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漫画関連ファイル


2002年01月31日(木)
水野英子文庫新刊/よしながふみ/映画『アンジェリク』

よそのサイトやMLで仕入れた情報ですが、新刊情報。

水野英子さんの名作が文庫新刊で二月からたくさんでます。
くわしいことは、華屋一間さんのサイトの水野英子BBSへ。

【華屋一間】
isweb23.infoseek.co.jp/shopping/hanaya-i/default.htm

エリザベートは未読ですが、ハニーとトロイカは絶対おすすめ。
星のたてごとと銀の花びらは今読むと少し重い・・かも。
でも、以後の少女まんがにたくさんの影響を与えた作品たちです。

吉野朔実さんのエッセイ集『お父さんは時代劇が大好き』(角川文庫)が二月刊行

www.kadokawa.co.jp/bunko/contents/200202/200103000802.html

あらら、知らない間にこんな本も。

Amazon.co.jp 本のデータ こんな映画が、―吉野朔実のシネマガイド
www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4891946318/250-5580095-0058606

ぱふ三月号によしながふみさんのインタビューが載っています。
主にテレビドラマについての感想。
登場人物はみんなお気に入りだったようで、ゲイでない藤木小野も
行間を補って見れば立派な魔性なのだそうです。
漫画のほうはコミックス4巻で終了とのこと。

新刊情報ではないけれど、BSで二月11日から五夜連続で
映画『アンジェリク』が放映されます。
原作とはかなり違いますが、まあ、興味のある方はどうぞ。

BS デジタル online
//www.nhk.or.jp/bs/sakimono/bs2/hensei.html



2002年01月24日(木)
幸村誠『プラネテス』

このごろネットのお友達に貸していただいた漫画を読んでいます。
いやいや、いろんな世界があるものだと感心してしまう。
自分のなじんだテリトリーで満足していてはいけないなあと思います。

『プラネテス』
これがデビュー作とは思えないほど、絵も話も洗練されている。
第一話のエピソードで、センチメンタルな話に流れてしまうのか?という一抹の不安は
そのあときれいに払拭されてしまった。
宇宙空間へ入りやすくするための、よく考えられた導入だったのかもしれない。

21世紀後半、宇宙へ出ることがそんなに特別ではなくなった時代、
宇宙にただよう衛星の破片を回収する仕事をする男の子ハチマキ(八郎太)と彼をとりまく人々の話。
最初は、宇宙のゴミを拾う人たちの人間模様の話かと思っていたら、
やがて有人木星往還船の乗組員をハチマキが目指すという方向に進んでいった。
心の中に様々な葛藤を抱え、行きつ戻りつしながらハチマキは進む。
まだ、ストーリーが完結していないので、ちゃんとした感想は書けないが、
ハチマキの物語を通して作者が描きたいものは、宇宙への思いかもしれないと思う。
未知なるもの、遥かなるものを目差していきたいという気持ちと表裏一体の恐怖。
空に飛んでいってしまう愛する人を見送る家族や恋人の気持ち。
目的を遂げるためには、多少の犠牲は仕方がないと考える科学者。
未知へのあこがれのそばには、国家の利権もからむ。
物語は、一方向に突っ走ることなく、様々な視点を用意する。
それでも、隠しようもないのは、宇宙へのあこがれだ。
それがストレートに伝わり、冷笑的なところがないので、作品全体が初々しい。

カラーページがとてもきれい。エアブラシかカラーインクで
ブルーを基調に淡い色彩で彩色されている。グラデーションのトーンを使った宇宙空間。
きちんと描きこまれたメカ。それでも冷たさを感じないのは、人物の表情が暖かいからだろう。
残念ながら私は、熱くて寒くて空気のない危険な宇宙空間へ行きたい
というDNAを持っていないので、地表に張り付いて生きるしかないが、
この本を読むことによって、違う生き方の人たちの視点をしばし共有できて楽しかった。

第一話は講談社のサイトで見ることができます。ファンサイトも多数あり。

e-mangaトップページ
http://kodansha.cplaza.ne.jp/e-manga/club/manga/planetes/



2002年01月23日(水)
サラ・イイネス『大阪豆ごはん』

私は少年誌や青年誌をまったく読まないので、ネットのお友達に貸してもらわなければ
一生読むことはなかっただろう。『大阪豆ごはん』
とてもおもしろく読めました。
コマの形が変わらない、1ページに6コマで、右→左、上→下の順番に進む。
セリフもキャプションも全部手書き文字。絵は、シンプルで、細くなくて、暖かい感じ。

大阪の街中にある古い日本家屋(料亭のような数寄屋造り)に住む家族の話。
ばりばり仕事をする両親は手間のかかる家を出て、マンションに住み、
家には、長女とそのダンナ、次女、三女、末っ子の長男とネコ一匹が住む。
長女は専業主婦で、働き者。てきぱき家事をこなして、お料理も上手。
ダンナは、北陸生まれの建築士。若いのに建設会社でよいポストについている。
次女はファッションディスプレーの仕事をしている。立体造形の才能があって、
気に入った服を自分で作ってしまう。
三女はモータースポーツ関係のお仕事。
末っ子の長男は、芸大でバイオリンを学ぶが、どこから見ても「お気楽」でぼーっとしている。
しかし料理は上手でイカゲソが好物。

この家族をとりまく仲間もみんな個性的。
大金持ちで美術商を営む大清水さんとか、ドイツ人の母と大阪人の父とのハーフの大橋さんとか
どこから見てもあやしい社長さんとか、女に手の早いのとか、オタクな新入社員とか。
身長二メートルのオカマのおねーさん(?)とかとか。

これらの人々がすべて大阪弁を話すところがポイント。
こうやって書き出してみると、意外におしゃれで、トレンディー(死語)な要素満載なんだが
大阪弁は全てを破壊する。いや、無力化する。ひっくり返して違ったものにしてしまう。
彼らは、ロンドンでも、ニューヨークでも、長崎でも、この風景には似合わんなといいながら
大阪弁を話す。買物の時には値切り倒す。どこへ行ってもマイペース。
大阪の中のゴージャス。同じ日本でも違う世界のようだ。

読んでいるうちに、登場人物が実在しているみたいに思えてくる。
大阪の街にはああいうお家があって、わいわい言いながら暮らしているのかもしれないと。
たくさん人が入ると床が抜けてしまうくらい古く、夏は暑くて冬は寒いこの家で
ネコと一緒に涼しい風が通る場所を捜して、所かまわず昼寝をするのは
さぞ楽しいことだろうと。

サラ良イネス_index
http://www2.plala.or.jp/spring/saara/index.html



2002年01月19日(土)
遠藤淑子『マダムとミスター』

『ヘヴン』が気に入ったので、遠藤さんの作品を過去に遡って読んでいます。
『マダムとミスタ−』全五巻(以下続刊?)を読んで思ったことなど。

大金持ちのお年寄りと財産目当て(というのは表向き)で結婚して
三ヶ月後に未亡人になった元メイドのグレースと
その家敷に代々執事として務めている若くて有能なグラハムのお話。
グレースが「マダム」でグラハムが「ミスター」

派手ではないけれど、小さな気持ちを大事にして描きこんであります。
ほんの少しの「不思議」をお話にまぜるのも上手。
イギリスが舞台という感じがあまりしないところが少々もの足りないかしら。
ご主人さまと使用人とか、玉の輿とかいった話は
表面的にはそれを維持したまま力関係が逆転したりするところが
醍醐味だと思うのだけれど、そこのところが少し曖昧。
グラハムの前髪がメガネにかかるほど長いのが気になるのでした。
もっとなでつけて、お堅い感じだといいんだけどなあ。

この5冊を含めて10冊くらいを続けて読みましたが
全編を通して、底にあるのはまっすぐな性善説のように思えますが
これのどこがどう変わって(あるいは、変わらなくて?)
『ヘヴン』へ行ったのか?というのが知りたいわ。

だけど、こんなにたくさん本が出ていて、わりと好きなタイプなのに
すっぽり私の守備範囲から抜け落ちているのは
空白の10年間の根は深いということでしょう・・・



2002年01月16日(水)
遠藤淑子『ヘヴン』

映画の帰りに、久しぶりにBook offに寄って、漫画を買った。
水野透子の『遥かなる時空の中で』とひかわきょうこの『彼方から』と遠藤淑子の『ヘヴン』
『遥かなる・・・』は、巡回先の日記でほめてあったので、読んでみたけど
ゲームをしない私には漫画は散漫な印象しか残らなかったな。
『彼方から』は9巻と10巻を買ったけど、1から8までが、どの段ボールに入っているか
わからないので、まだ当分読めそうにない。
そして、『ヘヴン』。これはおもしろかった。
思わず本屋に行って、 『ヘヴン2』を買ってしまいました。
この絵で、この話を描くか?という感じ。
漫画は不思議だ。絵が大部分を占めているのに、
コマ運びとセリフで、絵以上の世界を作ることができる。
(反対に、言葉では表わせないものを絵で描くこともできる。)
とても深刻な話なのに、とぼけた味があって、
予定調和的世界の周辺を越えたり越えなかったりしているが
本当は、もっとシビアなこと考えてるんじゃないかしらという気がする。
でも「金物屋のルークくん」も好きです、私・・・・

そして『ヘヴン2』を買いにいった本屋で『NANA−ナナ−』を立ち読みしてきた。
これは、いつも漫画を貸してくれる甥っ子が、GFがおもしろいと言っていたという本。
(さりげなくGFの話をしたので驚いた。その子の部屋に『百鬼夜行抄』があったそうな。
おいおい、部屋にまで行ってるのか?お母さんは知っているのか?うーん、ちょっと心配)
りぼんはもう何年も読んでいない。聞くところによると、発行部数が少女誌の中では
一番多いそうだ。その、りぼんに連載中の『NANA−ナナ−』
これは、かっこよかった。本当にいろいろな漫画があるもんだ。
絵がうまくて、かっこよくて、だけど、きちんと心の動きが伝わってくる。
今度はこれを買ってこよう。



2002年01月11日(金)
今 市子 『幻月楼奇譚』

今市子さんの最新作の読みきり。本屋で立ち読みしたんだけれど、
何となく気になって結局買ってしまいました。
徳間書店の隔月刊の「Charaキャラ」という雑誌に載っています。(2002年2月号)
単行本に収録されるのはいつになるかわからないので
ファンの方は是非読んでみてください。

限りなく昭和初期に近いある時代、鶴亀味噌の若旦那升一郎と、
吉原のお茶屋の幇間(たいこもち)与三郎の話。
鶴亀味噌の主人である升一郎の父親の葬式から話は始まります。
跡を継ぐのはずの升一郎が今ひとつ乗り気でなく、
周囲もあやぶんでいるところに、次々起こる怪現象。
犯人は誰か?与三郎は何を知っているのか?
幻月楼の幻の月とは何なのか?

升一郎のキャラがおもしろい。
今さんの作品にめずらしく、ちゃんとした(?)美形で頭もいい、
何でもできるのに何もものにならない、器用貧乏の素っ頓狂。
キーワードは素っ頓狂です。いちいち、タイミングがはずれているところが絶妙です。
与三郎も、幇間でふらふらしているように見えて、
実は腕に覚えがあったりする。そして、「見える」タイプ。
得意技は「怪談」です。
このふたりがからんで面白くないわけがない。
掲載誌はボーイズ雑誌なのかな?
ちゃんと読者サービスもありますが、ほどよく上品で
楽しい仕上がりになっています。

シリーズにできそうな作品なので、きっと探偵物みたいにして
続くんじゃないかしらん。
でも、探偵物とも幽霊話ともコメディとも、ひとつにジャンルわけ
できるような作品ではなくて、いろんな要素がバランスよく混ざっている。
この作品で一番注目したいのはそこだと思いました。
今までの他の作品もおもしろいけれど、それらを混ぜて
もっとおもしろくなった感じ。
絵もお話もひとつ垢抜けたような気がする。
ますますこれからが楽しみなのでした。



2002年01月10日(木)
よしながさんの同人誌考

よしながさんの同人誌。最初は、商業誌と違う大胆な描写に驚きましたが、
この頃ではすっかり見慣れてしまいました。
見慣れてしまうと、手をかえ品をかえ、のバリエーションを
よく思いつくなあ・・・と感心してしまいます。
そして、何度でも読み返すものは、いろんな要素が絡み合ってる
お話かな、と思うようになりました。

『西洋骨董洋菓子店』は、本編が複雑なぶん同人誌はシンプルで
主に、小野のゲイライフのお話になっています。
だもんで、三冊とも相手が違うので、けっこうその場限りのお話。
これは、何度も読み返すものではないみたい。

私が好きなのは『銀河英雄伝説』のパロディのシェ−ンコップ×ヤンのお話です。
お話はふたつあります。ひとつめは、会戦終結後のヤンをシェ−ンコップが
「一度だけ」といいながら襲うお話。ふたつめは、結婚後のヤンをシェ−ンコップが
やっぱり無理やり襲うお話。
これのどこがいいのか、というと、ひとことではいいにくいんですが、
いやよいやよも好きのうち的おもしろさと言いましょうか・・・

軍隊の中で、上下関係は絶対です。
しかもシェ−ンコップはヤンの軍事的能力を最大限評価して尊敬している。
にもかかわらず、敬語をつかいながら襲うところが何ともおもしろい。
そして、結婚した妻への後ろめたさを感じつつ、瞬間溺れてしまうヤンというのもおもしろい。
ただし、一応、この二人の間には暗黙の了解があって、
シェ−ンコップ側には、ヤンへの尊敬と愛情が、
ヤン側には、上官としての権力を行使しないという余裕と、やっぱり愛情があるんですね。
その上で、確かシェ−ンコップは貴族で、ヤンは平民だったと思うんですが
シェ−ンコップの貴族的な悪趣味とわがままさが全開で話は進む。
おそらくそういう世界には全く無縁のキャラであるヤンがそこに絡め取られていく様子がかわいい。
ここまで場を作ったら、あとは、作者のさじ加減でどんな話にもなるはずです。
どちらかが、バランスを崩して身を滅ぼす話も描けるし
ふたりとも本気になって、ふたりの世界になってしまうこともできる。
しかし、お話はバランスを崩さない。
「騎士はやっぱり姫君の前にひざまづく」

基本はやっぱりベルばらでしょうか?
制約があった方がおもしろいんですよね。
身分とか不倫とか時間とか。そういう要素を料理することが
よしながさんはとても上手です。



2002年01月06日(日)
清水玲子『秘密』つづき

こないだから頭のすみっこで、『秘密』で扱われている感情が
たいしたことないのに、心に残るような気がするのはなぜかと考えていた(ようだ)
一応、理由を思いついたので書いてみよう。

脳に刻まれた視覚の記録を、映像として見ることができるようになったという設定で
登場人物はその技術を犯罪捜査に利用する。
なんせ、脳を調べるわけだから、持ち主はすでに死んでいる。
死者からのメッセージということで、それだけである程度のインパクトがある。
そして、ストレートに伝わる音声を排除したことで、
鮮明でありながら距離がある。
多大な手間をかけて、生前脳の持ち主が抱いていた気持ちにたどりつく。
ささいな取るに足りない、他人には見せることのない『秘密』へ。
人の秘密をのぞく、多少のうしろめたさもそこにある。
(そしてもちろん人はそういうことが大好きだったりする)

気持ちへたどりつくまでの、距離と時間が
ボトルレターやタイムレターのような効果を持っているんだろうか
と思った。死者との距離は、現実のどんな距離よりも遠い。
そして、死者の気持ちはどんなに近くても、現在になることはない。

この設定を思いついた清水さんはすごいと思う。
問題はそれによって何を描くかということなんだろう。
どうしても、作品の底流に死者を悼む気持ちがあるので
明るくなりようがない。そして、死者の気持ちが、生きている人間に
なにかしかの影響を与えたとしても、そのことが、死んだ人間には帰っていかないので
一方通行になってしまう。
そうしたら、話はそれ以上すすまないのでは・・・・
話は、生きている人間達の、死者の脳を間に置いてのお話になってしまう。
そうすると中心がひとつになりにくい。脳の持ち主と、脳の記憶を見た人、
その人の横にいて助けてくれる生きた人。

生きた人間の視覚をたどるということも可能になったという話なら
もう少しお話は動くだろうか?
ささいな気持ちを取り出すのに、脳まで取り出さなくても、
いいと思うんだけれども・・・・



2002年01月05日(土)
今市子さんの最新作

今でてる雑誌に載っている今市子さんの作品がおもしろい。
『百鬼夜行抄』の最新作では、律のおじさんの開(かい)がでてきて
なかなかとぼけたキャラクターが楽しい。
ふたりで組んで悪魔払いでも、ゴーストバスターズでもやってくれたらいいのにな。
(ところで知り合いに開君という子がいるので驚いた。あまりない名前だと思うけど)
ラスト悪食のふたりで落ちをつけたのがちょっとものたりない。
どうせなら、ふたりでかっこ良く悪霊退散してほしかった。

もうひとつは、月刊CHARAの読みきりで、えーと、タイトルを覚えていないんだけれど
味噌屋の若旦那とたいこもち(変換ができない)が主役の、昭和初期のお話。
これは、シリーズにできそうな感じだけど、続けばいいな。
何でもできるけど、器用貧乏な若旦那がおもしろい。
芸者遊びに行って、幇間(できた!)を選ぶところがボーイズ雑誌対応。
あまり役にたたないくせに、ノンシャランと渡っていく若旦那が好き。

今さんもいくらでも引出しがありそうで、ますますこれからが楽しみです。




2002年01月04日(金)
清水玲子『秘密2002』メロディ2月号

『秘密』の単行本を買った勢いで、今発売中の『メロディ』に載った
最新作を立ち読みしてきました。
うーん・・・・・言いたいことがいろいろある。

単行本に入っている第二作と主な登場人物は同じ。
話はますます内臓がビジュアルで出てきて、オカルトまで混ざって
その向きが苦手な方にはおすすめできません。
思いがけない贈り物というのは、すでに『サイコ』で経験済みなので衝撃度は低い。
しかし本作で初めてこれを見た人にとってはインパクトが強いんじゃないだろうか。
(私の場合、『サイコ』が初めてだったが、他の映画とか小説にもそういう描写があるかもしれない)
いろいろな経験をつんだ大人が読むぶんにはかまわないが、
子供達がこれを読むのはどうかと思う。それこそ、イメージがこびりついて
離れないんじゃないか?そうまでして、表現したい内容を含む作品には思えない。

私の考え方は保守的かもしれないが、守るべき一線は簡単に越えない方がいいと思っている。
清水さんは少女まんがの絵柄で、少女漫画のノリのまま、簡単に境界を越えてしまった。
そしてその上に乗っているストーリーはごくありふれた片思いのお話だったりする。

この作品のすぐ近くに『ハムスターの研究レポート』が載っている事に
編集の無神経さを感じる。ハム研を追ってこの雑誌にやってきた子供達が
この絵を目にする可能性は考えないのかな。

実は、『サイコ』の死体を見たときに、衝撃を受けながらも、心惹かれるものがあった。
それは、清水さんもそうだったんだろう。きっとほかにもたくさんそういう人がいただろう。
そのことを、まるで冗談のように、表明してもいいものだろうか?
そうやって、本当はいけないけれど、惹かれるということを日常レベルに
ひきずりおろして本当にいいんだろうか?

何をどう思おうと、個人の自由だし、表現を規制することはできないけれど
そういうものを出す場所は選んだ方がいい・・・・
それとも『メロディ』を少女まんが誌だと思っていた私が違っているのかしら。

ああ、『ハンニバル』の最後の晩餐も影響してるのかしらん。



2002年01月02日(水)
よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』wings1月号

テレビドラマが終わったというのに、いや、終わったからこそ?
登場人物にあのビジュアルがかぶるのが不思議。
特に橘。
椎名の顔と声に見えてしまう〜(とくにおぼっちゃましてるところが)
年末にNHKで椎名の2時間スペシャルやっていたんだけれど、
それを見ると、橘にしか見えない。
橘は2頭の白黒の犬を飼ってるのね〜って。

漫画にそこはかとなくテレビドラマの影響が現われているような気がする。
たくさんの人の目にさらされていることを意識しながら
それに全然負けてないような。
そこが少し鼻につくと思う人は思うだろうな。私は好きだけど。

ちい以外の三人は、いつも瀬戸際にいるということを
時々、作者は上手に思い出させる。だけど、そこそこにして
深入りはしない。そこがもの足りないかもしれない。
でも、深入りしないからホームドラマが成立しているのかもしれない。

橘のトラウマはだんだん近づいてきている。
『ジェラールとジャック』みたいに、盛り上げたあげくに
さらっと流したりしないだろうね?
そこだけ心配だわ。きちんと最後まで描いてくれたら拍手喝采。