私季彩々
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2002年10月31日(木) 梟と翁

 一度降り立った雪は樹々に纏う黄色達に溶けて、森の風通しは一段と良くなった。さらに一段本格的な冬がやって来る前の静けさは、溜め池の水面に浮かぶカイツブリの波紋も封じ込めたよう。

 「どこから来なさった?」
 立ち去ろうとする私に声をかけたのは、初老風の男性。使い古したリュックはぴったりと背中に隙間なく接して、この森となじみである事を伺わせた。

 私はこういう機会が大好きである。特に自らのフィールドについて語る老人は大好きだ。昔話が連続した生きた経験であることがまず間違いない。
 動き出した鳥達の波紋が小さな溜め池を広がっていく。白い一羽が羽ばたいて、話は進んだ。親父と歩いた豊平川河川敷、山スキーに明け暮れた青年期、この近くに居を構えた頃、孫とそりすべりを楽しむ冬が来ることを喜んでらっしゃった。

 「小さい頃から親父に歩かされて。河川敷を歩くなんて、当時は誰もそんなことやってなかったさ。でも気がつけばその通り今日も歩いてるさね。」

 池のそばの小さなプレハブから管理人らしき人が帰っていった。時間を持て余した人間達が、一人は生業で、2人は景色を愛でつつ。
 太陽は木々の線に差し掛かり、赤味を増していく。
 「毎日6kmは歩いているね。いいところに住んだと思ってるさ。」
 先日の霙交じりの雨で水量が増した池から、少しづつ流れる水音が響く。徐々に凍り付いて、雪原に帰っていくことだろう。

 「そろそろ戻りましょうかね」
 当然のようにご一緒しつつ。歩を合わせようと気を使ってみたが、その必要がないほどの健脚。70歳を越えているというのに。歩きつづけてきた人というのは、例外なく健康だ。大腸癌で入院されていたことがあったというけれど。

 駐車場でお別れ。名残惜しいと思いつつ、さらにすたすた歩いていかれた。これから買い物をして30分の街歩きとのことだ。

 閑静な住宅街に連なる森の入口に、冬になるとやって来る梟はまだいない。翁はその身代わりに語りかけてくれたのでしょうか。
 冬はすぐにやってくる。思えば、長い長い冬。 Home&Photo


2002年10月29日(火) 窓を打つ霰に耳を傾ける猫に暖をとストーブ初め

 朝方、外から激しく乾いた音がパラパラと。雨だろうなと思いつつ惰眠をむさぼる。で、寝過ごす。タクシー出勤とあいなる。痛い出費なり。

 バイト先の学校には早く着く。今日はタンパク質について。タンパク質とは立体化学である。実用的な面まで掘り下げられたでしょうか。
 ここでの楽しみは同僚非常勤講師との会話である。薬剤師、看護婦、元高校教師と話題は広い。年齢は親世代。これがまた面白い。ログハウスの話で盛り上がる。幾つになっても、都市部に住む夢人はそういうものに憧れるようだ。といいつつ、地下鉄直結のマンションに住んで、雪に触れない暮らしも良いと言ってみたり。

 2時に終わってタイヤのホイール交換に。いろいろ苦心したが、結局大きなタイヤを入れるのは難しいらしく、すペーサーという下駄を履かせることで間に合わせることになった。金髪の兄ちゃん、親切にありがとう。6000円の出費予定が2000円で済んだ。

 夜は別のバイト先へ。その帰りは再びのみぞれ。路肩にはうっすらシャーベットがのっかっている。路面は溶けているが、慎重に運転。滑ったことがあるところは特に慎重に。

 帰宅して、ついにストーブを点火。去年はコートを着てまで粘ったのに、今年はヨワヨワ。いやぁとってもあったかいっす。小さな幸せ。
 で、かなり久々に自宅で日本酒。やっぱポン酒はいいねぇ。ぐびぃ。

 外は再び霰が降り出して、カラカラいい音が鳴っている。猫が不安げに耳をそばだてて、冬序章。次からは音のない舞う雪のひらに沈むことになるわけで。
 何も変わらず過ぎ行く季節の切れ目に一時現れる音楽会をめでつつ、酒。 Home&Photo


2002年10月27日(日) 冬の準備その1

 いつも布団の中に入るのを嫌がる猫が、朝起きるときには布団の中にいるようになっていた。熱帯魚のヒーターのランプが点くようになった。マフラーを用意している人がいる。

 そういうわけで、そろそろ街中にも初雪の便りも来そうな予感。昨年は雪に埋もれさせて、冬眠に入った車を今年は使おうと、スタットレスタイヤを物色していた。もちろん中古。ネットオークションなどを探しつつ、中古屋さんも回りつつ。
 中古車を買った折、安く上げるために付属のスタットレスは中古にしてもらった。単体で買わない場合や、誰かからもらう場合は何も気にしないで貰う。使えればよいのである。実際、人によっては期限切れのタイヤを使っても、不満を感じたことはなかった。夏タイヤで冬道を滑った経験があるから、冬タイヤのありがたみは良くわかっている。
 けれど、実際に新品タイヤの柔らかさを知ると、なかなか中古では買えない。中古といっても、一般にスタットレスの寿命は保存状態が並であれば2年くらいだから、状態が良くても3年くらいが限界らしい。私は状態の良くないものを3年使っても不自由しなかったけれど。

 で、ネットの売ります買いますコーナーに、タイヤが。多少型がずれてるが何とかなりそうだったので応募。商談と相成った。
 ネットといえども、送料のことや物の事などを考えると、実際会って取引したいところだ。札幌を中心としたローカルな掲示板があればよいのだが、これが見つからない。手頃のなのは大学の掲示板である。これを利用したわけだが、相手は学生ではなく社会人。対応もすこぶる良心的。
 タイヤは昨年買った1年ものだが、春先に買ったのでほとんど未使用。保存状態もパーフェクトで申し分なし。ラッキーと思いきや、なんと、本田車とトヨタ車の違いで、ホイールの深さが異なっているため、ハンドルを思いっきり切るとタイヤの内側が車体に少し触れてしまう。よよよ。
 で、一旦諦めたが、諦めきれず。けれど、ホイールを買って付け替えるとかなりお金がかかる。しかし、新品同様のタイヤ。しかも、MZ-03は最も人気が高く、普及品の倍近い値がつく。まともに買えば5万円近いものが1万円だ。うぬぬ。
 で、中古タイヤ屋にホイールを物色に。アルミホイールじゃなく鉄ホイールを探しに来る客は珍しいらしい。雨ざらしの物置を掘り出してくれた。一個500円×4=2000円。これにホイール脱着4本分=4000円で計6000円。やむをえぬかと決定しました。

 人はこうして高いものに惹かれていくのかと思いつつ。しかたないかぁ。まぁ悪い買い物ではないはずだ。余計な出費は痛いが。
 で、これとは別に、3年前のタイヤだけれど無料で上げますというタイヤがあったのだが、それに応募してきたのが大学教授とのことで。教授、お金出して買いなさいって。結構いい給料じゃん。ま、十分好感もてますがね。私は教授よりもいいタイヤ♪

 物を捨てるにもお金がかかる時代。消費せよ消費せよと政治家さんは言うけれど、回るお金と同様に物を回して豊かに感じる時代を創っても良いのでは。前回貰ったガスレンジも合わせて、ネット万歳。ほほほ。 Home&Photo


2002年10月20日(日) 贅沢な旅(私的には)

ちょこっとドライブは、たまに趣向を変えて小樽・余市方面へ。札幌から銭函に入ると、丸みを帯びた石狩湾が広がります。ほー、小樽の海もいいねー。海辺の街並みというのも捨てがたい。小樽に住むのもいいなー。

 とりあえず、昼間は小樽を越えて余市へ。
 まずはニッカウヰスキーの工場見学。私はここが好きで、入れば小一時間は過ぎてしまうのですが、今回は短く。100年前に、この地に工場を建てるなんてすごいですが、イギリスから創立者についてきたイギリス人の奥様がすごいです。ちょっと感動的。
 で、本命の安くておいしい食堂へ行く。ほっけ定食380円と激安で超うまいですが、今回は奮発して、寿司&中トロ1人前ずつ、イクラ丼、鮭汁に鉄砲汁、北寄貝の焼き物、秋刀魚の刺身、占めて4000円強。贅沢だけれど、2人でこれなら安いんだろな。中トロなんて絶対たのめないっす。ほほほ。
 で、車に戻ると、エンジンがかからない。例によってライト点けっぱなし。昼間のトンネルはおそろしや。気のよさそうなおっちゃんに救援してもらう。先月に引き続き、バッテリーケーブルは必須です。
 
 ついでに数年ぶりに余市のフゴッペ温泉へ。山奥の怪しい温泉で、宇宙からの霊気溢れるとか怪しさ爆発な看板があったりするのですが、思いの外たくさんの人が。湯上りの星はやっぱり美しい。

 帰りはすっかり暗くなったので、ついでに夜景を見に小樽の旭展望台へ。途中かなり狭い林道となったので、本当にこれでいいのかと思いつつ、着。こじんまりしていますが、湾に抱かれた町の夜景は、いつの時代もそんなに変わらないのではと思ってしまいました。眠りこけてふと起きると、目の前に夜景が開けているなんてのも素敵でしょう。ほほほ。

 途中、小樽商大の横を通ったのですが、こんな急な坂の途中にあるとはびっくり。小さく「地獄坂」と立ち木に書かれていて納得。晴れた昼間ならば、海へと続く坂のロケーションが美しいでしょう。そういうシーンは小樽で撮られることが結構多いとか。確かに坂の街だものなぁ。

 札幌について、ちょこっといっぱい引っ掛けて、散会。かなり久々の贅沢。ま、年に一回くらいはいいかなと。ほほほ。 Home&Photo


2002年10月17日(木) 定山渓土地見

 定山渓の土地を見に行った。280坪230万円。定山渓は札幌の奥座敷で温泉街だが、豊平川が4つに分かれる地点でもある。少し上がれば渓流となって岩魚も釣れる。ダム湖だが、大きな湖もある。札幌中心部からスムーズに行けば1時間弱。そう思えば悪くないなと。

 定山渓温泉街は結構人が溢れてた。そこそこのお店もあり、暮らす分には悪くないかも。中心街から数分のところにその土地はあった。地図上では川に面しているのだが、さすがに渓谷だけあって、20mほど下の谷底を流れていた。これが、普通の川だったら最高なのに。目の前の道は小樽に通じる道道で、そこそこの交通量があった。結構うるさい感じ。周囲には白樺や山葡萄がまばらにあって、印象は悪くなかったが、整地されていない雑木林の中にはゴミが散乱していた。さすがに渓谷だけあって、前後に山が押し迫る感じで、少々圧迫感があった。

 実際、少し気を入れてみると、どういう土地に住みたいのか何となくわかってくる。川のそばもいいなと思うが、やはり20m下ではいまいちだ。白樺には惹かれるが、もう少し開放感も欲しい。除雪の入る道路は必須だが、交通量が多すぎるのはいただけない。安さには惹かれるが、ま、そういうことで。

 選択肢はそうはないのだけれど、ま、運命の出会いはそうはなさそうだ。堅実に探してみよう。1時間圏内ならそこそこの面積がないわけではないようだし。

 当初の候補である厚田の土地は、風の強さと川の乏しさで何となく気が引けていないわけではない。そんななか、便利な地図閲覧システムが、国土地理院のHPにあった。2万5千分の1の地図が閲覧できる。
 私の考えていたところは荒地になっていた。確かに木もほとんどない吹きっさらしで、道路には風除けの鉄板が張ってあるほどだ。地面も粘土質で水はけも悪そう。で、そこの地名が「雨煙(ウエン)」だった。「ウエン」とはアイヌ語で「悪い」という意味である。「雨煙内」「遠別」というのは、実はあまりよい意味がない。水はけが悪いとか、生活上弁の良くないという由来があるようだ。こういう由来は信憑性が高いとみた。うぬぬ。

 確かに実際見てもいい条件はない。けれど、距離にしろ、見晴らしにしろ、結構いいんだけれどな。風通しのよい林間の土地なんかは取っても素敵だけれど、敢えて何もない荒地を林に変えていくなんてのも悪くないのではと思いつつ。ま、卓上の話なのですが、どこでも良いわけではないとなると、発想の転換も必要かなと思ったりします。 Home&Photo


2002年10月13日(日) 「空の穴」 熊切和嘉 監督作品

 何となく目にとまったビデオ「空の穴」をみた。邦画である事と、北海道が舞台ということと、何となく地味だったことと。こういう作品はまず間違いなく佳作だ。
 日々を無愛想に流れるまま過ごす30半ばの男。ドライブインで料理を作っている。そんな単調な毎日に、一人の女の子が舞い込んで、恋心が生まれるという話、かな?

 毎日というのは、基本的には単調。30過ぎればそろそろそれに慣れて、無愛想も看板のようなものだ。そんな最中に、若い女の子との時間というのはまぶしすぎるだろうなと思う。
 男は、その子に惚れて、離したくなくて、離れることが怖くて、初めて体面を捨てて土下座をして引きとめる。けれど、離れてしまう。
 再びやってきた毎日の中、生業を投げ出して、青い空を見上げる。その空が美しい。高い。そして、旅に出るという。

 ただ、それだけだ。それだけのことが、私達には大きいきっかけだ。優等生や、日常をそつなく、選択することなく過ごしてしまった人々が、心を動かしてしまったときに、その空の色はどんな色か。

 こういう映画は私の好み。でも、ヒットはしないだろうな。ぴあのフィルムフェスティバルって、いい企画だなぁ。「洗濯機は俺に任せろ」「この窓は君のもの」とか良かったなぁ。才能って素敵。

 ちょと長い映画ですが、少しまどろんだときなんかお勧めです。 Home&Photo


2002年10月12日(土) 寝休み。

 予定外の暦どおりの連休になってしまったが、のどの痛みが取れなくて、寝て過ごすことになってしまった。1000mクラスの山の紅葉狩りに丁度いいと思いながら、残念。
 ついでに古傷の左ひざが、かなり鈍く痛んでいる。靭帯を切ってしまったのは痛い。今まで結構痛みがあっても引いてくれたのだが、もうそろそろ慢性化しただろうか。唯一の趣味に支障をきたしてしまうなぁ。しくしく。うまく付き合いたいものだけれど。 Home&Photo


2002年10月10日(木) ジュースの色

 「マウンテンデュー」という缶ジュースがはやったのは私の小さかったはるか昔。緑の缶だったので、中も当然緑だろうと思っていたのだが、コップについでみると黄色だったことに驚いた。

 ペットボトルが出る前は、ジュースといえば缶が当然だったと思う。1.5Lとかいう単位は滅多に無かった。ガラス瓶となると100%ジュース程度だったように思える。缶ジュース程度だったらわざわざコップに注ぐこともなかったから、ジュース自体の色なんて関心は無かった。
 北海道限定らしいリボンシトロンとナポリンの差は、色が歩かないかの差だったような気がするけれど、私は色付きを好んだ。そっちの方が甘かったからかな? そういえば、あれはガラス瓶だった。
 ペットボトルになってからは、ジュースの色というものの印象が大きくなってきているのだろう。おいしそうな色、爽やかな色、健康的な色。味だけを求め、見た目を全く気にしなかったのと比べれば、透明なボトルの効果というのは悪くないと思ったり。

 といいつつ、ほとんどは人工的な着色のようで。ま、着色料もかなり厳しくなってきていますから、昔よりはずっといいのですがね。

 私はほとんどジュース類は飲みませんが、風邪を引くとスポーツドリンクのお世話になります。水分補給にはやっぱりこれが一番。けれど、ポカリスウェットを初めて飲んだときは、吐きました。当時はかなり斬新な飲み物だったような気がしますが、馴れというのは怖いものです。

 で、2Lのペットボトル2本消費。これって、立派なゴミなのよねぇ。普段なれないゴミを見ると生理的になんか嫌。けれどいかにも何かに使えそうな。 Home&Photo


2002年10月08日(火) ブライトは19歳かぁ

 「機動戦士ガンダム」がはやりらしい。もちろん初代である。
 私が小学生の頃がガンプラ最盛期だった。プラモデルだ。いろんなモビルスーツを並んで買っていた時代。田舎のおもちゃ屋はどれだけ恩恵があったろうと思う。私はほとんど作らなかったけれど。
 アニメを見出したのは小学校中学年以降と比較的遅い。ガンダムもリアルタイムでは見ていない。再放送だ。でも、あのストーリー性は深い。
 先日コンビニでガンダム特集の冊子を立ち読みし出したら、止まらなくなった。さすが別冊宝島。マニアックでよろしい。
 驚いたのは、年齢設定だ。ブライト艦長って19歳だったの。30歳くらいと思ってたよ。渋すぎっす。
 避難民や若い兵士を乗せて、敵に評価されながらも味方からは過小評価。かなりシリアスな内容ながらも、感情移入しやすい深い話だったなと。ZZは深すぎてとっつきにくかった。
 ゲームアニメ世代が経済力を持った時代、もういいものはいいということで。あたしゃ経済力なんて無いけれど。ほほほ。 Home&Photo


2002年10月07日(月) 布団は人類最大の発明

 土曜日朝、扁桃腺が腫れていた。微熱あり。2年ぶりくらいの風邪な感じ。眠気は無く、食欲はあったのだけれど、風邪のときくらいと無理やり寝休日を決め込む。ひたすら眠る。ぐぅぐぅ。最近私は目隠しをして寝るのがお気に入り。昼間も眠る。
 ついでに、久々の微熱のうれしさに、2年間出番の無かったアイスノンを引っ張り出す。不凍部分もしゃりしゃり言うほど完熟したアイスノンを味わう感動に浸りながら、タオルで包む巻き数を変えたり、額に乗っけて我慢してみたり、年齢不相応の愉しみを共にしつつ、ぐぅ。いくらでも寝れます。

 で、日が傾きかけた日曜日、締め切った部屋でネット日記を読むと、札幌の方のタイトルに「また雨降り」と。カーテンを開けると結構な雨。やっとの思いで乾いてきた敷布団がベランダでしっとり潤っていた。よよよ。
 風邪よりも寝過ぎでボケながら、どうしたものかと思いつつ。水を吸い込んだ敷布団は体積の変化はあまりないが、とにかく重くなっている。とても一人では運べないし、運んだとしてもぬれ放題だ。どうせすすぎ不足だったのだからと、そのまま放置決定。たぶんカビが生えて使い物にならなくなるだろうなと。
 翌月曜朝まで大雨。風邪はほとんど治ったが、布団は相変わらず重たげで、飽和状態。こりゃ駄目だ。

 抱きこんでいた空気と同じだけの水を吸い込んだ布団。水って本当に重いんだなと体感。真綿の保水力に感嘆。同時に空気をどれほど抱き込んでいたのかと感動。そのしっぺ返しに慄く。

 温かさも涼しさも、快適さは空気といかに付き合うか。時には流し、時には閉じ込め、分子運動という熱のミクロと気流というマクロの二律と戦ってきたのが生物だ。その究極が毛であり、綿であり、布団だ。私は人間の最大の発明は布団だと考えている。雨に濡れそぼり、その重みで破れてしまいそうな布団生地にその機能美をみた。

 おねしょな子供を持ったお母さんは、本当に大変なんでしょうね。しくしく。 Home&Photo


2002年10月05日(土) 真実という振り子の軌跡

 最近は漫画をあまり読んでいない。実は本も読んでいない。決して読書家ではない。
 先月学生さんの試験を行った際、いつも楽しみにしていた漫画漁りが不発だった。たいてい教室の後には雑誌類が積んであるものだが、一冊もなかった。そんななか、ただ一冊レディスコミックらしきものがあったので拝読。内田春菊さんなんかの漫画があった。そんなにHなものはなかったので、そのまま読んだけれど、いいなと思うものもあまりなかった。

 少女漫画で一番読んだのは「BANANA FISH」かな。なんだかんだいってもやっぱり女性向と思いつつ惹かれましたねぇ。サリンジャーを知ったのはその後の事だったりして、そんな奴も結構多いでしょう。いまだにサリンジャーは良くわかりません。
 で、彼女に聞いてみたら、そんな漫画は知らないと。いけませんなぁ。教育上良くないかね。いや、愛欲オンリーのレディコミよりはるかに素晴らしい。是非読んで欲しい。他にも、ガラスの仮面や有閑倶楽部が好きだった。まだやってるのかも。

 で、今我が部屋には浦沢直樹氏の漫画とめぞん一刻だけがある。「MASTERキートン」は一生の本となるだろう。勝鹿北星氏の作なのだろうけれど。ストーリーはもちろんだが、台詞に素敵な言い回しがたくさんあるのがなんともいえない。
 4巻の最初の話に、「僕は一人ぼっちだ!!」と叫ぶ子供に、「それは素晴らしい悟りだ。それを知ってれば、誰だって許せる。」と答えるシーンがある。
 それを知った上に、さらに人を許していかなければならないなんて、大変だなと思う。許すも恨むも紙一重だ。その後に待っているものも、短期的にはどっちが良いかわからない。けれど、人というスパンで考えたときに、その差のいかに大きいことか。

 語り部の言葉のみでしか感じることも出来ませんが、真実という振り子の軌跡の中に、この言葉は含まれているように思えてならないのです。そんな言葉を見つけていけたなら、長く生きるのも悪くはないでしょう。 Home&Photo


2002年10月02日(水) 書を開くまえに

 いろいろやりたいことを模索しながら、結局何もみつからずに歳を過ごしてしまったなと思いつつ、何かたいそうなものばかりを探して、普通の人が大切にしているものが、私にとってはとても遠いものだったと、ずっと気がついていたんだなと思ったりします。

 たいした夢も持っていなかったから、そんな人生に人を巻き込むのは悪いなと思い、結局見送った人もまた多かったなと。実のない奴な私は、日々を楽しく生きることが出来ず、先送りを繰り返して今に至っているなと、自虐でなく思い、そうして生きていくのだとも思っています。

 実がないのを実らせていくのが人生であって、いきなり豊かな実を差し出せといっても無理な話。かといって、将来の実の大きさを先物買いしているだけの世でもないわけで、どの環境に身を置くか、どんな交配をするか、何番目の花が美しいか、いろいろなわけでもあります。

 いろいろ一人でやってきましたが、結局一人でいることはとてつもなく恐ろしいことで、けれどそれが前提になっているわけです。一人で居るのが寂しいとか、一人なんだから何でもできるとか、そんなところからきっかけが始まります。

 もし、このまま一人で生きるとしたら、なんも考えずにやっていくのはやはり無理なのだろうなと思います。日々の感情に素直に心震わせるタイプでは今のところなさそうなので、そんな時期はもう少し前にきていれば、かなり普通な奴で済んだのでしょうが。ま、そんなことがこれからあったなら、喜んで流されますが。

 とりあえず、五郎さんの遺言に従って、自然に食わせていただく道を考えようかと。考えるだけでなく、少しは実践もしてみようかと。幸いにして、金なんか望むべくもないので、小さい頃からひ弱な私が、似合わずに不適応に抱いてきた路線をやっぱり歩むしかないかと。

 書を開く前に、手に一筋の傷を負って。回復する間に先人の書を読んでみよう。
 とりあえずはそういうことで、名目の節目は実際の節目では全くありませんでしたが、意味不明であっても、うまれし日のことは、こう綴っておきます。

 《テキスト》にジャンル移行しますです。日常もあまり書いていないので、ほほ。 Home&Photo


2002年10月01日(火) 拉致問題

 北朝鮮との問題は拉致問題一色だが、韓国でもさらに大きな拉致が行われているようだ。政府の対応もおんなじ様なものらしく、日本と同じ問題を抱えているようだ。何故何も進展しなかったのか、そのあたりが全く忘れられているように思えてならない。

 相手が独裁国家である以上、正攻法は通じない。日本の場合、戦後補償の問題に蹴りがついていないからだ。サンフランシスコ条約でかたがついているという話もあるが、そういっていいのなら堂々と主張すればよいのだが、国内には中国や北朝鮮に肩入れする面々がいたりするから、それも通らない。やはり、経済協力を行って、けじめにすべきだろう。

 今回の問題には、感情論と冷静さが不可欠だ。北朝鮮が持ち出すのは明らかに戦時中の問題だ。戦時中に100万人を超える連行があった訳で、北海道にもその足跡は多くある。戦時のこととはいえ、誠意を持って国として謝罪するのは認められているだろう。経済協力で良いという線も守られそうだ。
 問題は、戦時とその後の問題を区別できるか否かだ。拉致問題を同じ次元で論じれば、勝ち目などはないし、相手は世論などないのだから。

 拉致問題は、北朝鮮がさらに追い込まれるのを待つか、問題を認められる環境を日本が作れるかにかかっている。 Home&Photo


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