歌仲間なので
先生に着いて歌を習っている共通の知人があるのですが、
発表会でその知人の歌を聞いた時の話です。

ヴィヴァルディの「私はジャスミンの花」という歌を歌ったそうなのですが
友人はそれを聞いて何も感じられなかったと言うのです。
でも、ただ機械的に歌ったので何も表現できなかったと言うのとちょっと違うと言うのです。

それで、あとでその知人に話を聞いたそうです。
その歌はどんな歌だと思うか聞いたところ、
「ただジャスミンの花がそこに咲いているというだけの何もない歌」
と答えたそうです。
何もない歌だと思って何もなく歌ったのかと、友人は妙に納得したそうです。

その歌を私も友人も何もない歌とは感じないのですが
その知人は実際そういう風に感じそうな人間なので妙に納得するのです。
なんとも面白い話です。


2004年01月28日(水) 検査結果&オフ会

今日は先週聞けなかった検査結果を聞いてきました。
結果は良性の繊維腺腫だそうです。

病院の用事がすぐに終わったので、そのまま新宿へオフ会に行きました。
ついたのは集合時刻ちょっと前の程よい時間。
遅刻するかもしれないと言ってあったけど間に合いました。

レストランのランチバイキングから
終了時間後はカラオケボックスへ。
とはいっても誰も歌いません。
毒舌マダムたちのおしゃべり全開。

そしてマダムのオフ会は何気なく帰宅して夕食準備ができる時刻に終了するのでした。

久しぶりの外出なので足が慣れていないのか
帰ってから足がだるいです。



2004年01月26日(月) 風邪引いてました

22日木曜日、寝ようとして布団に入った頃から
寒気がしてガタガタ震えだし、一気に熱が上がったようです。

金曜日の朝は夫が適当に卵をレンジで温めて娘と食べて出かけたようです。
私は高熱で(といっても計ってない)布団から出られませんでした。
この日は一日寝てました。
食べ物は何も食べられませんでしたが、
昼に起きてきた息子に頼んでお茶を入れてもらいました。

土日は夫が休みでした。
少しはよくなった気がしたのですがまだほとんど食べられませんし
熱もなかなか下がりません。
子どもたちは出かけてしまっていなかったのですが
夫は土曜日の夕方床屋に行った帰りに買い物をしてきて
頑張って芋煮を作っていました。
これが日曜日の食事にかなり活躍していました。

さすがに日曜日にはそんなに高熱でもなかったので
今日(月曜日)はもう完治するかと思ったのですが
朝はまだだめでした。
なんとか朝食を作って夫と娘を送り出して寝ていました。
自分はほんの少ししか食べられませんでした。
昼に息子が起きてきました。その頃もまだだめでした。

午後、しばらくすると少しましになってきたような気がして
お風呂に入ることにしました。
お風呂で体重を計ると3キロ減っていました。
こんな数値を見たのは10年ぶりです。

そのあとは、少しおきていることが出来たので
洗濯したりお風呂場を洗ったり出来ました。

夕飯を作るときはさすがに足がフラフラしましたが
もう起きている体力がないということはなさそうです。

なんとか明日には完全復活できるかと思います。


2004年01月22日(木) clara

先は遠いと思っていたのですが、集中すればなんとかなるものですね。

おとといの日記にちょっと書いたPostgreSQLは
Linuxのインストール時に一緒にインストールしたものだったのですが
中途半端に設定されていたんですね。
設定ファイルをすべて削除して初期化したらちゃんと動きました。
といっても、どう削除するかは調べたり試行錯誤したりしたんですが。

それから、依存関係があるのでその後に入れなければならない
PHPとZend Optimizerも削除して順番に入れなおし。
最後にclaraを入れなおしてApacheを起動。

動いた・・・???みたいだけど、めちゃくちゃ文字化け。

また調べる調べる。
Zent Optimizerは日本語版を入れなくてはならなかったんだ。
ダウンロードしなおし。
日本語版のほうがバージョン古いけど。

インストールして稼動。
今度はエラーメッセージ。
PHPlibのバージョンが違うとでるというメッセージと同じだけど
変わったのはZend Optimizerなんだけど。
各ソフトのバージョンの組み合わせでだめなものがあるらしい。

でも、それを指定どおりにしようと思ったら
Linuxのバージョンも変えなくちゃならないからそんなことはしたくない。

この際ちょっと試しにやってみるか。
もう日本語関連のファイルが入ったよね。
じゃあその上に最初に入れた英語版を上書き。

またclaraを入れてApacheを起動。
ままよ。
今度は稼動しました。

しかし、夫の風邪がうつったか。
夜になってからせきが出ます。
今日は早寝しよう。


2004年01月21日(水) 再採取

今日はコーラスのあと病院へ行ってきました。

先週の検査の結果が聞けるはずだったのですが
診察室に入って聞いたのは
「採取した細胞の数が少なすぎて、判定が出来ない」
ということでした。

というわけで、再採取。
あーあ、痛いのに。

結果はまた来週ということになりました。

昨日の日記ちょっと追加。


2004年01月20日(火) 寒さに慣れない夫

夫は暑いスリランカから真冬の日本に来たので
素人考えでは急に寒いと体がびっくりするだろうと思ったのですが
どうもそれより、寒い日が続くことがこたえてきているようです。

暑さに慣れた体でも、急に寒いと思えば厚着をしてしのぐことができますが
長く寒さにさらされると、その厚着の度合いや外気と室温との変化など
いろいろな場面で調節がきかなくなっているようです。
帰ってきた当初より、今のほうが元気なさそうです。
体温を保つために発熱する量の調節がきかないのではないかと本人の弁。

そういって今日も早寝しました。
でも、睡眠は十分すぎるほどとっているので
深く眠っているのではなさそうです。

でも寝ているあいだは体温を低めに保って休んでいるせいなのか
朝は元気です。

---
PostgreSQLというデータベースソフトがあるのですが
Linuxサーバーにそれをインストールして
さらにその上で動くclaraというソフトをインストールしたくて
PostgreSQLの設定をしていました。

PostgreSQLを直接使うのではないので、
それについての知識がないのにインストールして設定しようとしているので
まったくうまくいきません。
とにかくこれがまともに稼動しなくては始まらないんだけど。

おまけにclaraの前にインストールしなければならないソフトが他にもある。
まったくもってむちゃくちゃ。
どこでつまづいたかわからない。

claraインストール方法がpdfファイルに書いてある。
Linux用の日本語の読めるpdfヴューワーがあるんだろうか?
Acrobat Readerをインストールしてみたけど英語版だし。
仕方ないWindowsで見るか。

PostgreSQLはいったんアンインストールして再インストールしてみたけど
やはりまともにうごかないので
今日は諦め。

こんな作業をしていると、かなりいろいろとファイルを操作しなければならないのに
ファイルの移動や目的のファイルを探すのに
いちいちコマンドを打ってディレクトリ内を確認しなければなりません。
FDcloneというファイル管理ユーティリティーをインストールしてしまいました。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA012337/soft/fd/
うん、ずいぶん楽ちん。

でも肝心のPstgreSQLは正常に動きません。
また今度頑張ってみよう。


2004年01月19日(月) 夫が風邪気味

夫が風邪気味でのどが痛いといって早寝しました。
といっても眠ってはいなくて、むこうで早く寝ろといっています。
というわけで、寝ます。
おやすみなさい。


2004年01月18日(日) 通常の日曜日

まあ、通常の日曜日なのですが通常がずっとなかったので慣れていません。

灯油缶が2缶空だったのですが、買いに出る直前に
各ストーブへ灯油を入れて、夫がもう1缶空にしました。
一人なら2缶持って上がるのが精一杯ですが
二人で行けば3缶買えると言いうので(家には全部で3缶あります。)
まあそれもいいかと思いました。
まあ、今週3缶買うのが徳なのか損なのかわからないんですが。

買い物に夫の運転で車でダイエーへ行きました。
ダイエーは徒歩では辛い、自転車ならまあいいという微妙な距離で、
最寄駅のそばでもないので
夫がいない間1回も行きませんでした。
(ダイエーが優勝しても行かなかった)
久しぶりのダイエーでした。
といっても特に変わってもいなかったので
感激するようなものではありませんが。

夫がいるとこうやってなにかと車で出かけるので、
バッテリーは上がらないでしょう。


2004年01月17日(土) 伊豆旅行

伊豆へ行ってきました。
昨日旅荷物を持って出勤して初めて、河津へいくということを聞きました。
昼まで仕事をして1時台のスーパービュー踊り子ででかけました。

宿は部屋数は少ないこじんまりしたところなのですが
部屋はすごく立派で、女性3人部屋だったのですが
おもな部屋のほかに掘りごたつのある4畳半(?)があり
まるで誰かの家へ行ったような気分です。

部屋にもお風呂があって、露天風呂までついているのですが
せっかく温泉なので大浴場へ行きました。
大浴場は、午前5時に男湯と女湯を交代するそうです。
着いた晩は女湯が広い方で、湯船にバラの花が浮かべてあり、
バラの香りがただよっていました。

だいたい、宿の夕食と言うのは多くて
食べ過ぎた上に食べきれないのですが
大皿の料理は唯一の男性がかなり平らげてくれたので
個々にどれくらい食べたかは別にして、けっこうきれいに消費しました。

ところで、はまぐりのお吸い物が出たのですが
はまぐりの貝柱をきれいに取る方法を聞いたことがありますか?
私は貝柱を取ろうとして、ぐちゃぐちゃにした上に取れないでいたら
Iさんがカラの貝柱のうしろにあたる部分を箸でこするととれると教えてくれました。
そういえば、夫の母もそう言っていました。
すっかり忘れていましたが言われて思い出しました。
でも、どうしてそうなのかは謎です

Iさんはさっさとやって見せてきれいに取って食べました。
私もぐちゃぐちゃになったのをこすってみたら、取れそうになかったものが何とか取れました。

朝は6時半ごろに一人で起き出して、まず、部屋の露天風呂にちゃぷんと漬かってみました。
それから朝風呂に行きました。
すっかり温まって気持ちよく出てきましたが、
部屋に戻って窓から外を見ると、もうサーファーが海で泳いでいました。
うわあ、寒そう。

外は雪です。
伊豆では10年に1度ぐらいしか雪は降らないけど2,3年前に降ったと仲居さん。
一見まじめで品のよさそうなのにおもしろい冗談が多い人です。

朝食もいろいろ出るので食べきれないかと思ったのですが、
おいしかったし、主食に古代米のおかゆが出たので、それを食べて白御飯を食べなかったら
なんとか食べきれました。

寒いし、雪は降るし、ほとんど観光せず
予約の電車よりはやい電車に変更して帰ることになりました。
寒い思いをして歩き回るほうがいいという剛の者はいなかったのです。

それでも、日常から離れて贅沢な気分を味わってのんびりしたので
みんな満足でした。


2004年01月15日(木) 夫の荷物整理

今日は荷物を片付けると言って夫が休みを取って家にいました。

荷物といっても大きな引越し荷物は船便で3週間くらいかかるので
まだまだ着きません。
今日片付けると言うのは飛行機で一緒に持ってきた荷物です。

夫の荷物は大きなトランクと、2輪でころころ引っ張れる旅行バッグの大き目のもの。
その二つにぎっしり衣類やお土産や最後まで必要だった物などを詰めているので
広げると一部屋占領していました。

たくさんあると言っても一日中かかるほどではないので
今日は夫はのんびりしていました。

私も昼寝をしたので少し睡眠不足を解消しました。

明日は私は社員旅行で伊豆方面へ行きます。
スリランカから帰ってきたばかりの落ち着かない時に出かけるのは
気分的にあわただしいのですが
行くことは11月ごろから決まっていたのです。

伊豆と言っても候補が3ヶ所ほどあり、
どこへ行くかは12月時点では決まっていなくて
1月になってから私がスリランカへ行っている間に決まったようなので
実は私はどこへ行くかはっきりは知らないのです。
一度電話をかけた時には聞きそびれました。ま、いいか。

午前中仕事をして午後から出るので、通常どおり出勤すればいいのです。
1泊して土曜日には帰るのですが、帰る時刻も知らない・・・。

というわけで明日は出かけます。

P.S.
スリランカの「4日目」も書きました。


2004年01月14日(水) コーラス、乳がん検査

なんだか今夜はfogliaのページが開きません。
iswebが落ちてる?
直接日記サイトのエンピツから飛んで書いています。

今日はコーラスでした。
先週もあったのですが、スリランカへ行っていたので休みました。
それを年末から言ってあったのに、
言付けておいた人がすっかり忘れていたので
みんなにどうしたのって聞かれました。

午後は乳がんの検診の継続検査に行ってきました。
エコー検査で少ししこりのようなものが見えるので
継続して観察するため11月から予約してあったのです。

エコーの検査をしたら、前よりしこりがはっきり見えるとのことで
細胞診をすると言われました。
注射針のようなものを刺して、そこから細いチューブでつながっている
注射器の本体のようなもので吸い出すようにして
エコーで採取する場所を見ながら採ります。
たぶん普通の注射程度しか痛くないのだろうけれど
深いのと、注射より長い時間がかかっているのとで、
なんだか痛いような気がします。
気のせいかもしれません。
無駄に緊張したので消耗したかもしれません。

終わったらばんそうこう(変換できない。なんかまちがってる?)を貼られました。
今日はお風呂に入ってはいけないといわれました。
結果は来週聞きに行きます。


2004年01月13日(火) 日常

今日は夫は通常どおり出勤しました。
時差と飛行機での移動で、まだまだ睡眠不足です。

食べ物の消費量が今までと段違いな他は
そんなにあたふたすることもなく
また2年前と同じ生活が続いているようです。

日付順に書こうなどと思っていると滞るので
旅行中の日記は元気な時に書くことにしよう。


2004年01月08日(木) 4日目

今日は朝から夫が会社へでかけ、私は宿舎に残っていました。
夫が使っていた会社のパソコンThinkPad T21は、昨日クロスケーブルで夫の個人のFMV-BIBLO MG8につないで
データを移しておいたので、個人データをすべて消して夫は会社に持っていきました。
(これは日本語Windowsですが、また日本の方が使います)
夫が会社に行っている間に、
私は日本語Windowsの入った古いパソコンThinkPad 380EDに
現地の人が使えるように英語版Windows2000をインストールしました。
これはもともとはWindows95が入っていたPCですがWindows2000にアップグレードしてありました。
でも、日本語版では現地の人が使えないので英語版にするのです。

この英語版Windows2000のインストールの顛末はPC関連掲示板に書きましたので
詳細を知りたい方はそちらをご覧ください。

夫が帰ってくる昼までにはなんとかWindows2000のインストールを終えました。
午後はそのPCにOffice2000を入れたいと言って
夫が知っているほにゃららな(自粛)店で英語版Office2000を買ってきました。

それから大変だったのはメイドの職探しです。
夫が暮れから日本人会に広告を出していて、3件の問い合わせがあったそうです。
そのうち一軒は電話してみるとプロのコックさんを求めているようなのでちょっと対象外。
その次の家に電話したら、1月4日に日本から来たばかりという一家でした。

その家に面接がてら訪問しました。
クイーンズコートというところにあるマンションで
まだまだ引っ越したばかりで、荷物が全部着いていないそうです。
小さな子どもが3人いて駆け回っています。

その方も乗り気ではあったのですが、問題がありました。
メイドが宿泊できる部屋がないのです。
部屋がないとなると、通いということになりますが
3日目のところに書いたようにシータの自宅はコロンボに通えるようなところではありません。
なので下宿を探さなければならないのですが
矛盾していることに、通いにすると労働時間が限られる上に下宿代と交通費が余分にかかるのです。
費用の問題で、双方悩んでしまいました。

とりあえず保留にして宿舎に帰り、夫はシータに直ちに下宿を探すように言い含めました。

夜はコンサートに行きました。
前にスリランカのオーケストラと競演したソプラノのコンサートで
伴奏のサウンダリーさんはオーケストラでバイオリンも弾いているそうです。
客演のチェロもオーケストラの人で夫が習っていた先生の一番弟子だそうです。

いろいろ用があって遅れていったのですが
指定席はほとんど空いていなくて、2階の自由席に入りました。
2階のほうはちょっと雰囲気が違い、演奏中に出入りするななどといわないようです。
食べ物を持ち込んでいる人もいるようです。

ドアを開けて入った途端にはっとするようなピアノでした。
すばらしいピアノでした。
もちろんソプラノもよかったのです。
声もいいし、明るくて愛嬌があって素敵です。
でも、それより先にピアノがすばらしいと思ってしまいました。

帰ってからまた、夫はシータと話しましたが
どうしてものんびりムードのシータにお説教してしまいます。
なかなかむずかしそうです。


2004年01月07日(水) 3日目

今日は朝からシータの家へ出かけました。
コロンボから車で2時間半。
シータが帰るときはバスを乗り継いでなのでもっとかかります。
家の近くまでのバスは一日に1本しかないので結局一日がかりになるでしょう。
途中シータの友人の家によってきました。
海辺の砂浜に立つその家はとても貧しい家でした。
シータの友人は足に障害がある人です。
この国に身障者の生活を保障するような制度はないようなので
最低限の生活を強いられるようでシータは何かと補助しているようです。

そのあとさらに車で1時間(?)。
海岸から少し内陸に入ったほうに進みます。
シータの家はゴムのプランテーション(の従業員)です。
コンクリートの小さな長屋のような建物の1室です。
床も土間で、電気もガスも水道も通っていないところです。
そこに、お母さんとおばあさんと一緒に住んでいます。
おばあさんは目が見えません。
行ったときはお母さんが留守で、シータは鍵を持っていなかったので
家に入れませんでした。
電話ももちろんないし、シータは携帯を持っているのですが
携帯もここでは通じません。
住人が皆出てきて見守る中、しばらく待っていました。
シータが途中で買ったバナナと、日本から持ってきたクッキーを子どもたちに分けました。
しばらくしてお母さんが帰ってきたのでお別れの挨拶をして帰りました。

夜はドクターのパーティーでした。
ドクターというのは名前も職歴も何度も聞いたのですが忘れます。
タミール人の知識人で、夫と一緒にジャフナに行った人です。
年寄りと言っていい年代の人なのですが
きちんとした英語を話すのでたいへんわかりやすいです。
話も教養の高さがうかがわれて面白いのです。

でも、いかんせん時差の問題で
7時ごろ訪問して、食事が始まる8時ごろにはかなり眠くなっています。


2004年01月06日(火) 2日目

朝から夫の会社へ行きました。
夫の会社でさよならの挨拶をするためです。
夫は会社に出るととてもあと数日でここを離れるとは思えない様子です。
残務整理と挨拶というような雰囲気ではなく、
どんどん仕事が舞い込んでくるという感じ。

そのあとパンジャブスーツを作りに仕立て屋に行きました。
夫がパンジャブスーツ用の生地を買ってくれていたのです。

午後、夜に夫が宿舎に友人を招いてパーティーをするというので
材料などを買いに出ました。
のりがたくさんあるし、日本からしそを持っていったので
手巻き寿司を作ろうということだったのですが
刺身で食べられるような新鮮なまぐろを探したけれど見つかりませんでした。
明日がポヤで休みになるので早めに売り切ってしまったようです。
手巻き寿司はあきらめて他の料理にすることにしたのですが、
なぜかわさびだけは買って帰りました。

夜、夫の友人達がやってきました。
なんと、シンガポール航空の方が刺身用のまぐろを持ってきてくれました。
なんという偶然。手巻き寿司復活です。
わさびを買ってきたのは偶然ですがラッキーでした。
この日の来客は国籍こそさまざまですが皆中国系の東洋人です。
なんと表現したらいいかわからないのですが、皆すごいです。

私はまだまだ体が日本時間なので夜のパーティーはかなりつらいです。
ひたすら眠くて困りました。
それと、1食の量が毎回多めでおなかが常に一杯です。
これをつづけているとあっというまに太りそうです。


2004年01月05日(月) 1日目 スリランカへ

13:20分成田発モルジブ経由コロンボ行き
今回はビジネスクラスなので成田で待つ間、ラウンジが使えました。
仕事用のテーブルにセントリーノのマークが貼ってあったので
無線LANが通じているのだと思ってPCを開いてIEを立ち上げると
インターネット接続の案内のページが立ち上がりました。
1日1000円だそうで・・。
一日ここにいるんじゃないのに。
やめました。

飛行機内は多少予想はしていたのですが
動けない上に次から次へと食事が出るので食べ過ぎます。
そのつもりでセーブもしているのに
食事の回数自体が予想より多かったりします。

日本から乗ったのは日本人が多かったのですが
ビジネスクラスで家族旅行ができるなんて金持ちなんだろうか。

モルジブのマーレで日本人はほとんど降りてしまいました。
その後はモルジブから乗った人でかなり満員になりました。

モルジブからコロンボまではそんなにかかりません。
12時ごろ発って、1時20分着。(コロンボ時間)

飛行機の座席では背中が丸まって痛くなるのであまり眠れません。
それでも1時間ぐらい眠ったと思います。
着いたときには眠くて眠くてぐたぐたでした。

空港へ迎えに来てもらって、宿舎に着いたのは2時ごろ。
寝たのは2時半ごろでしょうか。
日本とコロンボは3時間の時差があるので日本時間では5時半です。
ほぼ徹夜したみたいなものです。
眠いわけです。


2004年01月03日(土) 少しは準備

駅前に買い物に出てみたら店はけっこう開いていました。
仕入れは休みだったのか、品物は少なくなっています。

酒としその葉、お菓子などを買いました。

通常の食料品はコープの店の方がいい気がして
いったん家へ戻ってまた出ました。
こちらも年末よりは品物が減っています。

スリランカへ行く準備をしなければなりませんが
なかなか暑い国へ行くという実感が湧きません。
衣類を出してみてもこれでいいんかだ悪いんだか。

まあ、衣類なら何か忘れてもなんとかなるでしょうか。

それよりパスポートとかチケットとか
そういう方面を気をつけたほうがいいかもしれません。

P.S.
某所でしょうもない議論をして疲れました。


2004年01月02日(金) 落ち着かないお正月

そろそろお正月も胃に負担になってきて
早くも七草がゆでも食べたいです。

どうせ7日にいないんだから食べてしまおうか。
七草売ってるかな?

このごろはスーパーも1日から開いていて
通常の食料品には困らないとは言うものの
夫に頼まれた買い物も、お土産も
三が日では目当ての店が開きません。
4日なら日曜日だけど開いているかな?
あせってもしょうがないんだけど。


2004年01月01日(木) 小田原へ

明けましておめでとうございます。

今日は子どもたちを連れて、小田原の夫の弟の家へ行ってきました。
夫の母が今そちらに行っているので
様子見がてら賑やかしにというところでしょうか。

子どもたちは、家を新築してから行くのは初めてだったようです。
そういえば前に行った時は、アパートだったかもしれません。

お義母さんは、完全に元気とはいえないまでも
ほとんど寝ていた小田原に来た当初よりはだいぶいいそうで、
起きて普通にしていました。
でも、ずいぶんやせたように見えました。
調子の悪い時は食事が取れなかったそうで、
今はそれもよくなって、ある程度食べられるようになっているそうです。
それでも、肉類など重いものは食べたくないそうです。

みんなで宴会して、お酒も飲みました。
私はかなり酔ってしばらく寝ていました。

帰りは小田急から埼京線に乗り継いで帰ってきました。
こちらの駅について電車を降りると
小田原よりだいぶ寒い気がしました。


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