フォーリアの日記
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2002年11月29日(金) へんなお客さん

きのう「つづく」と書いたものの
リブレットは再インストールした後も
まもなくまた不調になりました。
外付けFDDとCD−ROMでは、もう1度再インストールも面倒なので
あきらめて寝ました。

今日はほとんど家にいなかったので、手をつけていません。

スタッフ全員が変人扱いして、
BBSの書き込みにも返事を書かなくていいと皆が言う
噂の変わったお客さんが5時半にくるはずのところ4時半に来て
出くわしてしまいました。
仕事を終わろうとしていたころ、話し掛けられて困りました。
ホームページをよく見ているらしいし、
こんなマウスを使っているなどと取り出して見せてくれるし
(持ち歩いているノートパソコンなのに巨大なマウス)
ノートのハードディスクを30Gのものに替えたとか言ってるし。
「はいー、はい。」
適当に聞いてましたが、長いのでそっと逃げました。

こうやって書いても何が変なのかわからないのですが
おしゃべりなのに突っ込みどころをはずすというか、変なのです。
40歳ぐらいなのにほぼ全部入れ歯だし。


2002年11月28日(木) やるべきことは違うんだけど。

今日は午前中は美容院へ行ってきました。
時間がかかるので終わると1時過ぎていました。
美容院の中で読んだ雑誌にトンコーロー肉まんというのが出ていて
おいしそうだったので、なんだか食べたくなりました。
普通の肉まんを買って帰りました。

午後、お掃除をしようと思っていたのです。
長野へ行っている間してないし。
でも一息入れたら2時半。

長野で使っていた時やけに不調だったリブレットのリカバリーもしたいなあ。
いやいや、お掃除しなくちゃ。
明日も仕事で家にいなくてできないし、あさっても出歩くし。

・・・結局、誘惑に負けました。

リブレットの取扱説明書を初めて開いたのだけど、開けてびっくり。
父の書き込みがたくさんあります。
わからない単語に鉛筆で丸がつけてあって?がついています。
「スマートメディア」?「クリック」?「フォーマット」?
一生懸命読んでたのだなぁ。

このリブレットのリカバリーは、購入時の状態だけでなく
「最小構成でシステムを復元する」というのがあるらしい。
詳細は、オンラインマニュアル?
仕方がない、リブレットを立ち上げて見てみよう。
ああ、スキャンディスクが始まってしまった。
そういえば、不調のまま電源切って持って帰ってきたんだった。
そのままクラスタスキャンに突入。
あーあ、こうして時間は過ぎていくのでした。

つづく


2002年11月27日(水) 雨のち雪

長野は午後から雪という予報でしたが
昼頃にはまだ雪になるほどではなく、雨が降り出しました。
さささと家の中の埃を掃き出し、
側溝の落ち葉を掻き揚げてから病院に行きました。

父は、右足が痛いというので痛み止めを飲んだということで
薬のせいで眠気が強く、今日はほとんど寝ていました。

日曜日に側溝を掃除していた弟が近所の農家の方にりんごをもらいました。
そのりんごを持っていったのですが
声をかけると目を覚まし、
「食べる?」と聞いたら食べるというので皮をむいていたら
むいている間に寝てしまい、食べられなくなってしまいました。

しばらくしてまた目を開けたので声をかけたら
今度は少し食べました。
食べているうちにまた寝てしまいました。

ほとんど寝ているのかと思えば、私が椅子に座ってうたた寝していると目を覚まし、
(父が完全に眠っている時は暇なので、ついうたた寝してしまいます。)
「大丈夫か?風邪引くなよ。寒かったらその辺にある布団掛けてていいからな。」
などど、声をかけてきます。(親というものはありがたや。)
普通ならここで父も起きあがるのですが、
今日は二言三言言葉を交わしただけでまた眠ってしまいます。

夕飯も食べられそうになく、
声をかけても返事はするものの食べる気にはならないようなので
そのまま眠ってもらうことにして、今日は早めに帰ってきました。

雪は帰るころには小降りになり、新幹線に乗ったころにはほとんどやんでいました。
そのころには空も晴れているようでした。


2002年11月26日(火) 急がなくてもいいんだけど。

新幹線に駆け込み乗車・・・と言っても、閉まりかけたドアに滑り込むわけではありません。(←危険だからやめましょう)
埼京線の武蔵浦和発の時刻からわずか15分後が、新幹線の大宮駅発車時刻だったので
まさか乗れるとは思っていなかったのです。
でも、快速は速い!
新幹線の改札口で時計を見たらあと2、3分。これは走れ!ってもんでしょう。
エスカレーターを駆け上がって(よい子は真似してはいけません)ホームに着くと、
新幹線が入線してくるところ。
上がってきたあたりは指定席なので、一番後ろの自由席まで走る走る。
自由席のそれも禁煙車はさらに後ろ。その上喫煙所の前。
息を切らして煙を吸い込みゴホゴホむせながら
なんとか間に合いました。

新幹線も長野電鉄も電車の中は暖かいので眠くなります。
その半分寝ぼけた状態で吹きさらしのホームに下りると寒さがこたえます。
風邪を引くとしたらこの時だろうなといつも思います。
病院の中も暑いくらいなのですが、
体が目覚めているときは外の寒さにさらされても抵抗力があるような気がします。

私はすっかり忘れていたのですが
父の車を弟が車検に出しておいてくれました。
(といっても、弟の嫁さんの実家です。)
洗ってなかったので汚かったのですが
外見まできれいになって帰ってきていました。
(弟が洗ったのだろうか?それとも洗ってもらったのだろうか?)

父はほとんど変わりない様子です。


2002年11月25日(月) 歯の治療

先日折れた歯の治療に行ってきました。
休日当番医のところでは、折れた先の方の元の歯はたぶん使えず
中に金属を入れて、図1(←クリック)のようにするという話でしたが
今日行ってみると、元の歯を利用してちゃんと貼り付けて
図2のようにするようです。
根元で折れたので、かぶせる部分と土台の歯の境目がこのままでは歯茎より下になり、
細菌に感染したりしてそこから虫歯や歯周病になってすぐにだめになるので
境目が外に出るように、ということで歯茎を少し切り取られました。
かぶせる部分は仮歯を作ってもらってかぶせてあるので普通の歯に見えますが
歯茎の傷がしみるので、そこに薄いゴムのようなものがかぶせてあり、
それがちょっと目立って気になります。
2、3日したらそのゴムは取り外してもいいそうなのですが。


2002年11月24日(日) 行かなかったなあ

駒場祭、とうとう行かなかったなあ。
プログラム見せてもらっておくんだったなあ。
そうすれば面白そうなのを見に行きたくなったかもしれないのに。

息子こんなところで頑張ってます。(←親ばか)
http://tokyo.cool.ne.jp/bun3gekijou/welcome/


2002年11月23日(土) 歯が・・・

もう、朝から悲惨。歯が折れてしまった。右上の犬歯。
神経のない歯なので痛くはないのだけど、
見えるところだし、この歯の今後を考えると、ううう。(泣)

今日は土曜日で祝日なので近隣の歯医者は休みだし。

今日は、娘の学校の120周年行事で
吉野篤子さん、吉野直子さんのハープの演奏会があるので聞きに行こうかと思ったのに。
http://www.fk.ocha.ac.jp/users/chako/shikiten120.html
それから、駒場祭でものぞいてこようかなあと・・・。

このままじゃ外へ出られない。
月曜日までこのままだったら・・・
いやーーーっ。

どうしよう。混乱して、いつもお世話になっている歯科医の先生の自宅に電話してしまった。(すみません)
休日当番医のようなものがあるはずだからとりあえず仮歯を作ってもらって
継続して治療してもらえる所を月曜日に受診するように言われた。

なるほど当番医。冷静に考えたら気づいてもよさそうなもんだ。
でも、「とりあえず」が怖くて躊躇したことも確か。

前に、歯が1本割れて緊急に受診した歯医者で
(1本だけ応急処置してもらうつもりだったのに。問診票にもそう書いたのに)
いつのまにか5本も削られて(麻酔かけられてて気づかなかった)
噛み合わせが合わなくなって悲惨な目にあった。
それも余分に削られた歯は、治療痕があって見た目が悪いと言うだけで、
虫歯の治療の必要があった歯ではない。
誰も頼んでいないのに。(訴えたら勝っただろうなあ。でも、歯は帰ってこない)

そういうわけで、先生の自宅へ電話して
休日診療医は残った歯を削ることなく、
当座をしのぐために仮歯を作るか折れた歯を貼り付けてくれると聞いてやっと安心し
浦和の休日診療所に行くことにした。

休日診療所は保健センター内にあり、前に健診に来たことがある。
その時は平日ですいていたが、今日は前の駐車場に車があふれている。
中へ入ると、たくさんの小さな風邪引きさんとそのおとうさん、おかあさんたち。
歯科はすいていたが、受付と会計が一緒なので、結構待たされた。

そして、折れた歯を貼り付けてもらった。
2,3日は持つだろうということなので、後はちゃんと治療しなければならない。
帰ったら昼になってしまった。


2002年11月22日(金) しまった!

電話持ってくるの忘れて出てきちゃった。
携帯買っても緊急用にならないじゃん。ドジ。

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↑これ、お昼休みにネットカフェで書いたんですが
そこのパソコン、Windows98SEのものからWindowsXPのものに入れ替えられていました。


2002年11月21日(木) ミニオフ会

今日は九州からSさんを迎えて、TさんKさんと4人で銀座でミニランチオフ会でした。
ランチはパエリアを注文したのだけれど、そんなものはいつ食べていたかわからないほど
おしゃべりに熱中していました。
ちょっと量も少なくて足りないとは思ったのですが
(私でも足りないのだからどこぞのマダムならきっと相当ご不満だと思います。)
食べながら、食べることに集中していないので
食べ終わったころには足りたんだか足りないんだかそんなことはどうでもよくなってしまっていました。
でも、デザートにコージーコーナーでケーキでも、と言う提案には
一も二もなく賛成したので、やはり足りなかったのです。

とてもSさんが九州なんていう遠いところから来ているとは思えず、
つい気軽にフツーのオフ会ののりでしゃべりまくってしまったけど、よかったかしら。
ネットに繋いでいることもネットの友達がいることもご主人には内緒と言うSさんですが
今日ばかりは開放された様子でした。
難しいことは忘れて楽しくおしゃべりできましたよね。

幼稚園のお迎えのためにTさんは先に帰りましたが
そのあと秋葉原にカレンダーをとりに行くというKさんについて
3人で秋葉原に行きました。

FTTH用のスループットの高いルータを見たいと言っていたのに
ずっとしゃべりながら歩いているので、うろうろしたばかりで
すぐに帰ることになってしまいましたね。ごめんなさい。

九州から来るなんていう機会はそうそうないかもしれないけれど
遠いところに住んでいても、普段ネットで見かける人たちは
初めて会っても前から知っているようで
話題がいろいろ尽きなくて本当に面白い。

九州のSさんにとっても、遠くまで来て疲れたかもしれないけど
旅先と言う開放感もあってのびのびできてよかったのではないでしょうか。

では、またネットで会いましょう。


2002年11月20日(水) 落ち葉掃きなど

今朝の気温は−4度。
でもだんだんぬかりなく対策を立てて、耐えられるようになっています。
先週は電気毛布を使ったのだけど、それでも朝方肩から冷えて
早朝に目は覚めるは、ちぢこまっていたせいか肩は凝るはで、朝から疲れていたのですが
今日はタイマーで朝ストーブがつくようにしておいたので快適でした。

それでも、朝から外の落ち葉掃きをする決心がなかなかつかず
9時になってもまだ外は−1度、寒いよー。
コタツに潜ってネットにつないで遊んでいました。

家の中の掃き掃除ぐらいはぼちぼちやったものの
外へ出たのは11時ごろ。外気は5度。
やっと外へ出て落ち葉掃きを始めました。
(ほんとかな?ずっとネットにいたじゃん、ていう突っ込みがきそうだな)
でも、日差しを浴びてせっせと働いていたら暑くなって
コートを脱いでしまいました。
道路の大量の落ち葉を庭へ放り込み終えて、家に入ってきたら
セーターにたくさんのひっつきむしが・・。
ひっつきむしって本当は何ていうんでしょう。
何かの草の実で、細かいのがたくさんくっついてくるヤツ。
それがセーターやらスカートやらにたくさんくっついてきて、とるのが大変。

午後一番、先日の水道工事の請求書が来ていたので銀行に振込みに行きました。
行ってびっくり八十●銀行。
現金ではATMで振込みができないんです。
ATMで振り込むにはキャッシュカードを持ってきて口座から振り込むか
振り込み帳というものを作らなくてはならないそうです。
仕方がないので窓口で振り込みました。

さて、病院では父はあまり変わった様子はありません。
時々起きてはすぐ疲れてまた寝るような状態。
夕食を食べるのに付き合って帰ってきました。

帰ってきたらものすごく暖かく感じました。
今日は暖かいの?と娘に聞いたら
ふつうじゃん?とか答えてたのでこんなに違うものなんですね。
あまりに気候の違うところを往復すると、本当に感覚おかしくなります。


2002年11月19日(火) 小布施観光風景

家を出たときからいいお天気でしたが
長野へ着くと青空が広がっていて、
ああ、こんな日は洗濯日和、布団干し日和だなあ、と思ってしまいました。
電車でさらに病院のある小布施という駅まで行くのですが
小布施へ着くと長野よりまた一段と寒いのです。

小布施は栗の産地で栗菓子のお店が有名です。
近年観光地化が進んで、歩道も趣のある敷石を使い
葛飾北斎の天井絵のある岩勝院(こんな字じゃないかも)や
北斎館などへの案内板もきれいに整備されています。
レトロなバスが運行されていて、長野駅との間を往復しています。(電車のほうが速い)
土日にはかなり観光客が来ています。
10月ごろには平日にも観光客がたくさん歩いていたのですが
さすがに寒いのか今日は少ないようでした。
今は紅葉がきれいで、もみじなどは本当に真っ赤です。
寒暖の差が激しいので都会では考えられないほど真っ赤になります。
観光で来ているんならどんなにいいでしょう。

病院の中は裸になっても寒くないくらいに暖房されているので
急に外から来ると適応がたいへんです。
このごろは厚着して来るので、コートを脱いでも暑いくらいです。
ここで気をつけないと風邪を引きそうです。
建物の中は季節感もないのですが、窓から外の庭園が見え、
木々のみごとな紅葉を眺めることができます。
入院患者のお散歩コースにもなっています。

父は今日は私が着いたときはお風呂に入れてもらっていて
戻ると疲れて寝てしまい、夕食時まで起きてきませんでした。
夕食後またすぐに寝てしまいました。

実家の庭は落ち葉がかなり落ちて、片付けないと近所迷惑です。
庭の中に落ちている分にはいいのですが、
道路や側溝にも落ちているのでそれを明日片付けようと思っています。


2002年11月18日(月) ドア枠塗装

朝から玄関ドア枠の塗装工事が来た。
玄関を開けなければならないので、先週希望日調査が来ていたのだが
下塗り希望日と、翌日以降に本塗り希望日を書くようにということだったので
下塗りを今日、本塗りを23日(土)で希望を出しておいた。
火、水と長野へ行って、木曜日は九州からのお客さんとオフ会(?)で、金曜日は仕事で。
翌日以降と言ったら土曜日になってしまう。

ところが8時半頃来たペンキ屋さんが言うには
「今日午後いるのなら、本塗りもやっちゃいましょうか。
 乾けば塗れますし、早い方がいいですから。」

「時間がわからないと出かけるかもしれないけど・・・
 たぶんいるので声かけてください。」と言ってから
「きょういなくても、こんな早い時間なら明日でもまだ出かけてないのでいます。
 木曜日でも朝早くならいます。」
とつけたしておいた。
そうしたら、10時ごろには本塗り1回目が来て
昼前に2回目が終わってしまった。

朱色の下塗りのまま何日も過ごすのも見た目が悪いと思っていたので
終わってしまって助かった。

でも、枠が乾くまで玄関のドアが閉められないので
午前中ずっとドアを開けっ放し。
今日は暖かかったとは思うのだけど、外気とあまり変わらない室温ではちょっと寒かった。
ストーブも温度が上がらないせいか、ずっとついていた。

夕方になって、かえって室温が上がったのかストーブが消えた。
そのまま消しておいたら、娘が帰ってきて
「外気とかわらないくらいで寒い。」といってストーブをつけた。

長野へ行くと言うのに明日は冷えるらしい。


2002年11月17日(日) 今日はのんびり

今朝、すごい荷物をもって息子は出かけた。
大きなスポーツバッグに、普段のリュック、
それでは足りなくて大きなボストンバッグ。
それらみんなにたくさん荷物を詰めて、持っていけるのか?という状態。
「車で行かないの?」
「1週間帰れないので止めるところがない。」
しかたがない、がんばれ。

娘の演奏会は聞きに行こうかどうか迷ったが
演奏は1曲だけだというし、杉並公会堂というのがちょっとめんどうだし、
行くのはやめてしまった。

結局今日はのんびり過ごしてしまった。

Linuxを定期的にNTPで時刻あわせができるようにしようと思ったのだが、
そのためのツールxntpが入っていることはわかったけれども
本体や設定ファイルがどこにあるのか見つけられず
設定ができず、今日はあきらめ。


2002年11月16日(土) 消防点検など

今日はマンションの消防点検でした。
防火管理者なので一応立ち会います。
といっても、どういう消防設備があるかわからなかったマンション建築直後のころには
いろいろ知らなければならないことがあったからずっと見てたけど
今はいろいろわかったし、1軒1軒ついてまわるわけじゃないし
外に立っていても寒いし、管理室は狭いので入り込んでいると邪魔してしまうし
で、自宅待機みたいなもんです。

2時ごろ終わったので灯油を買いに出ることにしました。
早くも灯油をどんどん使って暖房していると言うよりは
最近のファンヒーターの灯油タンクは、本体が小さくても9リットルだったりするので
いっぱいに入れると2台分で灯油缶1缶終わってしまうからです。
最初の1缶は入れるだけで終わるようなもんです。

現在マンションの駐車場の塗装工事中で、先週うちの車の場所が塗装中だったので
空いている他の場所へよけてあります。
それを今日中に元の位置に戻さなくてはならないので
灯油を買いに出て帰ってきたら元の場所へ入れておきました。
なんだか、休日で車がみんな出払っているので
ほんとに今日戻していいのかなあと、ちょっと不安になりましたが、いいはず。

娘は明日、吹奏楽の合同演奏会なので、杉並公会堂への行き方を調べていました。
夜は打ち上げで遅いらしい。

息子は明日から駒場祭に向けて1週間泊り込むといいます。
その準備で、救急箱やら食料やら、なにやらいろいろ準備しています。

明日の夕食は私一人らしい。


2002年11月15日(金) もう眠い

今日は仕事に行っていたので何も変わったことはありませんが
夜は早くから眠いです。
昨日夜更かししすぎたからかな。
おやすみなさい。


2002年11月14日(木) 通常の生活

なんとなく思ったのだけど
自宅と長野を往復する変則的な生活を続けるのにも慣れてきて
今のままの状態が続くなら・・というより続くと思って
もう少し、通常の気分で生活してもいいかなあと。
いや、「してもいい」のは多分もともとそうなんだけど、できそうだなあと。

明日はバイトに行くけど、これも、とりあえず今月中は元のとおり
定期的に行くこととして。

それに家にいる時も、留守の間のしわ寄せはあるとしても
通常の生活ができそうな気がしてきた。
(気分の問題なんだろうけど。)

いきなりあと1週間などといわれたから緊急体制に入っちゃったけど
それが間違いだとわかっても、気分はどうしても不安定で
いつどうなってしまうだろうと常に思っていた。
でも、そうじゃなくて、もう少しゆったり構えて
このまま、今の状態を受け入れたまま
通常の生活をつづけていってもいいと思えてきた。

父の様子は安定しているとはいえ、毎週行くたびに前よりは弱っている。
冷静に考えれば、このまま何ヶ月も続くわけはない。
でも、いいじゃない、続くつもりでいても。
何かあるなんてその時考えればいい。
今はこのまま過ごしていこう。


2002年11月13日(水) 筋力の衰え

今日は父はほとんど寝ていました。
自力で立ち上がれないので介助をしてもらって用を足すのですが
それだけで疲れてまた眠ってしまいます。
昨日は長時間起きていたから、その反動もあるのかな。

自力で立ち上がれないといっても、立ち上がる意欲はあって、
昨日もベッドの縁へ腰掛けて、両手で支えて立ちそうなそぶりをみせます。
立ち上がる用があるなら手伝おうと思って聞くと
少しは練習しなくては、力がなくなってこのままどんどん立てなくなってしまうといいます。
ベッドの上で起き上がる時も、トイレの時は間に合わないので急いで起こしてほしいらしいのですが
自力で起きようとして頑張っている時もあります。
ベッドの柵などにつかまって、向きなども工夫しつつ苦労して起き上がります。
でも、それだけで疲れてしまうようです。

先週は転んだところが痛くて立ち上がれなかったとはいえ
介助して立たせると立っていられたのですが
今週は立っていられる時間が短くなっています。
先週は痛くて、立った時に足が運べなかったのですが、
今週はそれはなく、左右とも足は運べるのですが
立つ筋力は弱っているようです。

そもそも、7月に入院した時はもうだめかと思ったが
なんとか今まで持ちこたえているなあ、などと自分で言っていました。

本当はその時より進行しているはずなのですが
痛みをとるということは、人を安らかにするものです。
7月に入院した時は本当に顔色も悪く、苦しそうでした。
今は、ずっとやせて、筋力も衰えているけれど
気分はその時より楽なのでしょう。

今日はさいたまへ帰ってきました。


2002年11月12日(火) 晩秋の趣

今日は暖かくて家を出たときはコートがいらないくらいだった。
でも、長野へ行くにはそれでは寒いので
恥ずかしいけどダウンのコートを着ていった。(大げさに見える)
新幹線の乗り場まで行けばそれも違和感ないんだけど、
駆け込み乗車するので意味ない?

長野は先週は寒かったし、週末は雪も降ったらしいけれど今日はあたたかく、
風も冷たいとはいえ、これくらいなら紅葉や秋の景色をたっぷり味わえる晩秋の趣。
こういう日にはさすがに、信州の景色は美しいと思います。
紅葉の山々、鄙びた家に実る柿や、赤いリンゴの実ったリンゴ畑。
旅行日和ですねえ。
こちらは、そのまま季節に関わりのない病院内に入っていってしまうのですが。

今日の父はいたって普通。
会話も普通にできるし、わりと起きていました。
足腰の痛みも、先週よりはずっといいようです。
自分で起きあがり、立とうもとするのですが
筋力がなくなっているようで立つのは無理なようです。
今日はなぜかお風呂にはいると言ってずっと待っていたようで
3時頃から看護婦さんに用意していただき、お風呂に入れてもらいました。
夕食はおいしい物が出ないと文句を言ってかなり残し、
その後に口直しだと言って栗ようかんを食べました。


2002年11月11日(月) 長電話のため

本日長電話のため予定がいろいろ狂って更新不可能。

明日は長野。


2002年11月10日(日) 手順が悪い?

昨日の日記、日付を間違えていました。
修正しました。

さて、本当の10日 日曜日。
Plamo Linuxに関わりあって時間をつぶしてしまったものの
そろそろ今回はあきらめてVine Linuxでサーバーを立ち上げようと
作業にとりかかったのですが、いろいろなことが出てきて手を出してしまって、
一日では収集がつかなくなっています。
また夜更かししてしまいました。明日朝早いのに。

せっかく一旦はネットにつながったのに、手をつけやすいGUI画面が災いして
これはなんだろうと管理者設定ツールを開いてしまったら
せっかく設定したファイルが書き換えられてしまったり。

エラーメッセージを見ようと起動画面のログを表示させようとするのですが
1画面に収まらないものがスクロールしてしまって読めないし。
本来なら、パイプを使って
<コマンド> | more
と打てばスクロールしないんですが
キーボードが対応していないんで「|」が打てないのです。

それから、ルータを通すようにしなければならないのですが
メルコのルータだけならまだいいのですが
レンタルモデムがルータタイプなので2重にネットワークアドレス変換がかかっています。
このモデムのファームウェアをアップデートしなければならないし。

設定ファイルが書き換えられてしまったことには後まで気づかず、あたふたしてしまったし。

いろいろ、検索したり調べたり参照したりするのにVAIOを使っていたら
こちらがまたむやみに重いし。

VAIOの重たくなった経緯とそれへの対応は省略するけれど、
スワップ領域をドライブの先頭に持ってきて、ずいぶん楽に動くようになりました。

などといろいろバラバラとやりすぎ。
もう少し手順良くやるべきなのかなあ。


2002年11月09日(土) マンション理事会

今年はマンションの理事なんていうものをやっているので
理事会などというものに出席しなければなりません。
私が所有者じゃないんで、夫の代理ということになるんですが。

昨日夜更かししたにもかかわらず、ちゃんと早起きして行って来ました。
いろいろ考えて真面目に真面目に取り組んでます。

今回は書記当番で理事会議事録を作らなければいけなかったので
先ほどまで(12時少し前)書いていました。
といっても夜になってから書き始めたのですが。
書きあがった書類を先ほど理事長の郵便受けに投函してきました。
(夜中に怪しいポスティングに見えるんですよ、これが。)

じゃあ昼間は何をしていたかというと、
行き詰まっていたPlamo Linaxをちょっと置いておいて
参考になるかと思って別のHDDにVine Linuxを入れてみました。

うーん、参考になったでしょうか?
GUIでインストールできてしまうVine Linuxは簡単というか
ブラックボックスというか・・・。
Xの設定も何回かやり直せばできてしまったし
設定ファイルを書いたらネットワークカードも認識したし
インターネットにつないでネットスケープでWEBブラウズもできてしまう。

じゃあPlamoはというと、やっぱりうまくいかない。
どうしてでしょうねぇ。


2002年11月08日(金) お葬式へ行ってきました。

お葬式に行ってきました。
人の死というものはいつでも悲しいかもしれないけれど
突然死というのは、残された者の心の準備ができていないだけに
一層悲しく思えます。

最近まで趣味の山登りもして
先日の合唱祭ではスタスタ歩いて指揮をした先生が
知らず知らず無理して動き回ったせいか、あるいはショックのせいか
前から痛めていたひざが悪化して自由に歩けなくなっていました。
杖をついて立ち、車椅子で移動する姿は痛々しく
これからの生きる姿勢に前向きな内容の挨拶をする気丈な姿さえ悲しみを誘いました。

黙祷




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iswebのメンテナンスが長引いているようです。
日付が変わったので、URLが変わったことによる細かい修正を
アップしようとしたけれど、まだできないようです。
明日の朝にはおわるでしょうか。
新URLは
http://foglia.hp.infoseek.co.jp
です。
半年間は自動転送されるそうです。


2002年11月07日(木) 父はほとんど寝ていた

頓服の痛み止めを何回か飲んだ父は今日は良く眠っていました。
食事の時以外は起きてきませんでした。

今日はさいたまへ帰ってきました。

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コーラスの先生のご主人が突然亡くなりました。
今日お通夜だったそうで、明日はお葬式です。
明日お葬式に行ってきます。


2002年11月06日(水) み○○○看護婦の正体(?)

痛み止めの薬を張り替えてくれた「み○○○さん」(以下Mさんと略)が病室から出ていくと
父は言った。
父「今のMさんな、ミーの妹なんだ。」
私「?」
(ミーについては10月30日の日記参照。)
父「ミーがなんでこんなところにいるのかと不思議に思ったら
  妹なんだ。」
父「そっくりだろう。」
私「確かに似てはいるけど。」
父「でも前のミー、本物のミーのほうがきれいだな。」
おいおい

そうか、Mさんはミーの妹だったのか。(んなわけない)

先日弟が来たときは、父は食事の時以外はほとんど寝ていたそうですが
今日はその後ずっと起きていました。
夕食後、寝ようとして横になったのですが
まもなく、痛い痛いとうなりだしました。
先日転んで痛めた右足股関節付近からまわりまで痛いと言います。
寝たときの足の位置が悪いのかと動かしてみようとしましたがよくなりません。
寝る前に痛みを訴えることはあったらしいのですが
ここのところこういうことはなかったそうなのでどうしようかと思いました。

毎日8時に飲んでいる痛み止めを早めに飲んでしばらくたってもまだうなっています。
看護士さんが(医者に相談して)頓服の痛み止めを飲ませてくれました。
うなっている間はわたしも立ち去り難く、病室にいました。
痛み止めが効いたらしく、まもなく消灯という9時前、父は眠りました。


2002年11月05日(火) Plam Linux 覚書

ああ、しまった。
明日出かけるという日に何か始めると、まったく中途半端になってしまう。
夜には娘がパソコン使うって言うし。

帰ってくるまでに忘れてしまうので覚書。
(読んでくださっている人にはつまらなくて申し訳ないです。)

ISAPnPの設定
   競合しないリソースの確認
   pnpdumpの出力
     # /usr/local/sbin/pnpdump >isapnp.conf
   isapnp.confの編集
ISAのネットワークカード自動認識しないことをすっかり忘れていた。
前の設定消さなきゃ良かった。

X Window Systemの設定
どこがいけないのか試行錯誤してみつけなければだめみたい。
KeyBoad・・・選択肢にない。前はどうしてたっけ?

だめならあきらめてまた
GUIベースでインストールできるディストリビューションにしちゃうか?

-------
明日は長野。


2002年11月04日(月) 衣装作り手伝う

校内ダンスコンクールがあさってに迫っているのに
衣装作りが間に合いそうにない娘、
昨日もおとといも夜更かしして
昨日などは寝たのが6時(朝)らしい。
おまけに、現国のレポートの宿題。
休みだといっても部活があって、朝から出かけて行くし・・。

寝不足で元気がなさそうな上に、
夜中失敗してほどいたりしてちっとも進まなかったといってとうとうギブアップ。
仕方がないので母手伝う。
何とか日付の変わる前に出来上がった。

せっかくPlamo Linuxの新バージョンをインストールしてみようと思ったのに
おあずけ。


2002年11月03日(日) ちょっと更新

今日の午前中に過去ログなど整理しました。
リンクを張ったのは昨日の晩ですが、まだいろいろ重複があったりしたので
直しました。

過去ログって何だか恥ずかしいけれど、ちょっと面白い。
でも、あんまりじっくり見るものでもないなあ。


2002年11月02日(土) サーバーダウン?

夕方からfreemailが「サーバーが見つかりませんでした」と言うエラーになって
メールがダウンロードできない。
freemailのサイトに障害情報でも載っていないかと見ようとしたが
こちらのページも見られない。

このfreemail、前から時々メールがダウンロードできなかったり
日付が前のメールが後からひょっこり来たりということがあるんだけど
今回は重症?

-------
ところでinfoseekとHOOPS!との統合によって、ここのURLも変わるらしい。
(ここといってもこの日記ではなくて、「Fogliaの部屋」の方。
 日記と掲示板はレンタルなので別です。)
11月9日から新機能で全サービス開始だそうだ。
新URLはまだ不明。

cgiは11月4日から停止するらしいので
トップのカウンターも動作不明。
11月9日には11月4日のカウントにもどるらしい。

自作cgiもその間停止だそうだ。
そういえば「あげます掲示板」いいかげんにトップから撤去しよう。


2002年11月01日(金) 忙しかった

今日は久しぶりにバイトに行った。
仕事がたまってる、たまってる、たまってる。

普段の倍のペースでいろいろ細かいことは考えずに、とばしにとばして
なんとか形をつけてきたけど、ああ疲れた。
急を要さないことまではできなかったけど、まあ次回と言うことで。


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