(仮)耽奇館主人の日記
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映画「Saw�供廚魎僂拭�
前作に比べて、私が感じたことは。
ズバリ、「今度は生き残れる自信がある」。
英語で言うと、「There is no second!」。
で。
映画の中で、ジグソウこと私の祖父と再会して、思ったことは、最初はそれ
こそ、前作の方がそっくりだった、今度は全然似てないと不満だったのだ
が、余韻を蒸し返し、蒸し返し、反芻に反芻を重ねて、驚愕の事実に気づい
て、呆然とした。
祖父も臨終間近になって、ああいう笑い方をしていたのだった。
ジグソウの笑い方。
「我が事成れり、我勝てり」。
自らの人生そのものに勝つこと。
恐るべきことだが、ジグソウの本当のねらいは、ゲームで相手を試すことで
はなく、殺人というゲームの仕掛け人となることで、最も危険なゲームに我
が身を置いて、その状況を乗り越えることだったのだ。
それが自己に打ち勝つことの「意志の勝利」。
末期ガンをも克服する生の笑い。
あの笑いに、私は祖父の死顔に張り付いた、拈華微笑を重ね合わずにはいら
れなかった。
確かに、私は今度はジグソウの罠を生き残る自信はある。
しかし、相手はすでに墓の中で、私の勝利などどうでもいいのだ。
そういう映画であった。
今日はここまで。

| 2005年10月28日(金) |
サカキ、再び痴漢に襲われるのこと。 |
水曜日の夕方、携帯に留守電メッセージがあったので、何かなと再生してみたら、新潟の警察からである。 娘のサカキがまたもや痴漢をメッタ打ちにして半死半生の目にあわせたとのこと。 すぐに現地の警察に電話をかけ、事情を説明してもらって、あれやこれやと話をして、それからサカキに電話をした。 「よう、聞いたぜ。おめえ、相手のキンタマを蹴り潰したんだって?」と私。 「うん、木刀あれから持ち歩くの禁止されたからさぁー、徒手空拳でやるしかなかったんだよねー」とサカキ。 「それにしたって、自衛隊仕込みの日本拳法やってんだから、おめえの手足も木刀と同じくらいの威力があるんだぜ」 「うんうん、面突で下の前歯をブチ折って、胴膝蹴りでアバラにヒビ入れて、そんで、倒れたところをサッカーキックでタマを一個思いっきり蹴り飛ばしたよ」 「かわいそうな痴漢だなぁ、一体全体そいつぁ、何したんでえ」 「痴漢じゃなくて、変質者なんだけど、公園で友達とアイス食べてたら、いきなりチンチン見せてきてさあー」 「運の悪い野郎だぜ、全く。警察の話じゃあ、正当防衛で済んだそうだが、変質者とやらは、かなりのケガだってよ。玉袋が破けて、タマが露出したんだと、それも潰れたタマが・・・」 自分で言ってて、私は気分が悪くなった。同じ男として、痛みがリアルに想像出来てしまったのだ。 「自業自得だよ、うん」 「そうか。だが、分かってるな?反撃を食らわない、復讐されないためにも何をすべきか」 「うんうん、徹底的にやること!」 「そう。目の光が曇るまで、徹底的に痛めつけるんだ。グウの音も出ねえくらいにな。ハンパにやっちゃあ、甘さにつけ込まれるからよ、殺される、もうイヤだって思わせることが肝心なんだ」 「大丈夫だよ、ちゃんとやることやってるから。心配しないで、お父さん」 「だな。心配するのは相手の生命ってか」 「そうそう」
・・・・・・
日本拳法だけでなく、サカキは私から裏技を盗み取っている。 逆を取ったら、相手の手首を固めた上で、小指を思いっきり折る。 鶏口といって、親指、人差し指、中指を鋭くまとめて、相手の目を突く。 全体重をかけて、相手の膝頭に低空ドロップキックを放つ。 相手にチョークスリーパーを仕掛けたら、落ちても絞め続け、痙攣する一歩手前で放せば、ある程度の記憶を失わせることが可能。 いずれも、私がケンカで使ってきたエグイ裏技だ。 しかし、一番の奥義がある。 それは絶対に躊躇しないという決意だ。 自分の身を守るのは、本当に、そういう心構えなのである。 決して、警察や法の力ではない。
痴漢諸君、カタワになってまでも、サカキにわいせつ行為を働く価値があるというのなら、私はもう生命の心配はしない。 どんどん護身術の練習相手を務めたまえ。 実戦が娘を強くするのだから、私としては感謝したいくらいである。 今日はここまで。
| 2005年10月25日(火) |
犬神博士VSチルドレン最終章 |
この日は、檀家総代のお孫さんが相談しに来た。 十六歳の女子高生で、なかなかの美少女さんである。 かわいいのだが、両手首、両腕とも、インディオかアフリカの原住民並に、浮き彫りになったような、リストカットの傷跡が無数に浮き出ている。 祖父の檀家総代さんは、もう孫娘に見切りをつけていて、私に煮るなり焼くなり、ブチ殺すなり勝手にしてくれて構わないと言っていた。 ご両親もまた同様で、何かっつうと、自殺未遂騒ぎを起こす娘に、身も心も疲れ果てたという状況だ。 そこで。 私は本当に優しい人だからと聞き込んだようで、本来ならドンヨリした顔で来るべきなのに、妙にウキウキした顔でやってきた。 私は客間でヒノキ造りの座卓を挟んで、彼女と一緒に座り、お茶を従弟の嫁のよしこさんに入れてもらい、用件に入ってもらった。 ズバリ、もういい加減、リストカットをやめたいとのことだった。 でも、やめられない、どうしたらいいんでしょう。 私は即答一発、「両腕ともたたっ斬っちまえばいいじゃねえか」と答えた。「両腕ともなけりゃあ、リストカットしたくても出来めえよ、違うか、ええ?」 そこで、あらかじめ座卓の下に置いてあった日本刀の一振りをドンと、座卓の上、彼女の目の前に置いてみせた。 模造刀なのだが、本物そっくりの出来である。 私はそれをすらりと抜いてみせ、「こいつぁよく斬れるぜえ」とニヤッと笑ってみせた。 そして、ようやく、ウキウキ、ニヤニヤの得体の知れない笑顔から、表情が凍り付いて、ヤクザの事務所に拉致されたかのように、泣き顔でうつむいてしまった。 「ちょっと脅しただけさ、冗談だよ。だけどなぁ、バカか、おめぇ。リストカットが気持ちいいんだか、何かのステータスだか知らねぇが、甘えてんじゃねーよ、おう。今のおめぇ自身がイヤだってんなら、好きになれるまで努力すりゃいいじゃねえか。努力しろ、努力。誰かが助けてくれるまで、腕だの手首だの切ってみてよう、タチの悪い駄々っ子だぜ、全く」 説教した後、本堂で座禅を組ませて、背後から、水に漬けて重くした木の枝で作った精神注入棒で、喝を入れてやった。 大泣きに泣いて、ご両親の迎えと一緒に帰ったのだが、所詮、私の説教など明日になればころっと忘れてるに違いない。 学校に行っちゃ、誰かにあの寺には頭のおかしな人がいる、目の前で真剣抜いて笑うんだよとかネタにするだろう。 そうして、また八方ふさがりになって、手首をじっと見つめたりするのだ。 ああいう手合いは、かまってやるからいけないのだ。 どこか人気のない山奥とか、シベリア、サハラあたりに一人で置き去りにするのが手っ取り早い。 死にたくなければどうしたらいいのか。 そこまで追い詰めないと、分からないだろう。 そうなのだ、一人では何も出来ないなんて、あまあまもいいとこだ。 誰かとつきあい、世の中を渡ってゆくためには、一人でも生きていける強さがあってこそなのだ。 当たり前である。 鬱だの、依存症だの何だのと、理由づけて支えてもらおうとする輩。 そんなのが世間に通用するか!バカ! 私は聴覚障害というハンデを背負っていたので、文字通り、頑張らなければ死んでしまうという過酷な環境にいた。 当然、精神的にも、ハンデのある自分自身がイヤでイヤでしょうがなかった。 でも、今ではそれらすべてを乗り越えて、こうして生きている。 そういうこと。 甘えに甘えているガキども、おまえらは障害者以下のクソったれだ。 悔しけりゃ、見返してみやがれ。 でなけりゃ、死にな。
・・・・・・
それでも、私は子供たちを心配して、それなりに励ます。 しょうがない、これもお寺の役目だ。 今日はここまで。
| 2005年10月23日(日) |
犬神博士VSチルドレン�� |
これはちょっと前の話になるが、お盆の真っ最中に、お寺でピンポンダッシュがあった。 それで、私は雪駄も履かずに、猛烈な勢いで玄関から門扉までダッシュしたのだが、いたずら者はちょうど角を曲がったところである。 そこで、裏庭に回って、植木の囲いを透かして、いたずら者がタタタと駆けていくのを見据えて、植木の囲いに向かって突進した。 囲いをドバッと突き破って、いたずら者をとっ捕まえてやったが、その子供より、通りすがりのおばさんたちがヒィーッと金切り声をあげて、なんだ、なんだと近所の者たちが集まってきた。 私は照れくさそうに、坊主頭やほっぺたの擦り傷に唾をつけながら、ピンポンダッシュのワルガキをふんづかまえてやったところでさあと説明した。 で。 客間で子供を正座させて、みっちりと説教したのだが、その子供の言い分もふるっていた。 ここまでする大人はいないから、実にからかいがいがあると言うのだ。 確かに、ホラー映画そこのけの追いかけ方をするのは、私くらいだろう。 「やい、てめぇ、そんなに俺っちをからかって面白ぇのか?ええ?」と私。 「うん、ほんとに面白いよ。家でゲームしてるよか、全然興奮するね」と子供。 「そうかよ。でもあれだぜ、大人の中にも色んなのがいるからよ、気をつけていたずらしなきゃいけねえよ」 「うん。だから、犬神のおじさんが一番大好きなんだ。他の大人とは全然違うからね」 これには返す言葉がなくて、ニヤッと苦笑するばかりだった。 しょうがないので、ゲンコツのひとつを頭にお見舞いして、栗入り羊羹とお茶をごちそうして帰した。 その後、副住職のミスラ君と中庭を掃除しながら、私と他の大人たちの違いについて、率直な意見を述べてもらった。 「うーん、そうデスねぇー、マズ、トッテモ優しいじゃないデスか。それダケでも珍しい大人デス」とミスラ君。 「珍しいっ。まいったねぇ、珍しいのか、俺っ」 「トテモイイことデス。無理して作った優しさナンテ、子供はスグ見破りマスカラ」 確かにそうである。 子供は思考が未熟な代わり、感覚は大人よりも鋭い。 その鋭い感覚なら、本当の優しさ、嘘の優しさくらい容易に見分けられるだろう。 最初は子供になめられてるのかと思ったけれど、他の大人を遠ざけて、こうしてわざわざ一生懸命いたずらを仕掛けてくるんだから、かわいいもんだと思うことにしよう。 そして。 今度捕まえた時は、私なりのピンポンダッシュの奥義を教えてやろう。 絶対に捕まらないピンポンダッシュ。 呼び鈴を押したら、ドアの開く側の裏に素早く隠れるのである。 灯台下暗しというやつで、私はこの手で過去、一度も捕まったことはない。 いたずらというものは、追いかけられる興奮より、いたずらされた間抜け面を眺めて、大成功の勝利感に浸る興奮の方が快感なのだ。 元々、子供というものは、そうやって、悪知恵を働かせて、人生の渡り方をそれなりに学ぶものである。 私はそうやって、良くも悪くも逞しい大人になった。 そういうこと。 今日はここまで。
| 2005年10月22日(土) |
犬神博士VSチルドレン�� |
所沢のスタジオで撮影していた合間、トイレがふさがってたので、外の空き地でブロック塀にぶっかけるように小用を足してたら、後ろからわいわいと声がした。 何だ?と思う間もなく、左右に、ランドセルを背負った小学生たちが群がってきた。 ニヤニヤと笑う男の子たちはまだしも、赤いランドセルを背負った女の子たちまで混じっている。 実に面白そうに、私の立ち小便の様子を見つめているという事態に、私の思考は肉体にどのような指令を下したか。 サオを左右に振って、おしっこを振りまいたのだ。 当然、子供たちはキャーキャー言いながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。 そして、猫か何かのように、遠く離れたところで私の顔をじっと見つめている。 私はたっぷり、残尿感を抱えたまま、マイチンポを仕舞い込むと、ジッパーを上げながら、右手で中指をおったててみせ、無言の威嚇をした。 そんな話を帰りの車の中で聞いた同僚のH美ちゃんは、クールに「やだー、いい年して子供みたーい」と切り捨ててくれた。 そこで、私は「子供じゃない大人なんて、いねーよ」と言ってやった。「三つ子の魂百までと言うだろ」と続けたが、H美ちゃんはふーんと鼻を鳴らすだけだった。 「それにしたって・・・ねぇ?小学生相手におしっこ振りまくなんて・・・下手したら、警察ものよ?マジで」 「おりゃあ、その瞬間、どういう行為が一番効果的かを判断したまでよ」
・・・・・・
大博物学者の南方熊楠も、いい年をして、石を投げつけた子供を追い回して殴りつけるということをしていたが、私にしてみれば当然の反応である。 確かに奇人だったかもしれないけれど、相手が子供なら、同じ目線で相手をするのが当たり前ではないだろうか。 私は子供だった時、もう頭からこちらをガキだと思って見下す大人が大嫌いだった。 ふんぞり返って、意味もなく威張り散らす大人。 こっちの方がよっぽどガキである。 大きくなったら、決してこんな大人にはなるまいと思ったものだ。 昔、近所に牛乳配達のおじさんがいて、夏休みのラジオ体操には子供たちにまじって必ず参加していたのだが、前列の子供の肩を叩いて、ささっとそ知らぬ顔をして直立不動の姿勢をとるといういたずらをよくやっていた。 お茶目なおじさんだったので、子供たちにはものすごく人気があった。 私もこのおじさんは大好きで、こういう大人になりたいと心の底から思った。 H美ちゃんは、近頃の子供の方が大人びていて、それに比べたら私は全然子供っぽいと手厳しかったが、逆手にとって考えると、だからこそ、最近の子供たちは子供らしくないとも言えるのだ。 私のような大人たちが、子供に子供らしさを教えなければならない。 そんな時代なのかもしれない。 今日はここまで。
エニグマの「ミア・カルパ」のPVを眺めながら、こんな夢を見た。 どこかの巨大ショッピングモールで、ゾンビの大群衆から逃げまくり、階段という階段を駆け上り、駆け寄るゾンビをストッキング用展示足マネキンで殴り倒し、防火シャッターを誰かに早く下ろせ!と叫んだ。下りるシャッターの隙間から這い出てこようとするゾンビをみんなで蹴飛ばしたり、消火器の底で殴りつけたりして撃退した。 「全く、活きのいいゾンビどもだぜ」と私。 だが、誰もクスリともしなかった。 私のように、夢を夢として愉しむ余裕がないようだった。 凍てついた彫像のように呆然と立ち尽くしているみんなを横目に、私はそこからさらに階段で最上階まで駆け上り、屋上へ出た。 屋上にはだだっ広い遊園地があって、子供を抱き寄せた母親、友達と身を寄せ合っている女子高生たち、カードゲームそっちのけで金網から地上を見下ろしている子供たちがいた。 私はその中をまっすぐに横切り、屋上からさらにそびえ立っている高層ビルの中へ入っていった。 オフィスビルのようで、入り口の案内に会社の名前がたくさん重なっていたが、私はちらと見ただけで、エレベーターに向かって突進していった。 エレベーターの呼びボタンを押すと、すぐに三つあるうちの真ん中のドアが、いやにゆっくりと開いた。 そこに駆け込み、さらに最上階へ向かうために、一番上の階のボタンを押そうとして、ぎくっとした。 一階から、点々が上がって、十一階、また点々、二十五階、さらに点々、二百七十五階と四つのボタンしかなかったのだ。 奇妙に考えてる暇はなかった。 二百七十五階のボタンを押して、このドア、早く閉まりやがれ!と悪態をついたところで、閉まりかけたドアを押し開いて、何かが飛び込んできた。 私は恐怖の叫び声をあげたが、ちゃんと生きた目をした二人の女子高生だったので、ほうっとため息をついた。 今度こそ閉まる瞬間、目の前にゾンビどもが押し寄せてきたのを見て、私はゾンビに負けず劣らず唸り声を漏らした。 「噛まれてないだろうな?」と私。「先に俺を見ろ、どこも噛まれてないのを確かめるんだ」 私は上半身裸になり、二の腕と背中を次々と見てもらった。 大丈夫と太鼓判をもらうと、私は恥ずかしがる二人を手早く、じっくりと確かめて、どこも噛み痕がないのを見た。 上昇するエレベーターは高速で移動しているらしく、ほとんど無重力状態のような感覚だった。 「二百・・・七十・・・五階?」と一人。 「一体、どこに行くの、これ?」ともう一人。 私はもう一度、ボタンを見た。 11と25。 そして、275。 「十一と二十五を掛けた数じゃねえか」と私。 その瞬間、私は小さい頃、従姉とお互い子供を作るとしたら、その子供がお互いの年齢を掛けた数だけ長生きするだろう、なんてことを話し合っていたことを思い出した。 11と25。 佐渡島のはとこの透の年齢と、透を抱いて妊娠した女教師の年齢だった。 そうすると、275というのは・・・昨日生まれたっていう透と先生の子供の寿命? 急にそわそわした気分になり、そこへ行きたいような、行きたくないような気持ちが交錯し、十一階や二十五階を押してみた。 しかし、エレベーターは止まらず、高速で移動し続けるばかりである。 そのうち、動きがゆるやかになり、だんだん、ゆっくりとエレベーターが静止し、壊れたのかと思うくらい、じりじりとゆっくり、ドアが開き始めた。 そこで目が覚めた。
・・・・・・
起きて、顔を洗ったり、歯を磨いたりしながら、もう一度留守番電話を再生してみる。 透の声だった。 「・・・生まれたよ、女の子だった」 また女の子か。 私は苦笑した。 「・・・じゃあ、名前よろしくね」 そうだった、名前をつける約束だった。名づけ親というやつだ。 名前を考えながら、私は上記の夢を何度も反芻するだろう。 いっそ、275てえ名前にしちまおうか? ちなみに。 サカキは五百十三歳まで生きる勘定である。 今日はここまで。
| 2005年10月18日(火) |
秋の長雨に谷中霊園へ。 |
火曜日の午後は、少し時間が出来たので、一人で日暮里駅まで行き、そこから谷中霊園をうろうろしていた。 傘をさしつつ、濡れた墓石をひとつひとつ眺めて、物思いにふけることもなく、ただ、ボーッと頭を真っ白にしていた。 こういうひと時は、絶対に必要だ。 座禅を組むのと同じ効果があるのだ、 その人個人の思い出が濃く漂う場所にて、無我の境地に浸る・・・ 私にとって思い出が最も濃く漂っているのが、谷中霊園だった。 オヤジにもらったマミヤの一眼レフのカメラで、初めて女の子を雰囲気たっぷりに撮った場所だし、丸尾末広さんの漫画「童貞厠之介」を写真で連続作品化した際に、厠之介役の男装少女を墓石の上に立たせた場所でもある。 それに、花見の席で、霊園中を友達と一緒に、「エクソシスト」のスパイダー・ウォークで練り歩いたバカな思い出もある。 もっと古い思い出だと、三歳か四歳の時、上野寛永寺の近くに住んでた仲良しの幼馴染の女の子と二人きりでかくれんぼをしたことがある。 これは秋のお彼岸の時にやったので、ものすごく混雑してて、かくれんぼというよりは、和製「ウォーリーを探せ」こと、「とこちゃんはどこ」そのものだった。 私が一生懸命、探し回って、ひょっこり、誰もいない開けた古い墓所で相手を見つけた時は、見上げるような巨大な石造りの鳥居しか目に入らなかった。 その時の感覚を取り戻すためにも、その墓所を訪れてみた。 下にスキャンした写真がそれである。 ここは実に癒される。 いや、癒されるという感覚すら、真っ白になる。 雨が降り続く中、私はじっとそこに立ちつくし、白い鳥が自分の心のなかに舞い戻ってくるのを感じると、ぶるっと身体を震わせ、霊園を出た。
・・・現実は、こういう風に、思い出すことで成り立つこともあり得るのだ。 今日はここまで。

| 2005年10月17日(月) |
愛はホネツギマンとともに。 |
日曜は紅胡蝶が来宅した。 教え子としては、二年越しのつきあいなので、マリこと紅蜘蛛お嬢様の次くらいの古株である。 今まで、日記にあまり登場しなかったのは、色々理由があるが、ここでは語らない。内緒である。 長いつきあいなのに、初対面だったので、お互いそれなりに緊張したけれども、いざ会ってみるとやはり、幅広い意味で共通する部分があった。 以下にあげてみよう。 �仝で�などの動物が大好き。ペットとして飼ってる。 ��武術を身につけている、あるいは嗜んだ。 ��寿司と刺身が大好物。魚介類なら何でもOK。 �ぬ_茲�大好き、それなりのコレクション、もしくは知識がある。 ここまでは会う前から知ってたことだが、会って初めて明らかになった第五の共通事項は、刀剣や拳銃などの武器類が大好きで、それなりのコレクションや知識があるということである。 娘のサカキは、手裏剣や日本刀、古武術の暗器を私のクレジットカードでコレクションしているが、それに匹敵するオタクぶりを彼女からたっぷりと感じたのには、本当にびっくりしてしまった。 私が仕事先からもらってきた日本刀、槍の模造品、ベレッタやルガーのモデルガンを愛しそうにこねくりまわしているので、全部お土産に持たした。 そしたら、とても喜んだので、やれやれ、どんな部屋になることやらと心配しながら、日本刀と拳銃を新聞紙でくるむのを手伝った。 ともかく。 こうして対面を果たして、お互いの匂いを感じ取ったからには、彼女も紅蜘蛛お嬢様のように、私から色々吸収して一人前になるだろう。 一人前になるとはどういうことか。 一人でも生きていけるということだ。 孤独になるという意味ではない。 一人で、自分を見失うことなく、世間を渡っていける力を身につけるという意味である。 実は、私のところに来る少年少女たちは、私の持ってる大量の本やヘンなコレクションが目当てではない。 また、美味しいものを食べるためでもない。 それらはあくまでも二の次だ。 本当は、かつて障害者という弱者の立場から、自分自身を乗り越え、ふてぶてしく、図太く、たくましく、いやらしく生き延びてきている私の強さを吸収するためなのだ。 私も昔は弱かった。 というより、生まれながらにして、心が強い人間などいない。 みんな、傷に傷を重ねて、汚れに汚れを重ねて、血と汚泥の中で強く、逞しく、清らかになっていくものだ。 そういう過程の中で、いかに自分自身を乗り越え続けられるか。
・・・・・・
紅胡蝶が帰った後、WOWOWで「ホネツギマン」をやっていたのだが、その内容にすっかり魅了されてしまい、最後まで見通してしまった。 誰か、私の人生において重要な人と出会った日は、その日の私に似た主人公の映画をやるという奇妙な偶然があるのだが(ちなみに、過去だと「13日の金曜日2」のジェイソン、「セブン」のジョン・ドゥがある・・・)、「ホネツギマン」の主人公、整体師にしてプロレスラーの奇妙なキャラクターは、全く、さっきまでの私にそっくりだった。 どのへんがそっくりなのかは、一口には説明出来ないが、興味を持たれたら、DVDが出てるので観てみることをお勧めする。 それにしても、紅胡蝶と過ごした初日を、「ホネツギマン」で締めくくれるというのは、なんという幸福感だろう。 人生に対して、一段と愛が深まったのを感じる。 本当にいい休日だった。 今日はここまで。

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