2009年06月24日(水) |
想像力の修行。例(会議にて・算数・併願校選び・義母との会話) |
↑ ・・・・・が、手を替え品を替え、私の前に与えられた一週間。
時系列全く関係なくそれをピックアップ。
☆「ユーンティル」をめぐるメール会議並びに対面会議(という名の楽しいランチ?)で 私の固定観念の堅い殻をどんどん柔らかくされたのは。 やはり「ひとつの言葉の解釈でさえ、ひとつの事象へのイメージでさえ、人によってこんなに違ったんだね」という 当たり前ながら驚くべき発見のせい。 考え方・生き方・望み・幸せの形・が、十人十色だっていうことを認めるのがこの会の主眼なら それを常に意識しながらの擦り合わせが絶対について回る。 この言葉を、みんなも自分と同様に解釈してるに違いない、なんて思って会話していけば、それは食い違ってくるだろう。
☆娘の小学校の日曜参観では立方体の展開図バリエーション(11パターンある)を 出来るだけたくさん思いついて出してみよう、という興味深い授業。 子どもたちがどんどん思いついて方眼紙を切り、黒板に貼りだしていく。 ウチの子もなんとか特許出した。よしよし。 だけど観てる親の私が、ホント思いつかない。子どもたちの頭の柔らかさに脱帽な時間。
☆息子の中高の体育大会は外部の競技場を借りて行われ、そこに娘(振替休日だった)を連れて行ってみた。 なんせ会場が広いし、保護者参観席からは誰がだれやら判別できないので、応援っていうか雰囲気を味わう為。 息子の出ていたはずの部活対抗リレーはうまくカメラに収まらず。 でも、チームごとの応援合戦パフォーマンスは観てて楽しめたし、 生徒会の体育委員のアナウンスが微笑ましく 行き交う男女生徒のノリが程良く (ここの学校は女子が少ないけど、生徒会長に名乗りを上げるのは男女共々だったりして、女子の存在感は相当ある) ああ、こういうフツーっぽい共学の学校が一番楽しいよね、 社会の縮図だよね、ありのままの異性の仲間、多様な感覚に触れられてていいよね、 と改めて思って帰ってきたけども。
☆↑でも、娘の受験の併願校を選ぶのに諸々情報収集してる過程で、 彼女の入れそうで通いやすそうな共学進学校が、あまりに少ないこの状況で。 別に女子校でもいいんじゃないか?と。 女子校ならではの良さってものもあるんだろうなと。 (中高6年間ずっと女子だけっていう環境に、私は全く身を置いたことがない。大学は女子大だったけどサークルで男子がいたし。だから最後は想像力に頼るしかない)
共学にこだわってきた私の殻を破ってくれそうなのは 母の言葉 女子校育ちの素敵な友人 そして塾から出てる情報誌(いわば学校宣伝誌) などなど。
で、それで、今まで関係ない世界だと思ってきた女子校のリサーチを始める気持にようやくなってきた。最近。 するとこんどはいきおい「ミッション校」や、「小学校からの持ち上がり生徒のいる学校」とも向き合うこととなる。 私にとっては未知の世界。 こういう、すんばらしい感じの学校も、ウチとは無縁だと思ってたけど、もしかしたら、敷居高いと思いこんでるだけなのかも?
中学受験なんて必要ない?という思い込みと 偏差値が高い学校じゃなくて大丈夫か?とかいう思い込みは 息子の中受の時にほぐれ、消滅した。 偏差値そこそこな私立でも、実際通わせてみれば、 生徒個々人は豊かな世界を育めるものなのだ。
だから偏見の最後の砦「どうしても共学じゃなきゃ?」というこだわりも この娘の中受の時期でやっと、外れるのかもしれない。 (でも第一志望校は、やっぱり親子して共学のあの学校を忘れたくない。まだ。)
☆義母に対する自分の心持ちがいまいち優しくなれないのはなぜ。 義父の一周忌でお昼をごちそうになった際には、とても可愛くて、心から私は 「このひと、何か、良いよね。やっぱりこういう穏やかな感じの母親に育ったから夫も概ね穏やかなんだよね」と 思っていたのに。
電話で、お義母さんに訊かれたこと、たとえばどこかの住所を答えるとする。私は相当はっきりゆっくりと、声も大きく、噛んで含めるようなペースで話してるつもり。
義母「○○の住所、わかんなくなったので教えて」 私「はい。じゃあメモしてくださいね・・・、 まず郵便番号は、123ー4567です」 義母「4567。」 私「はい、1、2、3、の、それから4、5、6、7です。」 義母「はい。わかりました」 私「次は○○市**、8の9の10−123」 義母「はい、○○市、の※※?」 私「○○市の次は**です。」 義母「はいはい」 私「次に8の9の、」 義母「9?」 私「8の9」 義母「はい、8の9ね。わかりました。これで終わりですね」 私「はい。で、続いて、10の123です」 義母「ええと、**市の、10−123?」 私「あの、○○市、**、それから数字で8の9の10の123です」 義母「あ、はいはい、じゃあ続けて読んでみます」 私「どうぞー」 義母「ええと郵便番号は、2の?2の3の?」 私「1、2、3、の、4、5、6、7」 義母「はい、ああそうね。123・・・・の、4567」 私「はいそうです。」 義母「○○市、※※、」 私「○○市、**ですよ」 義母「○○市**。」 私「はい。そのあと数字です」 義母「10の123」 私「そうなんですけど、その前に、8−9」 義母「はい、8−9の、2の、ええと?」 私「8−9−10−123。」 義母「はい。じゃあもういっかい最初から言いますよ」 私「どうぞ」 ・・・・(以下、15行前あたりまで戻って、類似の会話が2回ほど続く) ・・・・(中略) 私「はい、大丈夫ですね。 さっきお義母さんはそう書いて、読めてたので、もういっかい私が読みますから。 書いたメモを見ながら聴いて下さいね」 義母「どうぞ」 私「郵便番号1、2、3、の、4、5、6、7」 義母「ええと?どこに・・・。」
要するに1分くらいで済むであろう伝達事項が、なぜか20分くらいかかる。 しかも一旦完結したかと思うと、また数分後に電話がかかり 「さっきの住所。もう一回読んでみます、これでいいか教えて」と。
これは老化にともなう、聞く能力や読む能力や物覚えの能力の衰えだということは 私にもいずれは訪れる致し方ない事象だということは 理解してるつもり。なのに 何か、じっくり付き合えない。優しくできない。 心の中でかなりイライラしてしまう。私にだって、他にやりたいことがあるのに。って。 老眼鏡も買ってあげたのに、住所くらい、ちゃんとメモとれるでしょう?って。 自分で書いたメモなら自分で間違いなく、読めてしかるべきじゃないの?って。 電話台の近くの住所録も、夫が行って整理したのに、って。 このお義母さん、別にここまで老いてしまう歳じゃないだろう?と私は多分、思っていたいんだよね・・・。
しかし。このようなやりとりが、いつもながら繰り返されるのだが、 今週は、私の実家の住所を尋ねてきた。 それは多分、一周忌の供物の品のお礼を送ってくれるつもりなのだ。 それなのに私は義母に「有難い」と思うより先に苛立ちを覚えてしまったのだ。
義母の心情を想像する。 誰よりもお義母さん自身が、この老化によるまどろっこしさに、済まなく・情けなく思ってるだろうと。 そこを考えれば、 嫁として、やはり申し訳ないと反省する。心が狭いと思う。 次からは、色々な遅さにも、心から付き合えるようになろう。 もっとおおらかに。
2009年06月12日(金) |
顔も心も涙で洗われるだろと思って予め化粧なしで行って正解だったよ |
かねてからずっと楽しみにしてた彼女とのデイト実現。 きれいな映画館でROOKIES観てからご飯。
並んで座って同じ画面の中のあの子たちに釘付けになって まるで顔を洗うみたいに、涙流しては拭いては泣いて鼻かんで。 誰かに強く信じられている子が、また誰かを信じてついていくし、 真剣に何かを願いながら全力を尽くしていると奇跡が呼び込まれる。 しかもミネラルたっぷりの水をひまわりの花がぐんぐん吸って伸びるように 彼女がその子たちを観て「勇気を貰った!」と素直に顔を輝かせて、彼女にしかできない役割を誠実に果たそうと前を向いてるのが 嬉しくて、私もそうだよ、貴女にも貰ったよ、と強く思った。
物理的な距離や時間がどうというより、 離れていても、信じられるかどうか 親子の間だって、そうなんじゃないかー、と、 そんな話もした。
ところで、待ち合わせで敢えて彼女に新宿の街をを歩かせたのは、ホントは へー、こんな所が、ここにあるんやなあ。と思いながら歩く姿がきっと微笑ましいだろうし、可愛いだろうし、それを想像するのが楽しかったから。
2009年06月10日(水) |
結婚記念日の夜はアナゴタマゴ丼にトマトサラダにジンジャーエールにロゼワイン |
…って妙な取り合わせ。だが、晩御飯のまっとうなメニューとして家族は容認してくれたらしい。 実家からもお菓子送ってもらってるから、 ご飯を軽めにしといた。 仕事から帰った夫に手渡されたお土産で最も嬉しかったのは、 以前になんとなく強くリクエストしたかも知れないのを覚えててくれたらしい、 オレンジピールのチョコレートがけ。 結構安くない。 帰宅ルートから外れた六本木にわざわざ寄って買い求めてくれたのであろう。
この「わざわざ」の行為(好意)が私に向かって表現されるのって、夫の場合は珍しいから 余計に激しく私は喜んだ。
だって オレンジピールのチョコレートがけ!
本当に。 オレンジピールのチョコレートがけ!
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