2008年06月26日(木) |
義父の葬儀が終わって |
6月20日(金)朝、夫の父親が半身不随で入院していた病院から電話があり、意識障害があるとのこと。 とりあえず夫がかけつけ、私は子供たちを学校に送り出して自宅待機。 しばらくして夫から電話あり、酸素吸入の量も増えてきたし・呼びかけに反応するようになったから良い傾向だというので、 ちょっと安堵。 ところが11時頃、また電話で、危ない状態だからと言われ、病院へ行くと、もうほとんど意識なく、心臓マッサージ。さすったり呼んだりしたけれど眼は開かず、眠ったまま逝った。
泣き崩れるお義母さんがほんとに可哀そうで、夫を含めた三人兄弟&嫁らでかわるがわるティッシュを使いまくり、でも前日まであんなに冗談交じりに元気でいて、いきなりこのように、長く苦しむこともなく安らかな顔で八十年の人生を終える(しかも一度意識回復して三人の息子が来たのを確認して)なんて、お義父さんらしいよね、としばし浸り、
病院からもらったリストから選んだ葬儀社と三人兄弟中心に 今後の段取りを打ち合わせてる間に子供達に連絡し、実家の母にも娘の送り迎えや黒いこども服などで手伝ってもらい、 それからなんだか黒い色の色々を買いそろえたり、それなりに忙しく、夫たちはお義母さんの手伝いや葬儀の具体的な準備でもっと忙しく、
その後、死出の旅支度の様子を遠巻きながら生まれて初めて見た子供たちのフォローとか、お通夜では子供たちが固まって座ってるけど親戚の中にばらけて挨拶させたほうがいいんじゃないかとか焼香の仕方を教えたのに間違えてるなあとか、お義母さんが一人にならないようにとか気をもみつつも、夫はもっと忙しく、妹のだんなさんは熱があるのに来てくれたり、お義母さん関係の親戚の人が山梨から車で来てまた車で帰ってまた明日車でくるということに恐縮だったり、そうかと思うと、宿の手配まですっかりしてあげなきゃいけない年寄りの親戚もいたり、 告別式では練習の甲斐あって焼香がちゃんとできた子供たちにほっとしたり、控え室にいる親戚が誰が誰なのか誰に聞いても最後までよくわからなかったけどあとで整理した家系図メモを参照したり、それを息子が興味深く目を輝かせて初めて会うおじさんに訊いたり、一族の新たな発見があったり、それなりにめまぐるしい日々だった。 そして会計の事やら役所手続きの事やら、
そんなふうに実際細かい仕事があるうちは、義母も夫らも落ち込んでいる暇がなくて良いのだけれど、落ち着いたころに寂しさが迫ってくるだろう、それを私はどう支えようか。
義父の実の親には他に六人の子供がいたが、その兄には子供がいなかったので、義父はそこに養子として引き取られた。 その祖先も、家を引き継がせるべき直系の男子がいない場合に何回か兄弟や娘などの養子縁組を、血のつながりにこだわってした跡がみえる。 この度判明した事実を夫が書き加えるも完成まではまだ遠い、複雑な家系図メモを見ながら思う。 昔って、(特に、夫のほうのおじいちゃん達って) そんなに、姓を守り伝えることに使命を感じていたんだって。 ある意味しんどかったろうと思う。 実の親兄弟から引き離され伯父さんの養子になり、家を守って継承する(っていっても全然そんな大した御家柄とかじゃないんだけれども)ことを強く躾けられていたであろう義父が、 私を含めた嫁&その実家から見れば「まあ失礼な」というような言動を多々繰り広げたこともあったのは、お義父さんの生まれ育ちの環境と考え方からすると仕方なかったのだろう。
私や妹の実家の母や伯母たちが、その親の・またその親の当時の時代と思想と環境によってああなってこうなったように、 夫とその兄弟ももまた、親のまたその親の当時のあれこれによってああなってこうなった。 そんな話を、息子にしながら、なんだか感情があふれて、謝るやら泣くやら、いろいろしゃべりあったのは昨日の夜。
今日は私にできることがあればしようと思う。お香典をもらった先のエクセルブックの住所入力ぐらいしか今はさせてもらってないんだけども。夫の忌引き休みが明けてからぼちぼち何か始めたいと思う。
2008年06月02日(月) |
皆、小さくても、はじめてのことに挑戦していることに違いない |
★その零 自己確認と意図的な自己肯定。 他人から見ればそれが笑っちゃうほど大したことなくても、小さくても、変化は変化。比べたいのは他人じゃなく、自分の過去。 はじめてのことには、ある程度ストレスもつきまとうし、 でもストレスとの付き合い方もひっくるめて、少なくとも昨日の自分よりも何か多少変わったんだ。 変ったように見えなくても変わったと思う。微々たるものかもしれないけど。 今すぐ効果を発揮できなくても焦らない。 その時々の想いと経験を、死ぬまでに、どこか(家族?世界?次世代?)に活かし還元する準備として温存。 楽しく生きられればそれがなによりだけど、 自分以外が楽しく生きる手助けもいつかはしたい、でもそれは今じゃないかもしれない、いつかできるための栄養、準備として温存。 お金も貯めたい。今はお昼をウィダーインゼリーで済ませる日があっても。 それは自分が人生楽しみor且つ家族も楽しめる為or社会を見てその社会と地球によさそうなことしてくれそうな人や会社や次世代に投資目的or買い支え目的。
★その一 まず自分のこと。 社会人学び直しの講座にも慣れてきたけれど、まだなんとなく自分の根幹を揺すられてる。やる気とモチベーションの優れて高い受講生のレベルを100とすると自分は45程度かと思う。
私は週に二日のみ受講登録している(必修のキャリアプランニング講座と、選択のPCスキル)だけだし、宿題も毎週レポート一枚ずつだけだが、 人によっては月〜金・一限から四限までびっちり入れて通ってる(NGO概論だとかフランス語だとか色々)。もちろんその分、宿題も多いようだ。 遠くから時間をかけて、朝早くに家を出て通ってる人もいる。小さい子を預ける人はお子さんの支度もあるから忙しい筈。 私など、近所なのに、遅刻しそうになったこと多々あり。 どうしても洗濯物とかアレとかを済ませてから家を出たいというのは言い訳でしかないけど。 でも、人と比べて焦ったりはしないでおこう、今はあえて。 僅かでも、はじめてのことに触れていることが今の私にはたぶん重要なんだから。 必修科目のこれまでの主な収穫:求人情報の読み方。自分のアピールの仕方。考え方として常に自分の現時点での能力より高め高めに「成りたい自分」という目標を置くのがいい。(その際の比較基準は他人ではなく、あくまでも自分)女ならではの柔軟な思考・行動パターンを利点に変えて社会に持ち込むのがいい。 選択科目のこれまでの主な収穫:Photoshop、Illustrator、Word、Excelの基本操作(の、入門レベル)。
★その二 息子のこと(もう、推測の域を出ない)。 今年はじめての、駿台通い。友達を誘ったようだ。 今年はじめての、委員会活動。 今年はじめての、赤十字活動も友達に誘われたようだ。 今年はじめての、将棋大会出場は負けたけど良い刺激になったようだ。 今年はじめてのことが他にもあるらしい。 でも親に対しては、その全てを見せてくれてはいないだろう。友達の中で互いに自己世界を広げ&深めていって欲しいし、たまに疲れても基本は概ね大体前を向いていられるようにこちらもサポートしていたい。細かいことに捉われず、全人格的に最終的には受け入れる立場を親は忘れずにいたい。(それは娘に対してもだ。)でもやはり朝、なかなか起きてこないと叱ってしまう。矛盾する。最後に頼れる親ではいたいのだが、毎日私も修行っぽい。
★その三 娘のこと。ある程度、推測の域。 はじめての委員会だとか立候補だとか何とか、意外な積極性をみせてくれることは色々あったけど、最近では特に、運動会の組体操。 昨日が本番だった。(暑かった)今年、はじめて、自分の限界ギリギリに挑んだ運動会。 こんな技、できるわけがない、怖い、無理だ、とか言っていた最初のころがもう懐かしいくらい。家でも学校でも日々練習していた。当日は本当に見事なものを見せてくれた。心からお疲れ様。
★その四 夫。これも推測の域。多分、日々、大小取り混ぜ、何かしら、あるのだろう。 手がけた仕事に関してインタビューを受けて話をしたものが、国際展示場での宣伝ブースのスクリーンで流されるという出来事が最近あった。(その20分の上映だけを目あてに私も観に行った。) そういったここ一年の一連の経験は、入社以来はじめてかと。けれどそれは日々の積み重ねかと。彼が毎朝同じ時間に家を出て緊張の時間をやりこなして夜帰る、その繰り返しがどんだけタイヘンなことで且つ有難いことなのか改めて思い知らされるこのごろ。 それを「フツーに」やってくれている前提がある日常を再評価するこのごろ。
|