私季彩々
DiaryINDEXpastwill


2003年04月30日(水) ワルファリンと とある自殺

 昨日、タイヤを置きに実家へ戻った。帰ったからといって、特別何を言うわけでもない。

 脳梗塞を患った父は、ワルファリンという強い抗血液凝固剤を飲んでいる。普通の人の4倍量を飲んでいるだけに副作用を心配しているが、医師からは満足のいく答えが聞けないと心配している。昔、殺鼠剤として使われていたと話したら、余計な心配を増やしてしまった。副交感神経抑制と聞いたような気もしたが、抗AchE阻害薬と混同していたようだ。
 ビタミンK阻害がワルファリンの薬効なので、ビタミンKの含まれる食品をリストアップして注意している。納豆が代表的だが、ほうれん草などの葉菜類もかなり多いものになるようだ。そうすると野菜不足になってしまいそうでむしろ怖い。
 2,3年前に、乳幼児の出血が止まらなく、医師の目前で死んでしまったことがあった。けっこう当時叩かれたのだが、原因はビタミンK欠乏だった。ビタミンKは血液凝固系で重要な因子の一つだが、これは腸内細菌が作るので、普通は不足しない。乳児の特殊な事例ではあった。
 だから、大人がビタミンK摂取にあまり気を使っても仕方ないように思えるのだが。確かに教科書的には一時的に過剰なK摂取は避けたほうが良いだろうが、それに伴って野菜や繊維不足になっては元も子もない。と思ったので、そんな風に答えておいた。高脂血症のおまけ付きになってはしゃれにならない。

 今日は庭の長ネギと韮の若芽を貰う。プランターには余る感じだが、押し付けられた。
 ふとした会話の中で、同期の女性が自殺した話が出た。ほとんど接点は無かったが、小学校の時から目立つ、社長令嬢ではあった。小学校の卒業式で、何故かクラスでオフコースの「サヨナラ」を合唱したのだが、彼女の発案でだれも止められなかった。どう考えても詞の内容が合っていないのだが、有無を言わさない雰囲気があった。詳しいことはわからないが、その延長で何かにぶつかったのだと思う。
 「せっかく生まれたのに・・・・」、と母が呟く。親孝行はろくに出来ていないが、せめて母より長く生きようと思う。

 多分1年ぶりに車を拭いた。帰り道の支笏湖では雨が雪に変わった。まだ、春と冬は背中合わせに同居している。動き回ってみると、なかなか贅沢な季節なのではと思ってみたりした。 Home&Photo


2003年04月29日(火) 携帯電話もたされる

 「一番安いコースを」「仕方なく持たされる」「ほとんど使わない」「・・・・・」張り合いのない客相手に店員も気合が削がれたことだろう。

 嫌で嫌でたまらなかった携帯電話を持つことになった。「不便です。」の一言。仕事上のことで持たざるを得ないのだが、なんともあっさり、長年の信念が曲がってしまうものである。

 携帯電話が一般的になってかなりになるが、人を直接補足する道具に私は生理的な拒否反応があった。固定電話すら持たない若者が増え、信じられない通話料を平気で払い、しかも掛ける私も同等の料金を負担されるばかばかしさ。その便利さをありがたく思わないものにとっては、無用の負担である。
 街中でならまだいいが、キャンプ場や山中まで鳴り響く着信音に会話。無粋の一言で済ませられないほど普及してしまった。それで助かった人も確かに知っているから、所詮道具は使い方なのもわかる。
 と、精神的な理由を並べたが、大きな理由の一つは貧しさゆえである。月4000円もの負担増を平気で当然と考える様が私には理解できない。

 とはいいつつ、持ってしまったものは仕方がない。自分の番号すらわからず、有り余る機能は説明書の厚さに辟易して放棄、5分で200円の料金請求に驚き、文字入力の難解さに世の人々の優秀さを再認識させられる。かつて、マニュアルが厚くて多機能なほど喜んだ私もおちたものである。本体無料で貰ったのに、こんな多機能でびっくり。カメラはすでに11万画素もあり、私の常用である25万画素に近い。でも、多分使わない。いろいろいじっている間にバッテリー切れでお亡くなり。るるる。

 今月は定期的にはらわなくてはならないお金が一気に増える。携帯代もしかり、今まで30分歩いて只で停めていた駐車場も近場に借りて12000円もかかる。ガスの契約も必要。そう考えると、どれだけ節約を心がけたのかしみじみ。一般的に普通に暮らすということは、ランニングコストもまた増えるということで、消費万歳ということでもあるのかな。分子が増えても分母も増える。お金のことだけ見ても、豊かさとは何かを考えさせられる。

 ちなみに、携帯には2人しか登録されていない。長年の音信不通がたたっているし、固定電話で苦情のない今までの人々に教える気もないので。となると、ちょと寂しい気もしてくるのが、私も人の子であるというところ。 Home&Photo


2003年04月27日(日) 土いじり初日

※5月4日午後、札幌or近郊にて「お花見(飲み)」を予定しております。
 老若男女お暇だったら是非ご連絡を。さらさらしたものですので、お気軽に。

-----------------------------------------
 久々にバルコニーに出てみる。この部屋のバルコニーは奥行きが2mほどあり、かなり広い。昨年からほったらかしにしてある98円プランターが11個もある。表面はうっすらと苔むし、雑草が賑やかだ。

 そんな中、イチゴは元気に葉を伸ばしている。彼らは多年草なんだなぁと、その生命力に惚れ惚れ。いつか庭を持ったら、イチゴ畑を作ろう。他のプランターにもイチゴらしきものが見られるのだが、種でも散らばったかなと。雑草である可能性も高いが、とりあえず様子を見てみよう。
 他にも昨年全然増えなかったミツバらしきものが芽を出していたり、こういった山菜は思いのほか早いようだ。GW中のささやかな楽しみとして、今年も農園はやってみよう。でも、メロンは止め。

 土を掘り返すと、とてもたくさんの根が張り巡らされている。昨年の貧栄養状態を頑張りぬいた証拠だろう。このような状態でよいのかと思いつつ、多分そのまま。
 スコップで穿り返すと、土の香りがとても気持ち良い。幌加内のお友達がくださる「そばもやし」用の分をあけて、さてさて、今年は何を植えましょうかね。 Home&Photo


2003年04月25日(金) ドッグトレーニングって?

 何故かわからないが、ドッグトレーニングなるものを受け持つことになった。当初から随分路線変更を強いられたが、ここまで来るとお笑いである。ドッグトレーニングって何じゃ?
 「アジリティ」というものらしいのだが、要はドッグショーなどで華麗に飛んだり跳ねたりするあれである。それを究極に、一般的な家庭件のしつけやら、介助犬の育成やらを目指すということだ。あくまでも目指すということで、とても一人前になれるというわけでもなく、あくまでも導入である。

 私は動物関係や自然関係に関わって働きたいと常々考えてきたが、それで飯を食っていけるとは少しも考えなかった。畜産とか酪農ならば可能でもあろうが、観光牧場だとか犬猫の飼育とか、ましてやトレーナーなどで食っていけるわけもない。
 そう考えると、ここに集った学生というのは何を考えてるのか、というのが正直なところ。年寄りから見れば、「あんた本当にそれでいいの?」である。
 しかし、私の失敗の経験から思えば、やりたいと思ったことはやった方がいいし、20歳前の経験など失敗も成功もない。堅実路線はいつでもできるし、世の中多少の回り道には寛容になっている。給料だとか経歴だとかを考えずに一途にやってやろうじゃないかという心気は立派だ。うん、尊敬できる。

 ということで、私から彼らにドッグトレーニングで教えられることは一切ないが、彼らの現時点での初心を尊敬して、サポートすることにしよう。この仕事、面白いかどうかはそこにあるのだろうから。 Home&Photo


2003年04月23日(水) そばの芽

 先日買ったそばの芽を食した。近所のスーパーで98円。明らかに野菜不足な私は手頃で手のかからない食材が欲しいところだったので試してみた。
 見かけはかいわれ大根のようだが、そばと同じでワサビだれで食せるとのこと。食べてみるとしっかりそばの香りと味がして、びっくり。これは面白い。
 というわけで、数年ぶりの新しい食材なのだが、果たして一般的に普及しているのだろうか。私の食生活のためにもメジャーになって欲しいなと、祈る次第である。 Home&Photo


2003年04月21日(月) 冬戻り

 朝、みぞれ模様。車窓からはうっすらと水っぽい雪が地面を覆う線路沿いが見られ、高校生が自転車で走り抜けていた。一瞬私の乗る汽車は特急を追い抜いたが、すぐに抜かれていったことに一人の高校生が気付いてはしゃいでいた。
 街路樹元の土にはチューリップかスズランの緑のとがった葉がちらほら。その部分をスコップで整地している人がいた。その横を通り過ぎると、一瞬土の香りが強く漂う。

 3日前に引き続き、二回目の水族館は、十分堪能、しすぎたくらいで早々に切り上げる。思い出のオオカミ魚は相変わらず無表情に口をあけ、ソイと一緒にあの頃から時を止めたよう。懐かしがってばかりもいられないくらい時が過ぎた。同じ演題のオットセイショーも2度となると飽きも来て、さっさとバスに戻る。一番興味があったのが、北の絶滅危惧種であるトゲウオやキタサンショウオであった。

 間延びした会議を終えて帰宅は夜遅く。最近は4時頃に猫が暴れだすが、わりと早く寝るので寝不足ということもない。定時的な生活というのは久々なのだが、何とかやっている。様々な思いを抱えつつ、足の速い列車に乗っていることを実感する。最近まで荷車を引いているような生活を送っていたなんて、不思議なものである。 Home&Photo


2003年04月18日(金) ニセコにて。

 朝、NHKの天気予報で、今日は「穀雨」とのこと。素敵な暦の言葉を教えてもらった。

 ニセコへ行き、尻別川を下るラフティングをやってみた。泳げない私は水が苦手だが、ライフジャケットを着ればさして不安はなかった。
 雪解け水で増水した川は条件が良いらしく、コンディションは最高とのこと。いきなりかなりのしぶきがあたったが、濡れてしまえばあとは気にならないというものだ。
 川岸にはまだまだ多くの雪が残り、背景には羊蹄山が大きく鎮座して見事。北海道に富士山はないが、円錐形のマッカリヌプリはこの地域の顔である。瀬では波頭が折り重なるが、ゴムボートは安定感抜群でもっと激しさが欲しいくらいだった。川も面白いですな。ちと高いけれど。
 羊蹄山麓はジャガイモやアスパラなどの大規模畑作地帯だが、その多くはまだまだ雪の下だった。所々は融雪剤を撒いたようで土が現れて、整然と並んだ緑の背の低い草が美しい。たぶん秋撒き小麦の芽ではないかという噂。雪の下でしっかり生きていた姿が白茶の風景の中で力強い。
 泊まりはペンション街の一角。典型的なログハウスが立ち並び、セルフビルド派な私には一軒一軒が興味深いのだが、没個性的でもある。このようなスタイルはどうやら私の趣味には合わないようだ。夜オーナーやその奥さんと少し話をしたが、オーナーは少々個性的であくが強く、同行の人に絡んでしまっていた。適当にお酒を頂いて撤収。
 仕事とはいえ、ボートに乗ってペンション泊まりというのは悪くない。こういう楽しみ方もある。同僚よりもオーナーや、観光牧場の方とかと話しこんでしまう私は、基本的にはアウトサイダーだなぁと思いつつ。

 次の日、雪の中にヤチブキを見つけた。正式名称はエゾノリュウキンカ。関心を持って眺めた人はほとんどいなかった。少々寂しいが、私も成長したのだろう。 Home&Photo


2003年04月14日(月) 動物園にて。

 久々に動物園に行った。何年ぶりだろうか。
 小一時間ほど一緒に回ってくれた園長先生は、話し方も朴訥で、長年の経験が素敵に熟成されていた。札幌の円山動物園は全国的にもかなり古い施設になるそうだ。50年を越えている。こういった施設はなかなか新しいものに建てかえることもできないから、開園の新しい施設の方が斬新になる。飼育、展示方法は昔ながらのコンクリートに二重柵で、郷愁を誘う。

 いろいろな動物がもちろんいたが、私がもっとも惹かれたのはヘビである。北海道には4種類しか在来のヘビはいないとのことで、マムシ以外は皆無毒とのこと。ヘビの抜け殻を幾つか拾ったことがあるが、あまり意識したことはなかった。青大将などそこらじゅうにいるようだが、恥ずかしながら一度も観た記憶がない。色もいろいろとのことだが、展示されているものは典型的な深い青緑。美しいの一言である。
 瀬戸内の小さな地域で、白いアルビノの青大将が群れてすんでいる地域があると読んだ。畑正憲氏のルポだったが、当時ですでに縮小しているとのことで、劣性遺伝のアルビノは混雑であっという間に消え去る可能性が高いから、現在ではどうなっているのだろうか。鳥居構える里山の暗い一角に、ちろちろと下を出し入れする白ヘビの群れがいたら、なんとも美しいではないか。

 歩いているのは、子供連れの若い夫婦や初老の男性、おば様たちの連れ立った一行。どんな活動でも、参加するおじさんはほとんどが単独で、おば様は連れ立ってくるそうだが、ここでもそういう様子。平日でまだ寒い季節だから、見事に閑散としていた。

 猿山では、いも、りんご、パンをこの順で撒いていた。最も好きなのがパンというのは以外。油分のあるものが好きだという。人間らしい。それと、ここ数年で、猿にはボスというものはいないというのが常識になっているとのことだった。ことに動物園のように餌に恵まれた環境では争う必要もなく、野生の環境でも餌が密集してある環境は少ないから、争う必要はないそうである。もちろん強弱はあるが、組み敷くようなものではないそうで、ボスだけが子供を残せるというハーレムもないそうだ。むしろ人が半端に餌付けをして、人社会のような集団を作り出すと、争いが生じ、ボスのように見える猿を作り出したということになる。猿山のボスは、人の作り出した人の鏡である。

 最近の自然への関心は高く、持続しているので、飼育員などになりたいという人はかなりいる。実際なれる人は少なく、人の移動も非常に少ないので、かなり運が必要になる。だが公立の動物園では高卒の人しか採用しない。あくまでも現業員であり、学歴は必要ないというのである。それも、このところの就職難で、高校生向けの職域に大卒が入ってきたことへの対抗でもあるのだが、逆差別になっているという園長のお言葉。私も切にそう思う。動物園で働きたいと、それ向けの勉強をした人が逆に門前払いなんておかしい。

 せっかくだからとカメラを持参したのだが、見事に電池が切れていた。はは。 Home&Photo


2003年04月13日(日) 遠くの人命より、ハンムラビ法典より、理不尽な同僚女の言葉

 イラク戦争で、バグダッドの博物館から世界遺産級の遺物がほとんど盗まれたそうだ。かの有名なハンムラビ法典の石碑も行方不明とのことである。
 今回の戦争でも多くの市民が死んだ。その犠牲と大義を天秤に掛けるのが戦争なのだろう。爆弾を浴びる市民には何があっても反対だろう。命は重いものだ。
 けれど、世界史大好きな私にとって、メソポタミアの遺産が失われる、その事実の方が遥かに切迫したものに思えてしまう。ハンムラビ法典の石碑を失うに値する戦争などあるのだろうかと思ってしまう。イラク人の命よりも、私には身近だ。愛する人が隣にいて、空爆の危険があるとすれば、例え日本の国宝であろうと捨て去るだろうけれど、遠くの戦争では物に思いを馳せている私。そこに矛盾はあるが、大勢というマジョリティーの中で、私は戦争というものをどう表しているのだろうか。結果が反対ならばそれでいいのだろうか。

 そんなニュースをみながら、私は随分落ち込んでいる。私事でなかなか難しい人と付き合っている。前日夜に「まかせます」と一任された仕事にケチをつけられて。もっと早く言えよと柔らかく言ったら100倍の言葉が返ってきた。私にとってはその方が大事だ。ふにに。
 いっしょに働いてくれた猫に特別に魚をあげたが食べないや。あぁさみし。かなり久々に発泡酒を買って飲んでみたり。ちょと寂しいなぁと思っていると、仲の良い友達はNHKローカルの生放送の裏方として働いている。みんな頑張っている。でも、今日が誰かと静かに飲みたかったなぁ。

 意思の通った柔らかい言葉が必要だ。お酒に浸りつつ、明日までに熟成させておこう。 Home&Photo


2003年04月12日(土) 休日にて。

 昨年ガスコンロを貰ったのだが、今日もプロパン用のガスコンロを貰ってきた。どちらもネット上の掲示板経由。便利なものだが、いずれも使う予定がない。現在私の部屋にはガスが引かれていなかったりするし、引越しの予定も延期だし。ま、そのうち役に立つかと。置く場所ないけれど。

 せっかく車に乗ったので、図書館まで足を伸ばす。講義に必要な本をと思ったがなかなかない。で、最近亡くなった宮脇俊三氏の特集をやっていたので、それを見入る。最近の私は何故か鉄道ブームである。北海道に関する記述を選んで読みふける。こんなにも線路があったなんてと驚く。そして当時の私が全く興味がなかったということにも。
 ふと目を上げると、姿勢よく本を読む女性が。とっても知的で素敵に見えて惚れ惚れ。本を姿勢よく読むってかなり美しいと判明。春めいた昼下がりのやわい光を受けて、とても素敵。「時刻表2万キロ」を借りる。

 で、思わぬ時間を食ったが、ついでと思い馴染みの森へ。偶然師匠がいらっしゃったので、時間がないとのことだったのにお茶をご馳走になった。喫茶店のマスター(女性)と森にある池について話合っていた。どうやら池の水位を年を通じて鳥達のために維持したいのだが、その池は水利権が絡み、農業者が管理の手間や費用を惜しんでから池にしてしまうらしい。減反や後継者問題で水の需要は激減しているのだが、水の利権というものは農業を営むものにとって簡単に放棄できるものではない。そこに一介の鳥好きが鳥のためにといっても、はいそうですかとはならない。難しい問題である。放って置けばよいようなものだが、溜め池となれば管理が必要なようで。重い腰を行政が上げるかどうかなのだが、国有林道有林が入り乱れ、水利権が絡み、どこが窓口かもわからない状況である。

 ついでにもう少し足を伸ばして宮島沼に行った。春先にマガンが数万羽飛来する沼である。日没まじかにどこからともなくやってきて、沼は大騒ぎになる。意外と多くの人がいた。
 曇天の暗がりの中、逆V字を描いて飛ぶ群れ。ニルスの不思議な旅を何となく思い出す。大きな群れに小さな群れ。時には1羽のものもいる。その一羽はどんな思いで飛んでいるんだよぉ、と尋ねたくなるほど淋しい感じ。賑やかな沼のどこに下りるのか、それだけ見てみたいとちょこっと思う。まだ1万数千羽とのことだから、もう少し暖かくなった頃にまた来よう。

 帰りがけに中小屋温泉に寄る。札幌近郊では老舗だが、何となく寄れなかった温泉だ。かなり鄙びたところにあり、周囲はもちろん真っ暗である。小さな踏切を越えて辿りついた。
 小さめだがなかなか良い温泉。内湯は2つに露天風の湯船が一つ。少し黄色みがかった食塩泉だろうか。我ながら長湯。外に出るとやっぱり真っ暗だった。なんかいい感じ。一人のお風呂巡りも悪くない。

 道路からは雪が消え、早い畑には緑のものが目立つようになってきた。出不精だが鞭を打って出てみよう。素敵なものはやっぱり転がっていそうである。 Home&Photo


2003年04月11日(金) 拝啓N音様

 言葉を真摯に扱うというのは本当に難しいことです。

 コーランはムハンマドが語った言葉のみを指すもので、翻訳したものはコーランとは呼べないとのこと。神の言葉が預言者にわたり、人にわたり、翻訳され、それがどこまで真実かは私にはわかりません。

 遠くの戦争と、そこから流れる映像と、編集され、断片となったもの達から感じる自分の想い。全てを共有しているわけでもない、行間を読もうとする想いと思い上がりなのではという苦悩。見渡す目が広くなって世界が小さくなりすぎても、自ら及ぼせるものが小さすぎることに戸惑ってしまいます。目と脳だけ生き延びて、体を失ったものを永遠の命と呼ぶならば、テレビで眺めている私達はそのようなものなのでしょうか。

 結局のところ、自ら動き、手を伸ばせるところで幸せを掴むのが生き物なのではないかと想ったりします。私達はまだ、その目に見合う手や足を持っていない。頭も共有できていない。
けれど、それを持つ第一段階がテレビであり、ネットワークであり、究極的には言葉なのでしょう。決して退化しているとは想いません。

 N音様。どこかで綴られる時には、その足がかりを残してくださいね。なくても見つけますけれど。ほほ。 Home&Photo


2003年04月08日(火) 車通勤にしようかなぁ

 今日は帰りに家庭教師先へ行く予定だったので、車通勤にした。
 私は貧乏性がたたったこともあり、2km離れた無料の駐車場に車を置いている。こうすると出不精になること請け合いであるが、実際都心に住んでいるとわざわざ車を動かすほどなくても用が足りる。自転車の籠的暮らしが等身大だ。もっとも、休みもぐうたらしがちなのだが・・・。
 駐車場までの30分の徒歩はまぁ折込済みだが、職場までは約1時間である。意外と車の流れはよく、ストレスも感じなかった。元々車の運転は好きだし、流れるラジオも好感が持てる。

 夕方からだらだらと的を得ない会議が続き、3時間以上かかったため、予定はキャンセルになる。貴重な手作りの夕食を無駄にしてしまったことが申し訳ない。
 雰囲気的にまだ職場の地位を確立していないので周囲に合わせているのだが、多分だらだらと間延びした仕事をしているようにも見える。仕事量は多いが、11時まで残ることもないだろう。軌道に乗ったら早く帰ろうと思う。軌道に乗るかどうかを大いに心配されているのだが。

 帰りも車で1時間。列車の通勤も悪くないのだが、難なのは途中で買い物をしづらいことである。お風呂は私の場合、完全に銭湯・温泉頼みになっているので、車で帰りがけに寄れるのはとてもありがたい。週に一回家庭教師があることを考えると、車通勤は考えるべきかもしれないなと。このバイトも続けるべきか迷っているのだが。

 そう思うと引越しのことは消え去ったようにも思えるが、それもまだ考えている優柔不断。さてさて。ま、引っ越すのは貸間ではなく、本格的な庭付きのところが見つかればの話だろう。 Home&Photo


2003年04月06日(日) 春一番と。

 昨年”なってぃ”さんから貰ったハーブのポットをベランダに出す。猫が穿り返したし、水遣りも不足していたから、復活は難しいかもしれないけれど。でも多年草ってかなり丈夫だから、密かに期待。

 久々にベランダに出る。雪をかぶっていたプランターもすっかり顔を出している。昨年のまま、枯れた茎たちが残っていて、土もくたびれたようになっている。本来は黒いビニル袋に入れて土を日に当てるべきらしいが、ずぼらな私がそんなことをするだろうかと。とりあえず腐葉土と肥料を買って加えようとは思う。
 イチゴは冬を越すと聞いていたが、緑の葉をつけて生きてる様子がある。けっこう感激。竜胆のポットからも若い葉が出ている。一切手入れもしないのにたいした連中だ。さすが、高山系の植物はおつよい。

 西から東へとかなり強い風が吹いた。春一番かなとも思う。思いの他しがらみが残っていて、我ながら世間の狭さに驚いていしまうのだが、今更何を言っても仕方がなさそう。風は強く、空気に淀んでいるひまはない。悩んでいるヒマがあったら出歩いてみることにしましょう。水をあげることを忘れずに。

 そういえば、テレビの「鉄腕DASH」でのDASH村で村民をしていた「清」が村を出ることになった。3年間ってもうそんなに経っていたのだろうか。小さいとはいえ一つの村を作るというのはとても貴重な経験だろうし、だからこそ新しく旅立たねばならないのだと思う。彼の調子は確かにトロく、取っ掛かりの魅力も乏しそうだが、だからこそとても番組に合っていた。特別な人物紹介なども一切なく、去るにあたっても一切なし。そういうものだろうし、そういうものだった。学ぶだけでは居続ける事が出来ない。そうして人は世界を広げてきたのだろう。
 春はそういう季節でもある。 Home&Photo


2003年04月04日(金) 車窓絵の生死

 昨日連絡が入った叔父のお通夜に帰省した。

 いつもなら車で2時間半かけて帰るのだが、汽車通勤を始めたこともあり、その楽さを再認識しているため、汽車にした(北海道人は列車を汽車という)。値段は特急往復の格安キップで3650円。ガソリン代なら1500円というところだからまぁ高いのだが、車窓を見ながらというのは悪くない。
 千歳の街を抜けると湿原と疎な林が続き、遠くにウトナイ湖の姿を見ながら水の気配を感じる。まだまだ雪景色だ。所々に見られた牧場や廃車の山も、地盤が悪くなるにつれて消えていく。春になれば湿原には緑が萌えて、蛇行する細い川があらわれて一面が滴るように潤う。この光景は車窓から眺めるのが一番なのではないだろうか。

 少々早く着いてしまったので、久々に街を眺め歩く。中心街の寂れようはすさまじく、活気のある店はほとんどない。記憶にある本屋も、おもちゃ屋も、スポーツ用品店も、面影だけを残して暗い。選挙事務所とポスターだけがやけに賑やかで、虚しい。
 駅前の中心街を越えると、遠くに100円ショップの看板が見えて、大きなスーパーとドラックストアがある。ほとんどの買い物客はここに来るらしい。小さいとはいえ1万人の人口があれば、そこそこの購買力はあるから、大きなお店も存在する。その分昔ながらの焦点は消え去るわけで、この規模の街が一番顕著だと思う。

 お通夜は滞りなく進んだ。寝たきり15年、そして危篤状態が10日続いたわけで、みんな心の準備は出来ていた。
 小一時間のお経を読んだ。漢文を日本語に直したものを読み上げていたので、字面を追いながら。わからない内容がほとんどだが、興味深い言葉も多かった。少し勉強してみたいと思う。死者に送る言葉としてはどうかとも思ったが、生死は一体で超越すべきものということらしい。
 集った人は100人ほどだろうか。多かったのか少なかったのかはよくわからない。故人の略歴は重く、大正生まれで満州から東南アジアへの転戦を経て帰国し、この小さな町で生きた。否応なく昭和初期を越えて生まれた人々は戦争を経験している。あの穏やかそうな方々が、そんな経験をしている。それはとても貴重なのではないかと思う。

 少しだけ親戚の方々と話をする。疎遠だったことは否めず、あまり話の種もないのだが、私はこういう席が好きである。あまり身の上話をできる状態ではないのだが、死に際してこれだけの人が集うというのはすごいなと思う。私が今死んだらと思うと。

 帰りの車窓は真っ暗で何も見えなかった。車内は明るく、窓に映るのは斜め向かいの女性の組んだ脚。規則的に流れる街灯と、その脚のふくよかさが交差して、夜の鈍行列車は闇を切り裂く。誰も乗らない無人駅を通過していく。死者すらも寄らないようなこの駅を見る窓に、生の象徴のようにある。携帯電話の音が鳴って、その脚が組みなおされる。
 そして、街の明かりが増えて、看板も賑やかになり、その姿は消えた。そんなものを見なくても人は存在している。

 故人は85歳だった。葬儀場で見た昔世話になったおじさんたちはみんな明らかに老けた。子供だった連中は若者になった。私を見送りに外に出た両親は、小さかった。 Home&Photo


とんと |MAILHomePageBBS

My追加