愛なき浜辺に新しい波が打ち寄せる
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2012年09月30日(日) 夜中に一人で起きてると、夜に飲まれる

 最近、自分のサイト(倉庫と化してるけど)を見返したりしてます。WB再放送で、再びタテしん萌えして、それでちょっとWBSSを読み返したら、なんかなつかしくて、それで、笛ではどんなん書いてたんだろうと思って、笛ページを開いてみたら、膨大な量にびっくりした。見返せるわけがない。あと、過去の日記の膨大さにもびっくり。エンピツの過去日記だけでも膨大なのに、その他ページに2002年からの日記もあるんだぜ。これらも見返せるわけない。けど、ちょっとだけ読み返してみたら、おもしろいことを書こうとしてがんばっている(が空回りしている)かんじがして、少し哀しかった。でも、見ての通り今は全然がんばってないので、昔の自分のがんばりが微笑ましい。昔の日記が残ってるって、恥ずかしいし、なんか怖いんだけど、でも何か落ち着く。読み返すわけじゃないけど、残ってるってだけで、なんか安心する。一応ちゃんと生きてたんだなと思って。私はよくぼんやりしてしまうので、自分の存在が不確かに感じられることがある。誰かと一緒にいるときはそうでもないんだけど、夜中に一人で起きてたりすると、自分と夜の境界があやふやになることがあり、こうやって日記を打ってても、今パソコンに向かって日記をつけてるのは誰なのか、みたいな気持ちになったりする。でも、書き終わって登録してしまえば、「あ、これ私が書いたんだ」と理解できる。それで、自分が書いたものが過去にも連なっていると、このとき私は生きてたんだな、と思える。だから、これからもなるべく日記をつけ続けようと思う。日記らしい日記もたまにはつけたいね。「今日は久しぶりに高校の同級生と会って、ランチしてきたよ」とか。うん、ランチしてきた。おいしかったよ!以上です。日記らしい日記は数行で終わってしまうね。


2012年09月29日(土) 父の話

 いつもお母さんの話ばかりなので、父親の話もするか。私はほんとにお母さんっこで、父のことは全然尊敬してなかった。尊敬してないというか、憎んでいた。お母さんにつらい思いをさせて、私に嫌な思いをさせて、いなくなってしまえばいい、とよく思っていた。そしたら私が二十歳だったある日、いなくなってしまって、山の中で死んでるのが見つかった。自殺したんだ。私が、いなくなれって思ったからいなくなったのか?って思った。でもそれ以上に、私は腹が立った。好き勝手やって、周りを苦しめて、最後はそうくるのか、と。お母さんを最後の最後まで苦しめるのか、と。でも、すぐに諦めがやってきた。父はずっと生きるのが苦痛だった。だから死んだんだ。死ぬしかなかった。それで父は終わった。でもお母さんには、そこからまた新しい苦しみが始まった。なぜ父を止めることができなかったのか自分を責め続けなきゃならない。お母さんはそんな素振り見せなかったけど。私は父を諦めたけど、お母さんが自分を責める限り、父を許せないって思っていた。でも月日の流れがじょじょに家族を癒して。日月が癒すことなどできない傷もこの世にはたくさん溢れているけど、お母さんと私は、次第に、父のいない新しい生活が普通になっていった。たまに父を思い出すけど、それは父の暴虐さや、その暴虐と背中合わせの弱さじゃない。子どもっぽくて無邪気なとこもあってちょっとかわいかったねって、無茶苦茶な人だったけど面白いっちゃあ面白かったねって、字がすごく上手だったねって、笑い合いながら言ってる。悲しい記憶は、消し飛んでったわけでも、蓋をして閉じ込めてるわけでもない。悲しみは悲しみとして残ってる。それはお母さんの一部となり、私の一部となり、同化している。怒りはとっくになくなってる。お父さんは可哀相だった、というと語弊があるかもしれないけど、でもやっぱり可哀相だったと思う。あの日、山の中を、ただ一人で、どんな気持ちで歩き続けていたのだろう、と思うと、胸が痛む。昔の私が少しでも、父を可哀相だと思うことができていたら。でもそれは無理だ。今だから思えることなんだろう。


2012年09月26日(水) 秋がきたよ、そして今日はおかんの誕生日

 気付かぬうちに月日は流れる。毎日暑くて死にそうだったのに、秋になっとる。夏の間は、はよ夏終わってくれんかいのーと思っていたのだが、ほんとに終わると少しさみしい。夏の終わりに限らず、季節の変わりめはいつもさみしい。風邪とかひくし。ところで、私は元気です。そうですか。そうなんです。なんで元気かっていうと、妄想と現実のバランスがいい感じになってきて、心が安定しておる。最近、WBやチェイスの再放送があったりして、再び萌えてたら、現実にも身が入るようになって、気力が湧いてきた。ここ何年か、おたく離れした生活(魂はおたくなんだけど、特に萌えのない日々)を送っていたら、どうも現実感が薄くなって。なんかそれはそれで平和でよかったんだけど、ぼーっとする。まあ、妄想が行き過ぎて現実がおまけみたいになっちゃうと、生活に支障をきたすんで、よくないんだけど。でも本当は、私としては、生活に支障がでるくらいの萌えがあると、ほんとに満ち足りて、生きてるって感じがする。私は今の現実の生活に不満がないどころか、とても楽しいかどうかは別として(え?)幸せを感じているし、周りの人々に大変感謝している。しかしそれはそれとして、やはり私には妄想が必要なのだと改めて思う。物心付いた頃からずっと。そんな私を、母は、「いい子なんだけど暗い。どこか変わってる」と思っていて、今でもそう思われている。私が暗いのは認めるけれど、全然変わってないと思う。多くのおたくが、別におたくではない多くの人が、生きていくために妄想を、物語を必要としている。お母さんだってドラマ見て喜んでるし。私はドラマとかをそのまま素直に受け止めるだけでは満足できないことが多いから二次創作に走りがちだけど、程度の差じゃないんかな。いや、ドラマを楽しむのと二次創作じゃ、差がありすぎるというより別物か。しかしとにかく、物語は必要なんだ。必要な人には。夫は、どうやら生きるのに物語を必要としないタイプのようで、私はよく、こんな淡々と飄々と生きていけるもんだな…と感心する。一体何が楽しくて生きているんだろう、とも思う。いやいや、悪い意味でなく。いい意味で。いい意味なのか?分からんけど。とにかく感心している。だって物語なき世界に救いはないよ。妄想なしで生きていくのは心許ない。ところで、母が私のことを、「いい子なんだけど暗い。どこか変わってる」と思ってるって前述したけど、話の流れの都合上そういう書き方になったが、ほんとは「暗くて変わってるけどいい子」だと思われている。つまり私は母から愛されている。母にとって都合のいい子だから愛されてるとか、何か秀でてるところがあるから愛されてるとかでなく、何もいいところがない、しかも暗くて変わってる、でも自分の子どもだからというだけで愛され続け、その大きな愛で育ってきた。なんて幸せなんだろう。私の母親のように自分の子を育てられたらと思う。難しいけど。あと、うちの母のように寛容に子どもを育てても、子どもがいい感じに育つわけじゃないってこと、私が実例ですけどね(素)しかし、母に愛されて育ったということが、永遠に私を励まし、支え続ける。お母さんありがとう!(ここで言っても届くわけない)


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