気が向けば・・・。


この今の瞬間に過去も未来も入ってるらしいし(何時でも)この小っさな頭蓋の内に宇宙も入ってるらしいし(誰でも)
だから、ひょっとしてこの矛盾に溢れた日記も、何時かの誰かに繋がったりするかも、って思ったから
少しだけ秘密度を緩めました。



子ども虐待防止「オレンジリボン運動」

2006年09月25日(月) (ある意味、文化祭の続き)買った古本で熱くなる息子

その文化祭の古本コーナーから買った本を一気読みして、深くため息をつき、
「ああ、しばらくは怒りで何も考えられない」とソファに倒れこむ息子。

そしてその後は、夜遅くまで、PCにCD入れてヘッドホンで耳とつなぎ、目を堅くつぶったままで、食卓の椅子に横になったまま動かない。
私としては、寝ているのか聴いているのかはっきりしないので、起こして寝室に促していいのかどうなのかわからなくて、イライラするが、
それほどリラックスを求めてしまう息子が、かわいそうでもあり、成長が嬉しくもあり。

ところで、その本の内容をかいつまむと、だいたい以下の通り。
・・・・

厳しい自然故の狩猟文化から起こったキリスト教の根底には、人間=白人(キリスト教徒)以外の動物および有色人種を、搾取の対象としてきっぱり線引きをする考えがあり、今も有色人種に対しては根強い差別意識があるのが否めない。
そんなわけで、かつて欧米によって繰り広げられた、有色人種の土地の植民地争奪戦。そして虐殺。
ことに、アメリカは、アメリカ流の「自由と民主主義」を、その土地の国柄を無視して押し付けることが善と信じてやまない。

そんな流れの中、日本はアメリカと戦わないわけにいかなかった。明らかに負けると分かっていても日本が戦ったのは、戦わざるを得ないように仕向けられた結果であり、日本の「伝統」「国柄」を守るため、命も惜しくないという、「アサリ」(あっさり・から来ている。今も台湾に残る、日本人の美意識)の表れ。

戦勝国アメリカと、そこに味方した中国は、戦前〜戦中の日本を悪者にしておかないと、自分たちの蛮行がばれて大変に都合が悪いので、外国に対する自らの行いは棚に上げようとし、目をそらさせるため、
「如何に日本はひどい国で、ファシズムで、洗脳されてて、略奪の国であったか」の宣伝に懸命になった。
戦勝国が一方的に敗戦国を裁き、戦犯を作り上げ、史実を曲げ・隠し、日本軍のひどさをでっちあげる資料があれば根拠が薄くても朝日新聞などの力で信じ込ませ、如何に野蛮な国だったか、真珠湾は卑怯だったか、大空襲も原爆も自業自得で、その後アメリカがいかに目を開き救ってやったか、などのバイアスのかかった情報を徹底的に教育しなおす占領政策で、アメリカに都合の良い国に仕立ててしまった。
戦前の日本は、もっと豊かで、ちゃんと民主主義もあり、二千年の伝統が培った、礼節という文化をもっていた。
それを捨ててアメリカ化されることが、日本人自身も、善だと信じ込まされている。

そのアメリカは、それが善だと信じて、世界を「アメリカ流の自由と民主の国」に塗り替えるためなら、気に入らない国をどんどん戦争に追い込む。
そのやり方は、かつて日本をやった手口とほとんど似ていて、戦争前には必ず、都合よく敵からの奇襲が起こることになっている。

そして、本音は利権のための戦争ビジネスなのに、「世界の警察だから。守ってやるから、力を貸しなさい」と日本に干渉する。
日本人も、「いざとなれば、アメリカに守ってもらうからいいや。」と、自分は何の犠牲も払わないスタンスのまま、アメリカの片棒担ぎをしているだけ。

・・・・
ちなみに書名は有名な「新・ゴーマニズム宣言 戦争論3」。つまり、小林よしのりの漫画というか論文。

しばらく休んで、「ああ、だいぶ冷静になってきた」と、赤い顔で立ち上がる息子。
そのそばで私も読み進めてみる。息子が私に声をかける。「きっとすごく腹が立つから、あとで音楽聴くといいよ」と。
私は答える。「あのね、この歳になると、もうたいして腹も立たないから大丈夫よ」
そういいながら実は、現実問題としてどうしていいかわからない自分にすごく立腹しながら、でも今この目の前の生活のほうが大事だったり、でも日本の将来(=息子娘たちの将来)が心配だったり、矛盾だらけの自分(を含めた我が日本)に哀しくなっているのだった。
もっと哀しいのは、こういう思想、こういう事実、それがある一つの大きな力によって60年間も捻じ曲げられたまま、子供だった私たちやそのまた子供にきちんと伝わってなかったとしたら、学校も何も信用できないので、
そこに税金払ってきた以上、またそういう政府を自ら選挙で選んで支えてきた以上、子供達への罪は私にもあるのかと思うと確かに、
小林よしのりの言葉を借りるとすごく「疚しい」気分です。



2006年09月24日(日) 息子の学校の文化祭

今年は、息子の学校の文化祭に、娘も連れて行った。雨に振られない文化祭は、確か久しぶりだ。

初日の土曜日は関係者・家族だけの公開日なので、バザー目当てに朝から行く。欲しかった制服は早々に売り切れていたが、日用雑貨や食品など中心に買ってみた。安かった。娘は「電動ネイルケアセット」を200円で買っていたけど、どうするんだろう。(実際、これは使いこなしが難しい品だということが、帰宅後に判明。バザーに出品する人の気持ちがなんとなく分かった)

小学生が退屈しないかとの心配はまったく杞憂となり、娘は次々とアトラクションを楽しんでいた。ストラックアウトやダーツ投げなどのゲームコーナーはもちろん、美術部や書道部の展示なんかも食い入るように観ていて、終了時間いっぱいまで遊び倒し、
オバケ屋敷では本気で怖がっていた。
受付の高校生たちに「可愛い」って言ってもらえて嬉しそうな娘。
「明日(一般公開日)も来たい。」とまで言うので、翌日の日曜日もまた朝から連れて行く。

肝心の、息子のほうは、自分の担当するクラスと部活の部屋以外は、わずか1〜2箇所しか回っていないらしい。それも、古本コーナーとか、マイコン部とかの地味系。一方、娘はお兄ちゃんの3倍は楽しんだ様子。
リアルな「ウォーリーを探せ」がツボだったらしい。赤と白のシマシマの帽子を被った高校生を人混みの中に見つけては、スタンプをもらおうと突進していく。単純かつ面白い企画だ。二回もやる始末。
一方、アロマセラピーコーナーのクラスは、せっかくアロマ線香が用意されているのに、実際に火をつけると火災報知機が鳴ってしまうからつけられないということで、あんまり香ってなかった。残念だ。ああいうのは、事前研究不足ということで次回への反省になるのだろう。
娘は美術系クラブの出し物は全て回った。マンガ研究会のプラバンももちろん、七宝焼の体験もはずさない。
その仕上がりの待ち時間の間に、「親指映画」もさくっと観るし。

息子の受付時間をわざわざ狙って、クラスの展示コーナーに行ったのに、気配を察したのか、トイレかなんかに抜けていて不在だった。
私たち、避けられてた?

そしてダンス部のパフォーマンスを前列で観るために一生懸命並んだ。
チアダンス最高だった。中学生も高校生も笑顔で踊るそのプロ顔負けな根性に敬服。二日とも観た。二日目は初日より良い立位置から観られて嬉しい。しかも隣に立つ生徒が友達に送る声援がすごくにぎやかで感動した。

中学&高校生のイキイキしたやりとりを間近で見て、「ああ、息子&娘もいづれはこんな感じになるんだな」とか「私も若い頃はこんなだったかな」とか胸に万感よぎりながら、出店のメニューもほとんど全メニュー食べ(心残りは個数限定の家庭科部のケーキを買っていないこと)、進路相談室からは、今年は必要も無いのに入学案内パンフまでゲット&先生とおしゃべりし、
二日間フルに娘と一緒に校内で遊び倒したというのに、息子と夫の淡白さは何?
夫など二日目の終了一時間前くらいにやっと来て、息子のクラスの展示と、私が熱く薦めておいたチアダンスだけ観て帰るというアッサリ。
まあ、これからまだ4回は文化祭に来るからいいけどね。息子も高校生になれば積極性も出てくることでしょう。

そして最後の締めに茶室で着物姿の茶道部員に見とれて、静かにお点前を頂き、ほっと和んで帰路に着いたのだった。


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