気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2010年08月30日(月) 夏休み残りの日々

夏休みの最後の週はあらゆる意味でまとめに入っている子どもたち。

一、先の木曜、娘が合宿から帰ってくるという日の記録:

息子は早朝に発って奈良への日帰り一人旅へ。
(出発を玄関で見届けようと私も4時半起き)
薬師寺の東塔の特別公開(期間限定)が主な目当てだったそうだ。
ついでに平城宮(遷都1300年記念で盛り上がっている)や
京都の仁和寺にも足を伸ばし、帰宅したのは日付が変わってから。
(帰宅を見届けようと私も起きて居ざるをえなかった)

娘は午後3時頃、新宿にバスで着いた。
降車停留所で迎える直前まで私は新宿ルミネの美味しいところで
友人とお昼ご飯を食べていて心身ともに相当に活性化していたのに、
午後の新宿の地上は猛暑で、降りてきた娘らは疲れてて
でも渋谷経由で中学生らと帰る途中、彼女らの会話に和み
とにかく朝から晩まで練習、布団の中ではガールズトークだったハードな日々を
報告する娘に安堵して、リュックから出された着替えの洗濯。山のよう。

その夕方、ネットショップで注文してあった寝具「体圧分散敷きパッド」が届き
敷いてみるとこれがホントに良く、背中の蒸れと腰の痛みを一挙に軽減しそうな。
スプリング構造の繊維が、寝返りを打つたびにカシャカシャ音をさせるのだけが気になる。
これで家族皆も少しでも安眠できると思えば、わずかに残っていた派遣収入貯金が底をついても
惜しくないというもの。

二、そんな日の翌日からの、思いのほか軽くない課題:

息子はここ半月は6時台の起床を(私の腐心の誘導により)キープしていたのに
小旅行から帰宅した翌日は流石に疲れただろうから昼近くまで寝ていることを私も咎めない。
けど朝起きが苦手な状態にまた戻ってしまったようで、登校日が近づいていることも踏まえ焦ってしまう(私が)。
二学期からの塾の新しいテキスト類も増えたので、たまりにたまったプリント類の整理にようやく着手、
しかし残り少ない夏休みの使い方として、上半期の復習とか過去問とか他にも多々、キリなくやることはあるはずだけど
見た目が暢気そうだから余計私は内心一抹の不安。

娘の宿題は、面倒な制作ものが片付いているようだからと安心していたら、ドリル系が意外とごっそり残っていることが判明。
異常に多かった登校日の影響か、読みが甘かったのか、合宿帰りから連日寸暇を惜しんで机に向かう羽目になっている。
かてて加えて、文化祭準備で持ち返った、担当の「紙芝居の絵を仕上げる」というノルマを並行してこなす日々、
8月中になんとかそれらを仕上げられたら褒美に新宿の世界堂(画材店)に連れて行く約束をしている。

三、それにしても一階ダイニングのエアコンの効きが悪すぎだった件:

子どもたちは新しいエアコンの付いた二階で過ごすことが多いが、私は一階で
ザルの様に忘れていくエクセルの知識を留めようとテキストの見直しをしていても
もう暑くてどーしょーもなく
テレビのある居間の古いエアコンは→効きが早いのに臭い(こないだプロにクリーニングしてもらったのにかかわらず)
ダイニングの4年しか使ってなくてそんなに古くないエアコンは→臭くないのに全然効きが悪くて、設定温度を25度にしても室温30度
買い替えも考えたが、おかしいからその取説をパパがよくよく読むと、
お掃除ロボットがいるから10年お手入れ不要って書いてあるけどもしかしたら
と思って
開けたこともなかった蓋を、初めて開けたら
エアフィルターがもうビッチリ目詰まりしてて
これじゃ効かないはずだわ。って、
それの埃を掃除機で吸ってから水洗いしてはめたら
もう笑っちゃうほどあっという間に部屋が冷える冷える。
設定温度を29度にしても冷蔵庫のようにいきなり冷えてびっくり。
いかに無駄な電力を今まで使っていたのかと。

こうして僅かに残る今月を、懸案事項消化で淡々と?過ごしそうな気配。
(24時間テレビのドラマには親子で泣かされたけども)



2010年08月25日(水) 五感六感の共有部分と専有部分(和の色事典)

というわけで娘が居なかった夜。
前から買ってあった本が居間に置いてあって
娘が興味深くページを繰っていたのを、私もじっくり読んで(というか、観て)みた。

視覚デザイン研究所
http://www.shikaku-d.com/
が出している、

『定本 和の色事典』(発行所・視覚デザイン研究所、企画・内田広由紀)
http://www.shikaku-d.com/catalogue/catalogue203.html

日本には、もんのすごく多くの、色の名前が存在していて、
その1000以上の色名について、それがどんな色だったのか蘇らせてくれてる、
題名通り、色の事典。

「500の固有名と100のトーンの組み合わせでつくられている」(引用)そして色名には「絶対値がない」(引用)
普通は網膜上の3種の錐状体が受け取った光の三原色の配合を色として感じて、
それを脳は日本人の情緒・美意識でもって名前をつけて愛でる。

なんだか悲しくなるほど膨大な、境界線の曖昧な色の区別、

たとえば第148ページあたりの、若草色と黄緑と萌黄色と青柳色は、もう、違う色なんだよ・・・。
たとえば、藤色ったって、青藤、薄藤、似藤、藤鼠、京藤、藤紫、南京藤、白藤、
たとえば、
白と純白と銀白色と雪色と乳白色と真珠色とは、やっぱり似てるけど相当違うの。

ってことは、銀も雪も乳も真珠も、心から愛されてて、愛するモノには名前をつけたくなるから。

息子も、時たま、この本を手に取り眺めていることがある。
錐状体を2種だけ持っている彼の網膜にはそれがどんな風情に見えて感じているのか、は
私が想像しても知ることはできない彼だけのものだけれど。
何かを確かに感じている筈のその視神経と脳細胞とその奥の日本人の遺伝子と環境が育んだ思考パターンに
思い致してしみじみし
そして感覚は視覚だけじゃなく嗅覚、味覚、聴覚、触覚みんなそれぞれの感性なんだよねと
共通項と独自性との間の幅が時にメッチャ広いからこそ、言葉の存在価値もまたあるんだろうねと
思うと、改めて「ヒトって・・・一体・・・」って瞑想しながら眠くなっちゃう。

カシスジャムを舐めてマヨネーズ味を感じるのは私だけか?
金物のスプーンとフォークが触れ合ったのを見ただけで舌の先が痒く酸っぱくなるのは普通なのか?
それが解明されようがされまいがそれは、どうでもいいけど、
私の体の感覚は今のところは、私だけのものであって、彼の体の感覚も今のところは、彼だけのもの、
でも且つ、ある部分では共有されている、共有されていく文化的財産な気がする。

自分が好きなものを相手にも好きになってもらいたいという気分は、厳密には叶わぬものだと知りながら
どうしてそんな欲求が出てくるのだろう。ヒトだから?
アリはどうなの、ネコは?

色、味、音、匂い、肌触りとか、諸々の、この世の中の
何を好いて何を嫌うか、そのときの体の反応が創り出しながら、それを横に縦に伝えあいながら、
いろんなことをやってきた同じ人類同士でもありながら
でも、やっぱり私のこの体は今は私だけのもので、誰ひとりとしてこれと全く同一の感覚を持つ身体は無いんだね。
血を分けた親子兄弟でもそうなんだから、それが悲しかったり面白かったりする。





2010年08月24日(火) トイレ過保護を通り越して、もう馬鹿なのかも

幸せの条件の一は、自宅にトイレが二つあることだ・・・と、
口癖のように、ことあるごとに、家族や友達に喋ると大抵
笑われる。
しかもこの件については優に小一時間は語り続けられるだろうほどに私の信念と化している。

なんでだろうね。ヤなんだろうね、トイレがらみの失敗を想定するのが。
人よりその思いが強いのかも。
なんでだか、行きたくなったらいつでもトイレに行ける状況というのが、とても嬉しいのだ。というよりも
行きたい時にそこが占領されているor存在しないという状況が、んー、そうね、およそ一時間以上になると分かると、
それはそれは非常に落ち着かない。

トイレがないと心配になってしまうから。
もし今、急にお腹の調子が悪くなったらどうすんだ、と。
ひとたびお腹が痛くなった時にゃ、一時間超も脂汗滲ませて我慢するなんてジゴクの苦しみだろうと。
そして多分、そういう時は自分が一時間でもいつまででもそのトイレを占領していられる安心感が欲しい。
(けど、心配するほど実際はそんな事態にはめったに陥らない)

で、その懸念(大体は杞憂に終わる)は、家族の身の上を案じることにも及ぶ。
むしろ、自分よりも、子どものトイレ我慢というシーンがなんだか辛い。
だから子どもらにも、幼少期から
トイレが間に合わなくったってどうってこともないぞと言って接してきたつもりだけど
でもそれとウラハラに矛盾だけど、
子どもの、ここぞという行事やお出かけにあたっては
いつも腸内環境を良好に保たせることを蔭ながら配慮し、
そしていつもストッパとホカロンを持ち歩くことを強要する。
「かさばるし、別に要らない」「大丈夫だって!」とか言われても、可能な限り、しつこく持たせる。


前置きが長くなったが本題に入る。
今日から娘は、かねてから超楽しみにしていた部活の合宿へ。二泊三日。
既に高校を卒業した先輩も来てくれるらしく、娘は心待ちに。
基本、宿近くの河口湖駅へ現地集合なのだが、
数人でまとまって、新宿から中央高速バスで向かうべく
先輩がバスのチケットをまとめて予約してくれていた。

初めての路線なので、今朝、私は新宿の高速バスターミナルへ娘を送って行ったわけだけど
まずその前に、その高速バスには「トイレが備えてあるのか」
非常に気になっていたこの件を確認すべく、
先輩から予め娘が貰ってあったチケットの号車と席番号を片手に
数日前、私はバス会社にワザワザ電話をかけて訊いたところ
(ていうかワザワザ訊く人って他にいないのかな恥ずかしい)
帰りの号車にはトイレがあるが、行きのその号車には無いっていうんだ。
さあ大変だあ、何て非人道的な交通手段なんだろう。2時間近くもトイレなしの密室でノンストップで高速道路を走るなんてさ!
思わず、「冗談じゃないですよトイレの無い長距離バスなんて何故あるんですか御無体な!」と受付オペレーターに叫びそうになったが堪え、辛うじて
「あの、もし具合が悪くなったら皆さんどうされてますか」と尋ねたところ
運転手に早めに相談してほしい(それ以上答えようがない)
とのこと。
いやー、私の胸中は、相当な不安が渦巻いたけど、
それを決して娘に悟られないように、あくまでも軽く
「美容と健康のために、今日の老廃物は今日の内に出そう」と
数日前から水分や繊維や乳酸菌や運動に留意して
彼女のお通じを意識的にヒアリングカウントしていたが。
不要物質の前日の分が、今朝までに出ていないようだ!
どうしようか。
もはや、それは私にとっては馬鹿馬鹿しいほどの恐怖と言ってもよかったが、
それを娘に悟られて不安を煽る訳には、いかない。
そこで考えていたのは
*「もしもバス発車の時間になってもその自然の欲求が訪れる気配がないようならば、その場でチケットを払い戻して、先輩には体調不良だと説明して、私が河口湖まで電車で送って行ってやる」
という、心づもりだった。
が、はたと思いついて、朝食後、家を出る2時間前。
娘にバスのトイレがないことを説明して説得して
備蓄してあった幼児用イチジク浣腸を、「えー?」と言われながら半量だけ使ってみると
あら、彼女、スッキリ爽快。心配事はすべてクリアされた模様。

の、はずだった。

でも、その余韻で「すこーしだけ、まだシクシクするかも」とか出がけに呟いている。よって→*に戻る。
新宿駅の最終トイレタイムで「もうゼンゼン、治ったと思う」と言って
何事もなかったの様子なので、念のためストッパを飲ませて送り出す。
私の内心をよそに、すんごいウキウキした顔で、

待合室で他の部員と合流したので。その場にいた子たちに
務めて軽い口調にて
「あ、バスはトイレがないみたいだから今のうち済ませておくといいよ」と言うと
傍で娘は心なしか少しウンザリしていたようだった。まあ、そりゃそうだろう。

独りになってもなんだかホント気が気じゃない私。
新宿で買い物しながらメールを打つ:河口湖に無事についたらその旨メール下さいと。
何か不測の事態が起こって、やむを得ず途中下車だとか何かあったらば、その際も知らせなさいと。
ああ、そうは書いたものの。もし彼女の携帯が圏外で使えてなかったらどうなのか。ちゃんと公衆電話借りて連絡取る冷静さを持ち合わせているかどうか。
私はそのような場合の対処法を日頃から言い聞かせてきただろうか。パニックになって迷子になってetc.
なんか、悪い方悪い方へ妄想が。

が、昼過ぎになって、問題なし万事OKの返信が携帯に入った。
おそらく彼女には「メンドクサイ親だな」と思われただろうし
彼女の友達にも体裁が悪かったかもしれない。
しかし私の限りない安堵感は、喩えようもない。
しかし
そんな自分がイヤになる。なんなの、この強迫観念めいた拘りは。
来年は、心臓に悪いから、電車で行って欲しい。
なんなら現地まで送っても構わない。


というような、
過保護というか、このトイレ云々を気にする心を
あと二年間の間にはどうにか何とかしないと
中3の春休みには、オーストラリアホームステイ(ほぼ全員参加)というものがあるのだから、
もっとそんな、なるようになるだろう的な。いざとなればなんとかするだろう的な。広く大きい心っていうか、子どもを信用できるように、
何があっても臨機応変に対処できるように躾けておけばいいんだろうから
頑張ろう・・・頑張るような性質のものなんだろうか、疑問だけど。




2010年08月19日(木) 休みじゃないでしょうそれ

なんか、せっかく夏休みだからホントはのんびり
泊まりがけで、どこか行きたいなあ。
でも子どもたちの予定が合わないし。誰かが家に居たり居なかったりするし。
まあ贅沢は言えないけど。


息子の今年の夏休みは夏“休み”とは言い難い。。
彼自ら申し込んだ塾の夏期講習は114コマ。(1コマ≒1時間くらい)
やる気はいいけど、受講しただけで恰もやったような気にならないだろうか。
今週は横浜校、来週はお茶の水と自由が丘、ていう具合に
あっちの校舎こっちの校舎を渡り歩くついでの寄り道とか
電車の窓からの風景を携帯動画で撮影してみたり
日本史熱血講師の寒いギャグトークを録音して味わってみたり
時には全く受験と関係ないのに電子辞書から拾った神社仏閣のリストを黙々と作ってみたり
それなりに楽しんでいるようだ。
英作文の課題で出された「今年のsummer vacationをどう過ごすか」についての文、
郵送で返された添削の赤字で「勉強してる夏休みはvacationとは言いません」って書かれて
じゃあどうすりゃいいのと肩をすくめる高校三年生。
が、今月下旬には京都への日帰り一人旅を画策している彼。


娘の夏休みも夏“休み”でもない。

中学受験から解放されて期待してたこの夏なのに
結構時間のかかる宿題が多々。

科学の自由研究
数学(幾何)の、画用紙で自由に作る立体図形
課題図書を読んでの感想文
英文での絵本作り
秋に課外学習で訪れる予定の、鎌倉についての観光ポスター作り
自分の生まれた年から今までの世相年表作り
英語のドリル、数学のドリル

そのうえなぜか7月8月、毎日のように学校に。
9月に入ればすぐに文化祭があるから、クラスの出し物の準備での登校も忙しかったようだ。
一週間続けて劇の練習やら設営の計画、で
クラスの役が一区切りついたかと思ったらもう
今度は合唱部の練習日が平日連日。午後からだったり、お弁当持ちで終日だったり。
帰りに本屋に寄って立ち読みしたり、コンビニでおやつを買うのが彼女の楽しみ。
少人数で、しかも(共学なのに)今のところ女の子しかいない部だから
アットホームな感じで高校の先輩に可愛がってもらいつつ
なんとかかんとか、ついていっているようだ。
小さいながら、ヴォーカルコンテストで受賞したこともある部で
先輩の指導にも熱く気合が入ってて
帰宅すると、ソファーに倒れてしばし動けなくなってる。
ダイナミックな混声四部合唱は望めなくても、
木下牧子などのきれいな女声合唱を中心に頑張ってる。
娘から教えてもらった曲で私が気に入ったのは
「グリンピースのうた」すんごくかわいい。
グリンピースが、スプーンでもつかまらずに逃げてしまい、お皿の外にまでコロコロ転がっていく様子。
こつんこしながら♪というところが堪らないー。

※参考:
youtubeの動画
http://www.youtube.com/watch?v=5nx3Ip4D7GM

nicozonというサイトで見つけた、VOCALOIDによる合唱「グリンピースのうた」(←こっちのほうがカワイイと思う)
http://www.nicozon.net/player.html?video_id=sm4741437


そんな彼女と彼のそれぞれの毎日を見ていられるのが贅沢っちゃ贅沢。

追記
中学の宿題は、「好きな本につける帯をデザインする」っていうのもあったようだ。
でもとにかく着々と9割は終わり、残るはドリル類だけとなったそうな。



2010年08月09日(月) 余所の星の方々と付き合えるなんていうレベルに

投下先の国の人々が有色人種でなかったとしたら、少しは躊躇したのでしょうか?と。原爆の日に、頭をよぎってしまう。

他にも、やり切れない出来事がきっと堆く積もり積もっている、
地球内部の、そこここで起こってきた戦争の
いきさつ、人々の記憶、どの解釈が正しいのかとか、何かわかりづらい。

昼は8月の太陽が出ているし夜は月とか星が花火と一緒にいる空。
だけどその太陽や月や星が、ビーダマのように小さくて、動かぬ地球の周りを巡ってるなんて
そんな勘違いしている大人は、今や、殆ど見かけない。
そこまで知っててもなぜ。

地球が、
広大な宇宙の中の無数の小さな丸い星の中の一つにすぎないって知ったからこそ
得られた視点は、それなりにスゴイけど。
他の天体の存在を知ってからも、ウチら地球人って、思ったより成長遅くない?

宇宙ねえ。
子どもの夢を壊したくないけど、まだ
触らぬ宇宙に祟りなしの気がする。

遠い宇宙のどこかに多分、
ここ(地球)よりずっと進んだ?知的生命体も無数に在るんだろうけど
そこと付き合えるかどうだかは、問題はその彼らとこちらの進み具合。
こっちも相手も。もし中途半端に文明は進んでいても、互いの哲学はどうなのか。
仮に話が通じても(それだって奇跡だけど)
異文化に対する無理解とか傲慢さとか、宇宙の中心は俺たちだとか、
それ以前に自分たち以外の種は奴隷か家畜くらいにしか思わない、
(地球人も含め)そんな意識の宇宙人同士だったら。

いくらこっちが仮に、地球は地球人だけのものじゃないー、とか暢気に言って丸腰で
他者に対して平和と寛容を保とうとできたとしても
向こうがそれに乗ってくれるかどうか。
ヘタするとつけこまれて、拉致されて
かつて黒人奴隷を「新」大陸(でも先住民にとっては新でもなんでもない)へ運んだ奴隷船のような
宇宙船にまるで材木のようにギッシリと大量の地球人が詰め込まれ
モノ扱いされて運び出され
降ろされた星で環境に合うように改造され
植民地でこき使われて捨てられて
その子孫に対しても
百戦錬磨の手練手管で自分らの種の優位性を洗脳するため
歴史も都合よく改竄し自虐的な教育が施され
地球のもともとの文化もすっかり否定され
ゆるゆるとした根深い支配が続けられる
なんてことまで想像される。

そしてそれに味をしめた、ちょっとジャイアン的な星は
また別の弱い星を挑発して、追い詰めて、うまいこと戦争をけしかけて、
報復に強力爆弾かなんかで吹っ飛ばしておいてから、さて
その悲劇は宇宙の平和を守る為には仕方がなかったことだとか
その爆弾のおかげで被害が最小限に抑えられたんだとか
言うんだろう。

あっちでもこっちでもそんな酷いゲームが繰り返されるその舞台が
ただ宇宙空間に延長されていくだけの未来か。
理不尽に望みを奪われる人々の人数規模がただ宇宙に拡大されていくだけなのか。

というか誰よりも地球人こそ、余所様に対して、そんなことをやってしまいそうな。
やだやだ。絶対見たくない。

ちょっと我が身(日本など)の歴史と現在を振り返ってみても解かる。
独自文化を育てている国それぞれの垣根をとっぱらうと
ヤルかヤラレルかの緊張感がまだまだ今も続いている。
表面化しているものもあり、水面下ですすむものもあり
そんななか、たとえ自国だけが平和と寛容を心掛けていても
他の国の意識レベルが低い限り、ただ喰われてしまうだけかも、っていう哀しさがある。

地球内部が未だそんな次元なのに他所の星と対等に付き合おうなんて、おこがましい。到底。
ウチ(地球)の子たち(我々)の未熟さは、
まだまだ乳幼児以下、
100万年早い。顔洗って出直しておいでと言われそう。

でもだからこそ、もっと高次元の星で
変な競争意識も拘りも上手くクリアできてる
自他利他完全一致して、自分と違うものとも楽しく楽しく付き合えているような
仏様みたく悟りきったようなグレードの高い宇宙人たちが
もしもどっかにいて、
そんな彼らに恐れ多くも逢えたなら、
彼らに教わるのも導かれるのも有難いけど、
まだそんなレベルでもない。ウチは、そんな資格も、未だ無いねきっと。

そんなこんなを考えたり悩んだりしてる人人いきもの含む星とか宇宙とかの、全部が
また何か誰か大きなひとつの生命体のひとつの細胞の一部でしかないかもね、みたいなことを
手塚治虫先生も「火の鳥」で描いたりしてたのにね。
せっかく良いもの持ってるのにね人間て。道は遠い遠い。



2010年08月06日(金) 独りで遠くに行けるんだよと

だけどそんな(昨日付日記の)朝日新聞からだって、
もちろん有益な情報ももらえるのだ。(母からの紹介)
生活欄「あなたの安心」というコラムで連載していた「反抗期を楽しもう」

5回連載とのことで、購読している実家からの切り抜きを貰って読んでいる。

「親のコピーだった自分自身を、いったん壊して作り直す」(引用)ために
どうしても通らなければならない時期、それが反抗期。
やはりそうかと腑に落ちる言葉だった。

錯綜して去来する思い。
子育て最終目的は、子が親を必要としなくことだ。と頭では私も望んでいるのに
それがなかなかイメージできない。

広い荒野や険しい山道で
独り、遠くに歩いて行く・走っていく子どもの姿を、
裾野でただ、気を送りながら、見るともなくさりげなく見守っている親、
でも呼ばれたらどこにでも駆けつけるぞと声掛けながら観ている親、
それが私の理想。

子どもは、ほらこんなに遠くまでしっかり自分の足で来たんだよと
思い出したように親の方を振り返り、誇らしげに手を振り
親が笑顔で手を振り返すのを確認したらまた安心して前に進み
親が観てるけどボクは自分で登ったぞと喜ぶうちにいつか親を忘れていた、
それでいいんじゃない。






2010年08月05日(木) 半島関連の日本史認識に関するニュース・書籍

(参考。こうして並べてみると、反日的な歴史認識に敏感なのはやはり産経新聞だが、その対極の立場に立つ朝日新聞でも、戦前は違ったらしいことが末尾のアマゾンの書でわかる。結局、新聞って・・・。)

◎「朝鮮学校無償化」検討会議 「なぜ密室で」批判集中 拉致被害者救出に影響も
8月6日7時56分配信 産経新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100806-00000092-san-soci

以下引用

 「政府は矛盾を感じないのか」。家族会や対北民間団体から相次ぎ出された声明では、拉致問題と朝鮮学校無償化で使い分ける政府の“二枚舌”にも批判が突き付けられた。

 「朝鮮学校の教科書では、在日朝鮮人帰国者、日本人妻の受難に全く触れていない。歴史の解釈のレベルではなく、北朝鮮独裁政権が捏造(ねつぞう)した『偽史』だ」。5日に出された守る会の声明では、朝鮮学校の教育をこう批判。「政府は拉致問題解決を求めつつ、ゆがんだ教育を施している学校の授業料無償化に税金を投じるのは間違っていないか」と疑問を提起した。

 家族会と救う会が連名で出した声明でも「教科書では『日本は《拉致問題》を極大化し、反朝鮮人騒動を繰り広げた』とだけ記し、金正日総書記が拉致を認めて謝罪したことを全く取り上げていない」と指摘。「多くの専門家は朝鮮学校は純粋な教育機関ではなく、拉致被害者をいまだ返さない朝鮮労働党の工作拠点とみている」と触れた。守る会の声明では、こうも訴えている。「一番の犠牲者は誤った価値観を注入される在日朝鮮人の若者です」


◎【主張】日韓併合100年 いまさらなぜ首相談話か 産経ニュース記事詳細

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100805/plc1008050308007-n1.htm

以下引用

 だが、2001年、米国での国際学術会議で、欧米の国際法学者らは「日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」などと韓国の学者の一方的な見解を批判した。日本側の見解が国際的に受け入れられている。
 韓国が首相談話に何を期待し、菅内閣が何を盛り込もうとしているかは分からないが、仮に、併合条約を「当初から無効」とする韓国側の主張に同調するような内容であれば、重大な禍根を残す。
 単なる“謝罪談話”で終わるにしても、韓国は内容を不満として強く抗議してくることが予想される。それでもなお、首相談話を発表する必要性があるのか、極めて疑問である。
 日本の「植民地支配と侵略」を謝罪した平成7年の村山富市首相談話は、事前に有力閣僚や与党幹部に詳しい説明が行われず、終戦記念日の8月15日の閣議で、半ば唐突に出された。
 昭和57年夏の教科書騒動はマスコミの誤報が発端だったにもかかわらず、官房長官談話で「記述是正」を中韓両国に約束した。平成5年の慰安婦に関する官房長官談話は、根拠なしに慰安婦の“強制連行”を認めた内容だった。
 国民のことを少しも考えず、ただ近隣諸国に配慮するだけの首相談話などは不要である。


◎日本創新党 党首緊急声明 日韓併合100年周年における菅首相の謝罪声明に断固反対します

http://www.nippon-soushin.jp/action/message/post-6.html#more

以下引用

▼▼ 日韓併合は歴史の必然でした
 言うまでもなく日韓併合条約は、当時の国際法に照らして、合法かつ有効に発効しました。そのことは、2001年の「韓国併合再検討国際会議」で韓国側が主張した「違法論」が、英米の専門家から全くと言っていいほど受け入れられなかったことでも明らかです。会議の中で国際法専門のJ・クロフォード英ケンブリッジ大学教授は、こう述べました。
 「自分で生きていけない国について、周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」(2001年11月27日付産経新聞より抜粋)
 クロフォード教授が指摘するように、当時の李氏朝鮮に、自力で国家を近代化させ、独立を維持する力はありませんでした。事実、南下政策をとる帝政ロシアは、朝鮮半島への政治的影響力を徐々に強めていました。
一方、明治維新により近代国家の道を歩みはじめた日本にとって、朝鮮半島から他国の影響力を排除し、政治や社会を安定させなければ、自国の安全保障は成り立ちません。最初は李氏朝鮮が独自に改革することを期待しましたが、それが実現しなかったため、最終的に日韓併合へと進んでいったのです。また、当時は韓国側の有力政治団体からも、対等な形での合併を求める声が上がっており、日韓併合は必ずしも日本の都合だけを考えた一方的なものではありませんでした。
 併合後も日本は、朝鮮半島を、欧米列強が彼らの植民地に対して行ったような、搾取と隷属の対象とは見なしませんでした。莫大な投資をしてインフラを整備するとともに、教育の普及に努め、社会の諸制度を近代化させていきました。その間、住民の地位向上も積極的に図られています。日本に移住すれば選挙権が与えられ、政治家、役人、軍人になる道も開かれていました。実際、官公庁の高官や軍の士官、将官になった朝鮮半島出身者も複数います。ソウルには1924年、帝国大学としては6番目の京城帝国大学が設立されました。

◎朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実 韓国が主張する「七奪」は日本の「七恩」だった
水間政憲 (著)

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4198629900/ref=pd_luc_mri?ie=UTF8&m=AN1VRQENFRJN5

アマゾン内容紹介 以下引用

1910年の「日韓併合」から100年。35年に及ぶ朝鮮総督府による韓国統治については、日本の敗戦による半島支配が終わってからすでに65年たつ今日でも、植民地支配によって搾取、収奪が行われたという韓国からの批判が続いている。「創氏改名」「慰安婦」「土地収奪」「強制連行」などの「七奪」がその象徴としてよく指摘される。  しかし、日本による「日韓併合」は本当に帝国主義的な植民地支配だったのだろうか。日本による「半島支配」とは具体的にいかなるものであったのか。本書は、戦前の朝日新聞の膨大な記事資料を発掘、渉猟し、「日韓併合」の実相に迫る試みである。  本書に掲載された戦前の朝日新聞の記事を読み進めれば、日本が韓国を近代化するために涙ぐましいまでの努力をしていたかが、よく伝わってくる。日本の半島経営は、韓国が主張する「七奪」とはかけはなれたものであったことが、実感としてよくわかってくるのである。  戦前の日本はすべて悪いとする戦後の歴史教育の歪みが、多くの日本人の歴史観をきわめていびつなものにしてきた。そのため、韓国が主張する「日帝」の苛烈な植民地支配というイメージが日本人のなかにも固定化している。しかし、「大日本帝国下の朝鮮半島」の日常生活を生き生きと描き出した朝日の報道を読めば、そのような戦後史観がいかに間違った歴史の見方であるかがひと目で理解できるはずだ。


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