気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2008年07月08日(火) 最後の授業から始まるナニか

(また今日も、自分のお尻を叩くためにオンライン日記を抱負覚書にするのであった。)

おもに主婦の再雇用を支援するための社会人学び直しプログラム題してママチャレ
・・・で、大学に週二日だけ通って三か月、
キャリアプランニングゼミナール(必須課目)の最後の授業は、
これまでの成果を問うべく「自分の方向性」を二分間スピーチ(原稿は予め提出・メモを見ないで正装して発表)。

↑私が生まれてから此の方、この世で最も苦手なこと。人前でまともにキチンとしたスピーチを時間内にすること。
頭真っ白になることだけは避けたいから何度も何度も家でリハーサルしたんだけど、
本番ではやっぱりしゃべりながら頭真っ白とまではいかないけど、霞がかかる中、何とかかんとか終えた。

他の受講生の方々のスピーチが、もー素晴らしくて。
しかも皆、私などとは違って目的意識も向学心も高く、オプション講座も積極的に何コマも勉強し、
私よりもっと多忙な・もっと気の疲れる環境での毎日の中でも、
週に何枚もレポートをこなす日々を重ねてきた人々。

私のような志の低い(PC講座が安く受講できるのならお得だよねーという)動機から入った人間からすると圧倒されつつ、
すっごい刺激だった。

が、同時に、他人と比較してもしかたがない・私は私で過去の自分よりも後退しなければいいんだという安心感も、ここで貰った。

私の最大の弱点は多分、同時にいくつものことをキッチリしようとすると、お腹を壊すということだと思う。
現に、こんな、二分間のスピーチ一本で、もう、終わるまでの数日間、お腹がゆるいんだもの。
要するにアタマとココロのキャパシティ不足もあるんだろう。

そんな自分が、他人に憧れて、家事も育児も仕事もバッチリこなすなんて欲張りなことを?それよりも、

最優先順位は自分だけのオリジナルでいいということを再確認させてもらえた。
※スピーチでもまとめたけど、最優先事項(自分版)。
「家族の話(本音)をじっくり聞き支える」「呼ばれたら駆け付けられる立場でいる」
そのための心身状態を保持すること。

けど、数年後への備えもしておきたい。
※自分にしてはこれでも大きい目標・計画 
一年以内に、マイクロソフト認定アプリケーションスペシャリスト資格(MCAS・エムキャス)の中の、Word2007とExcel2007の科目取得。
娘の中学受験まではできるだけその心理面のサポートもしっかりやる。
息子の高校でのPTA活動は無理なくやる。
夫と私の双方の親のことも気持を支える。
家族の話はとことん「聞かせていただき」続ける。

(注)先日、スクールカウンセラーの先生の講演会で心に残った言葉「子どもの話を、聞いてやるのではなくて、聞かせていただく」
だから聞かせていただこう。そういう気持で聞くようになったら、
特に昨日。ひとしきりしゃべり終えた息子の、やや含羞の笑顔が、ものすごく良かった。

で、模擬面接講座で得たKnowHOWは子どもにも継承する。
MCASが一段落ついたら、ECO検定にも走ってみたい、
走った結果がどうでも、意識を高める。合格というおまけがついてきたら尚更いいけど。
生協とシュガーレディとアイシスラテールを買い支える。
いつか働くときはその会社orお店or団体が、自分の納得のいくような社会貢献をしているところを選び、雑用でもいいんだけどできればPC作業で支える。
いつか町内会とか地域でパソコンなど教えられるようになっていたい。初心者の気持ちは今すっごく分かっているつもりだから。


って書いておけば、何年か経って怠けているかもしれない自分に喚起を促せるだろう。
どうですかねー、一年後以降の私に言ってるんだけども、こういうことを2008年7月の現時点で思いましたけど。これまで何か始めては挫折することが多かったわけですが、これは続いてるでしょうか?
私としては、続けられるだろうという見極めをしているんですがどうなんでしょうか。

挫折というのはまあ、実は別にそれほど恥じても居ず、
例えばテープリライトの講座が続かなかった。ヒアリング能力のなさを思い知らされた。
例えば漢検一級試験の玉砕的不合格では壁の高さを思い知らされたけど、日常生活で殆ど使われない漢字を覚えることに興味を失った。(けど二級あたりはおいおい合格しておきたいな)
このママチャレで触れたDTPの各ソフトは、試用版の期限が切れると、もし買うなら総額30万近くの出費だということを知っては続かない。
手を出してモノにできなかったことの情けなさは残ったけれど、
手を出したからこそ知った世界は無駄にすまいと思う。



2008年07月07日(月) 七夕短冊覚え

娘が、
可愛い短冊を作って家族に配布したので
それぞれが願いを書いて笹につけた。

夫 「家族が幸せになれますように」「子供がりっぱに成長しますように
息子 「これからも無事に過ごせますように」「毎日を楽しく!」
娘 「きれいな体、気高く謙虚な心でいられますように」「パソコンで文字を速く打てるようになれますように」
私 「家族の健康」「大地震が来ませんように」

こうやってみると、みんな願いが割とフツーだなあ。(娘はちょっと何か、意外とアレだけど)
でも、いざ、一人当たり二枚割り当てられた短冊を前にして、結局願いは何に集約されるかっていうと、
そんなときに「シロアリ駆除の必要がありませんように」とか「洗濯乾燥機が奇跡的に直りますように」とか書けないように、夫や子どもらにも、細かい願いは多々諸々あるはずなんだ。でも普通の生活がやはり大前提。

以前に観た劇で、「何でも一つだけ願いをかけると叶う自動販売機」に魔法のコインを入れて願うことになった姫が、いざとなると自分の個人的な願いを言うのをすごく躊躇う場面があった。
世の中にもっと苦しい人々が存在するのにって。
けど私はそこまで徹底した利他主義でもないのでユニセフにも常に小銭しか寄付できない。



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