私季彩々
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2002年12月31日(火) 帰郷

 札幌から地元までは車で2時間強と意外と近かった。路面状況も悪くはなく、国道をひた走る。夏ならば支笏湖を通る山中の国道を走るのだが。
 札幌から北広島あたりまでは住宅街が連なる。そこを越えると比較的空いた空間が広がってきて恵庭・千歳と続く。途中恵庭の恵み野という新興住宅街を探索。専門学校や図書館が集積する小文京地区という感じだ。聞くところによると、都市以外の専門学校や大学はせいとあつめが大変な時代になってきているそうだ。このあたりから西は支笏湖を中心としたうっそうとした森林地帯が、東は大きく碁盤の目に区切られた田園地帯が美しい。農業ができるということは地味が豊かであるということでもある。
 飛行機が舞う千歳を越えると殺風景となる。左手にウトナイ湖があり周囲は湿原地帯である。平原が続くが冬枯れの風通しの良い林の木々は細々とした感じがする。千歳・苫小牧から胆振のあたりは樽前山や他の火山群が活発で、少し掘ると火山灰がかなり堆積しているのがわかる。アイヌ語の地名からも”ヨシが生えるところ”などとあるように、平地に見えても泥炭地だったりして地味はよくない。そういえばこの地を離れるまで、酪農や馬産はあっても畑や田んぼという光景はほとんど縁がなかったことに気付く。気候的にも北海道の南にありながら夏涼しく農業向きではない。むしろ日本海側やオホーツク地方の方が農業が盛んだ。この当たりは苫小牧や室蘭を中心とした工業で成り立っていて人口もそこそこ多い地域だが、北海道の他の多くの地域とは成り立ちが随分違うかもしれない。そんなことを考えながら殺風景な道を越えて太平洋を眺める。路肩には意外と雪がある。この地方は道路までアイスバーンになることは滅多にない。

 市街に入ると少し不思議な気分になる。私的には随分疎遠となった街だが、この道を歩いた期間は私の人生の中でもまだ大きな時間的占有率を誇っている。遠い記憶の中よりもずっとこじんまりした道。そんな道を私は10年以上歩いていた。
 実家に着く。家は変わらず、大きな居間のサッシから明かりが漏れている。今来た道を振り返ってみる。数日後私はこの道をまた戻る。家族に見送られながら。着いた早々帰ることを考えて、少し涙ぐむ。街灯に照らされた雪は硬くしまり、風は目元に冷たい。今年も一つ不安を増やしてしまったが、それを隠して私は帰郷した。父の退職のときから8ヶ月がたっている。 Home&Photo


2002年12月28日(土) 明るさと幸を求めて混ぜている絵の具どうして暗くなり行く

 水彩に油彩絵の具を混ぜたならどんな風になるのだろう。お互い混ざらないながらもバランスが取れるのだろうか。ドレッシングの水相と油相のように、細かな油滴が散らばるのでしょうか。一旦水彩が乾いてしまえば油彩の方が勝ってしまうのでしょうか。キャンパスが違うからそもそもそんなことをしないでしょうけれど、ふと考えてしまった。

 岡本太郎はキャラクターのインパクトがすごかったけれど、実際作品をみてすごい人だと思ったのは着物を見たときだ。白地に溢れんばかりの迫力のある青が強烈だった。羽までかかれているようで、布の枠に収まりきっていなかった。
 ジミー大西氏も何かの番組で絵が素晴らしかった。今は完全な画家とのことで、原色基調の細かい絵を書いている。彼は岡本さんを師匠としているようで、遺品として岡村太郎から紫の絵の具を貰ったそうだ。その意味するところを、紫はどの色ともなかなか合ってくれない主張する色だから、これを使えるようになるまで封印している、というようなことを言っていた。

 画材は最低限持っていながら結局使っていない。小さい頃からスケッチとかしていたけれど、結局ほとんど上達しなくて才能のなさにさめざめしていた。時間が出来たらまたかいてみようかな。

 たくさんの色を混ぜて、錯誤しているうちに色はどんどん暗くなって元に戻らなくなる。そんな感じで12月が過ぎてしまった。我ながら失敗の多さが雪達磨式に加速して、いくら注意してもどこかが抜けている。どうしてしまったんだろう。

 そんな中に油絵をつぎ込んで逆転を、などというわけにもいかなさそう。
 キャンパスを変えることも考えなければならないだろうか。

明るさと幸を求めて混ぜている絵の具どうして暗くなり行く Home&Photo


2002年12月27日(金) 猫去勢

 札幌は一日で50cmを越える雪になった。目覚ましで起きつつ、一旦1時間進めてまた寝入ろうとしたが頑張って起きて正解。1時間ですむ予定が2時間以上かかった。道路は大渋滞。バスは来ないは2車線の道路はぎりぎり1車線。進まないわ進まないわ。道は真っ白で、目を凝らして必死で前方を見据えて進む。いやぁ大変だわ。雪国って素敵。
 よりによっても今日は猫の去勢の日。昼までに行かなければならないというのに。大遅刻の末辿り着いたが獣医さんは優しかった。素敵。で、体重を量ったのだが、この猫4.7kgもあった。そんなに大きいかしらん。
 夜引き取りに行くとなんかフラフラ。麻酔がちょこっと残っているらしく、後肢が定まらないのがまた可愛い。で、タマタマが無いととってもみすぼらしい。はは。これでおとなしくなってくれればいいのだけれど。目的は「静かにしろ!」なのだ。それと放尿抑制。大期待です。
 去勢というのも男から身につまされる感じ。なんか申し訳ないよなぁ。
 中国には宦官ってのがいたけれど、あの辺はいかにも小股が涼しすぎそうで、所在無い感じだが、なかなか彼らはこすからかったようだ。去勢をすると太るというし、髪も豊かになるようだから、どことなく丸みのあるなよっとした中で悪だくみをしていそうだ。
 男の頭の前部や頭頂部が禿げるのは男性ホルモン支配がこの部位だからだ。側頭部は支配が薄いのでその辺は残る。製というのは見も心も揺さぶるもので。
 そんなわけで猫ちゃんごめんなさいね。甲斐性なしな主人ですが、君の面倒だけは一生みますですよ。仲良くしていきましょうね。ほほほ。 Home&Photo


2002年12月26日(木) 裏切りの序章

 現実味はないといいながらも土地を見聞していた今年。夫婦でマイホーム探しというのならわかるが私の場合はそんなのではなかった。住むというより趣味である。
 山歩き森歩き、酒、映画、音楽などなど、まぁそこそこの趣味はないわけでもないがどれも中途半端なので、大学時代のような暇な連中がそこそこ周囲にいた頃ならばそれも楽しかったが、そろそろ交友関係も狭くなっている。何らかの団体にでも入る手順を踏むべきなのだろうが、何となくそれほどの社会性もないし、実際それほどの社会的信用もない。そういいつつ、高校時代にはすでに「夢の丸太小屋に暮らす」を愛読していたくらいだから、そういう興味は連綿と底を流れているわけだ。

 厚田村あたりを転機の良い日はぶらついて、実際住めないものかと思案したり、果ては現実的にマンションでもと不動産屋さんに案内までしてもらった。二つとも自然環境のよさが主眼だったが、実際のところマンションに傾いてはいた。札幌市内勤務となれば、自由設計の趣味の空間など夢の話である。やりたいことと仕事という板ばさみをちょっと感じてみたり。やりたいことってのは本気かという自信のなさもあり、一生の仕事にするかと思っていた仕事に黄信号が連続していたり、どっちも心もとない状況に最近陥って、マンション購入はきっぱり諦めた。間違いなくこれは本命ではない。

 給料を得るという意味で、現在私は3つの仕事をしている。メインの仕事は修行という形で大変良くして貰っているのだが、私の習得具合は鈍足で、しかも信じられないミスを連発してしまい、痴呆症の気があるのではと自分でも思うほど信用を失っている。それでも良くしてもらっていることは確かなので本当に申し訳なく思っていたりする。この手技を習得すれば専門家としてやっていけるし、おもしろくもあるのだが、最近はなかなか厳しい。札幌暮らしは確定だ。
 もう一つは専門学校の講師。悲喜こもごもだが3年になる。営業ややる気のない生徒などなかなか大変だが、授業という単位の仕事とその時間を完全に任せてくれるということがかなり面白く思っている。人が大の苦手だった私がこう思うのが不思議だが、同じ気質だった友人が今更教員を目指しているのを見ると不思議に思える。ただ、小子化に伴い先行きはとっても不透明で、郊外や地方ではその勢いがより激しいそうだ。学校によっても差はいろいろ。

 そんな中、とある専門学校で求人が出ているのを見てしまった。札幌郊外の町にある多角化著しい学校でかなり危なっかしいのだが、学校関係者の話ではそんなに悪くはない様だ。何より場所が良い。私が星見に通っていた場所に車で30分。森の師匠いわく、札幌近郊でも穴場な良い環境だという夕日で有名な丘まで20分である。別荘地といえなくもなく、地代はそこそこなのだが永住と考えれば手頃でもある。坪1万円で売りに出ている。しかも全町ブロードバンド無線が網羅してあるので仙人暮らしでもネット環境はOKだ。

 修行中の身でありつつこんな浮気心を抱いて、しかも仕事が半端ではどうしようもない。やりたい仕事をしていれば暮らしや環境も備わってくるだろうと思って漠然と暮らしてきたのだなとちょと悲しくなる。そんな話をむかし友人としたが、彼は子が全てだと一蹴した。そんなものなんだろな。一人で生きるというのはやはりふらふらだ。でも、彼は少しずるいと思ってみたり。
 はたして自分がどうしたいのかといまだに悩んでいたりする。今修行を止めれば明らかに嫌になって辞めたと思われてしまう。裏切りに等しいし、私には前科がある。もちろん、応募したところで採用される可能性は低いし、それだってずっと続けられるかなんてわからない。

 やりたいことのために仕事は仕事と割り切る人も多々いる。私はいろんなことに真剣な振りをして、人の好意に甘えて最後に裏切ってばかりいるような。
 今ある私の中で核となるべきものは何か。移り変わるのはやむおえないとしても、やはり決断しないとならない。
 やはり天秤に掛けている。一点賭けで切る環境には私はいない。ああ、やっぱ卑怯だけれど。うぬぬぬ、ぬ。 Home&Photo


2002年12月25日(水) 運がわるけりゃ死ぬだけさ死ぬだけさ

 小田和正のライブが深夜流れていた。去年もやっていたような。去年はいろんな人の曲をやって、その上その本人にも来て貰おうという企画だったが誰もこなくてしょげていたような。それでもさすが小田さんって感じ。中島みゆきや吉田拓郎から宇田多ヒカルや浜崎あゆみまで、彼が歌うと詞がストレートに入ってくるのよね。やっぱり詞の力って大きい。
 世で言うおじさんクラスの歌い手がとても元気。すかしていた時代を越えて、今は誰にでも好かれたいなんて言ってみる彼らは本当に素敵だ。

 どうでもいいが、沖雅也がやっていたドラマで「走り出したら何か答えが出るだろうなんて俺も当てにはしてないさしてないさ」という曲が私のリフレインだったのだが、鉄腕ダッシュのソーラーカー企画でバックに流れていてリスペクト。「どうせ一度の人生だー」。何となく投げやりながらもひたむきだったあの頃のドラマが私の心象をどれほど引っ張っているのかなと思ってみたり。
 「運がわるけりゃ死ぬだけさ死ぬだけさ」なんて。うんうん。運が悪くなくても死んじゃうけれど、嘯きつつ、そんな運を何に費やしてみようかと。 Home&Photo


2002年12月24日(火) 多様性こそが源である世でありますように

 クリスマスはキリストさんが生まれた日と聞いていたが、必ずしもそうではないらしい。実際の生誕は紀元前4年とか聞いたような。どうしてそんなにあやふやなのだろうか。今は確定しているのかもしれないけれど。

 世界史好きな私だが、最近の読書量は超低空飛行なので詳しいことはわからないが、実際まことしやかに習ったり書いたりされているものは驚くほど少ない書物や史跡を元にしているに過ぎない。ローマ史などは五賢帝時代の一部はほとんど記述が残っていなかったりするし、五賢帝時代の直前の皇帝達は主観の混じった史文のために大きく捻じ曲げられ、記録抹消刑に処せられた皇帝などは手がかりとなる肖像まで破壊されてしまっている。断片を拾い上げるパズルの様なもの。歴史にキリストが登場して年代記とリンクするようになるのはかなり後のことのようだから、細かなずれが生じるのは仕方ないのだろう。
 しかしながら、宗教というものは権威が大好きなようで、時を経れば捻じ曲がる。古代ヨーロッパでは冬至は弱まった太陽が復活する日で、神々の復活を祝う聖なる日だったとのことだ。もちろん神様ととなりで一緒に暮らしているような大らかな時代だからそんな権威ばった日でもなかったようだが、時代と共にキリスト教一色となっていくにつれ、キリスト誕生の日は古来の神々の復活の日に重ねられてしまったというのが事実のようだ。

 サンタクロースというのも元々は聖人の偉業に感謝する日らしいが、コカコーラの販促の衣装が全世界に広まったのが本当で、ヨーロッパの牧師さんとかが本来の形に戻ろうと運動している。それはそれで結構だが、商業主義のサンタクロースなどは冒涜だともいっているらしい。

 そもそも神話や聖典はある種の事実を背景としているのは確かだが、権威づけで大きく脚色されている。そのバリエーションは大して多くはない。そこに全ての答えを求めるのは無理があると思う。だからそういった類は全て物語り形式なのだろう。人の想像力や読解力は宇宙より広く、互いに影響を受け合って大きな潮流になりがちだ。神様が一つなら、寛容さが失われてしまうようで私は怖い。

 伝説や神話を荒唐無稽と一蹴してしまうのは寂しいし、信じ込んでしまうのはもっと怖い。清濁合わせて人であり、濁りから生まれるのが生命だ。人が素敵な生き物であることは、そういった幸せな嘘や壮大な古代のロマンを幸せに咀嚼できる寛容さを持っているからだ。そんなことを偉大な哲学者が言っていたような。

 世界が平和で、多様性こそが源である世でありますように。 Home&Photo


2002年12月21日(土) 椅子の上膝を抱えてストーブの薬缶静かに沸くを聴きおり

 少し疲れている。心根的に。

 古傷の膝が痛む。この半年地味に痛んでいる。歳とともに膝に来るのは仕方ないと覚悟しているとはいえ、歩くのが辛くなると私の場合人生を大きく損するなと、豊平川の河川敷を歩きながら思う。道は完璧なアイスバーンで、膝を張らないとすぐに滑ってしまいそう。

 帰ってすぐに食べれそうなものをと、余り物を集めて煮て、もちを入れて雑煮にしてしまう。少し早いがけっこうおいしい。山に持って行くにも良い、もちは優れた食品だ。
 そういえば、今年は山には行かなかった。雨竜沼に行ったのとキャンプ場に行った程度だ。富良野の鳥沼でテント暮らしをしていた人々も当然あそこにはいない。所持金2000円で仕事を探すかといっていた青年は果たして今どうしているのだろう。あの日のキャンプ場の光景は、違和感を抱えながら心に残っている。昨日仕事を辞めて来たと携帯電話で大声で話す大阪弁。キャンプファイヤーで照らされた顔が余りに人が良さそうだったギターを抱えた方。ただ好奇心と時間を持て余した無垢な若い旅行者とは違う空間が妙に懐かしい。私は決してそういう雰囲気に馴染む人間ではなく、行く度に馴染めないなと落胆するのだがどうしても惹かれる。いったい何なのだろうか。

 眠気が襲ってきてさっさと寝入る。布団に入れば私の思考は停止する。寝れなくても余計なことを考えて核心は考えない。目覚めると朝の4時。早起きは素敵。

 ストーブを焚いて薬缶を載せる。乗せた瞬間からコトコトと熱が伝わる音がする。

 そういえば、最近は白湯ばかり飲んでいる。コーヒーはほとんど飲まない。紅茶はティーパックが楽だからたまに飲む。本当は緑茶がよいのだが、急須を用意するのが面倒。で、白湯となるが、実はこれが一番好きなのだと思っている。日常的には。

 ポットなど使う風習はないので、薬缶が常に沸いているというのは素敵。海の音、風の音、雨の音。人それぞれに心地よい音はあるだろう。自然の音だけが素晴らしいとは思わないが、思い出すのは布団の中で聴いた雨の音とか、テントの中から聴いた海鳴りとか、音の記憶はとても多い。匂いの方が強いと聞いたが、私の場合は音。
 
 うるさい猫が静かになった。外はまだ暗い。今日こそは床屋にいかなきゃと思いつつ、行かなさそうな雰囲気。山小屋にでも生きたいなと思いつつ、わざわざそんなとこまで行かなくても十分そんな感じの部屋で。

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2002年12月17日(火) 浜魚の匂いを漏らすブリキ箱積む婆今日も乗せて鈍行

 インターネット上で立ち寄るページはそんなに多くない。ほとんどがニュースと日記だったりエッセイだったりする。そんな私が好んで寄るのが北海道関係の地域ページだ。特にここのところは「北海道観光大全」というページにはまっている。
 北海道の普通の見所を網羅するページで、一般的な観光地はほとんど無視されている。全ての駅の詳細な情報や駅前の様子、道道の道路概略など、一見何もないところで楽しめる目を持ちたいと願う私にとっては頭が下がるページだ。
 特に各駅紹介は素晴らしい。それも全て列車で訪れて実際に下車するという気合の入りようだ。私の地元駅や下車したことのある駅の事がかかれていたりすると、自分が見えていなかったことを思い知らされてしまう。
 北海道の駅にはとんでもないところがあるようで、停車はしてもその駅には続く道がない「秘境駅」というものがあるようだ。その名前だけでもゾクゾクするが、実際行ってもその気持ちになれるかといえば多分興ざめするだけだろう。私もそういう気持ちになれる感性が欲しいのだが、いまだだめである。しかもこのページはすこぶる若い人だ。

 北海道には歴史がないとついつい言ってしまいがちだが、明治期以降の和人移入盛期から、その前の越前舟、アイヌ人との交流、さらに日本書紀にさかのぼる歴史があり、史跡のみが語るものも多い。そう風土記に思いを馳せられるような人を私は尊敬する。

 私の実家近くには胆振線というものがあったらしい。私が中学の頃廃線になったらしいが、それなら覚えていてもよさそうだが全く記憶にない。なんと無関心な奴だったのだろうと自分で憎らしくなる。あの頃無理にでも旅に出されていたりしていたら人生観は大きく変わっただろうなと思う。部活や勉学に勤しむのもけっこうだが、中学くらいに入ったら夏休みには普通列車・バス乗り放題&ユースホステル10泊無料券を学生全員には配布すべきではないだろうか。たとえ隣町でもいいから自らの足で放りだされれば、地域にも目が行くし、旅行じゃない旅が経験できるし、修学旅行で乱痴気騒ぎしか出来ないお寒い状態ではなくなるだろう。世界地図を開く前に地元の神社や駅の歴史を紐解くべきだ。海外に出たときにいえることが京都のことだけじゃつまらない。

 私の汽車の記憶は高校時代にほぼ毎日乗った汽車通学だろう。正直良い思い出も少なく、そもそもすぐに忘れてしまう性質だが、思い返せば記憶のそこにはいろいろあるようだ。3年間ほぼ毎日ぎゅうぎゅう詰めだったが、そんな中、無人駅で必ず乗る太った婆さんが身の丈もあるブリキの箱を積んで乗ってきた。これで狭い空間がさらに狭くなった。ひたすら学生から反感を買っていたはずのこの婆さんは、この生活を多分数十年続けていたのだと思う。それを手伝う車掌さんからもそんな雰囲気は伝わってきたし、確かに戦中戦後からそういう生活を続けている人々は身近にいたはずなのに忘れ去られていた。アイヌの人などが多いはずの地域だったが、差別こそすれ彼らの実態や歴史は少しも学ばなかった。

 まぁ私のような趣味は比較的高齢になると首をもたげるように関心が出てくるらしい。そういう意味で私も十分高齢者の中に入ってきたとも言える。不相応だがそれも良いだろう。無人駅のたたずまいに一首歌えたら人生豊かになったといえそうだ。そういえば、お慕いしていた本上まなみさんの結婚の縁は短歌の結社だとか。これは気合を入れて詠まなくてはならない。

 来週はけっこう暇だから、思い切ってオホーツクの方でも出かけてみようかなと思いつつ。流氷には早過ぎますが、出不精になってばかりもいけないかなと。

 浜魚の匂いを漏らすブリキ箱積む婆今日も乗せて鈍行

 行商の荷担ぐ紐の荒縄に掌は似て婆は尊き Home&Photo


2002年12月11日(水) クレイジーケンバンド最高♪

 「タイガー&ドラゴン」がラジオでチョコチョコ流れてて、かなりお気に入りである。あのソウルフルなブルース素敵です。「俺の話を聞け 2分だけでもいい」「貸した金のことなどどうでもいいさ」などと、今時こんな歌、自称硬派な私としては痺れるではないか。で、J-PHONEのCMで流れている曲が同一の歌手であることが判明。いや、全く素晴らしい。飛びぬけて一押しの男性ボーカルである。かっこいいっす。
 そういえば「ヒトトヨウ(漢字忘れた)」の「もらい泣き」が全国的に売れているらしい。確かにいい曲で、北海道のFMでパワープレイがけっこう長く続いていた。「ええいあ 君からもらい泣き ほろりほろりふたりぼっち」の始めがわからなかったのだが、「ええいあ」は単語としての意味はないのね。それはちょと残念。
 札幌や福岡で流行った音楽が全国的に流行るという話は昔から聞く。かなり前では平井堅がひたすら流れ、全国的な人かと思っていたらあとから全国区になった。そういう例はけっこうあるらしい。札幌は北海道の中では飛びぬけた都市で、地理的に独立している上に志向が東京的だからマーケッティングに向いているという話は良く聞く。実際、アンテナショップやモニター販売なども多いらしく、内地から来た人が珍しがるケースも多い。
 TRFの「Chu Chu Train(だっけ)」がカバーされてけっこういろんなところで聞く。これ好きなのよね。小室哲也も最近どうしてるのか知らないが(音楽的には)、TRFなんかもうすっかり過去的に扱われちゃうけれど、私けっこう好きだな。今言うと恥ずかしい感じもするけれど、いいものはいい。
 椎名林檎のユーミンカヴァーに「翳りゆく部屋」。私のベスト荒井由美だが、これを選曲するセンスがまた惚れ惚れ。実力者のするカヴァーって良いな。どんどんして懐かしいだけじゃないよさを掘り起こしてほしい。そんな話をしていたら、MP3で友人が曲を送ってきた。あっという間。これじゃぁみんなコピーするわな。うむむ。
 もうCDなんて2年くらい買っていないが、音楽は良いね。最近のは本当に。といいつつ、口ずさむのは古きものばかり。こればっかりは歳のせいでしょう。小学校の頃、ひたすらラジオのベスト100を聞きかじった頃の記憶は永遠に続きそうだが、素通りしがちであっても素敵な曲は耳を通していきましょう。

 で、ほんじょのまなみさま。突然結婚なんて驚き。もしされるとしたら年上とは思っていたけれど、そこまで上とは驚きです。うるるる、おしあわせにぃ。 Home&Photo


2002年12月10日(火) ニセコに別荘

 専門学校アルバイト年内最後の日。後期は失速した感が否めない。思いついたことを書きなぐるタイプなのだが、やはりこういう学校では黒板をきちんと書いて、ノートを取るようにさせるべきなのだろうかと思いつつ。もし来年するとすれば、やり方を考え直してみよう。今のままで私は楽なのだが、もう少し工夫すべきだろうな。話術はもともと欠けているし。

 同僚の先生達と話すのが楽しみなのだが、某先生がニセコに別荘があると自慢された。ご両親がなくなった後の実家が無人のままあるとのことだが、月に二回ほど行って空気を入れる程度だから、機会があったら是非使ってほしいとのことだ。10条間が3つほどあるらしい。場所も東山スキー場の近くとのことで、立地条件はかなりいいらしい。冬は除雪しないと門にたどり着けないらしいが。

 日本人はなかなか土地や家を手放したがらないし、地方となれば売ってもたかが知れているから、こういう空家は結構多いのかもしれない。借りれば格安で探せたりするのだろうか。知り合いでここ数年の間に民宿やペンジョンを始めた人が結構いたが、どう考えても貯金などなかったはずの人が始めたので不可思議だった。借りるところからスタートしているのかな。定年になったら民宿でも始めるかと仰っていた。他の先生は、民宿経営は今は大変だと諭しつつ。

 ニセコは富良野に並ぶ人気のスポットで、別荘地という面ではニセコの方が盛んだろう。札幌にも近い。美瑛の丘の雰囲気が今は人気だが、羊蹄山とそのふもとに広がる平野も北海道的だ。ふもとを流れる大河尻別川はラフティングなどが盛んでアウトドアのスポットなっている。
 そういえば、ニセコの比羅夫駅で民宿をされている方がいる。駅舎が宿で時折テレビで取り上げられている。いろんな事をして暮らしている方がいらっしゃる。最盛期で月100人入れば異常ともいえる繁盛らしい。
 ゴールデンウィークあたりは、まだ雪残る中山峠を越えてニセコに降り立った。薄緑に萌える草よりも黒い土の方が生命力を湛えていたような印象がある。冬も何度かスキーには行ったなと。当時はああいったところの楽しみ方を全くしらなかったので正直つまらなかったが、今行ったらどうだろうと思ってみたり。

 ちょっと広すぎではあるけれど、一回借りて遊びに行ってみようかなと。 Home&Photo


2002年12月08日(日) 靴紐な縁

 先週来た親が靴を買ってやるとうるさかった。買うつもりでいたところにそういわれると素直になれないもので、結局突っぱねた。去年もそう思いつつ、結局この靴で過ごしてしまって今年もである。はや何年前に買ったっけなと記憶を返すと、3年前となる。4年目突入だ。一冬を一足で過ごすとすれば、厳しい環境で半年履けばだいたいお役御免となる。がんばってくれているというべきであろう。北海道の冬は長いのだ。
 古めのスーパーなどに行くと、合鍵の店のとなりに靴やかばんの修理屋があったりする。いいものを長く使えばそういうところにもいくのだろうが、なにせ革製品とも思えない代物を修理に出すのも気恥ずかしい。はたして直るものなのだろうか。買ったほうが早いのは確かだろうが。
 バックグラウンド代わりにビデオを流していると、昔の「北の国から」で有名なシーンである靴の場面があった。母さんがなくなって上京した純と蛍が、1年間履いてよれよれになった靴を捨ててしまい、それを警官と探すシーンだ。ちょっと前にダウンタウンのまっちゃんが力説していた名シーンでもある。
 おしゃれなど全く気を使わない私は、まず足元からなどという格言も知らない。けれど、いざ靴を捨てるとなると、よれよれになったその靴に急に愛着を感じてしまう。新しく靴を買っても何となく取っておいて、引越しの際まとめて捨てたりする。歩くことが多い私には、靴の印象は結構残っている。服はてんで記憶にないが、ここ数年買った靴ならほとんど覚えている。数は知れているけれど。
 昨年春、森を歩いていたら靴紐が解けた。一度解けた靴紐は結びなおしてもまたすぐに解ける。それまで解けなかったのに、一旦解けると落ち着くまでにかなりの日数を要すると思う。別段きつく縛っているわけではないのに、適度なゆるさ、履くとき脱ぐときの適当さ、そこに至るまでに紆余曲折を繰り返す。馴染むというのはそういうことなのだろう。
 靴の中はだいぶよれて、外は少しの水で変色してしまうほどくたびれている。もう寿命なのは間違いない。下駄箱に並ぶとみすぼらしさもひとしおだ。けれど、紐は解けない。ほったらかしても強引に脱いでも、ゆらりゆらりとかわしてくれている。靴紐とはそういう素敵なやつなのだ。もし赤い糸というものがあるならば、そんな靴紐で結んでもらいたいものだと、結んでみたりして。

 そういえば、昨日「黒板純・結」が本当に結婚式を挙げたそうで。おめでとうございます。 Home&Photo


2002年12月05日(木) 貧乏人の株式投資

 配当金なるものが来た。145万円に対して約1万8千円である。半年間でだから、年利2.8%ということになるかな。今時なら悪くないのかもしれない。

 株の配当金である。なぜ貧乏人の私がそんなものを受け取れるかといえば、株を持っているからである。貧乏人も持とうと思えば持てるのである。これだけの株を持っていれば貧乏人ではないといわれそうだが、これは20年無利子ローンからの投資である。毎年23万円づつ返却するので、減ってはいけないのである。無謀といえば無謀だが、他に使う当てもない。貯金してても目減りする世の中になってしまった。5%の利ざやが稼げた時代もあったのに。

 ちょこっと株を買ったのは、半年ほど前の話。その直後アメリカの景気減速がやってきて軒並み暴落。その後、いくつかの銘柄は徐々に半値近くにまで落ち込んだ。先月には不正経理が明るみになった会社があって、翌日一気に半値に下がった。始めるタイミングとしては今年の中でも最悪の時期だったようで、多くが山のピークで買っていたりする。
 かといって、すぐに売る気もないので放ってある。大胆に売り買いして利ざやを儲ける器量はない。完全な長期投資のつもりだ。下がるのはあっという間だが上がるのはなかなか厳しい。倍になったら売ろうと思いつつ、そんなものはあるわけもなく、半値に下がったのはたくさんあったが、それらも少しづつ戻って来ている。できればナンピンしたいのだけれど。
 そんなこんなで、現在の時価にすると数万円損していることになる。手数料が高いので、8%は上がらないと儲けにはならない。今全部売ると20万は損する事になりそう。本命銘柄の2つは手堅く上がって3割増しくらいになったが、その他もろもろがしっかり下げている。手堅いと思った電力株・天然ガス・旅行株は思いっきり下げているが、復帰基調にはある。全体としては長期で上昇するとは思うのだが。

 スキャンダルで株価半値というのはかなりインパクトのある話だ。日経平均なんてのもあれだけ下がるとかなり厳しいのだろう。国の富を計る指標としての株価が実際とどれほどリンクしているのかはわからないが、経済というものを感じる手っ取り早い方法は株を持つことだろう。
 というわけで、私は危険な領域に足を突っ込んでいたりします。しかも売りぬく気もないので国内株ではないのです。大丈夫なのかしらん? Home&Photo


2002年12月04日(水) 売れてしまった。。。 summer sound様へ

 わざわざ見物にまで行ったマンションは売れてしまったようです。結構悩みつつ、金も容易は出来たのだけれど、縁がなかったかいなぁ。ま、訴訟沙汰とかがはっきりするまで残ってたらと思ったが、売れてしまったなら仕方ないさ。ということで、私信にお答え。乗馬なんて優雅ねー。うらやましすぎますです。
 短い夢だったけれど、ま、ネット物件探しは趣味として続けましょ。 Home&Photo


2002年12月03日(火) 遅刻

 時計は7時40分だった。のんびり水槽を眺めたりしていると、電話が鳴った。9時過ぎているのですがと・・・、遅刻だ。
 いつもはテレビをつけているから時間を間違うことはないのだが、たまたまつけていなかったわけで。日が昇って時計の止まった部屋は、時自体が止まってしまったようだったと、言い訳にしてみたりするが何をなす前に出かけなくてはならない。慌てて飛び出してタクシーを捕まえた。余計な出費・・・。
 でも、時が止まった部屋はなんとなく素敵だった。休みの日には部屋の音を消して、朝と夕のみ教えてもらうくらいの生活が良いのではと思ってみたり。 Home&Photo


2002年12月02日(月) きれさせてしまったなぁ・・・

 私の業務上の欠点はミスが多いことである。記述ミス、タイプミス、確認ミス。そういったものがどうしても抜けない。数学の試験で1+1=3としてしまうことがあったとして、それを何度見直しても気がつかないタイプである。答案が帰ってきたらすぐに気がつくような。
 仕事というのは他人間で情報をやり取りすることだから、こういうことはまずいわけで。これが人の10倍は多い。対策はそこそこ打っていたのだが、減少することもなく、寛容にしてくれていた社長を切れさせてしまった。
 きっかけはただの行き違いであったのだが、これをきっかけに日頃のミスの多さに堪忍袋が弾けたとのことで、まぁそれに関しては仕方がない。具体的な確認方法を10提示して実行することになった。ただでさえ遅い仕事がさらに遅くなる。小学生でもできることではあるのだがなぁ。
 ここで綴っていても、誤字脱字の多さには閉口してしまうのだが、これまでの10年を振り返ってみて、私の一番の苦手はこのワープロ打ちのようだ。今の仕事は以前の10倍書類作りが主となっているから、ミスも加速度的に増えてしまった。だんだんと書類作りに比重が移っていて、その点では実は閉口していたりする。
 これがきっかけで関係が崩れないようにしなければ。決めたことを遅くとも確実に実行するしかなさそうだ。歳をとってからの方がこういうことは難しいのだよなぁ、はぁ。 Home&Photo


2002年12月01日(日) 貧乏人のダストライフ

 近所に結構いいものが捨てられるゴミ捨て場がある。最近では有料回収になってしまったから、捨てられる粗大ゴミが少ないが、そこはいまだに堂々と大きなものが捨てられている。
 今回は細長の大きな鏡とゴミ箱2個回収。夜中にあさったので持ち帰って明るいところで見ると、とっても立派で驚く。鏡は裏をガムテープで止めてあったが・・・。全身映すには台に乗せる必要があるようだ。もともとはあったのだろうが、それは見つけられなかった。何とか作ってみようと思う。
 以前拾ってきたぼろい棚は結局廊下に放ってあったのだが、先日父がもって帰った。使い道がなければ土に埋めて腐らせるという。さすが逞しい。物干し代わりにしていた室内用洋服掛けはベランダですっかり錆びてしまった。捨てるのに金がかかる。
 粗大ゴミは有料のシールを貼らないと持っていってくれないのだが、私が拾ったものは貼っていなかったものも多い。ゴミなのか、後で運ぶつもりだったのか、後者であれば盗人だなぁ、すみません。
 そういえば、私が小学校に入った頃に買った掃除機がまだ我が部屋にあったが、先日母がもって帰って捨ててしまった。まだ使えたのにもったいない。で、5000円の掃除機が新しく部屋にあったりするが、なんかしっくりこない。滅多に掃除なんかしてなかったし。箒と粘着テープで十分という話もあったのだが。
 洗濯機も二層式で20年は越えているはず。炊飯器も冷蔵庫もテレビも10年だ。まな板は40年前の親の結婚当時のもの。端が欠けているテーブルも、裏が緑の布製で麻雀のできる優れものだ。最近ではまず手に入らないだろう。ライフスタイルが変わらなければ、こういったものはいつまでも鎮座する。みんな早々壊れない。寿命が短いのはパソコン関連くらいかなと思う。プリンターはさっさと壊れ、数年前に買ったパソコンは時代遅れになった。外付け28.8kモデムに至っては半年も使っただろうか、もったいない。
 もうひとつ、結構しっかりした引出しが捨てられてあったのだが、運びやすいようにばらしてあったようだ。元の姿であれば拾ってきたであろうに。お金同様、物もうまく回るように、粗大ゴミは一週間くらい展示して欲しいなと思ったりする、貧乏人の独り言。

 札幌では12月2日を境に日の入りが遅くなるようだ。16時1分が最も遅い日の入りで、これから夜の始まりはだんだん遅くなっていくとのこと。まだ雪もほとんどない街中だけに日照時間はまだまだ短くなるようだけれど、朝はまだ遅くなっても夕は長くなるようだ。 Home&Photo


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