気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2011年06月30日(木) 親だぞ。 って言いたい気持ちわかる。少し。/ 認知症の人にも表向きの顔があった/(後日追記 ついったー関連)

明治大正生まれの人の中には、
(特に、戦前に若いころを過ごして、子どもを産んでから価値観の大転換を強いられた人って)
その自分自身は、「家督を継ぐものが大事だ。その他大勢は、生かしておいてもらえただけでありがたく思ってくれ」ってな大雑把な多産多死の中で大家族に育てられたのに、
今度は子育てする段になると、核家族化や個人主義やなんやかやで密室少子化、おおらかさとは無縁のキメ細かい神経質さを世間から要求され
妙なジレンマのもとに見栄を張りながら苦しみながら手探りで育児をしなきゃいけなかったこともあって
自分がないがしろにされたトラウマに加えて、自らはカンペキであるべきという強迫観念から、苛々して
子どもを追いつめてしまった。
・・・って人も、結構多いんじゃないかな。
そうじゃない人も多いと思うけど、そんな時代の加害者や被害者になっちゃった世代のお年寄りは、少なくないんじゃないかな。

価値観や道徳観は、変わっていくけど、今、私が
「どうもこれが正しそうだな」と感じているのは、
親がいなくってもとりあえず一人で生きていけるようにするのが子育ての目標であって欲しいし
子どもがいなくっても生きていけている親ならまあ親切、
ってことかな。
そのためには、子どもが自己肯定感を養えるように親がサポートしたほうがいいだろうと思う。

ただ、それとは別に、まったく別に、
子どもにとっての親の恩ってのが、ある。
間違いなく育ててくれたこと以上に、お手本だったり反面教師だったりしたこと以上に、
それは、なんだかんだいっても、命をくれた。ってことが最大なんだ。
ころしそうになってもころさずに生かし続けていく、このことが
どんだけ大きなな仕事か。
それを生まれて初めて私が実感したのは
長男を産んだとき
ああ、毎日、このあかんぼを死なせないで過ごすっていうだけでもう
こんんんなにたいへんだったとはね!と。

だから、やっぱり、親は子どもに対してつい
「私は親だぞっ」って
言いたくなるだろうし
「私は親ですいつまでもー」って
ふるまっていたいんだろうな。
で、子どもは親のそれを、ある程度受け入れられるように育ったなら
それは幸せだとも思う。

ということを踏まえて本題。

このところ、認知症を患う義母や祖母のことで諸々勉強させられたのは、

私などが会いに行ったときは結構しっかりお話ししてくれたり
気を張っているのかプライドなのか、弱みを見せまいとしていたりするようなのだが、
長い時間傍にいて世話をしているひとから見ると
(義母の場合はヘルパーさん、祖母の場合は私の両親)
そこではかなりの進んだ症状を、彼女たちは、心許し甘えて、見せている
(判断力のなさ、物忘れ、不安感、性格の幼児還りなど)
ということ。なので、

つい、傍にいて主に介護に携わっている人の本当の苦労の実態を、他の人間は知らずにいてしまうということが起こる。

ヘルパーさん→夫→私、という情報の流れを変えると、夫が不機嫌になるので
(つまり夫は妻に心配をかけまいとしてくれてはいるのだけど)
あまり余計なことを言ってはならないと遠慮していたら
本当はこうだったと、ヘルパーさんから私に直接実態の情報がきたときに
心の準備がなかったせいで対処が難しかったから、
やっぱり私もその辺を心掛けて様子を知らなければならないなと思った。
雑草トラブルの件も、トイレ詰まらせの件も。
義妹からの電話でも今後についていたく考えさせられた。

傍で一日中ついている人が日ごろ感じていることを
横からサポートする人間は酌まなくちゃならないと思った。
認知症を患う人にも、よそゆきの顔というものが、あるので。

実家に行って祖母と過ごす際も、私がどうもお客様と思われて、祖母は気を遣うが
そのおかげで私は比較的楽しく過ごせてしまい、母や父に申し訳ない気にはなる。
私がいる間は、例の「自分の通帳どこなんだろう不安質問」が繰り返されることはなく、祖母は「もてなしている側」にいると思い込んでくれているっぽい。
が、逆にそれを私は利用して、ある意味、祖母に気疲れして?もらう時間も
いいんじゃないかとか思ったりする。

分からない。やっぱりこればっかりは、実際に毎日一緒に過ごしてみないとなかなか分からないのだろう。私はそれを想像力で補うことを励まなければ。

そしてとりあえず今、先々に誰かを自由に助けられるための備えとして
まず先立つものを手に入れるために、
週に1〜2日でよくてクレーム処理なくて余計な対人ストレスなくて午後の半日で終わって休みがとりやすいような自給1000円くらいの室内で座ってできる仕事(笑)を
探すという、
その探すという仕事自体もほかのこと※にかまけてロクにできないでいるという、
私のふがいなさだが。

※ほかのこと、のほとんどは、
ついったで流れてくる声を見て咀嚼し消化するための検索仕事というか、うーん、
自分が何に対して突っ込んでいれば、もっとマシな未来を次世代に遺すことに役立つんだろうかという、おまじない。

※後記。で、ついったをきっかけに辿りついた、原発関連の自分覚えはここに置いた→http://d.hatena.ne.jp/mottiii/20110701



2011年06月21日(火) 有難うゴメンね

ああ。親ってありがたいなあ。頼りになる。ありがとう。いまだ支えてもらっている。いつ私は独り立ちしてその恩を返せるオトナになれるんだろうとふと思う。物質的にも精神的にもまだ頼ってしまっているいい歳の私。夫にさえ堂々と開き直れないようなこの歳でもまだひよっこ。「自分の稼ぎ」さえ作りだせないでいる。情けない。仕事のえり好み。こんな状況からもっと転じて快楽に流されずにキチンとやりくりしてバイトもして、いましてもらっていることを逆にしてあげられるような、毎月美味しいものをご馳走できるように、もっと、こう、ドーンと、楽をさせてあげたい。まず先立つものを、何とかしつつ、でも頑張ってこつこつと、積み上げて返すから、待ってて、きっとそれまで、長生きしてて下さい。



2011年06月17日(金) ともだち

今週、ひとと会う機会が連日あって
ママ友から友人になった人々、延べ4人と。


その中でも、今日一緒にご飯を食べた人は、特に親友と言っていい。
縁あってから、もう15年くらいになるかなあー。
飾らないで会える人、飾らないで会ってくれる人。

そんな友達で居られる人の、何が一体そうさせるのか
私にとって彼女の、それが何なのか、考えてみた。

他人と自分をいつも比較して必要以上に優劣を気にするということが、ない。
人生の途上で諸々の困ったことは起こっても、それで勝ったの負けたのという思考には行かない。
しんどいことやしんどい人に出会ったとき、しんどいとぼやいてはいても、
気持ちのどこかでそのことを、得難い試練だったと思い直すことのできる何かの耐性を
持ち続けている、
そしていつのまにかその試練を栄養に変えて
そして私にもその耐性栄養を補給してもくれる、
そんな人だ。

心のきれいな人といるときっと良いことがある。そんな気持ちにさせてくれる人だ。


※12星座の話や、人との縁の話など、4時間以上があっという間に過ぎて行った。at新宿。



2011年06月11日(土) 各々の移り変わる想いは、どこへ向かう?結婚22周年や思想変遷や反原発や

昨日から結婚23年目に入り、でも記念日は大した盛り上がりもみせず
しかし平穏無事に過ごせている毎日に淡々と感謝してお茶を飲んだ。

思えば、結婚当初は、夫やその親の存在が、ストレスっていうか、なんというか。
私は今よりももっとコドモだったし、
そもそも結婚に踏み切ったのも親族のプレッシャーから逃れるという不純な動機からだったし、
考えることといえばいつも夫との文化の違いに苛つき、
「婚家」と「実家方面」との文化の違いにも捉われ拘り疲れて
この先、どんな離婚劇が待っているのだろうかと新婚旅行中から夢見て?いた。
自分の要求を如何に通すかばかり考えてて
彼を幸せにする努力、に思いが至らなかった。
だから私は多分、一皮むけば、日本屈指の悪妻だったと思う。
(そうじゃない振りはしていたつもりだけど)

長年経るうち、夫の良さが分かってきた。
それは私の好きなタイプの良さとは違うけど、でも、「良さ」なんだ。
私も(たぶん彼も)少しは変わったと思う。
たしかに、互いが互いの教師になっていったんじゃないかな。
心のうちまですっかり分かり合えることはなくても、それは最終目標じゃなくて
分かり合えないままでも別にいいんだ、気持ちのどっかで互いを認めてればいいんだ、
全部をまるっと好きになんなくたって恩を感じて、心の中で「かたじけないね」って挨拶して
もっと別の道がほら、ここにあった。って
なんとなく思えた。

私の46年と夫の51年はそれぞれ違うんだから。誰かの数十年と誰かの数十年はそれぞれなんだから尚のこと。

しかも
私ひとりの頭をよぎる考え方だって、46年のうちに紆余曲折諸行無常、流転しまくることこのうえなかったし。

あんなに男になりたかったのに今じゃ女以外に生まれ変わりたくないんだもの。
あんなにサヨクだったのに今じゃ反日教育を危惧したりしてるんだもの。
あんなに某政党を応援したりしてたのに今じゃ180度も。


※今、もやもやしてる「反原発」のありかたについて
とりあえず自分の不勉強はものすごく棚に上げて言うと、
原発つまり核物質を使ったエネルギー、が、私はやっぱりキライだ。
どのくらいキライかというと、こーーーんなにキライ。
だっておかしいもの。維持するだけでも害のほうが大きいもの。
トイレなきマンションとか以上の犠牲が常に付きまとう。
いまのままの人間には御せるもんじゃない土台ムリ。
将来はそれが終わってほしい。すんなり終わってほしい。
だからこそ、だからこそなんだけど、

「反原発」がキチンと品行方正でいてほしいんだ。
突っ込みポイント満載な運動はやめてほしいんだ。
原発利権はいやなんだけど
日本を弱体化させちゃうよな「反原発利権」ともキッパリと縁を切っててほしいんだ。
実現可能なものであってほしいんだ。
多くの良心的な日本の生産者が犠牲にならない道であってほしいんだ。
やたらに恐怖を煽ったりせずにリスク評価はバランス感覚を保って
おかしなヤツと思われないように市民権を得てほしいんだ。
好きな人がなるべく多くの人に受け入れられるステキな人であってほしいと願う気持ちなんだ。
私はそれを感じていたんだ。きっとそうだ。それが、先程、わかった。

もしかしたらこんな、これに限らず
人間関係においての異文化コミュニケーションとやらの
その時々の、各種のもやもやは、天が用意したオプション授業の一環なんだろうか。
用意したのは天なんだろうか、生まれる前の自分が登録しといた講義なんだろうか。
あんまり楽勝科目でもなさそうなんだけどね。受講できるだけありがたく思えたら、いいな。



2011年06月09日(木) 片付けかあ・・・。まずは

家族の各々の進化や興味の推移に伴い、増えていったあれこれグッズの
要る要らないの判断、貰い物への思い、使わないだろうと思いながらも使いたいような気もする、など
積もり積もって余計めんどくさくて
ずっと避けて通ってきた「片付け」に向き合う日が、ぼちぼちやってきた。

全くまーーーったく、やる気が出ないまま、とうとう今日まで来たが
母が「手伝うから」と来てくれたので、やらないわけに行かなくなった。
でなければ、もしかするとずっと、
片付けに関して特化した思考停止っていうか精神的ひきこもり、を
頑なに続けていたかも。

まずは今日は食器類のリストラ。
地震のことを考えると、多すぎると危ないし。
結婚当初〜子どもが小さいころ、から比べれば必要なものは変わってくる。
あの子らが幼稚園や小学校低学年のころは、親子連れで互いに代わる代わる自宅に招いてそこが共同の遊び場であり食堂だったので
(子どもが騒いでも気にならない。外食よりも落ち着く)
食器は、とにかくたくさん要ったっけなあ。

朝からお昼ご飯持って来て手伝ってくれた母のおかげで、
普段使う食器が取り出しやすくなった。ありがたい。



2011年06月08日(水) 曇天

☆昨日のスポフェで娘たちの若さに自分の中高生時代の気分を思い出していた。
そして羨んだ。悪意と苛めから程遠い、娘のクラス、その校風を。


☆今日は大学院生のひとから、女性の再就職意識についての論文のためのインタビューを受けながら、
こんな私みたいなゆるいサンプルも、まあ必要としてもらえるなら幸いだなと思って。

その人も40代の、子育て中の女性。
ゆうべ寝ずにデータまとめをしてたとおっしゃった。


☆祖母に「お金」「財布」「通帳」を思い出させないような方法って何があるんだろうか。
電話かけて長々とお話してみたらば、お金関係を思い出さないでいてくれるかもと、
単なる思いつきで実験的に電話したら
そばにいた父が私の電話代を頻りに心配してしまい却ってお騒がせだった。
ていうか予想以上に祖母と話が噛み合わないことに気づいた。


☆ネット上でもリアル上でも自らの無力感を痛感。
最近は、善意のひとを前にした歯がゆさというかじれったさというか
言いたいけどうまく言えない感じ、言っても虚しい感じがつきまとい離れない。


☆明るくなくて曇り空な自分が、ちっと嫌になるが、嫌になってられるよな甘くゆるい境遇には申し訳ないよな感謝を。



2011年06月06日(月) 週末からのあれこれ

☆土曜日は娘のクラスの保護者ランチに行ってきたわけだが
たいへん上品なお料理で、たくさんの小鉢に少しずつ、手の込んだ
珍しい品々が。
くじ引きの席で隣や向かいになったお母さん方とおしゃべりして
気がつくと2時間はあっという間だった。
そのあと学校のほうの保護者懇談会に移動。
先生は若くてキレイでしっかりした感じの人だ。

で、その夕方、
英国大使館合唱団のチャリティコンサートに誘われていたので
娘と夫が行ってきた。
私も時間が許せば行きたかったが。息子は宿題のため留守番するっていうし
そうなると、なんだか何をどうしていいかわかんなくなって、私は行かない選択をした。
ランチの前に家族の昼食おいて10時半に家を出て、4時頃に一旦帰ってきて、
また夕食を大急ぎで用意して、そして子どもと一緒にまた出掛けて、ってことを
シミュレーションすると、ちょっとせわしないかなって思ったので。

夫は、「今日、ご飯は外で食べてくるから」で済むのに
主婦は、ご飯時に家を空けるとなると、家族の分を用意して出なければならない。(ウチの場合)
それがちょっとなあー、っていつも思うけど
まあ、咎められずに出かけられるだけ、贅沢なことだ。と思おう。

☆娘、日曜日に友達と秋葉原散策。というか目的がアニメイト。
娘はお出かけしてもしなくても休日の服装にとても気を遣っている。
そのあたりは、私に似なくてなによりだ。

☆卒業した高校から、高3生に向けての合格体験談&大学受験を振り返ってのアンケートが依頼された息子だが、
現役生に参考になるような話が果たして提供できるのだろうか。
「この夏が勝負」みたいなテーマに副った話が出ることを先生は期待していよう、が
彼の夏休みの過ごし方など全くお手本にはならないと思うのだがー。
ていうかまだ半分は受験生の気分(しかし半分はすっかり気楽な大学生)を持つ彼が
もしかしたらもしかするとライバルになるかもしれない現役生の、真摯な質問に答える羽目になるのは、
まあ、良い経験っちゃ良い経験になるだろうな。

☆今日は、バイトの後の腹痛はなかった。
帰宅すると汗びっしょりで、忙しいけど、たぶん、気が慣れた。
よかった。
2度あることは3度あるかと心配していたが
やっぱり先週のあの消化不良は、バイトよりも血の巡り関係が原因だったんだ。

そのバイト中に知り合いに出会った。計3人。

もっと頭使うお仕事じゃないともったいなくない?っていってくれた人がいるのだけれど、これ、充分、頭使う。体も使うけど。
これ以上、頭を使うと、もういっぱいいっぱいだ、今の私は。

☆ついったーについて、というか、世の中にあふれる玉石混交の情報たちについて、
個人的には、もうあまり悩み過ぎないことにしたい。
何かに必要以上に焦点を当てすぎると周りが見えなくなるのが私の常だったので
そうならないようにしたい。
利用されまい騙されまいと考えても突き詰めても、
どれにもどこかに矛盾が出てくるし、
全ての事象は使いようで毒でもあり薬でもあり諸刃の剣でもある。

☆ヤモリを絶命させたことがあるのを後悔しているけど
いわゆる害虫を潰すことには、全くもって躊躇していない。
そんな程度の人間だけど、やっぱり目の前で誰かが痛い思いをしているのを見ればきっと辛い悲しいと思うよ。
そのくらいの人って多いと思う。そのくらいの人同士が集まっていればじゃあ大丈夫かっていうと
そのくらいの人ゆえに間違ったり、互いに互いのストレス要因になったりしちゃうのかもしれない。

☆明日は娘の学校の体育イベントがある。クラス毎の独自デザインのポロシャツが良い感じ。けど「観に来なくっていいから」と言われている・・・。



2011年06月02日(木) バイトが真犯人じゃないな。昨夜の腹痛分析(笑)

(昨夜の続き)しかしよく考えると、今までやった派遣やパートやPTAのどの仕事よりもストレスフリーな業務のはず。
だから腹痛の直接原因じゃないな。引き金かも知れないが。

消去法。
まず食事、は違うなー。家族は異状なしだから。
悩み?しいて言うならツイート見て考え込んだ世の中の色々に?
いやそれぐらいの悶々は日頃から味わってるけど、そのたびにお腹痛くなりはしない。

じゃあ何だろう。

そう言えば直前にベンピしてた。
それから症状出たとき妙に背中冷えてた。

分かったかも。
血が巡ってなかったし
老廃物溜めてたから、
消化がおかしかったんだ。
その日も昨日も、前日から当日昼にかけて
ずっとPCの前に居たんだ。
ついったーとか求人サイトとか検索サイトとか求人サイトとか。
脳内であれこれ考え考えしてるだけで
掃除も洗濯も何もかもが後回しだった。
そんな風に
身体フリーズして体温下げまくってたところに
急に外での立仕事、プラス緊張感。
ついていけなかったんだな、腸が。

今日はリカバリしよう。
明日から適度に家事でしっかり動いて温めよう。

※子ども近況
娘、文化祭ポスター応募作品にかなり真剣に取り組む。
合唱部に有望な新入生が入部したらしい。
息子、関西から上京した同級生と友達になったらしい。ご飯を一緒に食べたり東京案内したり下宿にお邪魔したりしたらしい。



2011年06月01日(水) バイト二回目

先週の水曜に続いて二回目のバイトだった。
月に一度発行される地域情報フリーマガジンを
駅周辺で道行く人に手渡す。
ポケットティッシュと違って嵩張るし
怪しいものと思われたら受けとってもらえない。
また、怪しくないと分かってくれてる人も、
月初だと新刊を進んで貰いに来てくれたりするけど
下旬となると、既に持ってるからと断られたり。

今日は最新号の配布なので先週よりは受けとってもらえる率が高かった。
声のかけ方、差し出すタイミング、コツも
少ーし分かってきたかも。
でもまだ目標部数には届かない(よって、まだ研修時給のまま)。

非常にテンパりながらも一方で楽しいっていうか
充実感。

(担当社員が優しいし)

なんか、このフリーペーパーを以前から読むうちに
きっとここは良心のある会社だ!って思ったから
手配りバイトに応募したのだ。

ただ困ったことひとつ。
配ってる時間も
急いで帰宅して夕食の支度や食べてる時間も
前向きにハシハシこなしているのに、
その緊張感が時間差で
ちょうど8時頃、入浴しようって時に
お腹にくるらしく。

先週もそうだった。さっきもそう。
何回もトイレ。

なんでこんなことですぐ腹痛なの。あれかな、過敏性なんとかってやつ?
週にもう1日違うパート入れようと思ってたけど
これじゃーね。引きこもりかっ。


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