気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2011年07月30日(土) 義母の喜寿のお祝い

77歳を迎えたお義母さんのお祝いは
日本最古の結婚式場の一室を借りきり、
お義母さんの好きな中華料理で、円卓を三兄弟の家族と囲んだ。

お義母さんの体調とか、何かの時の着替えとか、もろもろ心配ではあったけれど
朝のヘルパーさんも準備を見てくれて、義弟が車で迎えに行ったときはちゃんと出かけられるようになっていたようだ。

当日の朝ご飯とその晩ご飯・翌朝のご飯のことは前日の午後のヘルパーさんが準備をしてくれてて
このあたりのことは私も義妹とも連絡済で、まずは安心して晴れの日を迎えられたのだった。

子どもと孫、みんなからのお祝いのプレゼントとして、
とてもお義母さんに似合う品の良いゴールドベージュのワンピースアンサンブルスーツを、
前日にお義姉さんが奇跡的に見つけてくれていて、
女の子の孫二人からリボンのついた箱で贈呈、そこで
お手洗いに付き添われてお色直しもして、いつもよりきれいな装いになったお義母さんは、喜んでくれていた。
お義兄さんが「おかあさんも女性だね」って
そりゃそうなんだもの。

お義兄さんが中心になって企画の際、アニバーサリーコンシェルジュの人にも相談したそうで
バースデイケーキや写真撮影のサービスもナイスだったけど、
この、奥まった個室のほぼ専用と言ってもよいお手洗いが、お義母さんが時々使うのに気兼ねがなくて本当に良かった。

もうお義母さんは、久しぶりに集まった嫁や孫の誰が誰やら、そこで飛び交う会話のほとんども理解できていないようだったけれど
何かしら自分が華やかな席でオシャレしていて、祝われていて、息子たちやその子たちがにぎやかにしている、それだけは
きっと感じてくれてて、
たまに自分の世界にさまよっているような表情もあるけれど、機嫌よく過ごしてくれていて
デザートの杏仁豆腐を、銀杏豆腐と言い間違っていたお義母さん昔の逸話にも、ちょっと何か当時を思い出せたのか笑っていた。


息子と娘の服は、こないだ実家の母が買ってくれていたのだが、なかなかよく着こなしていた。
久しぶりに一堂に会した孫たちは、もういっぱしの大人のようになっていて、わきまえた会話を楽しんでいたし
たとえお義母さんと100%通じなくてても、この機会に子どもたちが楽しくこの縁を過ごせていることは、
結局はお義母さんにとっても幸せなことだろうと思う。

帰りはまたお義母さんのことは義弟家族が車で送ってくれて、義兄家族と私たちは電車で帰った。
日差しは強く、目黒の坂道を、頑張って歩きながら、でもお喋りは弾んでいた。
娘と私は渋谷で別行動になって、彼女の靴を買った。通学用と、普段用。(サイズがもう私より1センチも大きくなっててなにもかもキツくなっていた)

雨は私たちが帰宅してからどんどん降ってきた。お天気にめぐまれたことも感謝。



2011年07月27日(水) 続き。そのちいさな世界と連動する人の繋がりの虚しさと充実。

そんなこんなで、ここ数日のもやもやのごく一部が
少し分析できた。
それを今日は母にまでぼやいたりしてみた。


人は、ややもすると
わかりたいものだけわかろうとする。
余力もここまでが限界。
だから、
理解できる人に理解されるっていう欲は簡単に満たされるだろうけど、
理解できない人に理解されるっていう欲が満たされる機会は、滅多にない。
それがネットコミュニティ。


だから、ツイッターも、大きな声はより大きくなる、小さな声はより小さくなる(させられる)、
一番届かせたい人には届かないし、一番受け取ってもらいたい人には受け取ってもらえなかったりする。


誰にも受けなくって小さくなる声を、無理に大きくしようと張り上げれば、批難か告訴に遭いかねない。
誰もそんな疲れることまでして頑張りたくはない。生活が大事だもの。
・・・って思って黙る人も多いかも。


一例挙げると、

「御用」という言葉の真の定義、と、
世間でとおっている「御用」の見分け方、と、
その二つが微妙に(大いに?)ズレてるからじゃないかな。
少しでも「ここまでなら大丈夫」って言ったり「原発由来じゃないものもある」なんて言うと、
そんな人はすぐフィルターにかかって
「御用」の棚に仕舞われて終わるか、処分されるさだめ。
貼ったラベルを剥がしてみる人もまた背中にラベル貼られる。
それを剥がすには相当の力が要るだろう。


そんなもやもやする虚しい作業を、どのようにわかってもらえるのかを、
悶々考えていたが、


母に逢ってそんな心境を吐露してるうちに、
本当はこんなことに今こだわるより
大事なことがあると思えてきた。


ちいさなPCや携帯の中のやり取りで凹んだりしてるの勿体無い。
老いに向かう親を見つめる母を見つめる私を見つめる若い世代も含めて、
みんなが、生きる意味を考えながら自分なりに日々を歩んでる、旅の途中の人たち同志。


そしてネット上のリプライでもらった言葉にもまた励まされた。
その主旨をざっくりまとめると、


生身の人の言葉のやり取りのツールの使い方はそれこそ人の数だけあるし、その中で喜怒哀楽も感じて時には辛くもなるけども
そういう感情自体を味わい経験する為に命を頂いたんだから。


…というような、嬉しい、ヒントをもらえたんだ。

身体を離れて心を取り出して言葉をやり取りできるネットだからこそ得られたこともたくさんあり、
見えて触れて考えることのできる身体あってのおかげでもある。


心と身体をもらったおかげ、そのもらった人々の中での、経験。



2011年07月26日(火) ウィンドウをひらくとあるちいさな世界

今日はかなりの時間をかけて、
ついったーの使い方を変えた。
例の分野から暫く隠居しようと
色々恥ずかしい言動を往来で繰り広げたあとを残したけど
これも後のなにかの反面教師に使われるだろうし
まあ、そんな自分も自分なんだから。



2011年07月19日(火) くちびるなんかつやっつやだしほっぺとかも

3ヶ月の赤ちゃんのいるお友達のお宅に寄らせてもらった午後。


まだ首の座らない、ぷくぷくふよふよした女の子は
どうしてああまで拝みたくなるような涙ぐみたくなるような目で見つめてくれるのか。

耳元で、スマホから流れる唱歌、に
えも言われぬ表情で
ママに向かって時々何か声を発して、
柔らかい笑顔も見せる。
そんな赤ちゃんを抱きながら
ママのカテゴリーを軽々超えるような話もできてしまうひと。


三人のこどもと共に生きて、こどもっていう自然に添いながら
新旧東西の人の知恵をちゃんと伝えながら
力抜くところと手をかけるところを弁えながら
しっかり、賢く、
育ててる女の人、


メイクしてなくても。
すぐにおっぱいあげられる系のラクなブラジャーでも
この分野の中でも
いつでもなにか
光ってる。

命を守っているというそれだけでもうすごいこと
なんだけどね。


私も、また初心に還って我が有難い家族との時間を、
慈しもう…。期間限定なんだものね。
この貴重な時代は。



2011年07月18日(月) 短期記憶が残るうち家族近況(私の在宅仕事皮算用・娘のお祭り生活・息子の試験準備・夫の受験勉強)

なんかー、暑いせいか、ちょっと先週のことなんかは細かいことが思い出せなくなってる。

ここ数日のこと、書きためておきます。


☆これから試験期間に入る息子より一足早くテストが終わって夏休みモードとなった娘。
さっそく「ヘタリア」4巻(特別装丁)を買ったり、友達とまたユザワヤとかアニメイトに行ったり
こないだは小学校時代の友人に誘われて祐天寺のお祭りに行き、
終業式の後、海外に転勤になる同級生のお別れ会に出る予定と
その翌日はクラスメイトとスケートに行く予定と
友達と「空海展」を観に行く予定 などがあり
宿題はきっとたくさんあるだろうけど、それ以上に文化祭の準備と部活動の予定がいっぱい待っている。

そういえば祐天寺のお祭り。
大盛況だった。娘たちは飲み食いよりもおしゃべりすることに主眼を置き
ちょっとした同窓会を人ごみに紛れてやっているというイベント。

他の友達は皆、自転車でサクッと連れだって行くのだけれど
ウチの娘は自転車を乗れるように私がさせてないまま成長させちゃったこともあるし
先日、母にもらった浴衣を、嬉しそうに来ていくっていうので
バス+徒歩で30分、夜は一人歩き心配だから私が送迎し現地で合流させた。
帰りも、他の子より帰宅時間がかかるので、私がみんなより一足先に娘を引き取って帰った。

子どもの頃の私なら、
自分が友人と行動パターン違うのとか、自分だけ親に迎えに来られたりするのとか、体裁を気にしてしまっていたなあと思うのだけど
その辺はどう思うのか娘に問うと、んー、別にどうも思わないって
言うのが何かある意味嬉しいようなすごいような気がした。

子どもの頃の私なら、
友達と合わせるために頑張って自転車乗れるようになりたいだとか
浴衣はかわいいけどみんなが洋服だから自分も洋服でいくとか
そんなことを考えそうだったが、娘は違う。
誰が着なくても自分が着たいんだから浴衣は着ていくっていう。

娘の自転車については
私が今まで乗れるように仕向けてこなかった。それは
自宅の近辺に坂が多いことと、小柄な娘の体格体力運動神経から推してみると、
出会いがしらの衝突を避けるための技がないなー、と思い
まともな自転車に乗れるサイズに(つまり道路に足がつけられ視野が広がりハンドルを動かせる体格体力に)なるまでは
乗せず、
友達が自転車で行き来するころには、連れだって移動することを認めると注意力散漫になって事故に遭ったらと怖くて
乗せず、
大事な中学受験の前後にはもちろんなにかあったらと思って
乗せず、
中学に入ってみると友達と自転車でどこかに行くというイベント自体がほとんどなくて
乗せず、

でも私のように大人になって幼児の送り迎えに自転車が必要になって
30過ぎで初めてまともに練習した人間だって乗れるようにいずれなるんだから
それでいいんじゃん、とか思ってる私ってやっぱり超過保護な親かな?


☆夫は部のチーム内の人々に資格試験受験を推奨する立場らしく、
そうなると自らも手本として受験しなければならず、
数日前は「何とか」っていう(聞いたけど忘れた)IT系の試験を受けさせられ、受かったからいいが
もし受からなかったら受験料3万は還ってこないところだったそうな。
で、また今更TOEICを受けろと言われてて、今更、ほんとに今更英語の勉強をするはめになったようで
毎日会社の行き帰りに参考書携帯する状態。
大変だよとか言って実は案外楽しんでるんじゃないだろか。昔から多分そうなんだ、
なにかハードルがあればとりあえずそこに全力注いで、超えて勝つのを楽しめる性分なんだろう。負ければ悔しい、と。

パパは、自分がそうだから、子どもにも、
「ちょっとした学内定期試験なんかの直前日となれば寸暇惜しんで試験勉強して全力ベスト尽くすんだろうフツーは。」と期待するわけなんだろう。
そう、それがいいに決まってるが、ウチの子らは、そうでもないのよ。私がそうでもないから。
私に似てるのよ。試験前日だろうが観たいものは観るし食べたいものは食べるしっていう。


☆これからレポート提出期限や前期末試験を迎える当の息子は
勉強はやってるんだかどうだか(部屋にこもる時間は増えたけど)
先日帰りが遅かったのはサークルの部会じゃなくて学校近くの町中温泉に浸かって来たとか
何かと自由人の余裕?を見せる。
なわけで、大学試験日程の真っ最中の日曜に、朝から晩までの試験監督バイト予定を入れていた息子に、
夫が、静かに・しかし懇々と、話をしていた。
大学の成績ってのは前期・後期試験×3年 の6回の大事な試験の累積で決まり、それがまずいと就職にも少なからず影響があるからと、
要は、期末試験はその6分の1を占めていて、大変重要なのだからと、
何もその真っ最中の日にバイト入れなくたって夏休み中にやればいいんだから、予定をずらすべきだ、と。
まあ、夫の説得により今回は息子が折れて(代わりに8月か9月に仕事入れる心づもりとなったようだ)、
頑張って断りの電話を入れるという、なかなか良い経験もしていた。

納得づくなんだから私はそれでいいと今回は思ったが
私は内心(仮に息子にこの説得をしないで放置してやりたいようにやらせて前期試験がダメだったとして、それを教訓として次回シフト申請するときに自分が気を付けるようになるとかでいいんじゃないか?6分の1がダメならだめで得難い経験と引き換えじゃないの?)なーんて
ぼんやりノンキに思うような、そんな甘ーい私だから、学生時代はあんなに成績悪かったんだな。そうかわかった。そこが夫と違うんだ。


☆実家の祖母はホーム入居が始まったばかりで、良心的なスタッフさんが懸命にならしてくれようとしているのを懸命に母や叔母が陰で見守り祈る状況、
義理の母はヘルパーさんがついててくれて、今のところ現状維持、
そんな感じで私も
今やっている週1〜2のパンフ配布バイト(但し天候に左右される)だけじゃなくって
ちょっともっと、何か隙間にできる副業はないかと探し中だった折、

やっぱり自分でシフトを組める在宅はいいのかもねとか思っちゃって
在宅データ入力仕事を斡旋する会社に連絡をとったが、
一件目は、よく聞くと初期費用がかかるっていう(ある意味詐欺っぽい)し
二件目は、初期費用はかからないけど定期的に仕事が途切れず入るわけじゃない&単価がめちゃ安い(多分それが相場なんだろな)し
ってことで
在宅っていうのはホントに割の合わないものだと思い知った。
まして私程度の入力速度じゃあ、家にいる間にびっちり作業したってお小遣い程度にもなりゃしないだろうことが予想できた。

この歳で、ストレスレス&時短&平日の週2日以内&ウチから近い、って仕事を探すことがそう容易ではないんだけど
なんかそんなこんなでもう、「都合のいい仕事を探す」という仕事が面倒になってきた。
仕事探してる間を時給に換算したらほかにもっといいことできるじゃん、
やりくりしていればいいんじゃん、とも思え。
夏休みで子どもが家にいる時間が多いってことも、あるけども。あと、暑いってことも、めんどくささに拍車をかけている。


☆最近読み返した「めぞん一刻」五代裕作がかわいくてしょうがない。
あと九条明日菜&三鷹瞬の恋がこれまた、かわいい。



2011年07月05日(火) 吉祥寺ランチ

続き。

で、
新しい世界・新たなジャンルの文化に出会ったときにそこに「行ってみよう」「やってみよう」とポジティブにとらえていく伸び伸びした素直さと、
それでいてきめ細かい気遣いやサービス精神、

…それがこんなに絶妙に同時存在するひとだったんだなあ。

彼女(中学時代の友達)の話しやすさ・居心地の良さがどこに由来するのかが
いま改めて判明しつつある気がする。


海外滞在中の苦労話から子育てのあれこれから、
宇宙が元々はひとつなんだよね、最後は心しか持って行けないもんね、って話まで及んだけど
そこに何の違和感もなかった。

30年以上の時間が経っていても昨日のような感覚だし
でもその各々のそれぞれの30年は、意味がありすぎるほどあったんだと思う。
(いや30年ずっと会わなかったわけじゃないんだけど。)



2011年07月01日(金) 懐かしすぎっ (縁)

さっき、中学時代にもっとも好きだった&なかなか会えないけどいまも友達で居てくれるひとから
久々に電話もらった。

今度逢えることになって嬉しい。

声が、全く全く変わっていないのはどういうわけか。
14歳のころから全く変わってないのは何、魔法?
ほぼ同じ時間を今世で過ごしてきたけれど彼女はもっと遥かに多彩な世界を知ってるのだった。
その縁がめっちゃありがたい。
来週が楽しみだ。なんとか無事に逢えますように。


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