私季彩々
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2003年01月31日(金) shoes

灰色の空から鉛色のナイフが
私の目の前を切り裂いて
突然夜が始まった

白い雪道は乾いたブロックに変わり
靴だけが行き交う都会の雑踏

赤いハイヒール 黒い革靴
くすんだスニーカーは私・・・ らしい

顔のない街の壁際に
寝転んだよれよれの靴
土の気配は 香りは 無く

奏でられるは靴音の競演
耳を塞ぎたくなる 甲高い戯れ音

転がる缶に惑わされることなく
群れていくジェンダー

いつから顔が消えた
いつから身体が消えた
そんなことどうだっていい
誰もそんなもの見ていない

溢れるネオンを破って
色をぶちまけろ
赤は君に 青はおまえに 黄色は月に
失った己を照らせ 影を取り戻せ

空は青を取り戻し
私は雑踏を歩みだす

行き交う人を見ながら
私は足跡だけかもと 慄いて Home&Photo


2003年01月28日(火) 自習は素敵

 今日は講義最終日。教科書の範囲は終わらせていたので1クラスは自習にした。とはいっても、みんなまじめに自習ということにもならないのは承知。

 この一年は講義ばかりだったので、学生さんと普通に話す機会はほとんどなかったのだが、ざっくばらんに話すと結構面白い。一度学校を辞めた人、学校に嘘をついて夜中働いている人、履歴書に少し手を入れてる人、決まった仕事を辞めて再登校した人、様々である。一人一人と適度に話す機会を持つべきだったと反省するが、非常勤で授業中心となるとなかなか話す機会はない。こんな面白い子達と1年間接していたのにと、我ながら非力を残念に思う。

 クラスで明らかに雰囲気の違う子がいる。成績は飛びぬけて優秀で、授業態度も良く、クラスの信任も厚い。彼女は看護学校を3年途中で辞めてこの学校に来た。正直言えば、この学校で学ぶ程度のことは全て履修済みだろう。少し話すと、看護実習の際に学ぶことや考えることを消化する時間的余裕がなく、実力不足と適正不足を認識してそこから抜け出せなくなったということだ。生真面目すぎる学生にはそういうことがままある。大学以下の資格や卒業は、適性などなくても取るだけなら取れるものだが、自らの適正を考えてしまうと難しい。世渡り的には取ってから悩むのが正解なのだが。
 看護師の資格というのは確かに大きくて、仕事をするということにかけてはどこででもできる。ハードな仕事だが他にも守備範囲は広い。今の彼女ならもう一回頑張れるだろうと思う。日本のように資格習得後の追加教育・試験が要求されないならば、学校の単位も退学後に認めて際履修できるようにすればいいのになと思ってしまう。

 人生なかなかすんなりとは行かない。振り返ってみれば、挫折は早いうちにしておくべきのようだ。大学までの間の挫折であれば、振り返れば遠回りでもなんでもない例がほとんどだとわかる。彼女のように若くして誠実に惑っている様を見ると、若さの力というものを素直に感じてしまう。きっと彼女も辛いだろうけれど、今の彼女なら絶対に大丈夫だということ、年上が偉そうにできるただ一点はそれがわかることだけだったりする。 Home&Photo


2003年01月27日(月) またいつか自転車に乗ろう

 我が愛読誌「テレビブロス」は秀逸なコラムが満載だが、その中に「俺の自転車の後ろに乗りなよ」というものがある(多分)。忌野清志郎さんの自転車熱愛コラムである。ライブを自転車で移動してしまうほど自転車の魅力にはまった氏は、50歳を超えて一日100kmを走るタフさを持っている。自転車を始めてそんなに日がたっていないが、身体はめきめきと変わったようだ。幾つになっても身体は負荷に答えるようだ。
 自他医師からも筋肉が細いといわれる私も、かつて自転車乗りだった。生活道具一式に住居寝具を含めて自転車に結び付け、前6段後2段の低速ギアをスタートからブロークンしてしまったような中古のチャリが懐かしいが、1日100kmは優に走った。最高は霧多布から屈斜路湖までの150kmだったろうか。調子が良ければ時速20kmはでる。ツーリング用ならもっともっと走るだろうが、キャンピングでも十分速い。そして、やはり筋力はつくらしく、太ももとはいえない腿もそれらしくなったのには驚いた。身体が変化するというのは純粋な感動であった。
 そんな私もすっかり堕落して車の世話になっている。一度楽をするとなかなか自転車に手を出す気にはならないが、清志郎さんの自転車旅行記がNHKのテレビで放送されて、ああ、足りないのは仲間なんだなと思った。あのころ貧乏学生を誇りにして自転車に飛び乗った頃の仲間が懐かしいな、と。もちろんそこから一歩踏み込んで、自転車本来の魅力に浸かりこむこともできるのだろうが、氏とは順序が異なったようだ。
 いつか少し落ち着いたら、デジタルカメラをぶら下げて再び自転車で走ることもあるかもしれない。今度乗るなら新しい自分で乗りたいなと。奥の細道とは行かないが、あの頃走った道のりを再び走ってみるのもいい。まだ、思い出に浸る再走には早すぎる。ま、3000kmをトレースする元気はないだろうけれどね。 Home&Photo


2003年01月26日(日) 空売り

 豚のタンが好物になった。安くておいしい。で、古くなりかけたので細かく切ってチャーハンに入れてみた。うむ、合わない。歯ごたえがありすぎ。

 NHK特集で、ヘッジファンドについてを見る。金融変動を利用して巧みに利ざやを稼ぐ彼らの、主として空売りについてだった。株ならば、安い時に勝って高いときに売る。それでも受けるのはわかるが、空売りは先物取引だ。下がることを見越して一定期間後の売値を契約する。見積もりより下がれば、その差額が利益になる。広い意味で見れば株価の安定に寄与するのだろうが、実体経済より大きく膨れすぎた金融界において、そのような意味合いはすでに失われて久しいのではないか。値上がりについては、価値の上昇を分配するという利点はある。しかし、市場が下がることが大きな利益に繋がるというのは納得いかない。資産が減少する以上、得をする人よりもはるかに大きく損をする人がいる。人工的に作られた変動相場の大波を綱渡りする彼らが、その波を深い海溝に向けてでも楽しめるとしたら、真のバブルの崩壊も近いのかもしれない。

 価値の体系というのは一元ではない。しかし株にも債権にも外債にも興味のない志井の普通の人間も大波に巻き込まれる。すでに分業と国境解放の恩恵にどっぷり浸かっている以上、その影響がどれほど自分の生活を支えているだろうか。それでもゆるぎない幸を私は持っていない。

 市場のシステムは遥かローマの時代にも十分にあった。江戸期の大阪は世界で最も発達した先物市場を形成していた。今のシステムはその頃と本質的には何も進歩はなく、ただ過激に肥大化した。リスクを避けようにも未知の市場はどこにもない。このシステムは人類を支えたシステムではあるけれど、これから先も大過なく導く真理足るのだろうか。もうそろそろ何か違った指標が現れてもいい頃なのではないかと思う。

 日本は世界ではじめてのデフレ経済工業立国とのことだ。アメリカはすでに生産力を打ち捨てて研究と金融と軍事の覇権国家となった。すでに習うべき相手はいない。新しいシステムを打ち出すチャンスはあったが、いかんせん国家が借金を作りすぎた。借金以外で道を模索できたら、国力は落ちても新しいなにかを生み出せたのではないかと残念でならない。 Home&Photo


2003年01月22日(水) 気に入りの寝巻き

 パジャマの膝が破けた。いつから着ていただろう。多分10年近い。緑地に白い水玉という、風呂敷のようなイメージであったが、結構好みだった。寝巻きというのはあまり意識していないが、半袖や超薄手だったり、季節に応じていろいろあるようで、私も気にしてはいなかったがそれ相応なものを持っているようだ。押入れを引っ掻き回して出てきた代わりは薄手で、この季節には頼りない。もう寒い季節だから、トレーナーのようなものにすべきなのだが、布団が暖かいのであまり厚手だと寝苦しい。頃合は難しいものだ。
 破けたのは膝だけで、捨てるのには忍びない。愛着もある。そういえば、着たのは私だけではない。継を当ててみようかと思ってみる。多分しないだろうけれど。
 靴下などはかかとの部分がすぐに擦り切れてしまう。以前は気にせず履いていたが、一度かなり恥ずかしい思いをしたので、それ以来は惜しみつつ捨てるようにしている。靴下の寿命というのはなんとも儚い。長く使いたい人間にとっては心もとない存在だ。
 そういえば、買ったセーターに一度も袖を通していない。タグをはずすのが面倒で、結局同じのを日替わりできている。全くだらしがない。
 そう思うと、制服や寝巻きというのは便利なものだ。特に、この泥棒風呂敷パジャマ、まだなんか惜しい。でも、ありがとう。穴あいてるの忘れて足入れたら、指が引っかかってさらに破けてしまったよ、よよよ。 Home&Photo


2003年01月21日(火) 道内永住

 私の通っていた大学は、ほとんどが道外からの人だった。北海道は理科系の人間が残れる職場がほとんどないため、多くの学生は内地に行く。札幌の暮らしを気に入りつつも、元は他地域から来たわけだから割り切りも早い。そんな中、道内出身者も同じ道を辿るが、数年以内に戻ることが多い。私の友人も何人も戻ってきたが、先日お世話になっていた先輩も帰って来てる事が判明。一度出たらなかなか帰って来れないと思って残った私だが、なんだかんだでみんな帰ってくる。ならば数年間出かけてみるのも悪くなかったかなと思ってみたりする。梅と桜が別々に咲く地で暮らしてみるのも悪くない。
 今では疎遠だが、帰ってきた人の話を聞くと理由は判然としない。富士山が嫌だとか、転勤が嫌だとか。結局実際働いてみて、暮らすということを考えたときに、どこに住みつづけるかというウェイトが大きくなってくると、決断するなら今だということになるらしい。内地の実務経験があれば、札幌の転職先は何とかなるようだ。ある意味、生業よりも暮らしを優先するマイホーム連中が多いということなのだろうが、私もそういう人間だったりすることが判明。結局そのまま居座ってしまっている。
 小中高と転校生や転入生を見る度に、途中で入り込むのは嫌だなと思っていたから、暮らすなら北海道だなと思ってきた。北海道人は札幌で満足してしまう面も多分にあり、ある意味で内向きだ。道庁体質と呼ばれる気質は確かにあると思う。東京は多分に地震が起きて崩壊すると信じていたりする私だから、あんまり長居はしたくない。特に決断をしてこなかった私だが、ここまで着たら意地でも住み着いてやろうと決意していたりする。決意はそれだけなのだが、果たしてどうなることやら。 Home&Photo


2003年01月20日(月) 氷池突く嘴の高き音を添えて青増す空へ羽ばたく

 気晴らしに中島公園を歩く。踏み跡は乏しいが、歩くスキーの跡が多く、靴に雪は入らずにすむ。人は少なく、明るい午後の日差しに雪は白く照り、白壁の豊平館が美しい。柱の薄い青が映える。
 池は流れのある部分を除いて、ほぼ全面が結氷している。そんな中、一羽のカラスが池の真中で氷を突付いている。凍った魚でもいるのだろうか。カンカンという乾いた音が、湿度もないであろう乾いた冬の空気を貫く。飛び立った黒い点を追いかけると、空は澄み切って果てしもなく高かった。

 氷池突く嘴の高き音を添えて青増す空へ羽ばたく Home&Photo


2003年01月19日(日) 雪ごもり

 日の出ている時間が加速しているようだ。朝は30秒早く、優は1分強遅くなっている。気がつけば1月も下旬。冬只中である。

 買い置きの灯油タンクが空になり、今ストーブに入ってる分しかなく少し不安。歩いて2分でスタンドがあるが、エレベーターの前に灯油げんきんの張り紙があると、どうしても気後れしてしまう。節約のためにストーブを切った途端、冷気が膝を襲う。
 北海道は室内では薄着が当然だ。他の所は知らないが、話しを総合すると室内は北海道の方がかなり暖かいらしい。という私も夏の終わった頃と同じ格好をしている。下着に長袖のパジャマだけで、ちゃんちゃんこやセーターなどもあるが着る気にはならない。この格好で寒いなと思えば、とりあえず布団に入って寝てしまう。中途半端なコタツなどより布団である。おかげで冬はとりあえず寝転がることが多く、読書も寝転がってそのまま寝入ったり、テレビも同じで全く非活動的である。

 日曜なので父の見舞いに出かけようと思ったが、外は結構な降りである。ベランダには雪山が1mの高さに達している。除雪も踏み固めもしていない雪だから、なかなか質はよいと思われる。昨年いろいろ植えたものがその下で眠っているが、いちごは冬を越すらしい。唯一まともに実がなったから、来年も期待しよう。槌の殺菌などはめんどくさがってしなさそうだが、思い切って肥料をたくさん追加してみましょ。んでもって、枯れてしまっていたと思っていたヒメシャクナゲやミヤマリンドウもしぶとく茎を伸ばしていたし。今年も頑張るのだろうか。植物というのは本当に勇ましいものだ。動物なんかよりも強く、人間なんか及ぶべくもない。
 降り止まない雪でも車に乗ってしまえば何とかなるのだが、近くに車がない私は非常に億劫である。冬の雪国、やはり車は近くにあるべきだと痛感。またしても親不孝を重ねる。幸いMRIの結果も良く、不安はなさそうであるが、母からまたお叱りの電話が入っていた。息子の音信不通には慣れている筈だが、3日の不信は親不孝である。父なく過ごす2週間というのは母にとって初めてのことかもしれない。一人で過ごすことにすっかり慣れてしまった子供は、そうして大事な機会を捨ててしまっているのだろうか。

 まだ早い夕時は暮れることも忘れてさっさと退場してしまった。部屋の明かりに照らされて雪山の白さが際立つ。父も母も大変だ。それとは別に私も大変なのだが、交錯させるべきでもない。謝りの電話をいれて、来週でかけてみますです。 Home&Photo


2003年01月17日(金) 不意

 10分ずれていれば問題なかったのに。そんなことは結構あるもの。印象が強いだけあって記憶煮に頃のかもしれないが、やはりそんな瞬間はあるものだ。それが今日だった。
 会わなくてもいい人に会ってしまった。本当に狭い世界である。いろんな人の近況も聞いた。みんな頑張っているなぁ。そして私はみすみす損をしているなと。そしてまた一つ、矛盾を抱え込んでしまった。嘘ではないが、嘘といってもいい。そんな感じ。
 人は一人では生きられないし、いろんな人の支えを受けて成長するものだが、その支えを受け入れられなかった時にどうなるのか。それが私のここ数年間だったんだなと、河川敷を歩きながら思う。多分あの頃会った人々は、少し私を馬鹿だなといいつつ、それで何もなかったように付き合えるのだろう。だけれど、今は会いたくない。それが素直なところ。 Home&Photo


2003年01月15日(水) 新湯訪問

 テレビでやっていた新しい銭湯へと出かけてみる。札幌の西の方の発寒。湯屋サーモン。随分混んでるかと思いきや、わりと空いていた。
 新しくて清潔そうな湯船は半身浴も気軽にできるように段差がきちんと広くあって好感が持てる。ずっと浸かってばかりでは長湯が出来ない。露天風のお風呂も同様の感じで、木の質感が◎。テレビがついているが冬だけあって湯煙が多くほとんど見えない。テレビも良いねと思ったが、少々うるさい気もしてくる。湯船に浸っている間くらいは要らないね。
 で、評定は上の下くらいかなと風呂仲間と語ってみたり。そんないっぱしの口を利くなんてと笑ってみたが、そういっていいほどめぐっているのも確かなわけで。これが銭湯価格なのだから、通常の古い銭湯じゃ太刀打ちできないわけだ。確かに足さえあれば近所のところに行く気にはならない。日常生活の中に銭湯が組み入れられていれば別だが、もうそういう人は少ないだろう。ちょっとしたお出かけ気分という時代だ。
 そういいつつ、中心部だが交通の便の悪い私の部屋の近所には歩いて数分圏内に2軒の銭湯がある。なんだかんだでお客も入っているように思えるし、そこそこの需要はあるのだろう。田舎から出てきた私のように、小さなユニットバスでは満足できない若い人もいるだろう。どういう形で調和が取れるのかはわからないが、昔ながらの風景はこういう街中の方が残るのだろう。

 背の高さ近くにまで高くなった道路と歩道の間の雪山を、シャベルカーが崩していく。カチンカチンに固まった雪山はほとんど氷山。停車中の私に向かってくるような気迫で勇ましい。道路はつるつる。温かい湯が愛しい季節なり。 Home&Photo


2003年01月14日(火) 慰霊・死・乗り越えるということ

 小泉総理が靖国神社に参拝したとニュースで騒いでいる。北朝鮮がらみといい、ニュースのネタはあまりないようだ。小学校の頃だったか、ニュースがたくさんある時とない時でどちらが大変かと先生に訊かれた。答えは、ネタがないほど大変だとのことだった。
 これほど堂々と靖国に参拝する総理は中曽根氏以来だろう。世論もだいぶ穏やかになったようだが、北朝鮮がらみで中国とも温和に行きたい時にやってのけるのも以外だったが、年一回ならいい時期なのかもしれないし、指導部が変わったことに対する様子見かもしれない。

 靖国神社の前身は「招魂社」という無宗教の慰霊所で、幕末の死者を弔うために設けられた日本史上初の統一国家的祭祀所である。昨今その宗教性が問われているが、元々は神仏儒から敢えて一線を画した無宗教だった。明治半ばに神道に移行し、昭和にかけて国家神道の総本山のような扱いを受け、現在では右翼の色彩濃く見られながらも単なる一私祀にすぎない。
  一私祀に過ぎない靖国神社がこれほどまでに国家主義思想と同一視されるのは、国のために死んだ人を弔う慰霊所という前身があったからで、軍が拠り所とした統帥権と権威としての神道が重なった唯一の場所だったからである。
 日露戦争の勝利の後、肥大化した参謀が統帥権を神聖化して暴走した。天皇の名のもとに、と悲壮にも参じた兵隊は死して靖国で会うことを誓って死んでいった。遺族会が靖国神社を尊ぶのは死した方々の思いがあってのことだ。そして朝鮮の方々などの徴収されて亡くなった方やA級戦犯も合祀された。深い考えがあったわけではなく、日本で唯一の場であり、満州も朝鮮も当時は日本領と考えられていた。それだけのことである。

 天皇は明治維新のときに祭り上げられただけで、世界史上類のない千年の永きにわたって「君臨」していたかも忘れられていたほど空な存在で、「統治」など記憶にもない存在だった。神兵などという概念はほんの十数年の間に醸成された麻薬みたいなもので、単にろくな根拠もない参謀が作り出せたのは、その程度のものだったのである。

 戦争に負けても死者は弔われるべき存在である。しかし中国や北朝鮮・韓国は非難する。A級戦犯と外国人が合祀されていることに対してであろう。神道の論理では、一度合祀されて一つになった御霊を分かつことは叶わないそうである。これに関しては何とかならないのだろうか。そんな硬いことを言わずに。
 A級戦犯に関しては異論がある。言い換えればヒトラーやムッソリーニを祭るとは何事だ、ということになると思うが、死すればそれを弔うのは結構なのではないか。ヒトラーも人間であり、画家を夢見る純真な時代もあった。行ったことは許されないが、存在した人間を全否定することなど可能なのだろうか。他者とのかかわりを否定して彼一人の存在に全てを帰すとしたら、それは神格化であり悪魔化である。人は人に過ぎない。実際に被害を被った方々や、ただただ異国から襲ってきた極悪人としか言い様のない人々にとってみれば割り切れるものではないだろうが、罪を憎んで人を憎まず、というのは真理なのではないだろうか。少なくとも日本には、死すれば皆神様という考え方があるだろう。

 靖国の問題は宗教の問題と絡みつく。いっそ原始神道に立ち返って、清められた砂地に石ひとつを置いてみてはどうだろう。誰も何も言わなくなるのではないか。それは極論だが、死者に対して尊敬・敬愛・慰霊・時には憎しみや哀れみを込めて手を合わせるという感情を自然に理解できる、ということを広めるのは不可能なのだろうか。

 世界で最も死刑が行われているのは中国とアメリカである。日本は法務大臣がなかなか判を押さないが、行われてはいる。昨日、アメリカのどこかの州知事が冤罪が複数発覚したことを機に死刑囚全てに恩赦を施した。
 日本でも、抵抗勢力として名高く、大盤振る舞いな元警察官僚亀井静香氏は死刑廃止議員連盟の代表である。氏に必ずしも雷同するわけではないが、「犯罪者に対する憎しみを乗り越えることも被害者が背けてはならない事実である」というようなことを言っていたが、これには感銘した。また、たとえ僅かでも誤認の可能性があれば死刑を行うべきではないとも言っていた。国家が行う死刑はあくまでも犯罪抑止力としてのものであり、代理報復であってはならないと思う。

 犯罪にせよ戦争にせよ、責任あるものは罰せられるべきである。昨今被害者の権利が叫ばれて久しい。これは、誤認逮捕や政治犯の保護に念頭が行ってしまっている現在の法体系の矛盾であり、正すべき事柄だ。しかしながら、「死」はどうか。被害者やその家族は確かに気の毒だが、その被害者になる可能性は誰にでもある。乗り越える形というもの、それはやはり個人・地域という小さな単位であろう。試練であるが、大きすぎる声には何もない気がしてならない。 Home&Photo


2003年01月11日(土) 雪の河川敷

 自衛隊のトラックが雪を積んで走っている。そういえば雪祭りも近いようだ。今年の冬は寒さがきつく、雪もそこそこ降ったが、最近は日の出ていることのほうが多い。表面の雪は、溶けては凍りを繰り返したように硬い。

 晴れ上がった空を眺めて、ふと河川敷へ降りてみた。一年を通じて立ち寄った場所だが、雪が降ってからは行っていない。広い河川敷は真っ白で人気もなく、たまにいる人よりも一緒の犬の方が気になる。
 河川敷に降りる足跡は犬のものばかりで、たまにカラスが混じる。足跡を伝って降りようとする人間には心もとない。ようやく一筋の踏み跡を見つけて降りていく。雪は硬く、沈み込みもあまりない。振り返ると堤防を越えてはるか高くそびえるマンション群。反対側はそれほど高くはないがやはりマンションが多い。手をかざしてそれらを隠してみると、雪の原と川の流れだけになる。
 川近くに一筋の細い踏み跡が続いていて河川敷の散歩道になっているようだ。ジョギングの踏み跡にしては心細げで、さすがに冬は走る人が少ないのか。そんなこともないと思うのだが。
 敢えて川近くにまで近寄る。硬い雪も片足を上げた瞬間沈み込む。そろそろと川べりにちかづく。ブロックが雪に隠れているので、自然の川のように馴染みやすい。流れの穏やかな冬の川は人気もなく静かで心地よい。しゃがみこんで目を閉じると、流れの音とともに日の光がとても暖かい。この温かさが白く反射する雪の表面をもゆっくりと溶かすのであろう。日差し自体は、冬至を越えて勢いを盛り返しつつあるようだ。朝の時間はさほど変わらないが、夕方は少しずつだが確実に遅くなっている。寒さはまだしばらく続くが、日差しは元気になるから、よりメリハリの利いた冬景色はこれからが本番だろう。

 時計を無くしてしばらくたっていたが、今朝引っ張り出したズボンの中からでてきた。ラッキィと思いつつ、それからずっと時計なしで暮らしていたと思い返す。通勤の途中で時間の指標となるのは、ビルの隙間から覗き込む遠くのテレビ塔の電光掲示板だった。無しでも何とかなるもの。そうはいっても持っていれば見てしまうもので、時間切れを見計らって退却する。

 思えば2年間、この河原を見つめていた。2年前の春先にはあしげく通って弁当を食べた。例によって記憶はそんなにないが、しばらくたてばいろいろと印象が還ってくるだろう。多分私はここを離れることになる。1年を通じて景色を目を向けて眺めたということは、きっと糧になるだろう。

〜K音様、お見舞いのお言葉どうもありがとうございます〜 Home&Photo


2003年01月08日(水) 父の入院

 病室に父の名があった。看護婦さんに何かしてもらっているらしく、カーテン越しにふくらはぎより下だけが見える。看護婦さんが出ていってからのほうが良いだろうと待ってみる。あんなに足が小さかっただろうかと心細くなる。そうしてると姉がやってきた。結局そのまま入ることになった。
 すでに母も来ていた。粗末なベットに横たわっている父は小さく見えたが元気そうだ。半身を起こして少し話す。脳梗塞ということを知って見ると、左半分の顔面が少し下がって見えた。話すとやはり左半分の唇の動きが悪く、長くなるとどもる感じになる。左半身が軽く痺れるようだ。母が手を握ってみると握力は十分あるようだったが。脳梗塞としては幸運な軽さといえるが、CTでも血栓が確認できるらしく、拡大しなければ御の字ということらしい。リハビリでよくなればいいのだが。

 病院は市内では大きなものの一つだが、いかにも古く狭く、そして混んでいた。たとえ老人であっても男女を一緒にすることはないらしいのだが、6人のうち2人が女性。症状もまちまちで、1人は人工呼吸器をつけて完全な寝たきり。たんが絡む音がひっきりなしに聴こえ、看護婦さんが10分おきくらいに処置をしている。もう一方、自分ではほとんど動けない女性がいて、車椅子で病室に戻ってきた。身内の方と思われる女性が明るい声で話し掛け、飲み物を勧めたりするが、その女性は泣き始めてしまったらしい。後姿しかわからないが、患者さんも介護する側も必死になって戦っているように思えた。他の3方はかなり高齢らしく、腎臓もわずらっているらしい。脳神経の疾患は腎臓に影響が出やすいのか、みんな水の入った容器をベット脇に置いてあって、飲水量を制限されていた。普通に話が出来そうな人は1人だけだった。
 症状の重軽はあっても同じ病気だ。となりに人工呼吸器というのは心穏やかなものではないだろう。自分の幸運を幸いと思ったり、紙一重の恐怖に慄いたり、いつか同じ境遇に陥るのかと恐れてみたり、酷とは思うが安らぐ環境ではないだろうと思う。病気とは残酷なものだし、それに接するあらゆる人にとって試されるものである。入ってきた車椅子の女性を見たとき私はどんな顔をしたか。

 父は一見は健康そのもので、入院生活を送るにはあまりに退屈そうに思えた。結果がきちんと出るまではテレビや読書も控えるらしい。最も父には室内でする趣味など一つもなく、本もほとんど読まないから何をして長い一日を過ごすのだろう。トイレへ歩き出した父は杖が欲しいと看護婦さんに言ったが、大丈夫ですよとの返事。はじめの数歩はかなり頼りなげではあったが、足取りはまぁ問題なさそうだった。左なら車は運転できるなと話している。大好きな釣りに支障はないだろうか。定年した年に運動障害を抱えたとあっては42年間働いた意味がないという。

 2時間弱ののちに病院を後にした。雪の少なめな街だが光景は白く、製紙工場の白煙が空をも白くたなびかせていた。姉とは母は実家へ、私は札幌へと反対方向へと帰っていく。
 寝不足の私は、ミントのガムを噛みながら細切れの考えを巡らせる。続かない想いは、葉を落とした木々やその向こうに広がるウトナイ湖、シニアマークをつけた軽自動車を運転する老人、ジグザグと追い越しを重ねては信号で再び並んでしまう白い車。長続きしない。
 北広島を越えると札幌圏内。車線は雪のため一車線減って流れは滞りがち。国道を外れてもそれは全く代わらなかった。距離にして25%に半分の時間を使ってしまう。病因は北海道の中堅都市にあるとはいえ、札幌は道内では比類なき大都市であるが、ほんの一部でしかない。

 車を置かせてもらっている友人と銭湯へ出かける。同じ親不孝をしている彼は、正月実家に帰ると他の二人の兄は帰ってこず3人だけだったとのこと。帰ったことが何よりの孝行だと言いつつ、普段は言う資格もない親の大事さを湯からあがりつつ語ってみたりした。帰りに立ち寄った食事屋で道路事情の話をしつつ地方の緊急医療の話になってみたり。無駄の代名詞にあがる北海道の高速道路だが、緊急医療の必要性から論ずる向きもある。道東や道北だと半径100キロに数万人規模の街がない地域も珍しくなく、当然病院事情もお寒い。高速道路が最善策とは思わないし、むしろ札幌に偏りすぎた医師の配置を何とかしなければと思うが。
 私の田舎町は北海道ではそこそこの人口がいるほうではあるのだが、医師が複数いるような病院は町立病院しかなく、そこでも常駐の医師はもう70になる人1人だけで、他は大学からの出向である。父はこの病院を素通りして車で30分の市の病院に姉に運ばれていった。症状のあらわれたのは朝で病院に向かったのは夜だ。半身麻痺の徴候から脳梗塞であることは少し知識があればわかったであろうから、私がいたら救急車に乗せていただろう。でも父は拒んだだろう。症状は軽かったし、田舎で救急車などという話になるといろいろと面倒だ。公務員だった父は平日に休む時に庭に出ることも控えていた。

 今こうしている瞬間にも、父は何を考えているだろう。隣の人工呼吸の音に幾度か目を覚ましてるのではないだろうか。疲れのない不自由な身体に思考は冴えるだろう。きっと、自らのことよりも家族のことを思っているだろう。
 切に願うのは、父の健康と、父に伝えられる私の安心できる要素何かである。その何かが欲しいと思う。どんなものでも良いから。 Home&Photo


2003年01月07日(火) 脳梗塞

 夜、草薙剛主演のドラマ「僕の生きる道」を何となく見たり。中学教師が何となく生きてきて突然余命一年を宣告される。何となく生きるってのを日常生活で描くとこうなるのかなと少し感心してみたり。草薙君って本当に普通に演じる。突然余命1年って言われてどうするだろう。なんか、私ならそのまま眠りについて考えない振りを決め込んでしまいそうな気がする。聞く前はドラマにもならないけれど、聞いたからってドラマになるかななんて思ってみたり。第一話はひたすら現実的だった。

 その20分後、姉からFAX。父が脳梗塞で入院したとある。
 脳梗塞。死に近い病名である。麻痺にも近い。滅多なことでは連絡もしない実家から、電話等が嫌な私に。こんな時間にくるとすれば良い知らせなわけもない。
 FAXに書かれた”脳梗塞”の文字。”父さんが入院”の文字。私は冷静だった。そんな気がする。そんなこともあるだろう。文字でかかれた知らせは電報のようなのかもしれないが、受け手に人が介在していない分、なんか非現実的だ。

 連絡がついて話を聞く。向こうの声は感情的ではない。良かった、死んでない。それは確かに嬉しかった。聞けば朝から何となくだるく、方半身が少し麻痺している感じがしたそうで、車で30分かけて病院に念のために行ったところ梗塞があることがわかったそうだ。徐々に症状が現れてよかった。一気に現れればそのままだっておかしくない。今は再発の可能性を考慮して入院しているそうだ。
 脳梗塞というから多分血栓があるのだろう。その血栓が存在するとすれば次も考えられる。詳しい事情は明日聞かねばならない。実際聞いたところでどうしようもないのだが。
 そう考えると、家族というのは無力な存在だが、人が老いて、時には若くしてしに直面した時に医療よりもまずその人のために何ができるか、何をしてきたかを思うだろう。誰が考えても尽くしたりないと思うだろうが、私の場合はひどすぎるなと、今FAXの文字を見ながら思う。死を意識しているだろう父の夜に私はままならない自らを思う。やはり自分のことを考えている。
 正月の瀬戸内寂聴さんの対談で”お他力”のことを盛んに言っていた。自らのためではなく、他者に生かされている。だから自分も他者のために生きれば幸せになれる。そんな内容だと思ったが、自分の行き方に囚われ、他者との関係が構築できなかったら辛いなと思う。どっちにしてもたやすいことではない。

 自らにちかづく死。身内に近づく死。それらは確実に近づいている。その報にじたばたしない私はいったい何なのだろうか。そう思いつつ夜は明けていく。そう、思っているほど私は冷静ではないはずだ。そう思いたい。 Home&Photo


2003年01月01日(水) 猫正月

 実家の猫は私が数年前拾った猫である。当時と比べると顔が細く身体が太くなり、重心がかなり後ろに行ってしまったようだ。毛色はアメリカンショートヘアーに似ていなくもないが、明らかに雑種である。札幌で1年ほど暮らしたが、実家にしばらく預けるつもりがもう数年になる。私のアレルギー体質のため動物を一切飼わなかった実家だが、元々父は動物好きだったこともありすっかり家族になっている。ほとんど愛想もない老猫となったが、それがまたいい間柄のようだ。
 今回は私の飼っている2代目猫を連れ帰った。念のため去勢はしておいたがどうなるかと思ったが、案の定全くだめであった。実家猫は元々気の弱い猫で、我猫が近づくとシャー!と唸り声を上げる。結局2ショットは諦めて時差で今に居座らせることになった。
 実家猫は推定10歳を優に越えている老猫だ。8割は寝て過ごしているという。
 姉は2匹を並べて写真を撮りたかったようだが、とてもそういう雰囲気ではなかった。実家猫はとっても臆病のよう。新しい猫を迎え入れるというのはそうたやすいことではないらしい。
 しかしながら、動物というのはコミニュケーションの良い中継点だ。猫を介して会話が繋がるのよね。そういう研究を生真面目にしてる人がいろいろ数値化して発表してるのを眉唾に思って聞いていたが、実際その効果って人にとってとっても大きいんだなと思ってみたり。
 実家でもビール作りを薦めてみたが、18度を維持することがさすがに大変そうだ。冬はさすがに厳しい。毎度の寝正月ながら、それはそれでよしとしよう。 Home&Photo


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