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漫画関連ファイル


2003年01月14日(火)
『ヘビ少女』 by 楳図かずお

MOEで文庫の漫画を100冊選ぶという記事があって、
立ち読みして、あ、読まなくちゃと思った本が一冊あった。
楳図さんの『ヘビ少女』。表題作とともに『まだらの女』『ママがこわい』が
一冊の文庫になっているという。(角川ホラー文庫)

この作品が週刊少女フレンドに掲載されたのは、1965年から1966年。
当時、少女達の間に一大ブームをまきおこしたそうだ。
私はその頃小学生だったが、この漫画について、学校で友達と話した記憶はない。
しかし、いとこの家に泊まりに行ったときに、少女フレンドに載っている『ヘビ少女』を読んで
ものすごく怖かった記憶だけは残っている。
おととしだったか、楳図さんの作品をまとめて買った時に、
『ミイラ先生』と『鬼姫』も入手したのだが、記憶の奥の奥の
小さい頃の恐怖をじわじわと思い出して、とてもおもしろかった。
そして、この二作品は大人になった今読んでも、十分楽しめる作品だった。

『ヘビ少女』はどうだろう。と、bk1から取りよせて読んでみた。
子供の頃住んでいた町を、大きくなってから歩く気分だった。
あ、ここは見覚えがあるな。あ、こういうところがあった。
でも、こんなに、小さくて狭い道だったっけ・・・・?

『ヘビ少女』は今よんだら怖くなかった。おもしろかったけれど。
『ミイラ先生』と『鬼姫』は怖かったが『ヘビ少女』は今は怖くない。
楳図さんが若い頃の作品だからだろうか?ヘビ少女に感情移入せずに
お母さんの方に近くなってしまったせいかしら。(いや、もう私の方がおばさんかも)
ヘビ少女のいる暗がりが今の住宅には存在しないせいかもしれない。

いとこの家は、隣県の小都市で、線路のすぐそばにあった。
子供部屋は二階の屋根裏みたいなところにあって、はしごを上っていくと
真っ暗な空間があり、ふすまを開けて部屋に入った。
いとこ達と私の姉たちがその部屋に枕を並べて寝ていると、列車が通る音や汽笛が聞こえた。
従兄弟のお兄ちゃんは、そのころ高校生で、ヘビ少女の似顔絵をいつも描いていた。
そこで『へび少女』や水野英子さんの漫画を読んだ。
そこでは水野さんの作品はより華やかに、楳図さんの作品はより怖く感じたのかもしれない。

試しに小5の次女に読ませてみたのだが、「コワイ」けど一回読めばそれでいいんだって。
へび少女がズルズルできる縁の下も、屋根裏もないからねえ。



2003年01月09日(木)
『永遠はありますか?』 by よしながふみ

WINGSでは完結した『西洋骨董洋菓子店』の続編の同人誌。
昨年末の冬コミで出た新刊です。前書きにもペーパーにも注意書きがあります。
「夢オチでない店内人間同士のHがあります。ので、今度こそもうダメだと思った方は
 どうかどうかこの本を読まないで下さい。ごめんなさい。すみません。ごめんなさい。」
(以下、感想。ややネタバレ)

お話は、別れた恋人との刃傷沙汰で、小野が橘の家に逃げ込んだという話。
本編では解決しなかった問題のひとつによしながさんなりの解答を与えたという感じかな。
でも、私はこの話を読んでいて、ちょっとHシーンに無理があるかもと思いました。
小野がけっこうひどいですよね?
しかし、作者が描きたかったのは、その後なのかもしれない。
橘のセリフがいいんだ。橘、かっこいいよ。かっこよくてやさしいよ。
作者はこういう話を描かせたら上手です。ちょっとずるいくらいです。
小野のずるさと弱さ、橘のトラウマと強さを同時に描くんだから。
あともうひとつ贅沢を言うなら、橘も楽しんでくれたら読んでてつらくないんですけど。
そういう意味でもジェラールとジャックは二人とも幸せになってよかったなあ。
橘はきっと作者に愛されすぎてて、ずっと幸せになれないのかもしれない。
・・・・かわいそうに(笑)

よしながさんの同人誌を入手するには、
イベントなどの情報は「大沢家政婦協会闇の関西支部」が参考になります。
http://yoshinagafc.tripod.co.jp/
通販で入手するには、雑誌の編集部気付けで、
(返信封筒、切手、住所のカード)同封の上ペーパーを請求して通販申し込みをします。
新刊の在庫が残ることはあまりないので、私はその都度ペーパーを申し込みしてます。
(でもたいていお友達が代理購入してくれるので助かってます。)
西洋は人気のあるシリーズなので、そのうち商業誌のコミックスで出るかな?(無理かな?)



2003年01月05日(日)
『はじめ』 by 乙一&小畑健

週刊少年ジャンプを毎週買うようになってから二ヶ月。
ヒカ碁以外は、テニプリと亀有くらいしか読むことができないので
なかなか少年誌になじめない根っからの少女まんが育ちの私でした。
この年末年始に乙一原作の『はじめ』という短編をヒカ碁の作画をしている小畑さんが
漫画化したものがジャンプに前後編で掲載されました。
乙一も『暗いところで待ち合わせ』しか読んでいないし、小畑さんもヒカ碁しか読んでない。
でもこの話はなんだか読んだ事があるようなお話。

中学生の男の子が、自分にはできないことをやってくれる『はじめ』という女の子を空想する。
空想だったはずなのに、彼と彼の友人の前にはじめが現われる。他の人には見えない。
彼らはとても仲良くなって、はじめは自分が他の人には見えないことを気にし始める。
そんなある日、事件が起こって・・・・はじめは彼ら以外の前にも存在する・・・というようなお話。

いったい何で今ごろジャンプにこんな作品が載るんだろう?
私が思い出したのは大島弓子さんの『F式蘭丸』。
もうずいぶん長いこと読んでいないけれど。
蘭丸は主人公の少女の心の友達。まるで存在するかのようにそばにいて、助けてくれる。
だけれど、少女はその友達は想像の産物だと知っている。そして現実に適応すると
友達は現われなくなる。でも、他の人が「いや、あの子は本当にいたんだよ」
と言ってくれる。ほんの少しの不思議が心にしみる。
かつての少女マンガにはそういう話がくり返し語られたのでした。
それがなぜ今少年誌に載るのか?というのが謎。
少年達にほんの少しの不思議が必要なのかしらん?

追記:よく考えてみたら、佐為とはじめは似ているかもね。
他の人には見えないけれど、何人かが気がついてくれるところが。



2003年01月01日(水)
『小さき花や小さき花びら』by筒井百々子

『たんぽぽクレーター』のシリーズの一冊。
年末の買い物に出たついでに、ブックマーケットに寄り道し、
この本を見つけて手にとってしまい、持っているくせに買って帰って
忙しい最中に再読してしまった。そして読んで涙しました。

『たんぽぽクレーター』『ものまね鳥シンフォニー』『火星に捧げるデュエット』
そして最長編の『空の上のアレン』も同じ時系列のお話です。
それぞれの作品が深く関わりあっているので、それぞれ独立した話としてもよめますが
全部読むと、味わいも深くなります。

『小さき花や小さき花びら』を最初に読んだ時には、『たんぽぽクレーター』しか
読んでいなかったので、ハイファイのことを知りませんでした。
ハイファイはサイボーグで、サイコキネシス(念動力)を使って仕事をしていました。
地球で息をひきとったあと、月のたんぽぽクレーターの丘の上に埋葬され、
墓碑銘の変わりに一本のアメリカ杉が植えられました。
ハイファイの残留思念がたんぽぽクレーターを優しく包み、
一人で泣いている子供や、友人達をなぐさめてくれます。

やさしい絵と語り、空を飛ぶ子供達。木の葉をゆらす風や、月から見る青い地球。
それにもかかわらず、お話には甘いところはみじんもありません。
『小さき花や小さき花びら』はニューヨークがミニ水爆で破壊されたという設定になっています。
(今回、911をちょっと連想してしまいました。)
たんぽぽクレーターは放射能に被爆した子供達の治療施設。
マック院長でさえ、自分の力の限界にどうしようもなくなってしまう、
それでもぎりぎりのところで、希望はあると作者は言っているようです。
まるでハイファイの残留思念のように、作品を読んだ後に暖かいものが残ります。

シリーズの他の本を読もうと思ったけれど、引越し以来、本が未整理ででてこない・・・
筒井さんの本は絶版になっていて、本屋さんで手にとることはできませんが、
『たんぽぽクレーター』は、復刊ドットコムで交渉中だそうです。