FayeBlue
目次過去未来


2001年07月31日(火) わたし


いつも心はサマヨイ、悩み
見つかるはずもない答えを探そうとしている。
これをもがいてると人は言う。

どれも全て大切で
どれも全て大好きで
欲張りな心は
捨てることも
あきらめる事もできず
ふわふわしているのです。
これを人は優柔不断と言う。

でもいいのです
それが私なのです。

愛せる限り全てを愛し
悩める限り全てに悩みサマヨイ続ける
そしていつか手に入れてみるのです。
世界で一番大切なものと思えるものを・・・
心から自分を受け入れ
悩んだ私も
愛した私も
愛せなかった私も
あきらめた私も
あきらめられなかった私も
その時のための準備期間。



これはかなり前に書いたものなのだけれど
すっかり日記の載せるのを忘れてたので
今回載っけてみました。


2001年07月30日(月) 頑張れ、自分。


誰にでもすっごく何でもないのに
落ち込んでしまう日とか時期とか時間ってあると思う。
ワタクシそれが先週末やってきました。

だからここのところ調子良く書いていた日記も
26日以降らから今日まで書いてなかった。
書けなかったのだ。
何が原因とか
何が理由とか
それが分からないから面倒。
分からないというより
本当は理由とか原因とかさえもないのかもしれない。

とにかくバイト終わって暇さえあれば
ここの所毎日のようにPCに向かっていた私。
先週末は今日の夜まで一回も開けなかった。
開けたくなかった・・・ってもの
正直な所。


どうした?!自分!
どうしたFaye?!

ここのところ平和で心も落ち着いていて元気だったのに。
突然どうしたのでしょう・・・・。
あのへんな不安感
あの嫌な感じが心に今ある。
この感じを分かる人って少ない。
今の所私の周りでは一人だけ。
ホントどうしたんだろう。

ちょっと疲れたかなぁ・・・。
なんかアパート探しとか引越しとか
就職活動とか、人間関係とか・・・。
まぁ、ついでに風邪も何年ぶりかにひいてしまったし。
そんなんで今日のバイトは休ませてもらっちゃった。
病は気からってのは当たってるよ。

先週末は久しぶりに皆から離れた。
皆というか全てから離れた。
人、PC、外、全てから離れた。
ビデオばかり見てたら、疲れた。
そろそろPC開こうって気になった。

頑張れ、Faye!
頑張る、私。


2001年07月26日(木) よろしく

素直に言葉を聞いて・・・・
正否にこだわってるようなだけにとらないで
私の言葉を聞いて・・・・
意地をはってるようなだけにとらないで

何をしても許される
許してもらうのではなく
自分で許せばいい
他人を気にしてるのは君

いいか悪いかなんて関係ない
許す、許さないなんて関係ない

思いやりを感じて・・・
優しさを感じて・・・

考えないで
心で感じて

感じた?
まだ?

いつか感じて欲しい
頭ではなく
心で




2001年07月25日(水) フツーではないでしょう・・・。

一昨日の日記に私の鼻血事件書きました。

私別にこの話題が好きなんではありません。
でも仕方ないんです。

そうです。
今日の夜、また鼻血出しちゃいました。
(━┳━ _ ━┳━)


そう、バイトから夜帰ってきて、ゴハンも食べずに
パソコンに向かっていた私。
ちょっと鼻をこすったの。


( ̄□ ̄;)



しかも今回はさらにグレードアップ。
こないだ出た鼻血が日本の大滝くらいなら
今日のはナイアガラの滝だぁ!!
とにかく凄かった。
今日は思わず怖くなってお母さんに
国際電話かけちゃいました。(*^.^*)
仕事中なのに、とっても不安でかけちゃいました。
私 :「もしもし・・・」
マ :「あら、どうしたの?久しぶりじゃない?」
私 :「鼻血がね、止まらなくて・・・。」
マ :「・・・」

確かに一瞬止まってたよ。久しぶりの娘からの電話の一言が
鼻血が止まらないの・・・だったもんね。
でもさすがママ、すかさず

マ :「あら、大変。どれくらいでてるの?
    小鼻(鼻の付け根あたり)ちゃんと押さえてる?」
私 :「氷で冷やしてる。一昨日もこれで止まったから。」
マ :「とりあえず、止血のためにちょっと痛いくらい
押さえなさい。」

押さえ始めたら、少しずつ止まっていくのが分かった。
お母さんとは30分以上話してた。
お母さん、きっと私が不安だったの知ってたのかなぁ。
他愛もない事話したり、これからの事話したり。
私の口調とか声の感じが元に戻ったのが分かったのか、

マ :「鼻血どうなった? 止まった?」

私実はその時すでに鼻血出てたの忘れてた。

私 :「あっ、止まってる。」

それで電話も切って、鼻血も止まりルンルン気分になった私。
チャッピーを散歩に連れて行ってなかったので
その後チャッピーを散歩に連れて行った。

そして悲劇はまた起きた。

夜11時も回っていたので、私の家の周りワンブロックだけ
散歩しようと歩いてた。
最後の曲がり角。
私の家まであと3メートル位のところで私はくしゃみを3回した。


ヘックシュン ε=(≧ロ≦)



ヘックシュン ε=(≧ロ≦)



ヘックシュン ε=(≧ロ≦)



そうです、くしゃみをしただけで・・・・
鼻血が出たのです。
スッーってしたあの嫌な感じを感じた瞬間と共に
血も流れ出てきて、私は左手にチャッピーの紐を持ち
右手で思わず鼻を押さえていた。

チラッっと手を見ると、(周りが暗いながらも)血だと分かった。
道路とかに血の跡とかつけたくなかったから
私は必死で手で鼻を押さえ、走った。
押さえてないとドクドク出てきた。
階段を上り、さらに階段を上りトイレへ行った。
そしてようやく手を離すと、今まで抑えていた分の血が
一気に溢れ出た。
さっきより勢いをまし流れ出てくる鼻血。
お母さんに言われた通りに鼻を押さえる私。
でも血の出る量の方が断然多くて、押さえてるとティッシュが
血でそまり、ティッシュからポタポタと血が落ちてくる。

「どうしよう・・・。」

さすがにこれは焦った。
友達に電話してER運んでもらおうか・・・とか本気で考えた。
電話のところにまで行きたかったけど、
血の量が多すぎて、身動きとれなかった。
そして、とうとうやってしまいました。
暑いから少し涼まろうとソファーに座った。
そしてゴミ箱を近くに寄せ、
ティッシュを取り替えようとしたんだ。
入ってるティッシュを取って、新しいのをその下から
こぼれないように自分ではしたつもりだった。
それなのに・・・。
ハイ、ソファーカバーちょこっと血で染めてしまいました。
だからまた結局トイレへ戻り、
何度も何度もティッシュを取り替えた。

15分以上してたかなぁ。
少しずつ落ち着いてきて、止まった。

これってフツーではないよね?!
こんなに血が出ていって、私は大丈夫なのかなぁ。
思わずお母さんに私は電話で
「人ってどれくらいの血が出たら死ぬんだっけ?」
って聞いてしまった。
それくらい今日も、しかも2回も出たのです。
くしゃみしただけで、鼻血って出るんですか?
のぼせてるだけで、こんなにドクドク出るんですか?
病院行くべきでしょうか?


2001年07月24日(火) 歯車

一度壊れた歯車は
どんなに頑張っても
どんなにあがいても
元の様には動かない

そのままかみ合わない歯車は
別々に動き出す
ときおりかみ合いながら・・・

それを知っていても
私はその中でもがき苦しむ
戻す事のできない歯車に期待し・・・

一体何に期待しているのでしょう・・・
一体何を期待しているのでしょう・・・
何を求めているの?
友情?
信頼?
それとも安心感?

もがき苦しみ見えない証を手に入れようとする私は
あきらめが悪いのでしょうか・・・


2001年07月23日(月) のぼせた?!

ここ2〜3日とっても暑い。
あついのではなく。
あつ゛ーって感じだ

今日も朝7:30からバイトの私。
すっかり週末でくずれた私の時間。
なかなか眠れず6:30に起きなくてはいけないのに
寝たのは朝方の2:00。
最近ベットでは寝ず、ソファーベットで眠ってる私。
このソファーベット、寝心地はとってもいいのだけど
朝起きると体中が痛くなる。

朝起きていつものように“う〜ん”\(^O^)/ と
背伸びをし、シャワーを浴びてバイトに行く準備をしてたのよ。
そしたら突然鼻からスッーとしたものが・・・・


( ̄□ ̄|||)


そうです、鼻血デス。
しかも大量の鼻血が・・・・・。
右の鼻穴からドクドクと出てくるではありませんか。
トイレットペーパー(化粧中だったので)をつかみ、
押さえてみるものの、血の勢いは止まらず。
ハイ、ちょっとパニクリました。
でも少ししたら血の勢いもおさまり、血は止まったの。

それでバイトに何気なく遅れて私は行きました。
今日は何となく歩いて行きたい気分だったので
バイトまで歩いて行ったの。
“朝から大変だったぁ・・・・”なんて思いつつ。
バイト行ったら今日はボスもMさんも来なかった。
暇だったから日記読みつつ、
左の首が妙に寝違えたような痛みを感じてたの。
まぁ、バイトも5:00に終え、暑いながらも歩いて帰ったのよ。

そして少々家を片付けて、タバコをいっぷくし落ち着いてたの。
そしたらあの嫌なスッーってした感じが右鼻を襲ったの。


( ̄□ ̄|||)


そうです、ラッキーにも今日私2回目のハ・ナ・ジ。
しかも朝より大量。
慌ててティッシュを鼻にあてて、トイレへGO!!
= C= C= C= C= ┌(;・ω・)┘



ティッシュを何枚つけてもドクドク溢れてくる血。
ティッシュを変えるすきさえも与えてはくれず・・・・。
私と鼻血との戦いは始まった。

ティッシュを変えなくてはならない。
ハイ、私鼻血を洗面所に少し出し放題しちゃいました。
その間に鼻に詰めるようのティッシュを何個も丸く作り
その後サッと素早く鼻に詰めるのです。
そして手を洗いタオルを出し、小さい頃よく鼻血を出してた私に
お母さんがよくアイスを鼻の上置いてくれてたのを思い出し
タオルにアイスを入れ、鼻を押さえつつ
鼻に詰めたティッシュうぃ何度も取り替えた。
それくらいドクドク流出してたのよ。

5分くらい経ったのかなぁ・・。
さすがの鼻血もアイスの負けたのか、完璧に止まったのは
鼻血開始10分後だった。

何だったのでしょう・・・・。
確かに小さい頃よく鼻血を出してましたよ、私。
鼻の血管が細いんだと・・・。
1回夜中に出して、しかも30分以上。
危なく鼻血で救急車呼ばれるところだったのよ。
その時鼻血を止めてくれたのもアイス君
さすがICE MAN!!!

こんな余裕っぽく書いてるけど、実は超焦ってたのよ。
心じゃ「おかあさぁ〜ん!!」って叫んでたのよ。
14年ぶりの鼻血に、しかも大量ときた。
それでなくても生理で私の体からは血が出てっているのに
鼻血は私の貴重な血を
“これでもかぁ。これでもかぁ。”と出してくれた。
あ〜、ビックリした。
この暑さにのぼせるなんて
私の体も以外にデリケートなのね・・・。


2001年07月22日(日) 初!! 野外コンサート

今日は夜日曜日だというのに私はESLのバイトがあった。
バイトといっても週末は、ボランティア・・・。
今回はどうやらうちのこの小さな町で
野外コンサートがある・・・らしく
それに生徒達も連れて行こうって事になった。
アクティビティの一つとして。

噂ではバック トゥ ザ フィチャーの最初の映画で
マイケルJフォックスが学校のステージで演奏してる時に
その後ろで弾いてるバンドの一人が来るらしい。

最初は乗り気ではなかったけど、
何となくウキウキしてきた。
コンサートはダウンタウンの橋の下の
ちょっとした野原というか、空き地というか
キャンプ場というか、そんなような所であった。

6時半からスタートして、最初は前座というのか、
学校にいる生徒と今回のこのコンサートをまとめた人達の
グループの演奏だった。
どう見ても黒人さんではなく、白人さんのグループで
私と友達は・・・・となっていた。
そしたら彼らが映画でマイケルJフォックスが歌った曲を
演奏し始めたので、私らはてっきり
「なぁーんだ、この事だったのね・・・」と少々がっかりしてた。

いえいえ、この人達はたんなる前座の人たち。
そうです、ちゃんとこの人達の演奏の後、
あの黒人ブルース・ジャズのグループの一人が来たのです。

名前はJohnnie Johnson。
どうやら彼はこのウエスト バージニア出身だったみたい。
たぶん彼は映画でもピアノを弾いていたはず。
もう77歳になる彼は、St.Louisからはるばる
ホームタウンであるこの町にやってきた。
前々から自分のホームタウンで演奏したかったみたいだけど
彼のエージェントとか色々な事情で今回までできなかったらしい。

初めて生できくジャズ・ブルースはとっても良かった。
彼はとても77歳とは見えないピアノ演奏、
それにいい歌声を持っていました。
途中、ちょっとテンポアップしたジャズになった時
皆立ちだして、踊り始めた。

私の後輩も踊り始め、たまたま後ろにいた男の子が
最初はパパやママと踊っていたのだれど、
彼は途中から一人でぽつんとしてた。
それを見ていた私は後輩に
「彼と踊ってあげなよ!!」と勧め
彼女は彼にダンスを申し込んだ。もちろんOK。
とっても二人はかわいかった。
私もMさんの二女の女の子と踊ったりしてた。
とってもいい時間が過ごせた。

帰る時多分後輩は気がついていなかったみたいだけど、
さっき一緒に踊った男の子は
最後にバイバイを言いたかったらしく彼女を探してたみたい。
周りも暗くなってたし、日本人なんて皆一緒に見えるらしく
ちょうど私が側を通った時、その子のお姉さんが
「どの子だったかなぁ・・・。どの子か見分けがつかない。
さよなら言えないね・・・・・。」
なんて言ってた。私らを見ながら・・・。

なんて紳士の国なんでしょう。
最後にお別れがいいたかったなんて。
かわいいではありませんか。
きっと彼にとっても後輩にとってもいい思い出になったはず。
いつか彼が大きくなって、インターナショナルの生徒を
見た時に今日の事を思い出して欲しいものです。




2001年07月20日(金) 憂鬱な日

始まりました、生理が・・・・。
こんな事書くべきではないのかもしれないけど
別に気にしません。
女の子は毎月生理が来るようになってるのです。
当たり前なのです。
恥ずかしがることはないのです。
前置きはこの辺で。


予定上、そろそろはじまるかなぁ・・・・と
分かっていたんだけどねぇ。
生理前とか、人によっては生理中、
女の子は
イライラしたり、
一人で落ち込んだり、
何でもない事で傷ついたり、
変になるんです。
心身共に変になるんだよ。
異様に食欲が出てきたり。

生理って中3週あいて、ほぼ4週目でくるんだけど
その生理1週間前から食欲が増え
生理中は痩せにくい時期と言われ
それでもフツーに食べてる。
ってことは一ヶ月の半分(2週間)は食欲旺盛。
こりゃ、大変。

私は一昨日くらいから一人でブルーになってた。
ブルーっていうより、少々イライラしてて
その後一人で落ち込んだり、
自己嫌悪してたり、
とにかくネガティブになってた。
久しぶりにネガティブ思考の私。
自分でも生理前だから仕方ない。
「頑張れ!!Faye!」なんて一人で励ましてたけど
いったんネガティブ思考が始まると
なかなか抜け出せない私。
また久しぶりだから、どうしたらいいのか
分からなくなっていた。

そうですFaye、最近ポジティブ思考になってきてるんです。
自他共に認めるものです。
一人でStrugleしていた最悪時代を知ってる友達にも
“最近ポジティブになってきてる”と言われました。
これは周りの友達のおかげであり
もちろん私自身も頑張りました。
今も頑張ってます。

まぁ、このように生理前ってホント精神的にくるものがあるのです。
本人達もどうしていいかわからないものが・・・・。
私の場合、生理が始まってしまえば
精神的には回復してくるんだけど
今度は身体的に辛くなるのです。
そうです、生理痛です。
歩けなくなるほど、ヒドイ時もある。
でも生理痛はクスリで何とかなるし(アメリカのは強いのよ)
痛みって慣れるんですね。
身体的痛みの方が精神的痛みより辛くない、
私にとっては。


やっと生理も始まり、Faye復活です。
少しずつ回復してるのが分かります。
嬉しいぃ〜。

今日はこんなトピックでしたが、
日記が書けるまで回復した私、素晴らしい。
周りの友達に迷惑かけてたでしょうか?
多分ないはず。
でも、もしも何かしてたらゴメンナサイ。
生理前だったのです。
許してね。


2001年07月15日(日) スマイル


あなたの笑顔が
何よりも
誰よりも
私を幸せにしてくれる

そして

何よりも
誰よりも
私を元気にしてくれる


2001年07月14日(土) 謝々


何も言わずに
何も聞かずに
ただ側にいてくれる
私はそれが嬉しいのです。


2001年07月12日(木) My 24th Birthday

今日は私の24回目の誕生日。
ここで迎える5回目の誕生日。
おめでとう、Faye!!
これからもっと、もっといい女になるんだぞ。

今日一日私はとっても幸せでした。
まず友達皆にありがとう!!!って言いたい。
日本にいる友達。
アメリカにいる友達。
皆ありがとう。

ストーリはここから始まるんだよね・・・・。
先週友達の家で皆で飲んでた私に後輩が
「Fayeさん誕生日の日何してるんですか?」と聞いてきた。
何も予定がなかった私は
「何もないよぉ〜。」と答えた。
すると「んじゃ、誕生日会しましょう、寮で!!」
この時私は後輩と友達のこの計画に全くもって
気つ゛いていなかった・・・・・。

今日は朝から幸せだった。
いつもの様にバイトに行ってメールなんかをチェックしていた。
すると私のメールに沢山の友達から
おめでとうメールが届いていた。
高校の友達、
中学の友達、
アメリカの友達、
専門やここで仲良くなった友達、
そして韓国にいる友達。
沢山の人から届いていてとっても幸せだった。
ありがとう。

朝からそんなスタートで一日中ワクワクしてた。
そして今日の夜のパーティーをとっても楽しみにしてた。
学校で後輩に「9時半に寮に来てください。」
と言われ、私はそれまでたまたま他の友達の家で話をしていた。
長居する予定ではなかったのだけれど、
気がついたらもう9時20分。
「そろそろ帰るねぇ・・・。」なんてちょっと慌てて家に戻った。
バイトから直でその友達の家に行ったものだから
準備とか何もしてなかったのだ。
家に帰ると留守電に友達(K)からメッセージが入っていた。
「戻ってきたら電話ください。」
どうしたんだろう・・・と思いつつ電話をした。
F: 「もしもし、Fayeだけど・・・。」
K: 「あぁ〜、今さぁコロッケとかゴハン作ってるんだけど
   沢山作ったから行く時に迎えに来て欲しいんだけど・・・。」
F: 「いいよぉ、何時に行けばいいの?」
K: 「あと15分くらいしたら来て!」
F: 「分かった、じゃぁね。」

電話を切って時計を見ると、すでに9時半。
カメラのフェイルムを探しつつ、
“9時半って言われてたけど、遅れちゃうなぁ・・・。
電話した方がいいのかなぁ・・・。”なんて考えてた。
フェイルムが見つからないので、ビデオを持っていく事にした、私。
でもバッテリーが少ししかなかったので、充電を始めた。
そんな事してたら10時になっていた。
そして慌てて私は友達Kの家に向かった。

いつものように駐車場に入った所で私はクラクションを鳴らした。
今日の夜はやけに駐車場が混んでるなぁ・・・なんて思いながら
彼女がクラクションに気がついたか部屋を覗いていた。
すると彼女は部屋から何かを言ってる様子。
窓を開けて、音楽を低くしたら
K: 「作りすぎて一人で持てないから、手伝って!!」
F: 「いいよ。」
私はそのまま車を突っ込み、荷物を置いてカギを閉め
彼女の部屋へ向かった。
“そんなに作ったのかぁ、嬉しいなぁ・・・。”なんて
考えながら・・・・。
「トントン」ノックとしたら中から
「はぁ〜い、いいよぉ」と同時にドアが開いた。

すると何と
「ハッピー バースデイ!!!」
何と皆がいるではないですか!!!!
そうなんです、彼女らサプライズ パーティーを企画してたのです。
F: 「きゃ〜!!!超嬉しい!!」
なんて言いながら、そして心臓は嬉しさで
バクバク音を立てていた。
中に入ると皆がハッピー バースデイーの歌を歌ってくれて。
Kちゃんの手作りのケーキの上にローソクがしっかり24本
さしてあり、それを頑張って消しました。

寮だと思っていた私はカメラなどが入ってるバックを車に
置いて来たので、ろうそくを消して私は外に戻った。
ちょっと涙出てきたので、外にも行きたかったのだけどね。(笑)
部屋に戻り、私はソファーの真ん中に座らされ、
あまり真ん中に座ることに慣れてない私はさらにドキドキしていた。

そしてプレゼントが渡させた。
今いる友達と後輩、そしてアメリカ人の友達
ほぼ皆が書いてくれた写真付きメッセージアルバムだ。
影で色々と歩き回って作ってくれたみたいだ。
ホントに嬉しかった。
まだ知り合って3ヶ月も経ってない後輩も一人一人が
メッセージを書いてくれてた。

そして個人的にプレゼントをくれた友達。
ありがとう。
彼女がいるのに下着をくれたK君、
ワタクシ、しっかり履かせてもらってます。
DHCの化粧セットをくれたKちゃん、
夜にちゃんとメイクを落として毎日使わせてもらってます。
犬の人形と写真と詩をつれた後輩のYちゃん
チャッピーにかまれないようにちゃんと見守ってます。
チュッパチャップス、あと残り一本になってしまいました。
スパイダーマンのおもちゃ開けちゃったよ、しかもその場で。
プレゼントも嬉しかったけど、
気持ちが嬉しかったです。

あまり話した事のない後輩や
次の日が朝8時からテストがあるのに来てくれたコ。
ゴハンを一生懸命作ってくれた子達。
食料やお酒を買いにライドをだしてたコ。
歩いてアルバムを作ってくれたり、部屋飾りを作ってくれた子。

皆の気持ちと皆の愛をしかと受け取りました。
Fayeはホント幸せ者です。
ありがとう。





2001年07月11日(水) USPS


昨日6時過ぎにバイトから帰ってきたら、メールボックスの中に
配達メモ(Deliverly Notice)が入っていた。
どうやら日本から何かが届けられていたらしい。
でも私が不在だったため、メモを残していってくれたのだ。
そのメモにはParcialの所にチェックされてあり
私の住所と名前ときっとその小包み番号と言うのだろうか、
その番号が書かれてあって、一体誰が送ってきたとか
全く記載されていなかった。
Sender(送り主)にはJAPANと、これまた凄い字で書いてあって
それがJAPANと分かるまでかなりかかった。
そのメモによると今日また配達、もしくは今日の9時以降に
郵便局まで取りに来てくれ・・・とのことだった。
今日も郵便が配達されるくらいの時間帯には家に帰れない私は
朝仕事中に郵便局へ荷物を取りに行った。

もう少し遅くいっていたら、その小包みはまた誰もいない
私の家へと配達されるところだったみたい。
窓口に行ってメモを見せたら、おじさんに
「あ〜もしかしたら配達の人がもう持っていったかもしれない。
上に行って調べてくるから待っててくれる?」と言って
彼は行ってしまった。
そして10分後。
「よかったぁ〜、もう少しで行き違いになってたよ。」
と言いながら、小包みを私にくれた。
小包みの送り先を見ると、親友からだった。
ハルミ。
ありがとう。

彼女とは小学校から一緒だった。
たしか3年生か4年生の時一緒のクラスにもなった。
でもその頃何故か私達はお互いを嫌っていたのだ。
似てる所があるからか、お互いが強気だからか、
しかもその頃私は女の子の友達が少なかった。
私は男の子の中にいて一緒になって遊んでいた
やんちゃな女の子だった。
中学になってまたその彼女と一緒のクラスになって
多分最初は別々にいた気がする。
でも2学期か、1学期の後半くらいから仲良くなった。
何かのきっかけで沢山話すようになって、そしたら
どんどん仲良くなっていった。

高校はお互い違う学校で会わなかったけど、
たま〜に会った時がまたフツーで。
久しぶりのはずなのにフツーで。
それがいいんだよね。
お互いそれぞれの学校での悩み語ったり、ただ笑ったり。
何だか不思議。
もう11年の付き合いになるんだよね。

私が日本に帰ると、彼女は仕事とかで忙しいのに
時間を作って会ってくれる。
自分のやりたい事がその今の仕事で、
頑張ってる彼女の姿はとっても輝いてる。
全ての事に全力投球になれる彼女はカッコイイ。
久しぶりに会うたびに仕事の話とか聞かせてもらうと
本当に忙しそうなのに、
その話をしている彼女はとっても輝いているのだ。
前にストレスとか、疲れとかで入院したと聞いた時は
本当に心配だった。
今もあまり無理すると倒れてしまうらしい。
でも彼女は自己管理をちゃんとしていてエライなぁと思う。
彼女は私にいい刺激を与えてくれる。

そして彼女は私の事を理解してくれてる。
ただ単に長い付き合いだから・・・って訳ではない。
彼女は私の1つ1つの言葉の裏にある意味とかを
分かってくれてるのだ、不思議と。
ありがとう。

私は彼女と11年前に仲良くなって、今こうして
友情関係を結べる一人の人に出会えたことを
とっても嬉しく思う。
私の結婚式には必ず出席してもらう。
そして彼女の結婚式には必ず出席するつもり。(笑)
お互いいい女になろうね。
幸せになろうね。
でもあまり頑張りすぎないようにネ。(笑)
そしてかわいいプレゼントとカードありがとう。
とっても嬉しかったです。


2001年07月07日(土) 七月七日



誰かのために生きてるわけじゃないけれど
ましてや誰かに褒めてもらうために
生きてるわけじゃないけど


誰かに褒められたり
“変わったね。 うん、いいよ。”
なんて言われたり
そういうのを聞くのは
とっても気持ちがいいものです


2001年07月06日(金) チャッピー大手術の巻

私には今飼い始めて2年近くになる犬がいる。
ミニチュアダックスフンドのオス。
それがチャッピーだ。
彼を買うキッカケは2年前の夏友達と二人暮らしをしていた私。
突然私と私のルームメイトは犬が欲しくなったのだ。
私達は古いけど、結構大きめな一軒家に住んでいた。
そこの家にはまたまた古いけど、ちょうどいい大きさのポーチと
坂というか丘というか、そんな感じの広い庭が目の前にあった。
ある夏の日に私達は犬が欲しいって事になり、
友達に頼んで、近くのペットショップに連れて行ってもらった。
そこには何種類かの犬がいて、友達と話して
できれば小さい犬がいいとなった。
オスかメスかはかなり迷っていた。

ペットショップについて小さい犬を探していたら、
そこにはなんとミニチュアダックスフンドのオスとメスが
いるではないですか。
ともかく、一度抱かせてもらおう!!ってことになり、
定員さんにたのんでケージから出してもらった。
最初に私が抱いた。そしてルームメイト。
きっとこの時私達は全く同じ事を感じたに違いない。
私はこの2ヶ月チョイになるチャッピーを抱いた時に
何かを感じた。
使いたくないけど、「ビビビ!」ってきたのだ。
メスを抱く前に私とルームメイトは目を合わせ、
お互いに「この犬だよね?!」ってなった。
そこからは早かった。
さっさと、ペーパーワークを終わらせ、お金を払い、
とりあえず必要なゴハンとシャンプーと首輪とリーシと
一通り揃えて、家に帰った。

その日は沢山写真を撮った。
ちょっと動く度に二人で騒いでたっけ。
私たちのモモのの上に乗って眠ったり、
とっても小さかった。
買ってきた当初は私達のモモの付け根から膝までの
長さしかなかった。
名前はその時連れて行ってくれた友達の一人の
昔飼っていた犬の名前がチャッピーだった。
帰りの車の中で名前を悩んでいた私達はその友達にその名前を
聞いたとき、また「びびび!」ってきたのだ。
「チャッピーっぽいよねぇ。」
それで決まったんだっけ。

それからは大変だったよ。
ともかく最初はおしっこを家の中でしまくってた。
いくらおこってもしばらくはトイレを外でするのが怖かったらしく
私らに教える事さえもできなかった。
一年目になろうとした頃からかなぁ、やっと私らが家にいれば
トイレに行きたいから外に出してぇ〜と泣くようになった。
しかも私達の借りていた一軒家、
実は犬とか動物を飼ってはダメだった。
私達が二人で住んでる時はお互いどちらかが家にいたから
大家さんに見つかることはなかった。
でも去年の夏しばらく今の家に移るまでの間
私は一人でその家に住んでいた。
仕事で一日学校にいる私はいつ大家さんが家に人を連れてくるか
ドキドキしていた。
でも大家さんには家に来るまえに必ず電話をして下さいと
頼んでいたのでしばらくは大丈夫だった。
でもその事件は起きたのだ。
去年のD.C.トリップに行ってる間にそれは起きた。
友達に一応見てもらうよう頼んだのだけれど、一歩遅かった。
しかも予告なしに大家さんは来たみたい。
しかもチャッピーのウ@チが入ってすぐのところにあったらしく
大家さんはかなりショックを受けてたらしく、
そのショックが怒りへと変わり、留守電にはすごい勢いで
メッセージが残ってたっけ。
まぁ、友達の犬を預かっていた・・・てことでごまかし、
しばらくチャッピーはMさんの家にホームステイした。

そんなチャッピー今では長くなって、もう私のモモの上では
大きすぎて眠らなくなった。
散歩が大好きで、とってもハイパーな犬だ。
ルームメイトと今は別々に住んでるのだけれど、
チャッピーをどうするか・・・ってなった時、
彼女は「どっちでもいいよ。」と引いてくれた。
私が飼いたいってのがきっと嫌なくらい伝わったのだろう、
彼女もチャッピーをすっごく可愛がっていたのに、
「どっちでもいいよ。」とだけ言ってた。
ありがとう。

しばらく忙しくて定期検診とか連れて行ってなかった。
でもN.Y.トリップ前に時間があったので、L.A.に行く前に
しっかり見てもらおうと思い、病院に連れて行った。
そしたら、なんとチャッピーの歯が一本乳歯があって
それがその隣にある永久歯を圧迫して、そこで化膿を起こしている
と医者に言われた。
口が臭かったのもそれが原因らしい。
口が臭くて、私は歯ブラシと歯磨き粉(犬用)を買って
磨いていたけど、全然意味がなかったらしい。
その化膿を起こさなくするためには歯を手術して
抜かなくてはならないと言われた。
それは仕方ないと思ったので、すぐに「OK」と伝えた。

でもそれだけではなく、麻酔をかけるから、ついでに
去勢手術(タマタマを取る手術)をしないか?とまで言われた。
すぐには答えが出せなかったので、とりあえず7月5日に
手術日を予約し、それまでの間に去勢をするか
しないかを伝えることになっていた。
私はあまり犬のことに詳しくなかったので、友達にメールなり
直接話したりしてどっちがいいか聞いた。
去勢手術をするとおとなしくなるとか
音に敏感になるとか、おもちゃで遊ばなくなるとか
マイナス面も聞いたし、
将来病気をしなくなるとか、若いうちにしておいた方が
犬にとってもいいとか、犬の性欲は人間より強く
将来子供とかを作る機会がないなら取った方が犬が辛くないとか
プラスの面も聞いた。
皆沢山のアドバイスありがとう。

そしてその結果、やっぱり去勢手術をする事にした。
2度も麻酔で痛い思いはさせたくなかったし、
将来のこと考えるとした方がいいと思ったからだ。
N.Y.トリップから帰ってきた次の日の朝8時に病院に連れて行き、
午後の2時に迎えに病院へまた行った。

麻酔でボーっとしてるのか、痛いのか
おとなしく看護婦さんに抱かれてたチャッピーは
私を見るなり、しっぽを振り出した。
とっても胸がイタクなった。
「ごめんねぇ。びっくりしたよねぇ。いたいよねぇ。」
と何度も心で言ってたっけ。
その日はずっと眠っていた。
夜にゴハンを少し食べ、そしてチャッピーはまた眠った。
犬とか動物というのはこういう時何をしたらいいのかってのを
自然と知っている。凄いことだ。
次の日からは元気がでたのか
ちょっと縫い目を気にしながらだけど、おもちゃで遊んだり、
散歩も行ったり、外に向って吠えたり、
今まで通りの生活に戻った。

そして1週間たった今ではホント手術したのが
ウソのように、元気にしている。
チャッピーに関しては、おとなしくなるとか、そういうのは
全くもってなかったらしい。
いつものようにハイパーです。

これかも仲良くして行こうね。
L.Aでも頑張ろうねぇ!!!
20日は抜糸の日。
すんなりいく事を祈るばかりです。
くれぐれも暴れないでね。


2001年07月05日(木) フィールド トリップ in NY (最終日)

今日がNYトリップの最終日。
今年は去年と違って、何だかとってもあっという間だった
気がする。なぜだろう?
2年目だからか、忙しかったからか。
でも今年は去年とは違うNYと味わえたからとっても良かった。

今日の日程は午前中は自由行動。
12時にホテルをチェックアウトして1時にWVを目指して
NYを出発。
まぁ、私は何をしてたかと言うと、
やっぱり10時半くらいまで眠ってました。 ハイ。
眠気には勝てませんでした。
そう考えると、10何歳も年上のボスとMさんは若いのかなぁ。
彼女らは朝の8時半には起きて、それから朝ご飯を食べに行って
そしてまた買い物へと出かけていきました。

さすがに最後の日なので私も一人でプラプラしようと思い
ホテルから近いところの靴とかサンダルを安く売ってるお店を
昨日見つけたので、そこへ行ってみた。
1時間ではこれ!!っと思ったのは見つけられず、
結局何も買わないまま、そのお店をでてWVに帰る前に
スターバックスのコーヒーを飲んでおかなくては!!と思い
スタバに入って、私の大好きなキャラメル・フラプチーノと
チーズとバジルとオリーブオイルのかかったサンドウィッチを買って
そのままホテルへと帰った。
それが私の朝兼昼食だった。

ホテルに帰ったのは11時半くらいだったのかなぁ。
そしたらボスをMさんはまた買ってきた荷物と
今までの荷物の整理をしてた。
「私には関係ないし・・・。お昼食べたいし・・・。」って感じで
私は邪魔にならないようベットの端に座ってサンドウィッチを
食べてた。そしたらMさんから厳しい視線。
「何そこに座ってただ食べてるのよぉ。手伝いなさいよぉ。」
そんなことを言わんばかりの目つきだった。
怖い、怖い。
そこには私の荷物は1つもないのに・・・。
とうとう呆れたのか、Mさんは私に向かって、
「クーラーの中身整理してくれる。」と一言。
私は食べかけのサンドウィッチ片手にクーラーの整理を始めた。
やっぱりおばさんパワーには負けるね。

まぁ、自分らの荷物の整理がすんだら落ち着いたらしく
それからは雰囲気とかも和らいだから良かったけど。
まぁ、ビックリしたのがバンの1台分の後ろの荷物置く所が
ボスとMさんの買った荷物で埋まってしまったこと。
しかも最初に来たバンに自分らの荷物を真っ先に入れてたって事。
「おいおい・・・・。」って思ったけどね。
生徒も結構買い物は満足してたみたい。
皆沢山買ってた。
また来たいねぇ〜、なんて話してる子達もいた。
そういうのを耳にすると何だか来て良かったって思う。
遠くからその会話を聞いてて、きっと私は一人でニヤケてたと思う。
嬉しいじゃない。
つまなかったぁなんて言われるよりさっ。

帰りの道は1つ間違った以外は順調だった。
まぁその1つ以外がとってもシンプルだから
迷いようがないのだけど。
でも去年より全然スムーズに帰ってこれたよ。
途中雨がすごくてちょっと怖かったけど。
またその運転してたのが前にMさんが運転するバン、
私が運転するバン、
そして最後にボスと旦那が運転するバンって順番で。
雨、というか嵐みたいなのが相当Mさんは怖かったらしく、
私はその後ろで大変だったよ。
私はクルーズをONの状態にして運転してたから、
運転速度は一定してるのに
前を走るMさんはいきなり速くなった(80M/H以上)と思ったら、
いきなり遅く(60M/H)になったり。ブレーキをよく踏むし。
一応あまり離れないで運転することになってるから
私はちょうど間をとって75〜72M/Hのスピードで走ってた。
そしたら一回結構Mさんと離れた時があったんだよね、
ちょうどすっごくスピードを出してた時みたいで。
でも私もその道は知ってたし、
前に一応Mさんのバンが見えてるし、
またMさんが遅くなって近くなるし、
クルーズをOffにしてまたSetするのが面倒だった私は
そのままスピードを上げずに普通に走ってた。
それでも制限速度より5M/Hオーバー。
(5M/Hオーバーは警察が見逃してくれるラインなの)
それをボスは気に入らなかったみたいで、
「制限速度はくれぐれも守るように!!」って散々言ってたのに
私を後ろから思いっきりあおって来た。
まぁ、仕方なく10M/Hオーバーで追いついたよ。
そしたら案の定Mさん思いっきり遅くなってブレーキを踏む羽目に。
もちろんブレーキを踏んだため、クルーズはOffになった。

でもまぁ、無事8時過ぎくらいには学校の寮に着いた。
夕飯をいつもなら途中で食べるのだけれど、
今回はボスが早く家に帰りたかったらしく、
寮に帰ってからピザのオーダーかチャイニーズのオーダーの
どっちがいいか?なんて
途中のトイレ休憩で生徒に聞いていた。
「げげげげ・・・それって。誰がオーダーするの?」
私は心でそんなこと自分に聞いていたよ。
「We are gonna order either pizza or chinese from dorm.」
って言ってるけど、そのWeって誰よ?
Weって。
ウイーって。
「・・・・・・」
はい、その通りそ・れ・は・、私。

誤解してほしくないから書くけど、
別にオーダーするのが嫌なんじゃない。
はっきり言って、私はボスのその言い方が嫌なのです。
先に私に一言言えるよね?
「Faye, I'm thinking about their dinner tonight.
Do you mind if I ask you to order either pizza or
Chinese food for them when we get there?」ってな感じに。
そしたら私だって快く「OK!!」って言えるよ。
でもあたかも彼女がオーダーするかのように生徒に聞いて、
実際着いてから、「Faye, will you help them?」なんて。
「おいおい・・・。」ってなるよね。
なんないかなぁ。
私にはホスピタリティーの気持ちが少ないのかしら?
まぁ、でも生徒もちゃんと協力してくれてすんなり
オーダーも済んでよかったけど。

頼み方とか人の使い方ってのはとっても大切だと思うの。
うちのオフィスで働いていると自分の存在が
とっても嫌になる時があるのだ。
「私って奴隷?」ってな感じに。
バイトのクセして生意気なって思われるかもしれないけど、
でも言い方って大切だと思うんだ。
そんなことをちょっと考えさせられた最終日だった。


2001年07月04日(水) フィールド トリップ in NY (3日目)

今日はインディペンデンス・デイ。
今日の日程は野球を見に行かない人達は8時まで自由行動。
野球を見に行く人達は朝の11時までは自由行動、そして
1:05から始まるメッツVSシカゴ・カブの試合をメッツの
球場に行って見に行くことになっていた。
私はブランドンとリン(ボスの旦那)と野球に行く子達の同伴。

11時にホテルのロビーで待ち合わせだったが、私は昨日の夜の
こともあり朝はゆっくり眠っていたかったのだが、
ボスやMさんは朝から今日の一日自由行動のことでかなり
エキサイトしており、人が寝ているのにも関わらず、
朝の8時くらいからガザゴソ・・・・・。
うるさくて目が覚めた。
そしたら「昨日何時に帰ってきたの?」
よほど気になっていたのか、すぐに話しかけて来た。
「・・・・・・」
一瞬私はキレたよ。でも私も大人になりました。
ちゃんと笑顔で
「3時半か4時くらいに帰って来ましたよ。」と答えた。
そして聞かれる前に、「すごく楽しかったっす。」
それを聞いてすっきりしたのか、彼女らはまた
ショッピングの話に興奮していた。
やっと一人になれたのは9時半くらい。
10時15分まで・・・。
目覚ましをもう一度セットして、また眠りについた。
二度寝はよくない!!
気がついたらもう10時半。
私は慌てて起きてシャワーを浴びてロビーに行った。

野球は・・・楽しかったです。
というか私はあまりにも眠くて試合中眠ってしまってました。
でも時々ちゃんと見てたよ。
メッツにはシンジョウっていう日本人の選手がいるのだけれど、
怪我をしてしまったため、試合には出てなかった。
NYで野球を見るなんて、贅沢って思ってしまいました。
ピッツバーグとはまた違って、良かったです。
試合は2対1でもちろんメッツが勝ちましたよ。
良かった良かった。
私はこれが初めて。私が座ってるサイドのチームが勝ったのは。

夜はハードロックカフェでシーザーサラダを食べました。
おいしかった。量が多くてビックリ。

最初に書いたように今日はインディペンデンス・デイ。
夜は花火を見に行く事になってたのです。
この時もうちのボスやってくれました。
8時にロビーで待ちあせて、私たちは歩いて
花火の見える場所へと行く事になってた。
さぁ〜行こうかってその時に突然ボスは
「私頭がいたいから行きたくないわ。」
私らスタッフは「それなら無理しないで寝てなよ。」と言った。
そしてボスはホテルに残る事になったのだ。

この日の天気は曇り。
しかも花火を見る場所まで歩いていく途中、
結構強い雨も降った。
雨では中止にはならないらしいと聞いていたので
私らは歩いた。
9時ちょい過ぎくらいに場所に着いたのかな。
そしたら花火は9時半からで。
しばらく混雑した中で私らは待った。
ヒュルルルルルル〜バン!!
9時半ちょうどに花火は始まった。
少し離れた間隔で4箇所から同じ花火が同じタイミングで
打ち出されていた。
風が少ない上に4箇所から、休憩なしにあがる花火。
向かって右一番端の花火しかキレイに見えてない。
他の花火は煙でかぶってしまっていた。
「あ〜もったいな〜い。」
私はそう思った。日本なら煙で花火が見えなくなると
少し間を置いて花火をあげるのに、全くアメリカ人というものは。
花火を音の凄さといかにそれをバンバン勢い良くあげるか、
そのことしか考えてないんだろうなぁ・・・。
客も間隔があいて花火があがったら決して興奮しないのだろう。

確かに音も響いていて凄かった。
中には新しい物もあった。
スマイルフェイスとかハートとか
USAとかが浮き出る花火もあった。
全体的にはとってもキレイでしたよ。
今年初の打ち上げ花火を見れて私は嬉しかった。
10時くらいに花火は終わりまた歩いて
私らはホテルへと向かった。

行きも帰りも生徒の何人かはボスはどうしたのか・・・と
私らに聞いてきた子達がいた。
そのたびに私らは、「ボスは頭がいたくて・・・。」と
説明した。すると生徒の中には「大丈夫かなぁ。」と
本気で心配している子達もいたのだ。
私もある程度は心配していたが、ホテルに帰って
心配してたのがバカだった・・・とたっぷり味わった。
ホテルの部屋に帰るとボスがベッドの上に並べられてる食品と
今日買ってきた料理の本を比べながら
「もう、Fayeがいなかったから
欲しい物が全部買えなかったわ。」
「・・・・・・・」
誰もが声を失いました。
さすがの旦那もご立腹だったのか、
「頭が痛かったんじゃなかったの?」と一言。
そしてさらにボスやってくれちゃいました。
「だってぇ、買い物行きたかったんだもの。」
「・・・・・・・」
さらに「明日はFayeも一緒に来てね!」
「いや、無理っす。」
私は確かに心で言ってそう叫んでました。
いやぁ〜、ビックリでした。

その夜はスタッフ皆でホテルの前の韓国レストランで
お酒などを飲みながら、最後のNYの夜を過ごした。
ボスは最初に行ったバーで酔っぱらったみたいで
レストランでは、私に一気をしようとかなり飲まされました。
暴走が始まった彼女はブランドンが飲んでる日本酒でも
一気をしていたのです。

そりゃお酒を飲めて楽しかったけど、
ボスと飲むお酒は・・・・
正直言って、気疲れしました。
そして今夜も私らは4時近くにホテルへ帰ったのです。


To Be Continued


2001年07月03日(火) フィールド トリップ in NY (2日目)

今日のスケジュールは午前中いっぱいをNY Gray Line Bus
(赤バス)でMidTownからDownTownを周り、NY湾から
自由の女神を見てまたMidTownへと戻り、午後は自由行動。
毎年この赤バスに乗って1日費やしUpTownや
Harlemも見るのだけれど、今年はDownTownだけとなった。
確かにUpTownに行った去年の生徒は
20人中4ー5人だけで、疲れていたためかほとんど
寝ていた子達が多かった。
Uptownバスツアーも芸能人が住んでるマンションとか
それにまつわるストーリーとかも教えてくれるから
楽しいのだけれど、それはバスガイドさんによりけりなのかな。
ハーレムは昔ほど盛んではなく、見所が少なくなったと言われてる。
そんな訳で今年はDownTownのみとなった。
いつも通り赤バスツアーで自由の女神の所へ行き、遠い海の
向こうにある自由の女神をChai Latte片手に、眺めそして
また赤バスでUpTown入り口(セントラルパーク手前)まで
戻って行った。

毎年うちのボスはこの日にチャイナタウンへ行く。
ヤム茶のレストランでお昼を食べ、チャイナタウンでショッピング。
どういう訳か、うちのボスとMさんはチャイナタウン好き。
男の子達がソーホーに来て欲しいとブランドンに頼んでいて
お昼はうちらスタッフとそのレストランで食べることになった。
その後私はボスとMさんに勧められて、ブランドンと一緒に
ソーホーへ行った。
本当は一人でプラプラしようかなぁと思ってたけど。
ソーホー入り口辺りで男の子達に、ある程度の位置と場所を教えて
私とブランドンは2人っきりでソーホーを歩くことになった。

今回は全くもってショッピングする気がなかったので
ただ歩いていた。特にこのお店に行きたーいってのがなかった。
で、ブランドンにどこに行きたいのか聞いたら、
彼もどこでもOKってなわけで2人でアートギャラリーや
フリーマーケットなどをいくつか回ったりした。
そんな風に歩いているうちに私のお気に入りのお店の前に来てた。
私は思わず「ここ入りたい!」と言ってしまい、二人で入った。
私はそこで友達へのお土産とプレゼントを買った。
もちろん私の愛犬チャッピーへのおみやげも・・・・・。

6時にボス達と待ち合わせをしていたのだけれど、
その時間までにはまだまだ。
2人でワシントンスクエアの所に行って、ボーっとすることにした。
私はこの時間がとっても有意義に思えた。
今回で6回目となるNY.
でもいつも来る時は休みの時期だから、学生より観光客の方が
いっぱいで、ワシントンスクエアもこんなに人はいなかった。
でも今回は普通の日でNYUの学生とかがたくさんいて
日向ぼっこをしてたり、犬の散歩をしてたり
スケボーをしてたり、ビデオ(映画クラブらしい)で
撮影なんかをしていた。
ちょっとニューヨーカーの気分になってしまった。
エヘ。

そこにどれくらいいたのか分からないけど私は楽しかった。
俗に言う、Enjoying Weatherって所。
6時までまだ時間があったけれど、ホテルの方に向かって
私らは歩きだした。
そしたら途中カフェバーみたいなのがあって
2人とも目を合わせちゃった。
「軽く一杯飲んでこうかぁ!!」
そう夕方4時くらいに2人でビールを飲んじゃいました。
お酒のせいか話はスムースの進んだ。
というより、彼の恋話をしていた。
ここで初めて私は先生以外のブランドンの姿を見た。

学校でボスと彼らが恋の話とかをしてるのを聞いてたりしたけど
そういう時私はただそこへいて聞いてる・・・って感じで
ブランドンも私に話してるというよりはボスや他のスタッフに
話してる・・・って感じだった。
だから私もテキトーに聞き流してたし、あまり気にもしなかった。
いわゆる、None of my business。
でも今回はブランドンが私に彼の考えとか思ってる事とか
すごい深い話をし始めた。
これを機会に私も私の考えとかを話した。
とってもいい時間だった。

夜は日本食をスタッフ皆で食べに行って、
その後ミュージカルを見た。
私は美女と野獣を見た。
去年はミス・サイゴンをみて泣いたなぁ・・・・。
4年前にはオペラ座の怪人を見たっけ。
美女と野獣、とっても良かったです。
とっても楽しかったし、LOVEっていいなぁとも思いました。
英語もディズニーとあって、子供達もミュージカルに来てるので
簡単で聞き取りやすかったし。
皆さんにおススメのミュージカルです。

その夜ベットチェックを終え、私とブランドンは
ソーホーの街へと繰り出したのです。
今年、私とブランドンは昼の自由行動が少なく
唯一自由行動できるのが夜。
そんな訳で昼間に計画してたように、二人で行ってしまいました。
他のスタッフにも声をかけたけど、彼らは自由時間があるし
ショッピングで相当疲れてたらしい。

ソーホーにはJazzとかBluesのバーなどがあり、
私らは最初ライブのやっているバーに入った。
人気のあるレゲイ系のバンドが演奏していて、とても座れる
場所がなかったため、少し音楽を聞いて出た。
私はそこにいたかったのだけれど。
少し歩いた所にJazzバーのBlueNoteっていうバーがあり
そこの目の前の古びた感じのバーに私らは入った。
たくさん話したなぁ。

多分今回ブランドンは私のことをたくさん知れたはず。
きっと前まで彼は私が苦手だっただろうし、私のことを誤解してた。
だから私も自分を見せることなく、逆にブランドンが苦手だった。
私は相手が苦手モードとか、私の事を誤解してるモードを
だされると、心を開かない傾向がある。
その人達が思うFaye像をしてしまう。
でもきっかけとかがあれば、今回のように私は自分を出す。
出すというか知ってもらおう・・と自分の事を話すようになる。

私は2杯お酒を頼んだだけだったのに、かなり酔っていた。
かなり濃かったみたい。
でもブランドンの前では一生懸命フツーを装うってたつもり。
ブランドンは3杯ウィスキーをジンジャーエールで割ったものを
飲んでいた。後から聞いた話によると、彼も相当酔っていたらしい。
そこに3時くらいまでいて、私らはホテルへ帰った。

To be continued・・・・


2001年07月02日(月) フィールド トリップ in NY (初日)


「Oh〜!Sh@t!!」
時計を見た私は慌てて起き上がった。
時計の針はしっかり7時45分をさしている。
「ヤバイ!どうしよう。急がなきゃ・・・。」
頭の中がパニクってて、何をしたらいいのか全く分からない状態。
プラス寝起き。頭も働いてないよ。
でも何とか荷物をまとめ、髪を結いノーメークのままでとにかく
車で学校へと急いだ。この時ほど家が近いことに感謝したことはない。
そう今日はNYTripの初日。
私の学校のESLはサマーに毎年ニューヨークへ学校活動の1つとして
生徒を連れて行ってるのだ。
私は7時半にミニバンのある所で先生やスタッフと待ち合わせ。
がっしかし、木曜日から昨日(日曜日)まで連日の飲みやら
遊びやらで、私の体は相当疲れてたみたい。
ハイ。
ワタクシ思いっきり遅刻をしたのです。
バンのあるところに行ったら、他のスタッフの車はあるけど
バンと皆がいないことに気がついて、私はさらに慌てて
生徒のいる寮へと車を急がせた。
幸い寮に行く前に生徒用の軽いランチをバンに詰め込んでいたボス
に会い、とりあえず寮に行っててと言われ私は寮に行った。

そこにはスタッフの一人のブランドンがいた。
慌てた様子の私を見て
「あれ?どうしたの?何、遅刻したの?」
「僕はてっきり君はここへ直接来るのかと思ってたよ。」

あはははは・・・・・・・

ボスと他のスタッフが来る前に私は化粧だけした。
髪は・・・どうにもならないね。
なぜなら、私は朝シャワーを浴びようと思ってたのよ。
だから6時半なんかに目覚ましセットしたのよ。
髪はボサボサだけど、寝る前にちゃんと顔を洗っておいて
よかったぁ。 化粧だけはキレイにできました。
ボスと他のスタッフが来て私に放した一言は、
「Fayeの事すっかり忘れてたわ。」
(・_・; なんですと・・・! (ピキッ)

今考えるとかなり嫌味なこと言われてたみたい。
でもあの時の私は頭がまだボーっとしてる上に、
まだパニクってて、笑ってたっけ、彼女らの嫌味にも。
まぁ〜、こんな始まりでNYへの旅行はスタート。
何か去年とは違うなぁ、今年は。と自分一人で
ドキドキしながらの出発。

2〜3時間くらい走った所でトイレ休憩、プラス運転手の交代。
私もブランドンと代わって運転してた。
そういえば彼と二人で同じバンに乗るのって今回が初めてだったなぁ。
何となぁ〜く苦手で、いつもさりげなく避けてた気がする。
でも今回は本当パニクってた自分に感謝。
特に緊張することなく、フツーに話してたっけ。
そこから1時間半位の所でお昼休憩。
私はその後またバンを変わって、違うバンで運転。
NYの中は運転したくない!!!っていう約束付きで。
ところが、NY前の最後のレストエリアを私たちは通過してしまったのだ。

「・・・・・・・・・」
「ひょぇ〜!!!」
約束がちがうじゃぁ〜ん!!
そしてどんどん車の量も増え、気がついたら
リンカーントンネルの入り口にさしかかってた。
ここは苦い思い出があるのよ。
4年前に友達3人と私の車フェスティバでNYに行った時
本当はリンカーン手前の出口で高速を降りる予定だったたのに
その出口を見つけれず、そのまま私の小っちゃな、そして
ウエストバージニアナンバーの車はリンカーントンネルへと
入っていってしまったのだ。
トンネルの入り口で料金を払うのだけれど、$1だと何故か
思い込んでいた私は$1を出し、お兄さんに「$4」と
言われ焦ってたっけ。

そんでもって今回もちょっとそんな昔の焦った気持ちが
ふと私の脳裏をかすめたんだよね。
今回は「OK,$4だったから、$5で$1ドルの
おつりとレシートをもらって、これで完璧!!」とばかりに
私は5ドル札を出した。
「・・・・・・・」
そしたら何とこの4年の間に料金が値上がりしていたのよ。
「One More Dollar」とオバさんに言われ。
私は一瞬キョトッちゃいました。
「O・・・OK,and Can I have a reciept?」と
まごつきながらの私にオバさんは心良く「OK」と答えてくれ
ちゃんとレシートもくれました。
ありがとう。

さぁ〜ここからがFayeの腕の見せ所よ。
トンネル通りながら「あ〜ここそういえば通った」と
懐かしみつつ、NYマンハッタン突入。
ホテルまでの道で何度か焦ったりしたけど、
隣の乗ってた男の子とかが励ましてくれたり、
後ろの車をチェックしてくれたりしたので
なんとかホテルに着くことが出来たよ。
ありがとう。
そし自分に、エライよFaye!!よく頑張った!!


この日の夜はエンパイアステイトビルディングに
夜景を見に行った。
生徒の皆もキレイな夜景を楽しんでたみたいで良かったです。
確かに夜景キレイだった。
そしてホテルに帰って、運転の疲れからか、
私はすぐ眠りについたのです。


To Be Continued・・・・


Faye MAIL MIXIへ

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