FayeBlue
目次過去未来


2001年08月31日(金) 無題

いつも始まりは華やかで

音と共に花火や星たちの

パレードなんかもあったり

とってもそうぞうしいものだけど

終わりというものはとってもあっけない


2001年08月28日(火) イライラ・・・

こっち来て毎日ネットでアパートを探し

ランドロードにTELしての日々。

そうです。 Fayeアパート探しの真っ只中。

WVにいた頃とはアパート探しの手順も何もかも違い

思い通りに上手くいかないことに少々、いえ、イライラしてます。





昨日レンタカーを借りて、久しぶりに日中外に出た。

昨日はちょっとLAをドライブするのにビビッてた私。

でも今日はせっかく借りた車

使わなきゃ損!!!!って事で地図片手にLAを走っちゃいました。





とりあえずネットで調べたアパートにTELし

言われた住所のあたりを下見程度&アパート探しのドライブ。

いい気分転換になりました。

ここのところ朝と夜が少々逆になってたのもあり

プラスちょっと鬱になりかけてた私。
(車なくては何もできないLAで家に閉じこもってたため。)





今日はサイコーだったぁ。






しかも車で色々テキトーに地図を見ながら走ってると

NOW LEASINGなんてだしてるアパートと

そのTEL番号がビルに貼られてるではありませんかぁ。

運転しつつ、ペン片手にメモりながら

たくさんTEL# ゲットしてきました。






夕方VONSっていうスーパーに行ってちょっと買い物して

アパートに戻り、さっそくアパートにTELしたり

メッセージを残したり。

イヌがいると本当にアパート探しは大変で。

今日かけたところのアパートは全て

NO PETだった。






ちょっと手ごろな値段のアパートはNO PETが多い。

高いアパートもしくは汚くて古いアパートくらいなのだ。






LAにはたくさんイヌを飼ってる人がいるのに・・・・。

一体みんなは何処に住んでるのかしらねぇ・・・・。

と不思議に思うくらい。



まぁ、気長にやりますアパート探し。

頑張ります。
早く見つかれ!!
私のアパート。


2001年08月26日(日) 大好きなおばあちゃん


さすがここ2週間ワタワタ忙しくしていた上に
LA来てからも夜更かし、不規則な食生活。
相当疲れが溜まっていたのか、とうとう今日ダウンしてしまった私。
今朝早くおなかの痛みで目が覚めた私。
キリキリ痛む胃とゴロゴロ鳴いている私の腸。
トイレへ行くとくだしてました。
さらに昨日の食事をすべてもどしてしまった。
くだしては、もどして、一眠り。
そしてその数分後にまた
くだしては、もどしては・・・のその繰り返し。
朝出しきった私の胃と腸は落ち着いた様に見えたけど、
まだおなかが痛む。
今日は出かけるのをやめ、一人で言えで横になっていた。
すると今度は頭がボーっとし始め、顔がほてりだした。
どうやら熱も出始めたらしい。




一人で眠っていると電話がなった。
TELに出ると私の母からのTELだった。

母:「眠ってたの?」

私:「う〜ん、今日体を壊してしまって・・・・。
   熱もあるみたい。」

母:「そうだったの・・・・。」


その時の母の声が妙に暗かった。


母:「あのねぇ、おばあちゃん今朝4時くらいに亡くなったのよ。」


私の熱でもうろうとしている頭では
最初母が何を言ってるのかよく分からなかった。


母:「今日27日(日本では)に息をひきとったの・・・。」

と言って、母もたまっていた感情と共に泣き出した。
やっと理解した私はそれでも信じられず、
「うそ、うそだぁ・・・。」

それしか言ってなかった。

母:「よく頑張ってたよ。」

とその言葉と共に私も涙が止まらなかった。




私の祖母は去年の暮れに舌に口内炎のような腫れ物ができた。
バイキンか何かが入ったものなのだろうと思い
そのままにしていたのだ。
私が今年の正月に日本に帰った時もその話をチラっとしていた。
80も過ぎてるのに、ゲートボールしたりして
一人で何でもする祖母は

「腕が痛むのよぉ。」

なんて腱鞘炎気味の手首に白いサポーターを巻いて
話してるおばあちゃんに

「あんまり無理しちゃだめだよぉ。ちゃんとマッサージして
 冷やさないようにね。」

なんて私は言っていた。




でも年が明けて、まもなくした頃、その腫れ物が
だんだん大きくなってくてるのに気がついた祖母は
住んでいる田舎の小さな病院へと行ったのだ。
するとその病院ですぐ大きな病院へ行って
精密検査をするよう言われたのだ。
そして仙台の大学病院へ行くと
その日に即入院となった。
それから私の母が毎日病院へ、朝と夕方仕事の合間に
行ってお世話をしていた。
その検査の結果、祖母は舌に悪性の腫瘍ができていた。
いわゆるガンだ。



それからどこへ転移してるのとか
さらに精密検査が行われ、手術日も決められた。
私が知ったのは2月の中旬だった。
私に余計な心配をかけたくないと思っていた母は
最初私には言うつもりがなかったらしい。
でも万が一にために後で教えてくれた。



3月中旬に無事手術を終え、その時点では転移は見られなかった。
祖母自身にはガンであることはその時言ってなかったらしい。
手術後順調に回復しているように見えていた。
がしかし、それはほんのつかの間だった。
一度は退院し、食べ物もやわらかい物を口にできるようになって
まごまごしてるが、話せるようになっていたが、
手術後の検診で祖母のリンパ腺に
転移してるのが発見されたのだ。
その時点では先生が祖母、母、母の兄を前に
ガンの転移の話をしていたらしいが、
祖母は悪性の腫瘍イコールガンっていうのが
よく分かってなかったらしく、また入院するのも
よく分かっていなかったらしい。
母は私に逆にそれでいいのかもと言っていた。



入院している間(その頃は体もぴんぴんしていたので)
暇らしく一人で寂しいからと言っていると言ってたので
私はカードを送った。
届いたカードをとても喜んで見ていたと母は
後で教えてくれた。
それから祖母は2度目の手術に挑んだ。
しかし80過ぎてる祖母の心臓はその手術に耐えられる
力がなかったのだ。
そのためガンの摘出手術は途中でやめさせられ
後は薬と放射線治療のみとなった。
いわゆるこれは慰めにしかならない
最後の手段だ。
一日一分でも長く入生きらせるための治療。
それが5月くらいだった。


母:「もしかしたら卒業したら帰って来なくちゃいけないかも。」

とこの頃よく母は言っていた。



その後私も忙しく毎日を過ごして、母からも特に連絡もなく
たまに話しても、「大丈夫だよ。元気に頑張ってるよ。」と
言われていたため。私も安心していた。



その間に私は卒業し、新しいVISAも取得していた。
このVISAがまたやっかいなもので、このVISAは
一度アメリカをでるとこれではアメリカにもう一度入ることは
できないのだ。しかも申請できるのも一回。
すでに取得していた私はこれでもし日本に帰ることになったら
今まで学校に行き、それでやっと手にいれたVISAも
台無しにすることになってしまう。
でも私も最悪のことは考えていた。
帰らなくちゃいけなくなったら、帰ろうと。



ガン発見から、8ヶ月後。
私の祖母は亡くなった。
悪性の腫瘍が年をとった祖母の体を食いつくるのに
時間はかからなかった。
ガンとその治療でひどく痛みつけられながらも
祖母はその痛みに耐えながら、頑張っていた。



私は数週間前に3枚ほど写真屋さんが撮った
卒業式の写真を日本に送った。
1つは母へ、もう1つは兄へ、そしてもう1つは祖母へ
という手紙を添えて。
祖母が亡くなる一週間ほど前に写真は届いていたらしいが
その写真をしっかり見ることはできないくらい
祖母の体は弱っていた。


祖母は私の卒業を心配していた。
母似の性格の私をとても心配していた。
3年前、私の両親は離婚した。
その頃の私の家族は色々な問題があり
辛い時期だった。
その時日本に帰って、祖母と話をした時
母の離婚と再婚のに単なる興味を批判の目と共に
同情しながら話すいとこやおじさんに
「平気、平気。母が幸せになればそれでいいわけだし。」
なんて私自身整理もできてなかったのに
強がって言っていた私を祖母はしっかり分かっていた。


母も祖母と似ている性格だからだろうか。
それともそれが昔の日本人女性という物だのだろうか。
祖母はそんな私を本当に心配していた。
「大丈夫かぁ?」とよく聞いてくれて。
それに決して、祖母が悪いわけでもないのに
「ごめんなぁ・・・・。」と謝っていた。


電話では母は
「あんたはこれからが大事なんだから今回は日本に
 帰ってこなくてもいいからねぇ。おばあさんが一番
 心配していたんだから、頑張りなさい。」
とだけ言っていた。




居たたまれない気持ちになった。
その日私は夢をみた。
おばあちゃんの家に私がいて、お風呂かトイレの戸を
開けるとおばあちゃんがいたのだ。
私は抱きつきながら、おばあちゃんに
「ごめんねぇ・・・。」と謝っていた。
そしたらおばあちゃんはただ笑顔で
私を抱いてくれていた。
温かいぬくもりが確かにあった。



あ〜、おばあちゃん怒ってないんだぁ。

って安心した時私は目が覚めた。
私は信じてる。
きっと心配したおばあちゃんがきてくれたのだと。


「いいのよ。頑張りなさい。」

って言ってるように思えた。
私にはおばあちゃんがついていると思った。





今まで頑張ったね。
ごくろうさま。
天国で安らかに眠ってね。
大好きなおばあちゃん。


2001年08月25日(土) 5ヶ月ぶりのBOU BA TEA



ほぼ毎週末海へ行っている友達たち。
そこにお世話になってる私も一緒に
連れて行ってもらってる。
今日はチャッピーと友達のイヌを
VETに連れて行かなくてはならなかった。


決してチャッピーに何かがあった・・・・
っていう訳じゃないんですよ。
彼はいたって前と変わらず元気です。
ただ単にこっちに来たら1度はチャッピーを
VETで診てもらおうと思ってたのです。
LAのVETに登録しておきたかったんだよね。


しかも友達の情報によると・・・・
そこのVETに今日までに行くと
FLEA&TICKの予防に使うドロップを
6ヶ月分買うと、1ヶ月分ただでついてくるっていう
キャンペーン中だったのよ。
それで友達の行ってるそのVETについでに
チャッピーも連れて行っちゃえ〜!!ってカンジでした。


まぁ〜、都会というのは素晴らすぃ〜。
VETには日本人のスタッフと先生がいるのよ。
だから、英語で説明しなくても・・・・・
そして訳の分からない動物&医学用語を
英語で説明されなくて済むのです。
なんてすごいのでしょう。


こっち来る前に定期検診も済んでたし、
一応一通りの予防接種も終わっていたチャッピー。
異常なし!健康そのものと言われました。
そしてドロップも買い、私らはDOG BEACHへ行った。



その帰り、私は5ヶ月ぶりに
ボバ ティー
再会したのです。










あれは今年の3月。
短い春休みを利用し、初めてLAへ来た時
友達は私をCAFEに連れて行ってくれた。
「FAYEもボバ ティー飲むでしょう?」






????「ボバ ティー?」
何の事かしら?p(^_^)q









訳も分からず言われるままてオーダーした私。








出てきたものには
ミルクティーの中に、何だか黒い物体
ゴロゴロ入ってる。





「おいしんだよ!!!」なんて言う友達を横に
私は恐る恐る一口飲んでみた。

















「う、うま〜い!!!!!!」

















ショックでした。
世の中にはこんなにおいしい
飲み物があったのに知らなかった私。














そもそもBOU BA TEAっていうのは
チン ジュ ナイ チャって言われる
台湾の飲みもの。
ミルクティーをはじめとする味からフルーツ味や
HOTそしてSMOOTHIEなど
色々な味を種類からなるそれぞれのベースの飲み物に
タピオカの粒が入ってる、台湾ではフツーの飲みのも。
(日本でも名古屋辺りではでてるらしい)
黒い大きなタピオカが
まるで黒真珠のようにも見えるため
ブラック パール ティーなんて
呼び方もあったり。
ミルクティーと一緒に太いストローで
ボバを飲むとそれがまた絶妙な味。





もちろんこんな洒落た飲み物が存在していることすら
WVにいた私はしりませんでした。






そのボバティーを今日私は飲む機械に
出会えたのです。
ミルクティーを前回飲んだ私。
今回は別のものにしようと思い
COFEE味のSMOOTHIEに
ボバを入れてもらったものをオーダー。
ミルクティーとはまた違って
とってもおいしかったです。



















幸せ〜!!!(*^_^*)
って思いました。










そしてやっぱりまた観光気分にひたってしまったのです。


2001年08月22日(水) 気分転換に・・・

お世話になってる彼女と彼氏は二人とも社会人。
だから普段は月曜日から金曜日まで毎日会社に行ってる。
朝早くから二人で起きて、私が目覚める頃には
二人はいなくなっていて、私と二匹のイヌがアパートにいるだけだ。



ここ二日アパートをネットで探しつつ、電話をかけてみたり
今までいたところとは違う方法で行われるアパート探しに
少し戸惑いつつあった。
電話をかけてすぐに大家さんと話しができるとこもあるけど
ほとんどが仲介業者、不動産を通してのやり取り。
でもいまいち会費を払って、メンバーになったにも関わらずサービスが
余り良くなかったり、使い方を理解してなくて
私は思うようにいかないこの時間にイライラしていた。



ここに来る前に少しでもLAでの友達を増やそうと思い
メールやチャットでやり取りをしていた。
その内の一人がとても親切にメールでは
沢山の情報を提供してくれ、チャットではよく笑わせてくれて。
お互い写真の交換をしていた。






電話では話したことが無かったけど、昨日チャットをしていて
私がLAにいるって事はもうロングディスタンスではないのだから
電話で話しをしようということになった。
それで話しをしばらくして、今日会おうということになった。




きっかけは私が銀行の口座を開きたいと言ったら、
連れて行ってあげるよ!とのこと。
それに彼は何か他にも役立つものをあげたいとのこと。
それで急きょ、今日会うことになった。




彼の住んでるところはここから車で30〜40分離れたところ。
まぁ、そこからわざわざ来てくれたのだ。
12時に待ち合わせをし、私が12時にチョイ過ぎに下に降りて行ったら、
彼はもうちゃんとそこにいた。


(時間にきっちりしてるようだ・・・・・)



とりあえず、銀行に連れて行ってくれて、
口座を開いて、そして昼を食べた。
そこは結構有名人が(外人も日本人も)来る小さな日本食の
定食屋さんだった。
値段も安くて、そのわりにはボリュームいっぱいでビックリだった。
レオとか二コラスケージとか、吉田栄作とか他にも名前忘れたけど。
有名人の色紙がはってあった。
その後、アパートの仲介業のオフィスに行ってくれて
ただでもらえるアパートのリストを貰いに連れて行ってくれた。
彼は去年来たばっかなのに、何故が場所とかに詳しかった。




そう言えば、この日昨日ネットで見つけたサンタモニカの近くの
アパートを見に行く予定でもあったんだ。
$700で海の側。(Utility込み)
それにDog OKなんてアパートはかなりいい。
昨日電話したら、空いてるとのこと。
でも気になっていたのがShort Termのアパートよって
何度も言われたこと。
それでオフィス行った時に聞いてみたら、
「今ここにカギがあるから見に行く?」って言われた。
でもその後にまた・・・・・





「Short Termだけど?」




だから一体ショートタームってどれくらいの短さなんだ?!
と少々イライラしつつ、尋ねてみた。
そしたらびっくり!!
$700の意味はどうやら・・・・
月$700だったのではなく、なんと




$700 Per WeeK (@ ̄□ ̄@;)!! だったのよ。



ゝ(^.^) 「よく皆さん間違えるのよねぇ・・・。」




そんなことを最後に言ってた。





「・・・・・・」凸(▼▼メ  
おいおい、皆が間違えるって知ってるのなら、
ちゃんとPer Weekって書いておけようぉ!!!!!!!





まぁ、今日はそのアパートリストを貰って、そのオフィスを去った。
その後彼の知り合いに車のディーラーがいるから
オフィスが近くにあるから寄って見ようってことになり
私は連れて行かれてた。



その人は日系韓国アメリカ人。
?????
って思った人も多いでしょう。



日本人と韓国人の間にアメリカで生まれた子!



人当たりのいい人だったけど、話す日本語がまたおかしくって。
彼は韓国語と日本語とドイツ語と英語を話せるらしい。
韓国語はネイティブ並らしい。
でもLexus(トヨタ)で日本人を担当している。
でだ、私もいつかは車が必要になるってことで
メル友が連れて行ってくれたんだけど、ヒロ(ディーラー)は
売りたくてしょうがない気が伝わってきた。



ある程度車の事は知ってるつもりだったけど
彼は1から話し始めちゃって・・・・。
私こんな顔して聞いてたかもしれない・・・・。











( ^ . ^ ;)









まぁでも彼はメル友の友達にはお店に入る前の車を売ってくれるらしく
TAXを入れない値段で売ってくれるらしい。
LAは車が高いよ。
中途半端な値段の車はなかなかないのね。
高い車か、もしくはすっごく安いか・・・。
とにかく彼にはいい車が入ったら教えてくださいね!
なんて挨拶をして帰った。



今日は夜6時にはアパートにいなくちゃいけなかったので
これでお開きにすることにした。
久しぶりに外にでて、ちょっと行動した今日はとっても充実してた。
いい気分転換にもなったし。
いいメル友に感謝でした。


2001年08月19日(日) 初海デビュー!!



今日は日曜日。
これからお世話になる友達の一人(男性)がサーフィンをしているので、
たいがい週末は海に行く友達たち。
今日もそんな感じで私とチャッピーも海に連れて行ってくれた。




そうなんです。
チャッピーは今回が初海なのです。
なんせ私が今までいたWVは海なんてな〜い場所。
近くて6時間かかる隣りの州のVA Beach。
WVで一回友達とチャッピーを連れて川原に行った時
(川原というか小さな滝の流れる川っていうのでしょうか、、、結構急流)
私チャッピーをオモシロ半分で投げ込んだのです。
一回目はチャッピーも少々ビックリしてたけど
イヌかぎをして泳いで岸まで戻ってきたから
(かなり必死だったのかもしれない・・・)
二人で楽しくなって、また投げ込んだのよ。
2回目はかなり勢いをつけてたため
結構深く遠くに入ったチャッピー。
この時は私も焦った。
投げ込んだ勢いが強かったため、深く水に入りこんでしまい
チャッピーもかなり慌てた様子で這い上がってきた。
っていうか首輪とかつけっぱだったから
私らが引き上げたに近いものがあった。
だって少々流されかけてたから。
その頃のトラウマか・・・チャッピーは水嫌い。




だから海もきっと怖がるかなぁ・・・・って思ってたけど
かなりはしゃいでいらっしゃいました。
今日友達が連れて行ったくれたBeachは
Dog Beachといわれるところで
ここはイヌを好き勝手に歩かせたり、海で泳がせたりしてもいい海なのだ。
(素晴らしきLAですねぇ・・・)
他のBeachではイヌを入れてもいいけど
首輪をつけてひもで人間と一緒に居なければいけないとか
この先以上に行かないとイヌは歩かせてはいけないとかあるのだけれど。
名前の通りDog Beachではイヌの数と人の数が半々
ってくらいイヌが走り回っていた。
大きいのから小さいのまで。
しかも入り口にはちゃんとイヌ用のフン袋があって、ただでもらえる。
(マナーは大切です!!!!)
ちゃんとウンチをした時はその袋にいれてゴミ箱へ捨てるのです。
おしっこは砂浜とかにし放題なんだけどね。



チャッピーもそんな海で今日とうとう初デビューをしました。
最初は自分から好んで海に近寄ろうとはしてなかったけど
一回友達と海に入れてあげたらちゃんと海のなかでも
イヌかぎをして泳ぎ、波にも負けず頑張っていました。
その内入りはしなかったけど、海の近くまで走っていったり
他のイヌたちとじゃれて遊んでたり、
友達の飼ってるイヌと二人でかなり遊んでいた。
首輪とひもなしで自由に走れるのがきっと
楽しかったのでしょう。
ホント走り回っていた。



私と友達(彼女)は彼のサーフィンを時折見つつ
浜辺で座り日焼止めを塗りつつ、
もっぱら話しをしていた。
日焼止めを顔にはかなり注意してぬっていたけど
腕はまぁ〜大丈夫でしょう・・・・っていう気持ちがあったから
あまり注意してぬっていなかったら
やられました・・・・・。
LAの、そしてBeachでの日差しってのは強いのですねぇ。
すっかりその一日で真っ黒になってしまったよ。
その日着ていた服がキャミソールではなく
タンクトップみたいな物だったので
肩のところでくっきりと白と黒に分かれてしまった。
変な日焼けを作ってしまった。




でもこの天気に久々に見る海!!!



最高でした♪(*^o^*)




私LAにいるんだわ〜って実感してしまった。
そしてますますLAが好きになってしまったのです。
やっぱり来てよかったぁ〜ってホント思った。
まだまだ来て二日目、観光気分真っ只中の私です。


2001年08月18日(土) 出発の日



今朝方軽く眠り、気がついたらもうシャワーを
浴びなくてはいけない時間になっていて、
時間だけはいつもと変わらず動いているんだなぁ〜って
嫌でも感じさせられた。



昨日まではあんまり実感とか寂しいとかそういう気持ちは
全くなかったのに、今朝起きてシャワーを浴びてからは
ドキドキが止まらなかった。
これからの生活とかへの不安と期待へのドキドキと
ここを去るんだっていう現実を知ってのドキドキ。
色々なドキドキが混ざっていた。



昨日の飲み会から残っていてくれた後輩も
起きだして、さらにソワソワしてきた。
飛行機に初めて乗るチャッピーも
知ってるのか、知らないのか、朝から元気ではしゃいでた。
チャッピーの散歩をしていると、友達が遠くから
「あと少しで友達が迎えに来るってよぉ〜」って叫んでた。
私は慌てて戻り、荷物をまとめ
皆と外で待っていた。



“今日は泣かない。”って決めてた。
人前で泣くのが恥ずかしいってのと
やっぱり明るく出て行きたいってのがあったから。
でもやっぱり泣いちゃいました。



友達が来て、その友達に皆の写真を撮ってもらい
じゃぁ時間も時間だし、そろそろ・・・・ってなった時
最後に私と同じ時期に来た友達にHUGをした。
そしたら知らずと涙が出てきた。



過去に色々あった友達だったけど
何かあると助けてくれたり
相談にのってくれてたのは彼女だった。
黒人ミュージックが好きで、クラブも好きで
音楽とか笑いとかも似てるとこがあって
よく遊んでた友達だ。
沢山話したと思う。



彼女も人前では泣くのは好きくないって言ってた。
でもあの時少し泣いてたよね?!
ちょっと嬉しかったよ。
嬉しかったって表現でいいのか、上手く言えないけど。
泣くのが嫌っての知ってたから、なんだかそう思ったのかも。
皆が去っていった時期と違ってたからかなぁ・・・。
また私も中途半端な時期に去ってしまったからかなぁ・・。
それでかなぁ・・・普段あんまり感情を表に出さない彼女が
泣いてしまったのは・・・。



やっぱり4年間色々辛い時期や楽しい時期を
過ごした友は違う。
色々な私を見てきただろうし、私も周りの友達の
色々なことも見てきた。
そういった成長とか変化の過程をも見てきた仲っていう
友達だったからだろうか。
その子だけに限らず、同じ時期に来た友達は
そういった感じの感情が入る。



ありがとう。




さてさて予定よりちょっと遅れて出発した私達。
友達のバイト先に寄ったりしてたら30分も遅れてた。
しかも今日に限って、インターステイトの工事が
いつもしてない所でやっていて、2車線が1車線になっていた
道がかなり長くあって、少々時間が気になってたりした。



12:24発の私の飛行機。
私達はその20分前に着いた。
友達は外で少しタバコを吸ってるって言ってたけど
私はチェックインを済ませたかったので
とりあえず手短なさよならを言って(念のため)
また戻ってくるつもりだった・・・・



が、しかし、



チェックインに少し時間もかかり
(なんせイヌがいたもんで)
その上チェックインした時点て出発20分前、
そんなんだったからチャックインのカウンターで
無事チェックインを終わらせると
「You Have To Go Right Away」
なんて言われちゃって、結局その友達にも
さっきの手短なお別れしか言えなかった。
お礼さえもちゃんと言えずに、私は走っていた。



まぁ、想像のおつきの通り、私が最後の乗客で
私が乗った2〜3分後にはゲートを閉じていた。
間一髪セーフだった。
この先思いやられるなぁ・・・ってな感じのスタートだった。



まぁ、でも飛行機の旅は順調にいった。
今回初めて使ったTWAもサービスも良かったし
予定通りの飛行機の発着ですんなり済んだし、
チャッピーも心配していたほど飛行機の中では泣かなかったし。
(そうなんです、イヌを飛行機内に持ちこんだのです)
機内にイヌを持ち込んでもOKっていう
飛行機会社を国内で探すのは大変だったよ。
(なんせギリギリでチケットを取ったもので・・・)



予定通りにLAに着いて友達とも無事会え、
その日はその友達の友達と夜は日本食を食べ
今日一日長かった旅も終わり、眠りについたのです。



これからはアパート探しの日々が始まる。
期待と不安が入り混じる中
私は眠ったのです。






2001年08月17日(金) 最後の夜


はぁ〜、そうなんですFaye今日で
4年間過ごしたここともお別れなんです。
前にも書いてたけど、無事学校を卒業し
FayeこれからLAで仕事を探しにこの町を去るのです。




今日最後の夜はここに一緒に来た友達の家にお世話になり
明日の10時にはこの町を出て、
PITの空港へと向かいます。
今日はその友達の家で最後の飲み会・・・というか
皆で集まってくれました。
日本に帰ってる友達は来れなかったけどね。




今年来たばっかりで知り合って3ヶ月しかたってない後輩や
去年来た後輩、一昨年来た後輩、ほぼ皆来てた。
一気に最後に皆と会えて嬉しかった。
写真は取りまくり。




まだ自分がここを去るっていうのが実感ない。





不思議。




ずっとここにいるような感覚が今まではあったし、
(それも怖いけど)
住めば都じゃないけど、ほんと私の青春時代をすごした場所で
夏休みや冬休みがあるたび、日本に帰った時はここに帰ってくるのが
当たり前になってて、町の人も知ってて、
場所も当たり前のように色々知ってて。
(まぁ、4年もいればこんな小さな町誰でも覚えるけどね)




日本人ってことで目立ち、学校でも色々な友達できたし。
慣れてきた頃には知らない人にも平気で
「ハァ〜イ!!」なんて声もかけてたっけ。




来た1〜2年は色々あったっけ。
たくさん泣いたし、たくさん笑ったし
全てが新鮮で、全てに興味を持っていたっけ。
今はいい意味で過去があるから沢山学んだこともあれば
失ったものもあれば、得たものもあり。



成長したのかなぁ。



今日来てくれた後輩達と出来るだけ
沢山話しをしたよ。でも自分んがいなくなる実感がないから
また明日ねぇ・・・って感じで。



今年来た後輩の子に泣いてくれた子がいた。
私自身ほんと去るっていう感じがしなくて
その子が泣いた時まで、全然ウルウルとか悲しい気分に
なって無かったんだけど、さすがにその子が泣いた時
一瞬ウルって来ました。


でも何故一瞬?!



って思った方いるでしょう?

それはその子がまたやってくれて。
とっても嬉しかったし、悲しくなったけど、
笑わずにはいられなかった。
泣き方が、とってもおもしろくて・・・・。
(悪い意味じゃないのよ。誤解しないでね。)


最初はフツーだったのよ。
「Fayeさぁ〜ん!!」って。

そのうち・・・・・


「ウホォ、ウホォ、ウホォ、ウホォ・・・・」



って泣きだしちゃって・・・。
そりゃぁ、皆で笑ってしまいました。




今でも思い出すと元気が出てくるよ。
彼女から最高の元気のもとをもらった気がする。



後輩の男の中にはかなり酔っ払っていたけど






「Fayeさんが出るまで
俺は絶対寝ない!!」








なんて言って最後の最後まで頑張ってくれてた子もいた。
さすがに最後の方は寝ちゃってたけど、
なんだかすごく嬉しかった。


私が眠ってる時に少し会話が聞こえてきた。
彼は何度となく






「Fayeさんは今日が
最後なんだよ!!」








って酔っ払いながら皆に言ってたっけ。
まだ知り合って3ヶ月くらいなのに、嬉しかったよ。
他の子達も最後の見送りまで居てくれたり。
皆にありがとうです。


そして泊めてくれた私と同じ名前の友達にも
とってもとっても感謝です。
ありがとう。
この何日間か泊めてもらったり、お世話になりました。
ありがとう。


そして私の青春であるここフェアモント。
色々体験、経験させてくれてありがとよ。
何気に大好きな町だよ。
私の沢山の思い出が詰まってる町です。


2001年08月16日(木) 久々のパーティー!!


今日は後輩の家にお世話になってる私。
昼間は学校に行って、色々手続きをしたりしていた。
夜になってお互い何もすることがなかったので、
その後輩の部屋でビデオを見ていたんだ。



あれは9時過ぎとかだったのかなぁ・・・・。
ビデオを見てる途中から外がやたらガヤガヤうるさくなってきた。






(p・・q)? 「はて?何事やら?」







( ^_^)/U ( ^_^)/U☆U\(^_^ ) U\(^_^ ) ガヤガヤ







お互い気になりつつ、ビデオを見ていた。
途中あまりにも気になり始め、私達は窓から覗き始めた。









( ^_^)/U ( ^_^)/U☆U\(^_^ ) U\(^_^ ) ガヤガヤ







[壁]_・)チラ | 
「たくさん人いるよぉ〜!!」








(*^3^)/〜☆







(T□T) (T□T;)
「手振ってる?私らに?!」




そうなんです、明かりをつけたまま部屋から覗いてた私らは
外から丸見えだったのです。
その後少したったら、コンコンとノックする音が・・・。
隣りのアメ人(主催者)が私らを外から見て、誘いに来たのです。










(^O^)/C□ 「What's U〜p?」








(- -) (- -) (- -) (- -)
「え?!何?!この人・・・・・。」






別に私達、パーティーが嫌いとか苦手っていう訳ではありません。
でもこの人は・・・・って思ってしまったのです。
だから一回目はなんとかビデオを見てるので
見終わってから・・・・なんて理由を付けて帰らせた。


ビデオを見終わってから、私と友達はポーチにいた。
そしたら、さっきの男の人がまた来た。
隣りでパーティーやってるから来なよ!!との事。
一瞬迷ったけど、暇だったので(しかもただビール)
二人で行くことにした。



そしたらビックリ!!
何と何と、かなりの人数の生徒がいるではありませんか!!
白人のパーティーと思っていたけど、黒人もワンサカいたし。
しかも私の友達や、知り合いの人がワンサカ。
誘ってくれた男の人がビールを持って来てくれて、
私達は人数の多さに圧倒され、しかも落着いていられる場所もなかったので
二人でビールだけもらって、またポーチに戻った。






( ^^)Y☆Y(^^ )
「カンパ〜イ」







二人でそっとポーチで座りながらビールを飲んでいたら
またさっきの白人の男のこが・・・・。







(^O^)/C□ 「何で帰っちゃったの?」








(=^^ゞ
「いやぁ〜、人があまりにも多すぎている場所なかったから・・・。」







この後から彼はずっ〜と私らと一緒にポーチにいたのです。
私らがどんなに帰れムードを出していても、居続けたのです。
しかも彼とっても慣れなれしかった。
人の体とかをさりげなく触ってきたり・・・。
しかもしまいにはお酒を買って来て欲しいなどと言ってきた。








(⌒ー⌒メ) 凸
「いちいち触るなよぉ〜」











どうにか帰るタイミングを作り、私達は家に入った。
そしたらまたドアをノックする音が聞こえたきた。








(⌒ー⌒メ
「どうしたの?」









「ポリスが来てて、
 今家にはいれないんだ。
 だから少し居てもいいかなぁ・・・。」








OKとも何とも言ってないのに勝手に入ってきた奴。
とっても不愉快だったので、さりげなく
「外に行って、ポリスがみたぁ〜い。」
と言いつつ、敢えて私らも外にでた。









すると奴は道歩く人々に
「ホント誰だよぉ〜。うるさいパーティーだったなぁ〜!」
「参っちゃうんだよなぁ〜。」なんて馬鹿みたいく演技を始めた。
ホント二人で冷めてたね。
たしかに外にはポリスの車が2台止まってて、
4人以上のポリスのがウロウロしていた。







未成年で今回この街が初めてな彼はそうとう動揺してたっけ。
私らはちゃんとお酒も飲める年でしたので、
何ともなくポリスとかを見てたけど。
だからちょっとだけ見て、
「たいした事ないよ。大丈夫だよ、家に帰っても。」なんて
軽く言って、彼と別れた。





このパーティー、もっと前から知ってて
早くから行っていたら、
とっても楽しかったと思うのよね。
いつもいく大きいパーティー並の人の多さだったし
来ている人もCoolな人達も多かったし。
残念だったわ。





でも何となく
“学校がもうすぐで始まるんだなぁ〜”って
感じた夜でした。


2001年08月13日(月) さよなら、私の家


ここ1週間は引っ越しの準備だとか、その荷物まとめだとかで
毎日ワタワタしていた。
3日から昨日の夜まで、特に先週末は夜遅くまで荷物をまとめていた。
思っていた以上に私は荷物があったらしく、
まぁ、その大半はいらない荷物だったわけで・・・
多くは捨てちゃいました。


そうなんです、Fayeは今年の夏に大学を卒業し
これからLAで仕事を見つけに引っ越しをするのです。
だから荷物をまとめてたのだ。
予定ではもう少し少なめの予定だったが、そこはいわゆる予定は未定。
トータル8個の小・中・大のダンボール箱と
プラス2個のスーツケースに私の必要とする荷物はまとまった。


正直言って、まとめることが出来て一安心だよ。
一時は入らなくてどうしようかと、かなり悩んでいたし。
あんなにも捨てたのにも関わらず、意外にも私って
色々持ってたのねぇ・・・って違う意味で感心しちゃった。


今はこの屋根裏部屋アパートを出ることに対して
寂しいとかそう行った感情とかはないけど、
きっと後々出てくるんだろうなぁって思う。
荷物がなくなった私のこの屋根裏部屋は意外にも広く感じた。
こんなに部屋が綺麗にまとまって見えるのは、
去年の丁度今頃引っ越してきたばかりの時以来だ。
「こんなにも広かったのねぇ・・・・。」
すっかり忘れてた。


そう言えば去年の夏に引っ越してきたばかりの頃は
家の中にどこからかハチが入ってきて、毎日そのハチ達と奮闘してたっけ。
ハチ殺しスプレーを片手に持って、もう片方にはハエたたきをもって。
チャッピーがハチを見つけると攻撃してしまうから、
私はしょっちゅういつチャッピーがハチに刺されるのではないかと
心配してたっけ・・・・・。
あとコウモリの泣き声とかパサパサ動く音が天井上から
たま〜に聞こえてたっけ。
私の前に住んでいた友達が天井の穴っていう穴を全て塞いでくれたので
私は一回も本物のコウモリと出会うことはなかったけど、
その友達はコウモリと出会ってしまうは、寝てる時上を飛んでるは・・・
で結構大変だったみたい。
彼の応急処置に感謝。


私はこのアパートが好きだった。
古汚いけど、ベットルームとリビングがちゃんと別々にあって
シャワーもバスタブ付きだったし。
広さがちょうど良かった。
初めての一人暮らしで(今まではいつもルームメイトとシェアしてたから)
最初はちょっと不安とかあったけど、そんなのもすぐ消えてた。
自分でいうのもなんだけど、
かなり居心地が良かった家だったわ。


今日から私は宿なし。
友達の家を転々とする生活が始まる。
住めば都って言葉はホントなんだなぁってまた思ったよ。
バイバイ!!!


2001年08月08日(水) 荷物をまとめてたら・・・


引っ越しの準備で荷物をまとめてたら、
たくさんの古い物達が箱やどっかからでてきた。
その中にこの詩を発見した。


人の心の中にどれくらいの許容力があるのかは
誰も分からない
例えば自分の許容力を基準としよう
その時自分自身がその中から外れてる存在にはなりたくない
自分から外れていることはきっと
他の人の中でも外れているから
愚痴られてもいい
たまになら影口言われてもいいよ
けれどその一線の中から外れるようなことにはなりたくない

皆から好かれるために
自分を変えたり、作ったり
相手に合わせるようなことはしたくない
だからといって、今の自分を受け止めてくれないなら
それでもいいやと居直るようなこともしたくない
自分を少しでも理解し始めてくれてる友達に分かってもらえるように
努力はしたい



この詩のタイトルとかそういうのは書いてなかったから
付けてないけど、これは青い小さな紙に書いてあった。
裏にはよくわからない計算とかの乱筆なんかもあって・・・。


これは3〜4年前に書いたんだと思う。
あの頃全てがグチャグチャで
色々悩んでたし、矛盾とか信頼とか友情とか
そういうの関係ので葛藤してた日々を送ってたんだよね。
暗いなぁ〜って感じるよね?!
なんかこの詩を見てて、それが伝わってくるよね?!


これ見つけた時、ホントは一瞬嫌な気分になった。
決していい思い出の中にいて書いた詩ではなかったから。
でもあの頃の自分も大切っていうか
あの頃の自分が今ではホント好きだし、
(もちろん今の自分も大好きよ。)
間違ってなかったんだって今ではホント思えるから
今回載せてみた。


久しぶりに荷物とかまとめてみると
皆もきっと色々なものが出てきて、懐かしい気持ちになったり
楽しかった頃とか思い出したり、中には嫌な気分にもなったり
そんなことに出会えるよ。
最近そういえば・・・って思うあなた!!!
是非!部屋のそうじなんかをしてみてはいかが?



2001年08月03日(金) FCPD

昨日は夏セメの最後の日だった。
というわけで皆で友達の家で飲んだのだ。
私は今日(3日)の朝方に後輩2人をここから
やく1時間半の所にある空港まで送らなくてはならなかったので
飲みたい酒も我慢し、でも飲み会には行きたかったので行った。

後輩の準備や、私自身の準備を終えて、飲み会には
11時近くに行った。朝方の3時過ぎに出る予定だったので
ビールの一杯くらいはいいだろうと思い、私も飲んでしまいました。
でもエライことに私はその一杯でちゃんと止めたよ。
もう少し飲みたかったのだけど、眠くなってくるしで
止めといた。

そして3時ちょい過ぎくらいに友達の家をでて
空港に向かった。途中ガススタに寄り私はコーヒーを買ったのだ。
なんせもうすでに眠気に襲われてたから。

そこまではかなり順調だったのよ。
フェアモントの街をでて、
橋を渡るとカーブにさしかかえるのね。
その先にオートゾーンがあって、
いつも何台かの車が止まってるのよ。
朝方だったしちょっと私もスピード出してました。

ハイ(= ̄  ̄=)

そのカーブはまた下り坂になっていて、嫌でもスピードが
加速してしまうのね・・・・。
まぁ、でもこの4年間1度も捕まったことない私。
まさかあのオートゾーンの大きなきの影にポリスが隠れてるとは
信じて疑いませんでした。


ハイそうです。

ワタクシまんまポリスにスピード違反で捕まってしまいました。
ちょうどカーブに勢いよく差し掛かったとき、
遠くの方で暗くして止まっている車が見えてました、私。

「あれ?ポリスかなぁ・・・」
って疑いつつ、少しずつスピードを下げつつ、 
その車をジーっと見ていました。

 
私(@_@)


ポリス ( ▼_▼)



私 (;o;)「あ・・・」


ポリス ( ▼_▼)



私 m(j◇j)m 「ガビ〜ン・・・」


ポリス ( ▼_▼)



ピカ〜ン


「ガビ〜ン!!」( ToT)‥…
 

そうなんです。あれはやっぱり恐るべしポリスだったのです。
私は彼の横を通過する時、完璧に目が合っていました。
その時はもうすでに時遅し。
すぐにポリスはライトを照らし私の後を追ってきた。
目が合った時に私は捕まると思ったので、すぐにわきの道に
車を止めて、ポリスのおじさんが来るのをまっていた。


手順は知ってるので、ライセンスとレジスターのカードと
インシュランスのカードを手元に用意をしてまっていた。
P:「なんで捕まったか、分かっているね」
私:「はい」

ちょっくら車の中をチラチラ見てながら・・・
P:「レシスターと、免許とインシュランスのカード・・・」
私はすぐにポリスに渡して、さっさとペーパーが終わらないか・・・
と待っていようと思っていたその時。


「Please, Step out of the car」


「え?!」(@.@)?


いつもと手順違うじゃん。

なんで車からでなくちゃいけないの?!

私が何をしたの?!



心のなかではこんな事を繰り返し言っていた。
言われるがままに外にでて、私は人生初ポリスの車に乗った。
車の中で私の免許を無線で調べて、クライムヒストリーが無いことや
違反のヒストリーが無いことを調べて、クリアーと分かったら
彼は私に質問をし始めた。書類に書き込みながら・・・。

P:「今日はパーティーでもしてたの?」
私:「いいえ・・・。」(こういう時はウソつくでしょう・・・)
P:「お酒は飲んでるの?」
私:「いいえ・・・。」 (誰がホントの事いいますか!)
P:「他に後に乗ってる子達は飲んでるの?」
私:「いいえ・・・・。」(皆未成年だもん。言えないじゃん。) 
P:「君はどこから来たの?」
私:「フェアモントです。」

この時私は心で空港に連れて行かなくてはならないことを

言うべきか、言わないべきか、

ポリスが聞いてくれないかぁ・・・・

なんてことを期待しつつ、腕時計をチラチラ見ていた。


P:「君は35のところを43もだしていたんだよ!」
私:「すみません・・・・。」(。_。;)
P:「こんなに急いで、どこへ行く気だったの?」


待ってました、この質問!!(*^▽^*)


私:「いやぁ〜、あの子達が今日の6時に日本に帰るので空港まで
   送っていかなくちゃいけなくて・・・。」

チョットした名演技を見せちゃいました。


なんとそしたら、そのポリス今まで書いていた書類に
書くのを止めたった一言私に・・・・

P:「Slow Down」
とだけ言って、私を行かせてくれたのです。
なんていいポリスさんだったのでしょう!!!!
そのおかげで、私はチケットを切られるわけでもなく
そのまますんなり何事もなく空港へ向かうことができたのです。


私の5年間の無事故無違反はこれでまた
破られることなく済んだのでした。
空港に連れて行かなくてはいけなくて・・・っていうの
なかなか使えますね。
ホントに連れて行かなくては行けなかったから、ウソではないけど
それを理由に言ってしまう私も、私。
でもそれを理由で行かせてくれたポリスさんに
とっても感謝。

まぁ、なんで車から出されたかっていうと、多分後輩が飲んでたため
車の中が酒臭かったんだと思うんだよね。
それで彼は不信に思ったのでしょう。
とにかくフェアモント・シティー・ポリスの彼には
感謝だよ。融通が利く人でホント良かった。
後輩も車の中でビビってたけど、きっと貴重な経験をしたはず。
(なんて勝手な考えな私・・・・。)


2001年08月02日(木) あなたと出会って・・・



自分の気持ちを伝えられない事が
こんなにも辛くて
そして切ないものだということを
あなたと出会い学んだような気がします


「頑張ってる時間が楽しいんじゃん」
と生き生きと話す女の子。


変わりたいな・・・・・・
そんな事も思わせてくれました


偽りのない素直な気持ちを
伝える事のできる勇気を持ちたい・・・
そんな事も私に思わせてくれました


Faye MAIL MIXIへ

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