フォーリアの日記
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2002年08月31日(土) 今日は長野泊まり

ホスピスの先生と話してきました。
病院と違って、人生の終末をいかに迎えるか
真剣に考えざるを得ない雰囲気です。
そして、人として充実した最期を送ることを認め、支援しています。

父はモルヒネにより痛みもひいて、かえって元気そうな様子。
でも、病状は確実に進歩しているので
年は越せないだろうとのこと。

これから毎週末は長野通いになりそうです。


2002年08月30日(金) 明日は長野

落ち着く暇もないとはこういうことか。

スリランカにいるうちに弟からメールがきて
明日2時にホスピスの先生と話すことになっていたのだけど。

家に帰ったら、病院の先生から連絡くださいとの留守電がはいっていてびっくり。
弟に聞いたらその後弟が先生と話をしているのでいいだろうとのこと。

明日は日帰りできるのだろうか。長野に一泊?
行ってみないとわからない。


2002年08月29日(木) 家の中

留守の間の家の中の惨状。
居間の床に10日分の新聞と郵便物、ポスティングされた広告が散らばっている。
アリがたくさん入り込んで家の中を歩いている!
お風呂場・・洗ってない・・。
その他細かいことはまあ許そう。

あー、アリには驚いた!


2002年08月28日(水) 無事帰国しました!

本日無事帰国しました。
夜中に出発する飛行機に乗ってきた上、乗り継ぎがあるので
ろくに眠っていないので眠いです。
おやすみなさい。


2002年08月27日(火) 帰国

今日の夜、ここを発ちます。(日本時間明日未明)
明日の夕方には日本に着いていることでしょう。
では、皆様、また日本で会いましょう。


2002年08月25日(日) 遺跡めぐり

初日こそ寝たのが3時ごろなので7時におきましたが
コロンボについてから、時差が3時間あるので
毎日3時に起きてしまい、夜は9時ごろから眠くなってしまいます。
早朝がパソコン時間になっています。

着いてから2、3日はコロンボ市内を案内してもらって
ショッピングなどをしていましたが
22日から24日まで2泊3日で
コロンボから100キロほど離れた遺跡などをめぐってきました。
(その間パソコンにもつなげません)
夫はそういう遺跡とか寺院とか仏像とかが好きなのです。
私はあまり興味関心はありません。

私は日本からの疲れを引きずったままなので
そのような旅行は歓迎しなかったのですが
車で行くから大丈夫だよと言われ、
ホテルも取ってあるというのでいまさら断れず
行ってきました。

この国は北海道より少し大きいくらいの島らしいのですが
今の季節、島の西側は曇りがちで割りと涼しいのです。
行くところは島の東側にあたり、天気もよく
とても暑いのです。

言ったところの地名などは覚えられないのであとで整理して
「まねきねこ」のほうにでも書くことにしましょう。

行く途中にボタニカルガーデンに寄り、
見慣れない熱帯の植物を見ました。
象の孤児院でたくさんの象を見ました。

お寺は靴を脱がなくては入れません。
短いスカートもだめです。

二日目にはジャングルの中にある巨石の上に築かれた遺跡に登りました。
水がないところに貯水池を作り、運河で水を引いた都市の遺跡です。
1000段以上もある階段を上がった頂上に玉座やいろいろな施設があります。

何処へ行くにも、私が疲れはてて「もう先へ行こう」と言い出してから
夫が「もうちょっと」と言ってねばるのでだんだん無理が利かなくなり
観光も苦行になります。
2日目の宿では熱を出してしまいました。

きのう、やっと無事にコロンボに帰ってきてほっとしました。


2002年08月22日(木) スリランカ着

日本発シンガポール行きの便とは違って
コロンボへ向かう便は服装からして向こうの人ばかり。

夫は私をビジネスクラスに座らせて自分はエコノミークラスへ行った。
隣は知らない外国人の男の人だし、なんだか緊張する。
でも、フットレストの動かし方がわからなくてうろうろしてたら教えてくれた。
このフットレストは着陸のとき元に戻すのもわからなくて
けっきょくチーフアテンダントに聞いた。

コロンボに着いたのはもう日付が変わった20日0:05。
予定より少し早い。
飛行機に乗ったのがシンガポール時間で午後11時すぎなので
機内での食事も断ってうとうと眠ってきたのだけど
時差もあってやけに眠い。(零時といっても日本じゃ3時)

おまけに夜中のコロンボ空港はやけに寂しい。
運転手スニールが車で迎えに来てくれていた。

夫のマンションに着いたのは何時だったのだろう。
もはや眠さの局地。
ざっとシャワーを浴びてすぐに寝た。


2002年08月21日(水) スリランカに来ています

前にも書いたように大変準備が悪いのですが
無事スリランカに着いています。

もともとスリランカ行きを決めるときに
「えぇー?私が行くの?飛行機乗り継いで?やだよー。」
と、いろいろいちゃもんをつけてゴネたので
夫は買出しと自分の旅行もかねて
シンガポールまで迎えに来てくれるとは言っていたのです。
でも、一泊することになってるなんて
出発2日前まで知りませんでした。

2日前に飛行機の切符を見て「あれ?」
前日に夫から電話があって初めて確認した次第。

というわけで、18日の晩はシンガポールに泊まりました。

18日は成田空港は大変混雑していて飛行機の出発が遅れ、
さらに上空も混雑していて台風の影響を受けない高度へなかなか上がれず
ゆれる機内で機内サービスも始まらずシートベルトをしたまま
何時間もじっとしていました。
シンガポールのチャンギ空港に降りると
夫が迎えに来ていました。
すでに前日から来ている夫はすでに何か大荷物を買ってきています。

シンガポールは日本から行ってもまったく違和感がありません。
道路は左側通行で車はほとんど日本車(新しい)です。
高層ビルが立ち並び、道路は整備され、治安もよさそうで
日本のどこかの都市にいるような感じ。
周囲が日本人じゃないということと植物が違うことを除けば
ほんとに違和感がないのです。

着いた当日はホテルに荷物をおいて、あとは夕食を食べに出ただけでした。
いろいろ、観光客を呼び込むレストランがあるのですが
セルフサービスで周りの屋台のような店から1品ずつ買ってきて食べるような
庶民的な店で食べました。
新大久保の多国籍料理の店みたいだけど、それよりきれいな感じ。
東南アジアの食べ物は日本人の口に合うのか
全然豪華料理ではないのですが、おいしかった。

次の日19日は出発が夜中なのでほぼ1日シンガポール。
シンガポール航空の観光バスが市内循環していて
シンガポール航空のチケットを持っていると
3ドル(シンガポールドル=60〜70円くらい)で1日フリーパスなので
それで市内を回りました。

シンガポール川のクルーズでマーライオンも見ました。
上半身がライオンで下半身魚です。
マーライオンってmerlionだったんですね。
マーメイドのマーと同じなんだ。

それから夜中にタクシーでチャンギ空港へ。
成田より手続きがめんどくさい感じ。
コロンボを出るときはもっと大変だよと夫が言う。

なぜか夫がビジネスクラスの切符を持っていて
私のはエコノミーなので空いている席があればと交換を申し出たのですが
混んでいて交換できないといわれてしまったので別々に座ることに。

では、続きはまたこんど。


2002年08月17日(土) いよいよ明日出発

出かける準備があると言って帰ってきてしまったが
実は16日に弟が入れ替わりに長野へ行き、
病院の紹介状や資料を持ってホスピスに話に行っている。

ホスピスは空き待ちの人がいるので、
病状によっていつ入れるかわからないと言われていたので
転院は先のことだと思っていたら
今日、転院できることになった。
来週入る予定の人がいるので、とりあえず空いている1週間はホスピス病棟で
モルヒネの聞き具合を試しながら痛みをとる治療をして
来週には一般病棟に移って待機するなどするらしい。
(痛みがとれて元気なら一時帰宅という選択肢もあるらしい)

弟がそれを全部やってくれた。
ご苦労様でした。


最後の最後までなんだか忙しい。

家を空けるためにやっておくべきことで
忘れていたことがいくつか出て来る。
マンションの管理組合のこととか・・。

思い出したことをやろうとすると、
なぜか電話がかかってきてまた忘れたり。

こうして早寝をしようという野望がだんだん崩れ去る。
まあ、いっか。飛行機の中で寝ていけば。

もうないかな、忘れてることは。


2002年08月16日(金) 準備してなさ過ぎ!

ほんとにあさっての早朝、日本を離れるんですかね?って言う感じ。

荷物を詰めるための小ぶりのスーツケースを今日やっと買ってきた。
荷物を詰め始めてみる。
マヨネーズ5本に味噌、調味料・・・・
CDにカセットテープ・・・・
夫が持ってきてほしいと言うものがいろいろ。

何でこんなものばっかりで大半が埋まらなくちゃならないの。
自分の荷物はどうするんだ?ふぅ・・。

夫が帰国する代わりに私が行くということになっているので
旅費は会社から出るのだけれど、手続きがスリランカ。
そのためチケットはスリランカの会社から送ってきた。
留守の間に届いたので昨日初めてそれを見た。
飛行機の出発時刻はそれを見て始めて知った。
昨日は疲れていたのでそれ以上何もしていない。

で、到着時刻は?書いてないのかな?
日本で旅行会社で申し込めば一覧表にしてくれるだろうに。
仕方がないからインターネットで検索。
今ごろになってやっと到着時刻を知る。

これでほんとに海外にいくのか?
飛行機に乗るのだってまだ2度目だっていうのに。
旅慣れないのに本当に準備する暇がなかった。

出発時刻にあわせて京成電鉄も検索。
それにまにあう埼京線も検索。
始発と言うほどでなくてもいいみたい。
ああ、なんとかなりそう。


2002年08月15日(木) 帰ってきました!

やっぱり自分の家はいい。

帰りの道は混んではいたけど、行きほどではなく
かえって下りのほうが渋滞しているようでした。
帰省ラッシュと言うほどの時間はかからずに帰ってきました。

また数日で準備をしてスリランカに行くわけだけど
今日は忘れてのんびりしよう。


2002年08月14日(水) 帰省3日目

今日帰れたらなー、と思っていたんだけど
ちょっと無理でした。

昨日、おとといと、普段はガラガラに空いている田舎の街中の道が
帰省ラッシュで混んでいて困った。
ちょっと出歩くにも、渋滞渋滞。
今日は午前中は混んでいたが、午後には空いていた。
もうみんな帰省客が帰ったか?
移動に時間がかからなくなってかなり楽。

こちらは昼間は暑いけど、朝晩は涼しい。
「高原のようだねえ。」と義母が言う。
いや、「ようだ」というか、もともとかなり近い。

実家2はとてつもなくちらかったままだけど、
片付けまでは手が回らない。
きのうは生ゴミを持ち出したが、
今日は散乱するスーパーの袋やトレイを集めておいた。
歩くところがやっとできた程度。
歩くところのほこりをほうきで掃いておしまい。
この程度で勘弁してもらおう。
庭の草まではとても手が出ない。
草刈機がほしいくらい。

父が買ったばかりのラジオを落として壊してしまった。
また買ってきてくれというので出かけたけれど、
ご希望のものは売り切れ。
明日入荷と言っても明日はこちらにはいない。
まあ、今日はあきらめてもらう。

父には明日帰ると報告。
今日は起き上がらないのでよけい元気がなく見える。
日に日に起き上がる元気がなくなっているのか?

やり残したことたくさんあるけど、
とにかく明日帰る。


2002年08月13日(火) 帰省2日目

夫の実家に泊まっている。
以下、夫の実家=実家1、私の実家=実家2 としよう。
書くのが面倒なので略号で。

今日は午前中はお墓参り。
いろいろ手荷物があるとバッグを忘れるらしい私、
お墓で1回目。

昼食はそのまま回転寿司に。
近道を考えてたら道を間違えた。
なんだか、いつもの何倍もドジになってる。

午後は病院へ行った。
洗濯物があるというのだがよくわからない。
よくよく聞くと、もう家へもって帰ってあるという。
それが洗わないまま置いてあるらしい。
叔父に持って帰ってもらったのか。

父は病院にいると歩かないようになって
足腰が弱くなっているみたいだ。
起き上がるのが痛いのはわかるけど
歩かないとよけい弱る感じだ。

病院から出てジャスコで食料を買って
一旦実家1に戻る。
食料を息子に渡して冷蔵庫に入れてもらい
今度は洗濯物を取りに実家2へ。

入院前からあった生ゴミと
父が廃品回収に出してほしいと言っていた古新聞を運び出して車に積む。
義母が回収日に出してくれるというのでありがたく甘えることにしたのだ。
それから、病院から持ち帰った洗濯物も積んだ。

実家1に戻って車から荷物を降ろし、
さあ夕食の準備と思ったら
バッグを実家2に忘れてきた。2回目。
すぐ取りに戻る。

車を出して最初の信号で
実家2の鍵を忘れたことに気づく。
しまった。ぐるぐる回ってまた戻る。
今度は鍵を持って出発。

あわて者。いつもに増してドジばかり。
やはり疲れているのか。

実家2にやはりバッグは置いてあった。
やることたくさんあるのに
自分のせいで時間をなくしている。


2002年08月12日(月) 帰省(本番)

朝から出発しましたが、渋滞のためなかなか着きません。
病院の先生との3時のアポイントメントに間に合うか?

時間に余裕があったら夕食の買い物をして、夫の実家に行って
子どもたちを置いてこようと思ったのに
時間がない!

着いたのはほぼ3時。直接病院に行きました。

ホスピスへ紹介をしてもらう話をしてから
父になんと言おうかと思っていたのですが
治療をしない人を公立の病院に置いておくわけにも行かないと言うことで
父もなんとなく納得。

治療不可能と言うより、特に在宅時より悪くなっている所見はないので
病院で治療する必要はないという解釈で納得したようだ。

トントンと話が進んで、16日に弟がホスピスへ資料を持って
話に行くことが決まった。

今日中に横浜へ帰る弟、預かった巨大なレントゲンやCTの資料を
もって帰るわけにも行かず、嫁さんの実家へ預けることに。

父はラジオが壊れたので買ってきてほしいと言う。

車に弟を乗せてLAOXへ回ってラジオを買って病院へ届けてから
弟を嫁さんの実家に送る。

朝から長距離運転してきた上、
病院内をうろうろし、(病院ってほんとに疲れます)
夜まであちこち行き来して、クタクタになりました。


2002年08月11日(日) 帰省

明日から帰省します。
朝、早めに出発の予定です。

午後3時には病院で先生と話をしなくてはならない。
渋滞で間に合わなかったりしないことを祈ります。
15日帰宅予定。
ほんとはもう少し早く帰りたいな。
用がなかったら帰って来ちゃおう。
無理かな。

帰省の準備やスリランカ行きの準備で
なんだか今日は忙しかったのに
どれも中途半端。

あんまり準備ができていないので
16日のバイトは休ませてもらうことにした。


2002年08月10日(土) 電子レンジ修理

エラーナンバーによるメーカー見積もりで
修理費は最低でも2万円・・・
実際の故障個所によって2〜3万はかかるらしい。

困った。
いろいろ検討している暇もないし。
私がスリランカに行っていない間に電子レンジがないと
子どもたちが困るだろう。
子どもたちを置いて出かけるにはやっぱり簡単に調理できるものが必要だし・・・。


2002年08月06日(火) ホスピス

先日長野へ行ったとき先生と話をして、
もうそろそろ父が一人で暮らすのは無理だろうと言われた。
本人の気力もなくなってきている。

今の病院は公立の病院だし、
治療の当てのない患者をそう長く置いてくれるわけではない。
こちら(私か弟の家)へ移り、その近くの病院に通院するか
ホスピスに入ることを検討しなければならなくなっていた。

父は自分の目の黒いうちは今の家を離れたくないと言っていた。
ホスピスという方向で検討しますが、弟と相談して・・と言って
先日は帰ってきた。

土曜日(3日)には弟が長野へ行っていた。
父に話をして、意志を確認するはずだった。

ところが、ばかもの。
事情はわからないでもないが
今の病院にそのままいることができると思っている父に
何にも話さずに帰ってきてしまった。

事情というのは、CTスキャンの診断書を見たらしい。
「転移性肺腫瘍、(悪性とは書いていない)
 入院期間:緩和ケアのため7月から10月まで」
と書いてあったという。

それを見て父と弟はこのままこの病院にしばらく入院させてもらえると
思ったらしい。
でも、違うのだ。
たぶん、すぐにホスピスへ入れない場合のために
余裕をとったのだと思う。

病院から「どうなりました?」と催促の電話がかかって来た。
返事を保留して弟に電話した。

話してないといわれびっくり。
そう何度も長野へいけないんだよ。
弟は今週は休みが取れないという。

ちゃんと父に話すだけでなく、
ホスピスに連絡をとって入院希望しておかなくてはならない。

私も来週どっちみち長野へ行くので、本格的には話はその時にしたい。
それまでに電話ででもホスピスに確認をとらなくては。
弟よ、しっかりしてくれ。


2002年08月05日(月) 電子レンジ故障

・・・んもう、こんな話題書くつもりじゃなかったんだけど。
でも、結構切実。

突然「F15」とかいうエラー番号を表示して止まってしまうんだもの。
説明書を見ると、電源コンセントを抜いて入れなおすと回復する場合があるとか。
何のエラーかは書いてない。

電源コンセントを入れなおしてみた。
ゼロ調節と時刻設定ができる。
一見、直っているようにも見える。
では解凍でもやってみよう。
・・・2秒で切れた。

もう一回コンセントを抜いて・・・
2秒で切れた。

あきらめて流水解凍。

困ったな、修理する暇がないかも。
来週から家にいないこと多すぎ。
でも、私が家にいないときこそ子供たちが利用しそうなのに。
今週中に修理に来てもらえるだろうか。
今週だって家にいる日に限りがあるのに。

そもそも修理可能なのか。
部品保有期間8年と書いてあるけど10年ものだし。

今の機能で用足りてるから買い換える気はないんだけどなあ。


2002年08月03日(土) 花火

今日はあちこちで花火大会があるのでしょうが、
うちから見えるのは戸田橋花火です。
対岸の板橋区と連携しての花火大会なので、板橋・戸田花火というべきか。

見えると言っても、前方の県営アパートの屋根の上から
高く上がったものが半分くらい見えるだけですが。
同じこのマンションでも8階からならもっとよく見えるでしょう。(うちは3階)

見えないものも音だけはにぎやかで、音に従って県営アパートの上空が明るくなります。

去年は夏期講習の真っ最中で、私はそれだけで精一杯、クタクタでしたが
仕事帰りの電車や駅で浴衣姿のお嬢様たちにたくさん遭遇しました。

たしかちょうどその日、江戸川区の花火があり、
息子はそちらに出かけていて帰れなくなり、新橋で夜を明かしたのでした。
(去年の日記に江東区の花火と書いた気がします。間違いです。ごめんなさい。)
これは今年も同じ日のようです。

先日行われた、浦和競馬場花火も見えたのですが、
これは同じ市内にもかかわらず、戸田橋のものより遠くに見えます。
(実際、この辺は戸田に近いので)
どちらも、高く上がったものが半分くらいしか見えないのは同じです。

こういう時は、マンションは上の階がいいのですね。

(やたらローカルな地名が多くて、遠方のかた、すみません。)


2002年08月02日(金) スリランカ引き上げ2

夫はスリランカ居残りになることが決定したらしい。
引き上げる人たちは昨日荷物を出して、今日は送別会をしているという。

しかし、スリランカ、こうなったら何でもありで
やっぱりやっていけないといって
帰った日本側スタッフを呼び戻す可能性もなきにしもあらず、らしい。
そうなったら、なんと言う余計な手間。

私にはわからないこととは言え、
何だか大変そうだ。


2002年08月01日(木) スリランカ引き上げ?

暑いので朝のうちに用事を済ませてしまえばいいのですが
どうも気力が・・・。
ましてやわざわざ炎天下の真昼に自転車で出歩く気にもならず、
家にいたら部活に行った娘が今日は早く帰ってきました。
延ばしに延ばして、夕方やっと消防署へ届け出に行ってきました。
きょうの一番問題の用事がこれで済んで一安心。

昼頃、夫から電話があり
スリランカの会社と日本の会社の契約更改交渉が決裂したという。
最悪、現地から全員引き上げらしい。
今のところ、日本人スタッフ2人残すというスリランカ側の案が
まだ棄却されたわけではないので、最終決定はまだらしい。
日本側は2人じゃ何もできないので、引き上げるなら全員引き上げの方針のようだ。
何もできないばかりでなく、契約がまとまりかけていた他の企業が
日本の撤退を聞いて一斉に手を引くことが予想されるので残った者は大変らしい。

と、私もよくわからないんですが
ここで契約更改をしないと言うことは、スリランカ側にとって
10歩進んで9歩さがるような無駄なことらしいのです。
でも、それを強行するところがなんというか、お国柄?・・・。

で、さらにややこしいことに
上記、現地に残るかもしれない2人に夫が含まれるのだそうです。
他のスタッフはすでに帰国の荷造りを始めているらしい。

全員引き上げということになれば私のスリランカ行きは無しになり
夫は帰国ということになる。

いったいどうなることやら。


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