(仮)耽奇館主人の日記
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| 2005年06月22日(水) |
彼方へ向かうために。�� |
我が国において、奇書とされる某大作の著者先生にお会いした。 その大作を読んだのは、中学生の時だったから、こうしてじかに言葉を交わすなんて、ほんとうに夢のようだった。 その作風から、著者はヘンタイの極みだのなんだのと、さんざん推測されたものだが、「花と蛇」の団鬼六先生がそうであるように、全く普通の、物腰の穏やかな老紳士だった。 ご自宅も、絶対、どこかにプレイ用の地下室があるなんて想像したものだが、実際にお邪魔してみると、何の変哲もない民家であった。 その代わり、書斎の蔵書は、かなりの蔵書量を誇る私でさえ、肝を潰すくらいのレアものの山だった。 それで、地下室があるとしたら、きっと先生の頭の中なのだなと気がついた。 本を読むことで、頭の中の地下室にこもって、想像力の世界に遊ぶ。 そういうことなのだ。 ・・・・・・ 先生が大作を書いたそもそものきっかけは、ジョナサン・スウィフトだという。 「ガリバー旅行記」で知られる、人類史上最大の風刺作家だ。
「ガリバーはほんとうに抜けたよ。スウィフトの肖像画を見ただけで勃起したくらいでね」と先生。
後で、帰宅中途、同行していた仲間が、「ガリバーなんて、抜けるところがあったかな?」と聞いてきたが、私は全く呆れかえってしまった。 「内田春菊の『南くんの恋人』を思い出してみなよ。抜けるところ、いっぱいあるじゃねえか」と私。 「あっ、巨人国と小人国か」 「そう。先生は詳しく言わなかったけど、多分、自分をその国に遊ばせて、巨人の女の身体を冒険してみたり、小人の女を自分の身体に這わせてみたり・・・色々想像して抜いたんだと思うよ」 「なるほどなぁー。犬神もそうやって抜いたのかい?」 「うん、中学ん時さんざんやったよ」 ・・・・・・ きっかけはスウィフトだが、ガリバーではない。 「奴隷訓」というスウィフトの作品があるのだが、このなかの一文に大変なショックを受けたそうである。 その一文とは。簡単に述べよう。
かつて、マリー・アントワネットは、「パンがないなら、お菓子を食べろ」と言った。 ところが、スウィフトは、「奴隷訓」のなかで、「パンがないなら、自分の子供を食べろ」と提言しているのである。
この強烈無比な一文に、人生観が一変し、ショックが癒えると、衝動的ななにかに憑かれるまま、小説を書き出していった。 それがきっかけだという。 私も読んだことがあるが、今時の若者言葉でいう、超クールという表現など足元にも寄せつけない、黒いなにかで満ち満ちているのを感じた。 しかし、ここが一番重要なのだが、一読して決して暗い気分にはならない。それどころか、明日への希望に満ちた、一種の爽快感さえ感じるのである。
「歴史において、SMの元祖はサド侯爵だというのが常識だけど、私のなかでは、スウィフトが元祖だね」と先生。
サドの場合は、アトモスフィア、即ち、雰囲気、そしてシチュエーションの描写にこだわった。 しかし、スウィフトは、それ以上の、人間性の根本的なものを覆すことにこだわった。 この点で、スウィフトの作風に、SMの原点を感じるということには、私も大いに賛同する。 ・・・・・・ 「もしかして、おめえ、ガリバーって子供向けの絵本とかでしか読んだことないんだろ」と私。 「実はそうでございます」と仲間。 「子供向けじゃあ読めないものが原作にはあるんだぜ。馬に飼われる人間の話がそれさ」 「うわー。早速、買って読まなきゃあ」 「ちなみに、スカトロジーの『桶物語』は手に入るようだが、『奴隷訓』は無理だ。おめえの前では、先生とオレしか持ってないよ」 「ガリバー読んだら、貸してね」 「いいとも。本てのは飾っとくもんじゃないからな。どんどん栄養にしなよ」 ・・・・・・ 彼方へ向かうために。 頭の中に地下室をつくれ。 想像の世界で遊ぶために。
彼方では・・・ 君の想像したものがすべて待っていると・・・
そういう風に想像しながら生きることが、人生を生き延びるコツである。
現実とはそこにあるだけではない。 想像して生まれるものもあるのだ。
今日はここまで。
| 2005年06月21日(火) |
彼方へ向かうために。�� |
最近、面倒を見ているインディーズのひとつに、聴覚障害者だけで結成された四人組のユニットがある。 今年に入って結成されたばかりなので、まだライヴのひとつも行っておらず、もっぱら練習のみなのだが、私はなかなか面白い音源だと感じている。 ジャンルは、インダストリアル・ノイズである。 そもそも、この四人は、私の個人的な友人であり、例の国府台の施設の遠い後輩であるのだが、重度の聴覚障害で、補聴器をつけても全く音が聴こえない。 それがユニットを組むことになったいきさつはこうである。 リーダー格の一人を自宅に招いた際、ドイツのアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのアルバムを大音量で「感じさせた」。 スピーカーの前に、空の灯油缶を置いて、それに両手で触れさせることで、震動を感じさせたのである。 そういう聴き方で、リーダーも含めた四人は、映画「鉄男」のサントラで知られる石川忠や、ありとあらゆるパーカッションの音源を頭の中に録音していった。 その結果、自分たちなりの、音源を創る気になって、ユニットを組むことになった。 スピーカーを自分たちに向けて、足の裏などでスピーカーに触れながら、打楽器や鉄弦を奏でて、リズムを創っていく。 最初、創られた音を聴いてみると、これが超高音、超低音の繰り返しで、実に耳障りな感じだった。 で、この耳障りな感じを突き詰めて、もっと破壊的に創らせてみると、なかなか脳みそ直撃という感じで、ノイズ系が好きな人にはたまらない音に仕上がっていった。 バイクのチェーンで、シンバルを撫でたり、ドラムを軽く、強く叩く。 布やすりで、ギターやベースを弾く。 鉄琴をスパナやハンマーで叩く。 マイクを近づけすぎて、目玉が飛び出そうなハウリングが響き渡ることがあるが、それすらもリズムのひとつにしてしまう。 まだまだ改良の余地はあるが、個人的には、マーク・ポーリンみたいに育て上げていきたい。 生まれてこの方、一度も音を聴いたことのない四人が奏でる音源を、耳障りなメチャクチャなノイズだと感じる人は、多分、速さも遅さも関係ない世界に住む人だろう。 私たちの周りでは常に、世界が速く走っている。 速い者たちだけのために、創られる音楽なのだ。 現実との摩擦をなくすために、響き渡る高速金属音。 その震動そのものに、四人の彼方への想いが込められている。
オレたちはもっと、もっと、速くなる・・・
鼓膜を破るくらいのハウリングで、ぶっ飛べ! 今日はここまで。
| 2005年06月20日(月) |
彼方へ向かうために。�� |
土曜は久しぶりに、桜の君が来宅した。 課題で、火曜までに百枚もドローイングを描かなければならないため、私の部屋のあらゆるものを見つめては描きまくっていた。 以前よりはゆったりした感じになってきたが、まだまだ忙しい学生の身なので、かなりテンパっている。 しかも、風邪をひいてるときている。 そこで、いくら丼やら、人肉スープやら、精のつくものを一緒に食べた。 以前の桜の君なら、もうおなかいっぱいと、ギブアップ宣言したものだが、今回は出されるもの全てを平らげてしまった。 いっぱい食べられるようになったのは、どうやら空腹だからではないようだ。 ストレス解消なのである。 ・・・・・・ ストレスがたまらない人間は、一人として存在しない。 それが例え、重度の障害者であってもだ。 その証拠を、柴田剛さんの映画「おそいひと」で観た(先週来宅した際、ビデオを頂きました。剛さん、ありがとう!)。 桜の君は、私が料理している間、ずっと観ていたが、感極まったらしく泣いていた。 彼女も、私自身も、「おそいひと」に感情移入する、もろもろの理由がありすぎるのだ。 その理由については、詳しく説明したくないので、ここでは述べない。 とにかく・・・ 当然のことだが、現実というものは、自分が思い描くものとは、ズレがあったり、全く異質なものだったり、そうかと思うと、ぴったり当てはまるものがあったり、びっくりするほど想像以上のものがあったりする。 要するに、摩擦というものがあるわけだ。 摩擦そのものを楽しみながら、今を克服しつつ、乗り越えるという生き方もあるのだが、それがなかなかうまくいかないのが人生である。 そこで・・・ ストレスがたまる。 人間には、ストレス解消を本能的に行う、自己防衛本能があるらしく、その方法が、例え、破滅的、破壊的なやり方であっても、摩擦に向かって激しく抗う。 不愉快、ムカつく、沸騰する殺意などのマイナスを、真っ白なプラスに塗り替えるために。 現実そのものに、自分の世界を侵犯させるのだ。 食欲、性欲、睡眠欲だけでは癒されないストレスを真っ白にするために、オレは誰よりも速くなる。 何よりも速く。 ・・・・・・ それは決して自暴自棄ではない。他の人にはそう見えても、実は違うのだ。 自分で選択した以上は、決定的にそれは違う。 壊れてしまうくらいに速いから。 気持ちいいくらいに速いから。 真っ白になるくらいに速いから。 オレは救われる。 ・・・・・・ 実は、柴田剛さんの「おそいひと」を初めて観た時、一緒に観ていた人がいた。 幼なじみのせむしの社長だ。 私が惚れ込んだ映画作家だというので、興味を持ったのである。 一見して・・・ 私も社長も涙を流していた。 自分たちもそうであったかもしれない。 そうなりたかったという思い。 速さへの憧れ。
「今からでも遅くねえ、オレらも住田さん(「おそいひと」の主演)みたくやっちゃうか?」と社長。 「そのうちにな。今はまだその時じゃねえ」と私。
・・・・・・ 以前は、紅蜘蛛お嬢様とおなじく、真っ赤な、赤い蜘蛛を吐き続けていた桜の君。 今は、吐かなくなったが、ゆったりしてきた代わりに、ゆるゆるとした地熱のようなものを感じる。 私は、桜の君と同じ年頃の私自身を思い返す。 切腹しかけた腹の傷が生々しい頃、私は叫びをじっとこらえることを覚えた。 その代わり、体温が高くなった。 そういうことなのだ。 速さへ向かって、エンジンは熱く焼ける。 彼方へ向かって、オレたちは真っ白になる。 今日はここまで。
| 2005年06月19日(日) |
彼方へ向かうために。�� |
最近、SMがらみで、男女関係の相談をされることが多い。 ご主人様が他の牝奴隷にかまうのがイヤだとか、牝奴隷に裏切られたとか、そんな類いの話を延々と聞かされるわけである。 私は一言。 別れろと即答することにしている。 SMとは、決して、男女関係のためのものではない。 あくまでも性生活のひとつのやり方なのである。 体位とかの技術的なものだ。 沼正三の「家畜人ヤプー」を読んでも分かるように、究極を極めてしまえば、そこにはホレた、ハレた、の人間臭い関係など微塵もありえない。 大体、主従ごっこをするために、SMをすることからして間違っている。 ごっこはごっこらしく、気軽に愉しみ、遊んでおけばいいものを、ドロドロした男女関係に持ち込もうとするのが、私はたまらなく嫌悪感を感じる。 人間は何かを心の中で崇拝しなければ生きていけない。 例え、それがSMであっても。 それだけに、SMそのものは崇拝に値する、絶対的なものでなければならない。 つまらない男女関係で穢すなどもっての他だ。 恐らく、Sを気取るご主人様たちが、男女関係に失敗し続けるのは、SMをセックスに利用しているためであろう。 つまり、中途半端なSMなわけだ。 セックスなしのSMも存在するなんてことも知らないようでは、底の浅い人間のままで、すぐに飽きられるのは必定である。 同時に、牝奴隷がご主人様に不満を感じるのは、その時点で、牝奴隷の自分自身を否定しているわけだ。 自分自身の汚い部分、恥ずかしい部分などの全てを預けきっているご主人様を、ちょっとでも疑った瞬間で、もう主従関係は霧散している。 私は別にフェミニストではないが、ほとんど、S側の男たちに責任があると確信している。 馬だって、駄馬のままだったら、それは調教師が全面的に悪いということになる。 同性としてつくづく思うのだが、最近の男はほんとうに底が浅い。 中身に比例するように人生経験も浅いのが原因なのだろうが・・・。 まあ、ともかく、無理に関係を続けても、ちゃんとしたSMをプレイ出来ないだろうから、さっさと別れて、自分自身を磨くことに精を出すべきである。 というか、いっぺん、ご主人様はSMクラブで女王様の調教を受けるのが一番話は早い。 プロのS女性の鞭のくれ方ひとつにしても、決してそれが力任せではないことが分かるだろう。 緊縛にしてもだ。 全てにおいて、調教はただの征服欲によって成り立つものではないことに気がついて初めて、ご主人様は、牝奴隷を飼う資格がある。 そして、馬が乗り手を選ぶように、牝奴隷も相手を選ぶのである。 かように、SMがいつまでたってもいかがわしい目で見られるのは、いつまでたっても、つまらない男女関係に利用しているからなのだ。 私としては、一日も早く、「家畜人ヤプー」のような絶対的な領域そのものになって欲しい。 そうでなければ、22世紀を迎えても、まだ私はつまらない相談を受ける羽目になるだろう。 今日はここまで。
| 2005年06月14日(火) |
追悼・倉橋由美子、あるいはミシマを愛した少女のこと。 |
先日、小説家の倉橋由美子が永眠した。 享年六十九歳。 新聞では「残酷童話」の作者と説明していたが、全く浅はかな見方である。 三島由紀夫、澁澤龍彦、中井英夫などに続く、我が国が誇る暗黒文学の巨星なのだ。 人間の暗黒面を描く上で、倉橋由美子の作風は、ストレンジという表現がよく似合う。 私が一番最初に読んだのは、「ヴァージニア」という短編だった。 これはヴァージニアという女子学生が男たちに自分の肉体を与え続けるという話で、当時中学生だった私に、決して自分のためではないセックスを続けるということで、沸き起こる芳しい謎の快楽を教えてくれた。 これは、今読んでも、なぜか泣けてくる。 「ポポイ」、「パルタイ」、「聖少女」などなど・・・ドアーズのジム・モリスンが歌う中で、倉橋文学を愉しんだ中学時代だった。 小説は作家の魂の内側を再構築したものであるがゆえに、作家もまた小説そのものであるという真理に従えば、倉橋由美子本人もストレンジな少女であった。 三島由紀夫の大ファンで、当時、楯の会を結成していた三島宛てに、「楯の会に入隊したい」と手紙を書いたそうである。 それに感激した三島は、直々に、楯の会の制服を彼女にプレゼントしている。 全く、微笑ましいエピソードではないか。 きっと、倉橋由美子は、泣き叫ぶほど感激し、感情の高ぶりがおさまると、姿見を前に、制服を着てみて悦に入ったことだろう。 ・・・・・・ そんな彼女の遺作は、テグジュペリの「星の王子さま」の新訳である。 このことを知った時、私は静かに、翻訳中の倉橋由美子の内部風景を想像してみた。
「たいせつなことはね、目に見えないんだよ・・・」
王子さまがそう言う時、誰もが胸を締め付けられるように、彼女も締め付けられながら、ふいに気づいたに違いない。 王子さまの言動と、三島由紀夫の言動があまりにもぴったり重なることに。 そうなのだ。 目に見えない美しいもののために疾走した二人は、あまりにも似すぎている。 それに気づいてからは、恐らく、彼女は三島への愛情を込めて、翻訳を続けたに違いない。 この六月の終わり頃に新訳が発行されるそうだから、今から読むのが待ち遠しくてしょうがない。 ・・・・・・ 倉橋由美子の魂のために、三島の魂のために、私は私の一番好きな「星の王子さま」の一節を繰り返し、繰り返し、朗読しよう。
「あんたたちは美しいけど、ただ咲いてるだけなんだね。あんたたちのためには、死ぬ気になんかなれないよ。そりゃ、ぼくのバラの花も、なんでもなく、そばを通ってゆく人が見たら、あんたたちとおんなじ花だと思うかもしれない。だけど、あの一輪の花が、ぼくには、あんたたちみんなよりも、たいせつなんだ」
目に見えないたいせつなものを、ストレンジな文体で書き続けてきた倉橋由美子。三島由紀夫を愛した少女の魂は、最期に、星の王子さまとともに静かに、静かに、倒れた。 彼女らしい逝き方である。 合掌。 今日はここまで。
| 2005年06月06日(月) |
新潟グルメ、犬神博士を探せ!のこと。 |
私の母方の田舎である新潟県。 中心地は、妙高高原。 そこをベースに、あちこちに住む娘やはとこ、親戚とともに巡ったなかで、現在でも通えるいちオシのお店を紹介します。 同時に、新潟県で私を捕獲、確保(警察用語)するなら、ココという。笑。 まずは、新潟駅前。
★張園けやき通店・・・ここは四人でなら、中国料理食べ放題なんだよね。娘のサカキとサカキの剣道部の友達、私でメンツをそろえて、時間無制限でガッツリ食いまくってます。
★しゃぶ禅新潟店・・・ここも牛しゃぶ食べ放題の店。しかも、色々な種類の肉牛が楽しめます。かように、新潟駅前は、サカキと私を発見する可能性高し。
お次は湯沢。
★お食事処あさくさ・・・ここは方々の親戚と一緒にいる可能性高し。スキーのシーズンとか初夏がねらい目。オススメは釜飯もいいけど、炭火で炙った各種の一品ものがビールによく合い、たまりませんです。
お次は長岡。
★小松パーラー・・・・ここはサカキ、ささらとよく行ってるね。そして、個人的にオムライスの原点を振り返るところ。ここのスペシャルオムライスは、私のなかではプレミアムもの。食わないと天国に行けません。
お次はサカキの街、直江津。
★越後屋・・・・ここはとにかく、カニ。カニづくし。かに道楽よりも質の高いカニが思いっきり楽しめます。私もサカキもカニが大好物。カニの甲羅の山を前に黙々と食ってる親娘連れがいたら、まず、私たちです。
お次は祈祷師の親戚の本拠地、佐渡。
★アモーレ・・・はとこの透とささらとよく行ってるけど、ここの色とりどりの自家製ケーキは、最高だね。飲み物はちょっと並以下だけど。だから、いつもテイクアウトして、お気に入りの紅茶で楽しんでます。
最後に、母の実家のある妙高高原。
残念ながら、オススメの店はありません。なぜならば、ほとんどの飲食がホテルか旅館の中にあり、温泉に力を入れてるだけに、料理は二の次だからです。値段ばかり張って、味がどこも似たり寄ったりというのは、ちょっとねー。スキー場にあるラーメンとかカレーの方が目が輝くほど美味かったりします。 後、ここには書いてないけど、あちこちにあるお寿司屋さんも、私を発見する可能性高いです。ただし、回転じゃなくて、時価を出す本格もの。直江津とか、柏崎とか、新潟市とか、海に近いところの店によくいますよ。 で、新潟では何がウマイのか。 やっぱり、米だよ。 コシヒカリで炊き上げた銀シャリ。 こいつでとれとれの魚介類をおかずにしたり、寿司にしたり、オムライスにしたりしてみな。 たまんねぇって。 そして、酒、日本酒もそういう米を原料にしているだけあって、ウマイです。 地酒とか、もっ、最高。 個人的なシンプルグルメに、新潟産コシヒカリを使用した味噌おにぎりを肴に、越乃寒梅を冷やでキュッとやるのがあるけど、これはお米の最高の楽しみ方のひとつではあるね。 うん、にっこり。 今日はここまで。
| 2005年06月05日(日) |
犬神流イタズラの手口のこと。 |
子供の頃、イタズラをしたことがないというのは、全く極めつきの不幸ではないだろうか。 イタズラこそは、子供が大人たちに対して、唯一、優越感に浸れる瞬間なのだ。 そこで、誰もがそれぞれ悪知恵をしぼって、お互い競争心を燃やしたものである。 私は、お化けを使ったイタズラが十八番だった。 その中でも、いまだに母校で語り草になっているのは、歩く手首、闇の中を疾走する生首、空飛ぶ幽霊の三つである。 昔、ゴム製の手首のオモチャがあって、そのリアルな出来のやつを、ラジコンカー(車の形が分からないように、全部真っ黒に塗っておいた)の上にくくりつけて、のろのろと職員トイレなどに忍ばせていったりした。 すると、中にいた女性の先生が、「ウッ」と呻いたかと思うと、ドアに頭をゴツッとぶつけて、そのまま救出されるまで中で動かなくなってしまった。 これはかなり怒られたな。笑。 でも懲りずに、今度は高校の文化祭の前夜の準備の際、同じくラジコンカーに手製の生首を乗せて、ものすごいスピードで廊下を走らせた。 廊下の曲がり角に待機させて、向こうから人がくると、ダーッと走らせる。 これはもう・・・見てて笑ったね。 女の子はもちろん泣き叫んだけど、大の男、それも体育教師が腰を抜かしたから。 後、屋上からルアー用の釣竿で、幽霊の人形を投げて、ひょいひょいと宙を走らせることもやったけど、これもバッチリだった。 夕闇とかにやるからこそ、効果があったわけでね。 最近の子供たちに、イタズラしたことあるかって聞いても、あるあると答えるのはいない。 実にさみしいものではないか。 みんな、変に利口ぶってても、ほんとうは思いっきりバカなことをやりたいだろうに。 バカなふりをせずに、掛け値なしの、バカっぷりを楽しむやつだ。 それには、怒られることを恐れずに、こういうお化けとかのイタズラをするべきだ。 線路に置き石とか、置き自転車とか、シャレにならないことをしないで、あくまでもシャレになるやつを。 そうそう、小学校の頃、大量に買ったスライムを頭からかぶって、草陰からクラスメイトや先生を驚かしたこともあったな。 で。 今も時々、いい年をして、経験豊かになった分、手の込んだイタズラをすることがある。 会社のトイレの窓に、自分の顔を撮ったモノクロのコピー用紙を貼っておくのである。 夜、用を足しに入ってくるのが、心霊写真のような私の顔にたまげるというやつだ。 これはいつも成功している。 みなさんも、この手口は是非試してみては? 一気に会社の空気がまったりすることウケアイです。 今日はここまで。
本日は六月四日、六四だけにムシ。 そろそろ、恋人の紋について書いてみよう。 私、犬神博士の恋人がつとまるくらいだから、とんでもない変人か、奇形児(実際、オッパイが六つあると思い込んでいる人がいる)かと、色々読者たちの想像力を膨らましているので、ここらへんで等身大の姿を。 紋はまず、ちゃんとした女性である。 長崎県在住、大学院卒の英語女教師、メガネのムチムチの巨乳の二十五歳(吉川ひなのやノラ・ジョーンズと同じ世代である)。 ただし、これだけなら、私は恋人にするどころか、女として興味を持たない。 一番惹かれたのは、彼女の中身なのだ。 中身を一言で説明すると、「ムシの女」である。 どこらへんがムシなのかというと。 学生時代、自分の庭の石をひっくり返して、コウガイビルとかプラナリアといった奇怪な生物を探し当てては悦に入っていたという面。 これを表とすると、裏は、ニコニコした人懐っこい笑顔のくせして、その実はビザール、ストレンジ、サイケ、ダークな世界が大好きで、そういう内部世界を抱えているという面。 まさしく、走暗性の這いうねるムシそのものである。 そういうところに、私は惹かれたのだ。 そして、紋も、私の暗黒性に引き寄せられて、私たちにとっては、ごく自然な「つがい」というつきあい方をしている。 そこに、恋愛やセックスそのものを利用して、男女関係を成り立たせようとする計算性は全くない。 はっきり言って。 全く、動物的な、本能的な結びつきなのだ。 それは例え、二人で火星へ移住したとしても、寿命をまっとうするまで仲良く暮せる性質のものだ。 これは何も、奇特な男女関係ではない。 エミリー・ブロンテの「嵐が丘」においても、キャシーは恋人ヒースクリーフについて、「魂は同じなのよ」という意味のことを言っている。 そういう男女関係こそが、どんな形であれ、最もまっとうな恋人どうしといえるのではないだろうか。 まあ、ここまで気張らなくても、要するに、ヘンな人間どうし、馬があったということである。 紋に怒られるだろうが、ひょっとすると、彼女は私以上にヘンなので、私は惚れたのかもしれない。 その証拠に。 学校の職員室で、マンディアルグの「城の中のイギリス人」を読んでいて、隣の若い同僚に読ませて、「エロいけど、エロ本じゃないんですよ」と言って、思いっきり引かれたのだそうである。 私はいくら何でもそこまでやらない。 ・・・・・・ 今度、二人でダイエットをする予定なのだが、ムシにフェチを感じる私たちに実にふさわしく、寄生虫ダイエットである。 マリア・カラスに習って、サナダムシを腹の中に飼うというやつだ。 農大の友人が提供してくれる、天然もののヤマメをナマで食べて、寄生している幼虫を噛まずに飲み込むのだが、紋は女の子らしく躊躇している。 サナダムシの気持ち悪さではなく、家や学校で肛門からこんにちわしてきたら、困るなあと。 それで、二回寄生された経験から、サナダムシと仲良くする方法を教えてあげた。 ・・・・・・ こんな二人だから、サカキも、紅蜘蛛お嬢様も、二口さんも、みんな脱帽して、応援してくれている。 せむしの社長にいたっては、今度ロマネコンティのフルボトルを贈ってくれるとか。 親愛なる読者諸君、当たり前のことですが、私たちを引き合いに出すまでもなく、いいオトコ、いいオンナを見つける秘訣は、絶対的に、性格の一致につきます。 同じ性格でも、正反対の性格でも、とにかく、凹凸がぴったり重なる相手です。 表だけのつきあいでは、決してうまくいきません。 裏もさらけ出しあってこそのつきあいですから。 今日はここまで。
追伸。サナダムシダイエットに興味がある方は、私にメールを下さい。活きのいい幼虫をお分けします。ただし、それなりにダイエットが必要な方に限ります。カツカツでやってるのは、栄養的に、寄生虫は迷惑なだけです。
| 2005年06月03日(金) |
サイドストーリー「富江・復活」(抄) |
★ホラーファンなら当然ご存知のことと思いますが、知らない方々のために。「富江」シリーズは、漫画家伊藤潤二の手による連作です。朝日ソノラマから発行されているので、是非一読を。映画も連作を重ねていて、様々な美少女が富江役をこなしていますが、個人的には宝生舞が好みかな。
その日も雨が降っていた。渦巻く黒々とした天空から篠突く雨は、黒光りするアスファルト道路を洗い流し、郊外の街からの塵埃をいたるところに寄せ集め、染み込ませ、泥濘の中に呑み込ませていた。街灯の光の中を、雨がカーテンのように流れているところへ、少女は現れた。彼女は傘をさしていなかった。濡れるままに幽玄とした足取りで歩いていた。濡れそぼった白いシャツとジーパンの中からは、黒々と濡れながら滴を垂らす黒い髪、切れ長で吊り上がりぎみだが透き通るような瞳、左の目尻にポツンと浮き出た小さなほくろ、すらりとした鼻、小さく咲いてはいるが笑ったりすると大きく咲きそうな唇、そして白く結晶化したような肌が見えていた。靴底のゴムが割れ、歩く度に水棲動物の呼吸のような音をたてている。その音が雨音に溶けていく中で、少女は顔を上げた。彼女の目の前には、煉瓦造りの門があり、鉄製の門扉の向こうには、巨大な中世風の城館が雨の中で黒々と聳え建っていた。門柱に埋め込まれた真鍮製の表札には「雛田」とあった。少女は無表情のまま、扉の格子を掴み、ゆっくりと押し開いていった。
ねえ、この世で一番つらいことって何だか知ってる?
何年も掃除していない水槽のように暗く沈んだ庭園だった。闇の中でも荒れ果てているのが分かり、影のいたるところから蔓が寄生虫のように虚空へ這いうねっていた。足元で何かが蠢く気配がするので、目を凝らして見ると、雨におびき出されたミミズの群れだった。その中を進んでいくと、唐突に目の端を何かが横切っていった。色はミミズに似てはいたが、大きさは人間くらいだった。しばらく立ち止まっていると、その何かの気配はひとつだけではなく、庭園のあちこちでミミズと同じくのろのろした単調さで這いうねっているのが感じられた。そのくせ、まともに姿を見てやろうとすると、信じがたい敏捷さで視界から消え失せるのだった。少女は溜息をつき、玄関まで歩いていった。
鏡を見ることかしら、自分自身の現実を直視すること?
鳴らした呼び出しベルに応えて、分厚いオーク材のドアを開けて少女を迎えたのは、ゴム製のフランケンシュタインのマスクを頭から被った少女だった。紫と黒のボーダーセーターにあちこち擦り切れたジーパンを身につけている。 「何の御用?」 その人を見下したような横柄な口調に、少女は思わず微笑んだ。 「雛田さんに会わせて頂けませんか」 「あんた誰よ?」 そこで、少女は沈む直前の夕陽のように目を暗く輝かせた。 「富江・・・トミエといいます」 マスクの上からでは分からなかったが、相手は明らかに嫌悪の表情を示していた。 「取り次ぐからここで待ってて」 そのまま、マスクの少女は奥へ消えていった。
あたしはあたし以外には興味はない。あたしはあたし自身が一番好き。例え、バラバラになっても。しかも、それらがそれぞれ分裂して増殖しても。
しばらくして、マスクの少女に導かれるままに通されたのは、食堂だった。実にびっくりするほど広大な食堂で、五十人は座れる長いテーブルが延び、その奥にはヒエロニムス・ボスの三連画「地上の楽園」、「快楽の園」、「音楽地獄」が、マントルピースの上から見下ろすようにして飾りつけられていた。上は吹き抜けになっていて、二階の回廊が壁沿いに一周していた。壁にはひとつも窓がなかったが、天井の中央にステントグラスで装飾された円い明かり取り窓が据えつけられてあった。 「ようこそ、当家へ」 マントルピースの方から声がしたので、そちらへ顔を向けると、テーブルの奥に中世風の派手なドレスに身を包んだ少女が座っていた。髪型も派手に結ってはいるが、その顔は対面している少女と全く同じだった。 「私が雛田富江です、もう一人の富江さん。お座りなさい、ちょうどいいところへいらしたわね、これから食事よ」 少女はマスクの少女が引き出してくれた椅子に吸い込まれるようにして座った。 「トミー、もういいわ。あっちへお行き」 マスクの少女は一瞬身体を痙攣的に震わせたが、そのまま食堂から消えていった。そんな様子に城館の主人は低い笑い声をあげた。 「やっかいな子でねえ、あたしたちと同じ富江のくせして、あんな格好して趣味の悪いゴムマスク被って、おまけに自分のことトミーって呼ばせるのよ」 少女は何も言わなかった。 やがて食事が運ばれてきた。メイド姿の富江が六人、それぞれワゴンを押してきて、主人と少女に給仕していった。皿の上から銀製の覆いが取られていくと、そこからは色とりどりのご馳走が現れた。パテ、サラダ、キャビア、フォアグラ、鶏肉のフリアンティーヌ、ロブスターの煮込み、ソースのかかったおつゆたっぷりのローストビーフ、湯気がゆらめくオニオンスープ・・・そしてグラスに注がれる血のように真っ赤なワイン。 「あたしたちの健康に乾杯」 グラスを上げて主人が微笑む。少女はゆっくりとした動作で主人に返礼した。食事が始まった。
でも、何かがおかしくなるとあたしはあたしたちを憎む。あたしはとどのつまりあたしだけ。もう二度と苦しい思いはしたくない。
「あなた、どこで成長したの?」 食事の途中でワインを飲みながら主人が聞いてきた。 ここで、初めて、少女ははっきりした声で即答した。 「あたしは成長したんじゃないわ。人並みに育ったのよ」 しばらくの間沈黙が続いた・・・突然、主人がけたたましく笑い出した。 「分かったわ、そう思いたいのね。失礼、成長なんて言い方をして悪かったわ。じゃあ、どこの国の生まれ?」 「稲荷山って知ってる?あそこの出身よ」 「あたしたちが初めてバラバラにされたところね」 「そう、全ての始まりの、記念すべきところ」 「何回、何十回、何百回、何千回と分裂しても、あれだけははっきりと覚えているわ」 「みんなに寄ってたかって生きたまま解体されたのよね。痛さなんて感じなかったのも覚えている?」 「よく覚えているわ、よおくね・・・」 食事が終わった。 メイドたちが食器を片付けていくと、主人の身体がふらりと動き、滑るような足取りで少女のところへ歩いてきた。 「見せたいものがあるの。ついてきて」 ホールに出て、階段の前に回ると、踊り場のところにトミーが立っていた。いつ見ても、不気味なゴムマスクにしなやかな少女の身体がくっついているのは気持ちのいい眺めではない。しかも、散弾銃を持っている。 「トミー、何のつもり?」 「外に誰かがいるわ」 主人は少女を振り返り、肩をすくめてみせた。 「あなた、お連れでも?」 少女はかぶりを横に振ってみせた。 「外を見てみたの?少なくともまたあたしたちってことはないわよね」 「窓からちらっと。背の高い男よ。びしょ濡れのコートを羽織ってて。ものすごく汚かったわ」 その瞬間、玄関のドアが激しく叩かれた。オーク材に直接骨が打ちつけられるような音だった。 「花子、開けておくれ、お父さんだよ。花子、花子、花子」 その声を打ち消そうとするかのように、主人が甲高く長い悲鳴をあげた。 「違う。違う。あたしは花子じゃない。そんなダサい名前じゃない。あたしは富江、大富豪の令嬢、雛田富江よ」 主人はトミーの方を振り返り、ヒステリックに喚き立てた。 「トミー、撃ちなさい!ドアごと撃ち抜いておしまい!」 トミーは散弾銃を構えると、二発、続けざまにドアの中央に撃ち込んだ。ホール中を金属的な大音響が駆け巡り、わんわんと静まっていくと、無残に破壊されたドアの陰から男の身体が転げ落ちてきた。べったり濡れたボサボサ頭、顔中が濃い髭に覆われた大男だった。ただ、骨と皮ばかりになって痩せ衰えている。腹をまともに撃たれたらしく、粘液じみた血とともに内臓をこぼし続けていた。苦しそうな呻き声をあげながら、大男はゆっくりと立ち上がった。 「高木先生・・・」 どの富江が言ったのか分からなかったが、彼女たちの間から大男の名前が呼ばれた。大男はしばらく富江たちを眺めていたが、ニヤリと笑って、主人に向かってまっすぐ人差し指を突きつけた。 「ひどいことをするじゃないか、富江。だが、おまえの運命も今夜限りだ。何故ならおまえの研究はひどい失敗に終わったのだからな」 どこかで雷が鳴った。 閃光がきらめくように、奥から数人のメイド姿の富江たちが現れ、一人が手に持った斧を大男に向かってまともに叩きつけた。崩折れるようにして倒れるところを、それぞれがあちこち鷲掴みにして、折り曲げ、ねじり、ひじき、バラバラに引き裂いてしまった。引きちぎられた生首がゴロゴロと少女の足元へ転がり、大男の視線がまともに少女を見据えた。少女はただ無表情に見返すだけだった。そこで、大男はみだらなウインクをしてみせた。 「さてと、とんだ茶番だったわね。お客さん、こっちよ」 ぷいと振り返って怪談を上がっていく主人の後についていく前に、少女はもう一度大男を見た。バラバラになった肉片と生首はきれいに片付けられているところで、三人の富江がすでにモップで床の血を拭い取っていた。それから、トミーの方を見ると、彼女は立ちつくしたままだった。マスクの上からでは分からなかったが、泣いているようだった。 二階に上がり、案内されるままに入ったのは書斎だった。見上げるような本棚の列をいくつも通り抜け、広いところへ出ると、そこは回りを本棚に囲まれてはいるが、ちょっとした応接間になっていた。豪華な敷物の上に溶けかかったようなガラステーブルがあり、それを挟むようにして一人掛けアームチェアとソファが向かい合っていた。側にはぼやけた輝きを放つスタンドライトがひっそりと立っていた。 アームチェアに主人が身体を沈めると、少女にあなたも座ってと目で促した。少女はテーブルの上にあるものを見つめたまま、ソファに腰を下ろした。そこには首が置かれてあった。剥製処置が施されているのか、形は崩れていなかったが、目と皮膚の色には生気がなかった。顔は二人と同じ富江のものだった。 「目は大理石を入れてあるのよ。なかなかいいでしょう?」 「これは・・・何なの?作り物?」 「作り物じゃないわよ。分かってるくせに。富江の一人よ」 「一体・・・何で再生しないの?」 「あたしがそういう風にしたからよ。あたしが研究して、開発した細胞還元剤でね」 「研究・・・あんたは分裂と増殖を止めたいのね?」 「あんたは違うの?」 少女は答えなかった。 「まあいいわ。少なくとも、あたしにとって富江は一人で十分。考えてもごらん、自分自身がそこら中にうようよいるなんて、まともなら耐えられないなんてものじゃなくてよ」
・・・・・・
この後は、今秋開館予定のホームページにてお楽しみ下さい。
| 2005年06月02日(木) |
オリジナル小説「ノツゴ」 |
そこに漂っていると、向こうの山道から一人の女がやってくるのが見えた。何か白いものを抱えている。よく見なくてもそれが何なのか分かっていた。白い布でくるまれた赤ん坊なのだ。女はこちらに近づくと、赤ん坊を布にくるんだまま投げ捨て、そこへ枯葉の混じった土くれをかけた。土中の暗闇で、赤ん坊は身をよじって呼吸しようとする。一瞬、かすかに泣き声をあげたが、すぐに口の中に土が入って静かになる。 こんな具合の夢を、わたしは幼少より幾度となく繰り返して見続けている。小さい時は怖くて泣いて両親に訴えたが、両親は笑うばかりだった。一時、赤ん坊がわたしで、埋められた時の記憶を夢に見ているのだと思ったが、それだと、両親とともに写真記録つきの健全な生活を送っている現状に対して、少しもありえることではなかった。それでは、過去にどこかであったことを何かの霊感で感じ取って、夢に見ているのだろうか?また、何かの話みたいに、将来わたしに起こることを予知夢として見ているのだろうか?それにしても、一回や二回ならまだしも、一体どうしてこんな気持ちのよくない夢を幾度にも渡って見続けてしまうのだろう? そういえば、思い出したが、わたしに初潮が来て間もない頃、とても気味の悪いことがあった。夏休みを利用して、四国の山奥にある母方の田舎へ遊びに行って、祖父と山歩きをしていた時のことだった。突然、どうしたわけか足がもつれるか萎えてしまって、歩けなくなってしまったのだ。祖父は何ともなかったが、わたし以上に狼狽していて、おまけに言い知れぬ恐怖を感じているらしく顔をひどく歪めていた。その時、苦しそうに呟いたことは今でもハッキリと思い出せる。「ノツゴじゃ」・・・ノツゴ、確かにそう言ったのだった。その後、祖父はわたしの履いているビニールサンダルをもぎ取ると、鼻緒を引きちぎって脇の林の中へ投げ込んでしまった。そうして、わたしをおぶさって急いで山を下りた・・・気味が悪かったのは、歩けなくなったことではなく、祖父の雰囲気でもない。山を下りている間、しきりに背中とお尻を何かに撫でられるような感触があったことだ。祖父のごつい手と比べて、それは綿のように柔らかくて、ちっちゃな赤ん坊の手をしていたように思う。 山を下りた後、祖父にさっき口にしたノツゴとは何のことか聞いたら、「はて、わし、そんなこと言うたがか?覚えちょらんのう」と返事するばかりで、何度繰り返して聞いても巧妙にはぐらかされてしまった。 そうして大人になった今、わたしは両親とともに祖父の家に来ている。祖父は危篤状態だった。わたしは手放せない大事な仕事を抱えていたけれども、両親に祖父がどうしてもおまえに会いたがっているからと説得されて、無理を通して同行している。思い出すものを思い出してみると、あのノツゴのことが分かるかもしれない、最後の際に祖父が何か教えてくれるかもしれないという期待が膨らんでいた。 しかし、いざ会ってみると、祖父は全く見当違いのことを口にした。分厚い布団の中から痩せこけた首を鳥のように突き出し、かぎ爪のような指をブルブル震わせながらわたしのおなかの辺りを指差して、「やや子はおるのか?」と言ったのである。それは子供、ひ孫が出来たかどうかを嬉しそうに聞く態度ではなかった。何かをひどく心配しているような、また怖がっているような態度だった。「やや子はおるのか?」もう一度祖父が聞いてきた。わたしは「いいえ」と答え、「まだ結婚してませんもの」と続けた。すると、祖父は奇妙な表情を浮かべた。首を捻じ曲げて、全く鳥のように首を傾げてみせたのだ。それは『ほんまか?』と疑っているように見えた。そのうち、祖父の目はわたしから離れたが、唇は動いて呟いた。「結婚しようがしまいが、女はやや子を産むきよ・・・いつだって、ノツゴは出よるんじゃ」久しぶりに祖父の口からノツゴが出た時、わたしは全身が痺れるような感触を覚え、思わず布団の上へ覆いかぶさるようににじり寄った。「おじいさん、教えてちょうだい。ノツゴって一体なんなの?」 しかし、祖父はそれっきり目をつぶったまま、口を開こうとしなかった。そして、夜が明ける前に、祖父は死んだ。 無理を通した以上、葬式が終わるまで仕事に戻らないことにした。会社に連絡を取った後、祖母と両親とそろって、町に要りものを仕入れに車を出した。山道を走っている間、わたし以外は祖父の思い出話をしていたが、わたしは押し黙って運転しながら夢のことを考えていた。昨晩、祖父が死んだ夜に、また幼少からの例の夢を見たのだ。そして、それに加えて新たな夢を見た・・・夢の中で、わたしは初めて男に抱かれた時のことを思い出していた。今まで仲良く遊び、楽しくおしゃべりしていた男が、飢えたような顔つきになってわたしの中に入ってくるのだ。セックス自体よりも、わたしの心を強く刺激したのは、男の変貌ぶりだった。まともな人間から貪欲な獣に成り下がり、さらに何かわけのわからないものになり果てていく・・・それが、自分の巣穴に帰るように潜り込んでくる・・・その得体の知れない恐怖は全くセックスの興奮をかき消してしまうに足るものだった。恐怖はグロテスクなイメージを呼び、処女を失ったばかりのわたしを悪夢で執拗に苦しめた。山道を歩いていると、どこからか赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。その泣き声に誘われて、林の中に入っていくと、地面を覆った枯葉がいっさいに蠢き出して、そこから無数の赤黒く腐敗した赤ん坊がゾロゾロと這い出てきた。みんな、わたしの方を見上げていて、腐汁で濡れた口を開けてピチャピチャ口を鳴らしている。そうして、ショックで動けなくなったわたしを取り囲むと、わたしの足を這い上がってきて、下着を不器用にずり下ろして奥に頭をねじこんでくる。ドロリとした冷たい感触・・・ありがたいことに、そこで目が覚めたのだが、幼少から見ている夢と比べると、ずっとましに思えた。奇妙なことだが、埋められてしまう赤ん坊より、どんな形であれ、這い出てくる赤ん坊の方がいい。 それにしても、やっぱり、赤ん坊を抱いて山道を歩いてくる女はわたしなのだろうか?いやだ・・・いやだ・・・わたしであるはずがない。だって、あれ以来、誰とも寝ていないのだから。男は禍々しいもののように遠ざけている。大体、男なんてみんな子供だ。子供みたいにうるさいし、我儘だし、欲張りで、そしてどこだろうと潜り込みたがる・・・いくら止めても駄目・・・ワッと押し寄せてきて・・・入りたがって暴れて・・・ついに入り込んでしまう。そうして、古い肉体を脱ぎ捨てて生まれ変わってくるのだ・・・。 町から戻って、葬式の準備を手伝っていると、近くのお寺から住職さんが挨拶に見えた。聞くと、祖父とは長年のつきあいだという。しばらく故人の思い出話をした後、お見送りと称して、住職さんとともにお寺への山道を歩くことにした。 「お聞きしたいことがあるんですが、かまいませんか?」 「ええですとも。どうぞ」 「祖父が口にしていたことなんですが・・・ノツゴとは何のことでしょうか?」 その瞬間、住職さんは泣きそうな顔になった。まるで、大切にしていたおもちゃを取り上げられるか、壊されたような子供の顔つきだった。しばらく沈黙が続いた後、だしぬけに住職さんは身体ごとこちらを振り返った。その様子は並々ならぬ毅然とした決意に満ち溢れていた。 「今回だけです。ええですか、お話した後、他人にわしから聞いたとか、もういっぺん聞き返すとか、絶対なさらんで下さい。約束ですよ・・・ノツゴというのは、殺された子供の霊が化けたものです。この辺りでは、昔、間引きとか堕胎がかなり多かったのでしてな、この近くの林の中に産まれたばかりの赤ん坊を埋めるというのが一番多い方法でした。それで、あの近くを通りかかると、必ずノツゴに憑かれるようになったわけです。後になって、林の中から赤ん坊の遺骨を掘り出してねんごろに供養しても駄目でした。浮かばれない霊魂が化けてしまった後では遅すぎたのです・・・」 そこまで聞けば十分であった。わたしは丁重にお礼を述べて、住職さんと別れたが、別れ際の住職さんの表情にドキリとした。祖父の目つきとそっくりだったのである。恐怖と疑いが入り混じった目つき・・・。 それは突然やってきた。葬式が終わった後の雑談で、両親が地元の人たちと話をしているところにそれがいた。子供だった。喪服に身を包んだ男の子・・・わたしの初めての男の顔をした子供だった。「お子さんも大きくなりましたね。お兄さんにそっくりだ」「おかげさんで。兄貴も喜んでることでしょう。ほんまにそっくりですから。生き写しですよ」・・・両親としゃべっているのは、わたしの初めての男の弟だった。そうだった・・・初めての男は行方不明になっているのだ・・・何度も山狩りが行われたが、ついに見つからずじまいで、捜索が打ち切りになり、数年経って死亡宣告が出されたのだ。子供は・・・じっとわたしを見つめている・・・ただ深みのある瞳で見つめているだけだ・・・あんたが悪いのよ、無理やり入ってこようとしたあんたが・・・そんな目で見ないでよ・・・おおう・・・。その晩、わたしは夢の中で、子供を殺した。簡単だった。目つきが気に食わなかったので、目を潰してやった。そして埋めた。 帰るために荷物をまとめていると、玄関に駐在さんが来て、近所の男の子が昨晩から行方不明になっているのだが、何か知りませんかと聞いてきた。わたしたちは知らないと答えた。わたしは少し散歩してくると言って、ものすごい勢いで山道を駆け上がっていった。あれは夢だ・・・まさかそんな・・・夢のはずだ・・・やがて、見覚えのある林が目の前に広がった。夢のままだった。その中央に、周囲と色が違う地面があった。飛びつくようにそこを手で掘り返すと、子供の顔が現れた。目を潰されている。子供を引きずり出すと、穴の底に男の白骨死体が横たわっているのが見えた。わたしの初めての男のものだった。 風が吹いてきた。それが合図であるかのように、辺りから赤ん坊の泣き声が響き渡ってきた。わたしは辺りを見回した。枯葉の中からは何も這い出てはこなかった。ただ、風が吹き抜けていくばかりだ。そこでわたしは気がついた。泣き声はわたしの中から聞こえてくるのだ。わたしのおなかの中から。わたしの子宮に張り切った感触があり、そのゴツゴツとしたものが肉を擦るようにして蠢いた。わたしは言い知れぬ恐怖から悲鳴をあげた。風の中で、それはだんだん笑い声に変わっていった。高笑いしながら、わたしは今や理解していた。わたし自身がノツゴであることを。林の中の赤ん坊たちは、小さかったわたしに取り憑いて一体化していたのだった。それで、祖父と住職さんの目つきの意味が分かった。わたしを恐れていたのだった。 風の中でわたしはだんだん漂いはじめていく。透き通るような気分だった。赤ん坊たちが何を求めているのか、わたしのすべきことが何であるかが、はっきりと分かっていた。風の中で、わたしの両手の手のひらから真っ赤な血が溢れ出てきた・・・。
| 2005年06月01日(水) |
近況報告其の五、ハマーを買うぜ。 |
先日、BLものを書き上げて以来、ついでに昔書いた、ホラー小説の再録を頼まれたので、加筆、修正に追われる日々だった。 その間、こんなことがあった。 まず、二十日から二十二日の間は、はるばる長崎より恋人の紋が来宅した。 真っ先に国府台へ連れて行き、江戸川沿いに里見公園を横切り、例のゴシック門扉のある洋館へも案内した。 屋根裏の書庫を一目見るや、彼女はまったくの興奮状態に陥り、始終ニヤニヤしていた。 手に取る本が山積みされていくのを見ると、中学時代の嗜好とほとんど同じだったので、こちらもニヤッとした。 二人して、二リットルのフルーチェと、山盛りのチキンライス、人肉スープ、ハーゲンダッツのアイスを平らげた。 二月にこちらが長崎に出向いたのと同様、ほとんど引きこもりの三日間だった。 今度こそ出不精を何とかしたい。 二十四日は、BLものを書き上げた。スターリンの「バイ・バイ・ニーチェ」に酔いつつ、瞼の裏で映画「ディア・ハンター」のワンシーンを繰り返し繰り返し思い浮かべながら、書いた。 ロバート・デ・ニーロの前で、クリストファー・ウォーケンが拳銃で自分の頭蓋を吹っ飛ばすシーンだ。 ロシアン・ルーレットのやつだ・・・あのシーンのウォーケンの表情は、どこか恍惚としていて、実に晴れ晴れしているように見えた。 そう見えた、小学生の頃からの「謎」、死に至る快楽の「謎」に挑むためにも、BLものを書いたといってもいい。 二十五日の夜は、ピエール・モリニエに会う夢を見た。 作品では、自ら女装して、自らの精液で絵を描くエキセントリックな面がクローズアップされていたが、夢のなかでの彼は、ただの老人だった。 ほっそりした、痩せこけた、ロマンスグレイの老紳士だ。 どこかの入り江で、砂浜に並べた数個の空き缶を、二人して拳銃で狙い撃ちしていた。 お互い、押し黙ったまま、黙々と、それぞれのスコアをノートに記録するだけだったが、標的を外した時だけ、お互いニヤッと笑い合った。 そこで、私はモリニエにこんな冗談を言った・・・知ってますか、自動拳銃が出たばかりの頃、アメリカのギャングがそいつでロシアン・ルーレットをやったんですよ。一発の弾を弾倉に装填して、言いだしっぺが自分の頭に向かって引き金を引いたんです・・・当然、バッタリ。・・・聞いていたモリニエは、女性のような黄色い、甲高い声で思いっきり哄笑した・・・そんな夢だった。 二十六日は、車の購入について、じっくりお寺のみんなと話し合った。 大体、お寺の坊さんというのは、ヤクザと同じ趣味があって、乗る車は高級外車、それも黒塗りのベンツが圧倒的に多い。 そういうところが嫌いなので、どうせ乗るなら、以下のものにしようと提案した。 �.魯沺�H2 �▲轡椒譟次Ε屮譽ぅ供� ��クライスラー・ジープラングラー みんなデカイ四輪駆動である。 で、もう少しでハマーに傾きつつある。私としては、車体にうちのお寺の名前を入れて、バックに金文字で南無阿弥陀仏と入れたい。 土日は、BLものを依頼した旧友が来宅して、私が仕事に行ってる間、原稿を読み、帰宅すると感想を聞かせてくれた。 一言、これはBLじゃないと手厳しい意見。 女性はもっと、ソフトな表現を好むとのこと。私の表現はハードというか、エグイという。 それで、オレは女性のために書いたんじゃない、BLのために書いたんだと言った。 掲載はされるようだが、旧友の反応は見るも哀れなくらい、困惑そのものだった。 月末の残りは、山本文緒の「恋愛中毒」(角川文庫)を読んで過ごした。 最近知り合った、ゲドの娘に、登場人物の小説家創路功二郎にキャラが被ってると言われて、興味を持ったのだ。 読んだことのある友人まで、そっくり、そっくりと笑うものだから、余計気になって読み耽ったのだが、読了したいま、苦笑いしっぱなしである。 結論。私はこのキャラと似てるのは、見かけだけだが、ドキッとするほど根本的に似ているところがあった。 それは、この作品を読んだことのない方のために、ナイショにしておこう。 確かに、女好きでだらしのないところは、同じように見えるだろう。 でも、そういう見かけよりも、中身はなかなかそれとは分からないものだ。 とにかく、ひとつの戒めと受け取りたい。 以上、近況報告終わり。
今日から六月、夏の始まりである。 今月は、今までに書いた短編作品を厳選して載せてみたい。 いずれもほとんどホラーものだから、夏に向けてちょうどいいかな。 今日はここまで。
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