(仮)耽奇館主人の日記
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2005年07月31日(日) コアな読者さんからのリクエスト��

2003年10月12日(日)
リンボあるいはリンコナーダのこと。
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今日は幼なじみと会った。
彼は年商14億円も稼ぐ某企業の社長という輝かしい肩書を持つが、聾唖者でその上、現在では珍しい「せむし」である。
彼とは国府台の聾学校で共に会話訓練を受けた同期だ。私は聾学校には短期間しかいなかったが、同じ障害を持つ者同士は、例外なく親友になるものである。
彼も例に漏れず、親友だ。
しかし、私は一般の意味で、親友という言葉を使っているわけではない。
障害者のそれは、もっと複雑なのだ。
彼は私に親愛の情を示すのと同時に、私自身がハンデを克服して健常者の社会に溶け込んで生活していることに、激しい嫉妬と憎悪を抱いていた。
そういう情念のうねりが、彼を成功させた最大のエネルギーであることは確かだ。
「国府台も変わったな」と彼。「すっかり綺麗になっちまった。あれでは幽霊も二度と出られまい」
最近だが、国府台の聾学校は老朽化した校舎や寄宿舎を取り壊して、隣接する和洋学園に劣らない最新の校舎にリニューアルしたのである。
「びっくりしたよ。幽霊が復活するには、また百年かかるな」と私。
「だが、俺たちの『国府台』は永遠に、頭の中の思い出のままさ。リンボなんだよ」
「地獄の辺土(Limbo)か」
いわゆる、善良な魂の持ち主ではあるが、何らかの理由で洗礼を受けられなかったため、天国に入ることが出来ない者たちがとどまる、天国と地獄のはざまにある土地のことだ。別名「愚者の楽園」とも呼ばれ、白痴や奇形、片輪、生まれずに死んだ子供たちが住む土地としても表現される。
私たちの言うリンボは「愚者の楽園」そのままの意味だった。
実際、聾唖者だけでなく、私たちの生まれた世代ではまだ深刻な影響が吹き荒れていた、サリドマイドによる奇形児たちが義務教育の法のもとに寄宿しながら在学していたのだ。
「俺は将来、財産をリンボ再建に費やしたいんだ。ここ市川市は福祉の街だ、俺の望みはたやすく叶えられるだろう」
「財産を資金として財団を作れよ。そうして、しっかり基礎を固めれば、寄付がたんまり集まって、東京ディズニーランドなみのリンボを建設出来るぜ」
「そのつもりさ。そこで、おまえには、おまえの頭の中身をすっかりリンボ建設に活かしてもらいたいんだ。俺は覚えてるぜ。ガキの頃、おまえは俺にふさわしい住居はミノタウロスの神殿のような迷宮だって言ったんだ。当時はすごくムカついたもんだが、俺のような『せむし』は確かに迷宮がよく似合う。俺のために、そして世のために、おまえの迷宮を設計してくれよ」
私は彼の顔を見た。彼はさらに続けた。
「知ってるんだ。おまえは断れない。きっとやってくれるだろう。何故なら、俺が『せむし』であると同様に、おまえの中身も『せむし』だからだ。俺は一時は、見た目の違いを呪ったもんだが、おまえも同様に苦しんできたってことが分かったからな。ワインをもっと飲むか?」
「ああ、飲むよ。俺たちのリンボのために乾杯しよう」
嬉しそうに首を横に振りながら、彼は大きく安堵のため息をついた。
帰宅した後、私はリンボの設計の基礎を、リンコナーダに求めることを決めた。リンコナーダ、南米の、世界最大級の問題作とされる、ホセ・ドノソの「夜のみだらな鳥」に出てくる奇形の巨大な館の名前だ。大富豪の跡継ぎとして生まれたボーイは見るも醜悪無残な奇形児だった。父親はボーイのために、リンコナーダを建設し、庭木や彫像も奇形的に歪め、全国から奇形を集めてボーイの身の回りを世話するようにした。物語はその悪夢のような世界が幻覚的にうねり続ける内容なのだが、私は一読してボーイの怪物的な人間らしさに衝撃を受け、一週間ほど脳が熱を帯びて満足に眠ることが出来なかった。
福祉施設としての機能を持ちながら、怪奇と幻想に満ちた建築の美観を備える大迷宮。
彼は多分、そこで自らの人生に幕を閉じたいのだ。つまり彼自身の墓だ。
私は彼のために出来ることを尽くしてやるつもりである。
今日はここまで。

2003年10月16日(木)
And still more labyrinthine buds the rose.
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前日、リンボ建設の構想を話し合った、幼なじみの社長が構想自体に何かいい名前を与えてくれないかと電話をかけてきた。計画、財団、そして福祉施設としての大迷宮の名称へとつながる「形」としての名前。
リンボ、またはリンコナーダでいいと思うのだが、名前自体が凶悪なイメージを孕んでいるから、ビジネス向きではないだろう。ビジネスの常識として、縁起のいい名前を与えるべきだ。
そこで、エンディミオン(Endymion)はどうかと提案した。ギリシャ神話でセレネに愛される美少年の名前だ。海に沈みゆく太陽が神格化されたもので、眠れる野としての意味合いも持つ。私たちが出会い、人間になるための訓練を積んだ「国府台」が、夕陽の美観を拝める名所であり、また月を眺めるのに最適な小高い丘でもあったことに引っかけたのだと説明したら、社長は即、採用してくれた。響きが神秘的で透明感がある。早速、明日から「エンディミオン計画」として、正式に構想を書類として作成すると言う。
私はニヤリと笑った。
実は、エンディミオンには、女の領域を侵して殺害される男としての意味合いもある。つまり、私なりには、迷宮の危険性を表現した名前なのだ。
そう、迷宮は、常に危険でなければならない。
これだけは絶対譲れない私の信念だ。従って、福祉施設としての機能は外庭から本館までにして、回廊から続く別館、中庭、裏庭からは秘密の匂いを漂わせる迷宮に仕立て上げるつもりでいる。
今になって分かったことだが、社長が私に建築構造の設計を依頼したほんとうの理由は、私が迷宮そのものに詳しいことではなく、その昔、私が「国府台」にて一時期流行らせた遊びにあったのだ。
それは、めちゃくちゃに、むちゃくちゃに、複雑怪奇に固く結んだロープの結び玉をどれだけ早く解けるかという遊びだ。
私の作った結び玉は、どんな大人でも解けなかった。
暗黙のルールでは、一本のロープのみということだったが、私のそれは密かに短い四本のロープを結び合わせてあった。
社長は私のそういう意地悪なところに絶大な信頼を寄せているとのことだった。
その信頼に応えるべく、一度迷ったら二度と出て来れないくらいの迷宮を考えよう。
今日はここまで。

2003年10月21日(火)
アボデュシアのこと。
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昨夜から大迷宮の設計図の一部を作成している(『リンボあるいはリンコナーダのこと』を参照)。
中心に配置する地下墓地(カタコンベ)なのだが、ここには社長の希望で墓石や柩などの類いは一切置かない。代わりに、社長自身の彫像が設置される。彫像の中には、社長の遺骨が埋め込まれることになっている。
社長の遺骨は、私の手で、せむしであったのを健康な美男子の骨格として修正されることになっている。
生きている間、魂が焼けつくように、渇望した「人間」の姿。
彫像は、私が修正した遺骨に従って作られるから、アポロ的な美しい男性の像となるだろう。
それは、もはや、虚栄や虚勢、見せかけなどではない。
情念、怨念などの意志の力が渦巻く、魂そのものの脱衣(アボデュシア)なのだ。中国の道教風に言えば、尸解仙である。古い肉体を脱ぎ捨てて、新しく仙人として生まれ変わるという秘法だ。
迷宮は、せむしであった頃の社長の心そのものの表現で、その中心にたどり着いた者は、社長が渇望したものが何だったのかを知るという仕掛けということでまとまりかけている。
しかし、社長のように死後、見た目を修正出来ても、私のような精神的奇形は一体どうすればいいのだろうか?心がせむしであると言われた男は?確かに、その気になりさえすれば、私だってちゃんとまともにやれる。結婚して、子供を作って、幸せな家庭を築いて、良き父として、善良な一市民として精神的にも物質的にも豊かな人生を暮らす。
ほんとうに、その気になればいいのだ。だが、それが出来ない。幸せ、善良、豊かさを信じることが出来ないからだ。うわべを飾るよりは、欲望そのものに身を任せた方がずっとましだ。
自らの欲望の炎に身を焦がして苦しみ悶える結果になっても、私は闇の中を突っ走り続けるだろう。
いつの日か、私も脱衣(アボデュシア)出来る時が来るのだろうか?
今日はここまで。

2003年11月18日(火)
はにわりのこと。
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昨晩から大迷宮の設計図を書いていると、せむしの社長と過ごした国府台の施設のあれやこれやを思い出す。
施設には、シャム双生児以外なら、奇形児はすべて揃っているといわれるほど、色々な身体障害者がいたが、その中でも最も特異だったのが、ふたなりであった。
ふたなり、つまり半陰陽である。施設では「はにわり」と呼んでいた。男性器、女性器を兼ね備えているというあれだ。
「彼」は、戸籍上は男であったが、その異常な身体にひどいコンプレックスを抱いていた。
家族にさえ珍奇な目で見られるというので、寄宿舎に寄宿しながら義務教育を受けていたのだが、寄宿舎の中でも「彼」はみんなを避け、トイレや風呂も一人で入っていた。
それで、何も知らないみんなは、「彼」がみんなを避ける理由を知りたがった。「彼」が一番嫌がる珍奇な目を向けたのである。
寄宿舎でも、「彼」の居場所がなくなってしまうのを救ったのは、シスター・アビゲイルだった(「シスター・アビゲイルのこと」を参照)。
ボディガード兼親友をつける必要があるということで、彼女から「彼」の友達になってあげてと頼まれた私は、是非もなく、はい、分かりましたと言った。
一年と少ししか一緒にいなかったが、その後はせむしの社長が引き継ぎ、私が施設から普通の小学校に移っても、三人で一緒に遊んだ。
私も珍奇な目があった方なのだが、「彼」にとっては、シスターの肝入りであることと、これが一番大きかったのだそうだが、私が施設内で最も普通の人間に近い存在だったことが、親愛の情を抱かせたという。
つまり、見た目で、私に憧れていたのだ。
日に日に胸が柔らかく、膨らんでくることに、ひどく神経質になりながらも、私が声変わりしてくることを、非常に面白がっていた。
「ふーん、そんな声になっちゃうんだ。ねえ、『アイ・ラブ・ユー』ってゆってみてよ」
「アイ・ラブ・ユー」
「わっ、変なの。もう一度」
「アイ・ラブ・ユー」
「もういいよ。僕の声をどう思う?よく聞いてよ。アイ・ラブ・ユー」
「前のままだね。俺のように変な声にはなっちゃいないさ」
「変わらないの、おかしいと思う?」
「思わないよ。俺としちゃ変わってほしくないね」
「それって、僕をどう思ってるの?」
私は答えなかった。ただ、ニヤリと笑ってみせただけである。
中学を上がる頃、社長から連絡があり、「彼」が大手術を受けるために家族とともにアメリカに渡ったことを知った。
「念入りに診察して、どっちの性にするかを決めて、完全な『男』か、『女』かにするんだってよ」と社長。
「賭けるか?おまえは最近まで一緒に風呂に入ってたんだろ?」と私。
「うん。あいつは、立派なモノを持っていたぜ。俺は『男』に賭けるね」
「俺は『女』だ」
手術を受ける前に、「彼」から国際郵便で手紙をもらった。
そこには「君ならどっちになって欲しい?」と書かれてあった。
私は「彼」のことを思い浮かべた。
社長から聞いた話だと、立派なペニスを持っているのと同時に、立派な乳房を持ち、しかも生理が来ているということだ。ただ、陰嚢が一つしかない。女性器の小陰唇の片方が、陰嚢になっているというのだが、申し訳程度の大きさだという。
声変わりは相変わらずない。
そして、それ以上に、私の「彼」に対する気持ちを思い浮かべて、早速返事を書いた。
そこには祖父譲りの気取った文章で、二つの書物からの引用を書き添えておいた。
ひとつは、これからの生き方について。

知其雄守其雌。為天下谿。為天下谿。常徳不離。復帰於嬰児。

これは、道徳経からの引用で、意味は以下の通り。「男性の理を知り、かつ女性の理を保つものは、天下のあらゆるものを受ける谷となる。そこからは永遠の徳が漏れることはない。これは幼児期の状態への回帰である」。

もうひとつは、私自身の「彼」への気持ちを込めて。オノレ・ド・バルザックの「サラジーヌ」からの引用だ。

「俺はいつまでも天のハルピュイアを思い出すだろう。そいつは俺の男心に爪を立て、他のすべての女に不完全という刻印を押していくのだ」

私の返事に対する返事はこなかった。代わりに、社長から、「彼」は完全な「女」になったことを告げられた。
「最初は、家族の望みもあって、『男』だったんだ。俺はそれを知ってたから、『男』に賭けたんだが、何かのきっかけで『女』になったらしい」と社長。
「診察の結果はどっちだったんだ、お医者先生の見立ては?」と私。
「『女』の方が手術しやすいという結果だったけど、家族も、本人も『男』を強く望んでいたから、『男』に傾いていたんだよ」
「賭けはこの際、どうでもいいことにしようぜ。あいつの新しい人生がうまくいくことをお互い祈ろうじゃないか」
「そうだな」
そして、今日に至るまで、「彼」との再会は果たしていない。
そのおかげで、ハルピュイアはいつまでも淡く、美しい思い出のままだ。
週末に、社長に電話をかけて、我々の大迷宮に、「彼」の像を大理石の像として配置することを進言しよう。出来れば、中庭の噴水つきの池の真ん中に立って、私に永遠の微笑を投げかけてほしい。
今日はここまで。


2005年07月30日(土) コアな読者さんからのリクエスト��

2003年05月27日(火)
一夜を鶴駕に乗せて飛ばすこと。
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だんだん湿気が濃くなってくると、同じ時期に別府から愛媛の八幡浜への連絡船に乗った時のことを思い出す。二十歳になったばかりで、四国や南九州を中心に民間信仰の取材旅行を繰り返していたのだ。八幡浜に到着し、他の乗客とともに降りてみると、山の方面に、濃い灰色の雲がどんよりと垂れ下がり、せっかくの新緑が黒々と染まっているのが見えた。雨が降りそうだなと思う間もなく、ぽつりぽつりと降ってきた。さて、どこに泊まろうかなと駅前の案内所に向かおうとしたが、縦に連なって歩く乗客たちを熱心に眺めている少女と目が合った。頭と顔から湯気が立ちのぼっているところを見ると風呂に入ったばかりなのだろう、濡れた髪がはりついた顔が紅く染まっていた。齢は十代を終えたばかりの頃だろうか?若々しい美しさが目の中で光り輝いている。「ねえ」少女が呼びかけてきた。「泊まるところを探してんなら、うちに泊まらん?」にっこりと笑いかける。私は大きくにやりと笑い、「いくらぐらい?」と聞いた。少女は指を突き立てて、三本立てようとしたが、思い止どまったように二本に減らした。「こんぐらいでええよ、兄さん、あんまし持ってないやろ?」私は笑い、「泊まるよ」と言った。
少女は一人暮らしだった。いつもは郵便局で事務のバイトをしているが、死んだ親の借金を返すために土日祝の休みはこうして船着き場に来て客を取ってるのだという。まだ始めたばかりで、私で二人目だった。案内された部屋は恐ろしいほどのあばら家だった。追い炊きの風呂にくみ取り式の便所、濃い茶色に変色した畳、ボロボロのふすま、穴が開いて下地が見えている砂壁、ねじ式の鍵つきの木枠の窓…その代わり、布団はきれいだった。しかも羽布団である。最初の客のお代で買ったのだそうだ。だから、私からちゃんとした稼ぎになるとか。風呂から上がると、ガタガタするちゃぶ台の上に夕食が用意されていた。ビールと刺し身とご飯、みそ汁、漬物というメニューだった。私が座布団の上に座ると、少女が寄り添ってビールを注いできた。「兄さん、どこから来たん?」「東京さ」「どこへ行くん?」「ここから電車で高知へ行くんだ」「何しゆう?」「お化けを探して歩いてるんだよ」そこで私はにやりと笑うと、少女はああ、怖いと笑ってみせた。
羽布団は軽くて温かかった。その中で少女の湿った裸身に自らの裸身をからませるようにして、さらに羽布団を温めていった。
やることやったし、さあ休もうという時に、窓の下の文机の上に文房具に混じって折り紙セットがあるのを見つけた。私はあれを折っていいかね?と言うと、少女はうんと頷いて私に折り紙セットを手渡してきた。「これ、色がきれいやから、何となく買うてみただけやけど、何か折れんの?」私はほほ笑みながら、手早く鶴を折ってみせた。少女が拍手してみせる。私はまじめな顔になった。
「『鶴駕(かくが)』という言葉があってね、元々は中国の仙人の乗り物さ。向こうでは鶴に願いを込めて飛ばすと幸福がもたらされると言われていたんだ。これは私だと思うといい。これに願いを込めて飛ばしたりすれば、私の鶴は君に幸福を運んでくるさ」
「ありがとう…兄さん、いい人なんやね」
私は大きくにやりと笑ってみせた。
別れる時、私は約束の二万円を少女の目の前に出し、それを丸めると少女のポケットの中に入れた。彼女がそれを出す時には、二万円の中にさらに五万円分の小さく折り畳んだ紙幣が入っていることに気づくだろう。それで有り金全部だった。私は駅で少女と別れ、いつまでも手を振る少女にほほ笑みかけ、次の駅で降りて、線路を辿って高知へ向かって歩き始めた。
今思えば、少女も私に幸福をもたらしてくれた。
無銭状態で徒歩で高知へやってきた私を、今時珍しい若者と面白がって、目指す祈祷師の家族が私を泊めてくれたのだ。
私は思う、私の鶴は今でも八幡浜を飛んでいるのだろうかと。今日はここまで。

2003年06月01日(日)
陰陽眼のこと。
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今日から夏である。旧暦ではまだ五月二日だが、昨晩からすでに蒸し暑い。ちなみに今日は「建つ」といって、大吉の日に当たるのだが、土を耕したり船を動かしてはならない。災いの元になるからだ。
子供の頃新潟に預けられていた時、母方の実家で、佐渡島を本拠地とする祈祷師たちのひとりに運勢やら旧暦やら占星術に関することをたくさん教えてもらったのが、いまだに頭に染み込んでいる。実生活においては全く何の役にも立たない余計な知識なのだが、いくら引き出しの中を整理してもなかなか消えてくれない。
西洋には邪視という奇相もしくは異相の迷信があるが、我が国にも陰陽眼という奇怪な面相が迷信の中で伝えられている。邪視はにらんだだけで相手を殺すという物騒な代物だが、陰陽眼は左右の目がそれぞれ天と地を向いているというもので、神と通じる力を持つ異人の印とされている。
私にそのことを教えてくれた祈祷師は、母方の曾祖母がそんな面相だったと語ってくれた。見た目があまりに異様な雰囲気を与えるので、人前に出る時は常に木綿の手ぬぐいで目隠しをしていたらしい。目隠しをしていればなかなかの美人なので、劣情をもよおす輩もいたそうだが、そういう輩には手ぬぐいをとって両目をさらせば二度と言い寄ってはこなかったという。
迷信にしてはなかなかリアルなので写真はないのかと伯母に言ったら、伯母は黙って仏壇の上を指差した。ここも一応お寺にやっかいになっている手前、仏壇はあるのだが、祈祷師だった者は仏壇ではなくその上の神棚に遺影が飾られることになっていた。その写真は黄ばんでいて、裏を見ると撮影日時が明治二十五年とあった。これだけでも相当裕福な家庭だったことが分かる。当時は写真に撮られることなど大変珍しいことだったからだ。そこに写っている白装束姿の女性は年は二十代後半だろうか、なかなかの色白美人だった。ただ、一重の切れ長の目つきが恐ろしく異様だった。右目が下を、左目が上を向いているのだ。医学的には稀少な身体的異常として片付けられたが、視力は乱視ぎみだったらしい。しかも文盲だった。
私は考える、母も祖母も伯母たちも語るのを良しとしなかった曾祖母の人生を。明らかに一種の軽度の奇形なのだが、現在の医術では簡単に矯正出来たものを当時は生まれつきのものとしてあきらめるしかなかったろう。どうせかたわとして生まれてくるなら、かたわらしく生まれてくればよかったものを、一体なぜよりによって目だけなのか。無残な少女時代、青春時代を送ったに違いない。友人も出来ず、異性に恋を抱くこともかなわなかったに違いない、そんな曾祖母を唯一人間らしくしたのが祈祷だったことは想像に難くない。

見よ、日常に倦み、絢爛たる非日常に輝くわれを…。

私は理解している。要するに、祈祷などの霊能の類いは、こうした孤独な人々の唯一の逆襲の手段なのだ。高知で見た犬神使いや太夫もそうだったし、現在に至るまであちこちで見た霊能者も曾祖母と同じような孤独な影を引きずっていた。そういう意味で、私は祈祷師の人間くさいところを憎みつつ愛している。人間はまやかしがなければ生きられない、まやかしのうちに自分を育てなければ生きられない地球上で最も脆弱な生き物なのだ。
陰陽眼の曾祖母、癲癇持ちの大伯母、残酷な従姉、私の眷属の女たちは私の人生をまやかしと孤独のうちに導き、弱さをバネにたくましく生きられる強さを教えてくれる。今日はここまで。

2003年06月05日(木)
魔法の犬のこと。
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今日、夕方前に仕事が終わったので、南行徳のヤマダ電気に寄って、野鳥の楽園沿いにバイクを走らせていたら、鉄屑もいいところの車のゴミの近くに干からびた犬の死体を見つけた。誰かが面白がるか、腹いせに、フロントガラスを割ったらしく、ガラスの破片が細かく散らばっており、ガラスの雪の上のミイラという感じだった。内臓はすっかり腐り落ち、骨に黄色く干からびた皮がくっついているだけである。私はバイクを脇に停め、犬のミイラを注意深く眺めた。シェパードの血がメインの雑種というところか。辺りを見回し、車の中に乾き切った段ボールの箱を見つけると、中身を取り出して、空にした箱の中に犬の死体をていねいに折り畳んで入れた。その上を会社から持ち帰ったスポーツ新聞で覆い、バイクの後ろに荷物用ネットでくくりつけた。どこかに埋めてやるつもりだった。
バイクを走らせながら、自らの手で犬の死体を作ったことを思い出した。学生時代、高知県は物部村の祈祷師の家に滞在していた時、祈祷師が私に犬神使いの老婆を紹介してくれた。老婆は唐突に、そんなに犬神のことを知りたいなら、自分で作ってみるのはどうかと言う。さてはこの婆さん、私をびびらせて追い返そうとしているな。私は是非お願いしますと頭を下げた。思えば、私も婆さんも後にはひけない性格だった。私は婆さんと出会って十五分もしないうちに犬神製造を学ぶことになってしまった。
私は祈祷師の家から、さらなる山奥に分け入って、婆さんの住む農家へ通っては農家としての仕事を手伝った。血縁や親族はみんな都会へ出てしまって、婆さん一人で農家をやっているというから、私という男手を本当に喜んでいた。畑をたっぷり一ヘクタールは鍬一本で耕した時は、身体中激しい筋肉痛で起き上がるのに難儀したくらいだった。
三日くらいこき使われた夜、私は婆さんの肩を揉んでいた。私の方が揉まれたい状態だったが、犬神のためなら何でも耐えられると考えていた。私は力が欲しかったのだ。誰にも負けない力が。体力には自信があったが、それ以上に魔法の力としての強い精神力が欲しかった。
陰暦として定められたその日に、婆さんは白装束に着替え、私を裏庭へ連れていった。そこには初めて見る犬小屋があった。トタン屋根と金網で作られた大きな犬小屋で、婆さんが金網の扉を開けると、やけに弱々しい、痩せ細った犬が三匹現れた。どれも紀州犬の血が入った小型の雑種だったが、上をちゃんと向けないらしく、下をうつむいたまま、四つ足をガクガクさせながら地面をなめ回すように匂いを嗅いでいた。
「最初は九匹いたんじゃが、残ったのはこの三匹。みんな争い合わせた中での生き残りじゃな」
そう言えば、三匹とも、あちこちに無数の傷があった。噛み傷、引っ掻き傷、擦り傷などなど。
「餌はやっていたんですか?」
「かれこれ三カ月はやっておらん。他の犬を食うてたんじゃ。そうさせたのよ」
犬蠱だ。身体に電流が走るのを感じた。中国に伝わる秘法で、蠱毒のひとつだ。普通は数種の毒虫をお互い争い合わせて、生き残った毒虫を呪術の道具として使うが、犬蠱は犬を使った蠱毒なのだ。
「どれがええ?」
「えっ?」
「あんたの犬神に使う犬をそん中から選ぶんじゃ。さっさと選びや」
私は三匹を眺めた。かわいそうというより、自分自身がこの場にいるという興奮が先に立っていた。いよいよ犬神を作るという興奮が。毛並みが逆立った白い犬を選ぶと、婆さんはスリコギの擦り棒でその犬の頭を強かに殴りつけた。ぐったりとする犬を私に運びやと言いつけ、小さな祠の前に掘った穴の中にそこへ入れと言った。首だけ出してしっかり埋めやと言い、私の手際が悪いと、婆さんが鍬で手直しした。それから犬の目の前に、祈祷師の家から持ってきた猪の生肉を乗せた皿を置いた。その瞬間、犬の目がくわっと見開かれ、鼻をふんふんさせて、舌を大きく突き出し、ハアハア言いながら白く粘ったよだれを垂れ流した。こんまま三日三晩待つんじゃと婆さんは言い、私を家の中に戻した。そして三日三晩が過ぎたその日に、婆さんは私に一生懸命研がせた鉈を持たせて、裏庭に連れ立ち、犬の目を見ながら一気に首を落とすんじゃと言った。首を叩き切ったところはあまり思い出したくないが、頭の中には日本テレビのドキュメンタリー番組「素晴らしい世界旅行」が浮かんでいた。16ミリ画像の中の血なまぐさい映像。
こうしていくつかの儀式という手続きを経て、私の犬神が完成したのだが、今でも私の部屋の押し入れの中に新聞紙にくるまって収まっている。私は理解している、犬神なんてものは結局気休めなのだと。全世界の呪術、魔術、儀式がそうであるように、相手を呪い殺すための魔法は存在しないのだ。真の魔法の目的は人間そのものの心に深みを与えることにある。私は犬神を製造して、確かにある意味では精神力が強くなった。どんな無残な死体を見ても動揺しなくなったのである。いいことなのか悪いことなのかは分からない。これも私自身が選択したことだ、何も言わず現在の私自身の心に従うだけだ。
私は犬のミイラを南大野の近くの雑木林の中に埋めた。今日はここまで。


2005年07月29日(金) 他人の夢に登場する。

私が見る夢は、その日の調子にもよるが、ほとんどが幻想と怪奇の世界である。
その世界に、私とつきあっているナマの友人、知人が「出演」することは、ほぼ毎日なのだが、その話はあまり相手にしない。
私が相手を、ほんとうはどう思っているのかを打ち明けるようなものだからだ。
従って、「昨日の夢に、おめえが出てきたぜ」と話すのは、お互いくだけた相手に限る。
で、そういう相手もまた、私が夢の中に出てきたことを話してくれるのだが、今回は他人の夢の中の私について。
まず。
私が初めて他人の夢の中に登場したことを知ったのは、中学の時だった。
ほとんどつきあいのない、クラスメートのK子と音楽室で隣の席どうしになった時、ノートにいきなり筆談で、「あなたの夢を見た」と書いてきたのだ。
私は最初、おいおい、ギャグか?と笑ったものだが、真剣に、熱っぽく夢の内容を語るので、なんともいえない気分になった。
何でも、K子の夢の中で、私は肉切り包丁で先生やクラスメート全員をメッタ切りにして、なお、その血肉を貪っていたのだそうである。
ハッキリ言って、気分が悪くなった。
「おまえ、オレのことをそう思ってたのか?よく分かったぜ」と捨て台詞を吐いたことを覚えている。
でも、後で思い返してみると、そう思われても仕方のない、何かが当時の私の中で渦巻いていたことは確かだった。
常に、イラついていたのだ。
次は、高校の時の倫理の先生。
もうかなりの年配の男性だったが、どうかすると、私がいつも決まったシチュエーションで現れて、重苦しい悪夢を見せるのだそうだ。
湖の真ん中でボートに一人乗って、釣りをしていると、全裸の、真っ白な肌をした私が水中で仰向けに漂いながら、にこにこしているというのである。
で、いつも、汗びっしょりで目覚めるとか。
当時の私は、それを聞かされて、どんなリアクションをしたか。
「消化のわるいものを食べたんですかね?」
鼻で笑ってそう言った。
そういう風に、いつもロクでもない役割ばかりだったわけだが、最近、沼正三先生の「家畜人ヤプー」を読んだ同僚が、ヤプーに改造された私を夢に見て、すごく納得したのだそうである。
「家畜人ヤプー」の世界で、私は登場人物のリンやクララ、ポーリーンたちを前に、イース帝国を作ったのは日本人だ、日本人が絶対的支配階級になるために、支配されるものになったのだと告白したというが、同僚もまた凄い夢を見たものだ。
初めて、悪い気がしない、他人の夢の中の私自身であった。
ともかく。
怪人や怪物、妖怪として登場することが多い私。
そのいずれも、私の、その人にとってのほんとうの姿として、ひとつの戒めとして受け止めたい。
今日はここまで。


2005年07月28日(木) おぼろの闇のなかでほほえむ。

今回は、杉浦日向子さんの思い出を、あれこれと書いてみたのだけれど、同時に、師への悪口になってしまったので、削除しました。

ただ一言。

貴女を、江戸時代へ現実逃避していると悪く言う人がいるけれど、私から見れば、むしろ、江戸に身を置くことで、心は常に現実の生活、社会を見つめていたと思います。

一歩下がることで、全体が見えてくる・・・。

そうして、自分を貫くことのカッコよさ、粋の極みを教えてくれた杉浦さん。
私のなかでは、「百物語」のなかの物の怪のように、もわもわとした、おぼろの闇のなかでほほえんでいて欲しいので、あえてご冥福はお祈りしません。
いつでも、口寄せでお呼びしますから、その時、またゆるゆるとお話しましょう。
今日はここまで。


2005年07月23日(土) 地震だ!のこと。

今日の夕方、デカイ地震がありました。
その時、犬神博士はどこにいて、何をしていたか。
浅草のお寺にて、一番に応募してきた「泣き女」の女性たちを面接していました。
その瞬間。
素の悲鳴を聞けたのは、なかなか参考になったけど。
この私は、恥ずかしながら、裸足で門の外までダッシュしていました。
携帯も、財布も、何も持たず。
身につけていたのは、パンツとインディゴ・ブルーの作務衣だけ。
それにしても、デカかったよ。
停めていた車なんか、前後に揺れているんだもん。
住職の従弟は、まだ病院(整形外科にてヘルニア治療中)だけど、何とか無事だったし、副住職のミスラ君は、私服で仲見世を歩いていて、結構パニクったけど、何とか帰ってこれたし。
その後は、家族、会社、友人、そして教え子たちから生存確認のメールがバンバン。
大丈夫です、臆病なウサギほど生存確率が高いといいます。
ていうか、これだけの地震があっても、のんびりとせんべいかじってるか、大丈夫、大丈夫とやり過ごしているような輩は、真っ先におっ死にますね。
今度から、財布と携帯くらいは、持ってダッシュするようにしよう・・・
真剣。
で、市川の自宅。
心配していた屋根裏には、目立った被害はなかったけど、二階のガイコツがテレビの上から転げ落ちて、バラバラ。
メシ食いながら、組み立て直しました。
いやあー、びっくりした。
でもいいきっかけになったよ。
緊急時に、その人の本性が出るというけど、
私は、ほんとうに、生きることへの執着が強いです。
それはあらためて、分かった。
まだまだやることがあるんだ、オレは死ねん!
この一念ですから。
ともかく、私は宇宙人が侵略してこようとも、何とか生き延びてみせます。
ニヤッ。
今日はここまで。


2005年07月21日(木) 泣き女を募集します。

暑くなると、お盆を待たずに、新仏さんが増えます。
そこで、当寺独自のサービスとして、お通夜、告別式の二日間、「泣き女」をつけることにしました。
東南アジア文化圏ではおなじみの「泣き女」。
お金をもらって、依頼主の家の故人のために、心を込めて泣き叫ぶ商売です。
これに、私個人の見解も加えました。
即ち、アイルランドのバンシー。
人が死ぬと、泣き叫ぶ妖精のことで、このニュアンスに従って、「バンシーのような泣き声」を基準に、バイトを選ぼうと思います。
日当は、二日間で、二万円。
交通費は別。
つまり、一件につき二万円です。
浅草まで時間厳守で通える、高校生から老婆までの女性。
泣き叫ぶことに自信のある方のみ、エンピツフォームからメールを下さい。
おって、面接の日時と場所をご連絡いたします。
冷やかしは厳禁。
一応、大真面目です。
にっこり。
今日はここまで。


2005年07月19日(火) 身は苦界、心は浄閑寺のこと。

生きて苦界、死しては浄閑寺。
遊女の投げ込み寺として、その名をはせる浄閑寺。
ここと私の縁は、決して浅くない。
祖父の妻、つまり祖母の菩提寺で、祖母はかつて吉原の遊郭に身を沈めていたことがあるのだ。
実家の借金を返すために、十五で吉原に売られて、二十四で祖父に水揚げされて、お寺の正妻となった。
お寺に嫁いだのだから、当然、お寺を菩提寺とすべきなのだが、祖母は頑強に拒否した。
「あたしのお世話になった、ねえさんたちが眠ってる、浄閑寺があたしにとっての菩提寺でござんす」
そう啖呵を切って、親族たちを黙らせたという逸話をオヤジから聞かされたものだ。
それを思い出す度に、私はしみじみと微笑する。
それで、祖母と祖父にはそれなりの距離があり、市川に祖母専用の家が建てられたわけである。
私はお寺のある浅草で生まれ、ほとんどすぐに市川の祖母の家で育った。
私に遊郭の血が流れているというのは、全然気にならなかったが、世間様は常に好奇の対象としてきた。
知人のAV男優の娘さんも、父親の職業ゆえに好奇の対象にさらされているそうだが、彼女も少女ながら、常に無視するという処世術をとっている。
言いたい輩には言わせておけばいい。
今。
私のなかの、祖母の血が浮上してきた機会がやってきた。
今日、我が家に来宅した、「会田誠のTシャツをあげる約束をしている子」が、そういう、遊郭の世界がものすごく大好きな子だったのだ。
お友達と来宅した、カナちゃん。
見ただけで、ギラギラした欲望がうねっている、健康的な巨乳セブンティーンだった。
沙羅双樹をあしらった、派手なシャツに、大きなこれまた派手めのスカート。
そのセンスに、私は八十年代の匂いを懐かしく感じて、にっこり笑った。
屋根裏の書斎で、私の蔵書のなかから、春画とか昔のエロ関係を貪るように漁って、鰻を食べて、例によって、いっぱい荷物を抱えて帰ったのだが、久しぶりに心の底から凄みを感じさせる女の子だった。
祖母と同じく、筋が通っている。
それだけでなく、自分自身の欲望や内部世界にどれだけ、ストレートであるか。
そういう人種は、ほんとうに稀である。
なろうと思ってなれるものじゃないからだ。
今度、祖母のお墓参りをする際に、カナちゃんを浄閑寺に連れていくつもりだが、祖母も含めた、眠る遊女たちを前に、彼女は何を感じるだろうか。

おんなの悲しみ。
おんなの痛み。
おんなの苦しみ。
おんなの・・・

そこから、咲く花のうるわしさを感じることが。
永井荷風の心境を追体験することが。
おんなの艶やかさをものに出来る、心の化粧なのだ。

「色は匂えど散りぬるを」。

今日はここまで。


2005年07月15日(金) 明太子食ったら、ミュージック・バトン。

紋が博多土産として送ってくれた明太子を今日で完食。
大変美味しゅうございました。
そしたら、絶妙なタイミングで、博多から上京してくる「会田誠のTシャツをあげる約束をしている子」から、ミュージック・バトンが。
以下に書いてみました。

――――――――――――――――――――――――
Q1.Total volume of music files on my computer
(コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
――――――――――――――――――――――――

ゼロです。根がアナログ人間なので、音楽はステレオかラジカセで聴いてます。

――――――――――――――――――――――――
Q2.Song playing right now (今聞いている曲)
――――――――――――――――――――――――

アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの「3Thoughts」。

――――――――――――――――――――――――
Q3.The last CD I bought (最後に買ったCD)
――――――――――――――――――――――――

映画「ノスフェラトゥ」のサントラ。ポポル・ヴー最高!

――――――――――――――――――――――――
Q4.Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me
(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
――――――――――――――――――――――――

遠藤ミチロウ率いるスターリンの「Fish Inn」、スティクスの「ミスター・ロボット」、
頭脳警察の「それでも私は」、シスターズ・オブ・マーシーの「アナコンダ」、
そして東海林修の「スタンレーの魔女」。

――――――――――――――――――――――――
Q5.Five people to whom I'm passing the baton
(バトンを渡す5名)
――――――――――――――――――――――――

リリィ、紅蜘蛛、紅胡蝶、ヴィイ、鬼姫。これら可愛い教え子たちのうち、二人のサイトは止まってるか、行方不明ですが・・・。
分かりにくくてすんません。ニヤッ。

以上。
こうして見てみると、暗いセレクトだなー。笑。
でも、全部を知ってる人がいたとしたら、アナタは絶対ワタシと同世代です。
今日はここまで。


2005年07月13日(水) イーゼルの森のなかへ。

高校時代。
ラグビー部の練習が終わると、いつも、美術部で絵描きが始まる。
ドロだらけのラガーシャツのまま、椅子に腰を下ろし、キャンバスに向かい合い、パレットに油絵の具を出し、筆の毛先をしならせつつ、絵の具をこねる。
思い出す・・・
そこは、常に、油絵の具の匂いがあった。
そして、常に、イーゼルの森があった。
イーゼルの森のなかを、曲がりくねって、迷宮のように並べられた机や椅子の間を縫うように、行ったり来たりするのが好きだった。
数歩歩いて、数歩下がる。
後ろ向きに歩いて、今度はゆっくり進む。
そうすると、現実はだんだん、「現実的」に、薄くなり、ぼやけていく。
自分の心のなかの風景が、目のなかから溢れてきて、周囲を覆うのだ。
そこには、ラグビーでのタックルやスクラムの肉体の悲鳴、軋みに匹敵する、もしくはそれ以上の、精神の悲鳴と軋みがあった。
それをいかに、自分のものにするか。

人物画を何枚も描いていたことがあって、その一環として、ヌードデッサンをやるのに、クラスメイトの女の子や、書道の若い女講師などをくどいて、春休みや夏休みの部室で脱いでもらった。
「変なことしない?」
「オレが興味あるのは、女性美だけ。チンコを超越したものなんだ。しないよ、安心しな」
いつもこんなやりとりで、一生懸命、相手の肉体美を鉛筆で写し取っていたのだが、ある女性の先生は、恥ずかしいから何か音楽かけていい?と言ってきたので、もちろんどうぞと答えた。
その時流れた音楽は・・・

ぼくのみる夢は ひみつだよ
だれにもいわない ひみつだよ
赤いマント ヒラヒラ
馬をとばす王子 それがぼく
タラッタラ・・・・・・

ひらけよ お城 朝日がのぼる
王子さまの おでかけ
ラララ ラララ

昔のテレビアニメの「リボンの騎士」のテーマソングだった。
先生の緊張をほぐすための音楽というと、少女時代に愛好していた歌だというわけだった。
私はリアルタイムでは知らなかったが、その時、その歌を初めて聴いた時、何か得体の知れないショックを受けた。
描いていた先生のヌードのなかに、何かが見えたのだ。
その時は何だか分からなかった。
しかし、後に、ウィリアム・ブレイクやティモシー・リアリーなどを知るようになって、自分の内部風景がストレートに見える人間は、相手の内部風景もストレートに見えることが分かって、あの時見た何かは、先生の内部風景だったのだと分かった。
「先生、緊張しますか?」
「うん、する」
「でも、それが気持ちいいでしょう?」
「・・・そうかもしれないわね」

描きあがった絵のほとんどは、高校の美術部に今でも眠っているが、ヌードデッサンだけは、モデルをつとめた相手に全部あげた。
ただし、リボンの騎士の先生の絵だけは、美術室の準備室の雑然とした狭い部屋の片隅に、今でも飾られている。
美術教師が何代変わろうとも、その絵はそのままだそうだ。
私は同窓会の時に、何回か、美術室の準備室の絵と再会したが、内部風景が見えた瞬間のショックはそのままだった。
あまりにも新鮮なので、一度沸き起こった、独占欲、自分の家に飾ろうという気持ちは霧散してしまった。
眺めているだけで、緊張する。
そういう感覚は、みんなで共有するべきなのだ。

イーゼルの森のなかへ・・・

それぞれの心のなかへ・・・

今日はここまで。


2005年07月12日(火) 橋本真也に捧げる。

ついさっき、創価学会の若いのと大乱闘をした。
理由は簡単、私が気に食わない、私も気に食わないからである。
今までに何度も、話し合いをしてきて、もうムダと分かったので、拳で話し合うことにしている。
で、お寺に寄って、浅草橋のおもちゃ問屋のあたりへ花火を買いに行ったら、兄ちゃんたち三人組にインネンをつけられたわけだ。
その時の私は、よりによってオレの誕生日に、好きなプロレスラーの橋本真也が急死するなんてと、すごくショック状態だったので、すぐに発火した。
袈裟斬りチョップを連発したり、重爆キックを放ったり、ジャンピングDDTを繰り出したり。
必殺技の垂直落下式DDTは、アスファルトの上ではさすがに危険なので、あえて封印。
しぶといのがいて、橋本スタイルだけでは倒せなかったので、私の得意の右ストレートで沈めた。
ちょっと唇を切り、擦り傷をいくつか作ったが、今回も腐れ学会どもに地面を舐めさせてやった。
でも、ちょっと不安要素が出てきた。
やはり、三十六歳を迎えた今、体力の衰えを感じている。
昨日の夕方、紅蜘蛛お嬢様に銀座のマキシム・ド・パリでディナーをプレゼントされたのだが、食後の葉巻が濃すぎて全部吸えなかった。
おまけに血圧が高めなので、橋本みたいに死ぬ可能性は否定出来ないのだ。
少しずつ、運動量を増やしつつ、ラグビーをやっていた高校時代の身体に戻さなくては。
北斗の拳とプロレスに影響されて、スクワット一万回とか、十キロダッシュとか、超人的トレーニングをしていた頃の肉体に。
私はガチンコが好きだったので、前田日明のUWFを信奉していたものだが、一度、新日本プロレスの道場へ友人たちと見学に行ったことがあって、そこでサンドバックを相手にキックの練習をしている橋本を見て、すごくショックを受けた。
サンドバックが天井近くまで浮き上がるのだ。
つまり、こんなキックをモロに食らったら、確実に死ぬ。
それ以来、私はプロレスラーはみんなガチンコだと思うようになった。
例え、ハッスルでショー的要素が濃い試合を展開しようとも。
肉体はウソをつかないのだ。
ウソをつかないために、肉体は常に鍛え続けなければならない。
橋本の急死はまさしく、鍛錬の場である実戦のリングから離れたせいだ。
止まってはダメなんだ。
止まったら死ぬ。
走り続けなければ。
さらに、足を高く上げて、地面を思いっきり蹴れ。
南無不動明王、橋本真也の魂にさらなる速さを。
合掌。
今日はここまで。


2005年07月11日(月) 誕生日に映画を。

本日は私の誕生日である。
三十六歳になった。
で、先ほど、下町で剛さんと会った。
先日から詰めている、映画のビジュアルと見通しが、ようやく「見えて」きたという感じで、この「見えた」という感じが、実は最大のプレゼントであった。
私も映画、即ち、映像に人生を賭けている人間である。
見たことのない映像を。
聴いたことのない音像を。
そして・・・未だ体感したことのない、感覚を。
先へ。
もっと先へ。
もっともっと先へ。
オレたちは速すぎて、「発光」する。

その先は・・・

その先へ・・・

止まることなく、うねり続け、のたうちまわり、悶えつつ、叫び続け、走り続ける。

今日はここまで。

追記。帰路の途中、金町駅のあたりで真っ赤に錆びた、巨大な鉄球を見た。一体何だろう。気になる。映画に使えそうだ。


2005年07月04日(月) サカキ流護身術、ハンガーヌンチャクの復活のこと。

最近、娘のサカキが日用品を使った護身術に凝っている。
それまでは、居合い抜き、手裏剣、日本拳法と一通りの武術を習得してきたのだが、痴漢を木刀でメッタ打ちにして以来、木刀を持ち歩くことを禁じられたので、日用品を使って相手を倒すことに凝り始めたわけだ。
そのひとつが傘。
傘の石突きで相手の喉仏を貫き通す、柄の握りで相手の顎を打ち、柄を鉤代わりに相手を後ろから目をえぐる・・・などなど。
もうひとつはタオル。
時代劇で、遠山の金さんが手ぬぐいを水に濡らして、相手をバッタバタとぶちのめすのがあるが、あれと同じことを濡れタオルでやろうというわけである。手ぬぐいよりも水気をたっぷり含む分、強度ははるかに上だ。
水に濡らす機会がなければ、真ん中に石を置いて、それを包んで振り回せばよい。
似たような用途で、女ならではの武器がある。
ブラジャーがそれ。
ブラジャーの片方に石を入れて、遠心力の応用で振り回して、相手にぶつけると、ただぶつけるより、何十倍ものの破壊力がある。
頭蓋骨などウエハースのように砕けるだろう。
最後に、ハンガー。
洋服をかけるやつである。
これは部屋の中に侵入してきたストーカー相手に限っての想定なのだが、武田鉄也が映画「刑事物語」で披露したハンガー・ヌンチャクを本格的に身につければ、たいていは撃退出来る。
プラスティック製ではなく、木製が望ましい。
現在、サカキは「刑事物語」を何回も見ながら、ハンガー・ヌンチャクを練習しているが、結構楽しいらしい。
後、護身術の極意は、何といっても集中力である。
ただの正拳突きでも、これでもかという集中力を加えれば、自分自身の限界を超えることが出来る。
あるキックボクサーは、鉄柱を思い切り蹴り上げることで、精神鍛錬をするというが、そういうことなのである。
そこで、サカキに私なりの集中力鍛錬のやり方を教えた。
細い竹ひごで、油粘土のブロックを勢いよく貫き通すのである。
これはなかなか出来ないことである。
力を入れすぎると折れるし、力を抜くと刺さっただけになるからだ。
この極意を会得することで、サカキはさらに高みに上がるはずである。
道場で自衛隊の現役隊員に子供扱いされて泣いて帰ってくるらしいが、相手よりも、自分自身に打ち克つことが、強さの秘訣であり、最大の護身である。
今日はここまで。

追伸。スタンガン相手の護身術も開発しているけれど、これは単に、高圧電撃に慣れるだけというやつだから、心臓の弱い方には勧められない。


2005年07月01日(金) 肉体販売者のこと。

AV女優で知られている、林由美香さんが亡くなった。
あまりにも早すぎる、あっけない死にはほんとうに驚いたが、あらためて思うと、彼女もまた「速い」人生を疾走して、彼方へ向かったのだろう。
南無。合掌。
今回は、AVも含めた肉体表現について。
九十年代の初め、あるAV女優さんから頂いた名刺には、「肉体販売者○○○」とあった。なかなかインパクトがあったが、当時、交友していた暗黒舞踏家の名刺にも、「肉体販売者XXX」とあったので、一瞬、二人は同じ組織に属しているのかと思ってしまった。
AVと暗黒舞踏がなにゆえに、「肉体販売者」の売り文句に行き着くのか。
簡単である。
それが「売春」ではありえない、「肉体表現」だからだ。
彼女と彼は業界に生きるプロである。プロである以上、自分自身を販売して、メディアに記録されるだけだ。
そこに、生活感はほとんどない。
メシを食うためとか、借金を返すためとか、家族を養うためとか。
自分自身を表現するのは、もっともっと大乗的なものだ。
それを分かっているプロだからこそ、「肉体販売者」の名刺を作ったのだろう。
・・・・・・
最近、剛さんと代々木で、「日本語を喋るキレイな外国人女性」に会ったのだが、出演者として使うならAV女優の方が断然いいという結論に至った。
低予算ゆえに、見込みのある素人か、無名俳優を使うのは、私たちだけの話ではないのだが、せっかくキレイな顔や身体をしているのに、そんな自分自身を裏切っているのは、作品上好ましくないどころではない。
考えると、
「肉体販売者」という言葉に、すぐさま「売春」などのいかがわしいイメージを抱いてしまう一般的な反応を見越して、挑発的に、挑戦的に、自分自身を表現し、貫き通すという「潔さ」があの二人にはあった。
そして、
私たちはそういう「潔い」人を作品に使いたいのだ。
・・・・・・
林由美香さんは、まさしくそういう、潔い人だった。
そして、彼女に続くAV女優たちも潔い。
単に憧れるだけで飛び込もうとしないのに比べたら。
キレイと言われるだけで満足しているのに比べたら。
彼女たちの方が速い。
断然速い。

人生に速さを求めるのなら、頭のてっぺんから、足のつま先まで、
そして、心のなかまで、
全部飛ばすための燃料にしなくては。

・・・・・・
常に、自分自身に緊張していなければ・・・生きている価値がない。
そういうことなのだ。
今日はここまで。


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