気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2009年07月29日(水) じゃあ受け継ぎたいものはどう選ぶの(無償提供レシピ)

(追記)
では他の政党ならだいじょーぶか?っていうと、そうでもないらしい。

反日を画策してる親玉・つまり隣接の三国の後ろには、アメリカがいる、と。
フルフォード氏によればロックフェラーとかロスチャイルドとかの影。
じゃあ国連はというと、これも反日だという説も見た。

安保体制がイイとかダメだとかもカンタンに断じられないんだし
ならば誰なら信じられるか一晩中ぐるぐるほうぼう読みまくったけど
結局これぞということは、判らずじまい。

で、
「この人々のアタマの中を一色に染めて、いいように動かしてやろう」とする勢力、
それはたぶん、いつも、
一見して口当たりのいい思想や宗教を掲げてくる、んだろう、と。

生き方。自分も幸せになって周りも幸せにするような生き方を大抵、捜し求める。
それは誰かのやりかたに影響を受ける。
独りでゼロから産み出すのは大抵無理。

でも、それは
「はい、このレシピでやったら旨かったよ、良かったら、あげるよ。使って。」と
惜しげもなくタダで、または、ほんの諸経費ぐらいの値段で、提供されるのが
人の情けだろうし
人はそれを見て、自分なりに試して、旨ければまた誰かに紹介したくなり、
またほかのレシピと組み合わせてそれが良ければ新しくアレンジすればよく
そんな教えあいなら、私にも彼にも共にメリットが出てくる。

でも
定食セットを「これ以外食べちゃダメだよ。これだけを買いなさい」と高額で売りつけられたら
用心せよ、ってことかと。
もちろん誰かに売りつけるのも違反。
それが搾取だから。

そのメニューの出所と売られ方と値段を気にする癖がついてきた。
もう、若い頃に、懲りたから。

搾取しようとする者を何とかして見分けて、よけて、
皆にも注意を促しながら、
ひとと一緒に楽しく歩けるようなレシピ交換 or 自分なりのアレンジ、で
良しとしたい。ていうか、それで良しとしたほうが危なくない。
これなら危なくないよ、というレシピが確実にわかるものなら、アナウンスしたい。
難しい、判別が。

※そんなことを、私の妹(=師匠ともいう)のブログから考えさせられた。



2009年07月28日(火) 受け継がせたいものをどう守るの(マスコミとネットのこの差は)

日本国憲法の戦争放棄・平和主義は素晴らしい理念だと思うよ、
だから、それだからなお、他の国にも、これを見ならって同じように戦争放棄して欲しいと願う。
そうなれば一層、喜ばしいはずだ。
いっせーのせっ、で皆が一緒に武器を捨てられるなら、
そりゃ嬉しいけど。

平和を愛するからこそ、
過ちは見つめて認めたうえで
偏向した歴史認識や報道には洗脳されずに、
祖国の、先祖から受け継ぐべき、ホントの大切な心が、
後世に伝わって欲しいと願ったって、いいよね?

憎しみを作りたい、わけじゃない。そんなわけはない。
憎しみをわざわざ作りだそうとする一派の思惑を、
ちゃんと知って、
いつかそれを阻止してほしいだけ。
それがなぜ禁忌になるのかな?

いま、テレビ番組では、政権交代歓迎の雰囲気が漂ってる。けれど
ネットの中では、幾分、空気が違う。

あえて触れられていない、党のバックボーン、これをも
よく見て投票しないと、と思う。

googleの「未来のためのQ&A」というサイトでは、
衆院選立候補者に質問を投げかけることができる。
こういうのを読むと、マスコミには出てこない情報も見える。
http://moderator.appspot.com/?hl=ja#16/e=9df8

ほかにも
ニュースサイトで読者のコメントをつらつら読むだけでも
多数の関連ブログをあさるだけでも
麻生政権が案外支持されていたり
民主党の中身を危惧する声があるのに
テレビや新聞での扱いは、なぜか・・・。

ここ数年のネットで私の目にも入ってきたのは

国策として反日教育をしている某国側の意向で
日本の大手マスコミまでが操られているから、
・・・という話で、そうなると、
麻生政権への批判ばかりが目立つ雑誌の見出しに
ごまかされないように気をつける必要がある。

もしこのまま、民主党に政権交代となれば、
そのとき拉致問題は、解決に向けての進展があるだろうか?
かつて「拉致など存在しない」と主張していた社民党。
「拉致問題にこだわりすぎ」と発言した民主党の岡田氏。
日教組が強くなれば、また、ゆとり教育の弊害や、自虐史観の押し付けはないだろうか?

そして、結党以来の理念として最初から在日外国人には参政権を与えるつもりだと言っていたのに
人権擁護法案のことにしても、
それもこれも
マスコミに発表された民主党のこのたびの「マニフェスト」には
影をひそめていて、代わりに
耳触りの良い公約が並んでいるけれど、
あれらはいったいどこへいったのかな。
触れられていないところが気になる。

私には今のところ、ひいきの政党は特にないけれど
せめて誰に投票するのが少しでもマシなのか、を見たい。
どこかの都合によって世論が意図的に操作されたりしないことを希望し。

この問題に関するサイトの一部:

・反日教育---ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E6%97%A5%E6%95%99%E8%82%B2

・国民が知らない反日の実態----マスコミが報じない民主党の真実
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/159.html




2009年07月26日(日) 女で母で女子の不思議 / Just 60minutes / 伸びる生き物が傍にある快

一、
26日、よく晴れた暑い日曜、
ユーンティルは今年の昭和女子大の子育てフェスタに出展させていただけたので
その小さな机の上に、
ママチャレ卒業生(今回は2期生)の、その後の活躍を知らせるチラシが置かれ
(地域の情報誌でライターデビューの人、主婦向け再就職のサイトや会社にてお仕事の人、小学生新聞の広報に就職を果たした人、などなどなど)
それプラス、ユーンティルの季刊紙パイロット版を加え
全てセットにして、おもに子ども連れの来場の方々に配る。
まあ、言っちゃえばこれだけなんだけど
それが何だか楽しい。
久しぶりに会う同窓の仲間と一緒だからか。

ブースから離れ出稼ぎ的に配って歩いていたら他のブースの頑張ってる人々と触れ合えたり。
立ち寄ってくれた同窓生の、8か月のお腹に触らせてもらって元気をじんわりと貰ったり。
(受講時代とはまた違う、お母さんっぽい・ほわーっとしたお顔をしてた)

途中、私にママチャレを教えてくれた恩人・Kさんとお茶。というか、一緒にアイスを食べた。学食で。
彼女はこの大学に勤めてて、今日はオープンキャンパス、
お仕事の一端を垣間見て何だか、感動した。
昔から彼女を見てるだけでなんだか心&カラダが妙に落ち着く。でも今、もっと彼女がきれいだと思う。

なんかねー、その体育館の中で
大学生だった覚えのある自分、
乳幼児を育ててた覚えのある自分、
これから我が子(学生〜社会人〜家庭人〜)を育てる自分、
外で有報酬の仕事するかもしれない自分、
無報酬の仕事するかもしれない自分、
全ての、幸せモデルが全部そこにいてくれる、って
感じなの。

ブースの片付けも終わって、余韻にひたりながら
三茶でお茶して帰ろっか、ということになって
でも暑い日だったせいか、駅近くの喫茶店がどこも満席。
キャロットタワーの周りをぐるぐるっと回って結局
タワー地下の「オリーブの木」
そこでなんか色んなおしゃべり、そーね、
アトピーと食育のこととか、
お産は自然がいいけど、とか、
夫婦喧嘩したときってさー、とか、
男の子って可愛くて食べちゃいそうになるけど自制してる、とか、
思春期の子ってーとか、
蒟蒻湿布が効くとか、
ドラマや映画のあのひとが素敵だよねとか、
親になったり女になったり女子になったりしながら
おしゃべりが止まらない。

とにかく私の胸中は
「ああ、このままこの店に皆で泊まって朝までこんな話を聴いていたい」

二、
「でも帰らなきゃ、晩御飯作りが・・・」
その二つの心のせめぎ合いのなかで、
(ウチは7:30までに食事を並ばないと、なんとなくアウトだと思っている。というのは11時までに全ての家族が入浴して寝なきゃならないから。食休みも含めて逆算すると)

とうとう
PM6:30を回ったところで、もーこれ以上はと断腸の思いにて、
名残惜しみつつ退席。

バス停に向かうまでにトイレに行き
停まってたバスに滑り込み、発車までに持ってたウィダーインゼリーを吸い込み
降りるとダッシュで家の鍵を開けて
7:00、
ただいまーと言うが早いが、
5時頃に帰宅することを想定していた、何もかも放置の室内の熱気を払いながら
ウガイ手洗い、普段着に着替え、
外の第1便の洗濯物を取り込み、乾燥機内の第2便の洗濯物は入れ替えて第3便を回し
夫と子どもらに置いてったお昼の、食器の山積みをまず洗い
(てか、私の留守中、家族3人のうち誰か食器洗っといてくれてもいいよねー?)
台所にスペースを作ってから
7:15、何が使えるかと冷蔵庫や戸棚をひっかきまわして探し
お米から炊くのはもう間に合わないんでスパゲティがちょうど400グラム弱残ってる、これなら今からお湯を沸かしてもいいと
鍋に水を入れ火にかけてる間に
レトルトミートソースが2人前分しかないことに焦り
でも冷蔵庫の夏野菜を刻んで炒めてケチャップも追加すればなんとかなり
フライパンの前で汗だく焦りまくり
夫の「今日はうまく行ったの?」の問いは嬉しいが今は「うん。」と答えるのがやっとで
麺も茹だってとにかくオリーブオイルとチーズあればよし、
ジャスト7:30、「ご飯ですよ!」のアナウンスをすることに成功。
こんなカンタンなインスタントメニューで
ごめんよ。

毎日、外のお勤めのある人は、これを毎夕のようにやってるのかー。
手際良くなるだろうな・・・、いやー、尊敬する。

子どもの夏期講習が休みの日なので、久々に4人全員そろった夕食。
夫は午後、子どもたちをケンタ&本屋さんへの散歩に連れ出してくれたらしい。
そこで立ち読みした本に書いてあったことがスゴイ良かったという娘。
「幸せだなーっていう気持ちが、願いを叶えるパワーになるんだって。」
そう、じゃあ、幸せだなーっていう出来事をいっぱい自分で作るのがいいんだね。
じゃあ、同じような毎日でも、同じ人と一緒に同じことやってても、それを
幸せだなーって思える技があれば、もっと強いよね。
って言ったらすごく同感納得してた娘。

三、
いま、食卓に「つまみ菜」の水栽培のお皿がある。
夫が、某社の研修会の景品にもらってきたもの。
こないだの金曜に種を播いたばかりで、もう、ちっさいふたばをつけた茎が1センチほど伸びてて
それが思い思いの方向にぐるんってしてて可愛いったら
ありゃしない。
「朝より伸びてるね!」そんなのをみんなで見守りながらご飯を食べるのって、思った以上に、和む。





2009年07月21日(火) 梅雨が明けそう?その3 勝ち負けじゃなく

(続き)

三、
ユーンティルの
季刊紙作成班に混ぜてもらってたこの数か月。
創刊号の前の、ゼロ号のデビューを見届けた。

「専業主婦かフルタイム勤務か、とバッサリ線引きするんじゃなくて
しかも、誰かと比べて勝ち組だとか負け組だとかじゃなくて
“こういうのが幸せですー”の見本は、それは100人いたら100の数だけ、
いやそれ以上にたくさん、あるんだ(できるんだ)。
自分オリジナルの幸せの形が。
・・・ってことを
もっとオモテに出していこうよ、それがみんなのためにもなるから」
って趣旨の会に
お声をかけて頂いたので。

そこに微力ながらお手伝いしてきた。

その中からもらえたいろんな修行?恵み、その中で
特に、何が一番だったかって、やっぱり
「人」を知る ことができたことかなー。

きっかけを作るひと、企画するひと、広報するひと、サポートするひと、取材するひと、取材を受けてくれるひと、たたき台だすひと、直すひと、チェックするひと、しあげるひと、

誰が一番偉いとかじゃなく、持てる力を、出せるときに出せるひとが。
各自の生活の優先順位を大事にしながら。

港が
互いに認め合い肯定しあうコミュニティに成ることができれば、
そのとき、はじめて
それぞれのメンバーがその港から
一歩前に進んで旅立つことが可能になる。
(じゃあ、家族の役割っていうのも、きっと、それだ。)

それから
普段なにげなく目にする、人が作り上げたもの。
有形の紙媒体にしても、無形のイベントにしても
それらには
その背景に必ず、人の、
気持ち、気遣い、献身、夢、ドラマ、歴史、・・・etc.
が込められてる・隠されている、ものなんだな、ってこと。
産みの苦しみと喜びと共に、秘められてるものなんだな。
ってこと。

混沌としたところから
何かが(それがどんなささやかなものでも)具体的な形になって出てくるためには
人の「思い」がこもらなければならないんだね。
その人々のそれぞれの思いは互いにぶつかりながら溶け合いながら思ってもみなかった化学反応を起こすことが
多々ある。
もうそれ自体もひとつの歴史になるんだな、ってこと。
そのときもキーとなるのは

「自他を肯定する能力」なんだと思った。
自分の生き方(もっといえば、自然として人類としての自分自身)の諸々を肯定して、はじめて→他人を肯定できて、はじめて→信頼関係は築くことができる。
だと、思う。

そこに
勝った とか 負けた とかの次元にアンテナを張り巡らすような世界から解放されて、
まったく別世界が、自分の中にできる。
そうすればきっと、もっと、人に対しておおらかになれる。
「自分らしさ」という言葉は、そこではじめて意味を持つ。




2009年07月19日(日) 梅雨が明けそう?その2 おでかけ

(続き)

二、
「ハリー・ポッターと謎のプリンス」の前売りを4人分買っておいたのだけれど、
一体いつ観に行けば?と思案していた。

娘の夏期講習のスケジュールは、この先、相当詰まってて
平日と土曜は時間が空かないけど、
本科&日特講習の時期にはできない「日曜のおでかけ」のチャンスがある。

子どもたちが夏休みに入って最初の日曜。渋谷でのハリポタ鑑賞を決行。
この4か月くらいご無沙汰だった、家族フルメンバーで遊びに行くということが
久々実現できた。

午前の上映を観るつもりだったのに、早めに行ったつもりがすでに満席。
午後の回の予約をしてからロフト、ハンズ、
いろいろな面白グッズを冷やかしながら
日蝕観察メガネを探したが、売り切れてた。
でも
まったく勉強をしない日。
ただひたすら遊び、家族で他愛無い話をし、笑顔を見て安心し
映画では息子が主人公のルックスにちょっと似てる(贔屓目。笑)のが楽しく
帰宅すればお土産に買ったシュークリームと映画パンフで続編への思いをあれこれ語り合い、

原作で最終章を知っている子どもたち&私は
夫にネタばれしたくて、
セブルス=スネイプの弁護をしたくてしたくて、
来年と再来年の映画をも是非観てもらわなきゃと思った。

これぞ夏休みの中の夏休みっていう一日だった。

ところで娘は来月上旬の修学旅行(日光へ。小学校の夏休み中に行くのがこの区のやりかたらしい)を
めちゃめちゃ、もう尋常じゃなく楽しみにしてて
そりゃーコワイくらいだ。
カレンダーを見ながら「ああ、今日はまだ19日かー」とか溜息。「ああー、はやく8月にならないかな!」
暇さえあれば「修学旅行のしおり」を穴あくほど見つめ読み尽くす。
木彫り工芸品つくり、ハイキング、肝試し、もうなにもかもが
「あたし、日光が楽しみすぎて困る!」
ここまで心待ちにしている彼女を見ると、こちらもある種、プレッシャーだ。
健康管理をきっちりして、絶対に、参加させなければ。

いいねー、こんなに学校行事を楽しめる子って、
我が子ながら羨ましい。
学校が・クラスメイトとの色々が、「楽しい」って、
どんだけ幸せなんだろう。感謝しなきゃね。





2009年07月17日(金) 梅雨が明けそう?その1 サボるときの気持ち

※7月中旬のミックスジュースな頃の
ピックアップを、思いだし次第、書いとく。

一、
息子、終業式直前の土曜日の授業、1〜2時間目をサボったらしい。

その日の午前、ちょうど私は小学校にいた。PTA広報の委員会。話し合いも佳境なのに、
夫からの電話で携帯が鳴り「高校の先生から。学校に来てないようですが今日は欠席ですか?っていう確認の電話が来たけど、あの子から何か聞いてる?」
びっくり。聞いてる訳ない。朝、フツーに自転車に乗って「行ってきます!」って、手を振って出かけたのに。
消息不明ってこと!?
それから委員会も上の空、事故か事件の可能性もよぎり
気が気じゃないし。
結局3時間目に教室に姿を現したらしい。「具合悪かったので遅刻してきました」とか言っちゃって。
帰宅後、極力頭ごなしじゃなく冷静に冷静に・・・と
息子の話を聞くと。

結局、2時間目の体育(サッカー)がイヤだというところからこのたびの、不審行動に。
主な動機は、彼はサッカーがヘタだから他のクラスメイト(たいてい、上手い)の足を引っ張ることが気まずくて居心地悪い気がして。と。

なるほどね、解るんだけど。人の目が気になるときは、気にするなっていっても気になるものだけど。
(私の場合は中学高校のバレーボールの授業でそれを思ってた)
仮病を使って休むとか、見学するとか、考えなかったの?
だって理由を言えば、親も先生も
「そんなの理由にならないから授業に出ろ」というだろう、で、仮病は見破られる。って思ったって。(まあそりゃそうだろーけど)

そんなの、足引っ張るの済まないだとかカッコつけてないでさ、
頭掻いて
「オレ、サッカー下手でワルイねー」ってヘラヘラと
グラウンドをウロウロして50分をやり過ごせばいいんじゃん。
って、私自身の若い頃には難しかったことを、敢えて
彼に言ったけど。

実は親としては、サボりがどうより、消息不明な数時間が心配でたまんなかったわけ。
どこにいたのさ、一体?あぶないじゃない。
曰く
電車の中とか駅で時間つぶし。大井町線で行ったり来たりしてた。と。

留年しない程度にサボってもいいからさ、
学校へ行ったと見せて行かないとかは。もうやめてね。
家で、仮病でウダウダしてくれてたほうがマシだから。

そんなあれこれを
保護者個人面談で打ち明けたら、
担任の先生は
学校での普段の友人関係にも問題ない様子だということを添えながら、温かく、
「たまにはそういうこともありますよ。そういう時期ってあるものですよ。どうか長い目で」と
おっしゃった。

正論で「そんなことでいちいちサボってたらこの先の苦労に堪えられませんよ」とか、言われないほうが
今のあの子には良いだろうと信じている。

夏休みに入ってから、囲碁将棋部の部会に出かけていく息子の表情、
明るかったので、案外、そんなに心配ないかな。




2009年07月03日(金) 靴下の祈り?

祖母へのプチ介護で決して暇ではない実家の母、が、昨日来て、夕方、色々手伝ってくれてた。

実際ここんとこ諸々あり、ちょっと気が疲れてたので助かった。
私は限られた発電量で、わずか数個の豆電球を直列つなぎで光らせようとしてるヒト。
イッコ電球が増えれば、イッコの光度も落ちそうになるわけで。
(並列でつなげばいいんじゃないの?)


で、溜まってたアイロンがけをやって貰ってる傍で、私は洗濯物をいじっていて
その間、お喋りしてたこと、

親きょうだいから〜そのまた親きょうだいから、ずっと引き継いできた精神的なことは
正の遺産、負の遺産、様々あるけど、それが今の母や私や妹の、根幹の大部分を作ってて、
それぞれの夫や家庭にも波及させあい、
されあってて。
なんの役割を今後担い、どんな世界観を次に引き継いでくか、全部、プラス要因に転換できたらいいよね。
それができれば今生で悔いないよね。・・・みたいなこと。

そんなわけでいつになく私も、高尚な気分になってたせいか、たぶんその瞬間は、妙な脳波が出てたらしい。
(以上前置き)


不精にも四、五日ほど前から放置してあった、洗濯済の娘の靴下を手に取りながら、
その日までになんとなく思っていたことを、初めてはっきりと、私の口が独り言っぽく言った:
「ああ、そーいえば、このくつした、片方しかないんだもん、ずっと。片割れが行方不明で。どこいったんだか。でも、
まあ、そのうち出てくるよねー。」

で、またその靴下の片割れを、放置山にそっと戻しておいた。

夜、塾から迎えた娘と帰宅して、入浴前にふと、脱衣かご棚の下方に目がいき、
そーいえばこのあいだここで、ゴキちゃんを見かけちゃったな(※退治済み)、と思って
眠くてメンドクサイけど、買ってあった「コンバット」を仕掛けるべく、ざっと掃除で荷物をよけた:
「あれ、なんだこれ、こんなところに何か落ちて挟まってるし」

それが数時間前に触っていた靴下の、もうひとつの片割れだった。
埃をかぶって救出された一本の靴下。

「そのうち出てくるよねー」の言葉通り、その日の終わりまでにちゃんと出てきた靴下に
私はなぜかびっくりした。
言霊ってやっぱりあるんじゃないかと。しかもそれ、人にもモノにも通じちゃうんじゃないのと。
出てくるだろうという希望的な私の念派が、肉声の言葉で増幅されて、無機の物質にまで届いて、
そいつが「そうだよ。見つけてくれー」と叫んで、私に返して来たのかなと。

そうなると、日頃から無機物質に愛のかけらも持たない私も、畏怖せざるを得ないな!と思った。ちょっとだけ。
あれもこれもモノに籠るパワーなのかと思うとコワくて生きていけない(笑)
幼かった息子がお地蔵さんの前を通れなかった事例とか。
近年でも、娘が、しまいこんだ園児時代のおもちゃのことを思って言ってた事例とか。
※2006年4月4日の日記「娘の、理屈じゃ説明できない、モノへの恐怖」http://www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/day?id=23448&pg=20060404


いや、マメに掃除することに私が興味を持てばいいだけの話かもね。
気が落ち着くであろう来春にはそこここを片づけてちゃんとやるから、今は放置を許してくれる?>モノたち



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