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漫画関連ファイル


2001年01月23日(火)
「らっぽりやおい特集号」の再録?

居酒屋はねうさぎさんちの掲示板に、1月25日発売予定の「小説JUNE」に 
「らっぽりやおい特集号」が再録されるという情報が載っていました。
これは未見なので、とても楽しみです。

June-net - じゅねっと -
http://www.june-net.com/menu.html



2001年01月22日(月)
坂田靖子『珍犬デュカスのミステリー2』

緑ヶ丘三丁目のお話もそうだけれど、微妙に背景に見覚えがあるところがデジャブーな作品。いや、背景は多分資料なしで描かれているとおもうけれど、建物の高さとか公園の感じとかかわら屋根とか〜
ものすごく力の抜けた絵とお話で(←ほめてます。)、こういうシリーズが二冊目も大判のコミックスで出たことを読者としてはお祝いしなくちゃいけないかも。しかも値段もそんなに高くないし。こうやって少しづつたまっていく坂田さんの本をあとから全部並べてみたときに、その量と幅と質にきっとびっくりするだろうなあ。知ってる人はもうとっくに知っているけれど。そういえば同人誌の続きはいつでるんだろ?



2001年01月21日(日)
吉田秋生の本

昔の短編を集めた雑誌が発売されているようです。
『My First BIG』シリーズから
「悪魔と姫ぎみ」「風の歌うたい」 発売中
※「楽園のこちらがわ」2月9日(金)発売
http://www.betsucomi.shogakukan.co.jp/hotnews/ho_index.html

あと、2月に『BANANA FISH』関係の本が出るらしい。(新刊)
※『BANANA FISH REBIRTH』(2月24日発売)

同時にイラスト集の『ANGEL EYES』と『BANANA FISH』のコミックスも
増刷とのこと。

どうしたんだろ。『YASHA』人気のおかげかしら?

追記 こんなのありました。
佐藤監督が吉田さんとのトークライブのために開いていらっしゃる掲示板です。

期間限定掲示板<吉田秋生さんに聞きたい!>
http://www64.tcup.com/6414/event.html?



2001年01月20日(土)
『アリスと3人のふたご』by 山田ミネコ

最近メディアファクトリーから文庫で『アリスと3人のふたご』が出ました。
花とゆめコミックスで2冊で出ていた本を一冊にまとめたものです。
75年から78年にわたって描かれた作品群は
絵柄の過渡期でもあり、ハルマゲドンシリーズへの橋渡しでもあるという、
さりげないわりには重要なポイントかも。

それにしても、アリスの相手役のディックが
最終戦争の全ての原因の発明者だなんて、
『妖魔の森』読んで初めて知ったわ。 
養父に育てられるところは、小角の前身か。
男爵夫人ラムはちょこっとディーヴァダッタかかってます。
とするとアリスはセラフィムかな。

あとがきにミネコさんの近況が載ってます。
コミケに最終戦争シリーズの続編を出していること。
「あとりえだば」に郵便振替で切手代振り込めば通販カタログを
送ってもらえることなんかが書いてあります。

番号 00260‐8‐72704
加入者名 あとりえだば
住所と名前を書いて80円送金のこと



2001年01月19日(金)
『パトロールシリーズ』 by 山田ミネコ

最終戦争シリーズのサイドストーリーとして始まったはずの
このシリーズが思わぬ人気を博して、コミックスも6巻まででました。
そこまで行って、掲載誌が休刊になったんだったかな。
そのあと、スペシャルが出て、一応、シャドウとレイクの話には
けりがついたんだったか、つかなかったんだか・・・・
少なくとも小角(オズヌ)とセラフィムの話は終わっていない。

最終戦争(ハルマゲドン)シリーズが始まったのは確か
月刊LaLaの創刊間もない頃、それが、掲載誌を何度も変え、
ずいぶん長く続いた。とりあえず私は秋田書店のプリンセスコミックスで
23巻までのを持っているけれど、その続きは小説になったのかな?
う〜ん把握しきれない。

と思って検索したらけっこう、ちゃんとしたページがありました。

山田ミネコ ML 《うさぎ高原電子通信》 ホームページ
http://photo-m.tp.chiba-u.ac.jp/~yjo/mineko/
Google 検索 山田ミネコ リスト
http://www.google.com/search?q=%8ER%93c%83%7E%83l%83R%81@%83%8A%83X%83g&hl=ja&lr=

パトロールシリーズでおもしろかったのは、中世ヨーロッパの世界と未来の世界を
自由に行き来して、小角とセラフィムの話が展開するところです。
影(シャドウ)と絵馬のお話も好き。ドクターレイクがからんでくるところも好き。
チェーザレボルジアとルクレツィアが出てくるにいたっては、
うれしくなってしまう。
でも、今回再読して思ったのはミネコさんにもどこか過剰な面があって、
どんどん付け足していくよりもどんどん削っていった方が
いいこともあるんじゃないかということでした。
いつかこのシリーズが完結するといいなあ。



2001年01月18日(木)
<まんが>山田ミネコの別マの頃の作品

冬ごもりの家で何をしているのかというと、
漫画を読んでいるのでした。(ありがち?)

久しぶりに山田ミネコさんの本を読みました。
サンコミの『星のこわれる音』と『ひとりっこの冬』。
これ、リアルタイムで別マで読んだ時はわからなかったけど、
キーワードがいくつかあって、「お留守番」「ひとりぼっち」「お母さんが死んだ」
「お父さんが死んだ」「友達が死んだ」「幽霊」「さみしがりや」e.t.c.
そういうものと、独特の描線があいまって、
いつも風が吹いているような作品世界を作っているみたい。

さんざん、トリイヘイデンとか読んだあとだと、
作者の幼児体験について分析してみたくなってしまったりするけど、
それはしない。ミネコさんは結婚して妻になり母になり
作品にもそれが反映されたかのようにハッピーになっていく。
(そのあげくに同人誌にはまって楽しくやっていらっしゃるらしい
しかし、お体は大丈夫なんだろうか。病気をされたと聞いたような気が)

『ざしき童子』はちょうど、大雪のこんな時に読むと
何とも言えない作品です。あまりに臨場感があって。
山奥の村の小学生の主人公は風邪かなにかで学校を休んでる。
そこへ、学校の仲間が6人、プリントを届けに来てくれて
ひとしきり楽しく過ごしている所へ誰かがやってきた。
主人公が出てみると、それは学校の先生で、
村の子供たちが6人なだれにあって死んでしまったということがわかる。
うそだ。みんな遊びに来てるよ、と言って部屋に戻ると
誰もいなくて風が吹いているだけ。
立ち尽くす主人公。ゴオオオと吹く風。死んでしまった子供たちの面影。
「・・・そんなのがざしき童子です」という話。

ちょっと怖くてちょっと悲しくて、でも覗いてみたいような
日常のすぐお隣にある異世界を描かせたら
右に出る者がいませんでしたね。ミネコさんは。
その後いろいろと変わっていくけれどね。
さて、パトロールシリーズも好きなんですが
それについてはまた別項で。



2001年01月11日(木)
『私を月まで連れてって!』の番外編

明日(1月11日付)毎日新聞に竹宮惠子さんの
『私を月まで連れてって!』の番外編が2ページ載るそうです。
詳細は公式HP内の以下のページに。

http://www.tra-pro.com/PUSHICAT_CLUB/NewYear/index.html



2001年01月10日(水)
そういえば『はみだしっ子』は

初めの頃は、4人の子供たち全員が何らかのハンディキャップを持っていたね。
グレアムは片目。アンジーはびっこ。サーニンは自閉症。マックスは・・・何だっけ?
しかも家庭的にも恵まれない。
グレアムは母が家出してパラノイア的父親に育てられ、おばちゃまは自殺。
アンジーはラブチャイルドで母親はキャリア優先。
サーニンのお母さんは自分を見失って死んでしまったし、
マックスは・・・何だっけ?
単に私が忘れているだけかもしれないけど、マックスの印象は薄い。
それが、なぜかお話の急展開のきっかけになってるのが不思議。
しかしきっかけになっただけで、そのあとはやはり、かやの外なのがなんともいえず。

4人が旅を続けるうちに、反発して告発する一方から
ハンディキャップをひとつづつ克服して、社会に戻ってきたことが興味深い。
子供のままでなく、少しづつ成長していったことが、
あんなにも惹かれた理由かもしれない。
そして、行く手にはジャックとロナルドとパムがいる。ムーンライティングのふたりもいる。
三原さんはほんの少しづつ、私たちの先を歩いていた。
彼女はどんな中年や老人の主人公を描いたんだろうか?
いつまでも、シビアな視点にほんのちょっぴり希望を混ぜてくれただろうか?
今となっては自分達で考えなければならないけれど。

追記 思い出しました。マックスは父親に殺されかけたんでした。
   印象薄いなんて書いて悪かったわ。一番過激だったのね・・・

さらに追記(2001.6.26)
   この文章を読んだ方からサーニンは自閉症ではないだろうというご指摘を 
   受けました。はみだしっ子の本が手元にないので確認できませんが、
   確かに、自分の判断で簡単にあの病名をつかってしまったなあと思います。
   ご指摘下さったK様によりますと、サーニンの状態は、脳機能障害である
   自閉症ではなく、心身症とかPTSDの一種ではないか?とのこと。
   ありがとうございました。こういうところに自分の気がつかなかった
   誤解や思い込みがあることを、指摘していただいて初めて知ることができます。
      



2001年01月09日(火)
少女まんがの中の障害者

これについては生半可に触れるわけにはいかないので覚え書きだけ。
古いまんがを読んでいると、知恵遅れの子供の話や身体障害者や精神障害者。
いろいろな病気、貧乏な子ども、差別的表現がたくさんでてくる。
現在の基準はかなり厳しくて、今なら雑誌に載せられないような話でも
昔は出版されていたらしい。
だからこそ、そういう再販される可能性の無い、本や雑誌にプレミアがついて
売買されていたりする。(ブラックジャックにそういう外された短編がいくつかあるのだって)

その是非や、基準についてとか差別の話は私の手におえないけれど、
ちょっと昔に流通していたものが見ることができなくなるのはどうかと思う。
過去のある時代にあった、いろいろな表現を刈り取った形で残すと
かえって問題が不明瞭になるんじゃないかなあ。
図書館に行けば見ることができるんだろうか。

30年以上前の漫画を読んでいると、漫画をかいた人やそれを読んでいた人たち
(子供だった自分を含む)の意識のありようと、現在の自分とのギャップに驚く。
字数の限られた歴史書には残せない何かが、古い漫画にはあると思う。
(映画やテレビ番組や雑誌にも)

なぜ、昔の漫画にはそういう社会的弱者が多く描かれていたのか。
そういう人たちが身近だったからか。話が作りやすいからか。
救いようも無いほど薄幸の少女の話に皆が涙した時代って
何だったんだろう、と思う。



2001年01月08日(月)
『愛のひみつ』by武田京子

たまたま古本屋さんのワゴンセールで拾った『愛のひみつ』がおもしろかったです。
初出が何年かわからないんだけれど、30年くらい前の作品じゃないかな。
集英社漫画文庫本で文庫自体が1976年発行だから、もっと古いかも。
武田さんの作品は、いくつか読んだだけれども、
どれもおもしろくて、独特の詩情があって、暖かくて好き。
セブンティーンに載った作品には、おねえさん向けの問題作もあるけれど。

『愛のひみつ』は身寄りが無くて、親戚のラーメン屋さんの出前を手伝いながら
暮らしている貧しい少女が、町で自分とそっくりのお金持ちの少女を知り合って
一週間入れ替わるという話。
お金持ちで家族もいて大きなうちに住んでいるのに、金持ちの少女の家の中は冷たい。
金持ちの少女が原因の事故で片腕を失ったお姉さん。
屋敷の離れに隠すようにして育てられている知恵遅れの弟。
貧しい少女は持ち前の明るさで家庭に明るさを取り戻していくけれど
一週間が過ぎ、もとの生活に戻る。
(金持ちの少女は全然反省していないまま終わるので、ちょっと話としてはしりきれとんぼ)

知恵遅れの弟は切り紙の才能があって、まるで生きているような蝶を作る。
その場面が私の記憶のものおきの、すみっこに残っていました。
読んでいて、その場面とおぼろげな記憶がシンクロして楽しかった。

それはさておき、たまたま山岸作品を続けて読んでいるのですが、
最近読んだ作品ともこの話は呼応しました。
山岸さんの作品に『愛天使(セラフィム)』いう作品があります。

離婚した母と暮らしてた大学生の女の子が、母の死後、再婚した父の家庭に身を寄せると
そこの家の離れには自閉症の少年がいたという話。
女の子は少年の心を開かせるけれど、少年は水の中へ天使とともに消える。
(ちょっと『水の中の空』を思い出させるわね)
しかし、ラストには女の子と義母との和解があるのでほっとさせられます。

武田京子、水野英子、わたなべまさこ、西谷祥子
昭和30年代以降活躍している少女漫画のパイオニアたちの作品は
いろいろと姿を変えて、後の少女漫画の作品に影響を与えているんだなあと
改めて思うのでした。

追記
セラピムのまちがいでした。
セラフィムでは山田ミネコのパトロールシリーズになってしまう。
(シャドウが好きなんだなあ。小角も好きだけど)



2001年01月06日(土)
山岸さんの初期作品集

某Nさんのご厚意で、山岸さんの初期の作品をたくさんお借りしました。
今のところ本になっているものだけ読んだのだけど、おもしろかった!
「ラグリマ」「白い部屋のふたり」「ひまわり咲いた」
「アラベスク」はリアルタイムで読んでいたし、それ以前の作品も
読んだことがあると思い込んでいたけれど、
未読のものがありました。

ものすごく不幸な少女の話がけっこうあるの。
救いもなくて、最後は死んじゃうみたいな。
これは、なんでだろう。当時の作品はハッピーエンドが多かったから
それに対するアンチテーゼかな?
それとも、そういうペシミズムが良しとされていたのかな。
今となっては、その時代の空気はわからない。
どちらにせよ、今読んでもちょっと惹かれる所があるので驚いた。

私は「水の中の空」という短編が当時好きだった。
これも救いはないのね。継母とその子供たちが家にやってきて
みんな良い人なのに、うまくいかないまま、最後は悲劇で終わる。
どうしてこれが好きだったのだろう。今読んでみると、ちょっとだけ説明できる。
主人公は水たまりに映った青空を見て、あそこに死んだお母さんがいると思う。
水に映った空は明るく、話の暗さを消してしまうくらいきらきらしたイメージを作っている。
水鏡に映ったものは現実の世界よりも輝いて見える。
当時小学生だった私は、水たまりの空の中に長靴でそっと踏み込んでみるようなことを
したことがあったかもしれない。

水や鏡やガラスに映ったイメージというのは、
山岸作品の中でけっこうよく使われるのじゃないかしら。
「白い部屋のふたり」も大事なシーンは背景が水が多かった。
「妖精王」の水鏡とか。誰か検証してください。

「白い鳥になった少女」のパンで超えようとした水たまりにもちょっと惹かれるものがある。
全く関係ないかもしれないけれど、大島作品の中に良く出てきた、室内から高い窓のガラスごしに
見る輝く木々の緑にも、同じようなあこがれにも似た気持ちを感じる。

当時の漫画家さんや読者には、水やガラスを通して何か別の世界を見るという
気分がなかったかしら・・・と思うのでした。



2001年01月02日(火)
世にも奇妙な物語2001の特別編

「僕は旅をする」見たさに、久しぶりにテレビを見ました。
5つのお話のうち3つまでが管理と自由についての話ってのは
ちょっと片寄りすぎてんじゃないの?って思いました。
若者でないのであまり共感できない。
「13番目の客」は新興宗教の話みたいで面白かった。
「僕は旅をする」はしっとりした話が欲しかったってところでしょうか。
原作を知っているので、純粋には楽しめなかったのが残念。
金沢ロケも一部ありました。
浅野川べりの主計町(かずえまち)のくらがり坂のあたり。

- 語り継がれる坂の文化 - くらがり坂と主計町
http://www.westjr.co.jp/kou/b-signal/00_vol_11/p07_06.html

一番おもしろかったのは、「BLACK ROOM」だったわ。
キムタクも樹木希林も志賀廣太郎もみんなうまいなあ。
途中からの展開にはあきれはてて 声もでませんでした。
おおお、ガンダム!「アムロ!いきます!」だ〜!たのし〜!!!

世にも奇妙な物語
http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/kimyo/index.html