(仮)耽奇館主人の日記
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| 2005年09月19日(月) |
Eroticism is a dying raw upsurge.�� |
遅ればせながら、映画「Saw」をレンタルで観た。 はっきり言って、凄くショックだった。 祖父を思い出したからだ。 祖父の、一度しか見せなかったダークサイド・・・ 七十年代。 ちゃらんぽらんで、自分を大事にせず、すべて世の中が悪いと決め付けるやつらのために、祖父は地獄にも勝る試練を用意してやると口にしたのだ。
“私の試練に打ち勝て。新しい自分自身を与えてやる”
映画「Saw」での犯人は・・・
“私のゲームに勝て。違う明日を与えてやる”
犯人像、声色まで祖父にそっくりだったので、その晩の夢では、祖父にお寺の土蔵の地下室に閉じ込められた幼児期を思い出して、汗びっしょりになってしまった。 晩年の祖父は、それまで好んでいた将棋や囲碁を繰り返さず、毎日、クロスワードやルービックキューブに熱中していた。そして、どれも、将棋や囲碁と同じように、他人の追随を許さなかった。 老人のくせに、恐ろしく頭の回転が早かった。 それだけに、映画の犯人がダイレクトに祖父と重なったのだった。
そして・・・
あの映画のように、極限のシチュエーションに放り込まれたいと願う私がいる。犯人に、同時に、祖父に挑戦したいと願う私が。 死と直面するチャンスはめったにない。 その中で、味わう「生」の感触はいかなるものだろうか。 ・・・・・・ 祖父よ、あんたはもういない。 それなら、私がゲームを用意すべきなのか? 今日はここまで。
| 2005年09月16日(金) |
Eroticism is a dying raw upsurge.�� |
普段は、おとなしい男の子と女の子。 どちらも普通で、真面目な中学生だ。 お互い、好きで、つきあっているのだが、いつも顔をあわせる度に恥ずかしくなって、目をそらしたり、下をうつむいてしまう。 そんな二人だが、携帯での連絡になると・・・ 堰を切ったように、大胆になり・・・ 卑猥な言葉を交わしたり、あげくの果てはお互いの性器を写メで交換しあったりする。 そんな二人の純粋で凶暴な恋愛を描いてみたい。
現在の日本を舞台に、今のエロティシズムを題材に作品を作っていく上で、上記のような話が出た。 面白そうなので、将来の予定作品に入れておくことにした。
最近、メチャクチャ忙しいけれど、精神的にとても充実している。 とても。 頭の中のペニスは常にスタンバイ。 そして、それを隠しつつ、相手に向かって薄く微笑する。 今日はここまで。
| 2005年09月04日(日) |
Ich bin ein Gebrüll des Stahles. |
お寺の用が済んだ後、市川の貸しスタジオにて、例の聴覚障害者四人組のインダストリアル・ノイズ・ユニットの初練習に参加した。 四人とも、私のように補聴器をつければ音が聴こえるレベルではなく、補聴器をつけてもまったく聴こえないという重度障害のレベルなのだが、彼らの耳となるのが、「皮膚感覚」である。 つまり、震動で音を聴くのだ。 そこで、私は、四人にそれぞれ、エレキギターを弾かせつつ、足の裏でスピーカーに直接触れさせることから、音感を磨かせた。 ボリュームも最大にしたので、さすがに私も補聴器を外さざるをえなかった。 ハウリングも殺人的だったので、健常者が入室したら、その場で鼓膜から血を流していただろう。 四人の視覚に訴えて、唇を大きく開き、ゆっくり話す。 「俺たちがノイズを演奏するんじゃない。俺たちがノイズなんだ」 その通り、耳が聴こえなければ聴こえないほど、耳の奥でノイズが響き渡るのだ。 つまり、耳鳴りだ。 鼓膜に響かずに、脳に直接響く耳鳴り。 これは聴覚障害者にしか分からない感覚だ・・・そいつをみんなにも分からせてやるのだ。 私は彼らの皮膚感覚を最大限に活かすために、鉄仮面を着けさせた。 アイスホッケーマスクのような鉄製の仮面の裏側に、スポンジのキューブをいくつか接着して、それを顔面に装着し、仮面の下側につながったケーブルでスピーカーから直接震動を伝わらせるのだ。 演奏する時は、椅子に座るのだが、この椅子も電気椅子のように、震動をダイレクトに伝わらせる仕掛けにした。 一人がギターの鉄弦を弾くたびに。 一人がドラムを叩くたびに。 一人がベースを響かせるたびに。 一人がシンセサイザーに直結したパソコンのキーボードに指を走らせるたびに。 四人の皮膚が激しく震え、骨も骨髄から震動し、眼窩も鼻骨も口蓋も響き渡り、血が沸騰する。 凶暴なリズム。 耳が裂ける重低音。 初練習の段階で・・・ まだまだ改良の余地はあるが・・・ 私は大いにニヤッとほくそえむことが出来た。 私たちが憧れてきた、ノイバウテンや石川忠率いるデア・アイゼンロストなどなどに追いつくことが出来る「手ごたえ」を感じられたからだ。 初ライヴは来年の秋を予定している。 それまでは、ひたすら練習に練習を重ねる。 それまでには、皮膚感覚も磨かれて、音が実際に目に見えるものになっているだろう。 その暁には・・・ 我々が鼓膜で聴いてきた「音」が、いかに肉体的なものにまで衝迫するかを目撃出来るかもしれない。 今日はここまで。
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