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漫画関連ファイル


2001年06月29日(金)
高口里純『叫んでやるぜ!』

このところ、漫画を大量に読むという幸せな日々を過ごしています。
高口さんの本を昨日10数冊まとめて読みました。
『少年濡れやすく恋成りがたし』と『叫んでやるぜ!』など。

デビュー作から(LaLaのアテナ大賞だったか)白泉社時代は
読んでいたけれど、あすかの途中から読んでなくて久しぶりの再会。
ああ、相変わらず。というところと、変わったなあ。というところが半々。

高口さんは他の人とは違う絶妙な瞬間をとらえて表現する人だと思う。
『少年濡れやすく恋成りがたし』では体と心のはざまで主人公が
悩む姿が色っぽい。思いもかけない心のひだを見せていただいて
ありがとうという感じです。主人公以外の登場人物もひとくせふたくせあって
ヤクザな男を描かせたら天下一品だなあ。(かっこいい・・・)
でも、感覚的な描写が続くと時々見失ってしまうことがあるの、私の場合。
この作品はぎりぎりのところで何とかついていけた感じです。

『叫んでやるぜ!』になると絵も変わったけど(最近のボーイズ系の絵なのかな?)
とっても親切に描いてあるので、何も考えずに楽しめる。
で、こーんなに親切なのに、本当はそうじゃなくて、突っ走ろうと思えば突っ走れるし
鬼畜になろうと思えばなれるし、ずぶずぶ深みに行こうと思えばいけるのに
行かずに描いているんだろうなあ・・・というところが、読者の妄想を誘うような気がする。
おもしろかったです。だって信乃かわいいし、天竜かっこいいんだもん。
息子の南夏也もいい子じゃないの。おばあちゃんも素敵だわ。
声優同士がこんなになっちゃて、というのは聴覚から妄想を刺激する効果もあるかも。
CDもでているところがすごい。劇中劇のサービストラックがあるのもすごい。
聞きたいけど誰か持ってないですか?(買えよ、自分)

高口里純公式サイト<サロンバタイユ>
http://www.takaguchi.net/index.html
叫んでやるぜ!記念館
http://www1.neweb.ne.jp/wb/junju/index.html



2001年06月28日(木)
市川ジュン『陽の末裔』

文庫で全五巻のこの作品を読むにあたって、
私の中にはいくつかのハードルがあった。

それは、「市川ジュン」さんであるということ。
大正〜昭和期の女性の生き方を扱っていること。

このふたつがなぜハードルになるかというと、
市川さんはデビューからずっと見ていたので、おそらく根っこの部分はわかっている。
別マ掲載作品は全部読んでいる。でもそのあとを知らないので
彼女の作品とは数十年ぶりの再会になる。
昔の友達がどんなふうに変わったのか?変わってないのか?
確認しながら読んでいく感じ。
そして、この時代を扱った作品はどうしても、ある程度パターンをなぞるような
女性の生き方になってしまうので、そこから抜け出ることが出来るのか?どうか?
という見方をしてしまう。

そして読み終わった感想はどうかというと・・・
市川さん変わってないわ。でも、昔のひとじゃなくてちゃんと今の人になってるんだ。
という安心感と、ハードルを越えたのか越えなかったのか?
どちらか判断をすることができないもどかしさ・・・かな。
お話はとてもおもしろくて一気に読んじゃったんだけどね。

自立して生きるということと、自分の気持ちに正直に生きるということ。
自分のまわりにいる人たちを大事に生きるということ。
全部が満たされることはめったにない。だからこそ葛藤が生まれてお話が生まれる。
市川さんはとても上手にこなしていく。
ごまかさない。逃げない。正面からぶつかる。それは昔と同じ。
でも、巧妙に物語世界自体がやっぱり優しいんだなあ・・・
物語が現実をなぞる必要はない。でも、少しでもそこに硬い話を混ぜてしまったら
そのレベルで判断されてしまう。それにしたら話は甘い。

別マ時代のお話にも、社会運動のことが出てきたかな?
きっと学生時代にそういうことについて議論してきた人だんだろうな。
そういう問題についての私の態度はこの年になっても
いまだにはっきりしていない。興味がないわけではないけれど。

咲久子的なものと卯乃的なものを同時に認めることができるなんてほんと?
昔の話のパターンだったら咲久子が卯乃よりになるんだろうな。
それをしなかったのは前進したということかな。
市川さんも年をとってよりしたたかになったということかもしれない。
(社会党が連立政権に参加したみたいに・・・)



2001年06月27日(水)
山岸凉子『舞姫テレプシコーラ 1』

手にとって見て驚いたのは装丁の美しさ。
紙質、色、デザイン、帯。帯を外した時の表紙。タイトル文字のデザイン。
こういう本を見るとうれしくなりますね。

バレエ教室を主宰する母を持つ二人の姉妹と
かつてバレエのプリマだった伯母を持つ貧しい家庭に育つ少女。
踊ることが大好きな三人の少女がバレエを通してどんなふうに成長していくのか?
優等生の姉とコンプレックスを持つ妹
というのは、『アラベスク』の冒頭に似ている。
そこへ、『ガラスの仮面』の北島マヤのような空美(くみ)が現われる。
生活保護を受けても、生活が苦しい環境で暮らす空美は、
家計を助けるためにポルノ写真のモデルまでさせられている。
バレエだけが彼女の支えになっている。

主人公は多分、妹の六花(ゆき)だけれど、
お姉ちゃんの千花(ちか)の努力の仕方はとてもまっすぐで好感が持てる。
二人とも空美の踊る姿を見て、良い意味でのライバル心をかきたてられる。
六花が主役だとしたら、物語の中心に持ってくるためには
千花がバレエができなくなるような話になりそうで心配。
(いや、これは私の勝手な予想だけどね)
空美との対比で六花の成長を描いていく話になるんだろうか・・・
それとも三人それぞれを描いてもらえるのか?

空美の環境があまりに強烈なので、読者の同情は
彼女に集中している。今のところ完全に主役を食ってる感じ。
空美ちゃんがちゃんとバレエのレッスンを受けることができることを
みんな願ってるぞ(というところでお話は続く・・・)

子供達だけでなく、出てくる大人たちみんなが
それぞれきちんと個性を持った人間に描かれているところがすごい。
母でありながら指導者でもあるお母さんのシビアさ。
それをフォローするやさしいお父さん。
空美を大事に思わないわけではないだろうけど
生活に振り回されて空美に犠牲をしいる母親。
財産を食いつぶして、家庭を滅茶苦茶にする父親。
プリマだったかつての栄光を忘れられないで落ちぶれていく空美の伯母。
金子先生の存在が、少しずつ状況を変えるかもしれないところが
今までのお話と一番違うところかな。
少なくとも六花は、金子先生のおかげで希望を与えられたから。
空美にも希望を与えてやってください。

『アラベスク』第一部連載開始から30年。作者は今も最前線にいる。



2001年06月26日(火)
『竹宮惠子のマンガ教室』

まんがの描き方を長いキャリアと豊富な経験をもとに解説した本。
ひとつひとつがおもしろいし、漫画を描く人の参考になると思うのだけれど
どうして素直に楽しめないのかな?というのが私の興味の焦点だったりする。
良くも悪くも、作者が前面に出てくるのが気になるのかも。
もっと本人が後に下がって、マンガを語ってくれたらもっと楽しめるのに。
大島弓子さんのコマ割りや、一人称だけれども本当は三人称という話はおもしろかった。
付け足しのように、大泉サロンについても数ページ記述があるが
さほど目新しいことは書いてない。萩尾氏との相互に与えた影響も、当り障りのない感じ。
(こんなんだったら書く必要なかったんじゃないの?)

不思議なのは、これはほとんどインタビューで構成されているのに
インタビュアーの藤本由香里さんの名前が後書きの中にしかないことだ。
せめて目次に入れるくらいのことはしてもいいんじゃないかしら。
花郁さんの名前を二度も「甲斐さん」って間違えてるのはあんまりだ。

この二日間ほど、著者の公式サイトではこの本をめぐって一騒動あった。
もう関連ログは全て削除されているけれど、最後の数ページの記述が
関係者の不興をかったらしい。読んでもどこが悪いのかわからない。謎。

筑摩書房 『竹宮惠子のマンガ教室』
http://www.chikumashobo.co.jp/wadai01.html#03




2001年06月16日(土)
岡野玲子 『陰陽師』第10巻

お話はクライマックスを迎え、10巻は300ページ以上のボリュームです。
晴明は自分自身を媒介としていやおうなく、とんでもないことをしているらしい。
博雅はあいかわらずの天然で、あいかわらず核心に近いところにいるみたい。
真葛ちゃんは、妻でありながら泣いている。(妹の力なんて彼女にはどうでもいいわよね)
さて・・・?

実は私にはいろいろなアイテムの意味が全くわからないのです。
ファンサイトを時々読むと、熱心な読者の方がいつも謎解きに興じていらっしゃる。
それによると、ひとつひとつのものが全て意味を持ち、全体の中の部分になっているらしい。
パズルのように組み立てていくのが、とても楽しいのだそうです。

しかし、この本だけを読んでいてその意味するところはわかりません。
基礎教養が足りないのかしら?今からいろいろ調べたりした方がいいかしら?
いっぱい解説本が出ているのだから、一冊くらい読んでみるべきかしら?
『妖魅変成夜話』にもそういうところがありますが
それって読者としてはちょっと困るような気がする。
だって、ちゃんとした感想書けないんだもん。

『陰陽師』に関する情報はこちらが詳しいです。
リンク、掲示板も充実しています。

たちはな亭
http://plaza5.mbn.or.jp/~tatihana/index.html

岡野版『陰陽師』を読み解く鍵は「たちはな亭」の中のこちら

陰陽師の小部屋
http://plaza5.mbn.or.jp/~tatihana/onmyou.html



2001年06月15日(金)
榛野なな恵 『Papa told me』

24巻一気読みした直後に書いた文章があまりにきついものに
なってしまったので、時間を置いて書き直しています。
(そうです、Yさんのご忠告を聞かず、一気読みした私が悪いんです・・・)

とても素敵なエピソードがたくさんあって、
この作品に出てくるものは私の大好きなものばかり。
クリスマスもドールハウスもお雛様もナルニアもホームズも
秘密の花園もガーデニングもちょっとしたテレパシーも
美人の双子姉妹も、ペントハウスのミステリ作家も、薔薇園の元区長さんも
どこかで会ったことのあるようなものばかり。
空から降る雪も、寝床で聞く雨の音も、桜の花の散っていく様も、
みんな知っていることばかり。
榛野さんと私は多くのものを共有している。
同じ時間を過ごした仲間のように。

でも読んだ後にちょっとトゲが刺さってしまったのでした。
そのトゲを抜くためにまずエネルギーを使ってしまったようだわ。
それは私が主婦で子持ちでおばさんだからでしょうか。
うーん・・・そのことについて反論するのは意味がないな。
問題は、榛野さんが「世間の悪意の無い言葉の暴力」への批判を繰り返すわりには
自分が「主婦で子持ちのおばさん」にひどい言葉を言っているのに
気がつかないことだな。
女の人をあちらとこちらに分けて自分の側が正しいと思ってしまったら
それは、あちらと同じことを自分がしていることに気がつかないのかな?

ガラスで包まれたスノーボールのように閉じた世界に雪は降る。

少女から大人へ変わるのはいつだと思う?
少女まんがでは、「夢見る頃を過ぎても」いつまでも心は少女
ってのが定説だけど、それは本当?
榛野さんの作品は、少女期の終わりがテーマになってると思うのだけど
それはいつまでも終わらないのね。
もしかしたら「やおい」と通じる問題かもしれませんね。

榛野なな恵
http://www.annie.ne.jp/~veritas8/haruno.htm



2001年06月14日(木)
一色まこと 『ピアノの森』  

ある町の、場末の花街のそばに森があって、
森の中に一台のグランドピアノが捨ててある。
そのピアノは誰にも弾けない。音がでない。
花街で育った小学生の海(カイ)が
触ったときだけ、ピアノは音楽を奏でる。

単行本が6冊でているけどまだお話は完結していなくて、
どういう結末を迎えるのかは見当もつかない。
しかし森の中のピアノのイメージで
作者の言いたいことは、語り尽くされているのではないか
と私は思う。

カイはピアノを弾く。人前で弾くことの快感を知る。
もしかして世界へ出て行って
素晴らしい演奏家や先生や友人に出会って、
悩んだり苦しんだり喜んだり悲しんだりするかもしれない。
でも、カイの心はいつもピアノの森に帰っていくだろう。

6巻終わりで、ピアノは無くなってしまった。
この世で帰る場所が無くなってしまったら、
彼は自分の弾く音楽で森の中へ帰るしかない。
それはカイにとってはいいことかどうかわからないけれど、
聴衆にとっては幸せなことなんだろうな。

私は雨宮くんがけっこう好きだったりする。
天才に対する秀才であることを、
小学生で自覚してしまった子供は切ない。
でも、作者の雨宮くんを見る目は優しい。
音楽は他人と競うことではなくて、
いつも自分自身との対話であることを
繰り返し言ってくれるから。



2001年06月13日(水)
『バガボンド』 by 井上雄彦

『スラム・ダンク』を読んでいない私は、井上さんの本を読むのは
これが初めてです。『バガボンド』
宮本武蔵が天下無双を目指して、次々闘っていく剣豪小説の漫画化?
少年誌も青年誌も全然読まないので、全然見当外れの感想かもしれないけれど
まあ、それもおもしろいかな、と書いてみることにします。

最初に思ったのは、うまい!の一言。
絵がうまい。効果がうまい。背景がうまい。
コマの隅々まで手を抜かないのはすごい。
ここまでくると、それは力ですね。有無を言わさない力。
でも、単純に絵がうまいってのでもなくて、漫画として素晴らしい。

読んで一晩たって、あ、これって内田善美の漫画みたい。ってふと思った。
内田さんの作品は動かないけれど、あれが自由自在に動く感じ。
見ていてうれしくなってしまいます。

10巻までで一番印象に残っているのは宝蔵院胤瞬との戦いでした。
戦いの最中にふたりともトリップしています。その内容はともかく
ふたりの上に広がる星空がすごくいいんだな。あの場面が好き。

少年まんがとか劇画の中の女の人ってーどうしてつまらないのかな?
「おつう」の場面になるとちょっとテンションが下がるのは私だけでしょうか。
ねえねえ、そんなのほっといて、もっと戦いなさいよ。なんて思っちゃうのは
よこしま度が最近上がってきているのでしょうか・・・私。

これ言っちゃうと、全部おしまいなんだけど、
なんでさあ、男の人って一番にならないと気がすまないのかな?
別に自分が一番じゃなくてもいいじゃん。むむむ。
それが「本能」だからしょうがないのか〜
戦いすんで、無我の境地に達したら、
「必要なのは愛し合うことだったんだー」なんて言うのかしら。
それとも何もしないことが一番強いってことになるのかな。
お約束に疑問もってもしょうがないのかな。
これまで描かれてきた山のような劇画と
『バガボンド』が違うのは一体どこなの?