Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2003年10月29日(水) そもそも稲垣はマリオに似てないと思うんだけど・・・

SMAPの稲垣吾郎がスーパーマリオに扮してCMに出演しているが、よりにもよって「マリオカート」の宣伝ってのは当人にとって物凄くイヤミなんじゃないかなあ。彼がハンドルを握っている姿を見ると、どうしても2年前の”あの事件”を思い出してしまう人も多いんじゃないかと勘繰ってしまう。少なくとも私はこのCMを見た瞬間に、「稲垣メンバー」といういまひとつ納得できない呼称が忘却の彼方よりボーイングジェット機よろしく超特急で記憶によみがえってしまった。
果たして稲垣本人、そしてジャニーズ事務所の諸氏はどんな気持ちでこの仕事を引き受けたのであろうか。もう「みそぎ期間」は終わったのだという決意表明なのか、それとも視聴者はそんなこととっくの昔に忘れているとでも思っているのだろうか。だが、世の中には私のように意地悪な人間もいるのだ。そういう人にとって、”あの事件”は決して風化していない。これが墓穴を掘ることにならないといいのだが・・・ともあれ、このCMが彼の後々の活動にどんな影響を及ぼすのか、なかなか興味深いところである。


2003年10月28日(火) Someday,Sometime

放送を心待ちにしているわけではないが、見ないと何となく損をした気になるーそんな番組だった「サブリナ」が昨日をもって4年間の放送に幕を閉じた。それも、優勝決定試合となって大盛り上がりを見せた日本シリーズの裏でひっそりと。

内容は極めて他愛のないもので、「奥様は魔女」を始祖とする一連のドタバタホームコメディの域をでない。特に新味があるわけでもない、いたって単純なドラマである。ただ、主演のメリッサ演じるサブリナのキュートさと、ちょっとホッとできるような雰囲気が週初めの月曜の夜には格別に心地よかったのである。

私は全シリーズ・全話を見ていたわけではないが、回を重ねるごとに着実に成長してゆくサブリナに時には共感し、時にはエールを送りながら、まるで子供を見守るかのように番組と接していたのであった。

最終回を迎えた今、私は若干の寂寥感と甘酸っぱい昔日の思い出が交錯する複雑な感情に捉われている。
ありがとう、サブリナ。ありがとう、ゼルダ、ヒルダ。ありがとう、セーレム、ロキシー、モーガン、ハービー。番組スタッフもありがとう。
またこのような楽しい番組が作られることを心待ちにしています。本当にお疲れ様でした。


2003年10月25日(土) 視聴率はしゃべらない

日本テレビが視聴率を”買収”したということでちょっとした騒ぎになっている。むろん道義的に許されることではない。まして視聴率4冠を謳う局の犯した過ちだからその責任もいよいよ重い。だが、そういう倫理観の問題を別として、私は今回の事態は「いずれ起こること」として充分予測できたのに上層部が有効な対処策を講じなかったのも問題だと思う。昨今の視聴率の過当競争は、まさにくだんの事件を引き起こしかねないほどに狂乱化しているのだから。但し、スポンサーが必要な民放では視聴率至上主義が尊ばれるのもある程度は仕方がない。むしろ反省すべきは目的と手段の取り違えである。「良い番組を作る」という”手段”に従えば、「視聴率を上げる」という”目的”は自然と達成される。だが、「是が非でも視聴率を上げれば」それが「良い番組である」というわけではないのだ。ここにおいて目的と手段の立場は完全に逆転してしまっている。これは成績とテストの点数の関係を例にとると分かりやすい。普通、成績を上げるにはテストでよい点数を取るのが一番の近道であるから、誰だって必死に勉強する。その結果が成績に反映されるわけである。しかし、勉強もせずに優等生の答案をカンニングして高得点を取ったからといって、良い成績をとったとは言えない。見かけ上は誤魔化せるかも知れないが、本質的に知能が上がっている訳ではないからだ。そういう意味では事件を起こした番組プロデューサーはカンニングがばれた受験生と同じようなものである。「視聴率を上げればこれすなわち良い番組なのだ」という誤った考えに毒された結果が今回の愚行につながってしまっている。放送局の関係者は今度のことを肝に銘じ、部下に「視聴率の高い番組」よりも「良い番組」をつくるように指導してほしい。それが視聴率を上げる何よりの近道なのだから。


2003年10月24日(金) 老兵の哀歌

小泉総理が中曽根元首相に引退を勧告し、中曽根がこれを拒否したことでまたもや自民党が揺れている。昔に例えれば田中角栄のような存在である中曽根が、若造の小泉(と言っても60を越えているけど)に引導を渡されるのが面白くないのはわからないことではない。しかし、これから先も議員活動を続けることは間違いなく老醜を見せることに符合するであろう。「立つ鳥あとを濁さず」の精神でいけば、これほど良いタイミングの引き際はないのではないか。
そもそも中曽根の政治家としての役割は、バブルがはじけた10年以上前に既に終えていると言ってもいい筈である。あの独特のタカ派政策は日本の景気が良かったからこそ通じたものであり、従って現代の厳しい風潮においてはセピア調のそしりを免れないないだろう。自民党自体も彼が総理を務めた20年前とは大きく様変わりしている(あるいは様変わりしていると有権者に思わせようとしている)。中曽根の影響力だって低下しているだろう。もし今議員を辞職すれば、人々の記憶にはそれ相応の実績を残した人物として、若干のセンチメンタルな感情から生じる甘美な惜別の情とともに後世まで残るに違いない。そう考えれば、寧ろ今こそが辞める絶好のチャンスなのだ。歴戦の政治家・中曽根にとって男を上げるか下げるかの最後の分岐点がここにある。できることなら老兵は醜態などさらさずに、哀歌でも歌いながらイキに去っていってほしいものである。


2003年10月23日(木) 名解説者の素養

テレビで野球の日本シリーズを観戦しているが、どういうわけか解説席に中日の立浪和義が座っていることが多い。大方、今期2000本安打を達成した話題性を買ってのことだと考えられるが(あるいは星野仙一との繋がりの深さを考慮しているのかもしれない)、そんなことは今シリーズの主な視聴者である虎ファン・鷹ファンにとっては全く興味のないことであろうから、この人選にはいささか疑問が残る。ともあれ、彼の解説自体は一本スジの通ったものがあり、理路整然としていてなかなか良かったんじゃないかと思う。口調が割合はっきりしているのにも好感が持てたが、何より試合の流れを無視して喋るような無神経な振る舞いをしなかったことに感心した。わずか2試合程度であるが、立浪には名解説者の素養があると見える。現在、私は中日ファンを休業中であるが、この事に関しては素直に嬉しく感じる。もっとも、立浪は引退しても次の就職先に困らないだろうなあと思うと少々羨ましい気もするのだが。


2003年10月21日(火) ちょっとした憤り・の・ようなもの

私の大好きな作曲家・渡辺宙明さんが久々に主題歌と劇伴を務めるアニメがこのほど放送開始になったと聞き、とりあえず観てみたのだが音はともかくとして内容は吐き気を催すような作品だった。なんなんだあれは・・・最近のはみんなあんな感じなのかねえ。アニメの新作なんてドラえもんとか宮崎映画などの一部の例外を除いてここ15年ぐらい見ていない自分としては、ああいうアプローチの仕方で視聴者の御機嫌をとろうとする制作陣には怒りを覚えた(文字にするのも嫌なんで具体的には書かないけど)。いくら宙明さんが関わっているにしても、こんなのを観ていたのでは私の悪い頭がますます悪くなりそうなので今後の視聴はパスするしかない。残念無念。それにしても今の子供達はああいうのを観て喜んでいるんだろうか。だとしたらとても可哀相に思う。内容空疎の、ケレンだけの作品を(勿論ケレンだって必要な時もあるが)観て満足しているなんて。それとも、私の感想はしょせん感性の古びれた老人のたわごとにしか過ぎないのだろうか。どちらにしても私の胸に宮崎さんの「今のアニメ界はダメだ!」という叱責が深くしみ込むような思いがする一件であった。


2003年10月12日(日) 仮想国家”名古屋”を考える

今週末に衆議院が解散し、近々選挙が行われることになったが、日本の景気が明るくなるという気配はない。横這いならまだ我慢のしがいもあるが、年を追って益々酷くなっているのだから具合が悪い。このままでは日本が滅んでしまうのではないか。抜本的な改革か必要であることは間違いないのだが、急にそんなことをすると国民が拒絶反応を起こしてしまう可能性が高いのもまた事実だ。そこで、国内でも独特の文化を興している名古屋(愛知県)を試験的に独立させることを考えてみよう。「尾張国」を建てることで日本のあらまほしき姿を探ろう、という実験である。
とりあえず諸制度関連は基本的に日本のものを流用することとする。

まずは政治。
当然、立憲君主制で、天皇は戦後いきなり「わしこそが本当の天皇」と言い出した名古屋在住の男(いわゆる熊沢天皇)の子孫を探しだし、独自の皇室を擁立する。それが駄目なら現在の皇室から誰でもいいから一人譲り受けて、「中朝天皇」としてお迎えする。
続いて政府だが、ここは知名度の高さを第一議として組閣することにする。総理大臣には古くから名古屋で活躍してきた天野鎮雄を任命。これで山田昌は自動的にファースト・レディーとなる。夫婦そろってよく知られているからマスコミ効果は抜群である。
また、その他の陣容は、文部大臣に個性的な人材を育成するつボイノリオを配し、外務大臣には口の立つ宮地佑紀生、農林水産大臣には伝説の富田和音を置くことにする。国土交通省の大臣には末広まき子を選びたいところだが、彼女は翻意や汚職をする恐れがあるので矢野きよ実で我慢する。

これで国家としての下地はできた。今度は首都だ。これはもちろん名古屋に置く。国全体で見れば、現在人口は700万弱もあるが、面積が東京・大阪よりも格段に広いため非常に住みやすい。中陸部には工業地帯が林立し、他方、知多・渥美両半島では農業が盛ん、魚介類の水揚げ量も全国有数と産業人口のバランスも良い。この豊富な産業による各種製品を日本全国に「輸出」すれば容易に外貨を獲得できる。政府が手を貸さなくとも、尾張国は勝手に繁昌してくれるだろう。
税金の収集も簡単だ。国を通る他国の電車・自動車などに通過料を課せばよい。言うまでもなく、名古屋は東京と大阪に挟まれた交通の要所だから避けて通るわけにはいかない。必然的に莫大な税金が徴収可能となるはずである。また、三河湾を通過する船舶は必ず日間賀島経由とし、同じく通過料を取ることにする。さらに、名古屋の豊富なネチョリンコン施設に対して営業許諾料を徴収し、また、使用料にも課税する。これで税収には何ら問題がなくなる。

これらの潤沢な資金を使って教育・福祉を充実させる。就学年齢を切り下げ、数え歳5才から小学校に通わせる。中学を出るまでに社会的に必要な知識を全て身に付けさせ、大学在籍中に世間の風になれておけるように仮就職制度をつくる。音楽の授業ではつボイノリオの「祭りだわっしょい!ちんかっか」や「金太の大冒険」を歌わせる。無論、名古屋語講座を開設し、清水義範あたりを呼んで由緒正しい名古屋語講座を国民に体得させる。医療は全て無料にするが、病院は建てずに医療スタッフが患者の家を訪問する完全往診制度を採用する。これでむやみやたらに高い入院費を浮かすことが出来る。また、退屈な人がひまつぶしに通院することを避けられることになる(そんなばかな!と思う人もいるかもしれないけど、今の日本では結構問題になってるんですよ)。医療器具が家に入らない場合や交通事故などの突発的な事態には救急車を改造した治癒自動車内で治療を受けさせる。少なくとも土地代を払う心配はなくなる。また、25歳以上の成人には無償で5万円程度の補助金を出し、いわゆる「健康的で文化的な最低限度の生活」を保障する。

防衛問題についてはアメリカやロシアが好んで基地を建てたがるだろうから、最も高額な使用料を出す国に提供する。自衛隊はいらないだろう。今度戦争がおきたら地球そのものがだめになるだろうから。唯一弱点なのは観光面なのだが、ここは信長・秀吉・家康の三英傑の故郷であることを利用して名古屋城前にこの三人の銅像を建てて猛烈にアピールすればお上の給料分ぐらいの観光客はくるだろう。あとはきしめん・味噌カツ・ひつまぶしを国民食に認定し毎週金曜日にどれか1つを無理やり食べさせる。
国歌は「名古屋はええよ!やっとかめ」。
国旗は青地に金のしゃちほこをあしらう。

これで完璧だ。何の問題もない、実に健全な国歌の出来上がりだ。
自分で考えといて言うのもなんだけど、なかなか面白い考えでしょ?なんかかなり上手くいきそうだ。実験とかじゃなく、本当にやって欲しいなあ。失敗してもなんも責任取れないけれども。


2003年10月10日(金) 変化球シナリオの妙味

ウルトラマンAの第52話(最終回)「明日のエースは君だ!」はウルトラマンシリーズのなかでとりわけ私の気に入っている作品である。いや、もう一歩踏み込んで、ウルトラマンシリーズの最も出来の良い一作と断言してもいいだろう。いとおしむ、そんな言葉がぴったりと当てはまる。

ここまで大見得を切るにはもちろん理由があって、市川森一が脚本を書いたこの作品は多元的な解釈が可能なほど物語の構造が複雑かつ精密に入り組んでおり、それゆえ鑑賞後には余韻が嫋嫋とたなびいて心に深く染み込んでくるのがとても味わい深いのである。私はこういういろいろな見方が出来る作品が大好きなのだ。

例えばヤプールの謀略にかかり、意を決してエースに変身した北斗星児の心中はいかばかりか。晴れやかだったのだろうか、それとも無念だったのだろうか。仮に晴れやかだったとしても、それは「御国のために」と言って散っていった第二次大戦の神風特攻隊員の悲劇性と同質のにおいが感じられ、従って「やるせない晴れやかさ」といった趣きがそこはかとなく漂ってくるのである。また、あれだけ北斗を非難しておきながらエースを必死に応援する子供達はどんな気持ちだったのか。単なるヒーローへの賛辞なのか、若しくは自らの贖罪のためだったのであろうか。作品を観る限り、ここらへんもぼんやりとしてはっきりしない。さらに、全ての戦いが終わってエースを見上げるTAC隊員達は隊長以外の全員が微笑んでいるのは何を意味しているのか。「終戦」を迎えて思わず漏れた安堵の微笑とも取れるし、見方を変えればあまりのことに顔が引きつっていたのだ、と解釈することもできる。あるいは全てを潜り抜けて虚空へと消えてゆくエースに向けた、慈愛の眼差しなのかもしれぬ。これもどの考え方が最良なのか判然としない。それに、「明日のエースは君だ!」というサブタイトル自体も意味深である。字面だけを見ればいかにも子供向けの陳腐きわまりない題名だが、改めて本編と照らし合わせてみるとこれはそうとうに暗示的であることが分かる。「明日裏切られるのはお前だ!」と言われているようなものだし、あるいは「明日義に死すのはあなたです」と脅されているようにも思える。とても怖い話なのである。

このように作品の細部をああでもない、こうでもないと空想するのはとても楽しいことなのだが、そういうことが出来る脚本を書くことはなかなか難しいだろう。こんな芸当は誰にでも出来るものではない。しかし、市川森一は決して力まずにいとも簡単に書き上げてしまっている。それは、市川が生粋の変化球脚本家であることを意味しているのに他ならない。

この作品のテーマを大雑把に言ってしまえば「人間の心を大事に」ということになるのだが、市川はテーマを直球で語ろうとしない。
物語の中盤で、北斗は「街は破壊されてもいくらでも建て直すことができるが、人間の心は一度踏みにじられたら簡単に元には戻らない」といった意味のセリフを吐いている。普通の脚本家なら以後のストーリーはこのセリフに沿って、「人間の心を大事にしようと努力する話」を書き上げてゆくだろう。だが、このひねくれた脚本家は人間の心を大事にするどころか徹底的に破壊し、蹂躙してそれまでのストーリーラインを完全にひっくり返してしまっている。しかし、それでもこの作品の基本テーマはあくまで「人間の心を大事に」のままで揺るがず、それどころかより一層に重い意味合いとなって画面に迸っている。ここにアウトローの脚本家・市川森一の真骨頂がある。テーマに対して、敢えて否定的な状況を描くことでかえってテーマが強く打ち出されてくるのだ。このような逆説的な構造はテーゼとアンチテーゼのバランスを巧みに書き分けなければシナリオとして成立しないが、市川は人物の心象風景をここぞというところであいまいに処理することで物語に対する多面的な考証を可能にしている。結果的にスルメのように噛めば噛むほど味の出る作品を創りあげるのに成功しているわけで、彼の力量にはただただ脱帽するしかない。


2003年10月06日(月) 諸行無常の響きあり、ですなあ

▼いつもの如くめざましテレビの「今日の占いカウントダウン」を見ていたら、運勢が1位の星座(何座か忘れた)のラッキーパーソンが「眉毛がつながっている人」とでた。「そんな人なんて滅多にいないじゃん」と思ったが刹那、我修院達也(旧姓・若人あきら)のことを思い出した。なるほど!と思わず膝をたたいてしまった。やっぱりフジテレビはあざとい。

▼言っている事の意味が分からない人もいるかもしれないが、話せば簡単だ。我修院達也は今日から始まるフジテレビの月9ドラマ「ビギナー」に出演しているのである。つまり、<ラッキーパーソンが眉毛のつながっている人→そんな人は周りにいない→芸能人でもいないよなあ・・・→我修院だ、我修院達也がいたぞ→そういえば我修院は今日からの月9に出るらしいじゃないか→よ〜し、わかった。運気を上げるために「ビギナー」見よっと>という思考過程をたどらせることを狙っていたのである(言うまでもなく、この星座占いはヤラセ)。ちょっとひねった番組宣伝だったのだ。本当に”ちょっと”だけだけど。

▼しかし、こんな面倒くさい方法で宣伝しなければ注目されないというのも悲しいものだ。昔の月9はある種異様なまでの”ブランド性”みたいなものがあって、若者でこれを見ていない人はほとんどいなかったものだ(でも私は全く見ていないけど)。それが今や昔日の落陽のごとく落ちぶれてしまった。今回のも全くの新人を主役に起用したりて必死に話題作りをしているしなあ。よっほど自信がないんだろうなあ。全く、「盛者必衰の理」とはよく言ったものだ。


橋本繁久

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