私季彩々
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2003年06月22日(日) 近郊低山にて

 私は山の話をよくするが、実はそんなに行ってはいない。去年は1回。今年はいまだ0である。森歩きは良くするようになったが、山の話は昔の遺産でしているようなものだ。

 といいつつ、計画は立てている。不精になったのは、山仲間が身近にいなくなったことと、休みの天気がいまいちな為だ。今週末も雨竜沼へ行こうと思っていたが、起きてみると思いっきりの曇天で不貞寝。札幌から距離が離れているのだから天気も違うかもしれないのに、そこまでの気力がなくなっていたりする。
 といっていると、いつまでも寝ていてしまうので、お近くの山にでも行ってみることにする。本を見ると、登り40分という今の私にはうってつけの山が。八剣山。札幌南部の郊外にそびえる、低いながらも切り立った山である。

 車で小一時間、登山口に着。そのお気軽さに、近さの偉大さに気付く。途中果樹園が広がり、イチゴ狩りの家族連れが賑わう。緑は深く、夏はもう盛りである。
 登山口から少し歩くと、賑やかな音楽が聞こえてきた。ベンチャーズの代表曲である。近くの果樹園でイベントをやっているらしい。これが遠出をしてきたのであれば騒音と腹を立てるところだが、なんせ近場である。かえって微笑ましい感じになってくる。余裕というのはありがたいものである。道は緑が濃く、花の季節は過ぎ去ってしまったようだ。
 久々の登りに息が上がるが、幼稚園児も登るような小山である。が、傾斜は十分で、のぼり応えは十分。頂上は開けて切り立っており、札幌南部の小市街が一望できた。風が爽やかに通り過ぎ、少し汗ばんだ体に心地よい。麓からは相変わらずのギターが聴こえてきて、池に反射する光が眩しい。国道には車がちらほらと流れ、遠くには空沼岳や札幌岳が見える。

 頂上には先客が一人。いかにも山を歩いていそうな浅黒い華奢なご婦人。話をすると、沢登りもするベテランである。今日も沢に入る予定だったが、所用が出来たので近場に登ってみたという。深山に入る方だったが、私と同様近場の魅力に今日気がついたという風だった。話が弾み、家族連れが来て帰っても、まだ続いた。ほとんど手ぶらで来た私は、ご婦人がくれたパンをありがたく頂く。その方も去り、私一人の頂上となった。時間を見ようと取り出した携帯電話の電波は3本。登る途中で見たときは一本も立っていなかったから、むしろ頂上の方が下界に近い。なんか、妙な安心感がある。これも近郊の魅力の一つか。

 下山途中に外国人3人組に出会う。はるばる異国にまでやってきてもこういうハイキングをする若者というのはなんと爽やかなのだろうと。登山口近くにはマウンテンバイクが3台。軽やかに夏を迎えた北海道と彼らがとても合うなと、昼下がりに思いついた登山は日の緩くなった4時過ぎに終わった。

久々の写真更新(八剣山より札幌市南部を望む) Home&Photo


2003年06月14日(土) ガスコンロ

 ガスの契約をした。今ならもれなくガスコンロをプレゼント、という契機に。現金なものである。

 今時、ガスを契約していない奴などは珍しいだろう。ユニットバスがありながら、乾燥室兼ビール醸造室として使っていた。調理はカセットコンロで、冬季はストーブ付。風呂は完全に銭湯である。
 そうなると、2口コンロにグリル付となれば、いろんなことを同時平行で出来ることに戸惑いを覚える。私は独身男にしては、どうやら料理を良くする方らしいのだが、一口でも違和感無くいろいろこなしてきた。炒める順番も、肉を炒めて、その油で野菜を炒めて、と順序だてると肉の旨みが次に生かせるわけだ。それが2口だと一気に出来てしまう。それは確かに素晴らしいが、今までこなしていただけに、何かもったいない気がしてくる。十分間に合っていたのだ。

 私はあるもので間に合わせてしまうタイプである。十分な用意などということはしない。あるもので、なんとかする。何が壊れても、あるもので間に合わせる。そうやって生きてきたし、そうやって生きていきたい。どうしようもなくなったらリニューアル。それでいいではないか。

 物は壊れる。それを手入れして使うのが粋である。私はその粋に達しない。常に自転車操業。それが私的には楽しいのだが、諸所の出来事でぶち当たる。みんな物事にまめなのだ。いいじゃないか、壊れてたって。それはそれで何とかなる。壊れ物ばかりで騙し騙しやっていた大学時代が、その点だけでは懐かしい。きちんとしたものばかりで仕事をしているから、いざという時応用できないのだ。直すことばかり気を使って、直すのは人任せ。ただ監視管理することばかりに長ける輩がのさばる。自ら直せてこそ、粋の一歩手前である。不自由さの中に、しぶとさを見出すのが力である。

 ガスコンロは素晴らしい。私はすぐこれになれるだろう。でも、外に出れば小型ストーブのみで用を足す。炭火の発光に酔いしれる夜をいつも心に持っていたい。そういう炎のある人と出会いたいなと思う。かつて私は、そういう人たちの中を素通りしてきたことを、今の若い人を見ていて思うからなのだが。 Home&Photo


2003年06月13日(金) 聴講

 久々に講義を聴いた。90分を4コマ。内容はとても興味深かったのだが、90分という時間はどんな名講義であっても眠気は襲うもの。となれば、私の講義などはさらに襲ってしかるべき。わかっていたつもりだが、講義する立場にたつと90分だって短い。と、いうことで、いろいろ考えさせられたわけだが、あと一月で前期はほぼ終了である。時はあまりに短い。
 と同時に、昔得た知識というのが以下にうろ覚えだったかと。新しいことは常に学ばなければならないが、その辺から離れてしまっているのも確かなわけで。煩雑な事柄を整理して、優先順位をつけていかねばならないなと。

 空き時間には講師の先生とお話。お互い道を踏み外していますなとしきりだが、学校で選んだコースなどというものは、専門性が高いようで入門初歩に過ぎない。外しているようでけっこうその縁を歩いているもの。そんな話題ができるのも楽しいなと思う。私はどうも、外部の人と話をするのが楽しいようだ。

 といいつつ、授業の評価は余りよくない。難解であるようだ。以前それをやっていた先生からは、そういうものだと慰められてはいる。確かに、そうなのだが、そう入っていられないのも確かなのである。彼らにとってどこまでが必要なのか、そこを見極めて思い切って肉を削がなくてはならないと思う。それを考える時間が足りないのが厳しいところであるが。 Home&Photo


2003年06月12日(木) 骨壷

 予算が無いというのは侘しいものである。私は公私の区別がないほうで、自分にはケチだが他ではそれなりに気前がいい。例え仕事上であっても、微銭であれば払って先へ進みたいと思うのだが、基本的にそれはNGである。

 今回の急な出費は、「骨壷」である。採血やもろもろで使う犬が、犬同士の喧嘩で死んでしまった。その骨を入れる壷が無いのである。あるもので済ますといいながら、誰もそのあるものを探そうともしない。みんな動物の死に無頓着になっている。農学系や動物に関わる仕事をしてきた人なら、それらが死ぬこと、人のために死んでいくことを知っている。しかし、無関心でいてよいかといえばそうではない。内心ではともかく、生き物の命に関心のある学生のために、何らかの手順を踏まえなければならない。ダンボールで済ませられるものではなかろう。

 いつまでたっても動き出さないので、近所のホームセンターで手頃な板の切れ端をただで貰ってきて、粗末な木箱を作った。切れ端なので寸法が微妙に合わず、隙間だらけなのだが、ダンボールよりはいいだろう。釘を打つのもけっこう大変で、家を建てるなんてのは安易にいえることではないと反省しつつ・・・・。

 そんなわけで、誰もが忘れていた壷を作ってみたわけだが、慰霊の日程はいまだ不明である。馬牛兎羊、冷めているほかの誰よりも多くの動物を殺してきた最も冷めている私が、一番冷めていないように見えてしまうのはやはり問題だと思う。 Home&Photo


2003年06月11日(水) 集合写真

 学生さんたちの名前がわからないので、集合写真をとってみた。それに名前を記入してもらって覚えてみようという算段である。
 私は人の名前を覚えられない。これは人間社会を生きる上で、はなはだ損である。人付き合いが苦手な人は、名前を覚えるのも覚えてもらうのも苦手だと思う。名前のわからない人に話し掛けるのは、気が引けるものだ。

 とりあえずと思って、全員揃っていなかったが撮ってみた。デジカメはピントを合わせるのが難しい。念のため絞って撮ろうとするが、合わせ方がわからず。印刷してみるとけっこうボケてしまった。次のクラスはかなりいい出来。なかなか好評である。
 よくよく話を聞くと、全員が揃って撮った写真というのは無いそうである。大学であればクラスという概念すらないようなものだからわかるが、ほとんど高校の延長でもある専門学校でそんなものが無いなんてちょっと以外だった。聞けば女のクラス。けっこう派閥のようなものもあるようで。ま、どこの集団でもそんなものさね。

 けれど、元気な若い子がにこやかに映っているというのはいいもので。みんな笑顔が素敵。私がこの頃にこのような写真を撮っていたら、一人外れて引きつっていたことだろう。そう思うと、あの頃周りにいた人たちも、今時分が見ている子たちのように、何の変哲も無い普通の人たちばかりだったのになと思う。私が変だったのだ。

 そんな中にもやはり馴染めない子がいるわけで、私はそういうこの方が気になる。授業という面では難解さがたたって不評であるのだが、その他を含めて学ばせてもらっている。本当に、先生役というのは勉強になることばかりだ。
 それに比べて、会議のくだらなさ、効率の悪さのなんとしたことよ。学生獲得は確かに大事だが、今ここにいる学生のことが後回しになっていること、きっと気がついていてもそうせざるを得ない現状は、危機だと思える。亭いっぱいの新入りはさらになおざりになっているのだが。 Home&Photo


2003年06月10日(火) ラヂオデイズ

 ラジオを聴いている。

 通勤時間帯はラジオを聴きながら、ということになる。今時カセットテープのみの私はFM専門である。札幌にはローカルの局もあって、退屈せずにすむ。
 そんな中、ふと思い立ってAMなぞにしてみる。音楽にも飽きてきた。で、耳障りが良かったのが、NHKである。ニュースも詳しいし、会談も面白い。中島誠之助氏なんかが普通に話してたり。ラジオといえば音楽という固定観念に囚われていたが、思い切り新鮮だった。
 倉本聡氏は「北の国から」を一生書きつづけたいといっている。実際書くのではないかと思うが、ラジオドラマを想定しているようだ。キャラクターのイメージが十分出来上がっているから、シナリオだけでも十分読み応えがありそう、というか、シナリオ文学こそのアジがあるのだが、ラジオドラマというのも悪くないかもしれない。数時間の超大作も良いが、30分くらいの連続で、暗い部屋の中で聴くのも素敵。

 聞きにくい深夜ラジオを聴いた頃、ジェットストリームを録音していた頃、菊地桃子のアイドルものを聞いていた頃、ラジオドラマを聞いていた頃。それぞれごく短期間だが、温かく懐かしい。すぐにテレビをつけてしまう私だが、音の向こうの世界に囚われるのって素敵。車というのはそういう意味でも好きな環境である。

 そういえば、好きな映画に「ラヂオの時間」「ラジオデイズ」が挙がったりするなぁ。 Home&Photo


2003年06月04日(水) 潮時

 もう限界と思っている家庭教師のバイト。そう思いつつ,、実際いっしょにやる数学の問題も解けないのだが、それでも続いているのは子供との関係がうまく続いているからだろう。人間関係下手すぎ人間な私にしては稀有な例である。

 思えばこのバイトをはじめて4年を越えている。家庭教師としては異例の長さだろう。1年で十数万円頂いている計算になるから、数十万は頂いている。それだけの仕事をしているかといわれると、頭が下がってしまう。少なくとも今はしていない。前々から思っているが、潮時なのだろう。

 といいつつ続けているのは、私が子供にとって勉強面以外の面でも少しは役に立っているからかもしれない。彼は勉強が出来る。選ばなければ国立医学部は堅いだろう。でも、実は歴史をやりたいと思っている。それがどれだけ大変なことかもわかっている。その石がどれほど堅いのか、計りかねている。
 きっと彼は医者になるのだろう。それは悪くない。医者という資格は、いろんなことができるものだ。医師としてでもそれ以外ででも。

 私が今付き合う人々は、ほとんどが年下だ。彼らが何を夢見て、何をしていいかわからなくて、目標を立てているのが自分ではないことに気がついて、元気に、悩みつつ頑張っている。そんな時代が自分にあったのだろうかと、彼らを見ながらいつも思いつめる。

 同僚は、「学生のため」と言い切る。確かにそうだ。でも、そういいきれる自分に核があるのかといつも思ってしまう。そんなものが必ずしも必要じゃないとわかっていても、やっぱりそう思う自分がいる。

 人と接することはやはり避けられないのだろう。私が田舎に行きたいと願うのは、そういう形がそこにあるからだと思っているからだと、そう思っているのだが。 Home&Photo


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