フォーリアの日記
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2002年09月30日(月) 麻薬を減らした

私はやはり疲れていたのか、今日はよく寝た。


弟から聞いた今日の父の様子
午前中に意識の状態が大変悪く、病院から弟に連絡を入れたらしいのだが
番号を間違えたのか、弟に連絡がつかなかったらしい。
その時弟は、車のタイヤを替えに行っていた。
昼過ぎ、弟が病院に行ってその話を聞き
痛み止めの麻薬を減らしたということだったという。

弟が行ったころは、かえって昨日よりも状態がよく
意識もはっきりしていて話もでき、
ご飯も自分で食べたそうだ。

ベッドの縁に座っているだけではなく
自分でベッドに横になったり、
テレビをつけたらそちらを見たりできたらしい。
トイレの中でも眠ったりせず、すぐに出てきたらしい。

昨日はほとんど夢の中のような状態で、そんなこともできなかった。
でも、痛みとの兼ね合いだから、これがどのくらい続けられるかはわからない。

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夫が10月3日に帰国すると連絡があった。(スリランカを出るのは2日)
自宅に寄らず、直接長野の方に行くと言う。
私は2日には長野へ行っている予定。


2002年09月29日(日) 今日の様子

朝(そんな早くないけど)、病院へ行こうとして車をだしたら
まもなく、みょうにガタガタいうし、ハンドルがとられる。
パンク?
路肩に車をとめて見てみるとやはりパンク。

とにかくスペアタイヤに替えてから
弟の嫁さんの実家(○○モータース=自動車整備工場)に転がり込もうと思って、
後ろを探すけど、ジャッキがない。

三角の停止表示板を立てて(気休め?)
父が積んでるわけわからない荷物を道に降ろして真剣に探すが、ない。
スペアタイヤをはずしてみても、ない。

通りがかりのバイクのお兄さんが
「手伝いましょうか」と声かけてくれたけど、ジャッキがない。

確認なんかしてなかったよ。
人の車のジャッキのありかなんて知らないので見つからないだけかもしれない。
でも、出てこない。

恥ずかしながら、弟の嫁さんの実家に救援依頼することにした。
電話をしたら、まもなく駆けつけてくれた。休みなのにすみません。


そういうわけで、父の昼食前に病院に着けなかったけど
着くとちょうど、看護士さんが父を起こして食べさせようとしていた。
今日は何だか、意識が夢の中のような状態が長い気がする。
自分で食べない。
食べさせると食べる。でも、まもなくいらないと言う。
夢の中にいるようで話も通じない。

その後、車椅子に乗せて、外に散歩に行った。
このときは意識がはっきりしていて話もできた。
車の見えるところへ言ってパンクしたのにジャッキがなかったという話をしたら
「入っているはずだ、見てやろうか」と立ち上がらんばかりの様子だったけど
立つのは無理だよ。あそこまで行けないよ。
「あとで探しておくから」といってその場を去った。

でも、病室へ戻ると、半分眠っているような感じ。
何をするにも眠りながらなので時間がかかる。
今日は特別なのか、日に日にそうなっているのか。
食事も2時間がかり。
トイレに行っても中で眠っていて、なかなか出てこない。
声をかけても、眠っている間の時間は存在しないのだろうから
何でそんなにせかすのかと言う感じの返事をする。

私の帰り際も、トイレに入ってしまって1時間も出てこなかったので
あとは弟にまかせて、トイレに声かけて帰ってきた。


2002年09月27日(金) 父の様子

昨日も今日も、一見したところ先日みたときと変わりありません。
昨日はベッドの縁に腰をかけていました。
あんまりちゃんと寝ていないようです。

今日もそんな感じでした。

なんだか別世界の住人になってボーッとしていますが
話しかけると時々こちらの世界へ戻ってきます。

食事の時も、ボーッとしたままほうっておくとずっと食べません。
話しかけて、こちらの世界へ帰ってくると
食事に気がつき、食べます。

足をみると
かなりむくんでいました。
昨日はこれほどではなかったような。
少なくとも23日にはそんなことはありませんでした。


2002年09月24日(火) 納豆

仙台の友人が納豆を送ってくれました。
とてもおいしいし、体にいいから是非食べてくださいということです。

今日到着したので、早速食べてみました。
本当に、おいしかった。
こんなに味のある納豆は初めて。
黒豆納豆なんていうのも入っていたけどどんな味がするんだろう?
今度食べてみよう。

おいしかったので宣伝しちゃおう。
http://www.nattou.co.jp/


2002年09月23日(月) 迫り来る終末

今日、病院へ行くと父は先週よりボケが進んでいるようでした。
人の話の内容は理解していて、割とまともに応答するのですが
自分から話すことは少なくなっていて、また
やりかけていたことがわからなくなったり
寝ようとしたのか立とうとしたのかわからなくなって
ベッドの縁に腰掛けたまま、スリッパを脱いだり履いたり・・・
みたいな状態でした。

先週よりだいぶ、立つのが苦しそうになっていました。

医者の話を聞きました。
ここのところ、だいぶ衰弱が進んでいて
あと1週間か2週間ぐらいなのではないか、ということです。

もちろん、だから1ヶ月生きないのかと言われば
それは断言できないのだそうです。

病状が進むと言う観点、つまり
癌が大きくなったとか、
癌から出ている毒性の物質が増えたとかいう観点からすれば
徐々には悪くなっているのだけれど、そう急に変化があったわけではないそうです。
ただ、体の衰弱はそれとは別に進むのだそうです。
そして、その衰弱が
あと、1週間から2週間というレベルなのだそうです。

弟と話し合って、これからは週末だけでなく
平日も交代で詰めていることにしました。

今日は帰ってきて、明日とあさっては家のことをして、
木曜日からその体制に入ります。


2002年09月21日(土) 父の病状と娘の文化祭

今日明日は娘の高校の文化祭。
それで、今週は長野へ行かないつもりだったのですが・・。

今朝、病院から電話をもらって先生からざっと話を聞きました。
父は、「モルヒネが効いて痛みが取れ、安定した状態」から進んで
もう、「かなり悪くなってきている状態」なのだそうです。

今週行かなければ、来週には話のできるような状態じゃ
なくなっている可能性も高い、ひょっとすると
最悪のことがあっても不思議はないという状態なのだそうです。

それで、23日に日帰りで長野へ行くことにしました。
その次に行く時は、何日も行きっぱなしになるかもしれない。

今日は、文化祭に行ってきました。
でも、午前中は電話を受けた後、あちこち連絡したり
いろいろ考えたりしていたので出遅れ、
午前中の吹奏楽のステージは聞けませんでした。
行ったら、ちょうど最終曲の最後の音をのばして終わるところでした。

午後、有志のミュージカルというのを見ました。
娘は伴奏オケです。
宝塚のように女の子達が男役もやる
2時間半の舞台で「ME & MY GIRL」という演目。

いやあ、たいしたものです。
歌がうまいわけじゃないけれど
表現力や演技力があり、感動しました。
ぽろぽろ涙を流して泣いてしまいました。

明日も同じプログラムをやるというので
吹奏楽のステージは明日聞くことにします。


2002年09月20日(金) 病院から電話

今日、仕事から帰ると家の電話に留守録が入っていた。
どうせ、クロネコへの間違い電話だろうと思ったら、病院からだった。

先生が、父の最近の病状について説明したいので
明日の昼頃までに病院にこられないか?
こられない場合は連絡してほしい、との内容。

と、急に言われても、21、22日は娘の高校の文化祭で
今週は長野へは行かないつもりだったのだ。

毎週往復していると体力がもたないので
長野へ行くのは、今週から弟と交代にして
今週は弟が行く予定だった。

弟に電話した。
まだ仕事中かな?と思ったけど、すぐに電話に出た。
札幌に出張中だった。
出張予定が長引いて、まだ帰ってきていないのだという。
明日の午前中は飛行機の中だろうと言う。
23日には長野へ行くという。

病院に電話して「明日はいけない」と言った。
電話で話を聞けないかと尋ねたら
明日午前中に電話をかけてくれるらしい。
どうも最近また、病状が進んでいるという話らしい。
深刻な事態だったら、やっぱり23日に行って、
直接話を聞いたほうがいいのかな?

そういうことも含めて明日話を聞いておくことになった。


2002年09月18日(水) 髪を切った

美容院へ行って髪を切ってきました。
・・と言っても、行ったのは昨日なんですが。
ちょっと茶色に染めました。
・・と言ってもあんまり目立たないくらいですが。

だいぶ、イメージチェンジしました。

でも、なんだかねぇ、切りすぎたと言うかなんというか。
昨日は日記に書くには気分が複雑すぎて
なんだか疲れてフテ寝しました。(昼寝ともいう)

夜、髪を洗って自分でブローしてみました。
ワックスをつけて、変化が出るように乾かしながら
ボリュームを出したくないところは抑えて
出したいところに空気を当てて。

少しはましになりました。



今朝、手ぐしで整えたら昨日よりましな気がしました。

コーラスに行ったら、メンバーに
(お世辞かもしれないけど)
若々しくなったとか
しゃれたカットだね、とかいわれたので
少しは気を取り直しました。

帰ってから見ると、昨日より髪が落ち着いてきた感じがします。
悪くはないかも。


2002年09月15日(日) 父の外泊終了

自分の家に帰ってくつろいだ様子の父を見ていたら
もう1泊ぐらいしてもよかったかな、と思ったのだけど
病院へ戻ると、さすがに疲れた様子で眠りこけてしまいました。
やはり、これくらいが適度だったのかな、
もう1泊は無理かもしれないと思いました。

長年の合わない入れ歯のせいで噛む力のない父は
病院の食事は「きざみ食」と言うものにしてもらっています。
おかずは何でも刻んであって形がないので、
本人はメニューもあまりわからず、
毎日同じようなものが出るとブツブツ言っています。
本当は毎日違うのですが、刻んであると同じように見えるのです。

家では、たいていのものを父が食べられる固さになるまで煮込むので
刻む必要はなく、形のあるままのものを食べられます。
ただし、やわらかくなりそうな物にかぎられるので素材は限定されます。
病院の方が豊富な素材で栄養のバランスの取れたものを作っているのでしょうが
見た目というのも食欲のためには重要なのでしょう。
家ではけっこうたくさん食べました。

でも、それが適量だったかはまた疑問です。
病院に戻った時、吐き気がするといっていました。

急に環境が変わるのは適応するのが大変なようです。
父の体に身についているのは家のペースで
家に帰ればすぐに家のペースに馴染み、
病院にもどっても病院のペースをなかなか思い出さないのですが、
今の体の状態に合っていて無理がないのは
やっぱり病院のペースなのでしょう。

家に帰れたのは嬉しかったようなので
元気なら月に一度くらいはこういう機会を設けられればいいなぁと思いました。


2002年09月13日(金) 父帰宅

今日は病院に着いたらいきなり看護婦さんに呼ばれた。
何事かと思ったら、父が500円玉をのどにつかえさせたと言う。
レントゲンを見せてもらったが、くっきりと丸いものが写っている。
緊急事態?と思ったけど、そうでもないらしい。
息ができないというような話ではないようだ。

でも、いったい何で500円玉を口に?
あめ玉と間違えて?
謎だ。

一時帰宅は、少し遅れるが大丈夫だという。
これから内視鏡で500円玉を取り出すという。

外来の内視鏡室の前まで付き添う。
終わって出てきたら、500円玉はどこかへ行ってしまってないという。
レントゲンを撮ったらどこにも写っていない。
看護婦さんが、さっき500円玉を手に持っていたようだけど出たのでは?と言う。
一応、胃なども調べてもレントゲンに写らないので吐き出したのだろうということになった。

そのどさくさで3時出発予定が4時になった。

雨が激しくなっている。
でも、家に帰れるとなると父はなんだか元気で鼻歌も出る。

家に帰ると、さすがに疲れたようす。
でも、病院でほとんど病室内でトイレに行くくらいしか歩いていないのに
勝手知ったる自分の家では、歩く歩く。
玄関から郵便物を自分で取って居間までスタスタ。
食事も父用に柔らかいものばかり作ったのだが、結構食べた。
寒かったのでいったん片づけたこたつを作り、
くつろいだ様子。

病院とは気分が違うんだろうなあ。
連れてきてよかった。


2002年09月12日(木) 携帯、買おうかなぁ

実家は大変辺鄙なところです。
実はPHSの電波はやっと届く程度で
場所や向きによっては通じません。
電波の届くところへ置いて、動かさなければいいのですが
電話に出るときにはつい持って動くので、切れてしまったりします。

弟が持っているのがFOMAとPHSなのですが
FOMAはまったくの圏外で、PHSは上記のような状態です。

携帯は菅平へ続く国道沿いがエリアなので
その道に程近い実家では通じるようです。

とにかく辺鄙なので、父の車に乗ってどちらかが出かけてしまうと
連絡を取らなくては身動きがとれないのです。

で、お互い連絡に不便なので携帯を買った方がいいのではないかという話になりました。

でも、迷うなあ。
普段こちらではPHSがあればそんなに必要ではなさそうだし。

臨時に使って解約してしまうつもりで持つのか
その後も使うつもりで持つのか。

結局、今週末には間に合いませんでした。


2002年09月08日(日) 家の掃除

来週末は父に外泊で家に帰ってもらおうと計画している。
でも、今のままじゃ人が住めるような状況じゃない。
せめて、居間だけでも片付けようと掃除を始めた。

ひとりじゃ手をつける気にもならないほどの惨状だが
弟とふたりで何とか頑張った。

前に来た時に床に散らばった新聞や、
台所でくずれている生ゴミ、冷蔵庫の前のスチロールトレイなどを
とにかくゴミ袋に詰め込んで、
生ゴミは人にゴミ出しを頼んだり庭に埋めたりしたので
足の踏み場もないというほどではないのだが
まだまだゴミはある。

部屋の隅にうずたかく積まれた古い薬の山を
ゴミ袋に必死で詰め込んだら、やっと畳が見えた!

父のいつも座っていたところの周りには
郵便物の山、薬の空のゴミ、ビニール袋・・・・。
衣類も山になっていたのだがこれは先週に洗って干した。

郵便物を箱に詰め、薬の殻を捨て、ビニール袋も捨てて、
座布団を1枚どけると、また下から郵便物、薬の空、ビニール袋・・・
分厚いほこりと、ざらざら砂のようになったゴミにまぎれて
いくらでも出て来る。
こういう座布団と枕が4、5枚重なっている。

夏場も片付けないこたつをどけても然り。
こたつ布団はほこりとゴミでザラザラ。

こういうものをどけないと、掃除機などかけられる状態ではない。
それでも散々苦労してやっと、掃除機をかけられるまでになった。
その段階でもう仕上げの状態と言える。

4時までに終わらせて、病院へ寄って、5時には病院を出る予定だったのが
6時になってしまった。

さいたまの家に帰ったのは10時を過ぎていた。


2002年09月07日(土) 父の様子

痛みがうまくコントロールされているらしく、
先週来たときよりも元気そうに見える。

寝起きの時の話がなにかおかしい。
ボケが始まっているのかもしれない。
でも、話しているうちにまともになってくる。

病院に黙って、家にある下剤をこっそり持ってきてくれという。
自分で量を調節して飲むと言い出す。
やれやれ。
そういうわけにはいかない。
モルヒネには便秘の副作用があるので、
下剤とはセットで量を調節しているのだから。


2002年09月03日(火) 本日は家事

一日家にいるのは久しぶりな気がする。
ずっと家の中のこと、ほっぽらかして飛び回っていた。

やっと気になっていた家の中を掃除できて、きれいになった。
買い物にも行かなくちゃ、食料が乏しい。
たまった新聞も出さなきゃ。
明日は回収日だし。

というわけで、今日は家事。


2002年09月02日(月) 新学期

新学期が始まって子どもたちが学校へ行ったせいか
マダムの皆様のネット出現率も高いようで。

うちの子どもたちは、高校生は今日から新学期ですが
大学生は、休みに入ったのが8月からなので今月いっぱい夏休みです。

昼まで寝てるヤツが1名、鬱陶しくあと1ヶ月いるわけです。
まあ、いろいろ忙しいようなので、昼頃から出かけはするようなのですが。


2002年09月01日(日) ホスピス

ホスピスの様子は普通の入院病棟とはかなり違います。
話には聞いていたし、本も読んだし、知識はあったんだけど
行ってみないとわからないものがあります。

医者も看護婦も人に安心を与える暖かい雰囲気で
キリスト教の病院なので、牧師の卵が話し相手に回っていたりして
穏やかな雰囲気なのですが
ここに来ると家族も覚悟ができる感じです。

9月13日は父の誕生日なので、その日に実家に父を迎え
数日皆で過ごそうという計画を立てました。
おそらく、父が家に帰れるのはこれが最後になるでしょう。

来週末はまた行って、家の片付けもしなくてはなりません。

それからも、毎週弟か私のどちらかが行くようにします。
ほんとは毎週みんな行ければいいのですが
それではこちらの体力がもたないので、
適宜交代で行くことにしました。


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