2003年09月27日(土) |
ようちえんのうんどうかい&すべすべまんじゅう |
土曜日は晴れ、すんごい晴れ。ここまで晴れなくても。
幼稚園の運動会。小学校の校庭を借りて。園児は少ないので場所取りの苦労無し。 午前中で終わるのでお弁当の手間も無し。 お気楽な中にも、今年は最終学年、跳び箱とか縄跳びとか、それに竹馬が。 娘は小柄でしかも運動神経がお世辞にも良いとは言えない。親は二人とも竹馬未経験。 うまく教えてやることもできず、先生任せだったし、まあできなくって当たり前、やれるところまでやればいいさ。 彼女に「根性」とか「負けず嫌い」とかいうものが足りないのは私のせいだろう。 私には、自分の体力や技の限界に挑んで、できないもの(おもにスポーツ)をやってみせたいとか、勝てない相手に勝ってやりたいとか、 そういう気概がとっても足りない。 そんな親に育った子供らが、竹馬できなくてもしょうがないというか、できなくても悔しくもないし・・・、 そういう冷めた自分がちょっと情けない気もする。
と思いつつ臨んだ今日、 本番前には彼女なりにちょっとは緊張していたのか、それとも急に暑い日なので疲れたのか、ご機嫌斜め。 ならぶときにぶつかったのなんの等、ささいなことですぐにべそをかく。 もうとにかく、泣かずにスタートラインに立って、どうにかこうにかゴールしてくれればそれでいいよ・・・と見ていたら、 意外と頑張った。縄跳びが出来るようになっていたのには驚いた。竹馬も、先生の助けはあるけれど、あの子にしてはよくやっていた。 満足そうにゴールしていた。よかった・・・。組み体操もすっかり機嫌よくなってはりきってやっていた。 やっぱり、全力を出すって、気持ちのいいことなんだね。 勉強させてもらったよ、娘や、クラスメイトの子供達に。 彼女の思い出の中の、ようちえん最後の運動会が、楽しいものになったようで、こっちもほっとした。 運動会までは風邪もひかせられない、どこか緊張していた親の私も、ほーーーーーっとした。
だから午後は急に気持ちに羽が生えたようになって、 買い物ついでに寄った書店で、ある本のタイトルに目がとまり、立ち読みして、 20分ほど迷った挙句、それを買うことに。 10円でも安いティッシュを買うのが常の私が、いちかばちか1400円を投じる気になったのは、 「NHKみんなのうた 恋のスベスベマンジュウガニ」(イマクニ?の歌う限定CDと、うみのなかまシール付き) の歌詞の絵本であった。 だって、「スベスベマンジュウガニ」って名前の蟹が主役だなんて。 その友達が、ハクションクラゲやら、タコノマクラやら、テズルモズルやら、カッポレだなんて。 人間ってなんてアバウトで笑える生き物だろう。他の生物にそんな適当な名前をつけてしまってさ。 おまけにそのスベスベマンジュウガニはカニスマ美容師にして、恋する青年だとさ。 なんなのこの歌詞は。
ああ、いいものを買った。いったいどんなメロディだろうと、帰宅するなりCDを聴いてみた。けれど、 歌詞を読んでほんわかした気分で期待していたのとは、微妙にイメージが違う気がして、ほんの少しだけ、がっかりした。 でもまあ、娘がサカナ好きだったので、うみのなかまのシールをあげることにした。 息子はシールには興味を示さなかったけれど、海の生物のネーミングの妙に、ちょっとうけていた。 面白いことを見つけて笑う息子の横顔は幼稚園児のころからちっとも変わらない。えくぼが可愛い(おやばか)。 と、これで1400円のもとをとったといえるのだろうか。わかんない・・・。でもいいや、今日は運動会が無事に終わったから。
2003年09月12日(金) |
激しく幼稚でしかも自己中心 |
今日の私は、いつにもまして、息子に厳しい気分だったらしい。 (と、ひとごとのように書いたからって、罪が消えるわけでもないけれど)
娘の友達が来て、二人でしっとりと大人しく2階で遊んでいたところに、 今日はたまたま誰とも約束もせずに下校した息子、 有り余っている遊びエネルギーを、園児らの隣で発散した形跡が、夕方5時のお片づけ時間になって発見された。 まあすごい。 女の子たちだって何かしらおもちゃを散らばしているけれど、この5年生の男の子のやってたことはもっとワケわかんない。 発泡スチロールの粒粒が、無秩序に散乱していて、それも「雪が降るー」とかいうメルヘンじゃなくて、 ただひたすら、白いよごれっていう風情。10歳にもなって、まだこんなことして喜んでいる。 この部屋は寝室も兼ねているので、一日の後半にここまで複雑に汚れているのは、家事運営上、とっても都合が悪いのだ。 その材料がまた、なんでそれをやってしまうかなっていう。冷凍食品宅配用の保冷箱の蓋を壊してあるのね。 それは次の週に返却しなくちゃならないものなのに。怒られるじゃないの、まずい。 とりあえず夕食の支度で忙しかったので「ちゃんと片付けておいてよね!自分で掃除機かけといて!」で済ませた。 「どらえもん」と「あたしンち」を見たい彼は気もそぞろに掃除機で吸い取っていたようだ。
そのあと夕食、入浴、いよいよ眠さも極まって、さあ寝ましょうというとき。 これじゃあだめじゃん。ちゃんと掃除機かけたのか?というほどに発泡の粒粒は、相当残っていた。
こんな時に、もし優しい気分の日だったらどうするか。 ・・・以前、幼稚園に講演に来た先生も、おっしゃっていたように、 子供に必要なのは、安らげる家庭。受け入れ包み込んで認めて愛してくれる、親の優しさ。受容してもらう体験。 ですよね。心から同意。それはもちろんそうしたい。そうしたくてたまんないんだし。 まして一日の終わりに、落ち着いて安心して眠りにつかせたい。こっちだって怒りながらおやすみをいいたくない。 だからいいことだけ思い出して、良いほうに考えて、いい所だけを見て、誉めて、 ・・・散らかすのは元気な証拠、悪戯は夢と知恵のある証拠、むしろ喜ばしい。不完全な掃除だけど、やる気だけは認めよう、偉かった、よしよし。
って言えるんだろうね。優しければ。でも今日の私はまるっきり逆だったから。 すんごく叱ったというか怒ったの。でっかい声で。 「だいたいねえ、高学年にもなって、発泡なんか壊して遊ばないでよね! あの箱は返さなきゃならないんだから。壊していいものだかなんだか、何故確認もせずに壊すの?考えらんない! 弁償しなきゃならないんだよ!(本当はそうでもない)すごく高いお金払わなきゃいけないかもしれないんだよ。(これも嘘) 人様の預かり物(大げさ)なのに、後先も考えずによくものを壊せるね! それにどうせ掃除するなら、ちゃんと最後までやらなきゃ意味ないでしょ!やらないのと同じなんだよ結果として!結果が全て!それが大人の世界なの!(だから大人じゃないって) そういういい加減にすまそうっていうのは、結局は、無責任ってことだよ! 自分がちょっとぐらい掃除し残したからって、いつもいつも誰かがあとで片付けてくれるって思ってるわけだよね? あなたが普通に生活できるのも、知らない間に私が片付けてあげてるからなんだよ。わかる? そういう主婦の仕事のありがたみ(・・・主婦?)に全然気付いてないっていうか軽んじてるよ。誰かがナントカしてくれるって思って。 自分も疲れてるだろうけど、私なんか、自分で散らかしてもいない発泡の粒粒を、今、せっかくお風呂で汗流した後なのに、掃除する羽目になるのよ! それについてはどうなの?自分さえ良ければいいのかい?そういうのを自己中心っていうんだよ。自分がされてヤなことはしない!(説教のほうがヤだよ)」 これを、半ば眠りかけている息子に浴びせ掛けていた私は、まさに育児本の悪い例にぴったりだ。
自分のうっぷんをただ聞かせたかっただけなんだ。子供に。文句の言えない弱い立場の子供に。 私の夫や親や友人には言えないけど子供には言ってしまえるのは、自分が良い振りこきだからにほかならない。 子供の気持ちよりも自分の気が晴れるほうが大事だったんだ。 子供がどんな気持ちでいたのかなんてわからない、いや、見て見ぬふり。わかってもわからないふり? こういうのを自己中心っていうんだね。 しかも説教の内容が、独身の頃からの自分にぴったり当てはまる。 私の母は、いつも知らぬ間に部屋を片付けてくれて、完璧な家事をする人だった。 そんな親を気にもとめずに自分のことしか見えてなかった私自身、に、息子も似てしまいそうな、嫌な予感、 それを必死で摘み取ってしまいたい衝動で、反射作用で、ただ怒っていた。 およそ人間の仕業とも思えないし、育児でもなんでもない、親業でもない、子供のような、やりたい放題な自分を子供にぶつける。 しかもそれを「子供のため」と偽る。 それって私が一番一番大嫌いなものだった筈。 >子供へ こんな私を、どうか反面教師にして育ってください・・・私を嫌いになってもしかたないけれど、自分を嫌いになったりしないで欲しい。 そして同類にはどうか、ならないで欲しい。 きっとあとでこのつけが、私にまわってくるだろうから、それで勘弁してください・・・。
昨日、夏休み最後の日(と世間では言われるけど、娘の幼稚園は2日はじまりだった)のお昼時、 彼女は部屋ではしゃいでいて壁におでこをぶつけてみるみるタンコブを膨らませた。 幸い日曜で夫が居たので大学病院の救急へ、家族そろって車でお出かけとなる。 CTスキャンもレントゲン検査も、娘は微動だにせず真面目に受けて、その姿は凛々しく、 私は惚れ直した。なんて美しい・・・。けなげだ。 その後すぐに腫れは引いていき、吐いたりもせず、意識も失わず、 お兄ちゃんと機嫌よくおしゃべりも小競り合いもしつつ、彼女はファミレスでデザートまで難なく平らげ、親を安堵させたのだった。 念のためその夜は大人しく、お風呂はやめてシャワーにして、早く寝かせた。
という経緯で子供達がせっかく早く寝たので、私は起きていた。だってやる「べき」ことが色々とあるので。 バザー用にはじめた手芸は、あまり実用性のないものがあり過ぎても売れないらしいから、 そういう目で見直すと急にこんなの誰も買わないように思えてきて、大幅に手直し。 毛糸は指が痒くなるし、アクセサリー部品は掴んでは落とすし、しかも一番遠くに転がすしで、 「手先が不器用選手権」に出たら優勝間違いないから効率が悪ーーーいので。
それから今大接近だという火星を見ても小さな赤い点にしか見えないのが悔しくて。ばかだから、肉眼でも月みたいに見えるんだろうと思っていた。 大接近してもあの程度なら、そうとう遠いんだ、火星ですら。 宇宙はビッグバンからだんだん今は膨張していて、極大になったら今度はどんどん縮んで最後は点になって消える、 という説もあるそうな。だったら、将来は、 右手に金星、左手に火星、呼べば応える距離には太陽、というこじんまりした時代が来ちゃってどうなるのか。 それはお洒落かも、でも人類はいないかも。それより地球はもう無いかも。 神様だけがそれを見てるかも。いいな、ずるいな、神様。
時間がもったいないから、それより誰か好きな人のことを想像(妄想)する。 個人的に、最も興奮するシチュエーションというのがあって、それは 「偶然一緒に乗り合わせたエレベーターに閉じ込められる」というもの。 あの人は絶対に、その非常事態に情けなく戸惑いながらも、私を精一杯気遣ってくれる。 その様子が、的外れだけど、むちゃくちゃ可愛いわけだ。 でも私のほうが結局は助けてしまうんだ。そんな私ってうわーカッコイー。 そのあとは、(もう恥ずかしくて書けない)
でもまだ1時をまわっただけなのに、例によって夫、「じゃあ、寝るよ。」とか言わないで。 寝るならお先に寝てください。 この場合の「寝るよ」は決して、間違っても、メイクラヴとかの意味ではないのは分かってる。 意訳 遅いから、電気ももったいないから、明日自分は会社だし、子供は学校だし、 朝ご飯確実に作って欲しいし、妻に病気になられても困るから、もういい加減、 僕が寝る時間に合わせて、ちゃんと寝なさい。 ・・・愛だなあ。いやっていうほどありがたい。だけど私はこれから内緒で日記をつけたりする。 そんなことは、子供が学校や園に居る間にやればいいって、いやいや。 3年も園児の親をすると、 新学期が始まってからのほうが、意外と独りの時間がなくなる。細切れになってしまう。 ってことに気付いているのだった。 なんでそんなに独りの時間が欲しいのかと言われると、答えに困るけれど。 人である以上は欲しい。(と声高に)でも独りでばっかりいても寂しいし、まあ、バランスでしょうか。
しかしここで重大な落とし穴が待ち受けている。 せっかく高価なビタミンC誘導体入りのエッセンスを顔に塗り、良質のコラーゲンを飲んでも、 それを働かせる身体のしくみは、今この時間帯に寝ていないと無駄になる という悲しい事実だった。
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