(仮)耽奇館主人の日記
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| 2005年05月15日(日) |
勃起する拳銃のこと。 |
かつて存在した画家、ピエール・モリニエには三つの情熱があった。 即ち。 絵画。 女。 そして、拳銃である。 私はモリニエがリボルバーを構えている写真を見たことがある・・・ロマンスグレイの老紳士が、唇を真一文字に結んで、ほっそりした腕をむっくりと筋肉で盛り上がらせ、肩からまっすぐに拳銃の銃口をぴんと伸ばしている様は、ダイレクトに勃起そのものを思わせた。 拳銃はモリニエにとって、ペニスそのものだったのだ。 肉体的にも、精神的にも。 拳銃への情熱は、彼の自殺方法にも活かされた・・・無数のポルノグラフィーに取り囲まれて、自らの頭を撃ちぬいたのだった。
そのペニスの代弁者としての拳銃を主人公に、私はBLものを書いた(完成は二十四日であった)。 執筆中の音楽は、執拗なまでに、スターリンの「バイ・バイ・ニーチェ」を繰り返し、繰り返し聴き続けていた。
バイ・バイ だけど 大好きだから もっと 遊ぼう
舞台は、戦時中の長崎。 軍人の息子である美少年が、地元の不良少年たちに強姦されてしまう。 そこで、父親の古い回転式拳銃を手に、次々と不良少年たちを射殺していく。 逆に、銃弾で相手を強姦していくわけだ。 だが、拳銃には欠陥があって、シリンダーと引き金がうまく噛み合わなくて、空撃ちしてしまうことがよくある。 しかも、弾薬がしけっていて、不発に終わることもある。 ガチッ。ガチッ。ガチッ。と引き続けて、いきなりドキュン!と。 このへんが、勃起した初々しい少年のペニスと同じように重ね合わせて、表現していく部分だ。 そして、撃つ側と撃たれる側。 死で結びつきあう深い絆。 ゴツイ体格のリーダーが、美少年の拳銃で撃ちまくられながら、次第に「女性化」していく様。 死に至る快楽のなかで、リーダーは美少年に愛を告げる。 その愛に、拳銃そのものはどう応えるか。 こんな感じで、私はほとんどトリップしながら、一気呵成に書き上げた。
拳銃そのものの、勃起、挿入、射精の表現に、BL読者たちはいかなる反応を示すだろうか?
僕を川へ・・・ そして海へと押し流そうとする 押し流されてしまう前に・・・
向こうの世界に流されてしまう前に 向こうの世界に流されてしまう前に 向こうの世界に流されてしまう前に
僕をしっかり捕まえてくれ 僕を犯して、吸いつくしてくれ そして おまえをしっかり撃ちぬいてやる おまえを殺して、魂を呑み込んでやる
少年たちは深い海の底へ沈みやすい 少年たちは深い海の底へ沈みやすい
深い海の底で 僕たちは・・・
この作品は、依頼者の発行する同人誌に掲載されますが、今秋開館予定のHP「耽奇館(仮名)」の作品置き場に所蔵される予定なので、そちらで読むことが出来ます。 今日はここまで。
| 2005年05月14日(土) |
犬神博士、BL執筆を依頼されるのこと。 |
その昔、九十年代に、私はミニコミ誌でオリジナルの怪奇小説をメインに、同人活動をしていた。 いわゆるサイドストーリーにも手を染めて、私がものすごく入れ込んだ作品に限って、私なりの続編を書いて、その一部を発表したりもした。 で、その当時の、同じミニコミ誌の執筆仲間の女性から、十数年ぶりに連絡があって、BLものを書いてくれないかと言ってきた。 BL、つまり、ボーイズラブである。 男同士のラブラブを、女性向けに書くというもので、ホモとかゲイのために書くのとはまた違う。 厳密に言えば、男装した女性のような、美青年、美少年が、女性好みの耽美的なセックスをするというやつだ。 つまり、その世界には、男の視点は全くないと言っていい。 あくまでも、女性による、女性のための、女性の幻想なのである。 私は同人におけるBLは読んだことがないが、商業用は読んだことがある。 須藤直希先生の「記憶の迷路で逢いたい」(白泉社花丸文庫)で、なるほど、こういう世界なのかと、なかなか勉強になった。 はっきり言って、男の私には感情移入しにくい世界ではあるのだが、ひとつのことを思い出せてくれた。 それは、小学生の時の家庭教師が、当時やっていたアニメ「六神合体ゴッドマーズ」にすごくハマッていて、教え子の私に堂々と、マーズとマーグの兄弟の危険な同性近親相姦の妄想マンガを見せびらかしていたことだ。 魔夜峰夫の「パタリロ!」で男同士のそういう世界に免疫があったとはいえ、彼女の、おとなしそうな顔をして、その実はこんなのを考えていたのかというのが、すごくショックで、すっかり引きまくってしまった。 しかし。 私は今では、BLものに偏見を持たず、ポオの小説と同じレベルとして扱っている。 なぜならば、須藤先生もそうなのだが、男どうしの濡れ場の場面となると、怨念を感じさせるくらいの情熱がこもっているからである。 それが例え、妄想であってもいい。 妄想が火を噴くほどであればあるほど、それはもうすでに妄想ではなくなるのだ。 そこに、貴賤は全くない。 読む側はどう読もうが自由だが、書き手はかように、妄想、妄念、想像力の紅蓮地獄にのたうちまわらなければならないのだ。 ポオであれ、BL作家であれ。 さて、依頼主が私のキャラを知っていながら、あえてBL執筆を依頼したねらいは、こうである。 怪奇と幻想にとても詳しい私なら、違った味わいのBLが書けるはずだというのだ。 なるほど、いわれてみれば、BLと怪奇ものは決して無縁ではない。 江戸川乱歩の「孤島の鬼」を読んだことのある方なら、あれこそ我が国が誇るBLものの元祖だということに大いに賛成するだろう。 私が趣味で翻訳している、ジョン・メトカーフの「死者の饗宴」という吸血鬼ものも、年端のいかない少年に取り憑く、正体不明の吸血鬼という、実にBLファン好みの設定である。 そして、今まで読んできたなかで、私が男どうしのセックスを描いたものの最高傑作だと驚嘆しているのが、宮谷一彦の「緑色なる花弁」(『性紀末伏魔考』に収録、青林堂発行)である。 宮谷一彦といえば、ゴシック・コミックの最高峰、「孔雀風琴」(けいせい出版)で知られているカルト漫画家だ。 「孔雀風琴」も、BLものではあるのだが、強烈さでは「緑色なる花弁」がはるかに上回っている。 なにしろ、女性そのもののような美少年が、せむしの醜男のペニスをくわえてしゃぶっているシーンがあるのだ。 このコマだけでも、興味本位だけで読む軟派な女性たちを駆逐する威力がある。 ストーリーはいずれ読む方のために詳しくは説明しないが、胸を打つ同性のエロティシズムが漂っていたと報告しておこう。 ・・・・・・ 私が書くBLの題材は、ピエール・モリニエという画家にヒントを得て練られる予定である。 男装する女性のような男性がBLの決まりごとならば、私は、モリニエのような、女装する男性の中性的な美について、楽しみながら、真面目に書いてみよう。 美輪明宏さんの若い頃の写真をごらんになった方なら分かるはずである。 彼のなんという、中性的な美! 私はむしろ、男性がより男性的であるために、そういう美にこだわりたい。 男性はいよいよ肉体的に。 女性はいよいよ精神的に。 それが、私のBLの中核になるであろう。 今日はここまで。
| 2005年05月13日(金) |
ブラックホール・ストマックのこと。 |
先日、チャレンジ・メニュー、つまり、大食いに挑戦した。 麺が七玉という超巨大ラーメンを制限時間内に食べきるというものだったが、失敗してしまった。 完食はしたのだが、三十分という制限時間を十分オーバーしてしまったのだ。 ほんとうに悔しかった。 ここであらためて。 私はグルマンである。つまり、大メシ食らいだ。 高校時代は、本八幡駅の南口にあったギョーザ専門店で、百個食べたらタダというのを、二週間ごとに繰り返していたし、また、ラグビー部の練習の帰りに仲間たちとカツ丼をどれだけ食えるか競って、十五杯という記録を作ったことがある。 現在でも胃袋のブラックホールぶりは変わらず、飛騨の高山ラーメンの巨大パフェを一人で食うし、目黒にあるステーキレストランの、五百グラムのステーキを三枚食ったら、賞金一万円というのをクリアしたし、市川の実家で親戚たちと一緒にやったバーベキューパーティーでは、実に七キロ分の肉とソーセージを食べきった。 別に、胃下垂だとか、胃拡張だとか、そういう不健康な身体ではない。 肝臓に時々不具合が起こるが、胃袋だけは子供の頃から、頑丈で、消化能力は人一倍なのだ。 それ以上に。 私は異常に、食い意地が張っている。 一日六食食べてもまだ足りぬくらいなので、新潟の祈祷師をやっている親戚は、本気で餓鬼が憑いていると思ったくらいである。 前世が第二次世界大戦時、南方戦線でイギリス人捕虜の肝臓を食った将校ということになっているらしいので、その因果かなと思うことにしている。 でも、ほんとうは、こうである。 小学生の頃、給食で、クラスのほとんどが牛乳嫌いで、いつも私がみんなの分を飲み干していたからだ。 平均二十本から三十本を、毎日、六年間も飲み続けていれば、誰でもブラックホール・ストマックを獲得出来る。 でも、それは身体的能力の部分で、気持ち的なものは、どうやら生来のもののようだ。 その証拠に、娘のサカキも、私に似て、ブラックホール・ストマックの持ち主である。 一緒にケーキ・バイキングに参加したことがあるが、サカキはワンホールのケーキを一気に五個食った。 その他にも、紅蜘蛛お嬢様の証言だと、チャレンジ・メニューで有名な神楽坂飯店の一升チャーハンを軽々と平らげたし、原宿ではクレープを全種類食べたとのこと。 もちろん、私と同じく、飛騨の高山ラーメンのあの巨大パフェを制覇している。 全く、親子でフード・バトルに出場出来る勢いなのだが、私もサカキもそういうものには興味がない。 誰かと食べるのを競うよりも、自分自身が食べることを愉しむことが重要だと考えているためである。 ・・・・・・ 私の家に泊まった女の子たちは、たいてい、出されるご飯の茶碗のデカさに驚嘆する。 ドンブリそのものだからだ。 つまり、私は日常的に、ドンブリでメシを食っているわけである。 ちなみに一人だと一日五合。 サカキが来ると、一日一升。 そして、私とナマで長くつきあっていると、みんな影響されて大食いになる。 紅蜘蛛お嬢様は、成長期真っ只中なので、この二年間で六センチ半も身長が伸びた。 おやつに、バナナ六本、牛乳一リットルを与えるということをやっていたせいだ。 近所に住む音大生の二口さんは、その名の通り、妖怪二口女のごとく食いしん坊なのだが、私の餌付けで、さらに大食いになった。 念願だった、スイカ一個まるごと食いが出来るようになったと、去年の秋に嬉しそうに報告していた。 そんなに腹いっぱい食えば、当然太るのだが、私たちは見苦しいほどデブッたことがない。 その理由は。 食べた分、運動するからだ。 いっぱい食べて、くたくたになるまで運動して、グッスリ眠る。 こういう生活を、少なくとも、ストレスに押しつぶされそうな時にやってみるといい。 びっくりするくらい、顔に笑顔が浮かんでくるはずである。 ・・・・・・ 私が超巨大ラーメン制覇に失敗したことを聞いたサカキは、仇を討ってあげると言ってくれた。 あいつは、私よりも「もち吸い」が出来るから、きっと成功するであろう。 「もち吸い」を知らない読者のために。 突きたてのおもちを、そのまま手でしゃくりあげるように、口で吸って、丸呑みするという食べ方である。 ともかく。 食が細い、痩せがちで太りたいという方は、老若男女問わずご連絡下さい。 ビッシビシ鍛えて差し上げます。ニヤッ。 今日はここまで。
| 2005年05月12日(木) |
人を愛するには、孤独を知れ。 |
少女監禁の事件の類いが目につく度に、私は思う。 痴れ者である以前に、孤独を恐れて、孤独との正しいつきあい方を学ばなかった輩の何と多いことか。 友達づきあいに、恋愛や、セックス、SMを利用してまで、そんなに淋しさを紛らわせたいのだろうか? 私は、今でこそ、友人たちや愛する人たちに囲まれているが、幸い、最初は孤独だった。 補聴器をつけ、会話訓練を受ける以前は、全くの無音の世界だったから、当然、内向的な世界観から出発したのだ。 外界の様々な光景よりも、常に自分の、自分自身に残された、まともな感覚を再点検する毎日だった。 聴覚が頼りないわけだから、視覚、嗅覚、味覚、触覚の四感とじっくりつきあうために、常にひとりぼっちでいることが必要だったのである。 父母の愛、家族の愛、周囲の愛はそれなりにあったが、愛されることに慣れても、自分自身の感覚で、愛することを知らなくては、人間としては全くの未完成である。 性善説とか、性悪説とか、人間そのものについて語るよりも、まず、孤独のうちで育むアイデンティティこそが、すべての出発点になるのだ。 その感覚のなかで学んでいる最中の、私は、まだまだ愛というものを知らなくて、理想と現実がそれぞれ相容れがたい物質として、心のなかを渦巻いていた。 そして、色々な異性や同性とつきあってきて、色々な形の愛を知ったり、失敗を重ねたりすることで、それなりに経験を積み・・・ ・・・今日にまで至っているわけだが、今では、理想と現実は、もう相容れない物質どうしではなくなっている。 孤独のうちに磨き続けてきた感覚によって、自分のスタイルというものを完成させ、人間的な落ち着きを獲得して・・・ ・・・余裕たっぷりに、冷静に、情熱的に、人を愛することが出来るようになったからだ。 そういうことなのだ。 小学校の、クラス替えで味わうような、仲のいい友達が他のクラスに行ったからといって、絶望的なショックにいつまでもいじけている・・・そんな感覚をいつまでもひきずって、ガキっぽい衝動でもって、年端のいかない少女を監禁して悦に入る・・・ そんな、人間として未熟な輩は、ほんとうに、自殺して頂くか、薬殺処理してしまうべきだ。 生きているだけで、恥ずべき存在だからである。
闇のなかで、永く、ひとりぼっちでいられる者こそ、愛することを知っている・・・
このことを頭のなかで繰り返しつつ、私は映画「オペラ座の怪人」のラストに流れた歌をここに引用したい。
「Learn To Be Lonely」
空虚のなかに生まれ落ち 荒れ果てた世界に生きる子供よ 孤独でいることを覚えなさい 暗闇のなかに 一筋の道を見つけるすべを学びなさい
誰が おまえのためにいてくれるのだろう 誰がおまえを慰め 気遣ってくれるのだろう 孤独でいることを覚えなさい 自分で自分の友となるすべを学びなさい
外の世界に おまえを抱きしめてくれる人がいると 一度も 夢見たこともなく おまえは いつでも知っていた おまえの心は ひとりぼっちだと
だから 寂しさのなかで笑ってごらん 荒れ果てた世界に生きる子供よ 孤独でいることを覚えなさい 一人で生きる人生を 愛するすべを学びなさい
孤独でいることを覚えなさい 人生は生きるに値するもの 人生は孤独でも愛せるものだから
孤独を恐れるな。孤独は君の心に自尊心をもたらしてくれる。自尊心は実力を、自信をつける原動力だ。そうして、自分自身を愛することが出来れば、君は初めて、人を愛することが出来るのだ。 今日はここまで。
| 2005年05月11日(水) |
リクエスト過去ログ2004年版�� |
20040928 東京タワーに向かって走れ、あるいは僕の少年時代�� ---+---+---+---+++---+---+---+--- なめこが帰った後、しばらくして二口さんがキャビアの缶詰を持ってきた。 私たちは、残り物のクラッカーにキャビアを乗せて、コーヒーで流し込み、こんな夕食もあるさと、腹を満たした。 「犬神さんがリアルタイムで聴いていたインディーズってなあに?」と二口さん。 私は黙ってCDの山を指差した。 そこには、日本初のビジュアル・バンド、「オート・モッド」を始め、「奇形児」、「LIBIDO」、「DOWSER」などなど・・・が積み重ねられていた。 その中でも、ライヴに行くほどハマッていたのは、何といっても遠藤ミチロウ率いる「スターリン」だった。 「スターリン」こそが、私の少年時代そのものだったのだ。 しかし。 私の中で光り輝く「スターリン」の影には、ひっそりと蒼い、暗い、炎を燃やし続けているバンドの数々が存在している。 今回は、そのひとつ、「奇形児」を二口さんに聴かせた。 私も聴きながら、唯一、「奇形児」のライヴに行った、1983年の春の、渋谷LAMAMAの記憶を蘇らせていた。 当時、私は14歳だった。
「奴隷志願」
一度でいい 夢を見せて 俺らの全てを 愛してくれよ 金もないけど 家もないけど 俺らはあんたに のめりこんでる 醜い顔 しゃがれた声 だけども あそこはちゃんと使える
いつだって俺らは あんたの言う事きくのに なんだってそんなに 俺らを邪険にするのさ
ひざまづいて 涙流して 哀れな願いを 打ち明けてる どんな時も 頭の中 あんたを抱く日のことでいっぱい すかした顔 冷たい仕草 そういうあんたを なかせてみたい
いつだって俺らは あんたの言う事きくのに なんだってそんなに 俺らを邪険にするのさ
糞にまみれて のたうちまわり 恥辱の嵐に 咽び泣いてる 白目をむき 叫びちらし あんたは俺らを 貪り狂う そんな夢を すぐに叶えて 俺らをあんたの 奴隷にさせて
いつだって俺らは あんたの言う事きくのに なんだってそんなに 俺らを邪険にするのさ
当時・・・金髪も茶髪もいなく、ただ、泥臭い黒髪がヘッドバンキングしていたライヴ会場。 煙草の匂い。ビールの匂い。汗の匂い。 そして、熱狂の匂い。 ほんとうに、緊張感があった。 ある種の緊張感。 全く、興奮した。 興奮を手に入れるためには。 危険を避けるな。 自分を避けるな。 東京タワーへ向かって走れ。 危険を避けて手に入れる緊張感なんてクソだ。 いちいちロックとかパンクとか語ってんじゃねえ。 語る前に走れ。 走れ、東京タワーに向かって。 東京タワーに向かって。 東京タワーに向かって。 走れ!
今日はここまで。
20040929 東京タワーに向かって走れ、あるいは僕の少年時代�� ---+---+---+---+++---+---+---+--- せっかく治りかけた風邪が悪化し、今度は鼻にきたので、会社を早退し、病院で注射を打ってもらった。 家に帰ると、二口さんが来ていて、新じゃがいもをたっぷり使ったクリームシチューを作っていた。 いつも私がメシを作る立場なので、誰かに作ってもらうというのは、ほんとうに嬉しい。 二人で、舌を火傷しそうなほど熱いシチューを胃袋に流し込みながら、フランスパンの端っこを食いちぎった。 風邪薬をワインで流し込む。 「ねえねえ、東京タワーってさ、犬神さんにとって何か特別なものなの?」と二口さん。 「うん。おふくろが、お宮参りの帰りに、一人で俺を抱きかかえたまま、東京タワー見物したんだ。展望台から東京の景色を眺めていて、空を飛んでいるような気分になったんだってさ」と私。 「へえー」 「生まれて間もない俺は、全然覚えてないけど、東京タワーを見ているわけだよ。見ているんだけど、記憶に残っていない、東京タワー。ほんとに特別なものだね」
そこはすべての電波が集まるところ そこはすべての電波が集まるところ そこにすべてが流れて、群がって、引き寄せられて、集まる
ブーンブーンブーン ガーガーガー ザーザーザー ピーピーピー
アタマのチャンネルを合わせろ アタマのチャンネルを合わせろ オマエのチャンネルを合わせろ オマエのチャンネルを合わせろ
サンドノイズで呼吸して
東京タワーに向かって走れ 東京タワーに向かって走れ 東京タワーに 東京タワーに 向かって 向かって
走れ!
今回は、布袋寅泰も参加していた、ジュネ率いるAUTO−MODを二人で聴いた。
「デンジャラス・コミュニケーション」
アイツラガオレヲニクムサ アイツラガオレヲネラウサ イミキラエバキラウホド スキホウダイシホウダイ マジメズラシタヤツラヲ オチョクッテレバイイノサ ヤツラノイキヲトメナイテイド ケリヲイレテリャイイノサ アタマノカタイオジサンモ マゾッケダケハタップリ テキドノシゲキヲアタエリャ アマイシルノゴホウビ ジダイガシラケテ トウセイノツヅクヒビ ソンナジダイノナカデ オレハミンナノアコガレ Communication It`s So Dengerous Communication It`s So Dengerous
オレハイキイキスルノサ
ワハハ
夜景に輝く真っ赤な東京タワーを思い浮かべると、私は「AUTO−MOD」を聴いていた頃の、しなやかな匂いが蘇ってくるのを感じる。 全身が麻痺するような、夜風の、しなやかさ。 あるいは、全てを吸収しつつ、全てを拒否する、少年時代のしなやかさ。
私は深く、静かに、微笑する。
今日はここまで。
20040930 東京タワーに向かって走れ、あるいは僕の少年時代�� ---+---+---+---+++---+---+---+--- ようやく、風邪は全快に近づいている。 やはり、晴れてきたというのがでかい。 気分も晴れ晴れとする。 しかし、油断は出来ないので、夕方に帰ってくると、今の今まで死んだように眠っていた。 窓を開け放したままなので、風がさあっと身体を撫でていく。 夕闇の中で、真っ暗闇の中を全力で走る夢を見た。
走れ、 走れ、 走れ・・・・・・
何も見えない。何も聞こえない。何も感じられない。 それでも足は松明のように真っ赤に燃えさかっている。 心臓はとっくの昔に破裂してない。 代わりに、バイクのエンジンが埋め込まれている。 血液に代わって、全身を流れているのはガソリンだ。
走れ、 走れ、 走れ・・・・・・
エンジンが焼き切れるその時まで。 ブチ壊れるその時まで。 派手にクラッシュするその時まで。 停まるその時まで。
俺の残骸は東京タワーに捧げられる。
俺は救われる。
走れ、 走れ、 走れ! 東京タワーに向かって走れ!
今回は一人で、LIBIDOを聴いた。 今は亡き成田弥宇さんが率いていたLIBIDO。 小田原のお寺の僧侶だった成田さんの口から漂う「声」は、私の心を激しく打ちのめした。
「流砂」
雲の影から 光が もれて どこからか やってきた霧が まるで 銀色の 流砂 みたいだ 腐った 血の色の 太陽が おちて ぼくは また(ひとり)旅にでる まるで地の底に のみこまれるみたいだ
かすかな微笑みを 口もとに うかべ あらゆる 気配を 遠く 感じ 生まれて いままで 生きてきたことも 忘れた
ここにあるのは とりまく ものは あぁ ぼくを おしながす まるで 銀色の 流砂 みたいだ
(水晶のように 冷たい・・・・・・)
水晶のように 冷たい水を ひとくち ぼくは またかえってくるよ きっと
スターリンが私の少年時代そのものなら、LIBIDOは私の少年時代の終わりだった。 私の疾走を停め、東京タワーを鉄の墓標に変えた存在だったからだ。 実際、自分の足で衝動のままに、ライヴ会場へ向かったのは、LIBIDOが最後だった。
それら全ての、 これら全ての、 あれら全ての、
闇の中の数々のロックを、私は愛している。 聴く度に、私は思い出すだろう。 僕の少年時代。 失われた時は二度とかえらないが、 思い出すことで、色鮮やかによみがえる。
思い出すことで、 思い出すことで、 思い出すことで、
思い出はすでに思い出ではなくなるのだ。
今日はここまで。
20041110 あまめはぎのこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 今日、催眠術をかけた同僚が無断欠勤した。 携帯にも出ないので、部下の女性社員を二人、同僚のアパートへ行かせた。 その結果。 救急車を呼んで病院に運んだという騒ぎになったので、仕事を切り上げてから、私は病院へ向かった。 病室へ入ると、同僚はバツの悪そうな笑顔で迎えてくれた。 ベッドの上に起き上がって、左腕に点滴を打ちながら、女性社員二人を横に、むいた林檎をしゃくしゃく食べている。 「極度の筋肉痛で気絶してたんだって」と女性社員。 「最初、ほんとに死んだのかと。映画の『リング』みたいな格好で倒れてるんだもん」ともう一人。 そこで、私は「金縛りだろ」と言ってやった。 同僚はこっくりと頷いた。 「マジ怖かったぜえ、ほんとに手足を握ってきやがった・・・」 話を聞いてみると、プレステでホラーアドベンチャーゲームをプレイしながら、うとうとして、いつものように睡眠に入るところで、何かが部屋にいる気配にうとうとしながらギョッとしたそうだ。 それが、目玉の裏で、いやにはっきり見えてきて、みのをつけた、天井まで頭がつく大男だった。 顔は電灯の傘が邪魔していて、よく見えなかったが、見てはいけない、見たくない衝動に襲われて、心の中でもぎゅっと目をつぶった。 大男の妖怪は、そのまま同僚の布団の上にのしかかり、頭からつま先まで鼻を押し付けて、くんくん、ふんふんさせて、両足の足首を両手でがっしりと掴むと、そのまま、身体から魂の部分を抜いた。 身体の感覚は、布団にしっかりへばりついているのに、気持ちの上での感覚はずるずると大男に引っ張られていた。 その時の気持ちは、もう、喉が張り裂けるくらい「助けて!」を連発するだけだったそうだ。 そうして、足のかかとをぺろぺろなめてきて、ひび割れから爪で皮を剥いできたところで、恐怖感が最高潮に達し、身体全体が吊ったかと思うと、そのまま、救急車に乗せられるまで気絶していたという。 病院からの帰り道にて・・・ 「こわーい。大男が現れるように催眠術をかけたの?」と女性社員。 「うんにゃ。ただ、何かが手足を握ってくるって囁いただけだよ。大男はあいつの心の奥から現れたものだろうな」と私。 「それにしても、みのをつけた大男って」 「かかとの皮を剥ぐっていえば、あまめはぎだなぁ」 「あまめはぎ?」 「昔は、囲炉裏で足の裏を炙る怠け者を戒めるために、炙られたかかとの皮、それをあまめっていうんだけどね、そいつを食べにやってくる妖怪を生み出したんだ。それがあまめはぎ・・・」 そこで私はハッとした。 「そういや、あいつは秋田の出身だったな。あまめはぎの本拠地じゃねぇか。あいつ自身は囲炉裏に当たってはいないだろうが、あいつの血の中にそういう記憶が流れていたのかもしれねぇな」 「何だ、じゃ、やっぱりお化けとかそういうのは、ほんとにいないのね?ただの思い込みなんだね?」ともう一人。 「妖怪とか諸々の恐怖は、人間の心が生み出したものだからね。従って・・・」 私は真剣な顔で言った。 「恐怖を克服するためには、人間の心というものをよく知る必要があるんだ」 それにしても。 金縛りからの筋肉痛で動けなくなって、病院に運ばれるとは。 もう二度と、つまらない挑発に乗って、他人に催眠術をかけるのはやめよう。 一日とはいえ、入院費を払うはめになったし・・・。 反省。 今日はここまで。
| 2005年05月10日(火) |
リクエスト過去ログ2004年版�� |
20040621 人工膣のこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- もう十数年前のことだが、私用で、博多は法華倶楽部ホテルに滞在していた時、文通友達の女の子と会って、いきなりアソコを見てくれと言われたことがある。 何でも、鎖陰というものだそうで、先天的に膣が欠損しているというのだ。 ちなみに、当時、私は二十代前半、女の子は小学生五年生だった。 元々は、オバケの話で仲良くなったのだが、文通を繰り返す度に、だんだんプライベートな相談も聞いてあげるようになった。 「お医者さんは、人工的に膣を作る手術をするゆうんやけど、怖うなか?」と女の子。 「怖いも何も、手術すれば、人並みになれるんだから、するべきだよ」と私。「世の中には、手術しても、人並みになれないものがいっぱいいるんだ。それに比べたら、君はずっとましだよ」 彼女のアソコは、なるほど、尿道や肛門はちゃんと機能するが、膣口はぴったりと癒着してしまって、その上をピンク色の皮が薄く覆っていた。 クリトリスも大きく皮を被っているが、ちゃんと根気よく剥いてあげれば、完全に露出するので、ギリギリで仮性というところだ。 「月経が始まる前に、手術を受けるべきだね、こりゃ」 「手術しなかったら、どうなると?」 「女として、色々な愉しみを味わえなくなるんだ」 それで、彼女は、手術をする決心がついたらしく、数ヵ月後に、彼女の親御さんの名前で、明太子の付け届けが届いた。 同時に届いた彼女の手紙によって、手術が無事成功したことを知った。 人工造膣手術。 色々なやり方があるらしいが、彼女のケースは、小腸の一部を使って、膣を作ったそうだ。 それからしばらくして。 私は、自分の知識が偏っていたことに気がついた。 月経があるのは、あくまでも後天的なもので、先天的なものは、生まれつきないのだ。 子宮全体そのものが、機能しないからだ。 だから、セックスが出来ても、子供が産めない。 女の愉しみが限られてしまったわけだが、彼女は手紙で「セックスが出来れば、よか」と書いてきた。 文通は、彼女が中学を卒業するまで続いた。 彼女が処女を喪失するその時まで。 痛いけれども、気持ちよかった。 気持ちよかったけれども、痛かった。 痛かったけれども、変な感じだった。 変な感じだったけれども、ピリピリして目が覚めるようだった。 目が覚めるようだったけれども、何だか夢を見てる感じ・・・ 初体験の模様を、そんな風に書き綴ってきた彼女。 彼女を思い出す度に、私は彼女の幸せを、そっと祈る。 今日はここまで。
20040627 少女に学ぶ、あるいはスコトタキシス。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- ・・・人体が美しく進化したのに、性器だけは取り残されている。性器はいまなお動物的である・・・
フロイトのこの言葉は、実に、深く考えさせられる。 この言葉を、身体で証明するのは、いつでも、どこでも、常にセックスそのものを商売にしている者だ。 即ち、売春である。 人間の、動物的な部分は、決して倦むことを知らないし、それゆえにいい商売になるのは、人間の歴史が始まって以来の真理だ。 従って、私は、売春を否定しない。 むしろ、春を売る女を全面的に尊敬している。 文字通り、カラダを張って、人生そのものとガチで渡り合っている彼女たちと、肌を合わせることで、人生の深みを学べるからだ。 そして、私が女を買う時、注意することがある。 その女が、生物的にも、心理的にも、スコトタキシスであるかどうか・・・ スコトタキシス、走暗性のことで、カタツムリ、ダンゴムシ、ムカデなどといった、常に暗闇の方向へ移動しようとする生物の特性だ。 要するに、陰のある、ワケありの、不幸な女性が好みなのだ。 逆に、フォトタキシス、走光性の、常に明るい方向へ移動しようとする女性には、小指ほども心を動かされない。 私が初めて女を買ったのは、愛媛県の漁村だった。別府から四国へフェリーで渡った際に、降り立った漁村で、親の借金に縛られた少女の誘いに応じて、彼女を有り金全部で買い、目的地の高知市まで徒歩で移動した。 ひび割れた砂壁、ねじ式の錠の窓、しみだらけの天井、奇妙なまでに柔らかい畳の、少女の家でのセックスは、私に日本人の原風景のひとつを教えてくれた。 化粧ひとつない、無垢な少女が、風呂上りの火照った頬を、さらに紅色に染めながら、私の袖をおっかなびっくり引っ張って、消え入りそうな声で「うちに泊まりませんか?」と囁いた、あの瞬間を思い出す度に、私の心は闇の中でのたうちまわるカタツムリのように、にっこりと微笑む。 そして、最後に買った女は、兵庫県神戸市で、あの阪神大震災で一家離散してしまった中で、一人たくましく生きる少女だった。 彼女は、小学生の時から、売春で食ってきたという強者で、何度も警察に補導され、児童福祉施設に送り込まれても、常に脱走して、ロリコン中年相手に春を売り続けてきたという。 典型的なスコトタキシスだった。 「まともに生きろだなんて、アホらしいわ、こんなに稼げんのに、やめられるかっちゅうねん」 それでいて、カラオケでは必死に、モー娘を歌っていた彼女。 私はそんな彼女を、松の木のように、がっしりと、きつく、抱きしめながら、首筋や乳房を思いっきり咬んだ。 その瞬間、彼女の子宮は、痙攣するように、私そのものを全て吸い取るように、収縮した。
今。 大人たちは、年端もいかない少女たちに学ぶものが多すぎる。 生きることのリアルさを。 今日はここまで。
20040919 墓の上で眠る。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 以前、三島由紀夫の墓の上で、中出しセックスをしたことを書いたけれども、当日記の読者の一人である、知り合いの芸能人から、澁澤龍彦、あるいは最近亡くなった種村季弘の墓にも何かするつもりと聞かれたので、ただ無言でにっこりと笑ってみせた。 私は、浅草のお寺で生まれ、物心がつくまで、そこで育った。 と、同時に、幼児期の半分を、新潟は妙高にある母方の実家で過ごした。 つまり、お寺で仏教独特の死生観を学び、母方の実家にて祈祷独特の死生観を吸収したわけだ。 そんな私にとって、墓は、当然、ただの石ではない。 しかし、何か霊的な特別のものでもない。 仏教、神道の両極の土壌に親しみすぎると、奇妙な話だが、死者の世界は私にとって、遠い世界ではなくなるのだ。 いわゆる、現世(うつしよ)と、幽世(かくりよ)の境界が、私の中では消えてしまうのである。 まあ、幽霊を目撃するのは、たまたまなのだが、ここでは考え方の話だから、そのつもりで。 で、私が墓に執着するのは、そこに「メッセージ」が埋もれているからだ。 廃墟などを眺めてうっとりするという意味合いも含まれているが、やはり、幼児期に身につけた、祖父たちの教えの影響が強い。 まず、お寺の、我が祖父は、「墓をじーっと見ていると、そこに眠っている人たちがどんな人生を送ってきたのか分かる」と、私をわざわざ無縁仏の墓の前に座らせて、一晩中眺めることを命じた。 まだ、幼児だった私は、素直にもずっと頑張っていたらしいが、翌朝見に行くと、墓石の前にうずくまるようにして眠っていたそうだ。 今の私は全く覚えていないのだが、祖父が「何か見たか?」と聞くと、「周りに誰かがいっぱいいた」と答えたそうである。 子供のことだから、そんな気がしただけかもしれない。 次は、新潟にて。 祈祷師の中心人物だった、大伯父、大伯母の二人は、よく「墓眠り」をやっていた。 遺言を遺す前に死んでしまった人などを「呼び戻す」ために、死者の霊が憑依するまで、墓の上で眠り続けるのである。 大伯母は、私をものすごくかわいがっていて、多少、頭が変になっていたが、幼い私にひとつの約束を誓わせる時は、はっきりした言葉づかい、真剣な顔になっていた。 もう終わったことだから、明かしてしまうが、大伯母は、私に、自分の墓の上で寝ることを誓わせたのである。 私の口から語られる「霊言」が、大伯母の遺言だったのだ。 遺言執行人としての、当時の、直江津在住の弁護士先生に、高校の夏休みに再会したことがあったが、先生は私の顔を見るやいなや、まるで死んだはずの人間に出くわしたような顔をしたものだ。 あの時の顔は決して忘れない。 そんなわけで、墓を特別視しているというよりは、私という人間の一部分といった方が的確な表現であろうと思う。 子供の頃から墓石に囲まれていたわけだし・・・。 こういう「墓眠り」は、欧米にもあるらしく、ウェールズの魔術サークルの同志のヘイワード氏は、即答一発、「Grave Sleeping」だねと教えてくれた。 キリスト教以前の、古代ローマ系の、原始宗教においては、祖先の霊と交流するための手段として、墓の上で眠ることをよく行っていたのだそうだ。 私は思う。 それが、霊的なものであれ、原始的なものであれ、人間の心そのものが、文明社会で割り切れないほど、現実では縛られないものなのだろうと。 簡単なことである。 人間は現実逃避をする。 同時に、現実逃避から、現実を超えた、何かが生まれる。 今日はここまで。
20040927 手の中をすり抜ける死のこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 今日は、風邪の症状が悪化して、会社を休んだ。 熱はないが、喉が痛い。 悪寒がして、目玉の奥がカサカサに乾いている。 ・・・・・・ 外は雨。 布団の中に潜り込んで、たっぷり半日の間、なめこが吐いた煙草の匂いにむせて、重く湿った咳をする。 蛍のようにおぼろげに輝く窓の光で、アンブローズ・ビアスの怪異譚をぱらぱらとめくる。 この本ではないが、ビアスといえば、子供の頃初めて読んだ一篇が強烈な印象を残している。 ただの作り物の蛇に、ある男が異常な恐怖を感じて、心臓麻痺を起こして死ぬという話だ。 傍目から見たら、滑稽なのだが、その笑いの中には重く垂れ下がった黒い雨雲が渦巻いている。 犬のようにニヤリと笑うと、すぐ眠りに落ちた・・・ 夢の中で、私は南北戦争に参加していた。 自分の制服を見ると、南軍である。 泥沼の中を、腰まで泥水に浸かって、ゾンビのような足取りで歩いている。 完全な敗走であった。 将校のひとりが、私に向かって、倒れている少年兵を指差しながら何かを叫んでいる。 少年兵の顔を覗き込むようにして、私はうずくまり、首筋に手をやった。 まだ生きているようだ。 しかし、わき腹にひどい傷を負っていて、助かる見込みはなかった。 将校は黙ったまま、拳銃を抜くと、少年兵の顔めがけて撃った。 私は「魂の安からんことを、アーメン」と呟いた。 すると・・・ 出し抜けに、少年兵が顔から血を流して、むっくり起き上がった。 名状しがたい恐怖が場を支配した。 将校は目を零してしまいそうなほど、大きく見開いて、次に吐き気がするのか、大きく喘いだ。 そして、そのまま胸を両手で押えるようにして、倒れてしまった。 私は将校に駆け寄り、首筋に手をやった。 一度、ピクリと脈が跳ね上がったが、それっきりだった。 顔は大きく歪んでいた・・・恐怖で。 私は少年兵を振り返って見た。 鼻の上部に、銃弾の貫通の痕が生々しく咲いていた。 将校は、少年兵の足元から、顔めがけて撃ったのだが、鼻を貫通しただけだったのだ。 何たる偶然、奇跡だろうか。 そして、何たる皮肉な出来事だろうか。 少年兵は横たわった将校を見て、それから私の方を見て、にっこり笑った。 そのまま静かに横たわると、目を閉じた・・・ もう一度、少年兵の首筋に手をやると、今度こそ死んだことを確認した。 私は、目の奥で黒いものを感じつつ、歯をむいて大きくニヤリと笑った。 目が覚めると・・・ 部屋の中は雨の湿った空気ですっかり冷え切っていた。 今日もなめこはバイトなので、うちに泊まる。 なめこのために、そして風邪っぴきの私のために、今夜はあさり入りスープパスタを作ろう。 にんにくをたっぷりきかせた、スープパスタだ。 今日はここまで。
| 2005年05月09日(月) |
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20040330 テイク・ザ・ハイウェイ・トゥ・ジ・エンド・オブ・ザ・ナイト ---+---+---+---+++---+---+---+--- 今朝はこんな夢を見た。 真っ暗な夜道を車で走っている。 真っ白に照らされたアスファルトがどこまでも続き、月明かりも星もない、真っ暗な夜空が重苦しく圧し掛かってくる。 助手席には、見たこともない少女が座っている。シートベルトに体重を預けて、前のめりになったような格好でうなだれている。顔を見てみると、両目を見開いたまま、無表情でよだれを垂れ流している。 私はラジオをつけて、何でもいいから、旬の音楽を聴こうとした。 しかし、流れてくるのは、ドアーズの「エンド・オブ・ザ・ナイト」だけだった。 どの局に合わせても、同じ曲しか流れない。
夜の果てへのハイウェイを走れ 夜の果てへ夜の果てへ 輝く真夜中への旅に出ろ 夜の果てへ夜の果てへ
至福の領域光の領域 あるものは 甘やかな悦びのために生まれる あるものは 甘やかな悦びのために生まれ あるものは 果てしない夜のために生まれる
夜の果てへ夜の果てへ 夜の果てへ夜の果てへ
ふいに、夜空が真っ白に光り輝いた。 見上げると、真っ白に光り輝く光球が六つ、円を描くように、くるくるとルーレットのように回りながら、私の車の上を通り過ぎて行き、真っ暗な闇の中へ消えて行った。 だしぬけに、少女が「エイリアンよ」と呟いた。「エイリアンがこの町にもとうとうやってきたわ」 その瞬間、夜空が真っ赤に燃え上がり、その赤い光には肌を焼き焦がすような熱があった。 「墜落したのか」と私。 それにしても、私の夢の中では、何でも落っこちてくる。 この前は飛行機だったし、最近は、巨大なクレーン車が強風にあおられて倒れてきた。 夢の中で、私は、墜落現場に向かい、車から降りて、野次馬でにぎやかになった真っ只中へ入っていった。 UFOの残骸は、何かの映画で見た光景そのままだった。 誰かが「宇宙人はいたのか、宇宙人は」と言うのが聞こえてきた。 しばらく眺めていて、残骸がただ燃え上がっているだけだと分かると、途端に興味を失い、車に戻った。 車の中で、少女は相変わらず、うつむいたまま、よだれを垂れ流していた。 私は、黙って、車を闇の中へ走らせた。 「ねえ」とくぐもった声で少女が言ってきた。「もし、私がほんとは私じゃなく、エイリアンが入れ替わっていたとしたら、どうする?」 私は少女の方を見ず、白く光り輝くアスファルトを眺め続けた。 「別に」と私。「どうもしないさ」 ラジオでは相変わらず、ジム・モリスンが歌っていた。 今日はここまで。
20040510 我が母、悪魔学。�� ---+---+---+---+++---+---+---+--- たいていの男の子は、オナニーしているところを母親に目撃されたことがあるようだ。 統計的に、正確なデータは不明だが、少なくとも私の周囲のオスどもは、酒の席で自嘲気味に告白した。 私は言う。 「どんな気分だった?」 文学的に、詩的に表現した者は一人もいなかった。 ただ、忌まわしい記憶をもてあましているようで、言葉にならなかった、あるいは言葉にしたくなかったようだ。 分かっている。 きっとおまえは興奮したんだろう。 色々な意味で。 オナニーする対象の、イメージのオンナが、突如として生々しい現実の母親のツラになっちまったんだ。 興奮しないわけがない。 私もそうだった。 ただし、私の場合はセックスそのものを見られたのだ。 中学生の頃、私はクラスメイトたちを極度に避けていた時期があって、いつも図書室にこもっているか、市川の実家の部屋にこもっていた。 男の子にも難しい年頃の時期があり、当時の私はその真っ只中にいた。 中学生の分際で、バタイユの著作を読み耽って、自分自身も含めた世の中に対して、ニヒルを気取っていた。 そんな私を心配して、家まで様子を見に来たクラスメイトの女の子がいたが、私は正直、彼女が嫌いだった。 私の心の中にまで土足で侵入しようとしている彼女、そして何よりも、心配してくれることを素直に喜べない私自身が大嫌いだった。 そして、ある日、私の一番大事にしている世界、本の世界に無理して入ってきた彼女に脳が沸騰するような感覚を覚えた。
バタイユを読んできたわ・・・
あたしとバタイユについて語ってみない?・・・
それで、語り合う代わりに、彼女を無理やり押し倒して、セーラー服の中に、ホタテを食べるヒトデのように、うねるように侵入した。 彼女は苦痛に涙を流したが、唇を固く結んで、声の分も涙に代えて、びっくりするくらい泣き続けた。 セーラー服や畳の上に、ねっとりとした体液が飛び散り、私は絶頂を迎える印として、彼女の乳房を思いっきり噛んでやった。 その瞬間、彼女の涙に濡れた目は、カッと見開かれ、喉の奥から肺いっぱいに空気を吸い込む音が聞こえ、そして、脳を串刺しにするような、悲鳴が響き渡った。 私のペニスを包み込む彼女の肉が、急激に収縮して、鐘の音の反響のように痙攣し始めた。 ぐったりとした彼女を眺めながら、私は立ち上がって、ちり紙を取り、彼女の開かれた股の間にあぐらをかいて、陰毛から膣、肛門にかけて、丹念にふき取った。 ふき取る度に、彼女は余韻に浸っているのか、ピクピクと小刻みに股の付け根を震わせていた。 ちり紙が赤と白の入り混じった粘液に濡れ、私はそれを丸めて、ゴミ箱に目を向けた瞬間、窓に人の顔を認めた。 母の顔だったのだ。 正直、私はぎくっとした。 その顔・・・実に何ともいえない表情だった・・・ その日の夕食。 祖母の作った料理が並べられたテーブルを前に、私と母はお互い視線を合わせようともせず、黙々と食べ続けた。 実に肌を針でちくちくと突き刺されるような沈黙だった。 息子も所詮は男だということが、ものすごく嫌なのだろうか? いつまでも自分の可愛い子供だと思いたいのか? そうではなかった。 私の母は、そんな、人並みの感情などこれっぽちも持ち合わせていない。 感動したらしい。 出来損ないの私が、自分のマンコ、子宮の価値を思いっきり下げたと思った私が、至極まともな、多少動物のように荒々しいけれども、女を泣かせられるセックスをしたので、感動したというのだ。
つまり、セックスを見られることで、私は母に一人前と認めてもらったのだった。
思えば、それは、母なりの愛情だったのだ。 それを理解するまで、随分長い年月がかかったが。 今日はここまで。
20040513 忍者になろう。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 昨晩、桜の君と話してて、忍者の話で盛り上がった。 彼女は、くのいちとしての由美かおるが大好きと言い、私は服部半蔵を演じる千葉真一が大好きと言った。
実は、小学校の頃、本気で忍者になろうとしたことがある。 凝り性だったので、図書館で忍者の本を読み漁り、それなりの知識を蓄えた。 忍者になるためには。 死ぬほど厳しい修行をしなければならない。 まず、道徳的な人としての心を養い、同時に、体術、拳法、棒術、手裏剣、鎖鎌、槍、薙刀、馬術、水泳、火薬術、謀略、諜報、忍び入り、隠遁、変装術、天門、地門、と十八課目の修行を積んだ上で、やっと一人前と認められるという。 そして忍術。 人心を惑わすことにつきる。 即ち、木遁、火遁、土遁、金遁、水遁の五遁の術を基礎として使う。 木遁。 これは、要するに木を使った術のことで、当然、木登りが猿並にうまく出来なくては話にならない。だから、私は近くの林でよく木に登っていた。コツは、木のバランスと自分のバランスを同一化させることで、体重移動をうまくこなすことである。今でも、私は木に登れるので、熊とかに追われても逃げ切る自信はある。 火遁。 これは、火を使う術で、劇画や映画では火薬を使う術が圧倒的に多い。見た目が派手なせいもあるが、私は灯油を口に含んで、ろうそくの炎に向かって、少し離れたところから勢いよく吹きかけるということをやっていた。数十回くらい練習したところで、灯油の味と匂いで、かなりラリることが分かったので、きっぱり止めてしまった。 土遁。 これは土の中に潜ったり、石つぶてを利用したりする術で、私の最も得意とした術だった。即ち、落とし穴、隠れ穴を掘るのがうまかったのである。例えば、高学年のいじめっこがいると、わざわざ喧嘩をふっかけて、明日、そこの空き地でタイマンだ!と約束して、その日のうちに空き地に落とし穴を二つ三つ掘っておいたのだ。向こうは低学年の生意気なガキにインネンつけられてるもんだから、冷静な状態ではなく、面白いように落ちてくれた。で、落ちたところへ、トドメとして土をかぶせたり、石をぶつけたりしていた。我ながらヒドイことをしたなと思うが、おかげで、私はいじめられることのない、幸福な学生生活を送ることが出来たから、結果オーライである。 金遁。 これは金物を使う術だが、私は金属ではなく、お金を使っていた。当時はまだあった五百円札の端に、透明な釣り糸をつけ、道端に置いて、誰かが拾おうとすると、潜伏先の垣根の裏から釣り糸を操って、お金をさっと引き込むということをやっていた。しかし、当時、近所でも有名なドケチばあさんがこれに引っかかり、お金を追いかけて、バイクに轢かれてしまった。確か、肋骨を数本折ったはずだが、私はかえって近所からほめられてしまった。それだけ、そのばあさんは嫌われていたのである。 水遁。 これが一番簡単で、また一歩間違うと溺死しかねない術だ。つまり、いかに水の中に隠れていられるか。私は泳げるし、肺活量もあるので、水中行動は自信がある方だが、市民プールで女の子の足を水中から引っ張るというイタズラを繰り返していたら、一人の三十代の女性が、私のことを溺れ死んだ子供の幽霊だと思ったらしく、ものすごい悲鳴をあげた挙句、ひどいこむら返りに悶絶していた。それ以来、水中のイタズラは、相手を選ぶようになった。 で、忍者になる上で、一番肝心なのは、術を行う上で失敗のないように、心を強くすることである。 そのために、呪文を唱えたり、結印をしたりするわけだが、このへんはいわゆる、ちゃんと形として系統づけられた気休めなので、真剣に身につける価値はある。私のやっている座禅と同じ系統だからだ。 現在。 私は趣味で色々な形の手裏剣をコレクションしているが、機能主義なので、自分で刃をつけて、殺傷力のある武器に仕上げた。 ま、それを実際に使うことはないだろうが、榊は武道の一環として手裏剣を学んでいる。 畳をひっぺがして、塀に立てかけ、畳の裏に向かって、ドスッドスッと手裏剣を投げつけているわけだが、最近、吹き針も教えている。 昔は小さい竹を使っていたらしいが、私のオリジナルは、固めのストローを舌の半分くらいに切って、その中にもめん針を数本入れ、舌の上に乗せるようにして、口を閉じ、舌と唇をすぼめるようにして、ストローの先を少し突き出し、あらかじめ溜めておいた肺の空気を勢いよく吹くというものだ。 これはけっこううまくいっている。 一本だと命中精度が怪しいが、数本まとめて吹くと、散弾効果があるので、命中精度が高くなる。 いずれ、桜の君を始めとして、護身術として身につけさせたい。 私の方は、近いうちに、もう一度鬼火の術を練習しようと思っている。 灯油を口に含んで、火を吹くというやつだ。 あらかじめ、バターやラードをたっぷり食うと、灯油がそんなに口内に染み込まないらしいので、試行錯誤を繰り返しながら、私なりに忍術を身につけていきたい。 ニヤリ。 今日はここまで。
20040605 カスパー・ハウザーの答えのこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 本日はお寺にて。 従弟の嫁の姪が私目当てにやって来ていた。 名前をもじって、ユッケと呼んでいる、小学二年生の女の子だ。 はとこたちと一通り、遊んだ後、客室で私と一緒に、座卓を挟んで、差し向かいでチェスを教えながら、さし始めたのだが、そこで相談を持ちかけられた。 「あたしも相談される人になりたい!なれるかな?」 私は思わず微笑してしまった。 「なるためには、それなりの経験と機転がなきゃダメさ。ユッケは子供だから、経験がない。ということは、機転が必要だね」 「キテンってなあに?」 「頭がどれだけ回るかってことさ」 「あたしの頭ってどれくらい?」 そこで、私は、いきなり子供にこういう難問を出すのも酷かもしれないが、以下の通りの問題を出してみた。
(問題) 旅人が分かれ道にやってきた。片方は正直村に、片方はうそつき村へと続いている。旅人は正直村に行きたいのだが、どっちが正直村なのかがわからない。そこに村人がやってきた。旅人はこの村人に一回だけ質問をして正直村に行く道を見つけだすにはなんと聞けばいいか?ただし、村人は正直村、うそつき村、どちらかの住人ではあるが、どちらの住人かわからない。また、正直村の住人は必ず正直な答えをし、うそつき村の住人はかならず嘘の答えをする。
ちなみに、一般的な解答例はこちらである。
解答例) 基本的な解答としては片方の村を指差して「あなたのすんでる村はこっちですか?」とききます。 もし、正直村 を 指差していたならば、正直村の住人は「はい」と答え、嘘つき村の住人も「はい」と答えます。 (本当の答えは「いいえ」なので、その嘘の「はい」と答える。 ) もし、嘘つき村を指差していたならば、正直村の住人は「いいえ」と答え、嘘つき村の住人も「いいえ」と答えます。(本当の答えは「はい」なので、その嘘の「いいえ」と答える。 ) したがって、「はい」と答えたならば、指差した村が正直村。「いいえ」と答えたならば、指差した村が嘘つき村だということが分かります。
で。 ユッケはこう答えた。 「あなたはお化けですか?って聞けばいいと思うよ」 私は思わず唸ってしまった。 確かに、正直村の住人は「いいえ」と答えるだろうし、嘘つき村の住人は「はい」と答えるだろう。 そして、「いいえ」と答えた住人の後についていけばいいのだ。 一見、奇天烈な答えだが、ちゃんと目的が果たせる答えだから、これも真理のひとつなのだ。 ドイツに実在した、野生児カスパー・ハウザーに倫理上の難問として、同じような問題をぶつけた教授が、やはり、倫理上ありえない答えに慌てふためくシーンが、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の「カスパー・ハウザーの謎」にあったが、それを強烈に思い起こしてしまった。 私は、にっこりと笑って、ユッケに囁くように言った。 「おまえは頭がいいな。相談員になれるよ。しかし、頭がいいだけでは、人間というものは扱いきれねえ。これから先、色々なものを見て、聞いて、感じて、また、どう思うか、考えるか、そして、どんな夢を見るか・・・全部積み重ねていくんだ」 「積み重ねる・・・積み重ねると、何が出来るの?」 「人生だよ」 そこで、私は、ユッケに並べさせた駒のビショップを取って、駒の進め方を教えながら、「チェックメイト」と言った。 チェスも一見、絶対的な真理に支配されたゲームのように見えるが、実は、ゲームの達人よりも、いい加減な素人があっさり勝つことがありうるのだ。枠にはまった考え方をしないからだ。そういうのも、機転のうちなのだ。 そこに、想像も出来ないような、人間の可能性があると、私は確信している。 今日はここまで。
| 2005年05月08日(日) |
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20040219 自分の誕生石を知ろう。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 障害年金、お寺からの収入に加えて、なかなかの臨時収入があったので、かねてよりの懸念であった、紅蜘蛛お嬢様へのプレゼントに、トルコ石のペンダントを買った。 トルコ石は、12月生まれの誕生石で、トルコといっても、アメリカ、イラン、エジプトで取れる、アルミニウムとリン酸で出来た、美しい空色の柔らかい宝石だ。人からもらった時だけ、「物事に成功する」とされる。 それでも、お嬢様のお父さんからのお年玉(「ドルチェ&ガッパーナのこと」を参照)には、全然及ばないが、こういうものは気持ちだから、私のなけなしの宝石の知識に基づいて、お嬢様への愛情を込めて贈ることにする。 いい機会だから、読者のみなさんのために、12月以外の誕生石について、以下に述べてみよう。
1月…ガーネット。個人的には、チェコスロバキア産の、血のように赤い色のが好み。インド産のは赤紫色が主。たまに、南アフリカからは、緑色という希少ものが出ることがあるが、とんでもなく高い。我が国では、長野県の和田峠が産地として知られていた。「友達の間での愛情」を表わす。
2月…紫水晶(アメジスト)。水晶の中の水晶。特に、色の濃いものが、上物とされる。我が国では、鳥取、新潟、宮城県が産地(郷土民芸品によくある宝石の原石の置物に、たいていこれが使われている)。でも、ブラジルや韓国産の方が上物。「心の平和」を表わす。
3月…血石(ブラッド・ストーン)。水晶の変わり物。緑の中に、血を飛ばしたように、赤い点々がある。赤いのは鉄分。インド、ブラジル、オーストラリア、マダガスカルが産地。「勇気」を表わす。
4月…ダイヤモンド。この月に生まれた女の子を彼女にすると、えらく大変。笑。有名だから、あえて説明なし。「清らかな心」を表わす。
5月…エメラルド。新緑の季節に合わせて、グリーンエメラルド。アルミニウムと少しの酸化クロームで出来ている。我が国でも、「緑柱石」といって、やはり、原石の置物などに使われる。「幸福」を表わす。ちなみに、私の親父がおふくろに贈った婚約指輪がこれだった。
6月…真珠(パール)。個人的に一番好きな宝石。これも有名だから、説明なし。真珠を持つと、「元気で長生きする」とされる。
7月…ルビー。真っ赤な血のように赤いのが一番の上物。古来より、ありとあらゆる魔術師、錬金術師、占星術師、宗教家の装飾品に使われた。「堂々とした、厳か」な意味を表わす。ちなみに、私の誕生石です。
8月…紅縞瑪瑙。種類は色々あるけれども、代表的なのは、サードニックスと呼ばれる、赤と白の縞もの。「夫婦が幸せになれる」という意味を表わす。
9月…サファイア。ルビーと同じ宝石。赤いのがルビーで、青いのがこのサファイア。新潟の大伯母が、このでっかい指輪をしていて、現在は、形見として、私の所有物となっている。「真心があって、信じられる」ことを表わす。
10月…オパール。我が国では主に、オーストラリア産だが、個人的には、メキシコ産の赤い色の方が好み。こちらの方が向きを変えるごとに、色の変わり方がきれいに出るから。「安らかで、望みがある」ことを表わす。
11月…トパーズ。我が国では、いわゆる「黄水晶」。本物のトパーズは、水晶より硬い。親戚のおばさんがこのペンダントを持っていて、幼い私は、紅茶のあめ玉だと思ってしゃぶっていたことがある。「友情」を表わす。
私の趣味のひとつに、石拾いがあって、子供の頃は、田舎を旅行した時に、河原や山で瑪瑙を拾って、持ち帰り、砥石で磨きながら形を整え、フェルトに染み込ませた酸化クロームでつやを出して、宝石屋で購入した「加工用空枠」、つまり、指輪の台に、接着剤でつけて、爪を折り曲げて、手製の指輪を作っていた。 まあ、露店に並ぶような、ハンパもの以下の代物だけれども、一生懸命作ったそれは、世界に二つとない個人的な宝石だった。 実は、こっちの方が、恋人に喜ばれるような気がする。 お金のない彼氏は、是非、私に相談を。作り方を教えて差し上げます。 今日はここまで。
20040224 仏罰必定のこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 桜はまだ咲かないが、花見に向けて、毎年準備していることがある。 それは、浅草のお寺の墓地の警備体制だ。すぐ近くに、見事な咲きっぷりを誇る桜が生えているせいで、花見の時期には、花見客でにぎわうのである。 人として、マナーをちゃんと守る花見客ならいい。 泥酔して、調子に乗って、墓地に侵入して、墓石の上に土足で上ったり、これが一番驚くべきことなのだが、骨壷を納めるところに下半身を突っ込んで寝ていたりする馬鹿者がいる。 その上、ふらふらと境内までやってきて、大声で喚いて、家人を起こしたり、そこらへんに戻したりする。 祖父の代は、まだ、お寺やお墓に対する畏敬というものが、しっかりあったので、そんな狼藉を働く者はいなかったが、父の代から、そういう輩が増えてきて、従弟の代でついに目に余る行為が繰り返されるようになった。 うちだけでなく、近隣の寺院も同じ悩みを抱えている。 そこで、数年前から、花見の時期限定で、近隣の寺院と協力しあいながら、パトロールをしているのだが、あまり効果はない。 一番効果があったのは、私が高校生の頃、いかに「恐怖感」を与えるかを念頭に、色々な格好をして墓地をうろついた時だけだった。 懐中電灯を二本、頭に巻いたハチマキに角のように差し、病人が病院で着るような浴衣をはだけて羽織り、ふんどしを締め、特殊メイク用の血液で顔面に歌舞伎の隈取りのようにメイクを施し、一振りの日本刀を握り締めて、墓地に侵入してくる者を見つけるや、奇声を上げながら駆け寄ったのだ。 これは、全く、効果てきめんだった。 文字通り、「蜘蛛の子を散らす」ように逃げ去ってしまった。 他にもこんな格好をした。わざわざほこりだらけにした、紺色のウールPコート、紺色のパンツ、黒いブーツという格好に、真っ赤なスカーフを首元に巻き、オールバックにした髪を金髪に染め、顔面を白粉で真っ白にし、額に赤い口紅で十字架を描き、一の腕くらいの刃渡りがあるボウイナイフを黒の革手袋で握り締め、墓石の間にじっと立っていた。 この時も同じく、ふらふらと侵入してきた酔っ払いたちが、墓石の間に立つ私に気づくや、こけつまろびつ、猛烈な勢いで逃げ去ってしまった。 私は、この実績に、周囲の寺院から苦笑いされながらも、拍手を送ってもらったのだが、後日、うちの寺に危険な狂人がいるという噂が立ち、警察まで調査しに来たので、以後、「恐怖感」を与える警備は禁止されてしまった。 全く、不満この上ない。 泥酔した者に対して、理屈で分からせようという行為が、どんなに無駄なものであるかは、警察が一番よく分かっているはずだ。 それに、寺院や墓地に軽々しく侵入するような輩は、強烈な目に合わせないと、自分が「仏罰必定」に値する行為を犯していることに気づかないのだ。 二年前だが、とうとう墓石を倒されるということが起きた。 今年になって、厳しい相談の結果、現住職の従弟、周囲の寺院は、ケツを持ってやるから、また例の警備をしてくれとゴーサインを出してくれた。 今春の私のテーマは、「百鬼夜行」。うちのはとこ、周囲の寺院の子供たちの協力を得て、身体を二つに折り曲げてもらったところへ、上から白い布を被せて、墓地をうろついてもらうのだ。 ただでさえ、小さい子供たちが、さらに小さくなるのだから、一見して、何だか分からなくて、その気味悪さにびっくり仰天するという仕掛けだ。 例え、効果がなくても、私はさらにエゲツない手段を思いついているので、今から花見の季節をニヤニヤしながら楽しみにしているのである。 今日はここまで。
20040306 官能を弾くこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 今日、紅蜘蛛お嬢様が鬱抜けを果たした。 ようやく、自分の歩いていく道を見つけたようだ。 何になるんだと聞いたら、バイオリニストになるとのことだった。 幼少時から手習いのひとつとしてバイオリンをやっているのだが、この際、プロを目指して、一芸に秀でるように精進するという。 お嬢様の目標は、ニコロ・パガニーニ(Nicolo Paganini 1782〜1840)。 私の最も愛するバイオリニストだ。 彼の「奇想曲」は、中学生時代に初めて聴いて、そのジミー・ヘンドリックスがバイオリンを弾いているような官能的な響きに、ものすごいショックを受けたものだ。 それまでは、モーツァルト、ベートーベンのおとなしい曲をクラシックの教科書として聴かされ、クラシックの印象をつまらないものとしていた。 あんな眠気を誘うような音楽なんかくそくらえだ。小学校から中学校にかけての音楽の授業は、文字通り、お昼寝タイムだった。 だが、パガニーニのバイオリンは、眠気なんか吹っ飛ぶ、悪魔的な何かがあった。 もし、パガニーニの時代に、ロックやパンクが存在していたら、パガニーニはたちまちカリスマそのものになっていただろう。 昔つきあっていた音大の女の子の話だと、パガニーニがちゃんと評価されたのは、信じられないことに、1970年代に入ってからなのだそうだ。それまでは、ひどい演奏そのものとされていて、遺族までがその評価を信じていたとか。 何たることか、パガニーニの演奏がまともな評価を受けられないとは! その理由、パガニーニが歴史の影に追いやられていた真相が分かったのは、クラウス・キンスキーが監督、脚本、主演を務めた「パガニーニ」(1989)をミニシアターで観た時だった。 クラウス・キンスキー演じるパガニーニは、どっちが本人か分からないくらい、好色で、悪魔的な人物だった。尊大で鼻持ちならぬ男。そのくせ、ひとたびバイオリンを手に、演奏を始めるや! その恐るべき旋律は、当時の女たちを妄念と情念の虜にしてしまう。 スキャンダルという言葉さえかすむくらいの、スキャンダラスな生き様。 それで、パガニーニが中傷され続け、彼の人間性の醜さが先行し、彼の音楽が正当に評価されなかったのだ。 音大の女の子は、パガニーニがもう少し、聖人君子としてのふるまいを知っていたなら、もっと早くその音楽が認められていたのにと言っていたが、私はそうは思わない。 もし、パガニーニが聖人君子であったなら、バイオリンすら手にしていなかったはずなのだ。人間的に欠陥があるからこそ、人は何かに集中するわけで、パガニーニが自らの存在をバイオリンに賭けたことは想像に難くない。それに、当のパガニーニは自らの作品を後世に残そうという、名声への欲が全くなかったようだ。 ただ、「今」を貪欲に、官能のうちに生き抜くこと。 それしかなかった。 素晴らしい。素晴らしい人生だ。 それで、パガニーニの音楽の悪魔的な何かが、分かったような気がした。 「音大へ進むのかい?」と私。 「はい。留学も考えています」とお嬢様。 「そうか。武蔵野音大だけはやめとけよ。あそこはセックスマニアしかいないからな」 お嬢様の心意気は分かっている。 叫ぶには声だけでは足りないのだ。 もっと、もっと、何かが必要なのだ。 自らの心の中の、メチャクチャに、血みどろになった、赤黒い蛇の塊を吐き出すために、彼女はバイオリンを弾くのだ。 その血に染まった旋律が、官能的でないはずがない。 今日はここまで。
20040309 クリトリスに経文を。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 今宵は、この日記始まって以来、初めて、びっくりするくらい大量のエンピツメールを頂いてしまった。 全員、女性というのが笑えた。まあ、二人ばかり、真剣な方もいらっしゃるのだが、気軽にメールを下さったのは、どれもこれも、似たり寄ったりの質問をしているので、笑いを通り越して、失笑してしまった。 いわく、「犬神博士は、どんなセックスをするんですか?」。 実に、くだらない質問ではないか。それに失礼でもある。私はこれでも、健全な男なのだ、人類のセックスをするに決まってるじゃないか。 どんなセックスをしてると思ってるのか、じっくり聞いて回ってみたいもんだ、全く。 でもまあ、せっかくだから、そういう興味本位の輩のために、私の持っている秘術のひとつを話してあげよう。 いつだったか、「肉文字」というのを、ここ日記で書いたことがあるけれども、女体のあらゆるところを、指、舌、チンコで、絵や文字を書いてみせて、どんなのを書いたか当てさせるという秘術の系統に、「豆経」というものがある。 これは、ネズミの毛で作った、極細の毛筆で、むいたクリトリスの先に、経文を書き連ねるというものだ。 墨汁をつけずに、ただ、毛先でちくちく、こまごまと書いていくだけなのだが、身体をのけ反らせて、半狂乱になり、歯をガチガチと噛み鳴らす女のうねりっぷりを眺めながら、私は女のそれとは逆に、性欲が醒め、クリトリスに経文を書き連ねるという作業に、無我の境地に至るまでに、没頭するのだ。 そうして、女が両足を痙攣させながら、絶頂に達してしまうと、私も同じく、激しく消耗してしまって、その場にへたり込んでしまう。 こういうものだって、立派なセックスなのだ。 チンコをオマンコに差し込んで、擦り上げるだけがセックスじゃない。 いかにして、男が女のそれにシンクロ出来るかというのも、どんな形であれ、重要なテーマである。もしかすると、それこそがセックスの奥義なのではないかと思うくらいなのだ。 自分だけがイクことを考えるような輩は、相手をオナニーの道具としか見ていない。 私はそういうセックスを心底嫌悪する。 裸をさらにむいて、クリトリスをさらにむいて、心のひだに経文を書くようにして、急所を攻め続けていくと、女の中の何かがむっくりと起き上がるのが見え、それが私の心のひだにまとわりついてきて、言いようもない快感を共有するのだ。 女の泣き顔を眺めることで、自分の唇に浮かぶ笑み。 このへんの「良さ」が分からない者は、所詮、本物のセックスを知らない下世話なオナニストであり、また、彼らにとっては、SMは単なる変態行為でしかない。 もう一度言おう、私は人類のセックスをする。生殖を目的とする動物には永遠に真似の出来ない、人類にしか出来ないセックスをするのだと。 今日はここまで。
| 2005年05月07日(土) |
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20030921 パンクなるもののこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- それはいつ書いたものかは覚えていないが、まだ酒もタバコも覚えたての頃で、気分が非常に昂揚していて、なおかつ、非常にムシャクシャしていた時だったと思う。
“パンクなるもの、それは世界を破壊するエネルギーを秘めた内部風景の威力である。それだけで現実を変えてしまう”
ノートなどの端っこにボールペンで走り書き、殴り書きされた一文に込められた思いはどんなものだったのか。 高校生の頃、ションベン臭いさびれた映画館で観た、「爆裂都市」という映画作品の中で主役を張っていた陣内孝則よりも、狂気そのものを具現化していた遠藤ミチロウ、泉谷しげる、町田町蔵(現在は町田康)にパンクなるものの原型を見て、帰り道で興奮して自販機に思いっきり蹴りを入れた瞬間のスパークは忘れられない。 ただ、興奮して暴れまわるだけなら、そんなのは単なる自棄糞でこれっぽちもカッコよくも何ともないと気づいたのは、北大路欣也主演の「火まつり」という映画をビデオで観た時だ。中上健次の原作を映画化したもので、大自然の中に生きる男の意識変容の物語だ。あくまでも静かに破滅していく北大路欣也演じる男の姿に、私に上のような一文を書かせるパンクの新しい解釈を感じさせたのである。 現実に生きて生活するのもハードだが、自らの欲望や欲求、願望、その他もろもろの生臭くて焼け爛れるような、凝り固まったうねりを腹に抱えて心の中の世界を生き抜くのはもっとハードなのだ。 私はその結果、本当に自殺する一歩手前まで行った。だが、現在、こうして生きているわけだから、何とかして生き抜いて、生き残ったということだ。 私の青春時代には、現在のように気軽に精神科に行けるような環境がなかった。当然、薬による治療ものぞめなかった。 カウンセリングは知ってはいたが、受ける気にはなれなかった。心理学うんぬんは今でもそうだが、頭からバカにしている。人の心をものさしで測ろうとする見当違いのインチキ学問だからだ。誰でもものさしで測れるのなら、全世界は今頃平和でしょうがないくらいだろう。 結局、自分で何とかするしかないのだ。 死にたくなければ、キチガイになりたくなければ、自分で生き残る手段を見つけるしかない。 それで、まず、私は、自分という存在から、個性の枠を取り払い、男という性別の枠を取り払い、一個の人間として、生まれたての思考になるまで自らをリセットし続けた。 そうして、どんな風に死にたいのかを考えた。その理想としての死が形になって、頭の中心に配置されると、今度はその死に向かって、どういう風に生きるべきかを考えた。答えが出ると、その生き方を自らの身体で実行すべく、私は今日まで実践し続けている。 即ち、今、目に映る世界が自分にとって生きにくければ、その世界を生きやすい世界に変えてしまえばいいのだ。自らの内部で。そうすれば、現実の生活も影響されて、生きることそのものが苛烈なまでに悦楽そのものとなるだろう。 自分で決めた自分自身に向かって、突っ走れ。それこそがパンクで、カッコイイ生き方なのではないだろうか? 今日はここまで。
20031111 雪の花のこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 今日、といってもすでに明日だが、真冬かと思うくらいに寒かった。 吐く息が白かったくらいだ。 こんな日は思わず空を見上げてしまう。 雪が降っているのかなと目を凝らすのだ。 空からは雨が降っているが、しとしとと降るのではなく、さらさらと降る様はまるで雪だ。 雪といえば、私が初めて雪の結晶を見たのは、新潟であった。 新潟は妙高高原の赤倉。 そこにある母方の実家で、従姉二人と一緒に、学研の「科学」と「学習」を読んでいて、「科学」の方に書かれていた「雪の結晶を見る方法」に従って実行したのである。 用意するものは、黒い紙と虫メガネ。 私と従姉妹二人の三人は、マスクをして熱い息を吹きかけないようにして、黒い紙を空に向かってかざした。 ひらひらと舞い降りてくる雪の花びらを受け止めると、下から懐中電灯の明かりを当てて、虫メガネで雪の花びらを拡大してみた。 従姉妹たちがマスクの中から、黄色い声を上げる。 私はしきりに「見せて、見せて」と叫ぶばかりだ。 やっと私の番が来て、私は虫メガネそのものに目を突っ込むようにして覗き込んだ。 それは、何ともいえない、美しい結晶だった。 綿のような花びらが一転して、宝石のような結晶として咲いていた。 そうやってしばらく眺めていると、雪の結晶は溶けてしまって、ただの水滴になってしまった。 次に雪の結晶を見る機会があったのは、従姉のアツコが家出をした時だった。私が高校を卒業する前の冬だった。 結婚した旦那と反りが合わず、しばらく実家に帰っていたのだが、何かの発作を起こしたように、妙高高原の山小屋に閉じこもってしまった。 そこで、アツコと唯一口がきける者として、私が呼び出されて出向いたのだが、実にきついなんてものじゃなかった。急角度の雪のたっぷり積もった山道をクロスカントリーで果てしなく上っていくのである。しかも吹雪の真っ最中であった。 息切れした顔からは湯気がもうもうと立ちのぼり、私は山道のど真ん中に立ち尽くしてしばらく休憩した。急激に身体が冷えて、筋肉がこわばってくるが、私は腰にぶら下げた水筒をぐい飲みして、足元の雪を火照った顔に擦りつけた。雪はたちまちのうちに溶けて、頬から首元のマフラーを濡らしていく。 空を見上げると、吹雪のうねりは凪いだようで、雪の花びらがさらさらと舞い降りてくる。 その花びらを右目で凝らして見てみると、一瞬だが、結晶そのものが星のようにきらりと輝くのが見えた。 ようやく山小屋にたどり着くと、そこには半纏とセーターという格好のアツコが囲炉裏の側で体育座りをしながら、本を読んでいた。 私の方を見ると、私のそれと同じ八重歯と犬歯を大きく剥き出してニヤリと笑ってみせた。 そこで私たちは真剣に語り合いながら、燃え上がるようにセックスをした。 私たちの子供の頃は、雪の結晶そのものだ。 それを見るのは美しい。しかし、はかなく溶けて消えてしまう。 それでも、思い出すことが出来るから、なおさら美しい。 その日以来、二回に渡って、私とアツコは山小屋まで一緒にクロスカントリーで出向いて、そこで二人だけの時間を過ごした。 その時間を、私たちは「雪の結晶を見に行く」と称していた。 つまり、思い出を取り戻しに行っていたのだ。 今度は、私の方が精神的に落ち込んでしまって、自殺未遂を起こしかけるくらい追い詰められたのだが、アツコは榊を妊娠していた。 アツコは私との娘だと言った。 「あたしは旦那と離婚するけど、あんたはあたしと結婚しなくていいよ。結婚してしまったら、あたしたちはもう子供の頃を思い出せなくなるし、あの頃には二度と戻れなくなっちゃう。大丈夫、食べるのには困らないから。いつまでもあたしたちは、子供のままでいようね」 つまり、思い出のままに生きようというわけだ。 しかし、思い出はいつか薄れてしまうものだ、溶けてしまう雪の結晶のように。そう、私たちは溶けた水になった。 しかし、水の中からは花が一輪咲いている。 それが榊なのだ。 願わくは、おまえも雪の結晶に魅入られんことを。 今日はここまで。
20031112 シスター・アビゲイルのこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 仕事の帰りに、久しぶりに社長に会った。 例の、大迷宮の設計を依頼した、せむしの社長だ(「リンボ、あるいはリンコナーダのこと」を参照)。 社長なら社長らしく運転手つきの高級車に乗ればいいものを、彼はまるでせむしであることを誇示しているかのように、一般人にまぎれて尺取り虫のような歩き方で移動することをひとつの悦びとしていた。 最初は人目を忍ぶことに心を砕いたが、現在はその逆で、どれだけ人目を引くかに心が傾くのだと言う。 人々は、ほんとうに、彼を見る時は、その目に何ともいえない色を浮かべる。その人個人の本性が明らかになる色だ。 社長はビジネスの時も、そうやって相手の本性を見極めるらしい。 商談取引の際に、まるでコブラのようにゆっくりと相手の目の色を観察して、心を読み取るのだそうだ。 「それで、おまえをあからさまに『せむし』だと指さす反応を示すのはNGってわけかい?」と私。 「いや、いや、その逆だよ。憐れみを示すやつがNGなんだ。偽善者なんてビジネスのパートナーとして選びたくないな」と社長。 「シスター・アビゲイルの教訓だな」と私。 「ああ。彼女からは実に根本的なものを学んだよな」と社長。 シスター・アビゲイル。英国の教会から国府台に派遣されてきた教師で、キリスト教の慈愛の理念に基づいた教育方法を実践していた尼僧だ。 彼女は現在では慈愛に満ち満ちたマリアそのもののような教育者として語り伝えられているが、その教育は決して慈愛だけではなかった。 確かに慈愛ではあるのだが、苛烈な慈愛だった。 例の、キリストの名文句にある「汝の敵を愛せよ」に基づく慈愛なのだ。 即ち、絶対的に信用出来るのは、憐れみの言葉をかけてくる人よりも、石を投げつけてくる人の方だということを教えてくれたのだ。 それは、実際、その通りだった。 なぜならば、自分を抑えて形だけの慈愛を示してくる人よりも、まっすぐに嫌悪感を示してくる人の方が、人間として真っ正直だからだ。 だが、まだ幼かった私たちには、敵を愛することが全く理解出来なかった。自分の存在を守るために、敵はすべて滅ぼすという考え方に傾倒していた。 なめられないために、初対面でまず力を見せつけてやるのだ。 社長は元々金持ちだから、財力を、私は力持ちだから、ケンカ強さを示していた。 しかし、シスター・アビゲイルは、そういう力はすべて自分自身が弱い証拠なのだと何度も訴えた。 なめられてもいいじゃない、虐げられてもいいじゃない、ほんとうに重要なのは、あなたたち自身が一人でも生きていけるだけの精神的な強さを身につけることじゃなくて? 彼女の教えをほんとうに理解出来たのは、実は最近であった。 そこで私はハッとした。 「おまえ、もしかして、誰かに石を投げられるのを待ってるのか」 社長はニヤリと笑った。 それから、私たちは、高級レストランで食事をしながら設計についての打ち合わせをした。追加として、大迷宮の入り口にシスター・アビゲイルの銅像を建立することを決めた。 私は帰り道を一人で歩きながら、歌を歌った。
Would you take better care of yourself Would you be kinder to yourself Would you be more forgiving of your human imperfections If you realize your best friend was yourself
自分をもっと大切に 自分にもっと親切に 自分の欠点にもっと寛大に 最良の友は自分自身なのだから
シスター・アビゲイルがよく歌っていた文句だ。何かの映画の中からの引用らしいが、私は銅像の銘文にこの文句を刻むつもりである。 自分の心にゆとりが持てれば、自分自身が強くなれば、敵を愛することも可能なはずだ。理解するのには時間がかかるけれど。 今日はここまで。
20031229 極光のこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 14歳のお誕生日おめでとう、紅蜘蛛お嬢様。 今日は、お昼から君の誕生パーティーだ。 もちろん、私は出席するし、榊も直江津から来る。 こうして日記を書くのは、ずいぶん久しぶりな気がするけど、今回の風邪はほんとうにしつこいな。 おかげで、足腰やら身体の節々が痛くてたまらん。 おまけに、満足にものも噛めないから、ストレスがたまってイライラしっぱなしだ。 そんな状態だが、今日ばかりは、君のためにひとつ書いてみよう。 思えば、君と出会って、早くも十カ月が過ぎた。 出会ったのは、池袋のSMサークルだった。君は五歳も齢をごまかして、十八歳の女の子として、すみっこにぽつんと座って、ウーロン茶を飲みながら緊縛プレイを見学してたな。 君に誰も声をかけなかったのは、今だから言うが、未成年だってことがバレバレだったからだよ。 それで、「あの子を何とかしてくれ」と頼まれて、私が声をかけたんだ。 君は君自身の事情で、家庭や学校から飛び出して、やけくそになってSMサークルに誘われるがままについてきたとのことだった。 「やけくそになった上で、何でまたSMなんだね?」と私が尋ねたら、君は伏し目がちになって「SMがいちばん、自分を壊しちゃうことが出来るかなって思ったんです」と答えたね。 聞けば、元々お父さんの秘蔵の本で学んだとか。 私は、最初は、君をSMサークルからつまみ出すつもりだったが、君のやけくそを全部受け止めてみようと考えて、君とつき合い始めた。 君のことを知っていくうちに、まず驚いたのは、君がいいとこのお嬢様で、学校もとんでもないくらいの名門校だということだった。 でもまあ、貧乏人でも、金持ちでも、やけくそになる気持ちは同じだ。 だから、私は君をお嬢様と呼ぶが、特別扱いはしない。 色々なことを教える相手として、真っ正面から取っ組み合っている。 そのうち、君も真っ正面から、こっちがひるむくらい、ぶつかってくるようになった。 やけくそになるがままに、君は思いっきり壊れていったが、今日、誕生日を迎えて、あらためて自分自身を見つめ直してみたまえ。今の君は、私と出会った頃のままかね? 全然違うだろう、見た目も、中身も。 私から色々なことを吸収した以上に、君が君自身で、新しく自分を再構築したんだよ。 つまり、逞しくなったのさ。 君の立場は、普通の女の子のそれとは違うからな、より逞しくなる必要がある。 娘の榊のように剣道が強いだけでは、ほんとうに逞しいとは言えない。 ほんとうの逞しさとは、善にも強く、悪にも強いという、強靭な精神力を持っていることなんだ。 そのへんは君も薄々理解してきているはずだ。 君は、いつか、私と一緒にアラスカか北極へ行って、オーロラを見たいと言う。 私はすぐ風邪をひくたちなんだが、オーロラは一緒に見たいね。 ところで、小学生の頃、オーロラのことを「アウローラ・ポレアーリス」と覚えていた。 英語の家庭教師がそう教えてくれたんだ。 極光のことでね、朝日を浴びると体内時計がリセット出来るように、文字通り、新しく生まれ変わることが出来るんだそうだ。 ほんとうに見に行くのは、まだ先でいいけど、君は常に心の中に、極光が見えるように想像したまえ、君自身がよりよく成長するために。 最後にもう一度。 お誕生日おめでとう。 今日はここまで。
| 2005年05月06日(金) |
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20030701 続・絶対少女のこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 昨日の午後六時ごろ、練馬区で中学生の女の子二人が飛び降り自殺をしたという事件があった。「生きていくのが嫌になった」、「別に誰のせいでもない」というメールが携帯に残されていたという。周囲は心当たりがないとか、理解に苦しんでいるようだが、そんな時、私は彼女たちは自らの「絶対少女」に侵食されてしまったのだなと考えることにしている。 現在、架空や想像などの夢幻は、現実を侵食するほどにリアルなのだ。現実だけを見据えて前に突き進むことで生きていられる時代は、どんどん過ぎ去っていく。生命の危険なしに安全に生きられる現在では、心が本能的に刺激を求めて自らの内奥に深く歩み入ってしまう傾向がある。そこで、現在の少女たちは、「絶対少女」に出会うのだ。自分自身の影と。 人間というものは危険なしには生きられない。退屈するからだ。退屈という言葉が存在することが何よりの証拠である。「絶対少女」は限りない刺激を約束してくれる。自らの内部風景は限りない不思議に満ち満ちているからだ。私の知らない私自身の何という素晴らしさ!それで、彼女たちは現実に帰還することを拒み、死を選んだのだろう。南無阿弥陀仏。合掌。 私はカトリックの坊主のように自殺を否定する側だ。ただし、考え方はカトリックのそれとは全然違うが。単純な考え方である、生きている限り、内部風景は宇宙と同じく膨れ上がるのだ。人生の快楽はそこに集約されている、生きるだけ生きて、現実とともに自らのアナザーワールドを愉しもう!だから自殺して、自らの内部風景の美しさ、痙攣的な刺激に終止符を打つような真似は、とてももったいなくて出来ないのだ。 多分、二人の女の子たちは、私のように愉しみ方を知らなかったのだろう。かわいそうに。だが、死んでしまったものはしょうがない、二人は死の世界から、周囲の記憶を通して、二人を知っている少女たちの中の「絶対少女」そのものになったのだと考えて、冥福を祈るしかない。少女たちが年老いても、記憶の中の二人は永遠に少女のままなのだ。
…今の、私の、私のままで、私たちは死ぬの。そうして、私たちは永遠に大人にならないの。私たちはずっと、ずっと、このままなの。もう恋したり、セックスしたり、子供を産んだりすることは出来ないけれど、それでもいいの、私たちは、今の私たちが一番大好きだから。お父さん、お母さん、さようなら、先生、お友達、近所の人たち、道端の猫ちゃん、みんな、みんな、さようなら。私たちはこれから永遠に齢を取らなくなります。
ああ、もったいない。でも確かに永遠なるものになったのだから、ちょっとだけうらやましい。今日はここまで。
20030703 絵を描くということ。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 私が美術部に入ったのは、中学に上がってすぐだった。いや、入ったというより、自分で創設したというのが正確だ。私の他に誰もいなかったのだ。だから、最初の一年間は部どころか同好会でも何でもなくて、個人授業だった。美術の先生は優しい女性で、絵を描く技術を本格的に学びたいという私を快く迎えてくれた。 それまでは父のマニュアル式の一眼レフカメラで、心霊写真の偽造を多重露出で撮ったりするくらい、写真にのめり込んでいた。マミヤというメーカーのそのカメラはシャッター音が独特の音で、ファインダーごしに被写体をそのまま自分の世界に取り入れる時の儀式的な合図だった。 写真さえあれば、絵を描くという面倒な作業なんていらないと思っていたのだが、サルバドール・ダリの展覧会に行った時、かなりの衝撃を受けた。なんなんだ、このわけのわからない世界は。そして、心の中で何かがざわめくのは、一体なぜなんだ。 シュールレアリスムは私の心を完全にとらえて、人間の心の奥深い部分を表現することこそが、私の進むべき道ではないのかと考え出したのである。 絵を本格的に学ぼうと決心したきっかけは、ヴァン・ダインの推理小説の中で述べられていた、写真と絵画の違いについての講義である。同じ構図を撮ったり、描いたりしたとして、写真は撮影者の意図しなかった余計な物体も撮ってしまうが、絵画は完全に描き手の意図するままに、心の中で構図を再構築して描くのだ、という内容だった。 先生は優しい女性だったが、個人授業は厳しかった。観察眼を鍛えるために、ケヤキの木をまるまる一本写生させられたことがある。葉っぱの数がちゃんと合うくらい、見たままを忠実に描いていかなければならないと教えてくれた。風景画が風景写真よりも風情的に美しいと感じるのは、描き手の心を感じるからだとも教えてくれた。 「絵を描くにはね、心を脱いで裸にならなきゃだめなの。分かる?余計なことは考えないで、見ているものの裏側まで見えるように、自分自身を感覚そのものにしてしまうのよ。あなた、お寺の子なんだから、座禅くらいはしたことあるでしょ?あの感覚に近いわ」 本当に厳しかったのは、記憶の中の観察力の鍛練で、先生の運転する車の窓から眺めた風景や人物を記憶して、次の日に忠実にキャンバスに再現するのだ。いいかげんに描こうものなら、先生の叱責が飛び、先生はさっさと教室を出て行って、それっきり戻ってこなくなる。 一人残された私は、唇を噛み、涙目で頭の中の風景や人物を思い起こし、ラフスケッチから始めて、構図を決めると、それを見ながらキャンバスに木炭でアウトラインを描いていって、色を塗っていく。 中学を卒業する頃には、絵の技術はともかく、観察眼は先生に認められるまでに発達した。一度記憶したものは決して忘れないという能力は、現在でも役に立っている。 静物、人物、風景を順番に学び、いよいよシュールレアリスムに挑戦する段階になった時、先生は私に優しく語ってくれた。 「あなたは最初からシュールを描きたがっていたけど、最初からシュールを描き始めた画家なんていないのよ。みんなちゃんと手順を踏まえて、初歩から学んで、シュールに到達したんだから。現実を知らなければ、夢を描けないことと同じよ。そして、夢も現実なしには存在出来ないことも忘れないでね」 先生の言葉は、今でも私の心に生きている。素晴らしい先生だった。彼女の存在なしには、私はまともな人間には決してなれていなかっただろう。異常な世界に身を置いても、常識を忘れない存在になるためには、陰陽の考え方を持ち、強い意志を持つ必要があるのだ。先生は私をそういう存在に育て上げてくれた。 現在では、シュールも私の世界の一部であり、最近は水墨画に挑戦している。風景だけでなく、神仏も描いているのだが、なかなか納得するような神々しさが出なくて苦労している。もっともっと裸にならないとだめなのだろうか。今日はここまで。
20030712 射精の音のこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 今までに経験してきたセックスの中で、一番変わったものといえば、音大生の子とのからみだった。セックス時の音が聴きたいというので、二人で録音室にボーズのスピーカーを持ち込み、スピーカーに囲まれるようにしてエアーベッドを配置して、その中へ集音機としてのマイクを数本引っ張った。スイッチオンして、お互い裸になり、私は女の子の唇を吸いながら乳房を揉み始める。女の子は両手に握ったマイクで吸われる唇に押し当ててみたが、強烈なハウリングが響き、慌ててボリュームを調整した。スピーカーがドスドスと叩くように響き、腹にそのまま伝わってきた。あらためて、唇を吸って、舌をからめると、スピーカーからはウーンといううめき声が漏れ、アハアという息づかいが爆音として耳に突き刺さった。私たちはニヤリと笑い、今度はフェラチオをして、射精の時の音を聴こうということになった。女の子が私のペニスをくわえると、マイクを通して濡れた音がスピーカーから響く。吸う音、しゃぶる音、唾を出す音、舌をからめる音が次々と飛び出てくる。まるで、木琴の叩き棒で肋骨を激しく撫でられるような感触だった。はらわたが躍っている。スピーカーがドドドと激しく振動している。私はやがて絶頂感を感じ、女の子の頭をわしづかみにした。女の子はペニスから口を離し、しごき続けながら、亀頭の先に右耳を押し付けた。マイクも忘れずに尿道に押し付けている。私は思いっきり、勢いよく射精した。その時の音は、スピーカーからは、何か、ビニール袋に入れた寒天を勢いよく絞り出したような、濡れた爆発音が響き渡った。女の子の方はその瞬間は聴こえたらしいが、右耳の奥まで精液まみれになったようで、しきりにプールサイドでよく見るように、耳に入った液体を跳びはねて出そうとしていた。そのうち満足したのか、女の子が自分の股間にマイクを押し当てて、私に思いっきりブチ込めとうながしてきた。私はペニスにペペのローションを塗りたくり、ワンツースリーで挿入した。その瞬間、女の子の口からはアーッと叫び声が漏れ、マイクを通したスピーカーからは、田圃の泥に勢いよく足を突っ込んだような濡れた音が響き渡った。腰を動かすと、水の入った長靴で走っているような音が響き渡る。女の子は鼻の穴を膨らませたり、小さくしたりして、食いしばった歯の間から尖った息を吐いたり、吸ったりしていた。そのうち、体位を変えて、女の子の身体を裏返しにし、尻をわしづかみにしながら、バックから勢いよくつつき始める。女の子の手からマイクを奪い、尻の穴に押し付けてやる。女の子はやだー!と叫びつつも、スピーカーから響き渡る濡れた音に打ちのめされて、うっとりとした表情になっていく。そのまま尻にマイクを突き刺したまま、私は思いっきり女の子の中に射精した。その時の音は、ゴムが収縮するような、グギュウという奇妙な音だったが、後で思うと、あれはペニスを締め付ける膣の音だったように思う。 こうした淫らな実験が終わった後、私たちはパガニーニのバイオリンをスピーカーからマックスで流し、その中で鼓膜を強姦されながら、今度はもっと激しくからみあった。 後日、女の子が教えてくれたが、彼女は中耳炎になってしまっていた。 私はライヴ会場などでスピーカーの前に来ると、わけもなく勃起するようになってしまった。今日はここまで。
20030802 花火の下で逝くということ。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 今日は地元の花火大会だった。毎年、毎年、どこからこんなに出てきたのかと思うくらいの人ゴミである。隅田川花火大会もそうだ。一度、人ゴミに流されつつ花火見物をしたことがあって、片方の草履をなくしてしまった。それ以来、隅田川のは屋形船でのんびり見物することにしている。私は祭りや花火は大好きだが、長い行列を作って並ぶのと、酸欠になりそうな人ゴミは大嫌いである。地元のは、みんながそうしているように、土手にシートを敷いて場所取りをするわけではなく、ずっと川沿いの某学園の校舎の屋上でのんびりと見物することにしている。今年も同様に、そこでビールを飲みながら、天体望遠鏡と双眼鏡で浴衣のおねえちゃんウォッチングも楽しんだ。 ここの屋上で見物をするようになってから、かれこれ二十年以上は経つ。現在は校舎そのものが建て直されたので、ピカピカの新しい気持ち良さがあるが、それまではかび臭い、雑草だらけのひび割れたコンクリートの屋上だったのだ。おまけに地元ではかなり有名な幽霊学園でもあり、気がつくと、隣で誰か知らない人が一緒に花火見物してたなんてことも何度かあった。 ちなみにここで見物するのは、私の他に、宿直の先生が一人。つまり二人きりである。元々は、私の右耳の障害について色々面倒を見てくれた聴覚検診の担当の先生が、少年時代の私を「内緒だよ」と屋上に上げてくれたのが始まりだった。初老の物静かな心優しい男の先生だったが、私が中学を卒業する頃に、一緒に花火見物をしている最中に脳卒中を起こして、そのまま帰らぬ人になってしまった。その後は、二回くらい、一人で見物していたが、今日の花火大会でも一緒だった女性が一緒にいてくれるようになった。先生の一人娘で、同じく教師だが、職場は裏の女子学園である。ただ、やはり、お互い子供の頃から縁の深い場所なので、自由に出入り出来るわけだった。他に一緒に見物しようという者は今日に至るまで一人もいない。幽霊と一緒に見物するはめになっても平気という人は、ずっと私たち二人だけのようだ。 「お父さんは花火が何よりも大好きな人でね、ここで逝ったのは本望だったでしょうね」 「そうだね、眠ってるような感じだったよ。それだけに脳卒中だと気づけなかった。でも笑ってたよ。満足そうな笑顔だった」 花火が連続して上がる中、私はビール缶をぐい飲みして、真下に見える江戸川をバックに、先生を座らせて、背後に光輪のように花火が広がるようにした。私はいつものように、浴衣姿を褒めようとしたが、先生は謎めいた笑みを浮かべて、そのまま私に背を向けた。 「ねえ、後ろから首を絞めてみて」 「は?」 「いいから、早く。君にしか頼めないことなんだから」 私は先生のうなじから撫でるように両手を首にかけた。頸動脈、気管から、先生の興奮した声が伝わってくる。 「そのまま、ぎゅっと!思いっきり!」 私は殺意を込めずに、花火が上がるヒュルルル…という音に合わせて、ぐいっと絞めた。バーンと花火が咲き渡った瞬間、先生はヒュッという呼吸音を漏らしてそのままぐったりしてしまった。気絶したのだ。私は先生を抱き起こし、背中に膝を押し当てて、活を入れると、パイプ椅子に座らせて冷えたビールを飲ませた。 「花火の下で逝くってどんな感じか知りたかったのかい?」 私が聞くと、先生は黙って頷いた。喉をさすりながらビールを飲む。 「首絞めるのうまいわね、まるで人を絞め殺したことあるみたい」 私は苦笑して肩をすくめてみせた。 「こんなこと、これっきりだぜ。どこかでおれたちを見てたら、近所通報されるだろうな」 「大丈夫、おまわりさんたちは花火の警戒で大忙しだから、ここまで回ってくるほど暇ないわよ」 「それで、絞められた瞬間、花火が上がるタイミングを合わせたけど、どんな気持ちだった?」 「ああ、このまま、ほんとに死んでもいいな、そう思えるくらい気持ち良かったわ」 私はにやりと笑うと、そのままビールを飲みながら、花火見物を続けた。 そういう死に方も悪くない。心の中で周囲に寄って来ているであろう、幽霊たちに「どう思うかね?」と聞いてみた。しかし、返事はなく、沈黙が横たわっているだけだった。今日はここまで。
20030913 豚飼いのこと。 ---+---+---+---+++---+---+---+--- 市川市の外れから、鎌ヶ谷に抜ける途中に、車やバイクの残骸の山があり、その山の中に、びっくりするくらい場違いの、飼育小屋があった。 高校生の頃は、よく友達と原チャリでその飼育小屋を見に行ったものだ。直接敷地に入らず、少し離れた小高い丘の上から見下ろすのを常としていた。 敷地に入らないのは、しかるべき理由があった。危険だったのだ。 周囲の車やバイクの残骸の中には、十数匹の犬が放し飼いになっていて、初めて私たちが侵入した時は、出てくるわ、出てくるわというくらい、吠えかかってきたので、それ以来、安全な場所から眺めることにしたのだ。 そんなに面白いものが見れたのかと言われると、自信を持ってそうだとは答えられない。 何の変哲もない、大きな豚だったからだ。 飼育小屋からはみ出るくらい、巨大な、ヨークシャー産と思われる、白っぽい毛並みに覆われた、泥だらけの豚は、いつも物憂げに横たわっていて、尻尾をあっちこっちと振り回していた。 私たちは、お互いの感情を確認しあったわけではないが、多分、そのデカさに感動して、珍しいもの見たさに、わざわざ来ていたに過ぎなかったと思う。 「トンカツにしたら一体何人前取れるんだろ」と私。 「おまえ、食うことばっかりだな」と友人。 「食うといえばさ、餌食ってるとこ見たことねえな」ともう一人の友人。 今思えば、ほんとうに、豚が餌を食ってるところを見たことがなかった。夜の間に餌やりをしていたのだろうか? 「まさか、あの周りの犬が餌だったりして」 「それはありかもな。豚は何でも食うからな」と私。 「それはないだろ、だったら、犬が落ち着いて住みつきゃしないだろ」 「餌と同じく、飼い主もいっこうに見かけねえな」 「とっくの昔に食われちまったんじゃねえの?」と私。 そんな会話をしながら、暇さえあれば、豚を見に出掛けていたが、いつ見ても、豚は血色がよく、美味そうに肥え太っていた。 ある日、私は夢を見た。 豚が二本足で立って歩き回り、周囲の犬どもに餌をやっている夢だった。 蹄で器用にドッグフードの袋をあけ、そこら中にばらまくと、豚の足元に犬どもが駆け寄ってきて、一心不乱に食べ始める。 豚は、かつては、人間だったのだ、という考えが私の頭の中に広がってきて、思わず呻いた。豚こそが飼い主だったのだ。 そんな変な夢を見てから、あらためて豚を見に行くと、豚は相変わらず悠然と横たわっていて、私の方を小さな黒い目で眺めていた。 その日以来、私は豚を見に行くのをやめてしまった。 現在で、十六年経つのだが、今でも豚は相変わらず横たわっているのだろうか。今日はここまで。
| 2005年05月04日(水) |
Fight the Death, Fight the Life. |
昨日は、参拝に来た檀家たちを前に、副住職のミスラ君を紹介しつつ、「説法」をした。 住職の従弟の「説法」は、浄土真宗の宗派に沿った、教科書どおりのマニュアル的な内容だが、代理を務める私の「説法」は、しばしばとんでもない方向へ脱線するが、全く自由な内容である。 今回は、「理想的な死に方と、理想的な生き方について」。 ・・・あなた方は、もし死ぬとしたら、どんな風に死にたいですか?なるべくなら、楽に死にたい?痛みもなく、苦しみもなく、眠るように?突然、事故にあって即死という死に方をするように? 最近、練炭で自殺するのが流行ってますよね、楽に死ねるとかで。あれはねぇ、私から見たら、自殺じゃありません。眠るように死ぬんじゃあ、ただのワープです。この世からあの世へのね。そして、死というものは、徹底的に個人的なものであるはずなのに、集団でやるわけでしょう。つまり、死そのもの、自分自身から「逃避」するわけですよ。これじゃ、ほんとに死んだことにはなりません。あの世でもまた「逃避」し続けるでしょう。 では、ほんとの自殺とは何か?最近のニュースなんですけど、どこかの結婚式会場の駐車場で若い女性が、焼死を遂げたそうです。ガソリンだか灯油だかをかぶってね。色々想像できるじゃありませんか、誰かの結婚をはかなんで、自殺したんだろうってね。で、わざわざ、苦しい死に方を選ぶことで、練炭自殺とどう違ってくるのか?自分自身以上の、自分自身になれる点ですよ。ぶっちゃけ、「化けて出る」ことが出来るんですよね。 死んだ本人はともかく、少なくとも、誰かの心に原始的な恐怖感を植えつけることには成功します。 私は、この、泥臭い日本人的な自殺の考え方に、別の意味で賛成します。 どうせ死ぬなら。 絶対に、楽な死に方はしないことです。 ドロドロに、メチャクチャに、苦しみ悶えるような、凄惨な死に方であるべきです。 最期の瞬間まで、死にゆく感覚を味わうためです。 そうすることで、おのれの生命力を贅沢に愉しむのです。 つまり、自分自身と真っ向から向き合って、血が枯れるまで闘い続けるのです。 あの世に、そのまま歩いてワープするよりは、「逆立ち」して血みどろの坂道を下った方が・・・より、自分らしくなれるのです。 まあ、何も、自殺に限らず、病気で苦しむとかね、ガンとか肝炎とか。 我が国じゃ認められてませんけど、これまた絶対に、安楽死なんて選ばないことです。 最期の瞬間まで、病気と闘うべきです。 自分らしく死ぬために。 それゆえに、死とは、徹底的に個人的なものなのです。 苦しんで、苦しみぬいて死ぬことで、初めて、自分自身を理解することが出来る・・・。 二十歳前は、切腹こそが理想的な死に方だと考えて、二十歳になった記念に、ご先祖様の短刀で横っ腹を撫で切って、へその下に突き立てたんですよ。ものすごく痛くて、苦しかったですね。介錯人いなかったし。 で、刃をさらに深く突き入れようとしたところで、電話が鳴って、出たら、サカキが生まれたって連絡があったんですよ。ええ、私の娘です。去年のお盆に境内で木刀振り回してたのがいたでしょ?あれです。 それで、私は、切腹よりももっと苦しい死に方を見つけました。 それは、自分自身を生き続けることなんです。 死ぬ瞬間まで生き続けること以上に、苦しいことってあるでしょうか? いい思い出もあるけど、いやな思い出も抱えたままですからね。 それで、私はどてっ腹に短刀を突き刺したまま、病院に行って、今日までこうしているわけですよ。
生きるために死ぬ。 死ぬために生きる。
この両極を同時に抱え続けることが、理想といえるんじゃないですかね。 私はほんとにそう思います。
ほんとうは、もっと長く話していたのだが、ここでは省略して、まとめてみた。 従って、私は、リストカットなどの自傷癖を否定しない。 おのれの身体を実際に傷つけて初めて、自分を理解する方法もあるのだ。 ただし、自分が周囲から異常として扱われるからといって、異常さをわざわざ膨らます必要はない。 また、誰かに自分を理解してくれと求める必要はない。 結局、自分を甘やかす結果になるからだ。 常に、自分自身と闘え。
・・・・・・
お寺の門の掲示板に、標語を不定期で書いているのだが、今回は、ミスラ君と二人で考えたものを掲げた。
Fight the Death, Fight the Life.
いつも、縦書きで筆文字なのだが、今回に限って、横書きで書いた。筆を取ったのはミスラ君である。
死と闘え、生と闘え。
今日はここまで。
| 2005年05月01日(日) |
ノーブル・カクテルのこと。 |
今まで、脂肪肝気味だったので、大好きな酒が好きなだけ飲めなかったのは、誠に辛い試練であった。 体重は増えたが、胸筋と上腕二頭筋が太くなった分であって、体脂肪は努力のかいあって、減少を続けている。 で、お医者先生から、禁酒解除の許可を頂いたので、さっそく自分でマーティニ、ダイキリを作って飲んだ。 カクテルに関しては、コンビニや酒屋で、永瀬正敏さんがイメージキャラをつとめている、気軽に飲めるやつがあるが、あれはあくまでも、「気軽にカクテルを飲んだ気分になれる」やつである。 決して、本物ではない。 カクテルは、その人個人によって、千差万別の好み、飲み方があるので、気軽に飲めるものなんて絶対にありえないのである。 ミスラ君が学んだオックスフォードでは、カクテルに関する研究会があるらしいのだが、真面目に研究していたのは前世紀までで、現在はもっぱら先人たちの発明の美味しさに酔うだけだそうだ。 甘え、かつ、溺れているようでは、大英帝国も王室の威厳とともに、滅びるままであろう。 私は、飲食にかけては、誰よりも食い意地がはってるので、美味しく食べたり飲んだりできるならば、どんな手間もいとわない。 つまり、私自身の食欲と味覚に、非常に忠実なのである。 元々、カクテルの奥義を私に教えてくれたのは、お寺の住職を務めている従弟であった。 この男は、ソルティー・ドッグが何よりも大好きで、ほとんどそれしか飲まない。 浅草のバーやスナックで、様々なソルティー・ドッグを飲み歩いて、一番美味いのは、やはり、自分で作るやつだそうである。 さもありなん、日々の気分次第で、塩加減が違ったり、グレープフルーツの量も違ったりするから、その日の、もう一人の「自分自身」を投影したソルティー・ドッグが美味く感じられるのは当然だろう。 同時に、作り方をマズッて、やりきれない味になりはてたソルティー・ドッグを飲む日もあるのだが。 そういうことなのである。 ちなみに、私にとっての「初体験」のカクテルは、五歳の時で、祖父が飲んでいた赤玉ポートワインをうらやましそうに眺めているので、見かねた祖父が牛乳で割って飲ませてくれた。 「赤玉ポートワインの牛乳割り」。 カクテルとは程遠いが、これでも私にとっては、立派なカクテルで、味をしめた幼少時から、カルピスと同じようにガブガブ飲み続けてきたものだ。 今でも時々、作って飲んでいる。 もちろん、色々なカクテルの味を知った今では、「赤玉ポートワインの牛乳割り」は決して美味しい飲み物ではないが、飲んだだけで、ありとあらゆる記憶の大海が洋々と広がるという飲み物では、あくまでもノーブルという意味で、しつこく脳皮質に刻み込まれている。 だが、これこそ、実はカクテルの奥義なのだ。 いかにして、その日を最も美味く飲むか。 これは従弟の極めた奥義だが、 飲んだだけで、どれだけ何かを思い出せるか。 を、私は極めた。 マーティニといっても、私が飲むのは、現在の主流の、ドライではなく、前世紀の初期のしっとりしたやつである。 ダイキリも同様で、重いラムから順番に、慎重に重ねて乗せていくという手間をかける初期のやつだ。 わざわざ、そういう面倒な飲み方をすることで、私は実に多くのことを思い出す。 家族のことはもちろん、 下北沢で仲間たちと飲み歩いたことや、国内、海外のロケ現場での打ち上げ、後、徹底的に個人的なものなど・・・。 最初から出来上がったものを気軽に飲むやつだと、こんなに色々思い出さない。 急流みたいに、全部洗い流されてしまうからだ。 ゆったり、まったり、ゆとりたっぷりに、もったいぶって、飲むことで、記憶の流れは、ゆっくり蛇行しつつ、おのおのの、「内部風景」をじっくり眺めさせつつ、そして広い広い海へ溶けていく。 久しぶりに、こういう飲み方が出来たので、私はほんとうに嬉しい。 今日はここまで。
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