私季彩々
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2003年03月31日(月) ある春

 油の足りなくなった自転車が、軋むチェーンの音を響かせて通り過ぎる。

 それでも走り出せば季節は動く。心はいろいろでも、纏う衣服は軽くなる。多くの人にとって新鮮な軽い気持ちをおすそ分けしてもらい、不安に立ち向かおう。そう思う。

 3月はおわり、4月。桜は遠くにある。この地では、踏みしめる土からにじむ水と香りが、その象徴である。

 そういう春である。 Home&Photo


2003年03月30日(日) 安定とは。

 3月も終わりが近づいたが、昨日は湿った雪がちらほら降っていた。昼頃から本格的に降りだして、初春というより初冬の雰囲気。あ、初春って新年のことか。季語って難しい。今日もまだ寒い。

 安定にはいろんな形があるだろう。居心地がよければ素敵だが、マンネリと感じれば苦痛。守るべきものがあれば頑張れるが、自分に何もないとわかれば探し求めてまたフラフラと。そもそも安定なんて頑張るものではなく、変わりつづけることに対する安心感なんだろうな。それを変わらない絶対的な安心だと思い込んでいたのが私なのかもしれない。そんなものはない。変わらないことに呆然としたのは、安住と思った空間はただの空間で、空間が私を変えてくれるものではなく、結局変わらない自分が続くだけで、それなら辞めたと環境のせいにしていたように思える。

 もしかしたら今回もそうなのかもしれない。幾つかの嘘を並べて、結局それを取り返せなかったこれまでとの違いは、そこにそれがないことかと思う。
 列車に乗り込むたびに心が揺れる。後悔がないとはいえない。ないわけがない。それでも動き出した列車に乗らないわけには行かないのだ。

 未だに何がしたいのかわからないが、いくつか口にしたことには近づいているはずだ。その一方で捨ててしまったこともある。ある意味では、キャリアというものの多くを捨ててしまうことになる。裸一貫で生きる力を私は磨いてきたか。

 つまらない嘘の代償は大きかった。それがさほど影響を与えていなかったことを聞くと、私一人で相撲を取っていたんだなとしみじみ思う。そのことで苦しむのはもうよそう。
 昨年度末も状況は似ていたが、結局不安定な安定に慣れ親しんでしまっていた。今年は安定な不安定にとにかく区切りをつけた。

 ここしばらく季節を書くことから離れてしまったようだ。書くものが内向的なことばかりになっている。どうころぶにしろ、季節を愛でる目だけは失いたくないもの。育みたいものである。というか、私の望みはそれだけなのだと思っている。 Home&Photo


2003年03月27日(木) 弁当作り

 朝6時に起きる生活は高校以来だろうか。いや、一時期は朝5時出勤という時期もあった。あの頃はなかなか寝付けなくて、ほとんど徹夜で出かけることもあった。早起き自体は嫌ではないが、不規則なのが辛かった。夜更かしはいくらでもできるから、体というのは勝手である。

 これからはこの時間に起きることになりそうだ。新しい職場は食堂のようなものもなく、どうやら近所のローソンがメインとなりそうだ。ここしばらくは不規則な勤務状態が続き、昼はずらして一人で食堂や外食ということが多かったのだが、職場の人間関係上一緒に食べたほうが良さそうだし、何より食べないと体が持たなさそうである。それよりも何よりも、食べる機会を作って太ったほうが良い。並では太らないのが私だから、やはり食事を抜くのは良くないだろう。少数回多量の方が太るというけれど。

 でも、毎度コンビニ弁当というのも。嫌じゃないが、毎日となると高くつく。店も一軒だし。で、柄にもなく弁当作りに挑戦してみた。卵焼きにしようと思ったが、崩れたのでスクランブルエッグに。余ったネギと豚肉を炒めて生姜焼きに。冷凍の枝豆を添えて。結構十分である。それで満足してしまって、朝食はパンを焼いて終わりになってしまう本末転倒だが。

 午前はひたすら書類の整理とパンチで穴あけ。先輩の女性はなんか冷たく感じてしまう。うるる。

 昼食。ここには電子レンジがないことが判明。筆記用具やノートの支給もないし、職員への配慮は乏しい感じ。せっかく買ったご飯(電子レンジで炊くやつ)がだめなので、おにぎりを買う。男で弁当というのも珍しいから、今日だけですよと言っておいた。そうかもしれないが、できるだけ続けようと思う。
 ここにはとっても太った女性上司がいる。とっても明るく、体のことをネタ振りに笑いをとる。私は体のことを言われるのが嫌なので人のこともいわないのだが、「笑っていいんですよ」といわれてしまう。確かにそうなのだが、個人的にはルール違反である。うにゅ。

 正直あまり話が合わないのだが、一人おもしろい同僚がいた。札幌で畑付の部屋を借りていろいろ作っているらしい。水耕栽培にも興味があるらしく、職場の観葉植物の世話を買って出ているようだ。聞けば雪崩救助のボランティアをやっているらしく、基本的にはアウトドアな人らしい。でも札幌を離れる気はないという、典型的な都市型ナチュラリストだろうか。この方とはうまくやっていけそうだ。

 まだ何も始まっていないのだが、なんやかんやで忙しいようで、置いてかれている感じな2日目。組織の大きさにちょとついていけてないなと。ま、とにかくやるしかないのだ。4月からは本格的に、ということで。帰りの列車は少し哀愁。 Home&Photo


2003年03月26日(水) 散々騒いだ挙句・・・

  かなり久々に汽車に乗った。朝の札幌発普通列車は余裕で座れる。札幌着便は満席である。時間は40分。途中快速の通過待ちで8分の待ち時間がある。前後の徒歩時間は約30分弱。北海道としては長い通勤時間だが、以外に苦にならないかもしれない。
 新しい職場はとても大きく、スタッフも驚くほど若かった。今までいたところとは違って、高年齢が居心地のいい私には戸惑いがあった。
 ということで、初日は赤点。さてさて。一番苦手な人間関係の構築という難題だ。でも、そろそろこの問題を克服しなくてはならないだろう。歳を経れば尚更難しいのだが。
 通勤が何とか可能であること、恵庭の家賃相場が高いということ、何よりしばらくは仕事以外に雑事を抱えないこと方が良かろうと、引越しは延期しました。列車に揺られるのも、気分転換になりそうです。何にしても私には転換が必要なのだ。良い時も悪い時も。歩くことのように、列車に乗るのは悪くない。

 何故かニュースステーションに椎名林檎が出てる。ええなぁ。 Home&Photo


2003年03月25日(火) 実は贅沢もの

 1年間ほったらかしにしていた国民年金を払ってきた。16万円弱。よよよ。社会保険事務所は非常に感じが悪く、人は滅多に来ないのだろうが、誰も気付かない振りをしているよう。非常勤と思われる女の子がヒマそうにしている。最近の役所は受付と仕事場の境を無くして、訪れる人の目にふれるようにして職員に緊張感を持たせようとしていると思うのだが、ここは失格。私も元は同じ穴にいたから、頑張っているところがあるのはもちろん知っているのだけれどさ。
 役所系で最もひどいといわれるのが、教養施設である。某森のそばの会館は非常に立派な施設なのだが、正職員はころころ入れ替わる管理職で、実際知識を持っている人は非常勤の方々だ。今日はその非常勤の方がいないので、開店休業状態らしい。

 明日からぼちぼち通う職場のある町へ出向く。駅近くの無料駐車場に車を止めて歩いてみる。いろいろな店があって住みやすそうと思ったが、店の規模はもちろん札幌と比べるべくも無く、ビデオ屋なども貧弱。いえ、比べるほうが間違ってるのだけれど。田舎に行こうとしている私の中途半端さが露呈する。ま、住めば都だろう。目の前を列車が走り抜けるのが久々に新鮮。札幌でも路線のすぐそばに住んでいるが、高架のためにあまり実感が無かった。

 で、近所の不動産屋で部屋の探りを。愛する猫のためにペット可物件を探すが、あまりない。地方都市で単身者用物件というのは元々そんなに無いから当然だ。しかも猫というと尚更避けられるようで。そうか、犬のほうがいいのか。
 紹介された3件のうち2件はすでに埋まってしまい、残るは一軒。ここは猫は駄目との事だが、大家を説得するから是非という。車で15分ほどの街外れで、周囲は完全な住宅街である。そのなかにまぎれて平屋が1つ。長屋風で半分ずつ2部屋である。周囲に気を使う必要がないとのこと。部屋のつくりが少しおかしく、居間と一緒のキッチン脇に洗面所がある。12畳と9畳と2畳のロフトという変なつくりで押し入れ等はない。床はかなり冷たい。基本的に一戸建ての平屋を半分に区切ったわけだ。ボロだが屋根付駐車場あり。4万5千円。猫が飼えるならと言うことでここに決まりそうだ。

 ただ、出て行くときには全面リフォームを要求された。十数万円はかかるそうだ。これに壁等に引っ掻き傷でもつければもっと高くなる。一応私を信用してくれたのだが、肝心のわが合い猫は全く信用が無い。ということは、今のこの部屋を出るときに20万はかかるということか。ひぃ。貸間で動物を飼うというのは心底贅沢なのねぇ。 Home&Photo


2003年03月24日(月) 札幌街見聞

 私はたまに中島公園から札幌駅までを縦断して歩く。ススキノ、大通り、札幌駅と、札幌の中心街や歓楽街を突っ切っている。この何年かで一番目に付くのは、銀行の変容である。北海道拓殖銀行は今は無く、あまり北海道ではなじみの無い都市銀行は、ころころと名前を変えたり移転したりで何がなんだかわからない。幾つかの古くからあるデパート系は閉店がかなりある。札幌一極集中が極端だから、街の活気は立派なものだけれど。新陳代謝がないとこういう街は成り立たないだろう。

 狸小路は基本的には街の商店街で、雑貨店や八百屋、果物屋が僅かに残っている。老舗も多い。そんななか、靴屋の閉店セールをやっていたのでふらり立ち寄る。スーツで通勤しなくてはならないから、靴も相応のものがいるなと。でも、こういう靴は何がなにやらわからないので、結局何も買わなかった。75年の歴史に幕を閉じるということだ。
 札幌中心部にある映画館も続々と姿を消している。いつ潰れるかわからないと思っていたミニシアターはしぶとく残って、老舗の大型劇場は姿を消す。大型といっても今となってはそうではなく、札幌駅に新しく出来た大丸とステラプレイス内にシネマコンプレックスが出来たため、そのあおりを食ったというのが正直なところらしい。比較的回顧趣味な私は、なんとなく反感を持ってしまっているため、駅の新商業施設には未だに行っていない。

 思うに、札幌中心部の再開発は一段落だろう。LOFT、東急ハンズで趣味系のものは十分で、ヨドバシカメラにビックカメラで電器系もOK。大丸にステラプレイスでもう飽和だろう。コンパクトに全てがまとまっていて交通も至便。駐車場も実はかなり余裕がある。これでは一極集中も進むわけだ。秋葉原のような小さなマニアックな店を望むと少々力不足だが、買い物のしやすさを思うと東京よりもずっと洗練されていると思う。

 正直、その魅力的な都市環境をあまり活用しなかった。遊びに行くのは郊外や田舎で、車を持つとなかなか億劫になった。デートコースとして使った記憶もそんなにはない。むしろ今のほうが素直に楽しめそうだ。なんか、昔の私は今より老けていたのではないかと思う。

 そんな街ともそのうちお別れ。いざとなるとその魅力に後ろ髪を引かれる。まったく、未練がましいったらありゃしない。 Home&Photo


2003年03月23日(日) それでも日常は続く

 ここのところ天気が良い。札幌の残雪は平年に比べて多めらしいが、気温はともかく雨が降らないかららしい。それも3月の残りであらかた消えて、日陰に残るのみのいつもの4月の光景になるだろう。

 傷ついたバンパーをごまかすべくオートバックスで色を探すが、古い車のため無い。で、コンパウンドでごまかしてみようとやってみると、驚くほど効果が出た。深夜の通販番組のオーバーな驚きもわかるってものだ。

 気分が良くなったので、憩いと興奮のホームセンターへ。すっかり春モードで、おじさん達の建材を見る目や、おば様方の土を見る目が熱い。それぞれに小さな創作意欲を掻き立てる場所だ。北海道でも一番広いであろう店内を1時間以上見入る。

 その足をさらに伸ばして、その建材で家を建てる土地を探しに行く。マオイ丘陵の人気別荘地だ。石狩平野を見下ろす高台は絶景で、こんな風景を愛でられたらと。値段は300坪450万円。平地は80坪くらいで残りは林の傾斜地。やはりこの辺は高い・・・・。でも、建ててみたいのだ。気長に探そう。

 夕日の落ちかける中、長沼温泉へ。札幌近郊では源泉100%掛け流しは珍しいだろう。かなり混んでいたがのんびり長湯。引っ越したらここには何度か来ることになるだろう。けれど、約2年間風呂仲間であった友人とはなれるのが寂しい。基本的に不精な私は、一人になると何もしなくなるので来ないかもしれない。

 帰り路で気に入りのラーメン屋「銀波楼」へ寄ると激混み。そんな有名店になってしまったのかとなんか悔しい。味は変わらず好みで、塩と醤油どっちもおいしい。

 さらに米と灯油を買って帰宅。車は近くにないので、乗る機会には大きな買い物をしてしまう。あ、ついでに捨ててあった食器やビン類を拾ってみる。もうけ。多分使わないけれど。

 帰って、留守電のランプは0件。これが点滅していると、危篤の叔父が死んだ可能性が高い。これからしばらくそのことを考えながら電話をみることになる。それでも私の日常は続く。

 今日の写真(マオイ丘陵から望む石狩平野) Home&Photo


2003年03月22日(土) 引越しするとなると。

 就職予定先の給料は、思いの他安かった。もう3万円くらいは期待してたのに。お金を稼ぐってやはり大変なんだなと。

 今は札幌中心部に住んでいるのだが、ここから車で通うと通勤時間であることを考えると2時間は見といたほうが無難そうだ。すいてれば1時間強のはずだが。あまり現実的ではない。JRだと、駅間40分+徒歩30分。まぁ止むを得ないだろう。

 現実的には引っ越すことになる。ただ、今の部屋の契約が6月半ばまでだから、それまでに出ても敷金2か月分が戻らない。あまり意味がない。
 そう考えていると、現職の同僚が自宅から出て部屋を探すつもりだと聞いた。私が出た後にそのまま住んでくれれば無駄が出ない。別に住人が本人でなくても、実質的には問題がない。その間の家賃分は私の持ち出しになるが、受験生に金を出せとはいえないし、そういう出費なら大歓迎である。もともと捨てるお金だし、早期引越しのきっかけになる。
 で、ただ引っ越すのも面白くないなと。郊外の住宅地というのは、住むにはつまらないところだ。特に一人身にはメリットはない。駐車場はただだが、家賃は結構高い、というより安いものがない。みんな広すぎ。
 で、さらに隣町の物件をあたってみようかなと。「真っ暗で夜怖いですよ」というアドバイスを受けたが、望むところである。だが、借家で猫を飼えるとなると、地方では難しいと思う。
 で、この猫を彼女に押し付けて、来年中に掘っ立て小屋を建てれないかと思案。そんな資金はないのだが、ちょこっと泣きつけば可能なのではと思ってみたり。はは。

 ま、何にせよ変化があるというのは良いことだ。給料は大学を出たときとほとんど変わらなさそうで、数年間のブランクがやはり金銭的には無意味ということになったが、私に合った仕事であることを祈ろう。いろんな人に迷惑をかける今回の仕事替えだが、副産物で一人の浪人生の役には立てそうである。ほんの一月か二月分の家賃だけだけど。


 夜、実家から電話。叔父さんが危篤らしい。正直言って、数年前から寝たきりで意識もないと聞いていて、すでに死んでいるものと思っていた。いつ亡くなってもおかしくないから喪服の用意をしておくようにと。

  ・・・・・。 Home&Photo


2003年03月21日(金) 「そうですね」では済まない武力行使是非論

 パンツのゴムが伸びたのか、またまた痩せたのか、多分両方なのだろう。ゆるい。普段はベルトをするので気にならないが、帰ってパジャマ状態でいるとうざったくて仕方がない。ズボンもゆるくてさらにうざい。でも、そのまま過ごしてきたのだが、服を引っ掻き回して昔のズボンを履くとぴったりだ。単にゴムがゆるくなっただけなのだろう、というよりもう寿命。服買わなくちゃなぁ。下着も買わないと。そういう気を使ってこなかったが、これからはそうもいっていられない。

 そんな風に腰元を気にしながら、ラジオのようにNHKをつけっぱなしにしていた。ほぼ一日聞き流していると、同じ映像を使いまわし、新しい情報もないのに時間を水増しし、推測に過ぎない評論家の意見を何とか引っ張り出して時間を埋めている。少しでも新しい話題があれば、それを流して時間をつなぎ、偏った情報から考察もなしにさらに時間を引き延ばす。伝えるほうもあまりの時間の長さに大変だろうと同情してしまう。

 今回の武力行使は様々な国にとって、国とは何かを問うだろう。国という独立性がいかに危ういものか。一番率直に話したのは韓国の大統領だろう。「国益を考えてアメリカを支持する」。昨今強調される国益だが、その素直な現れがこれである。一般市民の反戦を唱える人々の素直な王道的な発現と相容れるはずもないが、その一人が国家指導者としての責任を負えば同じ発言をすることになるだろう。
 大量破壊兵器の保有国はアメリカを代表する常任理事国である。彼らは何故責められないかといえば、戦勝国であり、強国であり、ある価値観では「話せる」国だからだ。結局イラクが何故こうなったかといえば、一度負けたからであり、話のできる相手ではないというレッテルがついたからだ。査察を継続するしないは武力行使を延長するかしないかだけの話で、あのように国を独立国と扱わない状態をいつまでも放置しておくということは、その国民に対する侮辱である。イラクはどうすれば制裁から解放され、軍備を含めて国としての内政を行うことができるのかを国連は明示したのだろうか。

 日本はアメリカから離れられないのであれば、敢えて国際協調と独立国の関係論を提示して欲しかった。様々な価値観があるなかで、崩壊しかけているとはいえ未だ「国」としての単位でしか集まれないという条件があるにせよ、どのような条件であればその多様性を尊重するべきなのか。国を指導するものとして、国民の支持と同時に国際社会に対して守るべき事柄を国民に説得する義務を負うべきこと、その義務とは何かを示せる立場に日本はあると思う。

 アメリカが勝ち、中東に自由と民主主義を輸出するとして、本当にそうなれば設立するのはイスラム原理主義だろう。民主的に選挙をすればそうなるだろうし、クルドも含めて内戦が始まるだろう。もう世界に独立国を作る隙間はない。そもそも国という排他的単位は、もう血なまぐさすぎて馴染まない。アメリカが関心を失えばそうなることは目に見えている。この地域に国境線を引くことが正しかったのか。もう戻ることは出来ないのなら、アメリカに全て判断させるよりも、それを超えるスタンダードを示すべきだ。武力を否定するにはそれしかないではないか。今回はひたすらアメリカが批判されているが、査察継続の先を示さなかったフランス他の国がアメリカに敵うわけもない。武力行使を行った以上、反故にされた議論の中でその後でも残るべき力を持った言葉がどこにあっただろう。

 フセインが生きているかわからないが、フセインを殺せという本音は明らかに傲慢であるが、それを断ずる力を誰も持ち合わせない。その機会は、唯一武力行使前にあったはずなのだ。例えこの事態が起こったとしても、残るべき言葉が会ったはずだったと残念でならない。もちろん歴史が続く以上、これからでも遅くはないのだが。

 などと、パンツのゴムが締まって思うことを。だれも答えを持ち合わせてなどいない。けれど、とりあえず「そうですね・・・・」と答えてしまっているコメンテーターやゲストのように、条件反射で答えを取ってつけることもない。思うのだが、「そうですね」という受け言葉に違和感を感じるのは私だけなのだろうか。 Home&Photo


2003年03月20日(木) 辞意と温情

 最も世話になったバイト先に辞意を表明した。いろいろ話し合った。話ができるとは思っていなかった。出て行けといわれると思っていた。

 いろいろ話をした。厳しいことも言われたし、慰留もあったが、私の身の上を考えてくれて、辞意を受け入れてくれた。今後は私の長所を生かせるようにして欲しいと。ここで私はそれを生かすことが出来なかったということだ。全然気がつかなかった。欠点や落ち度を埋めることばかり考えていた。ありがたいお言葉だった。
 事実上は解雇なのだが、送別会を開いてくれるとの事。遠慮したのだが、せっかく2年間も一緒にいたのだからと。手間と迷惑ばかりかけてこの結果だったから、正直恥ずかしくて嫌なのだが、その言葉に久々に泣いてしまった。私の前に辞めた人とは喧嘩別れだった。私も同じような境遇を考えていたのだが、温かい言葉を貰って正直困惑した。

 私は今までいくつか似たような経験があり、逃げ出したこともあるが、きちんと別れればお互い慈しみ合えるものなんだと今回で初めてわかった気がする。恋人であったり師弟であったり職場であったり、始めたからにはきりのいいところまで続けるべきで、そうならなかった場合にはどうしてもうまく別れられなくなる。今回もそうなのだが、まさかの温かい言葉に目上の方々の器の大きさがわかる。寛容とはその器だろう。

 夜の河川敷は街の明かりで仄かに明るく、雪はさらに沈み込んだよう。人生で最も素敵な年代をかなり遠回りしてしまったなと思いながら、それを愛しめるようになりたいと思って歩く。一人で歩くことに気後れしないよう、やってみたいことをゆっくりしっかりやってみよう。

 この光景は3月一杯で取り合えず見納め。次は札幌郊外の街へ行くことになる。給料も身分も全くわからないままの就職になるが、まぁ私らしくていいだろう。時間がどれほど取れるかわからないが、取り合えず思い切り辺鄙なところで部屋を借りれたらと思う。難しいとは思うが。それが叶わないならば、近場に部屋を借りて、いい土地を捜し歩こう。その為に仕事も頑張ろう。愛する猫だけは責任を持って幸せに暮らさせてやろう。

 というわけで、大きな懸案が取り合えず進んだ。そうはいっても寂しがり屋なので、いつでも遊びに来てやってください。 Home&Photo


2003年03月19日(水) 始めるよりも辞めるほうが難しい

 湿った雪がしばらく降った。窓からのぞくベランダにはざらめのような雪が積もっている。溜まっている雪は50cm程度だろうか。4月に入る頃にはなくなっているだろうか。

 お世話になった専門学校から、後任の先生がみつからないから紹介して欲しいとの連絡があり、先日希望された方に今日会ってきた。大学院の博士課程の院生である。会ってみるととてもかっこいい方で、29歳とは思えない。これは女学生に人気がでるだろう。きけば、4年の会社生活の後に院に再入学したという。思い切ったことをするが気持ちはよくわかる。彼の院にはそういう学生が結構いるそうだ。実際、院に戻る雰囲気は最近は結構ありになっている。覚悟の貧しい院生生活だろうが、お金はあるに越したことはない。お役に立てれば嬉しい。

 理学部の博士課程まで行きながら、中退して道東の町で普通の公務員をしている人がいる。うちの田舎でも高学歴なのになんでこんなところに、てな人がいる。そこまで行ってしまうと転進はなかなか大変なので、公務員というケースが多い。博士課程の中退は珍しいことではないが、全く他分野となると、教室の人間関係が難しいことは確かだ。
 そこそこ頭の良い人たちで、上に上がっていくのはわけないのだが、このまま上がっていくのも違うかと思い始めて、どこに住みたいとかそういう思いが強くなると、慌てて転進を図ったりする。また逆に、一旦大学を出ると、いろんな思いから戻りたくなる。私はどっちもやってしまっているので、究極の半端なのだが、誰しもそういう思いはしているようだ。なかなか人生すんなりとは行かない。

 結局のところ、何も考えないで人生を送れるべくもなく、下手なものをぶら下げてしまうと足かせになりがちだ。思い切って自分に正直になった人というのは、すごいなと思う。エレベーターの最上階がゴールとは限らない。

 内定を頂いている先から今月中に来いと催促がきた。結局、給料とか身分とかの話をしていないので、その話をしたい旨連絡したのだが、その件のことは一切わからない。それでも決めないといけないということなのだが、それで良いものなのか少々不安。

 でも、もう3月もわずかで、本来ならすでに辞表を出してなければならないところだ。
 待遇はともかく、私の場合は仕事の内容や勤務地が大きいのだから、それで決断しなくてはならないだろう。何事も始めるよりも辞めるほうが難しい。特に私の場合は。 Home&Photo


2003年03月17日(月) 雪河原戯れし犬の跡染めて夕は彼岸を渡り落ち行く

 外は急ピッチで雪融けが進んでいる。道路沿いの雪山はまだ高いが、交差点四隅には濁った水が溢れ、わずかに開いた排水溝の穴に勢いよく吸い込まれていく。道路南側の歩道は光が差し込みにくいため、まだまだ厚い氷が張っているが、10センチを越える氷をスコップで割れるようになってきたらしく、割っているおじさんも楽しげに見える。段差が大きくなって歩きにくいのだが、それもこの季節の街の景色だろう。

 季節を通じて、豊平川の河川敷を眺めて歩いた。最も整備された区間であろうこの区域には、サイクリングコースや自動車教習所があったり、釣りに格好のちょっとした落差があったりで賑やかなところだった。大きな犬を散歩させてみたり、バーベキューをしてみたり、ヨサコイソーラン祭りの練習をしてみたり、街中の公園よりも河川敷というのは自由度が高い気がした。洪水になれば沈んでしまうのだから、それを承知でやれば多少のことはゆるされるという感じかもしれない。ただで駐車できるのにがらがらで、札幌市内ではかなりの穴場だと思う。市民は大いに利用すべき空間だ。
 まだ寒い芝生の上で、地熱を頼りに寝転がったりした。川の流れをおかずに、おにぎりを食べた。釣りに興じるおじさん連中と話をした。夜のサイクリングロードをひた走ったこともあった。どこかしらに誰かいて無関心を装う夜、人懐っこい昼。冬は一面のパノラマの中に、犬の遊び跡が点と線で表現される。飼主は大抵堤防上でその様子を眺めていた。呼ぶと名残惜しそうに登って帰ってくる。小さな犬ほどきかん気だ。

 思い起こせば、通年を歩いた場所というのは貴重なことに気付く。私の場合、歩くことが重要のようで、学び舎や職場から眺めた風景というのは、ほとんど記憶に残っていない。しがらみが多くて思い出したくないだけかとも思うけれど。
 多分、この眺めをこのように見ることももう僅かだろう。この視点は私だけのもの。

 春分の日はもうすぐだが、札幌では今日明日が昼と夜の長さが合うらしい。去年の今ごろは黄砂が吹き荒れたのだが、今年はどうだろうか。


 雪河原戯れし犬の跡染めて夕は彼岸を渡り落ち行く

 厚氷割りし人群る日陰道 春は自ら呼び寄すものぞ Home&Photo


2003年03月15日(土) 貧乏と引きこもりなら・・・

 友人と風呂に行こうと思ったら、先日車をぶつけた相手と会うことになったという。ついでに私も立ち会うことになった。相手も近所ということでわざわざ出向いてくれ、友人の部屋に案内することになった。
 その部屋は、貸間である。共同玄関便所の学生長屋。今時珍しい古い建物に、学生とはもう決していえない男が住んでいる。実際住んでいるのは、彼と年老いた管理人夫婦、他に老人が二人。それでも部屋は全て埋まっていて、倉庫代わりだったり映画同好会の部屋(実際出入りは全くないらしい)だったりする。彼の部屋は普段を知る私には綺麗なのだが、標準的にはかなり汚い。案内された相手も驚いているらしく、友人の仕事とかを尋ねていた。警備の仕事などをしていると答えていたが、明らかに同情した様子だ。

 修理費は当初の予測を超えた15万円強。ドアに傷が一本入っただけと思っていたが、ドア周囲とのバランスなどを考えて塗装するとそれくらいかかるそうだ。私だったらパテで埋めて色を塗って、色合いの違和感くらいは忘れてしまうのだが、自損だから済ませたといえる内容。相手に直してもらうとなれば修理会社に任せるだろうし。相手も決してぼったくってはいないのはわかるが、驚いた。以前フロントをへこませて、タイヤサイドまで修理した時でさえ14万だったことを考えると、高いなと思ってしまう。が、正式な見積もりなので仕方がない。払うことにした。

 修理期間5日の代車が出ないのでレンタカー代も用意しなくてはならないのだが、それは相手が良しとしてくれた。何よりこっちの誠意が伝わっていることと、このような貧乏住まいで仕事も不定期の警備員という人が相手である。同情もあるようで、それはありがたいが、そんなことも友人を傷つけていることだろう。お金は前回の修理費として友人が用意して私が預けていた形になっているお金から出すことにした。

 「金たまらないなぁ」と、一言。年収100万を優に切るのだから、たまるわけもない。で、前回と今回の出費で30万円。月の家賃が18000円なのだから、あまりに大きな出費だ。前回の支払いは私が行い、全額負担させるつもりはないといったが、ま、それは困ると言う。返してもらええるのはいいのだが、彼はその捻出を生活費を切り詰めることで行うだろう。決して新しく働こうとはしない。私は貧しいが、金銭で彼を追い込む気はない。むしろきっかけになればと思うのだが、ぎりぎりであっても生活をしてしまうし、どこかしらお金が入ってるようだ。多分ご両親の援助があるようだし、それでなければやっていけるわけもない。

 世の中いろんな暮らしをしている人がいる。フリーターと旅を繰り返している人や、演劇に生活を掛けている人や。一般的にサラリーマンをすることが全てではない。これらの人が倒れているかといえばそうではなく、突然資金もなしに立派なペンションなどを立ち上げたりしていて驚く。不安定な時期にもいろんな出会いなどで人間関係を作れば、いざ何かという時に力になるようだ。幸運な例かもしれないが、結局何とかなるものである。一人でいなければ。

 彼は特に何をするわけでもないが、人間関係となると私よりもある。いまだに大学のサークルに出入りしているからだ。私などはついつい心配してしまうのだが、最近ではそこから何か始めることもあるのかと思うこともある。想像は出来ないが、金がないのと引きこもっているのでは、金がないほうがよっぽど可能性がある。そう考えると私のほうがよっぽど危ないのかもしれない。 Home&Photo


2003年03月13日(木) 同僚復帰

 2週間強休んでいた同僚が今日復帰。甲状腺に問題があったとか。ま、ストレスもあるでしょう。正直そのまま辞めるかと思っていたが、よかったよかった。彼女もこの仕事を探すまで時間がかなりかかったというから、そんな簡単じゃないよね。でも、その横で辞めることがほぼ確定していながら黙っている私は、やっぱり不誠実ですな。本音では決断がついていないのだが、もう動き出してしまっているわけで。 Home&Photo


2003年03月12日(水) 誠意

 一つ目の辞表を出してきた。どれもこれもぎりぎりで、もう方向性は決まっているわけだが、やってる自分が信じられなかったりする。

 非常勤の講師の仕事を続けられそうもない旨を告げた。前々から言っていた事もあり承知してくれたが、この時期の講師変更はかなり厳しい。大学院関係者に当たると埋まったらしいのだが、薬学関係のこの学校では、薬学部で人材が集まらないらしい。私的には時給4000円などという仕事は破格の待遇だと思ってしまうのだが、現在景気のいい薬剤師は名義貸しでかなりの大金が入ってくるようで、この程度じゃ誰も寄り付かないそうだ。医師の出す処方箋何枚に薬剤師何名という決まりがあるそうで、名義だけでもいいし、週に一回顔を出すだけでもお金になるらしい。院生なら所属はどうとでも書ける訳で、監査の日にだけいれば事が済むようだ。大学院生というのは収入なく貧困に喘いでいるものと思っていたが、薬学部は特別らしい。ここ何年かの医薬分業の流れで起きたバブルのようだが。
 私も心当たりを当たってみることにした。農学部とかであれば、私的院生生活を送っているだろうと思う。時間割や連絡不足など、授業以外のことで随分迷惑を掛けてしまったが、3年続けただけに名残惜しい。ありがとうございました。

 夜は、昨日友人が車をぶつけてしまった相手との話し合い。私はオーナーということで話に加わった。いろいろ考えたが、事故の責任はほぼ100%こちらにあること、額は小さくてすみそうなことを併せて、お互い保険を使うメリットはなく、示談で済ませようという方針で。あとは機嫌を損ねているであろう相手に腰を低く誠意をもって対応しましょうということで。
 待ち合わせ場所に来た相手は少し怖そうな感じ。車も古いがスポーツカー系。とりあえず差し出した菓子折りを初めは断ったが、少しして受け取った。話は多少高圧的だったが、こちらが全面的に降伏していることと、保険を持ち出した場合に相手にも過失責任が行くこともわかっているようで、示談の方向でまとまった。話していくうちに人の良さが出てきて、ぼったりしないから心配するなと言ってくれた。年下の人にそういわれるのも違和感があったが、まぁ良い人でよかった。

 「そっちの誠意はわかったから」と。これは嬉しい言葉だ。これまでも誠意を踏みにじってきただけに、そういわれるのは嬉しい。失敗した時こそ人は試されるものだ。そしてまた、私はその誠意を踏みつけることになる。こんなところで帳尻が合うわけではないのだが、その言葉の重みだけは再認識させられた。 Home&Photo


2003年03月11日(火) 苦手な電話が知らせること

 私は電話が苦手である。特にここ2年ほどは留守電に頼りっぱなしで、音を切ってしまうこともある。よっぽど急ぎでない限りで、知ってる人はFAXを流すほどだ。それならばすぐ気がつく。ある意味異常だが、それで用は足りている。携帯全盛に変わった奴である。それもたたって電話が来ることも少ない。ほとんどの用件はメールで済んでいることもあるのだが、電話というのは人の時間に割り込むようで嫌だ。掛けられるよりも掛けるのが嫌なのだ。その裏返しがこういうことになっているのだと思う。

 けれど、そうはいってられないこともある。重要な連絡を頂く場合もある。そういう時に普段の扱いの悪さに反乱を起こす。留守番電話にかわるまでのコール回数が、なぜか突然12回の設定に変わっている。「0」のボタンが入力不可になって、あらゆる設定の変更や再生が出来なくなる。そもそもベルが鳴らない、などなど。それも確認をした次の日に壊れるなど、非常に不安定だ。

 で、夕方電話が鳴った。留守電チェックと思って放置する。ちゃんと動く。で、かけなおすと友人。私の車をぶつけたとの報。うにゅにゅ。
 で、気がつかないうちにもう一件入っていた。先日諦めたつもりの学校からのもので、採用を決定したとのものだった。あれ、期日は過ぎていたから諦めていたのに。夜にはメールも来て、先方の手違いで連絡が遅れたとか。
 困った。今の非常勤の仕事の継続手続きもしてしまった。何より浮かれていた熱を冷ましてしまった。さてさて、どうしたものか。

 悩みつつも家庭教師の時間もあって、予定の車は動かないわで慌てて駅へ向かう。車の修理はどうしよう。今回は相手がいる。仕事はどうしよう。辞めるとなればやらないとならないことは多い。それも大至急だ。
 家庭教師先の子供と大学受験レベルの数学問題で大苦戦。んーー、やっぱそろそろ限界なのだが、子供との関係が良いので首にはならない。人間関係ってやっぱり大事。

 で、車をぶつけやがった友人に電話してみると、宴会に出ていやがった。きー。どうやらたいした事はないらしい。

 帰って、家を出る時の慌しさでビデオ録画をすっかり忘れていたことに気づく。かなり痛くて猫に当たる。きー。

 で、どうしようかと。とりあえず条件面の話は一切していないから、その件をしてからかなと。本当は先月末には方ついている話が今月頭になり、さらに中旬を越えてしまいそう。芯がないってのはあやふやで、いろんな人に迷惑を掛けてしまう。その人たちにも初めは熱意を見せていて採用してもらったりしたわけで、何が本意かわからなくなっているのも確かなのだが。 Home&Photo


2003年03月10日(月) 謝恩会はちょとさみし

 仕事を早く切り上げさせてもらった。少々気が引けたのだが。
 今日は謝恩会があった。3年目になる専門学校の非常勤講師の仕事がらみでお呼ばれ。少し遅刻となった。

 正直、生徒は数人しか覚えていないので、何人かに声をかけられたり写真を撮られたりしたのだが良くわからなかった。何よりこの学校の生徒はおとなしく、終わった後にみんなでのみに行く様子もなく、自然に解散さようなら。おふざけも校長の胴上げのみという寂しさで。胸の大きく開いたドレスを着ていた子もいたけれど、正直浮いてるだけだったよ。私も今年は接点を持つ機会が少なかったと反省していたが、みんなもっとはめはずしていいんだよー、とか思ってみたり。2時間の予定が75分で修了という手際のよさで、酒もあっという間に底をついて、なんだかなぁって感じだった。でも、学生さんの卒業というものはいいもので。教師役のよさというのはそこに尽きるのだろう。

 拍子抜けしたし中途半端な酒も入ってしまったので、友人のところに遊びに行ってみた。全然食事も出来なかったので、どこかでラーメンでも食べに行こうとネットで検索。そのページ作成者がお勧めという旭川ラーメンの店に行ってみた。チベット海底岩塩というのを使っている塩ラーメンを注文すると、本当に塩の味のするラーメンでびっくり。私には合わなかったなー。
 で、それでも満腹しなかったので、帰りに半額になった寿司を買って帰る。ただ飯ただ酒のつもりがとんでもなく高くついてしまった。やっぱり立食パーティーなんてつまらん。それより先に人の顔と名前を覚えることの大切さを思ったり。今年は一方通行の講義に執してしまってごめんなさいね。 Home&Photo


2003年03月09日(日) 氷道の別れ

 京都大学のポスドクで、札幌を離れる後輩を見送る飲み会に顔を出した。なんだかんだいってもみんなポストを見つけていく。研究職等というものは弱肉強食でこれから特に不透明なのだが、飛び込んだ以上は後には引けない面もある。数年前からの博士100万人計画(?)だかの名残で膨れ上がった高学歴者がどうなるか、そろそろポストの問題が表面化するだろうが、確かに素晴らしい仕事ではある。評価も高いわけだから頑張って欲しい。

 ま、飲み会となれば数年来のそれで変わり映えはしない。2,3人の結婚話を軽く聞き流しながらわりと遅くまで飲んでいた。職を変わったり、かわらずバイト生活だったりしながら、なんか特別なことでもないと会う機会もないなぁといいつつ。歳をとるってそういうものなのかもしれない。無意味に会う機会は大いに減っている。艦志井かな、また友人が一人去ってしまうわけだ。増やす機会は加速度的に減っていることも確かで、大人って寂しいなと思ってしまう。そんな中しっかりと進む友人達をみてきいて、戸惑って佇む自分を隠していることも認識していたりする。

 帰りの道で少し後輩と歩く。歩きながら人と話す機会は最近あまりなかったなと思う。いつも印象に残る話は寒い氷道でだったような。酔った頭が寒風の中少し冴えた時に漏らす言葉は貴重だった。

 そして一人になって、私にもいい後輩がいたことを思い出しながら。お互い不精だから連絡もさほどとらないだろうが、ま、そういうことで。私もいつか並に落ち着いたら葉書の一枚も出しますわ。 Home&Photo


2003年03月07日(金) 書いて感じる

 日中は道路近くの雪が溶けている。歩きにくいが、排水溝があらわになって、あちらこちらで心地よい水の流れが聴こえてくるだろう。夜歩いても薄い氷の膜の下には水が潜んでいて、靴がいつも濡れてしまう。もう何年も繰り返してきたことだが、季節感を感じて過ごすというのは、感性の鈍い私にとって書くことと一体である。書くことと感じることはとっても近いことなんだと思ってみたりする。 Home&Photo


2003年03月06日(木) 結局ならなかった。

 電話は結局ならなかった。

 現場の部長レベルではうまく運んだのだが、任免権者の事務局長には受けなかったようだ。自信があっただけに残念。やっぱ髪切っておくべきだったろうなとおもいつつ、ま、それ以外にもお気に召さなかったのだろうなと。

 さて、今後の身の振り方はどうなるか全く予想つきません。もうしばらく暗い綴り物になりそうですが、ま、素直にやっていきます。ほほほ。 Home&Photo


2003年03月05日(水) 電話待ち

 会社前で高級車が往生していて、押してくれないかと頼まれた。圧雪の道路とロードヒーティングの入った駐車場の境は段差になり、雪が中途半端に溶けて柔らかくなっている。そこに後輪が嵌まり込んで動けなくなっていた。いかにも水商売のお姉ちゃんと、社長風の華奢なおじ様である。全く私と釣り合わないと住む世界の違いを感じながら押すが、いかんせん足場がアイスバーンなため力が入らない。電話で応援を頼んだようで、金髪で黒スーツ姿のお兄ちゃんが2人やってきた。あまりに想像どおりの人物構成で笑ってしまうが、ようやく脱出。

 代打出勤がかさんでいる。一向に構わないのだが、体を壊してしまった人の仕事量の多さに驚く。民間中小企業で働くって大変だ。その点では公務員って良かったなぁ。なんといっても、カヴァーする人の多さがあった。分母が大きければ、分子が多少減っても大差はない。今日も一つミスを発見される。うぬぬ。

 帰り道にある短い覆道に入った途端、歌いだしたおじさん。朗々とした合唱団風の歌声が素敵だったのだが、私が同じ区間に入ると止めてしまった。で、「変な歌聴かせちゃってすみません」と。「いえ、素敵な歌でしたよ」と答えたけれど届いたかどうかは疑問。

 今日明日にかかってくるという電話待ちで急ぎの帰宅。コール4回で留守電モードになるはずが、コール10回になっているらしく、みんな不在と思ってだれもメッセージを入れてくれなかったことが判明。これがそもそもの問題の原因だったようだ。おかげでもう3月をまわっている。念のため友人に電話をかけてもらい、着信を確認して待ったが、今日は連絡なし。ふにゅにゅ。だめかなぁ。
 明日までということなので、だめならそれまで。こういうやきもきは久々だけれど、いくつになっても嫌なものだ。 Home&Photo


2003年03月04日(火) 面接

 今日までに床屋に行っておくはずだったのだが、予定外の件が立て続けに入って行けなかった。普段行きなれない店にはなかなか入りにくいのだが、休みだったりしたし。それでも何でも行かなくてはならなかったのだが、まぁいいかと高をくくったら、案の定指摘されてしまった。面接前には身だしなみは整えるべきだと猛省。

 面接では、やけにテンションの高い事務局長と話す。とにかく元気さのある人を求むということで、外見上不健康そうな私はどう映ったか疑問。話のやり取りは悪くなかったと思うし、局長の熱意を感じて好感がかなり持てたのだが、さてどうなることやら。

 午後に時間が空いたので、真昼間から友人と銭湯へ。がらがらかと思いきや夜並に混んでいた。お年寄りばかりではなく、こんな時間に風呂に入りに来る人が多様ということは、世もいろんな人がいるということだ。

 近くにある讃岐うどんのお店にも寄る。少し前から札幌も讃岐うどんブームなのだが、そこは札幌第一号店とのことだ。小さいお店でセルフ形式だが、前に来た時は混んでいて途中で帰った。で、味等は正直新鮮味は無かった。汁はおいしかったけれど。わりと高くついたし。むむ。

 まだ明るいうちに帰宅して、そのまま寝入る。こういうことは何度やっても反省点がしきりにある。実は言いたかったことがかなりいえていない。ま、下準備は一切していなかったから、飾ってはいない本音ではあったはずで、それでよいとは思うのだが。でも、一次面接の感触が良かったから高をくくっていたと思えなくもない。

 ああ、やっぱ床屋行っとけば良かったなぁ。月曜休みって多いのねぇ。 Home&Photo


2003年03月03日(月) 近況他自伝聞

 秘密を人に話すというのは気持ちのいいものだ。それをきっかけに、久々にお酒を飲みに出かける。場所は24条の昔懐かしいお店。若い彼との話はいつもけっこう渋くなる。プライベートと仕事というのは車の両輪みたいなものだなと。以外だったのは、彼の社長に対する評価が思いの他低いことだった。小さな会社というのは一度こじれると本当に難しい。みんないろいろ思いがあるようで。気がつけば4時間近くいたことに。付き合わせてしまったかなと反省。

 帰り道に同期と1年ぶりにばったり会う。深夜12時にアイスバーンを自転車で走るという気合の入れようだ。仕事が忙しいらしく、仕事のできない若い連中のサポートでおしているらしい。偉くなったものだ。が、彼は自閉症の子供を抱えるマイホームパパだから不満が大きいらしく、何より子供のために今後の収入と安定を確保したいという話になる。目的があれば自ずと方向は決まるものだ。字面を追えばつまらない考えだが、やっぱり尊敬してしまったり。
 で、連絡不足のほかの連中の話も聞く。1年前にネット恋愛で東京から突然やってきた10歳近くも若い女の子がいると宣言した彼は、なんとそれ以来同棲生活をしているとのこと。思いのほかの熱愛にびっくりだが、ここ数年一切の収入が無い男と暮らしているというのもすごい。常に一緒にいるのだろうから、本当に惚れているということなのだろうか。私なら耐えられんなぁ。
 もう一人の問題児は、あと1年で札幌を発って、確執のあった実家の事業を継ぐことにするらしい。あと1年というのは、女が出来て、その卒業までに1年あるからという理由。やはり女というのは立派なきっかけになるものだ。合う人を見つけてよかったと思うが、出会いが学生時代のサークルの後輩というのが引っかかる。卒後何年もたってから、そこで彼女をさらってしまうのが多かったのだが、日頃来る頻度が少ない超上の連中が少ない女性を持っていってしまうことにはかなり反感があったのだが。

 ま、そんなこんなでみんな人間関係を鍛えている。深夜のほろ酔い道を夜風に吹かれながら、出会いというもののおもしろさと大切さを思いながら。久々というのは嬉しいものだが、久々よりももう少し頻繁のほうが今の私にはいいのだろうなと思ってみたりした。 Home&Photo


2003年03月02日(日) 「スペシャルピリオド」で日本の農を考える

 テレビ「宇宙船地球号」でキューバのことをやっていて、ちらちらと見入る。

 「スペシャルピリオド」とは、ソ連崩壊に伴っておんぶに抱っこだったキューバ経済が一気に冷え込んだ期間のをさす。エネルギーはもちろん農薬や肥料まで依存していたキューバは、アメリカの経済制裁もあいまって深刻だった。
 現在キューバが楽園の奇跡として見直されているようで、それは有機農業の復活だ。もともと化学肥料漬けで土力が落ちていただけに必然でもあったのだが、元々あったその素地が復活できるだけのタイムラグだったということもあるだろう。機械化が進みすぎていたり、経済が大きくなりすぎては難しいだろう。
 有機農法が自然なのは当然として、その手間や規模の小ささを楽しみとして見直すことが重要だ。そして、それを許すだけの経済の小ささも現実的には必要だろう。ボーダレスの時代に先進国の農産物が価格競争に勝てないのは明らかだ。倍の値段に現実的な付加価値を評価するかは疑問に残る。着実に基礎は日本でも広がっているが、住み分けはもう少し大きくなる程度ではなかろうか。

 私は農薬や化学肥料が必ずしも悪だとは思わないし、天然自然で可能なことに肉薄する科学は十分可能だと思う。今まではその方向性が違ったからで、急速に有機的な化学肥料が世に出てくると思う。
 食への関心は思っているより大きい。余裕のある多くの高齢者は土に対する意識も強く、自家栽培のシェアも馬鹿には出来ない。場所によっては、有機栽培農家を脅かすという。彼らに原価という考えが無いからだが、経済が大きい日本ではそれが現実的のようにも思える。自らが納得する自然食というのは、現在では最高の贅沢であり娯楽である。それを享受しようとする方々は、現在にあって本当に幸せだと思ったりする。逃げ切った世代ともいえる。

 日本は穏やかな「スペシャルピリオド」に入ったと思う。人口の減退は確実に経済規模を縮小させ、縮小する経済に借金はより重くのしかかる。今蓄えられている富は、実はかなり担保されていると覚悟したほうがよいと思う。様々な付加価値を模索しているが、それ自体が私達の成長を支えているのか、いろんな仕事を経験して疑問に思えることが多い。そんななか、例え僅かでもミニトマトを植えたり紫蘇を植えたりすることは、何かを育てることになっていると思う。

 カストロ議長が来日している。いろいろ過激な面もあったようだが、今となっては好々爺然としている。音楽に太陽。あの国はかなり面白いのかも。太陽の変わりに雪の多いこの地で、その国の暮らし振りを参考にしたいなと思ったりした。 Home&Photo


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