Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2003年11月27日(木) コマーシャルの墓穴

中部電力の「コミュファ」のコマーシャルはいただけない。
特にラストでタレントの優香が商品名を連呼するバージョンは悪趣味に近い。

知らない人(多分いないと思うのだが)のために一応説明しておくと、このコマーシャルは中部電力の光ファイバーの接続サービス「コミュファ」の販促のためのもので、BGMと供にカウ・ボーイ風の衣装をつけた優香が「コミュファに入ろう」だの「まだ入ってないの?」だのと言いながら縄に見立てた光ファイバーを家やマンションに投げ込む、といった風体のものである。

私がこのCMを嫌う理由は主に3つあって、ひとつ目には商品名を連呼するのが嫌だ、ということが挙げられる。広告は今やイメージで勝負する時代だというのに、「商品名(サービス名)を連呼して視聴者の頭に名前を焼き付けさせる」という手法はあまりにも前時代的で古臭い。旧体制の匂いがこびりついている様で何だかとっても気味が悪く感じるのだ。
2番目の理由はこのCMに優香を起用したことである。断っておくが、私は別に優香が嫌いなわけではない。では何故これがいけないかというと、優香はもう「コミュ・コミュ・コミュファ」などと言うべき年齢ではないからだ。あるいは「コミュ・コミュ・コミュファ」とカメラ目線で(しかもドアップで)言うにはメディア的に新鮮味が薄すぎるからである。この意見には賛同してくれない人も多いかもしれない。だが、考えてみて欲しい。これが例えば米倉涼子であった場合を。多分違和感の度合いは高まるであろう。では、もう一歩踏み込んで、松島菜々子が「コミュ・コミュ・コミュファ」という役だったらどうか。違和感はもっと増幅されたのではないのだろうか。要するに一定量マスコミに出た人間には必ず「すまし」た部分が出来上がっており、それ故珍奇な行動を取ると、どうしても変な違和感が生じてしまうのだ(もちろんお笑い関係の人間は除くが)。そしてその違和感はタレントのメディアに露出した年数×量に奇麗に比例する。
これは「ヤフーBB」の広末涼子にも言えることであり、コマーシャルの最後、彼女は「BBしよ!」というのだが、今さら広末に「BBしよ!」と言わせるのは不憫である。まだ若いとは言え、彼女は少なくとも7年以上はテレビの風にさらされ続けてきたのだ。こんなセリフはもっと駆け出しの、そこら辺にいるグラビアアイドルに言わせれば良いのである。それでは知名度の面で困ると言うのなら、彼女達に「コミュ・コミュ・コミュファ」とか「BBしよ!」などと言わせてはいけない。普通の日本語を喋るコマーシャルにするべきである。

そして理由の第3は(これが一番重要なのだが)このコマーシャルの放映量がオカシイぐらいに多いということである。中部電力はこの「コミュファ」の宣伝に気張りすぎるほど力を入れているらしく、1日に流される「コミュファ」のコマーシャル量は異常なまでの乱発傾向にある。提供・スポット併せてもう何遍見たか分からない。現在、中部地方はテレビをつければ「コミュ・コミュ・コミュファ」の状態である。コマーシャルは沢山の人に見てもらうのが目的だから、より多く電波に乗せようと言う考えは間違ってはいない。しかしそれも程度問題で、過ぎたれば優れたコマーシャルでも嫌悪感のほうが強くなってくる。まして「コミュファ」のような出来の悪い作品なら、例え商品自体が優れていたとしてもコマーシャルのみを見れば悪感情を持たれてしまうだけであり、当該の理念から考えれば全くの逆効果である。企業はここらへんのことをよく踏まえて、でしゃばり過ぎず、かといって引っ込みもせず、良い按配で効果的な宣伝をすることに知恵を絞るべきである。特に、その商品に自信を持っているのなら。


2003年11月24日(月) 掛井真砂子の素敵な一日

私の趣味に「父の本棚を漁る」というものがある。別に好きでやっているわけではない。本は大好きだが、最近の本は無闇に高くてケチな私には手の出せないものが多い。となると懐を痛めずに本を得るには図書館で借りるか古本屋を渡り歩くぐらいにしか方法はなく、それでは好きな本の準拠所としていささか心細い。帯に短したすきに長しというか、ふぐは食いたし命は惜ししの心境で、どうにか無償で本を手に入れられないかと頭を絞りにしぼった私の記憶の片隅に、ふと父の本棚が思い浮かんだ。私の父もまた本が好きで、趣味趣向に多少の違いはあるものの、何と言っても血続きなわけであるから、私の好みそうな本もきっとあるに違いない。そんな淡い期待に胸をときめかしながら敢えて埃とカビがはびこる部屋に身を投じたのであるが、期待は見事に空振りとなり、数時間後、時代小説の山を抱えて呆然とする私の姿を母が認めてしまうのであった。それでも私の本棚通いが趣味になるまで続いたのは、ごく稀にとんでもない掘り出し物に遭遇することがあったからだ。前述の通り大半は時代小説で、要するに私にはあまり興味のないものばかりだが、たまに世間の評価とは別に私が個人的に敬愛する作家の作品を見つける。まあ、丁半博打みたいなもので、良い本を見つけられるかどうかはその日の運と言った感じだった。今回もそういう軽い気持ちで本棚に趣いて、徒然なるままに散策を開始したのだが、早々に一冊の変わった雑誌を見つけた。表紙が破け、紙が黄ばんだかなり古そうなものだ。右トジ・縦書きで236ページ。どうやら同人誌のようで、あまり上質とは言えない小説や評論が載っている。どうも素人臭の抜けないものばかりである。これ以上見るべきところなしと本を脇に置こうとした時、執筆者一覧の中に新村健介の名を見つけた。私は驚きのあまり心臓が飛び出る思いがした。私は新村の大ファンであり、それ故に何故こんなつまらない本に彼の文章が載っているのか不思議でしょうがなかったのだ。本の発行年月日(1973年12月7日)から考えるとおそらく彼がまだ無名時代の頃の作品であろう。
そこにはこんなことが書いてあった。


(まえがき)
これは私の友人である、とある大学講師の平穏なる一日を、彼女が言うままに記述したものである。従っていわゆる物語や小説のような起承転結や序破急、都合のいい展開あるいは予定調和といったものは存在しない。同時に文章の上手さやストーリーの面白さも一切ない。何故ならこの文章は単純な日常生活を切り取ったものだからである。読者諸兄の中にもしもこの話を面白くかんじた人がいるとすれば、それはよっぽどの物好き(下手くそな文章を読んで面白がる変態)か、あるいは日常生活のちょっとしたことにいちいち興趣を感じる奇特な方なのであろう。どちらにしてもこれは子供の遊びのようなものだから、もっともらしいオチ・感動のラストシーン・涙の出るような引き際その他各種の望まれるべき決着が全くつかないうちに終わってしまうのでそういう筋で期待して読んではいけないことを前もって警告させていただく。しかし、私も自己顕示欲の強い人間であるから、「日常をありのままに書く」といっても多分に修飾過多になってしまうことを加えて警告しておく。当節は物価も上がり、紙の値段も馬鹿にならないが、10年来の親友である佐藤良のたっての希望とのことだったから、僭越ながら寄稿させていただいた。同誌の一層の発展を心から祈っている。
1973年 8月19日 新村健介


題名:掛井真砂子の素敵な一日

※掛井真砂子は福井県生まれ。東京都在住。職業は私立大学の講師(助教授の昇進待ち)。数年前の破乗賞のパーティーで同席して知り合いになった。

1971年 12月10日
5時15分:起床。今日はことさら寒いようだ。硬直した冷気が掛け布団の重みに加わって覆い被さってくるような錯覚を覚える。床を上げると、真砂子はすぐに暖房をつけ(前夜のうちに予約しておけば良かった)、お湯を沸かして砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーを飲みながら部屋が暖まるのを待った。それから机に座って3番目の引き出しから原稿用紙の束を取り出し、横に外木庭重吉が編纂した「日本生活移転史」とその関連書籍、それにクリップで留めた数枚のプリントを置いて来年刊行が予定されている「日本と旅の効用」の残り4分の1の執筆に取り掛かった。真砂子は日本文化についての書籍を既に3冊ほど出版しているが、一時的な生活の移動、すなわち旅行から逆算した日常生活の有用性を言及した今著は学術的な重要性、そして真砂子自身の精神的充実感もそれまでのものよりも格段に高かった。よって筆も普段より快調に運んだ。人間には朝型と夜型の二種類があり、特に物書きを生業としている者は皆が寝静まった夜更けにこそ活発に行動するというのが定説になりかけているが、真砂子にはこれが納得できない。そもそも人間は日の出とともに起き上がり、日の入りとともに眠るように体が構成されているのであり、ことに日本人は農耕民族だから、完璧に計算された規則正しい生活を送るのが最適であるように遺伝子的にインプットされているはずなのである。だから真砂子が本や論文を書くのは朝起きてから学校に出向くまでの2〜3時間のうちと決まっていた。自分は変わり者であると感じていたが、これが一番性に合うのだから仕方がない。雀の鳴き声や朝刊を配る新聞配達員のバイク音を聞きながら、真砂子は紙とペンの世界に没入していった。

8時10分:家を出る。今日は執筆が思いのほかはかどり、危うく出勤時刻に遅れそうになった。従って朝食はまだ取っていない。駅の購買で小さなチーズパンを2つ買い、大学に着いたら食べることにした。真砂子が今勤めているのは私立のR大学。授業があるのは月・火・金曜日。それに土曜日にはQ女子学院で非常勤の講師をしている。私立は給料が良いし、設備も充実しているから不満らしい不満はなかった。ただRもQも自宅から少し離れているのが多少心の重みにはなったけれど。だが、大学の講師をしているものは大抵この通勤時間の長さに悩まされているのだから、たかだか1時間強の我慢に文句を言うのは贅沢であろう。真砂子の仲間内にはもっと苦労している者もいるのだから。電車に乗ると、真砂子は旅のお供として水無瀬京子の「シシパラウムからの脱出」を読み始めた。これは尊敬する先輩教授の中田史雄先生が大変お褒めになっていらっしゃった本だから、真砂子としても一読の価値あり、と踏んでの選書だった。実際、列車に揺られている間、もう何年も前から見飽きている外の景色や、毎日車内で繰り広げられる魑魅魍魎とでもいうべき様々な出来事にいたずらに目移りすることはなかった。

9時30分:1時限目開始。大学に到着すると、真砂子はまずコーヒーを買い、先ほどのチーズパンとともに流し込んで当面の課題を克服し、やはり今日は寒いから、と気付け代わりにもう一杯コーヒーを飲んでから授業に臨んだ。この9時30分始業というのは他の大学と比べて時間的にかなり遅いほうなのだが(実際Q女子学院は8時50分開始である)、それでも生徒達の欠席率は高い。きっと夜型の生活をしているからだわ、と真砂子は当たり前のことをさも自分が見つけた新発見のように恭しく感じ入った。一方、そういった寝坊者とは違って、やたらに気合の入った生徒もいて、そういう人は大抵席の最前列に1人でどっしりと座り、どこから由来しているのかわからない自信と、早く来ていることをまるで手柄を取ったかのような錯覚に陥ることで得られる満足感に支配された複雑な面持ちで授業を聞いていることが多い。真砂子の場合、もちろん授業に出てくれるのは教師として嬉しいのだけれども、ここまで踏ん張った顔が間近にあるというのもちょっと気詰まりな感じがするので、どちらかというとこの種の生徒もご免被りたいと思っていたのであった。真砂子が密かに(ほとんど無意識のうちに)支持するのは列の中段あたり、2、3人で慎ましく講義を受けている積極性と消極性が上手い具合に混ざりあっている学生でなのである。授業が終わり、真砂子が教室からの撤収の用意をしていると、1人の女生徒―濃紺のセーターにちょっとした刺繍が入った、割かし時代遅れな服装をしていた―が近寄ってきて「鈴木幸治郎の『水の童話』は読んでおいたほうがいいですか?」と尋ねてきた。真砂子が基本的には個人の好みの問題だけど、私はとても楽しく読めたわ、手に取るぐらいの価値はあるんじゃないかしら、というような意味の返答をすると、生徒は「そうですね」と言った後ペコリとお辞儀して足早に駆けていった。真砂子は「そうですね」とはどういう意味なのか、多分「読んでみます」ということなのだろうけど、取りようによっては別の意味も考えられるわね、まあ先生に直接質問するのは緊張することだから、それで思わずおかしな返答になってしまったんだろうな、と7・8年前の、彼女と同じ境遇だったころの自分のことを思い出して少し苦笑した。

12時40分:2時限目が終わり、今日分の講義は終了した。普段なら以降も学校に残って色々な雑務をこなさなければいけないのだが、今日は午後の3時から名古屋で学会に出席する予定があり、従って急いで学校を出て新幹線に乗らなければいけない。それでも研究室には一応顔を出しておく。大学を通じた諸所の連絡や本人当ての葉書きがきているかもしれないからだ。早足で部屋に入ったのだが、残念ながら(あるいは喜ぶべきことなのかもしれない)通達は何も来ておらず、代わりに学生達からの要望・質問を承る目安箱に数枚の紙片が入っていた。こういった質問状は大体が「教室がやかましいので静かにさせてください」とか「黒板の字が小さくて見えないのでもっと大きく書いてください」といった大変耳の痛いご意見や、先程の女学生が質したような「近代日本文学において主流に位置する作家は何をきっかけに傍流に勝ったのでしょうか」「高木福行の作品でよいものを教えて下さい」「鷲尾ロウジについてどう思われますか」などといった至極大学生チックなものが多かったが、たまに「空間を飛躍することが出来ると仮定しますと、時間を飛躍することも出来るでしょうか」というそれこそ真砂子の専門領域を飛躍した質問がくることもあった。質問に対する回答、及び昼食(朝食が軽めだったので空腹感がかなりある)は新幹線の中で済ますことにして、真砂子は急いで駅へと向かった。

15時15分:やっと学会が始まった。遅れた理由は権威者の山元竜治が遅刻してきたせいだ。学者も偉くなれば随分と横柄なことができるものだ。真砂子は自分が満足な昼食を犠牲にしてまでも開会時間に間に合うよう死力を尽くしたことを少し後悔した。まあ今回はあくまで聴講の立場であるから別に良いけれど、かわいそうに今日論説を発表することになっている久谷実は明らかに苛立ちを隠せていなかった。題目は久谷が得意とする古典の「初冠日記」の一節「しぢみ汁」から。この話に登場する「牡丹の女房」は実は王侯貴族の娘ではないか、という大胆な仮説だ。予想通り、反発がかなりあった。貴族文学を専門とする葛西悠一はただのでっち上げだと罵り、彼の取り巻きである秦野弥生も激しく噛み付いた。気の弱い堀智彦は賛成とも反対とも言わない。例の山元は聞いているのかいないのか分からない面持ち。久谷も必死に抗弁するが、どうにも分が悪い。真砂子もこの説には流石に無理がありすぎると思った。大勢が決しかけたと思われた時、もう一人の権威と目される高柳東(コウリュウトウと読んではいけない。たかやなぎ・あずま、である)が重々しく口を開いた。「確かに牡丹の女房が貴族の出、というのはいささかアクロバティックですね。しかし、これは面白い考えであります。少なくとも根も葉もない眉唾ばなしではない。しかるに、我々はこの件についてもう少し掘り下げた研究をする必要があるんじゃないでしょうか。」
この一言で会の雰囲気は和やかになり、久谷は照れ笑いをし、葛西もつられて笑い、さっきまで赤くなったり青くなったりしていた秦野の顔色が人間の肌の色に戻った。真砂子は一言で対立を丸め込ませる高柳の力量に感嘆した。流石は文壇で幅を利かす実力者だ、山元と違って威厳がある、ああいう危険な折に適切な言い付けが出来るのは素晴らしい、など様々な視点で彼を褒め称えた。この穏やかな雰囲気のまま、無事に散会の段と相成り、真砂子が帰途に着く準備をしていると、背後から「掛井さん」と呼ぶ声が聞こえた。高柳だった。彼はスラリと伸びた足を漫画みたいに大げさに上下させてやってきた。真砂子が恐縮していると、高柳は「いやいや、申し訳ない、立ち止まらせてしまって。実はどうしても言っておきたいことがありましてね。」などと息も切れ切れに話す。何だろうと真砂子が恐怖と期待が入り混じった複雑な気持ちでいると、高柳は息遣いを努めて平静に戻してこう言った。「あなたがお書きになった『お箸の日本史』、読みましたよ。実に良い出来だ。日本の歴史を箸の視点で、しかもあんなに面白おかしく書けるなんて素晴らしい。お若いのに立派です。これからも精進して頑張ってください。」あまりのことにシドロモドロになっているうちに、高柳は「じゃあ」と軽く言って、傍にいた堀とともに何処かに行ってしまった。彼女の胸のうちに、高柳に対する尊敬の気持ちと、自著を褒めてもらった嬉しさと、満足に礼を言えなかった後悔と、そしてその感謝の気持ちを言えぬままに去ってしまった彼への僅かな恨みごころが交錯し、混ざり合って体に染み入ってくるようにゆくような感じがした。

19時40分:東京に帰還。真砂子には今日のうちにこなす行事がもうひとつあった。学者仲間の辺見光太郎と人形浄瑠璃を観劇する約束をしていたのだ。真砂子が待ち合わせの場所に行くと、この男は既にそこにいて、連れがくるのをボンヤリと待っていた。辺見は真砂子よりも4つ年上で、それ故に学術的な知識も経験も真砂子より豊富だった。真砂子が今日学会で高柳東に褒められたことをやや自慢気に話すと、彼はニヤリと笑って「それはおめでとう。ただ、あんまり鵜呑みにするのも危険だな。あの人は何でも大げさに褒める癖があるから。」と言った。真砂子は内心ムッとしたが表情には出さないで「そうかもしれないわね。でも、あれで俄然やる気が出たわ。いま書いている『日本と旅の効用』、自分でも良いのが出来そうと思っているけど、襟を正してもっともっと完成度の高いものにしようという気が湧いてきたの。」と言った。辺見は「その意気その意気!掛井先生には来世紀まで残る大傑作を書いてもらわないとね。じゃないと君を最初に評価した僕の目が疑われる」と茶化す。こんな具合の他愛もない言い合いを続けながら、二人は会場までの道のりを歩いた。実はこの二人、まんざらでもない御様子で、この後も紆余曲折があるのだけれども、結果的には結婚という形にめでたく収まる訳なのだが、そんなことはどうでもいい話だ。

1時50分:帰宅。辺見と浄瑠璃をみた後、近くの居酒屋によってつきだしの魚や焼き鳥をつまみながら芝居の感想やら日本文化の今後のあり様についての意見やらを話しているうちにすっかり遅くなってしまって、その後さらに諸々あって家に着いた時には彼女が当初予定していた帰宅時間を大幅に超えてしまった。これでは彼女の提唱する農耕民族の生活が貫徹できない。すぐにお風呂に入って体をもみほぐした後、ウイスキーをシングルであおった。疲れは確かにあるが、概して言えば心地よい疲労感である。布団に寝転ぶと自然と目がまどろんでくる。真砂子の脳裏に、今日の様々な出来事が浮かんできた。例えば、「日本と旅の効用」のある一文、例えば、「シシパラウムからの脱出」の一行、それに濃紺セーターの女生徒、高柳教授、辺見光太郎の顔・・・絵の具の色は単独では鮮やかな色合いを出すのに、それらを一つに混ぜ合わせるとたちまちどす黒い褐色になってしまう。それと同様に、今日頭に染み付いた色んな記憶が混ざり合って周りが暗くなり、彼女を漆黒の世界へと落とし込んだ。今日の彼女は多分夢を見ないであろう。充実した日を過ごした人間はその濃密な(良い)疲れによって目が醒めるまで深く深く眠る。真砂子にとって、今日は大変に素敵な一日だった。後々までその思い出がずっと残るくらいに。


2003年11月18日(火) ある愚者による、さくらももこに関する覚書

まず始めに言葉が優れていた。
漫画よりも言葉が先行し、言葉は漫画を包み込んだ。
だからこそ斬新で、かつ面白かった。

1〜6巻までの「ちびまるこちゃん」は良かった。
「もものかんづめ」はもっと良かった。
「さるのこしかけ」は「もものかんづめ」と同じぐらい良かった。
「たいのおかしら」は「もものかんづめ」と「さるのこしかけ」よりは少し良くなかった。
「あのころ」は「たいのおかしら」よりもう少し良くなかった。
「まるこだった」と「ももこのはなし」は「あのころ」よりさらに良くなかった。
「そういうふうにできている」は「まるこだった」と「ももこのはなし」と同じくらい良くなかった。
「さくらびより」は確実に悪かった。
「富士山」は最悪だった。
「ももこの宝石手帳」でこの作家はもうダメだと思った。
「世界あっちこっちめぐり」は途中で読むのをやめた。

「ほのぼの劇場」が好きだった。
「盲腸の朝」には笑わされた。
「あこがれの鼻血」には感嘆した。
「ひとりで勝手に運動会」というタイトルに脱帽した。
「教えてやるんだ ありがたく思え!」はとても19歳の女性が書いた作品には見えなかった。
「みつあみのころ」「ひとりになった日」「手をつなごう」「夏の色も見えない」といった感傷的な作品にも胸を揺さぶられた。
しかし「ちびまるこちゃん」の7巻から「ほのぼの劇場」が収録されなくなった。
だから7巻は以前よりも面白味が減った。
8巻には「ほのぼの劇場」が入っていたが、前のものよりも完成度が高くなかった。
9巻は8巻よりももう少し面白くなくなった。
10巻はもっと面白くなくなった。
11巻はさらに面白くなかった。
12巻ぐらいになるとついにヒロシの性格が悪くなってきた。
13巻では明らかに作風が変わり、私の大嫌いな野口、小杉、山根、永沢といったエキセントリックなキャラクターが幅を利かすようになった。
14巻ではこの「招かざる客」がますますでしゃばり、いい加減愛想が尽きたと思ったらこの巻で「ちびまるこちゃん」は一端休止となった。
その後「富士山」などでちょくちょく新作が発表されたが、漫画の出来には溜め息をつかざるをえなかった。
去年6年ぶりに15巻が発売されたが、私がこの本をレジに持ってゆくことはなかった。

「ちびまるこちゃん」が大ブームの頃、私はまぎれもなくさくらももこの熱烈なるファンだった。
前述の通り単行本は全て買い揃えた。
テレビアニメも食い入るように観た。
「おどるぽんぽこりん」を歌いまくった。
映画化された折には真っ先に劇場へと足を滑らせた。
冨田靖子主演の自伝的ドラマも必死になって見た。
さくら自身が脚本を書いたドラマも観た。
とにかく彼女は時代の寵児だった。
そして私も彼女を大いに支援した。

ところが「まるこ」が二度目のアニメ化を果たした頃から様子がおかしくなってきた。
漫画がつまらなくなった。
アニメもつまらなくなった。
魅力だった独特のエッセイ調の文体が後退して、キャラクターに依存する傾向が強くなった。
アニメで友蔵役を務めた富山敬氏が亡くなり、青野武氏があとを引き継いだあたりから(青野氏には何の責任もないが)いよいよどうしようもなくなってきた。
頼みの綱のエッセイ文集も、庶民感覚が欠落した、ひどく出来の悪いものとなった。

この間さくらももこは出産して、さらに離婚した。
それが彼女の内面にどのような影響を与えたのか、ずぶの素人である私に知る由もないが、少なくとも作家としての輝きが薄れてきたのは明らかだった。
彼女の著作に目を通す機会は減った。
私の熱意も随分と冷めた。

それからさらに幾年かが過ぎた。
さくらももこが最近再婚したと聞いた。
だが、今の私にとってはあまり重要性のないニュースだった。
最早彼女には何の期待もしておらず、せいぜいこうして日記のネタに使う程度の関心しか持てなくなった。
私のなかで「さくらももこ」は完全に過去のものとなり、どうでもよい存在になった。
一時の栄華が、今やひときれの灰塵と化したのだ。
「過ぎにし栄光は、その空しさだけを持って現代に生き残る。浮かんでは消え、消えては浮かんでゆく、寂しいピエロの夢のように。」


2003年11月15日(土) 古典三文芝居・ごっこ遊び

(空き地で子供2人が遊んでいる)
子供A:ウルトラマンごっこやろう。僕がウルトラマン、君が怪獣ね。
子供B:いいよ。
子供A:いくぞー怪獣、スペシウム光線だ!ビビビビー!!
(子供B、ばたりと倒れる)
子供B:ねえねえ、別の遊びしない?
子供A:じゃあ、仮面ライダーごっこやろう。僕が仮面ライダー、君が怪人ね。
子供B:いいよ。
子供A:出たな、怪人!ライダーキック!!
(子供B、ばたりと倒れる)
子供B:ねえ、別の遊びしない?
子供A:じゃあ会社員ごっこやろう。僕が課長、君が平社員ね。
(と言って子供Bを平手打ちする)
子供B:何すんだよ。
子供A:ばかもん!上司に対して口答えするとは何事か!!
子供B:そんなこと言ったって・・・ねえ、別の遊びをしようよ。
子供A:じゃあ代議士ごっこをしよう。僕が下院議員、君が秘書ね。
(と言って子供Bをぶん投げる)
子供B:何すんだよ。
子供A:だって、僕はセンセイだぜ。
子供B:もう他の遊びをしようよ。
子供A:じゃあ戦国武将ごっこをしよう。僕が信長で・・・
(子供B、子供Aの声を押し分けるように言う)
子供B:まった、僕が信長をやろう。
子供A:いいよ、じゃあ僕は明智光秀をやろう
(と言って子供Bにマッチの火を近づける)
子供B:あつつっ!おい、何すんだよ。
子供A:だって信長は本能寺で光秀に火あぶりにされたんだぜ。
子供B:ずるいよ、君ばかりいい役やって。僕にも強い役やらせてよ。
子供A:そんならとっておきのがあるよ。
子供B:へえ、どんなの?
(子供B、期待を隠せない)
子供A:ネロだよ。僕はセネカでもやるからさ。
子供B:暴君じゃないか!そんな役やるのは気が引けるよ。
子供A:じゃあヒットラーは?僕はチャップリンやるから。
子供B:そんなのもっと嫌だよ。もっと他にいい役ないの?
子供A:ぜいたくだなあ。う〜ん、じゃあ阪神なんてどう?
子供B:阪神かあ・・まあ、今年優勝したしな。よし、それやろう。
子供A:じゃあ、僕は巨人やるね。
(と言って子供Bにドロップキックをかます)
子供B:何するんだよ。
子供A:巨人は来年、ローズとか小久保とかが入るから強くなるんだよ。あわよくば松井(稼)も・・・片や、あわれ阪神は指定席の最下位に逆戻り。伊良部も下柳も出て行くんだもんね。
子供B:もう我慢できない!帰る!
子供A:まあ、待ちなよ・・・困ったねえ、一体どういうのがお望みなんだい?
(子供B、イライラした声で)
子供B:そりゃあ、もちろん君を2・3回張り倒す役さ!
(子供A、ポンと手をとたたく)
子供A:張り倒すんだったら相撲が一番だよ。大関の千代大海なんかどう?いま上り調子の。
子供B:千代大海か・・・それならいいかも。
子供A:よし、それでいこう。僕は横綱の朝昇龍やるから。それじゃあ、まずしこふみから・・・
子供B:いい加減にしろ!
(と言って子供Aを張り倒す)


2003年11月12日(水) 評論の自由とは言うものの

漫画夜話の司会進行役でおなじみの民俗学者・大月隆寛が今月出版された社会評論系のとある雑誌でかなり過激なことを書いている。いわゆる東大批判の一種のようなものだが、その負のエネルギーの傾け具合が凄まじい。東大出身のO氏を槍玉に挙げて、「執筆者の顔をその著作物に乗せるな」だの「自意識過剰なカメラ目線で『俺って他の東大出とは違うんだぜ〜』とアピールする浅はかさ」だの「どうせこいつは東大の優等生の僕ちゃんだから食いっぱぐれることのない安全地帯で安穏と出来て良いね〜」だの噛み付き方がいちいち卑屈なまでに壮絶なのである(上記のカッコ書きは私がまとめた大意である。大月氏本人の記述とは言い回し等多少の違いがあるだろうが大筋では相違ないことを付記しておく)。
このO氏という人物も確かに自己陶酔型の勘違い人間に見えなくもないが、この手のナルシストは世の中に吐いて捨てるぐらいいるわけであって(例えば私もそうである・・・多分)何もこの人に限って集中放火する必然性は感じられないように思う。東大批判の論文と考えてもいささか非建設的な論理の度合いが過ぎ(じゃあ自分はどうなんだ、という最も根本的な言い返しも含む)、尚且つ使っている単語が激しく荒々しく攻撃的で、どうも平常心を欠いているきらいがある。大月は単に高学歴の人に対するヒガミとコンプレックスをくどくどと述べたかっただけではないかと感じたほどだ。何が彼をこんな評論を書くように駆り立てたのか不思議でしょうがない。
思えば、私が初めて彼の論文を読んだのは5〜6年前の中日新聞に載っていた、「柳田國男の世界からの脱却を試みる」という趣旨のものだったが、なかなか鋭い考察と洗練された筆致に感心したものである。また、テレビで見る彼はいつもどっしりと落ち着いていてとてもあのようなヤケッパチで突っ込んでいく文章を書く人間には見えない。それなのに今度の愚挙は一体どうしたことだろう。私が大月の本性を知らないだけの話なのかもしれないが、どちらにしろ少しがっかりしてしまった。


2003年11月11日(火) 1日にして千年の夢を見る

友人から借りた萩尾望都の中篇漫画「百億の昼と千億の夜」を読んだ。件の友人は「壮大すぎてちょっと・・・」と言葉を濁していたが、なかなかどうして、結構面白い。壮大おおいに素晴らしいではないか。作者の渾身のエネルギーが弾けとび、コマの間からあふれる力が眩しい作品である。

そもそも原作は光瀬龍の小説であるから、私が読んだのはいわゆる”コミカライズ”作品である。オリジナルが未読なので小説から漫画に移行する際の改編・改稿の有無を確かめることは出来ないのだが、そこは「あの」萩尾望都、単なる忠実な訳出ではないことが容易に想像がつく。彼女なりの解釈に基づいた、大幅な刷新があったと見て間違いないだろう。それにしても、流れるような細い線といい、重厚かつ攻撃的なコマ割りといい、また跳ねてうねるキャラクターの躍動感といい、どれをとっても独特で、紙面にこれでもかと叩き付けられた彼女の内面にほとばしる熱量にはただただ圧倒される。打算や妥協は全く感じられない。まるで何らかの使命感でこの漫画を書いたのではないかと疑いたいぐらいの凄味である。生半可な気分ではとても読めない代物だ。エンターテイメントの部分を確保しつつも、本質は人間の業に対しての厳しい追及と問題提起を掲げた作品と解釈すべきであると思う。

細部を見渡せば、冒頭から胸躍るようなSF用語の連発が楽しく、プラトンやシッダールタ、ユダといった実在の人物を中心人物に据え、片やキリストをミロクの命を受けた俗人と捉えて悪事を働かせるなど大胆な設定変更も(かの宗派に属する人達の抗議はなかったのだろうか)、我々の史実に対するやや一様になりがちな視点に新鮮な切り口を提示されているようで心地よい。そして何より阿修羅は魅力的だ。流石は24年組の1人だけあってキャラクター造形も決してはずさないのである。

壮大にして繊細、豪放にして無情。「百億の昼と千億の夜」はこれからもひっそりと、しかし強靭な生命力を持って長く人々に読まれる作品に違いないだろう。


2003年11月09日(日) 決選投票!自公保対民主対社民対共産!!(ウルトラマンA見たいな感じで)

今日は日本国民の殆んどが取りうるべき行動(であると信じたい)、総選挙の投票に行ってきました。参議院選挙は過去にも経験したこともあるのですが、衆議院は今回が初めてです。この国をより良いものにしたい・・・というよりは、単に国民の権利を行使したかっただけでありますが、まあ、それでも自分なりに頭を絞りそれなりのビジョンを思い描いて投票しました。どういう結果になるか楽しみであります。

などと書いていたら、NHK・民放の区別なく一斉に開票速報が始まりました。どうやら自民・民主は実力伯仲の模様。解散前に比べるとそれぞれの議席数に大きな変動が生じそうです。もしかするとこの選挙は今までの政治の流れを覆す大きなターニング・ポイントになるかもしれません(良い・悪いは別として)。今後の動向に要注目です!

(ここからくだらない本音トーク)
しかし民放の開票速報はふざけすぎじゃないのかあ。東海テレビなんて「踊る大選挙戦」とタイトルからしてバカバカし過ぎる。メ〜テレも(そもそもここは局名がふざけているが)久米・小宮を出して「最後の2ショット・今夜で見納め保存版」なんて言ってるし。選挙とは何の関係もないだろうになあ。CBCは信用性が薄いし、中京テレビは俗っぽい。テレビ愛知はそもそも速報をやってない(ここは資本が少ないから仕方ないかもしれんが)。もうちょっとどうにかならんもんかねえ。落ち着いた雰囲気と正確性を求めるにはやはりNHKを見るのが妥当かな。地味だけど。


2003年11月01日(土) エノケンとナイナイの世代的隔たりってどれくらいなのだろうか

今日、友人と連れ立って行った本屋で偶然にも新旧の有名お笑い芸人について論じた本を見つけ、大まかではあるが一通りを無我夢中のうちに読み下した。私の知らない芸人や、あまり良い印象を持っていない芸人(例えばウッチャンナンチャン)についての知られざる一面を垣間見ることが出来、なかなかに興味深かった。また、かなり古株の部類に入るような人のことまで詳細に書かれていたのも古い芸人好きの私には嬉しかった。そして、全般的に貶し言葉がないのも良かった。筆者のお笑い芸人に対する深い愛情が感じられ、読んでいるこちらの気分までも解きほぐれてくるような気がした。この点においても名著と言えよう。

ただひとつ気がかりなのは、こういう本が出ることによって個々の芸人が必要以上に神格視されないかということである。お笑い芸人という”人種”は誉めそやされ持ち上げられるとその輝きを極端に失ってしまうケースが多い。特に毒を吐くことによって人気を得てきた芸人にとっては致命傷になりかねない。世間では「お笑いリスペクト」等という言葉が流行っていると聞くが、これは芸人つぶしに他ならないのではないか。芸人は低俗で構わないと私は思う。変に高みに上がらずに、最後まで「現場主義」であってほしいと願っているのだ。


橋本繁久

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