私季彩々
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2003年02月28日(金) 「何もなかったように」

 久々に外食。札幌に来て初めに住んだところのすぐ近所にしゃれた料理屋が出来ていて、そこで。中に入ると暖炉に火がともっていたり、吹き抜けもあっていい感じ。素敵と思いつつ、そういえば昔は黄色いボロボロの弁当製作場だったなと思い出し、建物の形はほぼそのままだったなと。ということはリフォームということで。んー、それはそれでもっとすごい。建築って素敵。

 食事をしつつ、何かと将来の相談に乗っている子とお話。やっぱり医者になりたいのだが、無理そうなのは悟っているけれど、この何年かの努力をすっぱり捨て去るのは惜しいようで。けれど、いろんな学校を考えてみても修了してからの仕事のイメージには結びつかないようで。で、結局今の仕事はどうかというと、これはこれでとても好みらしく、何年か経って復帰するのも十分と思っているようだ。
 それならそれで、十分幸せなのではと思ってみたり。仕事だけでは物足りないのは当然で、普通は恋愛だとかでバランスを取るものだろうが、彼女は親が離婚したりでいろいろ考えがあるらしく、そこに傾斜する気にはなれないようで。一人で生きていくとすると、何分小さな会社で40、50の人がいないわけだからイメージできるわけでもなく、そこが不安というのが本音のようでもある。
 そうやって話をしていると、結局なんでも自分で決めなくてはならないのだけれど、私自身の方が遥かに大きな壁に昔から当たっていることを再認識してしまったり。彼女のほうが数歳若いというのに。結局、差し障りの無い偉そうな話しかしてないのかなと思いつつ、幾つになっても働くというのは大きなことではあるけれど、それだけでは成り立たないものだと自答してみる。今の私の状況を少しはなそうと思ったが、そういう雰囲気にはならなかった。

 帰宅後、テレビをつけると画面が荒れていた。前に一度同じことがあって、背面を見るとコードが抜けていた。猫の仕業である。で、予約していたビデオを見ようとすると、同じくノイズだらけ・・・。猫の仕業である。この1年半で猫がこれをやったのは2回。普段滅多に録画しない私が、かなりの低確率で被害者になった。ぼーぜんと俯いて畳を見ると、引っ掻いた跡がけっこう目立つ・・・。
 なんか無性に腹が立って、腹が立って。そのことばかりじゃなく腹が立って、布団に入る。眠くもないのに無理やり寝入る。

 当然、真夜中に目がさめる。猫は何にも無かったようにそばで寝ている。「何もなかったように」って素敵。それだけで、私は猫になりたい。
 起き上がってもしょうがないと思いつつ、家賃を振り込んでいなかったと思い出し、ノソノソ起きてパソコンを立ち上げる。オンライン振込み。朝までもう少し。眠れなさそうだけれど、もう一度安寧の中にたゆたってみよう。カルシウムでも補給しておいて。 Home&Photo


2003年02月27日(木) 朝のホームラン

 9時とか10時とか、食後にぱったり寝てしまうので、4時とかに起きてしまったりする。なかなか安定しないものだが、この一年は風邪とか体調不良がほとんど無かったと思う。このままいってくれるといいのだが。

 向かいのマンションの窓は、朝方でも深夜でも夜でもどこかしら明かりがついている。一方で、全戸が点いていそうな時間帯でも埋まることは無い。いかにも都会的だと思いつつ、私のような不規則な時間帯でも常に点灯しているあの部屋の人に親近感を覚えてみたり。直接会うことは無くとも、今の私にはあなたはとても合うような気がする、なぁんて。

 そんななか、我が猫は私が起きている限りほぼ確実に起きている。一日家にいるときなどかなり不規則にさせているようにも思えるが大丈夫かなぁ。全然問題なさそうだけれど。

 朝4時代に大リーグ中継をやっている。松井松井で本当にご苦労様です。オープン戦ながらホームラン打っちゃった。すごいねー。本シリーズでこそがんばらんといけないんだなぁ。あんたすごいよ。で、そのボールが球場外の池まで飛んで沈んだそうで。潜ってでもとらにゃぁならんですな。でも、他にもいくつかボール沈んでいそう。

 我が憧れの国、「ナウル」はどうなっているのか全くわからず。情報お持ちの方、是非ご一報を。 Home&Photo


2003年02月26日(水) 楽園”ナウル”に何が起きた?

 小国マニアの私だが、そういう国の情報はえてして少ない。放ったらかしてあるHPのネタにもしているのだが、その小国に”ナウル”がある。太平洋の赤道近くにある径2kmの世界で3番目に小さな国だが、なかなか大変なことになっているらしい。

以下引用---------------------------
【オークランド】世界で最も知られていない国の1つである中部太平洋のナウルが外部世界と連絡が取れなくなっており、ナウルを担当する外国の外交使節も、現在、誰がこの国を統治しているのか知らないと述べている。財政が破綻に瀕しているナウルは過去1年以上にわたり、たった1本の国際電話回線で外部世界とつながっていたが、この電話システムも今や故障し、ナウルには修理するカネもないようだという。

諸外国の駐ナウル外交使節団は在ニュージーランドまたはフィジー大使館が兼任しており、ナウルには誰もいない。これら外交団にによれば、今年1月までは電話による連絡が可能だった。この時は現職のハリス大統領がベルナルド・ドウィヨゴ元大統領から不信任動議を突きつけられ、ドウィヨゴ氏が勝利したが、国会(18議席)の議長が辞任したため国会開会が不可能になり、予算案も通せなくなっていた。その翌日に電話が通じなくなったという。消息筋によると、大統領公邸は焼け落ちたとの情報がある。ハリス、ドウィヨゴ両氏とも重い病気にかかっており、人工透析を必要としていたという。

ナウルは赤道直下の面積21平方キロの国で、人口は1万2000人。島の表層土は肥料になる燐酸塩が豊富で、露天掘りが行われたたため、島は月面のような様相を呈している。(AFP=時事)
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 誰が統治しているかわからない、電話回線一本しかない孤島の島国。その回線も故障中。南の島の楽園にいったい何が起こったのでしょう。
 楽園というと、椰子の実を食いつつ白砂の上で波音を聴きつつ日々を送るイメージを想像するが、この国はそんな想像をはるかに越えた意味で間違いなく楽園だった。島で採掘されるリン鉱石のために、国民は一切の労働を免除され、収入を政府が保証し、年金も給付されるという、生まれたもの勝ちの素晴らしい生活があった。問題は、島の全てを掘り起こしたため居住空間がほとんど無く、鉱石は後僅かという事だった。それでも長年の生活から働くことを放棄した人間の顛末がどうなるか、注目されていたわけだ。

 で、どうやらそれが現実化してきたらしい。記事を読むとアフリカや中東の話のようにも聞こえるが、この国に至っては反乱などという威勢の良さはありえないだろう。
 この国に関する日本語の紹介は・・・・・

http://www.geocities.co.jp/HeartLand/4157/travelog/nr/nr_9312.html

 一読の価値あります。是非どうぞ。 Home&Photo


2003年02月25日(火) 転機は来週 今日は警察

 予定通りに起きて、牛乳を電子レンジで温めて、1年は袖を通していない背広を引っ張り出した。何年か前に酔っ払って吐いた吐物がかかり、クリーニングでも落ちきらなかったところがあったはずなのだが、見たところ問題はなさそうだ。慣れないネクタイを締めて、出かける前に確認をと思ってメールを見直した。

 指定の日時は3月4日(火)・・・・・。

 火曜日というところしか見ていなかったらしい。いったい何をやってるのだろう。先日も次にタイプミスをしたら首という状況の中で、何度も見直したのに一ヶ所やらかしていた。こういうミスは私の性分らしいが、どうしても消せない。るるる・・・。

 とにかく、早とちりですんでよかった。着た背広をさっさと脱いで、自分の情けなさに落ち込んでいると、北朝鮮のミサイル発射のニュースが飛び込んでいた。「とくダネ」は大騒ぎである。
 で、1時間ほどみていると、どうやら発射は前日で、しかも飛距離は60kmである。「日本海に北朝鮮がミサイル発射」と言えば、テポドンが日本近海まで飛んできたと誰もが思うだろうが、実際は北朝鮮近海に地対艦ミサイルをぶっ放しただけだった。だんだんとトーンダウンしていく様子が面白かったが、NHKは同時刻に番組変更をすることもなかった。報道姿勢がうかがえて面白い。こんなニュースで慌てて会見を開いた外務省も迷惑だろうが、たかが射程60kmでここまで騒いでくれれば将軍様も大喜びだろう。

 明日返却する本を深夜返しに行った。札幌市外を抜け、街の過剰な明かりが少なくなると急に気分が穏やかになった。
 読みかけだったのだが、図書館前に来て惜しくなって車の中で続きを読んだ。「馬追原野(辻村もとこ)」第一回樋口一葉文学賞(だっけ?)の受賞作とのこと。明治初期の開拓期の北海道を描いた傑作らしい。
 誠実で実直な青年が北海道に広大な農業経営を夢みる日々を綴ったものだが、ありがちな苦悩や悲惨な開拓生活の様子よりも、当時の歴史状況や渡ってきた人々の人間像を温かく描いていて好感が持てた。旭川や空知、札幌の当時の様子が丁寧に描かれ、地域史に興味のある私には見知った名前も多く、地図でしか見ないような小さな地名が開拓時には大きな意味を持っていたことを認識してみたり。

 読みふけっていると、白い大きなワンボックスカーがやってきた。しばらくたって懐中電灯を持った人が二人。お巡りさんである。こんな夜中に車中ランプをつけて怪しいと思ったのだろう。こんな時、にこやかに窓を開けさせて話し掛けつつ中の様子を探るのは経験済みである。
 手にもっていた本には図書館のシールが貼ってあり、ここにとめてある因果関係はわかってくれたようだ。車内は散らかっていて、地図や大きなかばんもあってか家出じゃないかと心配したとのこと。ちゃんと様子を観察しているわけである。夜間ご苦労様です。
 一応と、免許所の提示を求められた。多分昨年春にこの近くの森の駐車場で同じく質問を受けたこともわかっただろう。あの辺りでは、一応要注意人物ということになっているかもしれない。

 転機な一週間となるはずが、月曜日に大問題が発生して、今日あるつもりだった面接は実際来週だったわけで、転機なんてこともなかったわけだ。しまいには警察に呼び止められる始末で、いったいどうしたものでしょうか。

 開拓者が大きな夢を抱き、原始林を越えて札幌へと向かったまさにその地で私は警察のお世話になってしまった。笑えない話であったが、雪が降るなか車で読書というのは悪くなく、本を返却ポストに入れて深夜の帰宅となった。 Home&Photo


2003年02月24日(月) 困ったことになった

 困ったことになった。

 今朝仕事先に行くと、同僚の女性が深刻そうな顔をして座っていた。後に社長としばらく話をして、部屋を出て行った。その後私が呼ばれた。彼女は先月末から体調が悪かったとのことで、長期休暇を申し出たそうだ。2週間か3週間かになるから、その期間で来れる日は来て欲しいとの事だった。

 体調不良を訴えていたとはいえ、今朝来て突然2週間以上の休暇である。そのまま実家へ帰省するとのこと。なかなかできることではないし、そこまで追い詰められていたともいえる。明らかに精神的なストレスである。私は週3日の出勤で彼女と接する機会も少なかったが、仕事量はかなり多く毎日遅かったようだ。そんな中でも堅実に力をつけ、私の数倍の仕事を効率よくこなしていた。社長はその点を評価して、隔週の土曜休みを完全週休二日にしたのだが。
 私は不規則な勤務もあるし物忘れの激しさも手伝って上達が見られず、場合によっては職を変えることも考えていた。本来であれば彼女と同列に働くところだったが、進歩の無い私の存在は彼女にとってストレスになったと思う。
 
 突然の長期休暇の申し出は、退職覚悟の上だったのだろう。社長も精神面の負荷が溜まっていたこともわかっていたようで、申し出を受け入れた。帰ってきてくれることを祈ると言っていた。彼女は満足のできる仕事ができるようになった。専門的な仕事だけに彼女にとっても貴重なはずだ。しかし、彼女の本音は一生を仕事で生きるわけではなく、幸せに暮らしたいという平凡なものだった。もったいない話だが、長く続ける気もあまりないらしい。
 こういう事態になると、なかなか戻るのは難しい面もある。会社側としては是非戻って欲しいのだが、一度放った弓矢が元に戻れるか。精神的に病んだ娘を迎えて、実家のご両親はどう思うだろうか。彼女の家は医者だから焦って送り返すこともないだろう。

 小さな職場だったが、彼女にとって人間関係は悪くなかったと思う。ただ同期というものが無く、仕事に関しては孤独だった。広島に帰りたがっていたのも知っている。仕事のストレスを発散することができなかったんだと思う。学ぶべき点も多く、学術的な仕事だが、興味をもてなければつまらなくもある。それでもあれだけのレベルになったとすれば、そろそろ限界かもしれない。面白さがなければ続かない仕事だ。

 私はこの仕事がなかなか上達しなかった。それに伴って、平行してやってきたことの興味や期待が増し、鞍替えしようかと考えている。都合のいい考え方ではあるが、契約が今年度一杯で延長されない可能性があることと、私が抜けても彼女がいるという安心感があった。その彼女が突然いなくなたった。小さな会社でこの穴は大きく、不甲斐ない私でも期待がかからざるを得ない。今、彼女と私が同時に消えたら会社は厳しいだろう。

 明日面接がある。事が決まれば水曜に辞意を伝えるつもりだったが、出社を頼まれた。断れる状況ではないし、辞めると言える状況でもない。タイミングとしては最悪だ。天秤をかける時間的余裕はない。裏切りであっても結論は出さなければならないのだ。そして、彼女の負担を少しでも担えなかったことに哀しさを思うのだ。私の決断は、さらに彼女を追い詰めることになるから。 Home&Photo


2003年02月23日(日) 転機な週の始まり

 確かまじめな学生時代は朝から晩まで学校にいたから、睡眠時間は数時間程度だったろう。高校生の頃は隣町までの汽車通学のために朝早くから起きていたし、受験勉強を兼ねて深夜ラジオなどを聴いていたから、もっと少なかったかもしれない。
 ここ2,3年は不規則な生活がたたっている。ほとんど寝ないときもあれば、ひたすら寝入っている日もある。総じて睡眠時間はあの頃よりも多いだろう。今思えば、あの頃の睡眠不足が今たたっていると思ってしまいたくもなる。布団に入ると何も考えなくなる。眠くなくても、とりあえず布団に入ってしまったりもする。ついでに猫にちょっかいをだす。

 生活のリズムがバラバラというのは、省みてもよろしくない。いろいろ意欲的に取り組もうと思ったことが、なんとなくで先延ばし先延ばしになっている。
 時間にルーズなのもよろしくない。直接会う仕事や約束は守っているが、手紙や提出物はけっこういいかげんにしてしまっている。今日も先週金曜までに届けなくてはならない葉書を、今さっき出だしてきた。せめてものわびの心は配達が早くなるように中央郵便局に出してきたことで、明日中には届けてくれるだろう。

 健康的というのはリズミカルなものだ。私の生活自身はいろんな気遣いや、やりのこした負債の清算をしなかったこともあり、新しい方向へのリズムを生めなかったことがある。そういったものを背負ったまま続けようとしたことは、うまくいかないのも当然かもしれない。

 次に始めようとすることは、将来性はともかく過去の失敗に心を囚われる事がなさそうだ。一つ不安要素はあるのだが、多分OKだ。今週は私にとって大きな転機になる。挫けずに、平に頭を下げて歩こう。例え何があっても、今回はそれができそうだ。 Home&Photo


2003年02月22日(土) 心的無力症

 「皮膚無力症」という症例がある。皮膚は薄くて弾力が無く、ちょっと引っ張ったり引っ掻いただけで裂けてしまう。多分この症例であろう猫の皮膚を見た。長毛種らしく、黒い豊かな毛がついた皮膚は、その重さだけで破れてしまいそうな薄さで、いとも簡単に裂け目が入った。

 動物の体で最も丈夫な所というと間違いなく皮膚だろう。俗にコラーゲンとよばれる真皮は弾力性に富み強靭である。このコラーゲンの走行やそれ自体に異常が起きるらしい。もちろん人にもある病気だ。

 床ずれだけで皮膚がむけるような暮らしなど想像を絶する。重症になれば、痒いと掻いただけで爪の跡から裂ける。暮らしは一変するだろう。
 我が家の猫は元気だ。首を猫掴みしてだらんとぶら下がった姿など、微笑ましさの象徴のようなものだが、この病気であればそのまま首の皮が取れてしまいそうだ。体を守る皮の脆弱さ。どれほど多くの物理的・化学的・生物的侵襲から身を守ってくれているのか。皮膚とはそういう存在である。ストレスや体調の微妙な変化も現れやすい。

 腫れ物に触るように、あらゆる事柄が傷となる。普段は優しい忠告も、心を落ち着かせる柔らかな感触さえも身から血を流させる鋭利なナイフになる瞬間、深い毛に隠された無力症の皮膚は血を流す。

 昨日廊下の電気を消し忘れたようだ。たいしたことではないが、皮膚無力症的な私はまた血を流す。本当に病気だったらどんなに楽だろうと思いつつ、本当にそうだったら楽どころの騒ぎではない。

 今日は雪が強め。河川敷の歩道は除雪不足で靴の中に雪が入り込む。冷たくなったかかとを気にしながら、丈夫な皮に包まれた弱い弱い私を感じながら。 Home&Photo


2003年02月20日(木) 春なもの

 スーパーでウドやらヒトビロ(アイヌネギ)が売っていた。人工栽培だろうとは思うが、春めいている。と思いきや、今日は一段と冷え込んで路面もカチカチ。黄色信号を加速して抜けようと思ったが諦めたら、ツルルと滑ってなかなか止まらなかった。春めくほど夜の路面はしばれて怖い。

 北海道でも道南の函館当たりはかなり暖かいようで、山菜は結構早い時期から市場に入荷する。2月の下旬には確か入荷していた記憶がある。足元すべる市場の朝5時、東の空は光の予感を感じさせつつもまだまだ深い青だった。外と変わらない寒さの卸売りの中には、積み上げられた荷にまぎれてほんの数箱のヒトビロが入荷していた。いつも同じ名前の出荷者で、決まって道南の今金町だった。この箱が数列をなすようになり、ウドやミツバが混じってくると春である。まだ路面に行き残る頃、山には土よりも雪の方が多いはずなのに、山菜は入荷する。春を山に求める人の貪欲さはたいしたものだ。

 行きつけの銭湯でのんびりする。ここの回数券もそろそろ切れる。友人と交互に買っているから、次の11回分を彼に買ってもらわないとバランスが合わない。それを使い切るまでに札幌市内の路面の雪は消えているだろう。その前に私はどうしているのだろうか。札幌にいるかどうかも不明だったりする。

 先日道路の真中に冬用のワイパーが落ちていた。踏みつけられていそうだったが、迷った末信号が変わる間際に戻って拾った。私の車のワイパーは助手席側が不調だったので、あわよくばと思ったのだが、残念ながら大きすぎて一部ゴム面が密着しなかった。拾いものには縁があると思ったのに残念。
 この車も10年を越え、自動車税も高くなるが、まだまだ乗るつもり。一度も洗車場で洗車したこともなく、メンテは一切なしで、2度正面のバンパー等を替えて、中古なのに総額100万かかっているんだなぁ。はは。
 そんなこんだでワイパーまでケチっているのだが、春が来て夏用に切り替えれば気分は春でしょう。

 追伸。猫が雑巾を絞ったバケツ水を飲んでいる。綺麗な水あるのに・・・。 Home&Photo


2003年02月18日(火) 3つの辞意

 家庭教師先の中3の男の子。すでにセンター試験の数学Aで98点取ったと言っている。もうお役ごめんだね、私。だって、大学受験レベルの数学なんてもう記憶の彼方で呼んでも戻ってこない。近日中に辞める旨を伝えることにしよう。ま、ここは円満にいけるから問題はないが、お母さんのおいしい食事と友達になった教え子と離れるのは残念。

 非常勤講師の成績送付の確認を月曜日に行った。あとは卒業式と謝恩会。卒業式に顔を出すと5千円貰えるのだが、ちょとスケジュールが未定で惜しい。感謝されることは何もやっていないが、ただ酒のみに謝恩会には出よう。そんなことよりも、自動継続になっている来年は多分できなさそう。確定するまで伝えられないいいかげんさが悩ましいが、致し方ないだろうか。教科書の発注までしてもらっているのだが。うぬぬ。何分急な話で。ま、以前から急に辞める可能性はあることを伝えてあるし、校長先生とは仲も良いから許してくれるだろう。

 一応本業になっている仕事は芳しくない。3月で契約が切れるのだが、延長するかしないかは上に預けている。修行期間ということなのだが、肝心なところで上との意思疎通が巧くいっていない。というか、同じ物を見たときの表し方が違うのだが、力不足もあるがもっと根本的に違うようだ。契約期間終了後は解雇もあるということだから、こちらから辞める権利もあるということだろうが。ま、辞める権利は一月前に申し出れば法律上問題ないのだが。何より正社員じゃない私にそんな道理が通用するのかようわからん。
 とはいえ、世話になったし良くしてもらったし根気強く面倒を見てもらったし、頭の下がる思いばかりなのだが。はて、どうするんだろう、私。力が足りないというの仕事をする上で本当に申し訳ない。

 3つのお仕事がメインの収入源として私を支えてきた。何分貧乏性なので、少ない収入でも十分やっていけた。非常勤講師の仕事は楽しく、時給も数千円となかなか良く、掛け持ちすれば結構稼げて夏冬休みもあっていいなとか、非常勤で食いつないでやってみたいことをやろうじゃないかとか、給料取り以外で生きる道を考えたりするのは結構意味があった。実際そういうことが、これから無いとも限らない。

 本業としていたことは、専門家としてやっていける生業として魅力的だった。自分には合っていると思い、人にもそう話してきたが、微妙なずれが現れてきたのと、日常的にやってみたいこととの両立が難しいことがわかってきた。その為に周囲に迷惑をかけたり、細かいミスが現れたのだとすればなんとも情けない限りである。何をやっても駄目だと言われた通りだろう。

 他も含めて幾つかの仕事や手伝いをして、振り返ると実質2年と続けたことが無いかもしれないなと。だとすれば、間違いなくやりがいのある今の仕事を専念して続けるべきなのだろうという思いはある。けれど、今の本心はそこから離れていることも確かだ。

 先日話を聞きに行った先では、応募の職種は決定済みで申し訳ないが是非来て欲しい部門があるということで、特別に話をしてくれた。私の留守番電話が応答してくれなかったために連絡が出来ず、ホットメールも一時期おかしかったことがあるらしく先方が出したメールがこっちに届かなかったのだが、3週間後に連絡が来ないと出した私のメールに返事をくれた。応募しながら音信不通を通した求人者に破格の待遇である。面接も現場レベルではOKのようで、条件面の話を後日ということになっている。実際給料はそんなに良くないらしく、名目週休二日だがそんなものは無いそうで、辞めていく人も多く、回転の早い職場で、先行きは楽観できないこともざっくばらんに話してくれた。面接というよりは職場案内といった感じだった。私が最も苦手だと思い込んできた大勢の人相手の仕事である。

 次の収入の当てを決めないと辞意を伝えられないというのは申し訳ないと思う。ま、生活という面では止むを得ないだろうし、それが仕事関係というものだろうが、世話になっている人たちであり、それで余計な仕事を増やすだけでなく、やはり私情も絡むから。思い返せば円満に分かれたケースというのはあまり無いので、人間関係の下手さを痛感する次第。

 「僕の生きる道」をみる。人はその環境で精一杯生きられるのだろう。悩む事を表すことで周囲の人の優しさを引き出し、素敵になっていくのだと思う。私はそうやってきたかと問われれば間違いなくしていない。譲れないやりたいことが多分にない私は、きっと素敵な環境を求めているだけなのだと思うが、環境は自分が関わりあって作るものだろう。それを仕事のせいにしている自分がいることも確か。そんなことを忘れて突っ走れたらどんなに楽だろう。

 そういいながら私が手に持っている本は「北米型木造枠組壁工法」。自分の手で何かをしたいということだろうか。その形の一つだと思っている。 Home&Photo


2003年02月17日(月) シューパロ川のほとり

 「シューパロ川のほとり」を読む。ふと見つけたホームページ「ふるさと大夕張」で復刊運動をやっているので、図書館で借りてみた。開架に無い本を頼むというのは、なんか物知りみたいで誇らしげ。

 大夕張は戦後一時は2万人を超える人口を抱えた大産炭地だが、かなり遅い時期まで道路が無く、人や物の移動は石炭運搬用の汽車のみだった。そんな陸の孤島に多くの人がやってきたのは、石炭需要の増大と高収入だったが、そこに集まる雑多な人が良い面の多様性を発揮した様だ。一方で朝鮮からの強制連行や囚人労働など負の面も、巧妙に隠されながらももちろん存在した。街から逃げ出そうと思えば、汽車が走らない時の線路を歩くしかなかった。その線路沿いには監視の目が布かれていたとなれば窮屈そうだが、自ら流れてきた人にとっては不便はあっても心に残る暮らしがあったようだ。
 大夕張炭鉱のガス突出事故は、私が中学の頃だっただろうか。数十人を超える人が戻らず、抗道内の出火を押えるべく注水を行った。家族達の同意を求めるその様が、絶望を知りつつ自ら確定の判を捺さざるをえない踏絵のような地獄絵で、それをテレビ越しに見た。あの事故以外にも事故は多くあり、数百人が命を落としているという。経済情勢からも閉山が相次ぎ、余りある埋蔵量を残して山の火は消えた。一度使われなくなった坑道は、地下水がしみだして使えなくなる。今この街に人はほとんど無く、廃墟となる建物も除かれ、ダムに沈む予定となっているが、そのダムの完成はいつのことかわからない。産炭地振興助成の使い道が街の消滅である。

 私自身はごく普通の住宅街に生まれ、公務員一家だったから、どうこう言っても平穏と安定の中で育った。転居・転職・失業といった家族の変化はほとんど無かった。その分周囲への関心は鈍感だったらしく、そのような背景を持った暮らしや街が存在することに心を馳せることもなかった。どうこうなるものではないが、草むらに埋もれた小さな束石が学校の跡だったり、小高い土盛が汽車のホームだったりすることに気がつく目を持てば、山の珍しい花を愛でるのと同じ感動を人とは違う新しくて古い場所で見出せるだろう。

 そこに住んだことがある人ならば、この本はとても懐かしい内容だろう。本を読むきっかけというのが私にはなく、本屋にいっても膨大な本の前で右往左往するばかりなのだが、見知った土地を舞台にかかれたものを読んでいこうと思う。そう思ってすでに数年が立っているのだが。 Home&Photo


2003年02月16日(日) カタログショッピングもどき

 二年ぶりくらいに背広を着た。先日掘り出したYシャツは着たままクリーニングにも出していなかったので、襟の部分の汚れが目立ち、部分洗い様の洗剤をつけて一週間ほど着けて置いたら何とかごまかせる程度にはなった。それにしても、背広を着ると自分の細さがあからさまになるので嫌なのだ。できれば着ないでいたいのだがそうもいかない。
 訪問先ではいきなり元気な若い女の子に挨拶をされる。どうやら訪問目的を勘違いされたようだ。でも、慣れてないながらも地の明るさが出ている挨拶というのは気分の良いものだった。

 所要のついでに長沼のほうに車を走らせて見た。札幌の東側の平野部で、さらに東には夕張の街と山が控えている。碁盤の目にまっすぐ伸びた立派な農道をひたすら走ると、川の蛇行で袋小路になった部分に閉じこまれ、身動きが出来なくなった。看板には千歳川とあった。碁盤の目の中は多分水田で、道路沿いには防風林が規則正しく配置されている。夏に通るとなかなか良い風景だが、雪で一面まったいらな様を見ると、距離感がなくなって寂しくもある。
 あいにくの小雪模様で視界はいまいち。少し小高い部分から景色を見ようと思ったのだが、思ったようないい場所は見つからなかった。実際行って見ると、、場所詮索というのは困難だ。今度、森の師匠に穴場を教えてもらおう。

 帰り道のついでに大きなホームセンターへ。非常に混んでいて駐車場も交通整理している。あいも変わらず建材コーナーを眺める。先週図書館から借りた2×4の建築方法を見ると、基本的にはここにあるもので済みそうである。屋根梁あるいは棟木の継ぎ方がわからず、一本木が必要なら10mとかいうのが手に入るのだろうか。ここには14フィート(約4.8m)のものが最も長かった。平屋20坪程度の材木費は100万を優に下回りそうだ。必要な金具や釘を見て回り、勝手に想像を膨らませて楽しんでいる。カタログショッピングの見本のようである。噂では全部込みで400万で建てた人がいるようだが、もっと安く上げられないのだろうか?

 そういいつつ、買ったのは一個38円のプラスチック鉢6個。部屋にある干からびてしまったハーブの苗を植え替えてみようと。もしかしたら春になったら復活するかな、なんて思ってみたり。

 帰って疲れて寝る。8時頃起きると、周りに土が散らかっている。今まで許容範囲だったのに、何で買ってきたばかりの今散らかすかと落胆。

 気がつくとFAXが。先日送ったつもりの成績が届いていないとの事。おかしいなと振り返ってみると、セットした紙が裏表逆だったようだ。バイト先のFAXの使い方とは逆だったとは、普段使い慣れないものは使うべきではない。
 そういえば、今月は連絡待ちをすることが多かったのだが、留守電が繋がらないとか、E−MAILが送ったはずなのにとかいう連絡が多かった。ちゃんと設定されているはずなのだが。普段ほとんど連絡をとらない私に罰が当たったのかもしれないが、どうしたことだろう。幸いにも先方が寛容で事なきを得たが。

 そんな感じで、所要のほうは好感触で終了。細かいことは不明。さて、本当にこれでよいのかと思いつつ、再び世話になった人を裏切らなくてはならないことに頭を抱えてしまう。何にせよタイミングが悪いったらありゃしない。 Home&Photo


2003年02月14日(金) また浪人

 しばらく接点がなかったが、昨年お勉強を見てあげていた子が専門学校に受かったとのこと。臨床検査技師なのだが、結局行く気はないとの事で。

 彼女は医学部を目指していたが、現実的には学力の飛躍は難しい。加えてお母さんが難治性の疾患にかかってしまい、受験どころではなくなった。その妥協点が専門学校だったが、やはり納得できないようだ。

 確かに臨床検査技師の仕事は下降気味だ。機械化が一気に進んで、病理検査部門だと薄切以外はほとんど自動化されている。検査キットも簡便なものが出回り、正直出番が減っている。治験などの部門もあるが、個人的にはお勧めできないようにも思える。

 作業療法士や理学療法士には興味がないらしい。人と接する仕事はやはり廃れないものだが、興味は理科系の実験の延長にあるようだ。話を聞くと勉強がしたい様なのだが、24歳から理学部というのもなかなか勧められない。私も保守的になったものだ。
 となると、やはり薬学部が妥当だと思うのだが、彼女もそれで頑張るようだ。そうこうしてるうちに4年が過ぎているようで、いつまでやるのかという周囲の目も気になる頃だろう。親にはとにかく働けとか言われているようだが、今のまま働いても先は見えている。会社は大きくなっているし順調だが、技能職的な部分で割り切って給料が上がるのを喜んでるタイプではないらしい。損な性格だ。

 とは言う私も何をしたら良いかわからずにうろうろしている面もある。結局そういうもので、それを補い合ったりするのが流れなのだろうが、まずは一人でいきたいという彼女の気概は立派だ。
 どんな仕事もそれ自体は単調だ。その先に小さな階段を探し当てられるか。キャリアアップでも、物を売った喜びでも、給料で土産を買う喜びでも。豊かな時代、ただ収入を得るだけで人は満足できない。私を含めて、そういう人たちばかりにあっている。彼らの口癖は、「金があれば何もいらない」だったのは当然のことだ。

 そんな彼女の勉強を今後も見られるかちょとわかりませんが、チョコレートをありがとう。ほほほ。 Home&Photo


2003年02月13日(木) 素敵の一滴

 夜の地下鉄。うつむいている女性。低く聴こえる嗚咽。泣いているようだ。いかにも今風な女子高生達がその様子を見て笑っている。潜めているつもりなのかもしれないが、その声ははっきりと周囲に響く。
 泣いている女性の隣に座っている女性。まだ若いが少し化粧が濃い目。彼女はハンカチをそっと彼女の膝に乗せ、制服姿の女子高生達を隣の車両に押しやった。

 彼女は泣いている女性と同じ駅に降りた。女性は礼を言いつつ階段を上る。「大好きな人が死んでしまったの」。そう言った女性の声に歩みが止まる。泣き止んだその女性とは逆に彼女は泣き始めてしまった。
 二人は改札口を出た隅に立ち止まって少し話をした。大好きな人が死んだ。彼女も3年前、セーラー服を着ていた頃に大好きな人を亡くしていた。同じ経験を感じ取ったのか、歓楽街を潜み進む地下鉄の中で、二人は交差した。悲しみを押さえ込むために傷つけた古傷が、肩口にあることを思い出した。

 地下道から出ると、つるつるに凍った足元に集中する人波。誰もが気を引き締めて、誰にも関心がない。けれど、その中に悲しみにくれる人がいる。見えないだけかもしれないが、見える瞬間もある。

「さっき私は見たんだ」

 彼女は家路につく。仕事を失い、急場の支出に戸惑い、ススキノの店の面接結果はいまいちだ。でも、こんな仕事いつまで続けれるのか、もっと他に何かあったはずなのに。そんな想いばかりに沈んでいた彼女から最後に聞いた言葉は、「今日は素敵な1日だった」。

 そんな素敵の一滴で、人は幸せに眠りにつける。そのおすそ分けを頂いて、私は少し長い夜を延長した。 Home&Photo


2003年02月12日(水) 検診陰性

 予定を一泊延ばし、今日の朝帰ることにした。母が札幌の病院に行くというのでついでということで。列車のほうが時間的にも良く、帰りが送れないことを考えると往復切符を買ったほうが経済的にも有利なのだが、ま、なんとなく。JRは特急の往復切符を販売しているが、片道で特急に乗ろうとすると往復券とほぼ同じ値段になってしまう。

 母はむかしから乳癌の検診で再検査に引っかかる。結局は陰性なのだが、頻繁に再検査となると面倒だろうし不安だろう。父が倒れたこともあり、詞に近い病が現実的になってもいる。
 昨夜、ドラマ「僕の生きる道」を見ている時に母もいた。主人公が癌で余命がない設定だが、なんとなく母の前で見るのが気が引けて、それっぽいシーンはチャンネルを変えたりした。それでも癌の告白などの肝心なシーンは見入っていたわけで、それを母は横で聞いていただろう。明日結果報告を控えた母の前で少々複雑だった。

 結果は、また陰性ということで安心。父も安定しているし、健康面ではしばらく落ち着くと思います。あとは子供達の煮え切らない将来の不安でしょう。ほほ。 Home&Photo


2003年02月10日(月) 脳梗塞とワルファリン

 祝日ということで実家に帰ってみた。父は今月頭に退院していたのだが、半身麻痺もほとんどわからないまでに回復していた。車の運転も問題ないそうだ。良かった良かった。

 「あるある大辞典」の焼酎の回を録画して真剣に見ていた。脳梗塞を機にタバコを止めて以降太り気味らしく、焼酎が太らない酒でありいろいろ効能もあると言っていた。ほぉ、そういうものですか。醸造酒にはアミノ酸や糖分が多く含まれ、アルコールの分解を抑制すると共にそれ自体が太る原因となるようだ。ま、そういうものかもしれんが、それのおかげで独特の風味や個性が出るわけで。個人的には適量の問題だと思ったりするが、家族の真剣なまなざしを見ると、このような健康番組の隆盛がわかるように思える。昼のみのもんたといい、この手の番組は今ブームといっていいほどだ。しかも息が長い。視聴者のまなざしも熱く、購買意識も高い。
 薬店の先生によると、みのもんたが取り上げた食品や薬品は翌日品切れになることが本気で多いらしい。賄賂の一つも出したくなるとの事だ。

 脳梗塞自体は、一度なってしまったら正直どうしようもない。一度出来た梗塞を起こすような血栓は簡単には溶解できない。今は予防としてワルファリンという血液凝固阻害薬の適用濃度を決めているそうだ。確かに強い薬だから慎重さも要求される。血が固まらないということは、何かの折に血液の流出が止まらない可能性がある。アメリカなどでは、不意の事故で手術を行った時、血友病等で血が固まらずに出血多量で死んでしまうことが無いように薬歴や病歴を記した紙を所持している人が多いそうだ。ま、今回は非常に軽かったが、逆に血栓を意識することで予防になることだろう。不幸中の幸いになると思う。
 アスピリンも考えてみたそうだが、今の状態を考えると弱いとの事で。アスピリンは古い薬だが、血栓予防には効果的で副作用も少なく、早い時期から飲むことをWHOが推奨していると以前に聞いたことがある。私も寝る前に飲むようにしようかしら。眠くなるのも悪くないし、あれなら合成できなくもない。

 田舎町は札幌に比べて雪は1/3程度。道路は現れていて、庭の土が見えているところも多かった。冬の北海道としては確実に暮らしやすいところだ。
 久々に早起きして帰省したので、飲んだビールで早々と眠気が来た。いつも練る時間が親とは全く違うから、同じ頃に寝るというのは良いものだ。きっと、誰かと暮らすということはこういう生活のリズムも合わせたほうがいいのだろう。 Home&Photo


2003年02月09日(日) 紫蘇ブーム

 最近の流行は「紫蘇」です。

 元々物を買うレパートリーは極端に少ない私。野菜類はカレーに入れるものともやし、キャベツ、ほうれん草が関の山だったのですが、最近は少しづつ広がっています。そんな中でも、紫蘇はヒットでした。
 先週行ったテストで、「ビタミンA(カロテン)の豊富な食べ物は?」との問いに、紫蘇と書いた人がたくさんいました。確かに表で見ると飛び抜けて高いのですが、実際に紫蘇を大量に取る人は現実的ではないのですが、風味といい香りといい素晴らしいものです。そんなものとは一切無縁で生きてきた私にも変化が現れたのでしょうか。
 というのも、マグロの索が安く売ってたので、これなら鉄火丼も可能だと貧乏人が思った時に、他に添えるものはと思いついただけのことで。以来、マグロが妙に安い時だけ紫蘇を買っています。

 昨年惨憺たる結果だったベランダ園芸で紫蘇は育てませんでしたが、某方の日記を拝見していたところ紫蘇が豊作のようで、その食生活における紫蘇の活躍ぶりを覗き見て感心しておりましたが、今年は私も真似させてもらおうと思っていたりします。肥料きちんとあげないと。

 といいつつ、あまり他に使い道がわかりません。どなたかいいネタが会ったら教えてください。

《久々の写真》我が家の水槽(ちときたない・・・) Home&Photo


2003年02月07日(金) 雪融け初日?

 雪祭りが始まっているが、今日はとても暖かかった。交差点の隅には溶けた水が溢れ、信号が変わってもまっすぐ横断歩道を渡れない。雪祭りには毎年そんな日があるような気がして、雪像が溶け出して補修が大変だというニュースをいつもやってる気がする。
 節分を終えて暦の上では春だが、北海道は明らかに季節感が異なる。ただ、2月はやはり暖かくる季節というのも確かなようで、雪はなんだか重たげ。昨年の日記を読み返しても雨混じりだったり。3月に入ると雪融け全盛だから、雪の季節は下り坂なのは間違いないようだ。
 そう考えると、冬ってのも単調なようでちゃんと波があると。5月くらいまでは十分寒いけれど、草も萌え出す頃も近い。そう考えるといろいろ動き出さねば鳴らないことも多いのだなと、まだまだ冬篭りしていたい自分がいたりして。この雪の中、大方の課題を終えて次のすってっぷを待っている人が大勢いる。確実に溶け行く雪ノ下に。今はそういう季節だ。 Home&Photo


2003年02月05日(水) 深夜の警察

 確か2年ほど休館していた札幌郊外の天然温泉「森林公園温泉」がリニューアルしたので出かける。料金は銭湯料金。で、中は大変おしゃれになっちゃってまぁ。天邪鬼な私は少しくつろぐにはどうかなと思いつつ、露天の湯は掛け流しで温まるし、湯船はやや難ありもあるけれど、足湯もしやすく満足満足。お近くならとってもお勧めです。


 夜更かしをしつつ、明日のゴミを出しておこうとドアを開けると人だかりが。思わず「びっくりしたぁ」と声を上げてしまう小心者な私。数人の中には警察の方も混じり、隣の部屋のドア前で何かしているよう。そそくさと通り過ぎたが、ドアホンを鳴らしつつ話し掛けているが、中は無反応なよう。いることはいるらしいのだが、詳しいことはわからず、わざわざ聞くのもなんだからとそのままゴミ捨てに。戻ってみると、「顔だけでも良いから見せて」と少しお歳を召した女性が懇願していた。夜2時半。
 何があったのだろうと思いつつ、隣だから何か聞かれるかなと。ベランダの非常壁を破れば隣に行ける。そういう事態もありうるかもと思っていたらベルが鳴った。深夜でも起きているということがばれたので、鳴らしたのかな、と。でると婦警さんが「ハンガー貸して貰えませんか? クリーニングとかでくれるようなものでいいのですが。」とのこと。返さなくても良いですからとお貸しする。いったい何に使うのだろう?
 その後しばらくして覗いて見ると、みんな撤収していた。男の人が鍵をかけて外へでていった。篭城していたのだと思ったが、なにがあったのだろう。
 確か隣は女性が暮らしていたと思う。都会の貸し部屋暮らしだから付き合いは全く無いが、たまに子供や男の人の声もした。

 失踪騒ぎで探しに来たのに反応がなく、警察のお出ましになったのかもしれない。事件というほどでもなさそうだが、家族にとっては大きなこと、といった感じだろうか。しっかりして音ももれない壁の向こうで事が起こっているかと思うと、この壁の厚みがわかる。一戸建ての住宅街なんかであったら、こんな騒ぎではすまないだろう。都会の深夜はまさに隔離空間だ。

 この部屋からは札幌駅周囲の百貨店が見える。ヨドバシカメラにビックカメラ、今春には大丸がオープンして商圏としてはほぼ完成形になるのではと思う。北大などはそのすぐそばにあって、学生街としてはあまりに恵まれすぎた環境だ。
 そういう環境は時に素敵だが、どうやら今の私にはこの壁の向こうにあってもそう変わらないようだ。離れれば惜しくなるのだろうが。

 訪ねる人、避ける人、時に縁ある人々は拒絶されることもある。それを乗り越えて縁である。
 ベランダの雪は真っ白く、手すりの高さまで積もっている。 Home&Photo


2003年02月04日(火) おわかれ

 専門学校の講義はこれが今年度最後。本日はテストのみだったが。2時間のうちの1時間は自習にしたので、生徒さんと少し話が出来た。今年はあまり話が出来なかった。この学校はまぁ態度等はいまいちでも基本的にはいい子ばかり。専門学校は一部の資格系をのぞいて受験自体が有名無実化しているから、中には荒れているところも多いと聞くが、ここはそんなことも無い。

 講義が終わって採点。教員室は常勤の先生が一人だけ。こういう時間になにをしているのか気になったりもするが、ま、こちらと話をするくらいの余裕はあるらしい。と、この先生は今月一杯で辞めるとのことだ。結構衝撃だった。薬剤師のこの先生は元々店舗販売中心にやっていた方だが、会社の倒産でこの学校に来た。明るく気の利いた先生だったが、たまの時間は校長に教育論的な面で諭されることを見たこともあり、学校という環境の狭さに思うところがあったようだ。また、医薬関係の店舗で働く人を養成する学校だが、実際の現場で働いていた経験から、ここで学ぶような知識が必ずしも必要ではないことを身をもって知っていることもあり、そのあたりの違和感もあったように思える。ま、それを乗り越えても悪くない仕事だったようだが、再びお店で働く機会があるようで転進を決めたそうだ。自分は薬剤師という変なプライドも無く、店でいろんなものを商うことが楽しいと仰っていた。同僚である方々は元々教育関係の方が多く、異色であって実際の働くということを知っている方だっただけに、生かしきれなかったことは痛手だと思う。

 私自身はこの学校の仕事は基本的に楽しかったが、専任には専任の辛さもあるのだろう。確かに狭い。教えるばかりでは自身の発展も少ない。大学などと違って、経営だから理想どおりには行かないこともある。公立の小中高とも異なり、定型の知識を教えればすむものでもない。ある意味中途半端な存在だ。大学よりは高校に近いと思う。私自身この分野に関心があり、密かに転進を考えていたりするが、その端緒にお世話になった先生の退職だから驚いた。その先生は、俺もまだ若いから、といった。若さで考えれば少し息苦しい環境なのだろうか。継続することはどんなことであっても大変だが、その覚悟はいったいどんなところで固まるのだろうか。多くの場合は結婚等によるようだけれど。

 多分、もう会うことも無いだろう。一本気な人、惑う人、それぞれに転機はあるようだ。一本の軸で生きられるほど、多くの人は強くない。その先生は私と同じ時期にここに来た。一度酒でも飲みたいと思っていたけれど、その機会が無かったことが残念だったりする。 Home&Photo


2003年02月02日(日) 根無し草

 昨年末、個人的には随分騒いだマンションが未だに売れ残っている。悪い買い物ではないと思ったし、実際交渉中の人も多々いたのだが、どうしたのだろうか。これだけ長引くということは、値段がさらに下がるかも。ちょっと期待してみたりしたが、そんなことをしている場合じゃないのよ、私。

 土地には消費税はかからないそうだ。土地は消費するものではなく、末代まで私有できるから、”消費”にかかる税には該当しないとのこと。なんかへ理屈のような気もするが、そういうものとのことだ。一所懸命の時代以前から、土地という権利は水と同様に重たいものである。不動産とはよく言ったものだ。
 不動産を買うというのは一つの決意だろう。人生ただただ流されるように会社勤めをしてきたよ、などというおじさんも、一軒買ってしまったなら立派な覚悟だ。

 一度は買いかけた私も、またフラフラ根無し草。そういえば、ホットメールが開けない。いまやメールが連絡手段の私にとっては、とっても痛いのですがなぁ。存在的にも根無し草になりそう。 Home&Photo


2003年02月01日(土) あけましておめでとうございます

 2月1日は旧正月である。香港などでは1月31日から2月4日までほぼ休業とのこと。暦は新暦のはずだから、日付はそれとして旧正月の伝統を守るというところがすばらしい。
 書き物をする際には日の出日の入りの時刻と月齢を見るようにしているが、当然旧正月は新月の大潮。満月ではなく新月をスタートに選ぶというのは、まぁ妥当なのだろうがなんか素敵。月の無い真っ暗な冬の夜を越えてこそ、初日の出もよりありがたいのではないだろうか。
 というわけで、これを書いている日付も違うのだが、明けましておめでとうございます。今年の新暦新年もろくに挨拶もしませんでしたが、ネット上くらいは古に敬意を表しますです。今年もよろしくお願いします。 Home&Photo


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