私季彩々
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2003年09月24日(水) いちおうおやすみ。

 急遽久々の3連休になったのだけれど、いろいろふられてのんびりモードになった。やっぱ急ってのはきついなぁ。ま、とにかく休みは素敵。なんとしてでもしっかりとろう。 Home&Photo


2003年09月18日(木) お風呂へ行くすがら

 久々に銭湯へ。部屋のユニットバスは2年を越えて1回も使っていない。温泉か銭湯頼みなのだが、帰る時間が遅くなるとなかなか利用できない。けっこう不潔な私であるが、お風呂は貧乏生活が延長戦に突入している最中にあって、唯一の贅沢である。いまさらユニットバスに湯を溜めて、という気にはなれない。

 たまの休日なので、いろいろ店を回っていくと、銭湯につくまで2時間以上かかった。札幌駅隣りのビックカメラや、中のユニクロや、100円ショップや、ホーマック。財布の紐は堅いが、お店を回るというのは楽しいものだ。私も素直にそう言えるようになったのだから立派なもの。庶民普通感覚というのはかけ離れたものだったのだから、私も成長したものである。

 たまのお風呂は、のんびり出来て素晴らしい。一人で来ても、友人と来ても、随分とのんびり出来る。ここには自然や動物のちょっとした写真の展示があったりして、こういうちょっとしたことに惹かれてしまう私にはいうことない場所なのだ。
 みんなそれぞれお気に入りの場所や趣味があるのだろう。私はほとんどそういうものがなく、人込みが苦手で孤独をもてあますタイプだから、しかもそういうのがとても好きだから困りものである。そんななか、どうしてお風呂場が落ち着けるのか不思議でもある。温泉よりも、銭湯である。昔なからも良いが、今時のものもかなり良い。

 たぶん、いつか家を建てるときに、風呂はとりあえず作らないだろう。それでよいと思う。スタンダードは自分次第。そういう路線しかないのだよ。 Home&Photo


2003年09月15日(月) 若い辞意

 いろんなことを辞めてきたが、人から辞める相談を持ちかけられたことはそんなにない。そういう時に、曲がりなりにも、続けろと言わなければならない立場というのは辛いものである。

 翻ってみれば、事には始まりと終わりがあるもので、生き死にだってそういうものである。学校のように期限が切れれば居たくても出て行かなければならない時もあれば、放って置けばいつまでも続いてしまう時もある。が、どちらの場合でも、辞めるのは自分の意思で出来る。

 彼女は学校を辞めたいといっている。随分話もしたが、結局は合わないということだと思う。次は特に決めていないようだ。
 辞める時にポジティブな理由があるなら何も言うことはない。ただ、人生そういう場合だけとは限らないし、若い頃は挫折も多い。ただ、うまいこと出来ていて、学校には期限がある。2年という短い期間、合わないという理由だけで、学ぶこと皆人生の無駄と捉えるのはよろしくない。

 私が大学の教養に居た頃、授業のほとんどはつまらなかった。特に元々語学の苦手な私は、ドイツ語という難題に向かう時は、温かな窓の外を眺めてしまう様だった。そんな私達に助教授が投げかけた言葉は、「何が無駄か判断する力を持っている人は少ない。まして君達のような若い人にあるわけがない」、というような言葉だった。もちろんもっと柔らかくだったが。
 その後、役に立ったことといえば、全てである。放り投げたことも次へ繋がった。連続した時間軸で生きる以上、心機一転といっても過去と必ず繋がりがある。学校や仕事で行ったことは、やはり社会で必要とされることだから、人や社会と繋がって生きるときには必ず身を支える力となるものだ。これは本当に痛感している。

 二十歳前の彼女にはその余裕がない。それも当然だ。面白くないと思いつつ、だらだらと続けていくのが普通なのだ。そうして、後になってその意義に気付く。辞めるというのはどうこう言っても度胸がいる。「辞めても良いよ」という言葉を胸に収めて、私は思うところを伝えたが、私に似て自己分析さされることに嫌悪感を抱く彼女はさらに意固地になった。
 逃げてもいい。後ろ向きでも仕方がない。ただ、それを周囲の人々が見かけだけでも納得してくれるような言葉を作り出して欲しい。それが大事な優しさではないだろうか。そんなことを伝えて彼女を送り出した。

 その後、二転三転あって、彼女は学校を続けることになった。私の力というより、親やバイト先の関係のようだ。それが良いのかどうか、私もご両親も悩んでいるところであるが、2年という時間の捉え方を考えると、親を乗り越えられなかった彼女にそれだけの決意も勢いもなかったということだろう。
 それでいいと思う。辞めるのなんて何時だって出来る。学校だけに全てを頼れば、辞めればいいほうに進むと考えてしまうがそうではない。結局は全て、一人の自分次第なのだから。 Home&Photo


2003年09月07日(日) 急な出張も悪くない。

 急遽も急遽、帯広方面へ出張となった。上司の思い付きとはあまりに理不尽とは思いつつ、行くこと自体は楽しみのおまけ付きであったので、しぶしぶの振りをして出かけることにした。

 札幌方面から十勝へ抜ける道は、北海道でも最深部を抜ける道で、夕張を越えるとほとんど人のいない地域だ。交通量だけはしっかり多く、途中産炭地の名残を残すアパート群や、休憩で賑わうコンビニを通り抜けて、秋風吹く中紅葉にはまだ早い森を車で駆け抜けた。ドライブのお供は、久々に買った私的最高峰御菓子「えび満月」である。
 帯広のとなり、芽室町では学生と雑魚寝。私の寝ている部屋の中で男女入り乱れての宴だったようで、気にしないで楽しんでくれたことがありがたい限り。私も気にせず寝ておりました。

 翌朝(7日)、音更であった大会はただの見学で過ぎ、ついでにと3年ほど音信不通だった帯広の友人を訪ねてみた。家もなんとかわかったが、まだ住んでいるかどうかも良くわからない。とにかく、ままよと呼び出してみると、変わらず髭もじゃの友人が出てきた。お互いあいも変わらず一人身という事で安心安心。
 ついでということで、その友人を連れて会場に戻るが、彼は犬嫌いであることが判明。130匹以上が集まった場所はさぞかし恐怖たったろう。久々の再会なのにごめんなさい。

 何にせよ、何かをしている人々に一枚噛むというのは素敵なことだ。何か、自分の指針というものになりそうなものを見せられたような気がして嬉しくなる。犬と触れ合う、というそれだけを目標に、着実に大きくなってきたこの会が、一人の思いとそれを一にする人々によって大きく育ったこと、それが何より素敵である。私も、ようやくできそうな一枚の基盤の上に、それを模索してみたいなと思ってみたりした。その基盤ってのも、実はかなり危なっかしいけれどさ。

 上司の思いつきも悪くない。行くだけ行って、有効に使わせてもらうということで。代休のない休日出勤になったわけだから、それくらいはね。 Home&Photo


2003年09月06日(土) 脱走犬確保

 お借りした犬が脱走した、ということで大騒ぎになった。人懐っこいわけでもなく、歯をむき出して逃げるような奴だから、こりゃ捕まえるのは無理さぁ、と思ってみたりした。
 いろいろ探してみると、あそこで見つかった、とかいろんな話が入って来たりする。ビラを撒いたり貼ったりで、駆けつけてみると手遅れで。見つけたと思っても逃げられたり。朝5時から起きたりして、徒労感も1週間もたてば十分すぎるくらいになる。個人的には諦めていた。
 が、多くの人が関われば頑張るのもまたいるわけで、1週間後、見つけたわけである。数キロはなれた国道沿いで挟み撃ちにして、うまく鮭用のタモ網を構えた人がいる方に駆け出したところを掬い上げた。お見事であった。

 見た目はボロボロの柴犬だが、聞けば繁殖見込みから、300万円ほどの補償が要求されるかも、とのことだった。もちろんそううまくいくとは限らないのだろうが、おいしい話だなー、とか思ってみたり。私もやってみようかしら。とにかく、生きた預かりものというのは油断ならないものですな。 Home&Photo


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