MOTOYANの日々題
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2002年01月31日(木) 球春、近し

1月も最後の日となった。野球の世界では今日までが冬で明日から春になる。春の選抜高校野球の出場校が発表された。久しぶりに鹿児島からも「樟南高校」が選ばれた。今年のチームはまとまっていてピッチャーの出来次第では期待が持てる。

テレビのニュースでは、いつもながらに校長室の電話が鳴り、校長が受話器を取り、「ありがとうございました」と言って電話を切って、周りの部員たちに「選ばれました」と報告してみんなで喜ぶシーンが放映される。いかのも臨場感のある映像だ。

いつかかってくるかわからない電話をカメラを構えて待つのも大変だろう。「やらせ」はないのだろうか?私がプロデューサーなら決定の知らせがあった後に校長室に部員を集めて、別の場所から電話をかけて「芝居」をやってもらうだろう。放送局も多数あるのでいっぺんにやってもいいし、別々でもいい。

学校や会社の電話は、まず受付にかかり、内線で取り次ぐ。直接、校長室にはかかってこない。取り次がれた電話が外線だったら、「プ〜、プ〜、プ〜」の3回のコールの繰り返しで内線同士の場合は、「プ〜、プ〜」の2回のコールの繰り返しとなり、判別できる。来年は、呼び出し音の数を数えてみよう。

明日から、プロ野球のキャンプも始まり、球春近しだ。


2002年01月30日(水) デジカメ画像の整理・保存

東京に行って、富士山や同期会の写真をたくさん撮ってきた。デジカメの普及で気軽にバシャバシャと撮れるので便利がいい。今回は、約200枚もの画像を持ち帰った。

撮った写真をどのように整理するかが大きな問題となる。とりあえず、パソコンに保存するがそのままにしておくとハードディスクの容量を増やすだけになるのでどうにかしなければならない。画像の一覧から写りの悪いものを削除して、HPにアップする方法を今までやってきたが、画像整理サイトの利用がなかなか使える。

ニコンなどのカメラメーカーやフォトアクセスなどの専門のページが準備されている。画像に名前を付けてアップロードすれば自分のアルバムが簡単にできて、公開もできる。また、必要ならプリント注文も可能だ。(これが、無料提供の所以)1枚50円程度でプリントしてくれる。HPにリンクするとHPの容量にも全く負担はかからないし、複数のアルバムページをもてるので公開しないページも持てる。

フォトアクセス http://www.photoaccess.co.jp/


2002年01月29日(火) エスカレーターの使い方

エスカレーターという乗り物は、動く階段として駅やデパートに設置されていて便利なものだ。鹿児島では、あまり気にせず使っているが、今回、東京に行って使い方のルール(習慣)があることがわかった。

エスカレーターに乗って「立ち止まる人は左側、歩いたり走ったりする人は右側を利用する」慣わしになっているようだ。右側に乗って止まっていたら後ろから突き飛ばされるわけだ。だから、変な現象が起きている。右側だけが混んでいて混雑時には、止まるつもりで乗るには並ばなければならない。荷物を右手に持っていると右側を歩く(走る)人に当たってしまう。

観察してみると8割が止まり、2割が歩く。みんなが止まる、みんなが歩くとスムーズに流れると思うが、8割もしくは2割の人のために変なルールができているわけだ。エスカレーターは、歩くためにできていないのでは?と思ったりもするが、急いでいる場合は、自分のスピードとエスカレーターのスピードが相乗効果を生み出して確かに早く進める。

エスカレーターの横には階段があるのが普通だから、急ぐ人は階段を利用するというルールを作ったほうが合理的かもしれない。お年寄りやおのぼりさんや足の不自由な人が中心に使えるエスカレーターこそ今後の高齢化社会でのあり方と思う。だだし、空いている時は左右を使うルールにしても問題はないのではなかろうか?


2002年01月28日(月) さすが、体育学部

大学卒業後、25年目の初めての同期会が開かれた。同期生250人中、91名の参加があり、深夜遅くまで25年前に帰って話が尽きなかった。

体育学部という特殊性が随所に見られた。まず、いきなり乾杯から会が始まった。同窓会や同期会といえば、最初にセレモニーがあるのが一般的だ。幹事のあいさつや恩師のあいさつや物故者への黙祷などあってから乾杯へ続く。ところが乾杯から始まったから「さすが、体育系」。

1次会のあと2次会、3次会と進み、4次会はホテルのツインの部屋に集まって深夜遅くまでワイワイやって、他の宿泊者に大きな迷惑をかけてしまったようだが、文句を言いたげに廊下に出てきて、顔や姿を見て、すぐに部屋に引っ込んで行ったとのこと「さすが、体育会系」。

そして、驚くことに?会の最初に黙祷がなかったのは、250人がひとりとして鬼籍に入っていないこと「さすが、体育学部」。


2002年01月26日(土) 基本は「歩く」こと

すっかり若者の街になってしまった「渋谷」の居酒屋に高校時代の同期生13人が集まってくれた。高校時代に話をした記憶がない方もいたが顔はしっかり覚えていた。昔話や現況報告に話がはずみ、気がついてみると丑三つ時になっていた。

宴席が渋谷駅の近くで地図をいただいていたので簡単にわかるとたかをくくっていたがなかなか見つからない。地図では駅から300mとよんでいた。東京の人の歩くスピードは速い。その流れに乗って歩かないと衝突がおこる。自分の痛い足を我慢しながら歩いたがついつい歩きすぎて400m以上も歩いていた。携帯電話で連絡をとったら行き過ぎていた。

田舎に住む人より都会に暮らす人の方が、はるかに運動をしている。車を使わなくても移動が便利なため、とにかく歩く。しかもスピードがある。駅も大きいし階段も多い。おのぼりさんの私は、真冬の寒い日なのに汗をいっぱいかいた。歩くことが人間の行動の基本だということを再認識した。いっぱい食べても体調がいい。夜もぐっすりと眠れる。たしかに遅い時間の就寝だったが、9時過ぎまでぐっすりと寝た。「歩くことを惜しんだらもったいない」が教訓だった。

私のためにお忙しい中、集まってくれた方々にこの場を借りて、感謝したい。


2002年01月25日(金) スーパーシートが狭かった

ジャンボジェットが就航して間もない頃、たまたま2階席に座席があたり幅の広いシートに座ったことがあった。これが、国際線ではファーストクラスか、と思った。今回、B777に超割バーゲン・スーパーシートを使って搭乗した。記憶よりも座席が狭い。自分が大きくなった結果だとすぐにわかった。

インターネットで座席「1K」を予約して、空からの画像、特に桜島と富士山をデジカメで撮りたかった。桜島は何とか撮れたが上昇中でぶれていた。出発してまもなく自分の席からは富士山は見えないことに気づいた。鹿児島からは「A」席、つまり、進行方向の左窓側に座らないと見えない。

スーパーシートのサービスは、ビールが飲み放題、食事が出る、上着など言わなくてもクローゼットに収納してくれる、など乗務員が気をつかってくれる。食事が出てきた。幕の内弁当だった。国際線の機内食より上品だった。

隣の席に座った方が、その後ろの席に幼稚園くらいの女の子を連れての旅だったので食事が出た時点で席を替わってあげた。搭乗してまもなくして気づいていたが、「席を替わりましょうか?」の声をかけられずにいた。「写真を撮るために予約した席だろうが」という声と「親子で旅をしているのに席が離れていては、かわいそうだろうが」という声が交錯して葛藤がおきていた。富士山が見えないということがわかったら楽になった。富士山上空というアナウンスに誘われて入口の扉の窓まで歩いていって何とか撮影することができた。


2002年01月24日(木) おのぼりさん

明日から久しぶりに上京する。大学卒業後25年にして初めての同期会に出席するためだ。思えば30年前に大学進学のために鹿児島を離れ、4年間の東京生活を送り、それ以来数回の上京の機会があったが、大学時代の同期生とはほとんど会っていない。

同期生250人中91人が参加ということで大学時代に話したこともない仲間と久しぶりに会えるのが楽しみだ。筑波大学に移転する前の最後の卒業生という特別な思いを抱いて全国に散っていった仲間達、今回の案内コピー「あと25年、生きる自信がありますか?今度、会っていないと・・・」に誘われてはるばる日本の最南端から出かけるわけで、小さい頃の遠足の前の日のような気分だ。

たまたま、ANAの超割バーゲンになっていて片道10,000円の旅費という魅力もあり、せっかくならスーパーシートということでそれも楽しみだ。機内食が出るらしい。富士山をデジカメで撮ることを忘れないようにしなければ。


2002年01月23日(水) くじらの味を覚えていますか?

私が日本中で一番好きな景色がある、薩摩半島の西海岸の大浦町にマッコウクジラが迷い込んで浅瀬に乗り上げて13頭が死亡して、1匹だけ救助された。笠沙沖はくじらのウォッチングポイントとして有名で夏場は、多くの人が訪れる。笠沙恵比寿という施設にはそれを紹介するビデオなど豊富に陳列されている。

昨夜、帰宅したときに「お父さんなら、くじらをどうする?」と尋ねられた。即座に「死なないうちに食べる」と答えたら「あたり!」と一斉に声が出た。くじらは食用としての認識をもつ40代以上の人間にとっては食べることに抵抗はない。牛や豚やニワトリとの違いは?となる。しかし、国際的な動向を見るとくじらは食べるものではなく、眺めるものになっている。

ニュースの続報で海岸に残された13頭のくじらを盗まれないように「見張り」が夜を徹して行われている、とか。つまり盗肉を警戒しているわけで食べようとしている人がいることに驚く次第だ。死骸処理に1000万ほどかかるらしい。いっそのこと解体して食べてしまえば・・・?


2002年01月22日(火) 同じ目線で

この冬2回目の寒波がやってきて、桜島も5合目付近まで冠雪していた。夕方には虹がかかり、デジカメも大忙しだった。1号機が破損して2号機を使用しているが、最近のテーマは「被写体と同じ目線で」ということだ。

子供が小さい頃からよく写真やビデオを撮ってきたが、表情がもう一つ良くなかった。先日、有名カメラマンのHPを読んでいたら「猫を撮影するときは、地面に這いつくばって・・・」という文章を読んだ。なるほど、子供を撮る時に立ったままで撮ると被写体の子供は常に上を見上げることになり、自然でない表情が写し出されるわけである。子供にカメラを持たすと落としてしまう危険性といい写真が撮れることになる。

家から桜島を撮るとその間に高圧電線が入る。眺める分には気にならないが、写真になるととても気になる。画像処理ソフトで消そうと試みるが、3本の線のためなかなかうまくいかない。もう少し高いところから撮ればいいのだろうが、寒そうで足が進まない。春になったら、チャレンジしてみよう。ついでに屋上に固定カメラを置いて5分後との更新とかいうのも面白そうだが、他のサイトが多くやっているので止めにしよう。


2002年01月21日(月) 大学入試センターの民営化

センター試験が終わり、受験した生徒は自己採点を午前中に終えて、悲喜交交の様子だった。自己採点をしてみると試験で「できた」という表情の生徒があまりいい点が取れてなかったりする。

大手予備校などの受験産業の反応は速く、終了時点で各科目の予想平均点を出し、インターネットやFAXで送られて来る。そして試験の翌日の14時に宅配便を各学校に差し向けて自己採点の結果を集めて持っていく。翌々日には、中間集計として発表する仕組みが出来上がっている。主催者の大学入試センターの中間発表より1日早く出され、結果もほとんど変わらない。

郵便局などの民営化の声が聞こえるが、大学入試センターも民営化しても全く問題はないように思われる。権威と主催者というだけのことでしか過ぎない。

これから、生徒達はセンター試験の持ち点をもとに予備校の判定に従って?受験校を決定して本番に望むことになる。


2002年01月19日(土) 三重の三重双子

三重県の一つの病院で10時間のうちに3組の双生児が誕生した。「三重だから、当たり前」なんて洒落になりそうだが、いずれも自然分娩だったという。
18日午後2時19分、30歳の女性が一卵性の女児を出産。同4時25分と翌午前1時25分には、27歳と34歳の女性がそれぞれ二卵性の男児を出産した。

このニュースに「うんちく」を加えるならば、「この病院は、3人の不妊を訴える女性に不妊治療のために排卵誘発剤を使用して同じ日に治療した結果が、同日出産という結果を生んだ」となろう。

双生児の生まれる確率は、かなり低いし、数学的にそれが同じ日に3組も誕生する確率は、1ラウンドのゴルフでショートホールすべてをホールインワンするくらいの確率ではないだろうか?ギネスによると同じ日に3ホールでホールインワンをしたゴルファーがいるらしいが、「奇跡」以外の何者でもない。

初めてゴルフをしてからもう15年くらいになるが、3度目くらいのラウンドで1回の経験がある。それ以来、グリーンに1打目を乗せるにも苦労するくらいだから、「まぐれ」なのだ。奇跡はそんなに起こってもらっては困る。


2002年01月18日(金) インフルエンザ

インフルエンザが、九州から流行する兆しが見える。ソ連型とか香港型とか今はないような国名がついたウイルスだが、世界中で最も恐ろしい伝染病の一つだ。炭疽菌とか狂牛病なんて比じゃないほどの死者が出る病気でだれもが「かかる」のだから簡単に防げない。メールでウイルス、空気を吸ってウイルスと世の中ウイルスだらけで困ったものだ。

インフルエンザのチェックリストとして重要なポイントは
地域内でのインフルエンザの流行・急激な発熱・38度以上の高熱/悪寒の3つでこれがそろうとインフルエンザだ。

要注意ポイントとして
関節/筋肉痛・倦怠感/疲労感・頭痛・寝込む 
やや遅れて「かぜ症状」
咳/鼻汁/くしゃみ・のどの炎症
これがそろうとインフルエンザを疑う。

予防方法は、ウイルスに接触しない。体調を整えて抵抗力をつける。適度な湿度を保つ。ことでかかったら早期治療しかない。軽視・我慢・多忙が「死」に近づくことだということを忘れてはならない。


2002年01月17日(木) 電話の使い方

電話は、1876年にアメリカのベルが発明して以来急速に広まり、今では音声通話だけでなく、Faxやインターネット、TV電話など「もうこれ以上ないだろう」と思われるほど発達している。

電話を使う人間がその発達についていけない。ばあちゃんにFaxを買ってあげたけど使い方を何回も電話で聞いてくる。あげくの果ては、現場まで出かけて講習会。親機と子機の取り次ぎがうまくいかずに電話は切れてしまう。大人達より子供の方が機能を十分に使い切っている。各家庭に電話が普及したのは1970年をすぎた頃で40歳を境目に電話世代とそうでない世代に分かれるのではないだろうか。

電話世代は、自分が電話をかけた相手と直接やりとりをしないと落ち着かないらしい。そうでない世代は、「伝言」で事足りる。伝言の方が楽な場合もある。「○○さんに△□$#*・とお伝えください」で直接話さなくても満足する。

職場の内線で受付から「○○さんをお願いします」とかかってきた。席を外していたので大きな声で○○さんと叫んで走り回って探してきて受話器を渡した。すると「受付に弁当が届いています」だった。「その程度のことなら伝言できるよ」と言いたかった。


2002年01月16日(水) 教え子の死

訃報が届いた。鹿屋中時代に担任した教え子の死だった。飲酒後、入浴して心不全を起こしたらしい。30歳という若さで小学校2年と3年の子供を残しての旅立ちだった。

中学時代は、人なつこい顔つきで、いつもにこにこして人気者の一人で卒業後もクラス会のとりまとめをしてくれたりして頼もしく成長していた。通夜に同級生も駆けつけて号泣で別れを惜しんでいた。

教え子の死は、わが子の場合のようでとても残念だ。偶然だと思うのだが、もう3人目だ。同じクラスから卒業後15年で3人は多すぎる。「呪われている3年10組」という風評が起きているらしい。今年の夏にみんなで集まってお払いをする計画が持ち上がっている。30歳といえば、人生で仕事、子育てと多忙な頃で何人集まるかわからないが、お払いも5年前にやっているし、やはり偶然だと思う。

卒業の時に「死ぬな けがすな 病気すな」という言葉を贈ったはずなのに。
                                  合掌


2002年01月15日(火) ゴルフ場支配人の嘆き

今日の天気予報は「昼前から雷を伴った雨」だった。ところが、晴れはしないものの夕方までほとんど雨は降らなかった。カミナリも全くなかった。最近は、衛星や多くの機器を駆使して予報士達は、予想をしこれがよく当たる。「当たる」という言葉は過去の遺物になるくらだ。残念ながら、今日は「はずれ」だった。

天気予報がはずれて「雨」の予想が「晴れ」だったら、世間に大きな影響は与えない。その逆は、とても困る。屋外で活動予定の場合は、雨が降り出したらドタバタ騒ぎとなる。

ゴルフ場の支配人と話をしたが、予報で「雨」の場合は、それほどキャンセルはないが、「雷」の予報が入ると次から次へキャンセルの電話がなるそうだ。今日は、10組ほどのキャンセルがあったとか。くもりで気温も高く、冬にしては最高のゴルフ日和だった。気象予報士に「カミナリ」だけは、「100%確実なとき以外は出して欲しくない」とのことだった。確かにカミナリをなるとわかっていて、ゴルフをやる人はいない。雨の予想には傘の準備をすればいいが、雷には準備のしようがない。避雷針でも持ち歩きますか?


2002年01月14日(月) 成人式

今日は成人式、晴れ着を着た新成人の姿を多く見かけた。入試の採点業務中に卒業生が10人ほど訪れてくれた。晴れ着を新調したとかお母さんの振袖を借りたとかそれぞれだったが、着物は、今では「タンスの肥やし」として陽の目を見ないことが多い。収納さえ、万全なら3代にわたって使える。だだし、一代の一生で数回だが。

「荒れる成人式」、「幼い成人たち」とマスコミに評されている、「いまどきの若者達は・・・」といわれるのは、6000年前も同じらしい。長老から見ると、若者達の持つ、時間の多さと可能性に嫉妬しながらも自分が起こした人生の失敗や後悔をして欲しくないという老婆心から発せられるものだった。ところが、今は少し変化している。社会性の欠如や不誠実さを非難した言葉も多い。

30年近く前の自分の成人式の頃を思い出すとそんなに大人ではなかったと思うが周囲には、けっこう気を遣って行動していた。心遣いや気遣いのできる成人を目指してほしい。もっとも、そのような20歳が圧倒的に多いわけだけど。


2002年01月12日(土) 入試、終了

中等部の入試が、終わった。今年から自己推薦入試を導入して、ペーパーテストに頼らない新方式で実施した。少子化のおり、どこの学校でも生徒数確保に必死でいろいろな工夫をしている。

大学でもAO入試として定着しつつある方式を中学校の入試に導入できないかと思案してきた。自己推薦書と面接はどこでも実施しているが、もうひとつペーパーテスト以外の策を考えてきた。おそらく、全国でも初めての試みであろうと思われる「ポートフォリオ作成」に落ち着いた。課題を与えてそれを完成させる課題ポートフォリオ、自分をPRするパーソナルポートフォリオなど20シートのクリアファイルに差し入れていく形式で実施した。企画から実施までほとんどひとりでやってきたので終了して肩の荷が降りたような気がする。

受験生の中にどこかで見覚えのある女の子がいた。試験の監督をしながら、悩んでいたら、シートの中にビデオテープを入れていた。題名は、「はじめてのお使い」だった。思い出した、7年前にテレビで放映された4歳の子供がバスに乗って図書館にひとりで本を借りに行く主役の子だった。「もう、あの子が小学校6年生?」と時の流れを感じた。

受験生全員を合格にしたいが、そういうわけにもいかない。明日からの採点と判定会で結果が出る。


2002年01月11日(金) バナナ考

年間を通して、四季に関係なく食べられる果物にバナナがある。幼い頃は高級品で熱が出たときなど病気の時にしか食べられないほど「あこがれの果実」だった。しかし、今では日本人一人当り年間50本ほどの輸入量があり、安価で手軽に食べられるものになっている。食事を摂れない時や夜食、おやつにはとても便利な食品であり、栄養面においても優等生である。

1本のバナナが3回に分けてパワーを引き出してくれるらしい。まず、食べたすぐあとに空腹を満たし、エネルギー源として速攻性がある。さらに2時間後くらいと4時間後くらいにエネルギーを出してくれるらしい。朝食にバナナを摂れば、通勤・通学のパワー、10時のティータイムまでのパワー、昼食前のパワーと理想的に午前中の原動力になる。スポーツの世界でもバナナは重宝されていて、ゲーム前やゲーム中に食べているプレーヤも多い。

明日から始まる入試の問題でバナナを題材にしたものをここ数日間検討してきたためにすっかり「バナナ博士」になった。卵、バナナ、豆腐は栄養価値がとても高く、毎日の食卓に欠かせない。これらの共通点として「昔から値段が変わらない」もしくは「昔より安くなっている」ことがあげられる。10個で70円の卵、2パックで100円の豆腐、10本150円のバナナ、以前にも書いたがこれらは食品の優等生で一発合格である。


2002年01月10日(木) 偶然と必然

横浜で走行中のトレーラーからタイヤがはずれ、歩道を歩いていた主婦に直撃して主婦が死亡した交通事故が起きた。車からタイヤが外れることも稀だが、そのタイヤが転がって歩道を歩いていた人にぶつかるのも稀な出来事である。「偶然が重なって起こる事故」というのは、よく聞く話だ。飛行機の空中衝突の原因なんてほとんどそうだ。

偶然が必然に変わってしまった話が、昨日のニュースで報道された。
アフリカのケニヤでメスのライオンが本来えさであるべき鹿の子を育てていた。つまり、ライオンと鹿の親子だった。これは奇跡的なことだった。その親子が、水呑場に連れ立って水を飲みに行った。ところが、そばにいた、オスライオンがその鹿に襲いかかり、食べてしまった。これは自然界の道理である。子供を食べられた親ライオンは、しばし悲しげな声で鳴いていたとか。

あさっては、中等部の入試。19日からはセンター試験と大げさな言い方をすると当事者にとっては人生の岐路を決める大切なイベントだ。試験には偶然に合格することは、あまり考えられない。奇跡はあっても。偶然が偶然を、つまりミスがミスを呼ばないように万全の準備で試験を実施するためにどれほど気苦労をすることか。


2002年01月09日(水) 年頭の落ち込み

新年になって、永らくサボっていました。まとめ書きをする元気はなし。体調を崩していたわけでもないが、入試の準備で一日中、思考し、パソコンに向かっていると帰宅後のキーボードが重くなってしまう。

このうつ状態は、3日に始まった。新年のお楽しみゴルフが、その日だけの雪で中止になって新年の出鼻をくじかれた。入試やセンター試験などで1月は休日が全くないことが、わかっていたから残念でたまらなかった。1年の最初の限らず、物事の出だしをくじかれることのショックは大きい。スポーツでも先手をとることの大切さが言われている。

寒くなると、学校の体育の時間は、持久走になる。きょうからどの学年も運動場を走っていた。42.195kmのマラソンでも序盤からトップ集団にいないと後半で追いつくのは容易ではない。体型的にも苦手な長距離走だったが、これから約1ヶ月生徒達は、走らされるわけで、かわいそうとは思うが「いつかきた道、いつか行く道」であるから試練をしっかり与えてやろう。

3日から1週間過ぎて、なんとなく立ち直った。明日から試練の1ヶ月をがんばっていこう。そして2月になったら「自分をほめてやりたい。」


2002年01月04日(金) 2002年の始まり

2002年が幕開けした。1991に続いて左右対称の数字の並びで次は2112まで110年やって来ない。昨年が21世紀元年、一昨年が20世紀最後と3年続きで特異な年となった。

元日は夜明け前から雨模様で初日の出は拝めないかと思っていたら、7時20分の日の出の時間に瞬間的にその部分の雲が消え、オレンジ色の大きな太陽が顔を出した。そしてすぐに雲の中に入っていった。日の出の瞬間だけがしっかりと見えてラッキーの一言だった。

2年前、ケガで入院している頃に毎朝昇ってくる太陽に手を合わせ、一礼をするおばさんがいた。病院の朝は早い。消灯が21時ということもあり、5時頃から起きだしている患者さんも多い。「早く、けがが治りますように!」という願いも込められていると思うが、様子を見ているとそれだけでなく、地球にとっての大きな恵みである日の光に尊厳の気持ちでの自然な姿に見えた。
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初日のひかり さしいでて、
四方(よも)に輝(かがや)く 今朝(けさ)のそら、
君がみかげに 比(たぐ)えつつ
仰(あお)ぎ見るこそ 尊(とう)とけれ。
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「一月一日」の2番の歌詞だ。明治26年に制定された「祝日大祭日歌詞」で今も残る化石的な歌だ。もう一つ残っているのは「君が代」。
やはり、お日様は「尊い」ものなのだ。


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