私季彩々
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2003年07月24日(木) 気が利くってどういうことでしょう?

 「気が利くってどういうことでしょう?」
 こんな質問を受けた。職場の面々の前で、「もっと気を利かせてください」とのたまわれた私に聞く質問ではないのだが。
 私自身はそんなつもりもないのだが、どうもピントがずれているらしい。ただ私から言わせれば、そういう人たちは全てを見てるわけではなく、「仕事としてみた時に」という条件付で見ていると思っている。僭越だが、仕事上で気が利く利かないを判断している人々が、必ずしも普段気が利くとは思えない。私はそういう人たちが見ていない場所で気を利かせている。それを評価する人は、少ないながらもいてくれた。だから、気が利かない、なんて烙印を簡単に押せるわけがないと思っている。

 そうはいっても、現実で要求されるのは仕事上の話だから、そんな考え方は損なものである。で、先の質問は、学生から言われたこと。彼らはすでに、使えるか使えないかを判断される場に立っている。酷だなぁ、と感じざるをえない。
 「失敗を恐れずに、前に出てみること」⇒「よく観察して、前に出ること」の2点を伝えてみた。定番だが、これは難しい。私は出来ていないし、歳を食ったから出来るようになるというものではない。が、若さの利点は失敗が次に繋がることだ。

 学生が手伝いに参加した大会に顔を出した。ピンと張り詰めた顔ばかり。テキパキと動き、寒い中、普段見ない顔をしていた。そんな中、動きを見るとやはりいいのがいる。一人には、そう声を掛けてみた。フィールドの隅に姿勢良く立って、動きがある時は走って駆けつける。その姿勢に好感が持てた。

 後でいろんな人と話をすると、やはりその子が飛びぬけて評判が良かった。次に良かったのは、ひたすら駐車場で案内をしていた学生だ。花形から裏方まで、そこまで評価している関係者の目を私は尊敬した。見る人たちは見ている。そういう世界だということを。使えない、と一蹴されたものもいた。

 翻って私の考えはどうか。自分に驕りがあることも確かだ。しかし、私は一人の視点を信用しない。ただ見ている人たちの言葉を鵜呑みにはしない。例えどんな偉い人であっても。
 そういう生き方は絶対損だが、私はそれでよいと思っている。肯定の中から発展を見つける。私はそうありたいと思っている。 Home&Photo


2003年07月20日(日) アジリティ−

 アジリティ−大会をちょこっとみてきた。犬の障害物競走である。7月とは思えないほど寒く、本州から来た多くの参加者は信じられない様子。けれどみんな真剣。コースの下見に余念がない。
 ルールもろくにわからないのだが、コースを決められた順で走る、というのが大前提らしい。紛らわしいところも多く、犬を的確にコントロールできないと順序がすぐに入れ替わり、即失格となる。完走率は半分といったところらしい。
 小さな犬も大きな犬も、颯爽と走る様子はなかなか様になる。ハンドラーも息せき切って走る。やはりうまい人は様になっているが、それでも完走は難しいようだ。アマチュアからプロまで混在していたが、プロであってもうまく行かない。速さだけでは駄目なのだ。

 私はずっと猫派できたが、最近は犬もいいなと思い始めている。なんといっても犬を満足に走らせるだけのスペースが一生もてないだろうからと諦めているのだが、それが覆れば犬もいい。

 北海道は犬と一緒に遊ぶには間違いなくいい環境のはずだが、アジリティ−の競技人口は滅法少ないらしい。そういう余裕のあるマダムやシニアが少ないのかもしれない。こういうのに必要なのは、生活の余裕だ。北海道はまだまだ発展途上であり、環境を生かしきっていない。

 プロの調教師であっても、大会は基本的に持ち出しとのこと。それはそれで健全にも思えるが、それを生業にしようという学生を受け持つとそうも言っていられない。寒風の中、可愛い若い子達が真剣に下働きをしていた。普段は教室の中でしか会わない彼らだが、いい顔をしていた。本当にそう思って、先生と呼ばれている私は恥ずかしくもなった。

 いつかきっと犬を飼おう。彼らに撫でてもらえる犬を。 Home&Photo


2003年07月17日(木) 株式投資

 ここ一月の株価上昇に伴って、私の所有株も値を上げた。買うばかりで売る気はないのだが、株が上がるというのは嬉しい反面、安値で買ったものを高値で買うのも気が引けるから、さらに買い足そうと思っている人間にとっては厄介である。

 私の株式戦略は大変危なっかしい。企業情報もほとんどなし、伝聞、聞きかじりの投資である。買った翌日に半値に下げた銘柄もあった。1年を通してみるとかなりの乱高下であった。ほとんどは高値で買っており、この1月でようやく頭一つ抜けた感じである。ここで買っておけばよかった、と思うことばかり。この世界は未練がましい奴には不向きである。
 私が不似合いにも株などに手を出したのは、手元にお金があると不機嫌になるからだ。特に使う当てのないお金がある、というのは、人生を無駄にしている気がしてならない。かといって、500万にもなる借金(無利子だが・・・)を抱えている私にとって、手元のお金といえども綺麗さっぱり使ってしまう度胸もない。日々の食事を2割高くしても並の人にも届かないのだが、使いたいと思うのは1000万とかいう高額なものばかり。全く現実味のない奴である。

 で、投資額は260万円。1年後の現段階で322万円。24%の上昇ということになった。配当は5万円ほどで、投資額に対して3%程度ということになるだろうか。今の上がり相場のおかげだから程なく下落するだろうが、貯金しておくよりも遥かにおいしい結果である、今のところ。ボーナスもない身分としては、ちょっとしたご褒美ってところだろうか。
 個別では、最も伸びた銘柄が、最大の55万円を投資した自動車会社で188%。一度、買値の20%まで下げた銘柄はナンピンがうまくいって134%。もちろん下げている銘柄もいくつかあり、70%というのもある。本命にドンといっていれば、188%だったから、銘柄を広げすぎたようだ。なかなか絞れないでいるし、ついつい広げてしまう。少ない投資額がさらに薄まっている。

 1000万くらい資金があれば、そこそこ面白い相場がはれるのだろうが。私が買う興味をそそられる時は上がり相場の時ばかりで、相場師としては失格である。
 ちなみに、毎年100万円くらい買い足しつつ、このくらいのペースで上昇していくと、20年後には5億円を越えることになる。そんな上げ相場が続くわけもなく、この世界は結局沈没する人々ばかりなのだから、肝に銘じておかないと。

 そんな私の夢は、やっぱり小さな田舎暮らしなんですがねぇ。 Home&Photo


2003年07月16日(水) 猫の里親探し

猫の里親さがし

 保健所で犬や猫の引取りをやっているのは多くの人が知っているだろう。引き取られた犬猫がどういう運命を辿るのか、その点も多くの人が知っている気になっていると思う。
 法律でしばられているのは犬のみで、強制的に捕獲されるのも当然犬のみだ。猫はあくまで飼主の以来があった場合である。札幌の場合、捕獲された犬の半分が再び戻されるそうで、犬を飼うモラルは格段に上がってきているそうだ。
 そんな中でもなかなか減らないのが猫とのことで、モラルの高い飼主は引き取り手探しに奔走する。それに役所が協力しているのが里親探しのイベントである。私は、持ち寄られた犬猫を公開して、それでも引き取られなかった犬猫は処分されるのだと思っていた。しかしそうではなく、飼主が持ち寄って、引き取られなかった犬は飼主が持ってかえるのだ。そのあたりの事実は知られていないと思う。

 その飼主探しの現場に行ってみた。
 20匹あまりの子猫が一同に会し、飼主達が来訪者に自分の猫を勧めている。雰囲気は和気藹々だ。どれももちろん可愛く、半分程度の猫が引き取られていった。これでも高いほうらしい。犬の場合はほぼ100%引き取られるそうだ。
 端のほうで、猫を抱えて涙にくれている女性がいた。ようやく猫を飼える環境になって、あまりの嬉しさに涙しているとのことだ。その逆に、飼主が見つからなかったために処分せざるを得ず、涙する人も多いという。命が関わると人の心は大きく揺れるもの。それが人たる所以ということだろうか。

 我が家の猫に相棒をとも思ってはみたが、それ以前にもっと広い田舎に越してからと。そんな日はいつかなと思いつつ、猫の去ったガレージを後にした。 Home&Photo


2003年07月15日(火) 貴重な時間

 これを書いているのは16日朝だが、気分は15日である。午後出勤の朝というのは、とてもいい感じ。もう体は、早寝早起きに馴染んでしまっているらしい。

 放ったらかしにしている庭のベランダのプランター群11個は、昨年とは打って変わって賑やかである。メロンとか無謀な挑戦を止めたのがよかったのだろう。イチゴは大きな実をつけて、トマトも熟れ始めた。豆を撒いたのは遅かったし、虫に食われたのも多かったが、なんとか成長している。浅葱は立派な葱坊主をつけているが、それでいいと放置している。大らかなもので、最も元気なアブラナやからし菜などの雑草類もそのままにしている。
 スーパーに並んでいる野菜類は本当に安いなと思う。プランターに生えているツマミ菜を2つ分掻き集めても私の一食分にもならない。農的生業というのはそういう面から見れば全く偉大なものだと思ってしまう。

 乾いているプランターに慌てて水をやって、ほげっとする時間。なんか久々にゆっくりしているようだ。

 多分に、私はこの3ヶ月を一生のうちで最も口を動かしている。しゃべるのが仕事になった。明るく声の大きな小学生から、一転して地味な優等生になり、仕事柄ほとんどしゃべらずに暮らせる時もあったが、今は中学以来の自分が必死に口を回している。いや、本当は話し好きなのだけれど。
 伝える、話す、教える、というのは本当に難しいものだ。意思伝達の難しさ、擦れ違いの生む軋み、行き違いが生む鬱積、内輪で繰り返される欠席裁判、裏を返したようなにこやかな対応。そういいつつも、皆本音では仲が良いのはわかる。これも日常の範囲内なのだが、私はそれを良しとは出来ない。そういう中で培われる関係を、私は構築する気が無い。正直、疲れていると思う。
 といいつつ、仕事はけっこう好きだ。本業は問題点も多く、批判も頂いている。なんとか改善したい。

 丸一日の休みがあると、ついつい寝て過ごしてしまう。帰ってきても、パソコンをつける間もなく寝てしまう。早く軌道に乗りたいのだが、1年はかかるだろう。その1年後があるのか、不安ではある。

 難問が山積みだが、越えたいと思うものだから良しとしたい。その上で、この朝の時間のように、思いを馳せる時を取り戻したい。ここに綴ってきた日常は、私の宝である。それは綴ることで生まれたものであることも、確かだと思うから。 Home&Photo


2003年07月06日(日) お祭り

 学校祭などというのは久々だった。悪くないものである。何より若いってのは素晴らしい。ああいうのは、はじけた方が勝ちである。問題なのは酒が無かった事ぐらいだろうか。この歳になると、やはり酒の力が欲しいところ。というか、酒の無い祭りなど初体験のような。

 乗りは女子高みたいなものだが、若い子というのは本当に元気なものである。少ない男はもう全然駄目。全く使えていない。私はこれまで比較的地味な連中と付き合ってきたから、こういう雰囲気には圧倒されてしまうのだが、無理に入り込む必要のない立場と歳になると、適当に楽しめるものである。かえって、当時よりよっぽど楽しかった。

 小さいながらも、ステージの上では自慢の歌を披露して盛り上がっている。一人頑張って出場したおじさんは、浴衣にサブちゃんという私的にはOKな姿なのだが、若い連中には全く受けなかった。サブちゃんなら幅広いと思っていた私ももう年寄りということだろうか。そういう私も来年は歌わされることになりそうだ。さて、損な来年があるのかわからないものだが。
 仕舞には花火がうちあがった。ちゃっちい物かと思いきや、田舎の花火大会以上の数と派手さで仰天した。プロに頼んでやっているものだ。すごいと思うが、金の掛け方に疑問を感じてしまう。確か、ダウンタウンの松ちゃんが一発打ち上げた花火が100万円だったような。

 夕刻になるとすっかり冷え込んでいて、ジャケットを引っ張り出していた私の前では、まだ半袖の子達が膝を折って歌を聴いていた。月は朧にかすむ半月。花火の修了と共にステージの明かりは消え、祭りは終いとなった。 Home&Photo


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