私季彩々
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2002年09月29日(日) やさしさひとりぼっち

 とっても愛しい笑顔をするあなたを見送るとき、その背中はいつも寂しげだった。だから、その笑顔が愛しかったのか、などと最近になって考える。

 あなたの周りにはいつも素敵な人が溢れていたけれど、笑顔だけを振り撒いて、あなたはいつもすり抜けていった。あの時はそう思ったのだけれど、通り過ぎていったのは皆で、あなたはいつも待っていたような気がする。

 日曜日に出かける場所は、海風の渡る草原の丘。嫌われ者のアルじいさんと話しているあなたは、何も引っかかる様子もなく、口元はいつもより大きく開いていた。だから私は声をかけられなかった。

 何故か動物に好かれるあなたに、いつもにゃぁにゃぁうるさい猫が何も言わずに寄り添っている。丘を渡る風はもう冷たいから、猫の目線で地に寝転んでぬくむんだってね。やっぱりあなたは猫。

 気がつけば、みんなそれぞれに歩き、あなたはまだそこにいて、やぁと振り返ってみせる。本当にうれしそう。どうしてそんなに嬉しそうなの?

 人はみんな孤独だってアルじいが言ってた。
 だから優しくなれるんだってアルじいが言ってた。
 私も聞いた。あなたも聞いてた。みんな聞いてた。

 でもあなたは何も語らないね。怖くないの?

 本当に優しいね。ほんとにね。 Home&Photo


2002年09月28日(土) 徹夜の理由は。

 土曜日の雨の日はスーパーの半額セールが早くなるという友人の指摘を元に寄ってみると、いつもは9時半にならないと半額シールがつかないのに、9時過ぎには貼ってあった。しかも商品は大量にあった。休前日は寿司や弁当類が売れる日なので、たくさん仕入れるらしいのだが、雨が降ると売上が落ちるらしい。なかなか商売とは難しいものだが、その隙間で生きる消費者というのはなかなかこすからい。

 先日ドンキホーテのタイムサービスで買ったウインドウォッシャー液は、なんと寒冷地仕様ではなかった。北海道でたとえ夏でも−5℃で凍ってしまう液を売っていいのだろうか。夏物処分の時期だというのはわかるが、今の時期に車に入れたら確実に凍って配管割れるような。北海道進出1年目のミスではないだろうか。会社のエタノールをくすねて、混入。アルコール度数30%もあれば大丈夫だろう。
 で、北広島の方にあるドンキホーテに深夜散策。郊外で夜3時までとなると遊べるところもないからか、とても混んでいる。確かに面白いものがたくさんあって楽しいが、けちな私をそそのかすものはなかったが。

 帰札途中で小腹がすいたので、馴染みの食堂「はんだや」。ご飯に豚汁、秋刀魚で232円。

 で、深夜3時。駐車場から家までは徒歩30分。
 深夜3時半。なんとなくネットをすごしつつ、まったり。
 深夜4時。寝ようとすると、布団が冷たい。猫のそそう。うぬぬ。敷布団まで染み入っている。さて、こういう場合はどうしたらいいのでしょう。部分的に洗うのも困難だし、かといって丸洗いに出すのも。いつからあるかわからない古い布団だし、この際捨てるべきか。ぬぬ。
 で、思い切って、ユニットバスで洗ってみる。洗剤を入れて、足で踏みながら。なんか懐かしい体験。水を吸って思いっきり重くなった敷布団。多分これは乾かなさそうとの予感大。すすぎに入ると、汚れがみるみる湧き出してくる。無茶汚い。そんなものだろうなぁ。切りがないのでやめる。
 で、重たい。吸水力抜群で、どうしても水が抜けない。これはこのまま強引に干すしか無さそうだが、中の真綿を覆う部分がなかなか空気を通さないようだ。これは、干しても乾かなさそう。干し上がる前に中で腐りそうな予感。

 やっぱ無謀なことかと思いつつ、今日はこのままお風呂に放置。まだまだ水が出てる。運ぶまでにはまだかかりそう。

 そんなこんだで、朝7時。結局完全徹夜になっちゃった。なんてこったい。猫の馬鹿。よよよ。

 今日の写真《夕日の日本海》小さな黒い影はサーファー。 Home&Photo


2002年09月26日(木) 秋のサーファー

 ふららと最近ふらついている厚田村海岸線へ。海も凪いでいていい感じ。空いていれば車で40分。

 少し内陸よりに入ると、結構田んぼが広がっている。広広としたなか、この時期に農薬をまいていたりする。むつかしいものだ。
 そんな中に、ちょこっと残された林の中に別荘地があったので寄り道。いかにもというロフト風のログハウスやプレハブが並んでいる。想像していたよりも一区画は小さくて、林間という感じではなかった。丘のぎりぎりのところに突き出すように小屋が建っていたり、見晴らしを重視した様はまさに別荘地様だった。雰囲気は悪くなかったなぁ。

 そのまま、海岸に行ってみて小休止。こんな時期だから誰もこないだろうと海水浴場にいってみると、誰も居ない。眠りにつこうとすると、車がチョコチョコやって来る。気にせず寝ると2時間、ぐぅ。
 夕焼けの日本海はまさに絶景。地平線に薄くなびく雲に赤いお日様が翳っていく。そんな中、秋最中の寒い海にサーフボードを抱えた青年が海に飛び込んでいった。逆光で黒く小さく浮かぶ人影は、すでに小さくなった太陽よりもずっと躍動的だった。よっぽど好きじゃないとこんな時期に出来ないよなー。

 で、気がつくと、エンジンがかからない。数回目のライトつけっぱなしで夜を迎えてしまいました。誰も居ない海岸だったら助からなかったのですが、一人居てくれたおじさん、助けてくれてありがとう。いったい何を拾っていたのか聞く余裕はありませんでした。ははは。 Home&Photo


2002年09月24日(火) 今が一番暖かい

 一週間レンタルで借りた黒沢監督の「蜘蛛の巣城」、見なかった上に延滞までしてしまった。時間に余裕があるとついつい油断してしまう。しくしく。

 夕方歩くと突然雨が降り出した。あと5分前後にずれてくれればと悲しむ。その後車に乗ると、ヒーターが恋しいほど寒さを感じた。一雨ごとに寒さが増していくのだろう。濡れた路面はブラックアイスバーンのようにも思え、以前にスリップしたところを走るとハンドルを握る手が少しきつくなる。もうスタッドレスタイヤのことを考えないといけないな。

 日の出日の入りを毎日覗いてみると、日の出は毎日1分強遅く、日の入りは2分弱早くなっている。夜更かしをしても、空が明けて来る様を見なくなった。
 秋分を越えて、天高く、空の青は地の茶色を少し取り込んだように、ちょっとおおらかだ。いずれ紅葉し、葉を落とし、白く染まっていく山に、紫の宵夕が似合う時が来る。冴える月はやはり冬。裸の枝が月を刺す光景も近い。

 日が最も長いのは6月。暑いのは8月。そして地温が最も高いのが初冬らしい。太陽の恵みは二カ月程度ずれて地球の層にやってくる。地に落ちた実は最も温かい大地に落ちて、枯葉の布団の中で眠りにつく。発酵も起こるのだろうから、適当な腐敗も進むのだろう。

 アスファルトが凍りつこうとする頃、少し深いあたりはまだ暖かい。実は今時分が、森の地表が一番活発なのかもしれない。

 富良野まで出て行こうかと思っていましたが、何となく近場に変更してゆっくり歩いてみようかと。日を越えて25日。見事な秋晴れ。 Home&Photo


2002年09月22日(日) トヨエツに違和感

 コーヒーのCM「BOSS」。浜崎あゆみと豊川悦司の2バージョンあるようですが、明らかに豊川悦司のほうが違和感。放映回数も圧倒的に浜崎あゆみのような。そのレア感が狙いなのでしょうか。
 といってる間にすでに終了かしらん。いやぁ、競争の激しい世界だこと。ほほほ。
 でも豊川悦司はかなり好き。きっと脚本の才能の方があると思うけれど。「夫婦漫才」良かったなぁ。 Home&Photo


2002年09月19日(木) 朽ちること 育てること

 札幌の観光名所というのはあまりない。がっかり観光地として有名な時計台と、高台の草原にあるクラーク像くらいかもしれない。ついでを言えば北海道大学構内のポプラ並木もあるかも。

 大学の構内にはポプラの並木は他にもあって、よく写真で見るところは歩いていかないと行けない。私はこの並木そばの農場道を1年間歩いて通勤していたので、季節感を込めて愛着があるわけだが、実はこの並木は立ち入り禁止である。
 すでに所々歯抜けになってしまっているのだが、これは倒木やその恐れのために間引かれたものだ。ポプラの寿命は100年もあれば良いほうなので、実はかなり危険。他の場所のポプラも大学創建時の同時代のものだから、かなりがたがきている。そのために、伐採の話があり、すでにその方針は決定済みである。

 これに異を唱えたのが市民団体と一部の教官達だ。維持する努力をすればまだ大丈夫だと言う主張だ。今現在でも大きく開いてしまった幹の洞にコンクリートを詰めたりしており、素人目にもはたしてどういう方法があるのか疑問であるが、札幌の風景の一つとして愛着があるわけだから、できることなら残したい気持ちは同じだ。この方達は大学と対立している。努力が足りないというわけだ。
 当局としては、あんなばかでかい木が突然倒れれば責任をとらなければならないわけで、倒してしまえれば楽という気持ちもあるだろう。それはお役所的で哀しいが、居並ぶ教官達は私も知っている先生達で、単なる責任逃れではない、逃れられない事実であることを証明する存在だと私にはわかるのだが、報道等を見ているとどうしてもそうは見えてこないのが悲しい。市民運動は善という視点が報道にも私にも見て取れる。

 ポプラは成長が早く、開拓期の防風林として適当だった。風貌も優美で、細かい枝を空に突き上げる様は北海道的だ。しかしながら、成長が早く枝振りが細いということは、芯がしっかりしていないということで、樹の肌はもろく、洞が開けば中はスカスカだったりする。明らかに寿命なのだ。感情論など入り込まない自然の現実だ。

 100年とはいえ、シンボル的な存在であるポプラに寿命があることはわかっていたはずだ。伝統ある農学部を抱え、広大な演習林を有する大学が、自らの構内にある木々の寿命を見送るだけというのは寂しかったと思う。しかたないとはいえ、市民団体の感情論は誰もが共有している。やはり専門家であると同時に、感情的な市民としての大局観が欲しかったところだ。若い研究者がはずれの道にひっそりと苗を植えていて、大きく育ってきたなんて素敵ではないか。事務方は怒りそうだけれど、それでこそ大学だ。
 並木は朽ちる。同じ所に若木を育てることは難しいかもしれない。ならば、別の場所に新しい並木を作って50年交代にしたってよかったのだ。建築物と違って自然物を名所とする札幌は、そのような視点も必要だ。原生林ではないのだから、人の手と計画はやはり大事であり、それこそ自由な専門家たるべき教官がなすべき仕事のはずだ。

 大学構内は本当に素敵な環境だ。緑も豊かで、古い建物も情緒があり、季節によってはそこらでジンギスカンの煙が昇る。スケッチや油絵を描く人も多い。
 最近では新しい建物がどんどん建っていく。空き地であった憩いの場は消えていく。集約化されて古い建物が消えていくのはもう少し先なのだろう。
 しかしながら、歴史ある建物もポプラやハルニレのような木々も、大学設立当時からあるものだったり、その当時に植えられたりしたものだ。まだまだ自由も余裕もある雰囲気だったのだろうが、今行われていることが、50年100年後に伝える景観たるのか。

 経済的に貴重な空間であるのは確かだが、愛すべき智と憩いの空間であるのもまた確か。100年後を見据えて育つ苗木を今こそ植えて欲しい。 Home&Photo


2002年09月18日(水) サンマ不漁

 滅多に買わないけれど、肉より魚派である。白身系の焼き魚には目がない。青魚も好き。シメサバは好物だ。

 サンマやイワシの刺身というのは数年前あたりから良く目にするようになった気がする。とってもおいしい。青魚にはEPAやDHAという体に良い油である不飽和脂肪酸が含まれているが、この油は劣化しやすいため、刺身で食べるにはとにかく新鮮さが命となる。流通経路が進化したということなのだろう。

 そのサンマが道東では不漁らしい。根室では40%というありさまらしい。三陸沖とかでは並に獲れているようで、価格の上昇はさほどでもないそうだから、北海道の漁民にとっては痛い話だ。

 温暖化がどれほどの影響を与えているのかはわからないが、あるとすればまず変化するのは海流だろう。大西洋北極海当たりで沈み込んだ重く冷たい水が、南極海を経て世界中のいろんな場所で深海の栄養豊かな水が湧き上がるらしいが、その場所が大きく変化するらしい。当然魚の移動も変化する。

 同時に、北海道はやはり魚を取りすぎたようだ。数百年に渡り畑の肥料になるほど無尽蔵に取れたニシンはすっかり消えた。道東のカニはほとんどが輸入もの。北方領土の線を境に、一気に魚影は濃くなる。戦前戦後から最近までの漁を題材にした小説を読むと、その落ち込みが良くわかる。
 韓国も事情は同じらしく、日本沿岸各地で定置網や刺し網を切るほどのすれすれの漁を行い、お次は国後に魚の加工会社を作って国境線の向こうでビジネスをしているようだ。さらに、「日本海」の名称を植民地支配の名残と言って「東海」に改めるように国際機関に訴えているようだが、沿岸国で寄って集って海を荒らして魚のいない海にしてしまっては仕方がない。
 蛇足だが、「日本がなかったら只の太平洋だから日本海でよいのでは?」と言った少女がいたが、確かにその通りに思えるがいかがでしょうか。

 人気の「プロジェクトX」では、北海道襟裳の植林の話がある。すっかり裸になった岬周囲の森を復活させて、土砂の流れ込んだ海を建て直したという話だ。結局そういう手段を講じるのが正しいのだろう。公共事業費を投じるべき標的はいくらでもある。豊かな時に使うべきお金を、さらに豊かになろうと底の見えないマネーゲームに費やして、人口の減退する時代を乗り切れるのだろうか。
 皮肉なことに、戦後占領された北方領土には豊かな海が残っている。日本人が海を荒らした何よりの証拠である。この点に関しては、占領されたことが幸いしていたといえなくもない。今島が帰ってきたとしたら、あっという間に魚を取り尽くしてしまうのではないだろうか。

 秋のサンマは何よりおいしい。沿岸で取れる魚は日本人の感性を育んだ欠かせない要素だ。根室が駄目なら三陸沖だって駄目になるだろう。もし直せる原因があるならば、一歩一歩直していきましょうということで。 Home&Photo


2002年09月17日(火) 首脳会談

 北朝鮮訪問の成果についていろいろ言われている。思いの外、相手が開けっぴろげだったこともあって、結果は悲劇ではあったけれど、二国間関係は前進したわけだ。

 結局のところ、経済的にも政治的にも困窮した北朝鮮が、日本の戦後補償というカードをいかに体面を維持しつつ手に入れるかということだったわけで、日本が外交手腕を発揮する場ではなかった。そんな情勢の中、拉致問題に一貫性ある首相が居合わせたのは幸運だったといえる。
 拉致問題とは、北朝鮮との戦後処理を行わなかったことに起因する。基本的には冷戦の被害者達だ。日本では、近代社会にあるまじき犯罪行為だと断罪されているが、北朝鮮に同じ考えを期待するのは無理がある。日本政府が弱腰だったというのは、その事情を良くわかっていたからだろう。戦争被害と拉致問題を分けて考えることなどできない相手だった。今回の金総書記も自らの関与は認めていないわけで、絶対関与はしているわけだが、公的に認るわけがない。証言テープがあっても無駄なことだ。もちろん送金停止などの強硬手段も取れたわけだが、そのリスクには拉致者の命や武力報復まであったことを言及する論者は少なかった。何より日本国内にわけのわからない北朝鮮シンパが多すぎた。
 結局のところ、北朝鮮が勝手に追い込まれるまでは、日本に解決の手段はなかった。アメリカ人の一人でも拉致されていれば、話は全く変わっていたのだろうが。戦争に敗れ、戦争を放棄し、武力を封印するというのは、このような理不尽に素手で立ち向かうことを意味していることを理解しなくてはならないのだろう。

 合意文書の中に、生存者との面談、死亡者に対する調査経歴の公表を国交正常化交渉前に行うように明記すべきであった。その一点以外は満足のいく成果だったといえる。
 マスコミも今回の件に関してはそこそこ冷静に思える。残された家族の感情論は当然で、その対応には文書への記載がやはり必要だったと思える。非公開の会談での発言など、ほとんど意味がないのが外交だ。後の祭りになりえる。
 興味深かったのは、最近になって突然うるさくなったややタカ派の自民党面々や自由党に対して、全面的に支持すると言ってのけた共産党だ。是非とも社会党のコメントも聞きたかったものだ。この問題に対する政治のねじれが良くわかる。

 北朝鮮国内では拉致のことなど全く触れられていないで、経済補償の話ばかりらしい。あの体制では国内事情を他国がどうできるものでもない。アメリカはミサイルや核査察にしか興味がない。日本は拉致一色。国益第一とはそういうものだ。

 国が犯した犯罪や戦争は、結局責任などとれやしない。だからこそ悲劇なのだ。拉致被害者の死は確認されたものではないこと、その証拠については必ず提出すること、その点が前提となった正常化交渉再開と思いたい。交渉なんて今まで何回も中断されている。始まったばかりなのだから。 Home&Photo


2002年09月16日(月) 整理すれば広い。

 部屋を片付けてみた。随分ひどい状態だったのだが、まぁ見れる状態かも。こうみると結構床が広い。貧乏人には贅沢だと思う。

 一人暮らしを始めてから、この部屋で引越しは3回目。12畳、9.5畳、6+7.5畳という変遷。普通の学生向け貸間に入ろうと何度も思ったが、結局初めが贅沢だったせいか、部屋のレベルはそう落とせなかった。
 以前の9.5畳は狭かった。ベッドとコタツとパソコンを置くと、ほとんどスペースはなかった。東京なんかに比べると贅沢なんだろうな。この部屋は、実家の感覚だと6畳間よりちょっと広いかも程度。畳の単位はだいぶ違うようだ。
 田舎で同様の一人暮らしをしている人は、家族向けの広い部屋や2階建ての一戸建てしかないので、そんな部屋を借りている。3万円で一戸建てとかでうらやましい限りだが、実際使うのはせいぜい2部屋どまり。冬になれば暖房がかさむので、ほとんど一部屋で暮らすことになるわけだ。
 暮らす人数で適当な広さというものはあるわけで、そう考えると、家族構成が変わって開かずの間が随分増えているのだろう。もったいない話ではある。

 今のこの部屋は、私一人には快適すぎる広さといえる。坪数は8坪くらいかなぁ。物は全然ないようだ。短い廊下(?)に放ってあったストーブをもう引っ張り出して、冬モードになってしまえるほど、スペースには余裕がある。
 整理整頓というのは私の最も苦手とするところだが、やっぱり気持ちのいいものだ。

 で、物入れ代わりのダンボールが余ってしまったので、細く切って接着剤で張り合わせ、猫の爪研ぎを作ってみた。使ってくれてうれしい。こんなに使ってくれるなら、もっと早く用意すればよかった。襖の傷をどうしよう・・・・。

 あ、ついでにすでに散らかりの気配が・・・・、よよよ。 Home&Photo


2002年09月15日(日) 松ちゃんが好きな「北の国から」の靴シーン

 「ダウンタウンのごっついい感じ」を見てたら、松ちゃんが「北の国から」の話をしだした。今回の「2002」はさほどでもないと言っていたが、松ちゃんは「北の国から」がかなり好きなようだ。メジャーなものを好きと言ってしまうのは、彼にとっては不本意だろう。

 好きなシーンとしてあげたのは、最終回前話の23話だ。母親が死んで、純達が東京に帰って葬儀に出る話だ。
 この回では、母親の再婚(する前だが)相手が純と蛍に靴を買ってあげる。純達が履いている靴があまりにボロボロだったからだが、この靴は父さんが買ってくれて、1年間をともに暮らした靴だったのも確か。それをその時に捨ててしまった。捨ててしまって良かったのか心に残る。翌日の夜、靴を探しに行き、店の前のゴミを掻き分けていると、警察官(平田満)が不信に思って尋問する。純が複雑な事情を説明すると、その若い警官は一緒に探し出すのだが、そのシーンで松ちゃんは”涙ドバー!”とのことだ。

 靴のシーンといえば、この場面を思い起こすのがファンである。中島みゆきの詞のフレーズでもいいけれど、こっちを是非あげたい。何となくビデオをあさると、丁度このシーンのある23話の途中が現れた。
 松チャンが言ったとおりのシーンが現れたが、その途中で清吉おじさん(大滝秀治)が名言を吐くわけだ。東京にいち早く現れない父さんをなじる都会人にその事情を説くわけだが、その語り口は染み入るものだ。
 改めて見て、私もまたまたまた涙が出た。で、深夜にそのまま最終話まで見ているわけだ。丸太小屋が出来上がって、3人で住んでいる。濃密な1年が振り返られる。
 最後のスタッフロールでは、関係者全てが職種名や役の大小に関わらず全員が同じ文字の大きさで、五十音順で流れる。それがこの物語の大きさを表していると今にして思う。

 初めの方の回で、蛍が「私達がいなくても父さん一人でここで暮らした?」と訪ねるシーンで「哀しいけれど、そうするだろうな」と答えた。

 ついでに、「ほぼ日刊いとい新聞」でも「北の国から」の話題をしていたりする。糸井重里氏もこれからDVDをみるそうだ。私はCMカットのビデオ録画なのだけれど、ステレオとモノラルの切り替えが悪かったらしく、笠松のじいさんの名シーンが欠落しているのが悲しい。

 で、私は別に松本仁志のファンというわけでもないが、「松本伸介」は大好き。島田伸介が好きなのだが。けれど、松ちゃんの趣味はかなり好きのようで、番組で彼の好きな曲がもろ私の好みだった。ついでに、「千と千尋神隠し」をボロクソ言っていたけれど、私は好きだが絶賛するほどではないなーと思っていた。そんな彼が、「北の国から」好きとはちょと驚いたのでした Home&Photo


2002年09月13日(金) 深夜徘徊

 今日も遅々とした仕事運びで夜10時。友人を呼び出して風呂へ行くことにした。そうすれば、家まで歩かないで済む。一石二鳥なり。

 ソファーのようなものが欲しいと思い、ホームセンターを回っているのだがパッとしない。この時間からいけるところと考えて、ドンキホーテを思いついた。札幌の老舗電気屋である「そうご電器」が潰れて、その後にテナントに入ったのだ。
 まぁ確かに雑然と物がつんであって、楽しいといえば楽しいのだが、目的外の物を楽しむ余裕のない私は、結局豆腐やら何やらを買ってしまうだけだった。ホットプレートも欲しかったなー。
 深夜の買い物を楽しむ人は確かに多く、圧倒的に若い人。ライフスタイルも様変わりです。

 第一目的で行った銭湯は演歌の流れる渋いもの。かなりわかりずらい所にあったのですが、夜12時までやっているのは貴重。なかなか感じのよい露天風呂もあって◎。火照るからだと涼しい秋風の組み合わせは、友人と長話をするにもってこいです。ただ、閉店15分前に突然明かりが消えて、循環が止まってしまった。ま、それでもそのまま入っていたのだが、循環が止まると、熱い湯は上にたまり、冷めた湯は下に沈む温度差が出来上がる。驚くほど首周りは熱くなって、退散させられてしまった。よよよ。

 で、さらに道に迷い、適当なラーメン屋も牛丼屋も見つからず、ようやくありついたのが、愛する「めしのはんだや」。豚汁80円、カレーライス180円、水餃子80円で夜食。うまいうまい。

 帰宅は2時。迷っていたのがほぼ2時間。何がなにやらわからんな。結局は、なじみの店と、演歌香る風呂がお気に入りだと再認識。ただのおじさんですぅ。ふふふ。

(全然歌も詠んでないのでジャンル変更) Home&Photo


2002年09月10日(火) 秘密のログな店

 専門学校のテスト。できは割かし良かったと思います。でも、やってない人は全然駄目な感じ。テスト中に出来た人の分は解答をやってしまっいました。間違ったところはやり直してもらうというテストは初めてらしく、そこそこ新鮮だったようだ。それもいいかげんに見えるらしく、そういう先生と認識されているようで、結構なことです。

 午後は時間があったので、ちょこっと浜益方面へドライブ。ほとんど定番になっております。バイク乗りだったらすっ飛ばすのでしょうな、こんな道。海岸沿いの見晴らしのいいアップダウンのある広い道は、夕暮れ前の西日を受けて快適です。
 ただ走るだけから、点在する小部落を訪ねたり、で、ここのところは不動産検索をしていたりします。このあたりは札幌から近いながらも、JRも走っていないので宅地化は遅れているのですが、最近ぼちぼち出来てきたようです。別荘地やセルフビルドもあります。何となく立ち寄ってしまうわけです。その中に山羊がいたりして、ぼのぼのな感じです。

 そんななか、以前に迷い込んだ道に入ってみました。山中のログハウス建築地帯なのですが、この中に一際大きなログハウスがあって、喫茶店を営んでいるようだったので。本当にやっているのかと思ったら、やっていました。ちょとびっくりしつつ。
 ダグラスファーの50cmもあろうかというハンドカットタイプの純正ログハウス。若い白樺林の中に見事です。もう一組の初老の夫妻がお客さんにいましたが、ここに一軒建てるつもりなのでしょうか。そうでもなければこんなところに来るはずもありません。
 音楽も無い静かな雰囲気の中、木の肌触りを楽しみつつ。帰り際にマスターと話をすると、これを建てたのは富良野塾の塾生とのこと。富良野で仮組みしてここに建てたそうです。マスターは札幌とここを行き来しているそうで、いったい何をしている方なのでしょうか。もしかしたら、倉本聡氏あたりとの接点もあるのかもしれません。水は浄化槽をつけて引いているとのこと。
 近くには小さな二階建てのポスト&ビームの建物があって、ちょっとした展示場になっていた。ダチョウの卵のオブジェや、ほおずきの中に豆電球を入れたオブジェなどがあって素敵。

 まさかこんなところにこんな店があるなんてねぇ。世の中結構好き勝手にいろんなことをやっている人がいるものです。なかなか秘密の場所かも。これだから寄り道は止められません。

 さて、次はどこに行きましょう。そういえば富良野の脇道に同じような店があったな。何となく入れなかったけれど、今度は入ってみよっと。 Home&Photo


2002年09月07日(土) おべんきょくうかん

 数日前に頂いたハーブがなんか萎れてる。もう外に出すのは無理だったかしらん。なってぃごめんなさい。

 世はそろそろ受験シーズン終盤らしく、焦りが出てくる頃らしい。同僚のアルバイトさんは、23才ながら受験生。医学部を目指して勉強中だ。けれど、正直そのレベルではない。今の時点で教科書の問題がわからないというのだから、まず合格は無理だろう。国立なんてとんでもない。

 去年それでも無理して受けた帝京大と女子医大は揃って不祥事。受験料も10万円というぼりようだ。受験自体は他の学部だろうと手間は変わらないのだから、何故医学部だけこんなに高くするのだろう。入学金の払い戻し拒否は違法とか言う判例が出たような気がしたのだが、受験機会というものを考えれば、私立だろうが格差をつけるのはどうかと思う。

 彼女は予備校にも通ってはいるが、どうやらついていってないようだ。予備校で友達を作るという感じでもないらしい。ナンパはされるようだが。
 で、おせっかいな私は彼女の面倒を見ることになる。私程度では役不足なのだが、それでも足りてしまうという彼女はがんばり屋さんだ。
 ただ、相手が女性というだけあって、互いの部屋に行くわけにも行かないので、お勉強の場所がなかなかない。話しながら長居できる空間というのは、なかなか無い。
 となると、手頃な喫茶店を行脚することになる。ま、お金はかかるがこれも悪くない。雰囲気というのはいいものだ。
 他にもいろいろ考えた。すいてるキャンプ場のバンガローはどうだろう。日帰りで1000円だ。でも、夜は駄目。うぬぬ。

 公共の場というのは、一人で行うことが単位になっている。数人で使えるスペースというのが図書館にあってもいいのではないだろうかなぁ。間、受験生で溢れるのは目に見えているのだけれど、それはそれでいいのではないだろうか。 Home&Photo


2002年09月06日(金) 無洗米から川を思う

 貧乏人の私が唯一贅沢しているのが「無洗米」である。これ楽チン。研がないでいいって素晴らしい。
 研ぐとなれば、どこまで研げばいいのかわからないので、結構だらだらと続けてしまっていた。かといって、山などでは研がずにそのまま炊き上げて、何の文句も無くおいしく食べているのだから、味覚に大して差は無いわけだ。「研がなくてもいいよ」と言われれば、安心して研がずに炊ける。私にとっては、たぶんに心理的なものである。ついでに水も節約できるわけだし。

 どこかの川で、洗剤をボトル数百本排水溝に流して、川や河口の魚を全滅させた馬鹿がいたようだ。洗剤って強力な薬剤ということはなかなかわからないのかな。水と油を仲立ちするものなのだから、液相が全く変わってしまうこと。下手な殺虫剤よりもよっぽど強力。小さいころ虫を殺して遊ばなかったのでしょうか。

 下水の流れというのは誰もが勉強しているはずなのだが、実際の工程はかなり単純だ。濾過して、酸化して、菌に食べさせて、塩素殺菌。途中にアルミン酸ナトリウムを入れて急速コロイド沈殿をさせたり、オゾン殺菌を行って残留塩素を消したり、活性炭処理を行って公園の水場に流したりもする。費用さえかければかなり綺麗な水を排出できる。

 しかし、公害時代の洗剤は有機リン系なども多く、見事に川を汚染した。酸化処理や好気性細菌処理を素通りするものは素通しなのは変わらない。そう考えると、この30年ほどで、日常的に使われる化学合成品というのは随分気を使うようになったのだなと思う。けれど、直接川に流せば元も子もない。

 下水の大原則の一つは無限希釈。薄めてしまえば問題なし、というものだ。予算不足の見切り発車ゆえ、生活廃水と雨水溝は結局同じ配管を流れていることが多いので、雨が降ると処理が間に合わない。そうすると十分処理できずに流れていくことになる。まぁ、大腸菌くらいなら問題ないけれど、雨の都市河川はある意味汚い。

 もう一つの問題は、この方法は維持費がかかること。大都市向けの高規格であって、集約してこそ価値がある。しかし、地方の民家が散在する街でもこれが出来たりする。費用対効果が全く合わない。臭気や見栄とかいう地方のエゴがあるのも確かで、高速道路よろしく、やはり生活インフラといえども、50%程度の地元負担がなければ、経済理性は働かないのではないだろうか。

 全然関係ないけれど、地方の短大は存亡の危機にある。その補助金を捻出するために、職員給与のベースアップを凍結した自治体があるそうだ。涙ぐましい努力だし、よく組合が納得したと思うけれど、そのくらいの痛みが必要なのではないだろうか。

 経済の停滞期に入って、人口の減退も避けられない。金を使わない国民の代わりに国が使って支えた経済成長は、そもそも矛盾があった。この新しい問題に手をつけていれば、日本は潜在的に世界をリードできたのだろうけれど。

 水の流れは政治の根幹だった。手におえない自然を必死に手なづけて、田畑を広げていった。いつしかねじ伏せる力を持って、数百年の苦労と恵みをあっさり忘れた。ようやくそれに気付いたわけなのに、南アフリカの国際会議は果たしてなんだったのでしょう。

 と、結論は、ただ、無洗米は素晴らしい。それだけ。私ってくどすぎ。でも、水とはそういうものなのだ。 Home&Photo


2002年09月05日(木) 厚田村散歩

 日付は木曜だけど2日前の話。午後の空いた時間を利用して、厚田村までドライブに行ってきました。札幌から小一時間。

 札幌も中心部から30分走れば、信号も少なくなって車の流れはかなり良くなります。海岸沿いに出れば、石狩新港のための信号が幾つかありますが、石狩川の河口を過ぎれば、ほぼノンストップになります。
 厚田村は歴史も古く、子母沢寛氏などの小説も有名です。古くからニシン漁で栄えた土地柄で、西の日本海に沈む夕日の綺麗な所です。札幌に近いながら、海岸沿いには断崖絶壁が多く、穴場的な景勝地だと思います。高台はふきっさらしで、風車が2基優雅に回っています。
 風が強いためか、海岸沿いの丘陵地帯はほとんど樹がありません。内陸寄りにはまだたくさんありますが、森の師匠によると、ニシン漁のために古くから森林伐採が横行したため、残っている森も単調とのことです。

 そうはいいつつ、ロケーションはなかなか素敵。風が強いのでどことなく荒涼としてますが、札幌から通勤圏といえなくもなく、小さなコテージやログハウスが点在するエリアが多くあります。
 途中に坪3000円という看板をみつけて、ついつい細い砂利道へ。しばらく行くと、10件ほどのセルフビルドのログハウスが並ぶエリアがありました。趣味人がせっせと建築中。
 さらにその奥に道が続いていたので、ついつい迷入。道はトンボで埋め尽くされていて、どれほど殺してしまったでしょうか。舞い上がるトンボはフロントガラス沿いに飛んでいきます。スピードは出ていないので、ガラスにぶつかって潰れることはありませんでしたが。
 途中、倉庫やトラクターが散見されたり、牧草を刈った跡があったりで、人の出入りは少しはありそうです。高度は以外に上がっているらしく、遠くに海が見えて、手前の丘に連なるように建物の屋根が反射して見えます。うっすらと黄色い花が丘を覆い、秋の気配です。冬はさらに風が強そう。
 そうこうするうちに道は狭くなり、かなり狭い尾根伝いになって、ちょっと砂利に足をとられると転落しそうな勢いです。こんなところで転落したら、まず誰も見つけてくれません。雪でも降ったら完全失踪できそうです。ああ、こうやって本当に消えてしまった人っているんだろうなぁ、と思うと結構怖い。道は急な下り坂になって、草が道を覆いだしたので、慌ててターンできるところを探す。ようやく見つけて撤収。ふぅ。

 この当たりは北海道でも早く開けたところのはずなのですが、地形はかなり厳しく、札幌に近いながらもなかなか道路整備ができなかった地域とのことで、さらに北の浜益を越えて増毛までの国道は、今でも夜間通行止めになります。

 北海道には江戸以前の歴史の影はありませんが、アイヌの方々の歴史は当然あるわけですし、和人の風土紀も興味深いものがたくさんあります。100年の歴史を浅いと捉えるのではなく、身近と捉えれば、ご近所歩きも楽しくなります。

 私が迷い込んだ林道は、昔の旧道があった場所から伸びていました。200年前にもしかすると松浦武四郎が歩いた道だったのかもしれません、なぁんて。

○明日は「北の国から」。ビデオ録画セット中。テープ買ったの数年ぶり♪ Home&Photo


2002年09月03日(火) 食文化講義

 9月は2週間だけ専門学校での講義があります。7月で一旦終了しているので、2ヶ月ぶり。テスト問題をようやく作り終えて、久々に行ってまいりました。

 ブランクもあるし、翌週は試験ということもあって、授業をしてもしょうがなかろうと、昨年使った資料を引っ張り出して使いました。食文化に関するものです。インターネットからのコピー。無断転用ごめんなさい。
 食文化というのは知るといろいろ面白いもの。ファーストフードがファストフードだと知ったのは数年前ですが、スローフード運動というものに関心があったりします。食はまさに個人レベルのローカルな文化。多様であります。
 そんな中でも知って欲しいなと思ったのが、宗教に関するタブーです。イスラムの人に豚を出すようなことはあってはならないというのは、知らないとまずいです。宗教心の薄い日本内にあって、特に北海道の地方出身で外国の方との接点が無い若者は意外と知らないかもしれません。
 アフリカの留学生を飲み会に誘うとなれば、肉は鶏肉に限定して、アルコールも控える配慮が必要だったりしましたし。
 他にも、アーミッシュや原理主義もあります。韓国では犬を食うとの批判もあります。鯨の問題も、すでに感情論の平行線です。

 キリスト教というのは食に関しては非常に寛大のようです。聖書でもキリストさんは結構いろいろ食べているようですし。欧米の感覚では、食のタブーは完全な伴侶動物や高知能動物への愛情論です。これはこれでいいのですが、アジアやアフリカの食文化に対する寛容がありません。
 方向としては彼らの考えが間違っているとは思いません。犬や鯨は食べなくてもいいと思います。ただ、あそこまで感情的になると、彼らが過去たった200年前に鯨から油を搾り取っていたことを持ち出しまいます。

 呪術師は実は脳感染症に犯されていて、その脳を後継者が食べることによって祈祷が受け継がれるカニバリズムの一例があります。文化人類学が発掘した極端な例ですが、地域地域の伝統料理がその地域の伝統や文化を伝えるということもあるでしょう。風土紀は日本最古の書物ですし。

 中国では豚肉が最も高級とのこと。アメリカでもそう聞いたような。ヨーロッパでは羊はポピュラーです。

 究極的には、肉食という文化は衰退せざるをえないのではと思いますが、フロンティアを失った今、もっと謙虚に、互いの文化を尊重したいものです。そう思いつつ授業で勝手にしゃべっておりました。給料もらうの悪いなぁ。 Home&Photo


2002年09月02日(月) 北の国から展

 ちょこっと時間があったので、札幌のロビンソンでやってた「北の国から」展を見てきた。パネルが20枚くらいある程度だったが、全作品を述回するにはいい感じ、うるうる。
 見に来る人も、お母さんと娘とか、世代を越えて真剣に見てたりする。20年というのはそういう時間だなぁとしみじみ。
 で、予告編なんかをビデオで流していたりする。テレビでもかなり流れてるし、見ないようにしようと思いつつすでに大分見てるから、ここでもちょこっと見るつもりで見入る。周りの人はチラッと一瞥しただけで、立ち去っていく。いかにも事前情報は少ない方がいいという考えだ。私も賛同だが、ついつい。
 んで、これが長い。5分以上はあったのでは。おいおい。ほとんどダイジェストといっていいくらいじゃぁないかい。やばいよぉ。幾つかネタ仕入れちゃったよぉ。るるる。

 ま、見始めればそんなことは忘れてしまうのでいいといえばいいのですが、ちょと見過ぎました。
 キャストの中に原田美枝子さんの名前が。涼子先生出てくるんだぁ。やった♪
 でも、金土は夜忙しくてみれないんだなぁ。ビデオビデオ。今日録画失敗したから気をつけないと。

 んで、SMAP×SMAPに五郎と純出演。純君、おいしいだけじゃだめさぁ。五郎さん、もうあなた反則。噛みあって無かったけれど。でもさぁ、賞品の1万円札2枚。’87初恋の名ラストシーンのあの泥付一万円札。むっちゃほしー!!!! Home&Photo


2002年09月01日(日) コーヒースペース

 ねこがダンボールを引っ掻いています。以前飼っていた猫は、ダンボール爪研ぎに無関心だったから、何となく買うのを躊躇していたのですが、この猫は単純。もっと早くやっておけば、引き戸を荒らされなくて済んだかも。賃貸なのに・・・・。

 昨日は友人宅で3時ほどまで飲み。日曜日は廃人生活の予定でしたが、同僚の受験生から勉強を教えて欲しいとの連絡があったので出かけました。私でも役に立つというのはうれしいこと。
 ただ、頼まれると困るのが場所のこと。話しながらお勉強という環境は意外とありません。そこそこ長居出来なければなりません。いろいろ考えると、昼間のカラオケボックスは実は静かかも、とか、キャンプ場のバンガローなんて実は穴場かな、とか思ってしまいました。都会でそういうスペースは無いものです。

 で、インターネットでレンタルスペースというのを検索したら、喫茶店で一軒。1時間500円という値段は安かろうということで出かけてみると、10名ほどの個室。とっても贅沢な時間となりました。

 喫茶店というのは雰囲気を提供する場なのだなぁ、と実感。マスターとの時折の会話も捨てがたいですが、広い空間と、押えた話し声が回りの迷惑にならない広さというのも良いものです。音楽も控えたスペースと普通のスペースがとってあって、間仕切りは無かったものの、ここのテーブルがそこそこ独立した雰囲気になっていました。個室借りるまでもなかったかも。

 日常の生活しか送っていない私ですが、都市というのはいろんなことを提供しています。基本的には自分でやりたいと願う人間なのですが、人のアイディアや雰囲気というのは味あわさせて頂くものです。
 貧しき私で、コーヒー一杯で600円なんてとんでもないという考えは捨てきれませんが、納得することもあるわけで、私もまだ捨てたものではありません。 Home&Photo


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