私季彩々
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2004年04月28日(水) ワラビー現在進行形

《ワラビーの症状》
本来秋ごろ流通する仔ワラビーが入荷。健康状態を疑う。食欲は当初問題なし。♂♀の番。両方に以下のような症状が現れた。
○漿液性の鼻汁 やや軟便 食欲やや落ち気味
⇒抗生物質「ストレプトマイシンG」0.3ml皮下注射。
⇒整腸剤「ビオフェルミン」。
⇒よく食べてくれる小松菜を増量。
○黄緑色の濃い膿性鼻汁が多くなる。蹲って寝る様子。眠りが浅そう。 同じ施設内で入荷していた兎にはスナッフル様の症状が出ていた。現在完治。その関連でパスツレラを疑うが、同菌はストレプトマイシン感受性。
⇒ニューキノロン系抗菌剤に変更。皮下注射。
⇒消炎剤「ケジフェン」錠剤を併用。
⇒ビタミンB製剤「ノイビタン」錠剤付加。
⇒下痢・消化管疾患薬「ミヤリサン」を飲水に溶かして付与。
○糞便検査で初めてコクシジウム検出。
⇒抗コクシジウム薬投与。
⇒2匹を隔離。
⇒鼻汁の細菌培養開始。
○鼻汁消失。やや咳が見られる程度に。
⇒投薬中止。ビタミンB製剤とミヤリサンのみ継続。
○鼻汁再発。食欲減退。抗コクシジウム薬継続。
⇒ニューキノロン系抗菌剤不足につき、1日だけ他の抗生剤「バイトリル」適用。
⇒ニューキノロン系抗菌剤再適用。乳酸加リンゲル5mL+ビタミンC100mgを皮下注。肺機能の悪化、浮腫はみられず。
⇒消炎剤、ビタミンB製剤。リンゴに塗して食べさせる。
○状況は改善傾向。食欲復活。鼻汁はまだある。
⇒注射時のストレスを避けるため、抗菌剤を錠剤に変更。

《現状》安定。食欲回復。乾いた咳がいまだに残る。抗菌剤継続中。
●有袋類の同一抗菌剤の適用は3日が限度との指摘あり。原因菌は特定できていない。抗菌剤で改善が見られているが、第一原因が細菌とは団的できない。これ以上の適用は困難と考える。根本原因は室内の過乾燥と考えるが、施設的に改善が困難。
⇒食欲があることから、投薬を一時見合わせて状況を観察する。
⇒水を撒く、小さな池を作るなど、湿度をある程度維持する方策を考える。根本的には、個体の抵抗力を育む他はない。
⇒コクシジウムは砂に常在していると考えざるを得ない。ワラビーのコクシジウムの病性は不明だが、日和見感染に近いと考える。薬剤は定期的数日間ずつ継続。
※時系列はとりあえず省いています。

ということで、ご意見ありがたく拝聴いたします。 Home&Photo


2004年04月24日(土) 農園デビュー

 愚痴飲み会で唯一の発展的な内容、「農場を借りよう」が実現した。お仲間が見つかった。

 借りた土地は100平米。職場から車で10分。現住所からは40分ほどか。予想はしていたが、やはりかなり広い。

 訪れた今日はかなり寒い。昨日は雪が降ったし、畑に植えられるものは限られている。根菜類なら可だろうが、夢に見ているトマトやトウキビは、直播というわけには行かないようだ。
 オーナーは趣味人で、メインの仕事をしながら農作業もしているという方だ。仕事以外の時間の8割はここにいるという。私の同僚の親戚の知り合いということで話が進み、ビニルハウスも貸して頂けることになった。近くには山羊も飼っている。それもこれも趣味だという。素晴らしい。

 思い描いていたことはほんの身近にあるもので、大分年を経てようやくやってみる機会と意欲と仲間が見つかった。まだ寒い北海道だが、思い出したように暖かな日もくるだろう。プランターから一歩踏み出して、今年は何を植えようか。のほほ。 Home&Photo


2004年04月16日(金) 診れずに見てるが診てみたい

 何故かいろんな動物を診ている。犬、兎、兎、モルモット、亀、マウス、ワラビー、アロワナ。「診ている」といっても、「見ている」とあまり変わらない。何もわからないのである。

 耳をしきりに掻いているシェパードは、耳の付け根に出血痕がなかなか消えない。消毒・洗浄と外耳炎用の薬を併用しているが、完治とはなかなか行かない。癖になってもいるようだ。
 環境が変わって、餌を食べない連中がいる。缶詰を混ぜてみたり温めてみたり。何とか食べてくれるようにはなってきたが、しきりと脱走の機会をうかがっている。
 下血が治まらないのもいる。同じ環境にいた連中の中には、駆虫薬を飲ませて犬回虫がしっかり出てきた。こいつはさっぱりわからない。とりあえず、絶食中。
 カメは死んでしまったのもいる。原因不明。
 兎は来た時から痩せてるわ、目やにがひどいは、脱毛があるわで大変なものをつかまされた感じだった。幼くて可愛い連中だが、その分弱い。下痢が見られたりでやばい感じ。抗生剤の注射とビオフェルミンでとりあえず良くなっている。
 ワラビーも鼻水タラリ。多分袋から出て1月も経っていないという噂。これも兎と同じやり方で様子を見る。今のところは維持しているが、こういう動物は一気に下っていくものだから安心できない。

 結局、外科的な切った貼ったは滅多にないわけで、もともとの原因は環境の変化、環境の悪さ、環境変化をさせる時期の悪さだろう。とにかくみんな幼すぎるし、親と離される時期も悪い。薬でなんとか乗り切ろうというのが経験のない獣医の限界だが、何よりこの時期を乗り切る抵抗力がつくまで持たせることが大事なのだろうと思う、というよりそれしかないかなと。

 動物が増えて忙しくなったが楽しくなった。それに伴って不協和音も聞こえないではないが、歓声の方が大きくなったのも確か。ここは勉強をする場所であり、私も勉強をしたい。働くというのは何よりも勉強のはずだ。あえて私はそれを問いたい。皆様、勉強してますか、と。

 といっていてもしょうがない。何でもご助言よしなによろしゅう。 Home&Photo


2004年04月10日(土) 膝上の棺桶

 一人の子供が亡くなった。7月生まれだからまだ1歳に満たない。それでも僧侶は1歳と言っていた。数えで呼ぶものなのかもしれない。苗字は2度間違って読み上げた。

 急な破水に襲われ、900gの切迫早産。肺の未成熟は覆い隠せず、挿管は最期まで取れなかった。ステロイドでパンパンに膨れ上がった体は、いつまでたっても増えない体重を恨めしく思わせるに十分だった。それでも毎日、若い夫婦は30kmの道のりを通い詰めた。強気の強面を崩さず、夫の退職と妻の再就職を乗り越え、一時の安泰を迎えて間もない訃報だった。
 これまでも度々呼び出されていた。常に危篤状態だったが、その中でも危ないということだった。それにもだんだん馴れてしまったのは周囲の我々で、本人達はその一回一回が重かったはずだ。

 葬儀はとてもひっそりとしていた。斎場は立派だが、これ以上小さな部屋があるのかという場所だった。
 私よりも5歳も年下の喪主は、疲れきったように「誉めてやってください」と述べた。遺影はバレンタインのハートマークが首から掛けられたものだった。病院関係者から送られた花が痛々しかった。二人の苦労を最も共有した人々だったろう。いつも強気の奥さんも涙を浮かべていた。
 小さすぎる棺桶。少ない参列者が花を手向けると、すぐに一杯になった。顔は妙に瑞々しく、瞼がはれぼったい。赤子の遺体は生きている状態を保持しているようだ。いつまでも触れている夫婦。蓋を閉められず、自らの顔を寄せて低い嗚咽を鳴らす。二人以外誰もいないかのように、皆が一歩静かに下がった。

 人にはいろんな一面がある。そして、誰も全てを知ることは出来ない。そんな瞬間をこれまでにも多く繰り返し、人との距離を埋めたり離したりしてきた。
 荘厳な場に立ち会って、私はまた多くの人の一面を見た。そして、皆を少し好きになれた。

 お坊さんは、命の尊さを短すぎる生と死で伝えた彼女を称えた。生というのはそういうものなのだろう。彼女よりも数十倍私は生きている。いや、高々数十倍にしか過ぎない。彼女と同じ「気付き」を、数十回分くらい提供できているのだろうか。

 空は澄み渡り、春の気配は一段と濃い。これからの街に黒い車がゆっくりと走り出す。クラクションの音が響き、合掌。ゆっくりと上げた私の目に、かつての同僚が車内でゆっくりと頭を下げた。膝には棺桶が乗っていたはずだ。それくらい、彼女は早く逝ってしまった。


黒服の二人の膝に納まりぬ幼き柩載せ車窓過ぐ Home&Photo


2004年04月01日(木) 大阪で春を想う

 満開の桜を期待していたが、それにはまだまだ早かったようだ。曇り空の大阪に降り立ったのは数年前だったはず。北海道を飛び立つ時に薄手に替えたコートも要らない感じだった。

 伊丹空港から難波に向かう高速バスは、スタート直後から渋滞に巻き込まれた。都会ってそんなものさと思いながら、効果から覗く大阪の工場街を眺め、勝手な思い込みの大阪像を確認してみたりした。

 翌日、せっかくだからと繁華街へと出かけた。道頓堀川で降りて、有名なグリコの電光掲示板を眺めた。正面から見られないのにちょっと驚く。近くの食い倒れ人形(?)をみつけ、たこ焼きをほおばった。
 食事でもとうろついたが、大阪でなきゃ食べられないものってのが思いつかない。ようやく「上方」とついた居酒屋に入ったが、「北海道の方に出せるものはありませんよ〜」と素直に言われてしまった。地元に人に聞いても、「北の・・・」とかそんなものばかり。お好み焼きやは混んでいて入れなかった。「じゃこてん」はおいしかったな。

 翌日、朝の爽やかな時間にお散歩。倉や漆喰の塀が続く慣れない狭い道を適当に歩くと河原に出た。桜が並木状に続き、ブルーシートのテントも続いていた。これを何分咲きというのかはわからないが、満開になると花びらと日差しが溶けてさぞ見事なのだろう。堅苦しいスーツ着ながらも、一足早く春を満喫する北海道人には、素直に嬉しい光景であった。そこには、同じく北海道から来た同僚の姿もあった。同じ嗅覚を持っている人々がうれしかった。

 少しもゆっくりする暇もなかったが、行き帰りのタクシーが何より大阪っぽかった。クラクションが鳴り止まない街中の様を不景気のせいにしながら、「ちょっと前まではここまでひどくありまへんでしたに」と。大阪城や難波宮の説明を受けながら、日本の歴史を感じつつ、足早に空港へ向かった。是非、時間を作ってゆっくり日本を回ってみたいなぁ、と改めて思った。

 北海道には雪があった。更け切った夜の汽車を降り、雪除けのフードの中でみんなとお話をした。

 北海道の春はもっと瑞々しい。溶けきらない大地から染み込めない水が立ち上がってくるような感じ。土が締まってきたら本格的な春だ。それにはもう少し時を待とう。
 大阪は確かに春だった。それは確実にやって来る。地球は丸く、続いているってことで。 Home&Photo


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