私季彩々
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2004年02月20日(金) |
発つ鳥に贈るべきこと |
我ながら狭いと思うが、新しい職場にきてほぼ1年、周りがいろんな人の話をしている中、その人が誰だかさっぱりわからん。本当にわからん。
人に名前を覚えられることは、大きな天賦の才能だと思う。総じて良い方の。人の名前を覚えることも、負けず劣らず大切だ。概ね、どちらも備わるものだが、努力で身につくのは後者からだろう。
今年も多くの方々が辞めていくこの職場で、たまたま、不満をもって辞めていく方々とばかり親しいのはどうしたものだろうか。「たまたま」ではなく「必然」なのだろう。私は差し引き「+」のつもりだが、もちろんその中の「−」も非常に多い。その反映ということか、もともとアウトローな人間だからか。
今日辞めていく人は本当にかわいそうだった。どんな理由があれ、「あの先生の言うことを聴くな」などということを同僚から学生ヘ触れ回るなんて事が許されるはずが無い。孤立して、他学科の教職員のだれも協力せず、辞めるその時の見送りもごく僅か。これから退職する人の横を通って、先に退社することも無いだろう。
この方とは数回話しただけなのだが、仲良くさせていただいている。本当に寂しそうに、そそくさと職場を後にされた。
そういうところって、きっと、密かに公になっている。寂しいものだ。
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2004年02月14日(土) |
そして紙芝居はつづく |
でっかい夕日を背中にしょって 影ふみ遊びの子供が走る 涙の乾いたほほをころばせ 明日に向かって一直線に
ねえ君 僕はこう思うのさ 人生なんて紙芝居だと 涙も笑顔も続きは明日 時っていう名の自転車こいで
やさしさ紙芝居 そして誰もが主人公
幾つから子供で大人でなんて、そんな意味はとてもおぼろげで。若く旅立つ人たちを想って、ふと唄ってみました。この夏に彼氏を交通事故で亡くしていましたか。知りませんでした。 堤防上を走る自転車と、長く伸びるその影。そんな映像を思い浮かべるのは、もうそこそこの歳でしょう。旧ルパンのエンディングは、フィアット500のそんなシーンだったような。 って、これまた作詞は松本隆氏ですか。いやぁ、わたくし相当かぶれております。
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誰もが想い経験することだが、日常の友として、付かず離れずの永い関係と、濃密な華のような危うい魅力的な関係と、奇妙に魅力的に味わい深い直曲線な枝振りを経て、実りをもたらす樹々のような関係と。
例えるなら、友というのは一つの樹に舞い降りる小鳥であり、虫であり、ヘビであり、蔦であり。時に傷つけ、害を成しても、それを乗り越えて生きていける証のようなもの。
私の中に樹があったとすれば、この華は咲かせたくは無かった。案の定、音の無い文字だけを残し、それは散っていった。古びてきた私に出来た洞穴。そこに迷い込んだ可愛いリスを、つい華のように思い込んだ、それだけだった。
樹としての私。その記念に、とっておきの白ワインをその根元に捧げましょう。
さようなら。またね。
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